同情するならチャクラくれ   作:あしたま

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062.幕間(五)

 

 

【干からびる】(side:バキ)

 

 

 木ノ葉隠れの里、火影邸。

 オレは代表文官の背後に立ち、新設されたという『外交局』の応接室の空気を探っていた。室内には微かに木ノ葉の茶の香りが漂っているが、オレの鼻を突くのは自分たちの纏う他郷の乾いた布の匂いだけだ。

 長机を挟んだ向かい側には、忍の世界で今最も注目されている人物の一人、うたたねヨフネが静かに腰を下ろしていた。

 先の大戦を生き抜き、戦後に名を轟かせた『猟犬部隊』の隊長。今回の木ノ葉崩しにおいても、こいつの張り巡らした策の前に我々は敗れ去った。武闘派の極みとも言える武官が、なぜ文官のように外交の場を取り仕切っているのか。いま話題となっている波の国の経済を裏で操っているという噂は、まさか本当なのか。

 

 無言で探りを入れるオレの警戒をよそに、男は微塵も揺らがなかった。瞬き一つせず、ただ凪いだ瞳で、薄気味悪いほど事務的な笑みを浮かべている。

 

「……外交局、局長だと?」

 

 オレたちの前に座る砂の文官が、忌々しそうに手元の木札をなぞった。かつて四代目風影様の右腕として、砂漠の過酷な財政再建を支え続けてきた男だ。

 

「木ノ葉の意思決定は火影と相談役が行うものと認識していたが。敗戦国を弄ぶための、新しい冗談か?」

「里の組織改編によるものです。今後、諸外国との交渉窓口はすべて我が局が担うことになりました」

 

 ヨフネは手元の資料を一枚めくり、紙の乾いた音を響かせた。

 

「さて。まずは今回の戦争における、状況の確認から始めましょうか」

 

 文官は深く、重いため息を吐いてみせると、百戦錬磨の外交官らしく先手を打った。

 

「まず言っておきたい。我らもまた、大蛇丸という怪物に長を殺され、利用された『被害者』なのだ」

 

 文官の声に、悲壮な色が混じる。

 

「そもそも大蛇丸は貴里の抜け忍だ。あのような危険人物を野放しにし、あまつさえ他国の長の暗殺を許すほどに付け入る隙を晒していたのは、木ノ葉側の管理体制の甘さではないのか? 我々は、貴里の不始末が招いた巨大な事故に巻き込まれたに過ぎない」

「その通りだ」

 

 オレは腹の底から低く声を絞り出し、男を射抜くように睨みつけた。言葉に確かな殺気を乗せる。

 

「こちらは投入した一千の兵のうち、三割を失った。多くの死傷者に加え、貴里に囚われたままの捕虜も少なくない。これ以上の出血を強いるというのなら、砂の民は座して死を待つより、一矢を報いる道を選ぶだろう」

 

 責任の転嫁と、玉砕を辞さない虚勢。交渉の主導権を握るための、隙のない攻勢だった。

 だが、ヨフネはまるで天気を語るような淡々とした口調で、それを一蹴した。

 

「なるほど。では、事実の整理を。……あなた方は『騙された』と言った。しかし、騙されていようが、我が里に兵を向け、敗戦した。その事実をお忘れではありませんか?」

「死に気づく術がなかったのだ!」

 

 文官が身を乗り出し、机を叩いた。

 

「我が里の財政は、四代目様の『砂金』によって支えられている。その砂金の供給は、この三ヶ月、一日たりとも止まってはいなかったのだぞ。術者本人が健在でなければ、あり得ぬことだ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ヨフネが初めて、氷のような微笑を口元に浮かべた。

 

「……なるほど。大蛇丸は、そこまで徹底していましたか」

「何だと……?」

「あなた方が四代目様の術だと思っていたその『砂金』」

 

 ヨフネが、数枚の書面を机の上に滑らせた。

 

「それは、大蛇丸が私財を投じて用意した物ですよ」

 

 文官が書面に目を落とし、一気に血の気が引くのが見えた。

 そこに記されていたのは、木ノ葉の諜報部が捕らえた音の忍の尋問調書と、波の国などの周辺国から大量の金が買い占められ、風の国へと運び込まれた流通経路の証拠だった。

 

「侵攻計画という巨大な利益を得るために、彼は自分の資産で得た金を、決まった期日に流し続けた。……あなた方は、里の命運を、大蛇丸からの融資で繋いでいたに過ぎない」

 

 オレの背筋を、冷たい汗が伝った。

 資金源が大蛇丸だったということは、現在の砂隠れの金庫は完全に空っぽだということだ。玉砕の戦争を起こすための軍資金すら、残ってはいない。

 交渉の主導権など、最初から存在しなかった。国家の命運という最大の急所を完全に握られている。オレが込めた殺気は行き場を失い、ただの重い無力感へと変わっていった。

 

「状況を正しくご理解いただけたようで何よりです」

 

 ヨフネは冷徹な声色でそう言うと、無言で一枚の要求書を新たに机に滑らせた。

 

「では、我が里の強硬派たちが弾き出した『一次要求』をご覧いただきましょう」

 

 それを覗き込んだオレの全身の血が、一瞬で沸騰した。

 

(今回の事変の首謀者たる上役たちの首。次期上役の完全な指名権。それに……なんだ、この賠償額は。過去のどの戦争とも比較にならない天文学的な数字だ)

 

 ここで暴れても里が滅ぶだけだと分かっていながら、抑えきれない絶望と怒りが湧く。

 

「馬鹿な……!」

 

 文官が血走った目で書面を睨みつけ、叫んだ。

 

「首謀者たちの首に、この天文学的な賠償額だと!? これでは砂を属国にするか、地図から消し去ると言っているに等しいぞ!」

「ええ、強硬派の者たちはそのつもりのようです」

 

 オレたちの反応を見透かしたように、ヨフネはあっさりとそう口にした。

 

「ですが、私は反対しました。非常に非効率的だからです」

 

 ヨフネは、別の契約書を差し出してきた。

 

「砂が潰れれば風の国側の防衛網に穴が空き、結果的に木ノ葉の西側警備負担が跳ね上がる。ですから私は強硬派を説得し、双方にとって生産的な妥協案をあえて用意しました」

「なんだと……」

「上役の命は要求しません。天文学的な賠償金も取り下げる。その代わり、第三次忍界大戦時から里を動かしてきた上役たちには、責任を取って退陣していただきます」

「……」

「次期上役の指名権はいりません。ただ、今後の関係正常化を見守るため、木ノ葉から一名、上役会議へ指南役として同席させてもらいます。議決権はありません」

 

 俺は息を呑んだ。

 

「また、大蛇丸の残党を追跡警戒するための『共同防衛基金』を設立し、砂にはその出資と、木ノ葉からの下請け任務を請け負っていただきます。木ノ葉から派遣するには採算の合わない地域の任務が主体となるでしょう。さらに、捕らえた貴里の捕虜の返還。身代金は過去の相場より少し安く設定しました。これで次世代の損失は防げるはずです。そして――」

 

 ヨフネはそこで言葉を切り、まるで心の底からの善意であるかのように、酷く澄んだ目でオレを見た。

 

「貴里は慢性的な予算不足から下忍の育成を削り、結果として一人の『戦略兵器』に頼るという危険な博打に出た。それが今回の事態を招いた原因です。……誤解しないでいただきたい。我々としても、風の国に弱体化されては困るのです。西側の防衛のためにも、砂には共に肩を並べる『強い同盟国』として立ち直ってもらわなければならない。だからこそ、木ノ葉から実績のある育成プログラムと教官を提供し、手を取り合いたいのです」

 

 その純粋な響きを聞いた瞬間、オレは目の前の男の底知れぬ恐ろしさに激しく戦慄した。

 

(……なんという空恐ろしい男だ。微塵も悪びれることなく、息を吐くように『同盟』などと嘯くとは!)

 

 相場より安い身代金で恩を売り、確実な負債を負わせる。そして育成プログラムという名目で思想を植え付け、自発的に木ノ葉へ付き従うように調教する気なのだ。この男は悪意を感じさせず、この『侵略』を推し進めている。

 

 我愛羅という兵器を作り出さざるを得なかった砂にとって、効率的でまともな育成環境は喉から手が出るほど欲しいものだ。だが、それを受け入れ、木ノ葉の教官に師事した若者たちが増えれば、彼らは心情的にも木ノ葉に牙を剥けなくなる。

 こいつは、平和的にえげつない『罠』を仕掛けてきている。未来の絆を盾にして、砂を永遠に木ノ葉の防波堤として機能させ続ける、逃れられない檻だ。

 

「ふざけるな……! 砂の誇りを踏みにじる気か!」

 

 それが単なる侮辱であると受け取った文官が、激怒して声を荒げた。

 

(馬鹿め、奴の仕掛けた完璧な計算が見えないのか! ここで牙を剥けば本当に里が消し飛ぶぞ!)

「待て」

 

 オレは慌てて文官の肩を強く掴み、その言葉を強制的に遮った。ここで文官が感情的になり決裂すれば、ヨフネは容赦なく最初の破滅的な要求に戻すだろう。

 

「……今は引け。この場で決断を下す権限は、我々にはない」

 

 オレの言葉に、文官は歯が砕けそうなほど強く噛み締めながら、押し黙った。

 

「一度里に持ち帰り、上層部と協議させてもらう」

「ええ、もちろん結構です」

 

 ヨフネはすんなりと頷いた。だが、その瞳に一切の容赦がないように見えた。

 

「ですが、我が里の強硬派を黙らせておけるのは『二週間』が限界です。それを過ぎれば、先ほどの一次要求を盾に、風の国境へ部隊を動かすことになります」

 

 二週間。

 移動にかかる日数を差し引けば、残された猶予は約一週間しかない。第三次大戦を引きずった頑固な長老たちに、この屈辱的だが飲まざるを得ない条件を飲ませるための会議。泥沼になることは火を見るより明らかだった。

 

 それすらも、この男は計算し尽くしているのだ。

 文官が屈辱に震える手で、机上の契約書の束をひったくるように掴んだ。

 退室の間際、オレは最後に一度だけ振り返ってヨフネを睨みつけた。だが、こいつは最初の事務的な微笑のまま、オレたちを見送っていた。

 

 

 

 

 二週間後の交渉期限間際、反対する者達を何とか抑え込んだことで、この条約は締結された。

 

 

 

 

 

 

 

【見えている景色】(side:猿飛ヒルゼン)

 

 

 猿飛家本邸の奥座敷。

 五代目火影となった綱手、そして旅から戻った自来也。ワシはかつての愛弟子二人と共に、卓を囲んでいた。

 

 卓の中央には、ワシが火影の座にあった十数年の間、健康のためにと控えて溜め込んでいた銘酒が置かれている。それを見るなり、綱手と自来也の二人はあからさまに目の色を変え、少しばかり意地汚い手つきで次々と杯を空にしていった。

 室内には芳醇な酒の香りが満ちているが、綱手の顔に酔いの色は見えん。昼間の実務で溜め込んだ深い疲労だけが張り付いておる。

 

「……まったく、火影の椅子というのは、これほど重いものだったか」

 

 手酌で杯を煽り、綱手が悪態をついた。

 彼女は懐から丸めた巻物を、ため息と共に卓へ放り投げる。外交局のヨフネから提出された、砂隠れとの調印の控えじゃ。

 

「そうぼやくでない、綱手。これから嫌というほど、その重さを味わうことになるのじゃからな」

 

 ワシが好々爺らしく笑いかけると、綱手は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 その横で、自来也が突き出しの豆をぽりぽりと噛み砕いてから、静かに杯を置く。

 

「……田の国と、ダンゾウの行方だがな。今のところはっきりとした尻尾は掴めておらん。だが、大蛇丸の拠点は徐々に絞り込めている」

 

 昔馴染みとの酒の席には似つかわしくない、きな臭い報告じゃ。

 かつての弟子と戦友が、完全に里の敵となった事実。それについて、ワシらはもはや嘆くことも涙を流すこともしない。ただ、過ぎ去った現実として受け入れ、苦い酒と共に喉の奥へ流し込むだけじゃ。

 

「それにしても」

 

 綱手が話題を変えるように、空の徳利を揺らした。

 

「ヨフネは……忍としての評価は別れるかもしれないが、組織と金を回すことに関しては大蛇丸以上の化け物だな。猿飛先生も、よくあんな若造に部隊を丸ごと与えたものだ」

 

 その言葉に、ワシはゆっくりと息を吐いた。

 

「ミナトが死に、ワシが『つなぎ』として再び火影に戻ってからというもの、里の硬直は進む一方じゃった。じゃから、どうしても新しい風が必要じゃったんじゃ」

 

 ワシは当時の胸の内を、弟子たちにポツリとこぼす。

 

「シカクを上忍班長に据え、ヨフネに『猟犬』を作らせたのもそのためじゃ。ゆくゆくはヨフネやカカシ、シスイの誰かが、ワシの次を継いでくれればとすら思っておった」

「……だったら猿飛先生、なんで今回あんたは、ヨフネを五代目に推薦しなかった?」

 

 黙って聞いていた自来也が、鋭い視線を向けて突っ込んでくる。

 

「実績なら申し分ねェはずだ。波の国の経済支配から、今回の木ノ葉崩しの防衛、そして砂の属国化。どれもあいつの功績だろ」

 

 ワシは顔をしかめ、残っていた酒を飲み干した。

 

「……猟犬を任せ、奴とやり取りを重ねるうちににな。ワシはあの男が、恐ろしくなったんじゃ」

 

 二人の視線がワシに集まる。

 

「ヨフネの異質さには、ホムラやコハルも早くから気付いておった。じゃが、コハルはそれでも、孫の歩む道を信じると決めた。あやつが、相談役からすんなり降りたのもそのためじゃ。次代にすべてを委ねて、あえて身を引いたのじゃよ」

 

 ワシは言葉を切り、静寂の降りた座敷を見回した。

「あの男は、扉間先生のように冷酷な判断をためらいなく下す。だが、大蛇丸のような邪悪さはない。……だからこそ、何を考えておるのか全く分からんのだ」

 

 波の国のカジノや遊郭。確かに莫大な利益を生んではおるが、あれは忍のやり方ではない。

 

「あやつには、ワシらには見えん『遥か先の時代の戦乱』が見えておるような気がしてならん。そこに備えるためなら、木ノ葉すらも巨大な歯車の中に組み込んでしまう……。それは、ワシが長年信じてきた情や絆で繋がる『火の意志』とは、違う気がしたのじゃ」

 

 ワシの背筋を、冷たい悪寒が這い上がる。ふと、中忍試験の前にヨフネが真顔で放った言葉が蘇った。

 

『死相が、三代目火影であるあなたに見えています』

 

 あの時は、ワシを守るためのハッタリだと思っておった。だが、その後の木ノ葉崩しにおいて、ワシは大蛇丸の手にかかり本当に命を落としかけた。もしあの極限の死闘の中、ヨフネが乱入してこなければ、ワシは今ここにはおらん。

 

(……あやつのあの言葉は、比喩でも脅しでもなかった。奴には本当に『未来』が見えておったのではないか……?)

 

 その事実に思い至る度、ワシは老いた胸の奥が凍りつくような畏怖を覚えるのじゃ。

 

「……優秀だが得体が知れない厄介な荷物と、木ノ葉の改革とかいう宿題を残してくれやがって」

 

 綱手が重いため息をつき、自来也の注いだ極上の酒を一息に干した。

 

「だが、情や精神論だけでは里が回らないのも事実だ……あいつの作った仕組みに、喰われるつもりはないさ」

 

 五代目火影となる女の顔には、新しい時代への気負いではなく、明日からの膨大な実務と、里に巣食う底知れぬ怪物に向けた現実的な覚悟が宿っておった。

 

 ワシは「頼んだぞ」とだけ呟き、小さく笑った。

 

 

 

 

 

【嗤う蛇】(side:大蛇丸)

 

 

 田の国、音隠れの里。その地下深くに構築された秘密拠点の最深部。

 

 部屋には、消毒液と血の混じった匂いが充満している。

 私は寝台の上に横たわり、浅く熱を帯びた呼吸を繰り返していた。

 本来であれば、今頃はサスケくん、あの美しいうちはの肉体を手に入れているはずだった。だが、目論見は外れ、瀕死の状態で撤退を余儀なくされた私は、緊急措置として手近な器を使わざるを得なかった。

 

 音の四人衆であった左近と右近の肉体。元々次期候補の一つとして育ててはいたが、うちはの血統に比べれば遥かに劣る。私にとっては不本意極まりない妥協の結果だ。

 だが、皮肉なことに物理的な拒絶反応はほとんど起きていない。他者の細胞を分解し同化する彼らの特異な血継限界は、私という異物すらも完璧に受け入れている。おそらく、この器は通常の三年という限界を遥かに超え、長く保つだろう。それはこの緊急事態における、唯一のメリットと言えた。

 

 だが、問題は肉体ではなく「魂」にあった。

 一つの器に二つの意識を共存させていた特殊な肉体。その『二つの魂』を、私がまとめて飲み込んでしまったことによる副作用だ。左近と右近の自我そのものは完全に消化したはずなのに、今、私は一人なのに意識は二人分ある奇妙な状態になっていた。「私」という自我がもう一人、すぐ隣にいるような悍ましい感覚。頭の中を掻き回されるような、耐え難い精神の軋轢と眩暈が絶えず続いている。

 

「……大蛇丸様。では、私はこれで少し休ませていただきます」

 

 傍らに控えていたカブトが、恭しく頭を下げた。

 

「ええ、ご苦労様。……それにしても、よくあの二人、カカシとガイを振り切って私の元へ駆けつけられたわね」

 

 私が少しばかりの探りを入れると、カブトは冷たい眼鏡の奥で薄く笑った。

 

「なに、簡単なことです。死体を二つほど動かして、近くの一般人を人質に取らせました。木ノ葉の『立派な』忍たちは、無辜の民を見捨てることなどできませんからね。彼らが手こずっている隙に抜け出したのです。……あの程度の連中の相手をしてやるのは、少々退屈でしたよ」

 

 涼しい顔で木ノ葉の上忍たちを見下し、自身の狡猾な手口を語るカブトだが、私の目は誤魔化せない。

 

(一般人を人質に取るような真似をしなければ、あの二人からは逃げ切れなかった……ということね)

 

 声色こそ平坦に装っているものの、その息遣いには僅かな乱れがあり、衣服からは隠しきれない血の匂いが微かに漂っていた。

 

「……そう。なら、ゆっくり休みなさい。隠しているつもりかもしれないけれど、貴方も無傷ではないのでしょう。何かあったら、こちらから呼ぶわ」

 

 私が皮肉交じりに告げると、カブトは図星を突かれたように口角を引きつらせた。

 

「……お気遣いありがとうございます。では、失礼します」

 

 カブトは短く一礼し、足音も立てずに部屋を退出していく。

 完全な静寂が訪れた部屋で、私はひび割れた石の天井を見つめた。

 

 猿飛先生を仕留め損ない、あわや命を落としかけるという最悪の事態は躱した。こうして強靭な器を得て命を繋いぐこともできた。

 だが、胸の奥底で燻っているのは、強烈な不完全燃焼感と苛立ちである。

 

 木ノ葉崩し。それは私にとって、単に里の破壊以上の意味を持っていた。かつて私を認めなかった猿飛先生をこの手で殺し、彼の愛した里を壊す。そうすることで、私という存在を、先生の記憶と木ノ葉の歴史に最悪な形で永遠に刻み込む。あらゆる忍術の真理を追い求めた私が、唯一捨てきれなかった極めて人間臭く、感情的な大舞台だった。

 それが、すべて台無しになった。猿飛先生は生き延び、木ノ葉は存続している。

 

 喉の奥から、乾いた舌打ちが漏れた。

 脳裏に、あの完璧だったはずの台本を悉く破り捨てた元凶の顔が浮かぶ。

 猟犬部隊隊長、うたたねヨフネ。

 

「……本当に、目障りな子ね」

 

 魂の軋轢による眩暈に顔を顰めながら、私は呪詛のように独りごちた。

 思い返せば、あの男のやり方は終始一貫して無粋の一言に尽きた。忍の戦いというものには、互いの術と術が交錯し、命を削り合う美学がある。猿飛先生との戦いは、まさにその集大成になるはずだった。

 

 だが、ヨフネはそんな情緒を一切認めなかった。

 四人の腹心に張らせた絶対の結界であるはずの『四紫炎陣』を、あの子は忍刀『兜割』を用いて、いとも簡単に外側から叩き割ったのだ。

 やはりあの時、第三次忍界大戦でマイト・ダイが忍刀七人衆を倒した後、彼が回収したのだろう。遺体の確保を優先した判断のつけが、まさかこんな形で帰って来るとは思わなかった。

 

 さらには、思考や術を縛っていたとはいえ、穢土転生で呼び出した二代目様を相手に、まともな術の打ち合いすらしようとしなかった。

 

 極めつけは、霧隠れの援軍である。私が砂隠れを巻き込んで起こした戦争に対し、ヨフネは霧隠れの強力な駒を、あろうことか金と物資で裏から手配し、戦場に投入してきたのだ。

 

「せっかくの舞台を……昔から可愛げのない子だったけれど、まさかここまで化け物に育つなんてね」

 

 シーツを握りしめながら、私は不満を吐き出した。死の森での奇襲といい、今回の一件といい、ヨフネは徹底して自分が不利になる状況を避け、圧倒的な手数だけで私の術を封殺してきた。そこには劇的な展開など一切なく、まるでただの作業のように部下達を動かしていた。

 

 だが、ひとしきり心の中で悪態をついた後、一つの事実へと辿り着く。

 私はあらゆる忍術の真理を求めて里を捨てたと言いながら、今回の木ノ葉崩しでは猿飛先生への執着という熱に浮かされ、結果として隙を生んだ。

 

 対して、ヨフネはどうだ。

 かつて第三次忍界大戦の桔梗峠で、私自身がヨフネに教え込んだ理念がある。感情を排し、効率と生存のみを優先し、戦況を支配しろ。あの子はそれを実行し、猟犬部隊という組織そのものを、完全に作り出してみせたのだ。

 

 終戦後、私は自分の研究所でヨフネを勧誘した。「貴方は私に似ている。本質はこっち側よ」と。だがヨフネは、「この里でやりたいことがある」とそれを断った。

 ヨフネがやりたこと。それは、私が捨てた古臭い里の中に残り、その内側から私の理屈を組織のシステムとして完璧に運用してみせることだったのだ。

 

 今回、里を守ったのは、猿飛先生が説く木ノ葉の古臭い精神論などではない。私が教え、私が体現しようとした合理性そのものだった。

 その事実に思い至った瞬間、私の奥底で渦巻いていた苛立ちは、不思議と霧散した。

 

 代わりに、暗い部屋の中に「クク……」と這うような笑い声が響く。それは己の口から漏れ出た歓喜の音だった。

 

「……本当に、腹立たしい子」

 

 結果として、私の計画はヨフネの作り上げたシステムに敗北した。

 だが、それは同時に、私の思想が木ノ葉の精神論を凌駕し、結果として里を機能させたという証明でもある。私が教えた理屈を、教え子が私以上に上手く使いこなし、この私を完全に出し抜いたのだ。

 

「私の教えを、私以上に完璧にやってのけるなんてね……まったく、最高に鬱陶しい同類だわ」

 

 魂が軋む不快感すら、今は心地よい。私の口角は歪に吊り上がり、狂気を孕んだ笑いが止まらなくなっていった。

 その時、閉じていたはずの鉄扉が、再び静かに開いた。

 

「……大蛇丸様。笑っておられたんですね」

 

 聞き覚えのある声に、私はゆっくりと視線を向ける。入口には、冷たい眼鏡の奥でこちらを観察するカブトが立っていた。

 

「…………カブト。何かあったら呼ぶと言ったはずよ。ノックもしないで入って来るなんて、どういうつもりかしら」

「いえ、あまりに楽しそうな笑い声が漏れていたものですから。新しいお体も、少しは馴染んできたようで何よりです」

 

 私の異様な姿を察し、どこか薄ら寒いものを感じ取ったようなカブトの態度。

 私は寝台に横たわったまま、カブトに向けて純粋な殺気を放った。

 

「うるさいわね。……殺すわよ」

 

 喉の奥から這い出るその声には、冷たく重い殺意が込められていたはずだ。だが、私の口角は吊り上がったままであり、歓喜に震える狂気を微塵も隠そうとはしていなかった。

 私の放った底知れぬ気味悪さに当てられたのか、カブトの表情からスッと余裕が消える。

 

「……これは失礼しました。では、安静に」

 

 カブトは短く一礼を残し、今度こそ扉を閉めて足早に去っていった。

 一人残された暗闇の中で、二つに割れたような奇妙な感覚に身を委ねながら、私は再び笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

【うちは引越社】(side:うちはシスイ)

 

 

 火影様が代替わりし、里が新たな十一局体制へと移行していく中、火影邸の近隣には新設された行政庁舎が立ち並び始めていた。

 

 だが、俺たち「猟犬連隊」の本部は移転することなく、今まで通りの使い慣れた建物を使い続けている。

 主のいなくなった隊長室で、俺は隊長用の椅子に腰を下ろした。

 背もたれに体重を預けると、微かにきしんだ。

 

 少し前、この部隊の創設者であり前隊長であるうたたねヨフネが、新設された外交局長室へと異動していった。

 

(……俺は、隊長を追い出してしまったのではないか?)

 

 ヨフネが第八班の担当上忍となってから、俺は部隊長代理として実務を回してきた。そして、新体制への移行に乗じて、隊長がゼロから作り上げたこの部隊を、俺が横取りしてしまったのではないかという罪悪感が拭えない。

 

 重いため息をつきながら執務室を出て大部屋へと向かうと、そこでは大規模な荷出し作業の真っ最中だった。

 台車に山積みされた書簡や巻物の束が、次々と火影邸近くの新庁舎、新設された外交局へと運び出されていく。猟犬の施設はそのままに、ヨフネの担当業務と書類だけが引っ越していくのだ。

 

 猟犬の古参メンバーである飛竹トンボと日向ホヘトが、運び出される書類の山を並んで見送りながら、しみじみと語り合っていた。

 

「いやあ、絶景だな」

「ほんと、憑き物が落ちた気分だ」

「全くだな」

 

 俺も二人の隣に立ち、深く頷いた。どうやら部下たちは、ヨフネの異動を悲しむどころか清々しているらしい。俺の抱えていた罪悪感は、少しだけ肩透かしを食らったような形になった。

 

 台車で運ばれていく書類の表紙がチラリと見える。『波の国・旧ガトー派閥資産の差し押さえと海運網再編計画』『茶の国・大名側近への贈賄および接待経費一覧』『霧隠れ・照美メイ陣営への物資搬入計画』。

 

 一歩間違えれば里が消し飛ぶような、国家規模の外交・経済の暗躍。隊長が猟犬の権限を拡大解釈して処理していた、爆弾の数々である。

 外交局の設立により、これらの業務はすべてヨフネがそちらへ持っていく。猟犬は今後、純粋な軍事・治安維持組織としての書類仕事、すなわち訓練計画や任務報告などに専念できるようになるのだ。

 

「俺たち、よくこんな爆弾抱えて平常心で任務やってたな……」

 

 俺が苦笑すると、トンボが肩をすくめた。

 

「任務の合間に、波の国の海運網の監査をさせられた時は本気で投げ出そうかと思った」

「俺も、白眼で敵の経理帳簿の偽装を徹夜で透視させられた時は、流石に抗議したぞ」

 

 ホヘトが日向特有の真顔で愚痴をこぼす。

 

「あの人は俺たちの血継限界を武器ではなく、便利な事務処理の道具か何かと勘違いしていた節があるからな。まあ、結果として里も豊かになったわけだが」

「これでようやく、普通の部隊に戻れるな」

 

 俺たちは明るい未来を確信し、晴れやかな笑顔を交わした。俺の胸にあった隊長を奪ったという葛藤も、いつしか跡形もなく消え去っていた。

 そこへ、猟犬の事務と情報処理の要であるマナブが、薄い書簡の束を数個抱えてやって来た。

 

「シスイ隊長、これが猟犬連隊の今後の基本業務です」

 

 渡された束は、軍事組織の日常業務として極めて常識的で、これまでに比べれば驚くほどに薄い。

 俺はそれを受け取り、マナブの肩をポンと叩いた。

 

「マナブ、今まで本当に苦労をかけたな。これからはお前も少しは休めるぞ。猟犬の事務もようやく正常化する」

 

 労いの言葉をかける。しかし、マナブの目は完全に光を失っていた。まるで死んだ魚のような、一切の希望がない暗い瞳だった。

 

「……シスイ隊長。俺、明日付けで異動なんです」

「え?」

 

 俺たちが固まる中、マナブが虚ろな声で続ける。

 

「ヨフネ局長から、お前の情報処理能力は外交局でこそ輝く、一緒に来いと直々の指名が入りました。……俺の新しい文机には、すぐにあの台車の書類が積まれるそうです」

 

 大部屋の空気が凍りついた。

 圧倒的な業務量という地獄へ連行されるマナブ。彼はそれだけを告げると、フラフラと自分の私物をまとめはじめた。

 

「マナブ、待て。せめて荷造りくらい手伝う!」

 

 俺は反射的に動いていた。木ノ葉屈指と謳われた瞬身の術を発動し、マナブの机に残っていた備品を超高速で次々と木箱に詰め込んでいく。

 かつて戦場で敵を震え上がらせた『瞬身のシスイ』の力が、ただの引っ越し作業のために全力で使われている。我ながら情けない無駄遣いだったが、そうでもしなければ直視できないほど、彼の背中は哀愁に満ちていた。

 

 それでも、マナブの死んだ魚のような目は一向に生気を取り戻さなかった。

 

「……ありがとうございます。向こうに行ったら、もう会うことはないかもしれませんね」

 

 力なく笑うマナブの背中が、猟犬本部の廊下へと消えていく。

 俺、トンボ、ホヘトの三人はかける言葉も見つからず、ただ無言で立ち尽くした。

 やがて、死地へと向かう戦友を見送るように、俺たちは踵を揃え、マナブを見送った。

 

 インクと紙の匂いが漂う平和な大部屋に、静寂だけが取り残されていた。

 

 

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