【蟲使いと傀儡使い】(side:油女シノ)
里から外れた森の中。サスケの背中が樹海に消えていくのを見届け、俺はあらためて目の前の敵、砂の忍カンクロウと対峙した。
「……お前はここで確実に倒す。なぜなら、俺にはサスケを追う任務があるからだ」
「言うだけはタダじゃん」
カンクロウが背負っていた包帯の束を解く。乾いた木擦れの音を軋ませながら、人型の傀儡が姿を現した。
俺はコートの襟に顎を沈め、サングラスの奥で敵の戦力を推量する。
傀儡使い。警戒すべきは、全身に仕込まれた暗器の多さと、人間には不可能な挙動。
俺の脳裏に、師であるヨフネの教えが静かに蘇る。
印を結ぶ必要はない。俺が体内のチャクラを練り上げると、無数の蟲が一斉に羽ばたく微細な羽音の波が、大気を震わせる。
同時にカンクロウの指先が動いた。チャクラの糸に引かれ、傀儡の腕から鋭い仕込み刃が飛び出す。人間の骨格ではあり得ない不規則な軌道を描き、俺の急所へ殺到した。
足裏にチャクラを集中させ、最小限の体捌きで迎撃する。大振りな回避行動は取らない。刃が衣服を掠める距離で見切り、自身の体勢を崩さぬことだけに注力しつつ、隙を見て接近して打撃を繰り出す。
数合の撃ち合いを重ねるうち、カンクロウの顔に微かな違和感と焦燥が浮かぶのが見えた。
奴の動きが鈍る。避けたはずの俺の拳がカンクロウの顔面を掠め、確実に俺を捉えるはずの刃が空を切る。刹那のズレ。視覚情報と、実際に接触するタイミングが噛み合っていないのだ。
「……無駄だ。なぜなら、お前の耳には既に俺の蟲の羽音が届いているからだ」
俺は間合いを保ちながら、事実だけを淡々と告げる。
「蟲の羽音を調律し、鼓膜と三半規管を揺らすことで、お前が見ている俺の動きは、現実よりもわずかに速く錯覚するようになっている」
「……チッ、小細工を!」
カンクロウが舌打ちをする。直後、その動きが変化した。「速さの誤認」を計算に入れ、打撃のタイミングをわずかに遅らせて動作を修正し始めたのだ。
俺の狙い通りに。
小手先の斬撃では仕留めきれないと判断したのだろう。カンクロウは背中の巻物を解き、二体目の傀儡を投入した。人形の傀儡で攻撃を散らしながら、新たに出した傀儡で俺を捕獲する算段かもしれない。だが、敵も慣れていないのか、先ほどまでの傀儡と比べ反応が鈍い。
迫り来る二体の傀儡を前に、俺は再び師の教えを思い出す。
『傀儡の装甲は硬い。だが、関節や、装甲の隙間は脆い。正面突破に拘るなよ』
右腕の袖口から蟲を一斉に放出しながら、足元の土にチャクラを流し込む。
土の匂いが色濃く立ち昇る。地面の土塊が這い上がるように俺の右腕を覆い、節を持った巨大な岩の腕へと変貌を遂げた。内部に規則的な空洞を作り、蟲を這わせることで結合力を高めた土遁の硬化術。
その異様な質量と、蟲使いが物理的な剛腕を形成したという常識外の戦法に、カンクロウの動きが完全に止まった。
俺は躊躇なく、突進してくる二体目の傀儡正面へ岩の拳を叩き込む。
重い破壊音と共に、黒蟻の前面装甲が粉砕された。さらに岩の腕を蛇腹状に伸長させ、後退しようとした黒蟻の胴体を鷲掴みにする。そのまま力任せに持ち上げ、巨岩に叩きつけた。木っ端微塵に砕けた傀儡の残骸と、ひしゃげた仕込み刃が地面に散乱する。
「正面突破できたな」
「黒蟻が……化け物か……!」
傀儡を一瞬で破壊され、カンクロウの顔に明確な焦りが浮かぶ。彼はすぐさま人形傀儡の腕部を射出した。鼻を突く強烈な刺激臭と共に、広範囲に紫色の毒煙が噴射される。視界を奪い、呼吸器から神経を侵す最終手段だろう。
だが、俺の取るべき行動は一つだ。
岩の腕を瞬時に無数の石礫へと分解し、空中の毒煙の仕込み筒を目掛けて散弾のように撃ち放つ。
物理的な衝撃を受けた筒が空中で誘爆し、毒煙の大半が上空へと散らされた。
なおも眼前に迫る紫の煙に対し、俺は即座に足元の土を隆起させ、前面に軽石のように無数の空洞を持つ岩壁を生成する。
壁の空洞が周囲の煙を急速に吸い込んでいく。岩壁の内部には解毒に特化した蟲が待機しており、吸い込まれた毒成分をチャクラとして捕食し、無害化する仕組みだ。
数秒後。煙が完全に晴れる。俺は煤一つついていない無傷の状態で、再びカンクロウを見据えた。
全ての手段を封じられ、カンクロウが冷や汗を流しながらジリジリと後退する。
彼の視線が、再び形成された俺の岩の腕に釘付けになっているのが分かった。「質量がある分、動きは遅いはずだ」。そんな浅はかな計算が、彼の目から手に取るように読み取れる。
俺はゆっくりと岩の腕を振り被った。カンクロウの筋肉が僅かに収縮し、引き付けてから回避しようとする動作の予兆を見せる。
その瞬間、カンクロウが回避行動に移るよりも遥かに早く、顎を下から跳ね上げるように俺の岩の拳が突き上げた。
「ガッ……!?」
完璧にタイミングを外されたカンクロウの喉元を、岩の拳でガッチリと掴み上げる。
当然だ。俺は密かに、蟲が奏でる羽音の調律を切り替えていた。先ほどの「速く見える」錯覚から、「実際よりも遅く見える」錯覚へと。そして、術を開示することで、敵の思考を誘導した。
一度目の種明かしを信じ込み、己のタイミングを修正した時点で、彼の敗北は決定していた。ヨフネ先生の教え通り、相手の思考を誘導して詰ませたのだ。
岩の隙間から溢れ出した無数の蟲が、身動きの取れないカンクロウの全身を這い回る。蟲たちは一斉に牙を立て、カンクロウの経絡系からチャクラを根こそぎ吸い上げ始めた。
抵抗する力すら奪われ、急激な虚脱感と共にカンクロウの意識が刈り取られた。
チャクラを完全に吸い尽くされ、意識を強制的に絶たれたカンクロウが、重力に従って地面へと崩れ落ちた。
俺は乱れた呼吸を整えることもなく岩の腕を崩し、静かにコートの皺を直す。
「礼を言う。良い修行になった」
毒も受けておらず、目立った外傷もない。チャクラの消費すら最小限に抑えた完璧な状態のまま、俺は次の戦場へと向けて静かに木々の奥へ歩みを進めた。
【忍刀三人衆】(side:桃地再不斬)
木ノ葉の北に広がる鬱蒼とした森。俺は血と鉄の錆びた臭いが立ち込める中、『首斬り包丁』を無造作に振り抜いた。
飛び込んできた音隠れの忍の胴体が、分厚い刃によって両断される。
「……チッ、次から次へと湧いてきやがる」
切断された肉体から噴き出す生温かい血を刀身に吸わせながら、俺は周囲を囲む数十名の音忍たちを睨みつけた。
敵の数は圧倒的だ。通常兵力の差で押し切られつつある。
(……笑えねェな)
内心で小さく自嘲する。
かつて血霧の里を追放され、泥水を啜るような逃亡生活を送っていた俺が、今は木ノ葉を守る戦いに参加させられている。
まあ、かつての同志と共に血霧の遺産を振るう舞台まで用意されているのは悪くない。
ヨフネという男の掌の上で踊らされているのは癪だが、その手腕と底知れなさには、純粋な畏怖すら覚える。
「……待たせたな、再不斬」
「申し訳ありません。ヨフネ様から刀を受け取った後、合流の道中で敵の小隊と遭遇し、少し手間取りました」
背後の木陰から、二つの影が音もなく降り立った。
病を克服し、鋭い眼光を取り戻した鬼灯満月。そして、いつも通りの白だ。
二人の手には、長刀『縫い針』と、爆刀『飛沫』が握られている。
俺は二人の背後を一瞥し、眉をひそめた。
「……業頭と冥頭はどうした。一緒にいたはずだろう」
「彼らには『兜割』が渡されました。別命を受け、闘技場を覆っている結界を破壊しに向かっています」
「なるほどな。それぞれ適材適所ってわけだ」
あの男は、忍刀を最も効果的なこの戦局に投入してきたのだ。用意周到すぎる采配に、俺の口角が自然と吊り上がる。
「遅ェぞ。……暴れる準備はできてんだろうな」
「当然。疼いて仕方ないね」
満月が好戦的な笑みを浮かべ、飛沫の巨大な刃を肩に担ぐ。
音の忍たちが、増援を警戒して一瞬だけ歩を止めた。だが、数の優位を確信している奴らは、再び殺意を剥き出しにして包囲網を狭めてくる。
反撃開始だ。
*
「――秘術・魔鏡氷晶」
白が両手で印を結んだ瞬間、周囲の気温が劇的に低下した。
森の木々の間に人間の背丈ほどある長方形の氷の鏡が無数に生成され、音忍たちの周囲を檻のように囲い込む。
「なっ、なんだこの氷は……!?」
音忍たちが足を止めた直後、白の姿が鏡の内部へと溶け込むように消えた。
「させるかッ! 燃やせ!」
音の忍たちが一斉にクナイを放ち、火遁の印を結ぶ。だが、術が発動するよりも早く、白の姿が鏡の中で動く。
「遅いですよ」
鏡から鏡へと走る鋼線が、放たれた火遁ごと音忍たちの四肢を両断していく。吐く息すら白く染まる冷気の中、白は右手に握った『縫い針』を振るう。鏡を滑車のように利用し、跳弾の軌道を描きながら、不可視の鋼線を森の木々に張り巡らせていた。
一人が逃げ出そうと一歩踏み出した瞬間、張り巡らされていた鋼線が、両足の膝下から切断された。
「ぎゃあぁぁぁッ!?」
自分の足が切り離されたことに一瞬遅れて気づき、絶叫が上がる。悲鳴が続く間もなく、縦横無尽に飛び交う縫い針が次々と急所を貫いていく。
肉を断つ鈍い音と、むせ返るような血の匂いが冷気に混じる。数十人の部隊が死体の山へと変わり果てる中、白は返り血の一滴すら浴びることなく、静かに氷の鏡の上に降り立った。
*
白の鋼線をかろうじて逃れ、密集して防御陣を組もうとした音忍たちのど真ん中へ、満月が空から降ってきた。
「土遁・土流壁!」
満月の強襲に対し、音忍たちが必死に分厚い土の壁を隆起させる。
「まとめて吹き飛べ!」
狂気を孕んだ笑い声と共に、無数の起爆札が仕込まれた『飛沫』の刃が、敵陣の中心へと叩きつけられる。
直後、鼓膜を圧迫する轟音と共に、凄まじい爆発が巻き起こった。
強固なはずの土流壁が粉砕され、熱波と火柱が上がる。音忍たちの肉体が爆風で四散した。焦げた土と肉の臭いが周囲に充満する。
爆発の質量は、本来なら使用者にも致命傷を与えるものだ。
しかし、爆炎が晴れた後、そこに立っていた満月には傷一つない。
「やっぱり『飛沫』の爆発は最高だな。旦那の野郎、ただ保管するだけじゃなくて最高の状態に手入れしてくれてたみたいだね」
満月の足元で、飛び散っていた水滴が生き物のように集まり、再び人型を形成していく。鬼灯一族の秘伝『水化の術』だ。
爆発の瞬間、自身の肉体を液状化させることで、衝撃と熱量を完全に無効化している。満月は愛おしそうに飛沫の柄を撫でると、次の起爆札を仕込み、連続爆破を周囲に撒き散らしていく。
逃げ場を失った音忍たちは、見えない鋼線に四肢を封じられ、防御陣ごと起爆札で粉砕して笑う水化の怪物を前に、完全に戦意を喪失していた。
*
音忍たちが壊滅した直後、森のさらに奥から異様な気配が近づいてきた。
木々をなぎ倒して現れたのは、腕が異様に肥大化し、皮膚が岩のように硬化した異形の怪物たちだ。獣のような体臭と咆哮を放ちながら、血の匂いに惹かれるようにこちらへ襲い掛かってくる。
「……雑兵の次は、出来損ないの化け物か」
俺は肩に担いでいた首斬り包丁をゆっくりと下ろし、構えを取る。
先頭の怪物が、丸太のような豪腕を振り下ろしてきた。俺はそれを紙一重で躱し、首斬り包丁の重量を乗せて怪物の右腕を肩口から斬り飛ばす。硬い皮膚を断つ嫌な手応えがあった。
だが、怪物は悲鳴一つ上げない。痛みを感じていないのだ。それどころか、切断面の肉が異様に蠢き、無理やり再生しようとしながら、残った左腕で俺に掴みかかろうとしてくる。
「……チッ、気持ちわりィ」
俺が吐き捨てた直後、白の姿が背後に現れた。
「――ならば、砕くまでです」
白が即座に氷の鏡を展開し、その腕に『縫い針』の鋼線を絡みつかせる。冷気が怪物の動きを縛り上げる。
「オラァッ!! ミンチになりな!」
拘束され隙だらけになった怪物の胴体へ、満月が『飛沫』を叩き込む。
再び鼓膜を揺らす連続爆発。硬化した皮膚ごと、怪物の肉体が内側から爆砕され、再生すら不可能な肉片へと変わる。
「その首よこせ」
爆風を突き抜けるように跳躍した俺は、空中から落下する勢いを乗せて『首斬り包丁』を振り下ろす。
残った怪物の巨体を、脳天から股下まで真っ二つに両断した。
即席でありながらも、互いの特性を完全に理解し合った連携だ。
三人は無駄口を叩かず、ただ沈黙したまま、次々と迫り来る実験体たちを暗殺者の仕事として解体していく。
刀を振るいながら、俺は背筋に冷たいものを感じていた。
大蛇丸がこのような化け物を用意していることすら、あのヨフネという男は予測していたのだろう。だからこそ、俺たちをこの遊撃の要に配置し、化け物どもを解体させるためにわざわざ忍刀を配備したのだ。
「本当に……あの男は敵に回すべきじゃねえな」
呆れと畏怖が混じったような笑みが漏れる。
この予想外のはずの木ノ葉崩しという戦場すら、あの男にとっては想定内なのかもしれない。
そんな考えがチラついたが、血の雨が降り注ぐ北の森で、俺たちは圧倒的な暴力をもって、任された掃除を淡々とこなしていった。
【護るべきもの】(side:日向ヒナタ)
上段のバルコニーや少し離れた場所では、カカシ先生やアスマ先生たちが、侵入してきた音忍たちと激しい死闘を繰り広げていた。
クナイが弾け、忍術の爆発音が闘技場に鳴り響く。それでも、客席にいる数千人もの観客たちは敵の幻術による深い眠りに落ちたまま、誰一人として目を覚ます気配がなかった。
このままでは、無防備に眠っている彼らが戦闘の巻き添えになってしまう。
現在、第八班にシノくんの姿はない。彼はサスケくんを追い、単独で遊撃と足止めに向かっている。残された私とキバくんの任務は、この闘技場内の防衛と避難誘導だ。
私たちは眠っている観客の間を縫うように進み、女性や幼い子供を見つけては、一つ一つ丁寧に幻術を解いて回っていた。
「――解っ」
指先にチャクラを込め、小さな女の子の経絡を刺激して目を覚まさせる。
「こ、こっちです……。足元に気をつけて、眠っている人たちを踏まないように進んでください」
私は声を潜めながら、子供の手を引いて静かに歩き出した。
周囲に逃げ惑うような人々はいない。目を覚ました避難民たちは皆、私たちの指示に従って息を殺し、慎重に移動を続けている。
私たちが大声を出さないのは、上段や通路で獲物を探している敵の忍たちに気付かれ、この人たちを標的にさせないためだ。キバくんもそれを理解し、決して声を張ることなく、的確な指示で人々を退避口へと誘導している。
(……しっかりしなきゃ。私とキバくんで、この人たちを守り抜くんだ)
ヨフネ先生はいつも言っていた。『戦闘は勝つだけが全てじゃない。いかに被害を出さないかを考えろ』と。
*
「ヒナタ。 下の通路から三匹、ネズミが紛れ込んできた」
キバくんが、鼻をヒクつかせて鋭く囁いた。頭の上で赤丸も喉の奥で低く唸り声を上げる。
私の白眼も、階段の死角からこちらへ急速に接近してくるチャクラを捉えていた。音の忍と砂の忍の混成小隊。数は三人。彼らは、この会場から人を逃す気はないのだろう。
「後ろは任せたぜ、ヒナタ! 行くぞ赤丸!」
「はいッ!」
キバくんが風を切って飛び出していく。私は避難民の列の最後尾に立ち、彼らの背中を庇うように構えた。
白眼の視界越しに、キバくんのチャクラの動きが手に取るように分かる。
『擬獣忍法・四脚の術! くらえ、牙通牙!!』
キバくんと赤丸が二つの竜巻となって、敵の前衛二人へと突っ込む。
だが、敵も中忍レベルの実力者だった。竜巻の直線的な軌道を見切り、通路の左右に跳んで躱そうとする。以前のキバくんなら、ここで避けられて背後を取られていたかもしれない。
しかし、今のキバくんは違う。
『――甘えよッ!』
敵が躱した瞬間、キバくんは牙通牙の無理な体勢から急停止するのではなく、進行方向の石造りの床を土遁で瞬時に隆起させ、分厚い土の壁を作り出した。
ズドン、と重い地響きが鳴る。キバくんはその壁に竜巻ごと激突して反動を殺すと同時に、壁を蹴って鋭角に方向転換したのだ。
「なっ……!?」
直線的だったはずの牙通牙が、無理な体勢から急激に軌道を変え、死角から砂忍の脳天へ重い一撃を叩き込む。予測不能の機動と、土遁の質量を伴った体当たり。強烈な摩擦音と共に、敵は悲鳴を上げる間もなく通路の壁に激突し、意識を刈り取られた。
(すごい……キバくん、また強くなってる)
だが、感心している暇はなかった。
キバくんが前衛の二人を蹴散らしたその一瞬の死角を突き、残る一人の音忍が迂回して、私の背後にいる避難民――階段の段差で足をもつれさせて転んだ母親と、顔を強張らせて口を両手で塞ぐ女の子――へと向かって刃を振り下ろしてきたのだ。
「死ねェッ!」
音忍の歪んだ笑い顔と、ギラリと光るクナイ。
私は反射的に母子の前に飛び出していた。敵の殺気が、私の肌を粟立たせる。
(打たなきゃ……!)
右手にチャクラを込めた瞬間、私の身体が一瞬だけ、硬直した。
私の柔拳がこの人の経絡系を打ち抜けば、この人は内臓を破裂させて死ぬかもしれない。あるいは、二度と歩けないほどの後遺症を負うかもしれない。
相手の肉体を壊すという確かな感触の想像が、私の指先に無意識のブレーキをかけようとした。優しすぎる、と言われた私の致命的な悪癖。
――お前のその優しさは、時に致命傷になる。
脳裏に、ヨフネ先生の言葉が鮮明に蘇る。
――お前が手を止めれば、お前だけでなく、お前の大切な者たちが死ぬんだ。
背後から、女の子が恐怖に震えながらも、必死に悲鳴を殺している気配が伝わってきた。
その瞬間、私の中から一切の迷いが完全に吹き飛んだ。
(私が手を止めれば、この人たちが死ぬ。なら――!)
振り下ろされる敵の刃。私はそれを弾くことすらしない。首筋を掠める髪の毛一本分の隙間だけを見切り、紙一重の回避で敵の懐のさらに奥深くまで潜り込む。
「なっ……!?」
突然視界から消えた私に、音忍が驚愕の声を上げる。
そのがら空きの胸元――心臓の位置にある点穴へ向けて、私は右手を突き出した。
殺意とは少し違う。あるのはただ、人を護りたいという純粋で絶対的な意志だけだ。
「――八卦・空掌ッ!!」
躊躇いも、手加減も一切ない。
放たれた渾身のチャクラは、離れた敵を撃つのではなく、密着した掌から敵の体内へ直接叩き込まれた。チャクラの衝撃波が敵の体内へ深く浸透し、心臓周辺の経絡を完全に遮断して、抵抗する力すら根こそぎ奪い去る。
「カッ、は……」
音忍は声も出さず、その場に力なく崩れ落ちた。ピクリとも動かない。
私は護ることができた。
敵が倒れ、通路に短い静けさが戻る。
私は小さく息を吐き出し、右手を握り込んだ。もう、手は震えていない。誰かを傷つけてしまったという罪悪感よりも、自分の力で誰かを守り抜くことができたという、確かな安堵が胸を満たしていた。
「あ、ありがとう、お姉ちゃん……っ」
「本当に、ありがとうございます……」
背後で、母親が女の子を強く抱きしめながら、声を押し殺してポロポロと涙を流し、私に頭を下げた。
私は振り返り、彼女たちを安心させるように精一杯の笑顔を作った。
「もう大丈夫です。さあ、早く退避口へ」
母子が立ち上がり、安全な地下通路へと身を隠していくのを見届けると、息を切らしたキバくんと赤丸が戻ってきた。
「やるじゃねーか、ヒナタ! 今の一撃、迷いがなくて最高にキレてたぜ!」
「キャンッ!」
「……うん。ありがとう、キバくん」
キバくんの屈託のない笑顔に、私は深く頷いた。
自分はまだ、ヨフネ先生や他のみんなに比べたら弱くて、ちっぽけかもしれない。けれど、誰かを守るために振るうこの力を、私はもう恐れない。
(先生。私……少しだけ、強くなれましたよ)
頭上に広がる黒煙を見上げながら、もう一度右手を強く握りしめる。忍として一つ殻を破った静かな決意と共に、私は次の避難民の誘導へと駆け出した。
【勝てない軍師】(side:奈良シカク)
縁側に座り、手元の猪口に酒を注ぐ。
日も暮れて、復興の槌音が鳴り止んだ木ノ葉隠れの里は、深い静寂に包まれていた。
今日、火影邸でヨフネが提出してきた『十一局体制』の分厚い資料。その精緻な構成と、各部署の権限を明確に切り分けた組織改革を思い返し、俺は首の後ろを掻いた。
「……とんでもないことを考えやがったな」
独り言をこぼし、いつもより少し良い酒をあおる。喉を焼くアルコールの熱と共に、思考は『木ノ葉崩し』へと遡っていく。
砂と音の奇襲。本来なら里の内が焦土と化し、甚大な犠牲が出るはずの状況だった。しかし、ふたを開けてみれば民間人の死者は極めて抑えられ、被害は極めて軽微に抑え込まれた。ヨフネ率いる猟犬部隊の情報共有と、事前の避難誘導が完璧に機能した結果だ。
だが、上忍班長である俺を戦慄させているのは、その見事な防衛戦の戦果そのものではない。裏で処理されたもう一つの事実だ。
里を抜けて逃亡中だったダンゾウは、この未曾有の危機を利用して三代目を見殺しにし、実権を握ろうと暗躍していた。里に潜伏させていた根の残党を動かし、防衛部隊の連携を意図的に分断しようとしたのだ。
だが、その謀略は猟犬の仕組みによってあっけなく粉砕された。
要所に配置された感知水球によるチャクラの異常検知。即座に現場へ急行したイノイチの迅速な読心。現場の猟犬たちは、あらかじめヨフネが定めていた『不審な行動を取る味方は即座に制圧・確認する』という手順に従い、機械的に脅威を排除しただけだ。
俺には分かっている。ヨフネが最初からダンゾウの裏切りを予測し、そのための巧妙な罠を張っていたわけではないことを。あの夜、ヨフネは純粋に被害を抑え、三代目を救うために前線で対応に追われていたはずだ。
背筋が冷たくなるのはそこだ。
ヨフネが「里を守るため」だけに組み上げてきた防衛と情報共有の網。それが結果として、ダンゾウが仕掛けた戦局の外側からの陰湿な謀略すらも、単なる『異物』として自動的に検知し、すり潰してしまったのだ。
極限まで効率化された組織という「仕組み」が、敵の策そのものを完全に無意味化した。
意図せずしてダンゾウの息の根を完全に止め、結果的に『十一局体制』という新時代への移行を自らの手で引き寄せたヨフネ。
情に厚く、時には向こう見ずに突っ走るアスマの熱さとは対照的だ。アスマなら直情的に敵を打ち払う場面で、ヨフネは淡々と、まるでパズルのピースを嵌めるように戦況を操作する。
祖母であるご意見番のコハル様も食えない御仁だが、うたたね家という一族の底は本当に読めない。あの若造の思考回路は、俺たち軍師のそれともまた少し違う、絶対的な未来予知ともいえる何かがある。
だが、その圧倒的な力が「木ノ葉を守り抜くため」だけに機能している事実に、俺は確かな安堵を覚えていた。
ヨフネが味方で本当に良かった。敵に回すことを想像するだけで胃が痛くなる。
思考を区切るように、俺は徳利を傾け、最後の一杯を飲み干そうとした。
その時だ。
「ちょっとあんた! いつまで飲んでるつもり!?」
背後の障子が勢いよく開け放たれた。
妻であるヨシノの雷が落ち、俺は肩を揺らして猪口を置く。
「明日も朝から復興作業の指揮があるんでしょ! いい加減にしなさいよ!」
「分かってる。今寝ようと思ってたところだ」
「どうだか。ほら、さっさと片付けて!」
仁王立ちで睨みつけてくるヨシノの剣幕に、俺は「やれやれ」と小さく息を吐きながら立ち上がる。
だが、その口元には自然と笑みが浮かんでいた。
この騒がしくも平穏な日常。
これを守り抜くためなら、あの男の背中を、軍政局長として全力で支えてやるのも悪くない。俺は首の後ろを掻きながら、縁側を後にした。