波の国での数日の休息を経て、俺は木ノ葉隠れの里へと帰還した。
とはいえ、安堵で完全に気を抜けるわけではない。忍装束のまま火影邸へと直行し、重厚な執務室の扉を叩いた。
「入れ」
綱手様の声に応じ、俺は執務室へと足を踏み入れる。室内には、執務机で書類の山と格闘している五代目火影・綱手様と、その傍らで豚のトントンを抱きかかえながら補佐をしているシズネの姿があった。
俺は無言で歩み寄り、懐から一つの巻物を取り出して机の上に置いた。 霧隠れの特製和紙で設えられた、公式な外交文書だ。そして、その隣に今回の報告書も置く。
綱手様は積まれた書類を脇に避け、心なしか慎重に条約の書かれた巻物を広げ、細部まで眼を通し始めた。
内容自体はさして難しいものでもなく、綱手様が読み終えるのを待って声を掛けた。
「見ていただいた通りの条件で同盟の約束を取り付けました。霧隠れの鎖国は解かれます」
しかし、その表情は喜びに満ちたものにはならなかった。むしろ、報告書に眼を通し始めてからは眉間のシワが深く刻み込まれていく。
「お前は、クーデター派に協力して開国させる。そして、同盟を取り付ける。そう説明していたな?」
「はい」
「お前のやったことは手段は違っても、大蛇丸の奴と一緒じゃないか!」
静かな、しかし確かな怒気を孕んだ声が執務室に響く。 他国のトップを暗殺し、すげ替える。結果だけを見れば、かつて木ノ葉崩しで大蛇丸が砂隠れを利用した手口と何ら変わりはない。俺は表情を変えずに応じた。
「心外です」
「心外だと!? 水影の首を取るなど聞いておらんぞ!」
綱手様が机をバンと強く叩く。積み上げられた書類が微かに揺れた。
「水影を倒したのは、新しい水影の照美メイ殿です。私じゃありません。それに私達は戦闘に巻き込まれただけで」
「まったく、よく堂々とそう言えたもんだ。最初から水影を倒すつもりだったくせに」
呆れたように吐き捨てた綱手様は、大きくふうと息を吐き出し、再び手元の条約へ視線を落とした。怒りを滲ませつつも、為政者としての冷静な計算が彼女の頭の中で回っているのが分かる。
「まあ、今回は不問に処すしかあるまい。長年交流もなく、何を考えているか分からなかった霧隠れとパイプを築いた。さらに、こちらに有利な条件で同盟を結んできたのだ。これで処罰すれば他の忍から反発が出るのは必至だ」
綱手様の声から鋭い棘が抜け、ふっと力が抜けた。 それもそのはずだ。これまで完全な鎖国状態だった霧隠れとの同盟締結に加え、関税の免除。
さらには、木ノ葉にとって採算が合わず人員を圧迫していたDランクやCランクの下請け任務を霧隠れが引き受けるという、破格の条件がそこには記されている。
長年、木ノ葉の頭を悩ませていた財政と人員不足の問題が一気に片付いたのだ。
「礼を言おう。よくやった」
「恐縮です」
俺は内心で小さく安堵の息を吐き出した。これでやぐら討伐の事後承諾は得られた。しかし、綱手様はそこで話を終わらせず、ビシッと俺の鼻先に指を突きつけてきた。
「ただし!」
「……はい」
「今度から、もっとこちらを信頼しろ。頭ごなしに否定することはないつもりだ」
それは、五代目火影としての矜持であり、同時に俺への気遣いでもあった。綱手様の優しく、力強い言葉に、胸の奥が微かに痛む。
「すみません」
俺はしおらしく頭を下げた。申し訳ないという気持ちは本心だ。
だが、俺には『原作の知識』という、誰にも説明できない未来の記憶がある。その知識を前提に動く以上、すべてを論理的に説明し、正規の手続きを踏んで承諾を得ることは難しい。
今回のように強引に事を進め、事後報告の形をとらざるを得ないのが実情だった。
「申し訳なさそうな顔だけは一人前だな」
綱手様は鼻を鳴らすと、ふと医療忍者としての鋭い目つきに切り替わった。
「ところで……お前の心臓の真上に刻んだアレの具合はどうだ?」
指摘され、俺は無意識に自分の胸に触れた。
霧隠れへ向かう前、綱手様の手を借りて自身の心臓上部の経絡系に直接刻み込んだ術式『擬似経絡』のことだ。
「目論見通りにはいきませんでした。外部からチャクラの吸収はできず、自身の漏れ出るチャクラを留める程度の機能しかありません。失敗作ですね」
「そうか、残念だが生きて帰ってきただけマシだと思え」
綱手様は心底呆れたようにため息をついた。
「己の身体を実験台にするような真似……本当に、あのバカを思い出すぞ」
かつての仲間である大蛇丸の狂気を思い出したのか、綱手様の顔には不快感と、俺への警告の色が濃く滲んでいた。俺は小さく頷き、話題が切り替わるのを待った。
「で、だ。最後に一つ聞くが……お前、婚約したのは本当か?」
空気が一変した。
俺は一瞬、心臓が止まるかと思った。
何故知られている? 箝口令を敷いたはずなのに、おしゃべりな奴が多すぎる。流石に報告するつもりだったし、俺自身の口から伝えたかったのだが。
この追及の意図……他国の影との個人的な繋がりを危惧する『政治的リスクの確認』と『野次馬根性』が半々ってところか?
「婚約……と言うほどのものではないかもしれません。将来迎えに行くと約束しただけで」
俺が慎重に言葉を選んで答えた瞬間だった。
「それを一般的には婚約って言うのよ、ヨフネくん!!」
それまで黙っていたシズネが、突如として大声を上げた。同時に、彼女の腕に抱かれていたトントンが「ブヒィィィッ!?」と悲鳴を上げる。
シズネの腕の力が限界を超え、豚が絞め殺されそうになっていた。トントンが苦しんでいるから、頼むからやめてあげてほしい。
「まあ安心しろ」
俺の渋い顔を見て、綱手様が助け舟を出してくれた。
「お前が水影と婚約したなんて知れたら、それこそ何を邪推されたか分かったもんじゃない。カカシが気を利かせて先に連絡をよこしたんだ」
なるほど、カカシなりの配慮だったというわけか。
「だが、婚約よりも気になっているのが……何故『五年後』とお前が言ったのかだ」
綱手様は俺の目を真っ直ぐに射抜いた。 説明しにくい部分を的確に突いてくる。
「そうですね。向こうも水影に就任したばかりで基盤が固まっていません。それに、『暁』の動きです」
「暁、か」
「ええ。ナルトを連れて修業の旅に出る前、自来也様から『暁は三年間は動かない』という推測を聞きました。逆を言えば、準備さえ出来れば、奴らは本格的に動き出すということです。何が起こるのかは分かりませんが、落ち着くには数年は必要だと思いました」
「ふむ……。もし五年経っても落ち着かなかった時はどうする?」
「その時は、土下座でもして待ってもらいます」
「あまり女を待たすもんじゃないぞ?」
綱手様が呆れたように笑い、俺は苦笑いで誤魔化した。 シズネはまだトントンを抱きしめたまま、何か言いたげにわなわなと震えている。
後で同期として飯でも奢って機嫌を直してもらおう。
湯呑みに口をつけ、喉を潤した綱手様が再び為政者の顔に戻る。
「さて、お前は次にどこへ首を突っ込む気だ? 先に教えておけ」
「人聞きの悪い……」
「御託はいいからさっさと言え!」
俺は頭の中で描いている行動リストを思い浮かべながら説明を始める。
「まずは草隠れ、そのあと砂隠れですかね」
「草隠れは私の火影就任に伴い、一度会合を持ちたいと言ってきていると聞いている。木ノ葉と岩に挟まれた小国としては当然だろう。だが砂隠れは何故だ?あそことは既に木ノ葉崩しの戦後処理も終わり、同盟の再構築の話がついているはずだが?」
「砂隠れは未だに新たな風影を選出していません。このままだと権力闘争で無駄に長引く可能性もあるので、尻でも叩きに行こうかと」
俺の言葉に、綱手様の眼光が鋭く細められた。
「……本当にそれだけか?」
「そうですね。ただ、風影に相応しい人物がいるなら、背中を押すくらいはしてあげてもいいと思っています」
綱手様がガタッと音を立てて立ち上がった。
「だーかーらー! 最初からそこまで詳しく話せって言っているんだ!」
不機嫌そうな表情のままだったシズネも、綱手様の怒声にビクッと肩を跳ねさせる。
「それで、候補はいるのか?」
「ま、まだ若いですが……先代の息子であり、人柱力でもある我愛羅とは話してみたいと思っています」
「流石に若過ぎやしないか?それに人柱力として安定しているのか?」
「欠点があっても、彼には圧倒的な武力があります。里が弱体化している今は力ある者が就任した方が、他の里から、特に岩隠れあたりからは余計な横槍を入れられないと思っています」
「ふむ……あのジジイならやりかねんか」
「あともう一つは対暁のためです」
暁と聞いて綱手様の目が鋭くなる。
「暁が尾獣を狙って動き出すのを確定事項とするなら、標的となる人柱力そのものを里のトップである影に据えてしまえばいい。そうすれば、砂隠れそのものが、暁から守るための防波堤となるでしょう。もちろん彼が人柱力として安定していることが前提ですが」
「なるほどな。隔離されがちな人柱力よりも守りやすいということか」
「そうです。それに木ノ葉に火の粉が降りかかる前に、砂隠れが暁の戦力を削ってくれるならこちらとしても都合が良いと考えます」
俺の言葉に綱手様は顔の前で手を組みながら、じっくりと今後のことを想定しているようだ。
「こちらの話を聞かずに暴走する可能性はないのか?」
「分かりません。そこは直接会ってみないことには。それに、本人に風影をやる気があるかどうかも分かりません。ただ、彼を推す若手の声があるとは聞いています」
俺が淡々と事実だけを並べると、綱手様は深く息を吐いた。
「分かった。……ただ、逐一報告しろ。いいな?」
大事なことはすべて報告しているつもりだが、彼女の立場からすれば不安が残るのも無理はない。
「分かりました」
その後、外交的な手順などを確認してから、俺は火影室から退室した。扉が閉まる直前、シズネの呟きが聞こえた気がしたが、きっとまだ俺の事前報告のなさに腹を立てているのだろう。
逃げるように立ち去った。
*
外交局の局長室に戻ってきた俺は、執務椅子に深く腰を掛け、今後の目標について再度思考を巡らせていた。
我愛羅がいつ着任したのか、明確な時期までは原作知識でも分からない。しかし、風影不在の状況を継続している現在の砂隠れの対応は、暁の脅威を考えれば不安材料でしかない。就任前に関与し、恩を売っておけば、こちらでコントロールしやすい状況を作れるかもしれない。
あとは、所在が明らかな他の人柱力についてだ。 早い段階で警告の意味も含めて、各里に直接接触しておきたい。書面で「暁に気をつけろ」と警告を出すだけでは、まともに対応してくれるか分からないからだ。
特に閉鎖的で、武力に乏しい滝隠れとは、早急に連絡を取っておきたいところだ。
そんな算段を立てていると、部下のタシがノックをして入ってきた。
「局長、カカシさんが来られています」
今は外交局所属のカカシがここに顔を出すこと自体は珍しくない。だが、直接入ってこずにわざわざタシを通すということは、何か込み入った話があるのだろう。
案内するように伝えると、やがてカカシとサスケの二人が部屋に入ってきた。
二人の様子を観察する。一度自宅に戻り、汗や汚れはさっぱりと落としてきているようだが、その身に纏う空気は霧隠れから帰還した直後とは思えないほど重く、思い詰めたような雰囲気を漂わせていた。
サスケの肌には、激戦を物語る細かい傷がいくつも残っている。一方のカカシは、万華鏡写輪眼で『神威』を使用した影響か、目元に濃い疲労の色がこびりついていた。
俺は即座に空気を読み取り、タシに「誰も通さないように」と指示を出した。
扉が閉まり、室内に静寂が落ちる。
「綱手様への報告は終わったか?」
重い空気を誤魔化すように、カカシが聞いてくる。
「ああ。怒られはしたがな」
「それくらいで済んだのなら御の字だろ」
そう言いながら、カカシとサスケは来客用のソファに腰を下ろした。俺も執務机から離れ、二人の対面に座る。
「まあ、メイとのことは俺から直接話したかったが」
「先に伝えといた方が良いと思ってな」
俺がジト目で睨みつけるが、カカシは飄々とした態度で受け流された。
俺は体勢を前傾させ、二人を見据えた。
「それで? あらたまって来たということは、何か用があるんだろ?」
俺の問いかけに、カカシが少しだけ躊躇うように息を吸い、真っ直ぐに俺の目を見る。
「……ああ。お前が霧隠れに行く前に刻んだ術式『擬似経絡』。あれを、俺とサスケにも刻んでくれないか?」
俺は小さく目を見開いた。
「あれは、帰りの船で失敗作だと説明したはずだぞ?」
霧隠れから波の国に向かう船の中で、俺は確かに二人に話したはずだ。 あの術式は本来、外部からのチャクラ吸収を目的としていたこと。しかし、チャクラを他者から奪うことはできなかったこと。経絡を物理的に増やすことで出力自体は上がる反面、コントロールが劇的に難しくなること。役に立つのは、自身の内側から溢れ出るチャクラを、自身の内に留めておけることくらいだと。
「ああ、その上で頼みたいんだ」
そう言って、カカシは斜めに被っていた額当てを上げ、隠していた写輪眼を露出させた。三つ巴の紋様が浮かぶ、赤い瞳。
「知っての通り、俺はうちは一族ではないから、オンオフの切り替えが出来ず、普段は写輪眼を隠している」
そこまで聞けば、カカシが何を求めているのか分かる。即座に結論を弾き出した。うちはの血を持たないカカシにとって、写輪眼は常に開いたままの蛇口のようなものだ。微弱とはいえ、常にチャクラが漏れ出し、ロスし続けている。
「なるほど。この術式の『自身から溢れるチャクラを吸収し留める力』。それだけが欲しいと」
俺の推測に、カカシが静かに頷いた。
なるほど、理にかなっている。カカシの場合は術式範囲を目の周りに限定し、溢れたチャクラも写輪眼にそのまま回してしまえばいい。常に漏れ出るチャクラを抑制できれば、彼の最大の弱点であるスタミナ不足を劇的に改善できる。
「分かった。その能力に絞った術式なら組めると思うが……念のために専門家に相談してみよう。お前の体力不足も補えるかもな」
もちろん専門家とは、術式のアドバイスを貰った『土蜘蛛一族』のことだ。彼らの知見を借りれば、カカシ用にカスタマイズすることは十分に可能だろう。
「そーいうこと」
「まったく、お気楽な奴め」
俺は小さく息を吐き、隣で押し黙っているサスケに視線を移した。
「で? カカシは分かったが、サスケはどうしてだ?」
サスケは膝の上で両手を強く握りしめ、その拳はかすかに震えていた。
「今回の霧隠れでの任務……俺は何も出来なかった」
「そうか? ちゃんと三尾の力に怯まずに、攻撃もできていたじゃないか」
「違う! 俺の求めている力はそんなんじゃ足りない! あいつを……イタチを殺すには、全然足りないんだ!」
サスケが弾かれたように立ち上がり、声を荒げた。その瞳には、深い焦燥と己の無力さに対する激しい怒りが渦巻いている。 彼はギリッと奥歯を噛み締め、隣に座るカカシを睨み下ろした。
「俺はカカシ、あんたと違って最後まであの戦いを見ていた」
相変わらずの呼び捨てと共に放たれた言葉は、的確にカカシの急所を抉った。霧隠れでの三尾、そして四代目水影やぐらとの死闘。カカシは万華鏡写輪眼を使用した代償でチャクラが枯渇し、終盤は気絶し戦線を離脱していた。
「うっ……」
痛いところを突かれたカカシが、己の不甲斐なさを噛み殺すように低く呻き、俯いた。サスケの言葉が事実である以上、教師として反論する言葉を持たないのだろう。サスケは再び俺へと向き直り、少し熱を帯びた声で言葉を紡いだ。
「あの戦いで、ヨフネさんの言っていた意味はよく分かった。間違いなく三尾を倒せたのはアンタの力だ。周りを使い、最初から勝てる見込みを作ることがどれだけ重要か……嫌というほど分かった」
俺は無言でサスケを見つめた。ただ復讐の感情に猛るだけでなく、『戦術』の有用性を理解している。プライドの高い彼が、己の無力さを噛み締めながらもそれを認めたのだ。俺は彼の成長を、内心で高く評価した。
だが、サスケはそこで言葉を区切り、より一層強く拳を握り込んだ。
「しかし、あの作戦は結局のところ、新しい水影の力があってこそだ。それに、幻術が解除出来たから成功したに過ぎない。……結局のところ、最後には『個人の力』が必要なんだ」
サスケの言っていることは、残酷なまでに正しい。原作知識というアドバンテージを持ち、大局を動かせる俺だからこそ構築できた作戦だ。だが、盤面を整えた後、最後の決定打を放つのは圧倒的な『個』の武力でしかない。
「だから俺は、出力を上げるための経絡を増やしたい」
サスケの意思は固いようだ。大蛇丸の呪印のような魂を侵食するリスクはないが、俺の『擬似経絡』を安易に与えるわけにはいかない。
「……お前の思いは分かった」
「なら!」
「だが、あの術を扱うには、お前のチャクラコントロールそのものの技術が圧倒的に足りていない」
サスケが反論しようと口を開くが、俺はそれを冷徹な言葉で遮った。
「そんなこと」
「そんなこと、あるんだよ。今のお前だと実力不足だ。術を手に入れたからといって誰でも使えるものではない。過ぎた力は身を滅ぼすぞ」
純粋な技術論として断言する。俺の絶対的な拒絶に、サスケは言葉を詰まらせ、唇を噛んだ。室内に再び、重く息苦しい沈黙が降りる。
焦燥に駆られ、己の身を壊してでも力を求めるサスケ。もしかすると、今が『あの話』をする時なのかもしれない。このまま彼を復讐鬼として野放しにすれば、いずれイタチの描いた最悪のシナリオに呑み込まれる。
俺は椅子の背もたれから身を離し、サスケの目を真っ直ぐに射抜いた。
「そもそも……お前の目的は、本当に『イタチを殺すこと』なのか?」
「ああ、そうだ!」
一拍の躊躇いもなく、激しい憎悪と共に吐き出された肯定。俺はその覚悟の重さを推し量るように、静かに目を閉じた。
「……少し、時間をくれ」
流石に俺一人で決めて良い話ではない。俺は心臓の上の術式の疼きを感じながら、深く、静かに息を吸い込んだ。
*
二人には悪いが、あの場での即答は避け、少し時間をもらうことにした俺は、タシに頼んで三代目、綱手様、そしてシスイの三人のアポを取った。
サスケに真実を隠し通すことは、今の俺たちなら可能かもしれない。だが、今後大蛇丸や他の悪意ある者から歪んだ形で真相を吹き込まれるリスクを考えれば、ここら辺で、こちらから直接『正しい真相』を突きつけるべきだと俺は判断した。
話し合いは数日後、三代目の邸宅で行われることになった。サスケとカカシには、念のために外交局の別室で待機するよう命じてある。
*
線香の微かな香りが漂う、三代目邸の奥座敷。 そこには、木ノ葉の最高機密を扱うに相応しい、重く張り詰めた静寂が落ちていた。
上座には五代目火影である綱手様と、未だに影響力のある三代目・ヒルゼンが腰を下ろしている。
その対面には俺と、猟犬の隊長であるシスイが並んで座っていた。
そして部屋の四隅には、護衛と結界の維持を兼ねて、タシ、山中サンタ、飛竹トンボの三人が控えていた。 彼らは決して、ただの外野ではない。うちは滅亡のあの夜、ダンゾウの凶行によってかけがえのない仲間である秋道シトウを奪われた『当事者』だ。彼らをこの場から蚊帳の外に置くという選択肢は、俺の中にはなかった。
「あの事件の真相を、うちはサスケと、担当上忍であり写輪眼を持つはたけカカシに話すべきではないかと思って集まってもらいました」
俺が口火を切ると、参加者たちから驚きの声は上がらなかった。この面子であれば、俺が何を危惧し、どう動くつもりかはある程度予想がついていたのだろう。
「これから外交局としては、諸外国を回りつつ、砂隠れと協力しながら大蛇丸およびダンゾウの痕跡を追っていくつもりです」
ダンゾウの名を出した瞬間、背後に控えるタシたちの空気が殺意を伴って鋭く張り詰めたのが分かった。言葉には出さずとも、彼らの拳は固く握られている。シトウの弔い合戦に対する、猟犬としての静かなる闘志だった。
「ただ闇雲に探すわけではありません。自来也様から提供される情報と、シラカワ商会を経由した必要物資の消費量、納入履歴を照らし合わせることで、奴らの拠点を特定します。そして、暁よりも先回りして大蛇丸の拠点を潰せた際には、綱手様が調合してくれた『イタチの薬』を跡地に置いていきます」
大蛇丸を追っているのは俺たちだけではない。暁に身を置くイタチと鬼鮫もまた、大蛇丸の拠点を潰して回っている。木ノ葉が先回りして拠点を制圧し、そこに液体の入った小瓶を残しておけば、後からやってきたイタチがそれを回収できるという算段だ。
俺の説明を聞き終えると、ヒルゼンが細く紫煙を吐き出し、静かに口を開いた。
「……各国の裏をかき、情報の網を張り巡らせて暁より先回りし、イタチを救うか。本当に、お前には『遥か先』が見えているようじゃの」
三代目の深く皺の刻まれた顔が、ゆっくりと俺に向けられる。
「ワシは、自分が火影だった頃……ヨフネ、お前の冷徹なまでの合理性と、目的のためには手段を選ばない暗躍に、ダンゾウにも似た底知れぬ恐ろしさを感じておった」
それは、かつて里の長であった男の、偽らざる本音だった。
「だが、火影の座を降り、こうして少し離れた場所から里を見渡せるようになって……ようやく憑き物が落ちた気分じゃ。お主がこの忍界全体を動かすその根底には、間違いなく木ノ葉を、仲間を守護しようとする『火の意志』がある。やり方は少々、いや、かなりえげつないがの」
ヒルゼンが、人の良い、しかし確かな絶対の信頼を込めた笑みを浮かべた。 隣で聞いていた綱手様も、「全くだ」と呆れ半分に同意する。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中でずっと張り詰めていた何かが、ふっと解ける感覚があった。未来の知識を持っているからこそ、誰にも真意を説明できず、時には強引で非情な手段を取らざるを得なかった。
転生者としての拭いきれない孤独。それが今、この忍の世界において、かつて俺を最も警戒していたかもしれない。そう思うと、心の底からじんわりと温かいものが広がるのを感じる。
「恐縮です、三代目」
俺は短く、しかし深い感謝を込めて頭を下げた。
「……ですが、本当の正念場はここからです」
俺が本題へと空気を引き戻すと、綱手様が厳しい顔つきで懸念を口にした。
「イタチが里のために一族を手にかけ、自ら泥を被った。……それを今、サスケに明かせば、あいつの憎しみはイタチから『木ノ葉の里』へ向くぞ。それは、イタチ自身の望みにも反するのではないか?」
火影として、当然の危惧だった。だが、俺は首を横に振る。
「イタチの望み通りに彼を『復讐者』のまま生かせば、サスケはいずれ破滅します。先日の大蛇丸との邂逅や、霧隠れでの三尾戦で、彼は自身の無力さに絶望している。今の彼は、力を得るためならどんな闇にでも手を伸ばしかねない危うさを持っています。だからこそ、今ここで復讐の『楔』を外す必要があるのです」
皆が無言でその可能性を考え始める中、俺は言葉を続ける。
「それに、真実を明かさぬまま彼がイタチを殺せば、その後で真実を知った時の絶望は、今よりも遥かに深く、取り返しのつかないものになります」
俺の言葉に、隣に座るシスイが強く同意した。
「俺からも話します。イタチがどれほどサスケを愛し、どれほど里と一族の間で苦しんでいたかを。彼一人にすべての業を背負わせ続けるわけにはいきません。……これ以上、大切な弟を欺き続けるのは、イタチにとっても地獄のはずです」
親友として、サスケの保護者として、何より辛い思いをしてきたのはシスイだ。イタチと共に闇を背負う覚悟を決めたシスイの言葉には、確かな熱があった。 その言葉を受け、ヒルゼンが深く、重く頷く。
「うちはをあそこまで追い詰めたのは、他でもない、ワシの不徳の致すところじゃ。サスケの憎悪が木ノ葉に向くというのなら、ワシがすべて受け止めよう」
三代目がすべての泥を被る覚悟を見せた。しかし、俺は即座にそれを制する。
「いえ、憎まれるのは真実を暴く俺の役目です」
それは、サスケを猟犬の戦力としてコントロールするための合理的な計算ではない。 未来の悲劇を知っていながら、力不足ゆえにイタチを救いきれず、あの血塗られた夜を止められなかった。これは、そんな俺自身の不甲斐なさに対する、せめてもの『贖罪』だった。サスケの行き場のない怒りは、俺が正面から受け止めるべきだ。
俺の言葉に込められた決意を感じ取ったのか、ヒルゼンは少しだけ目を伏せ、それ以上は何も言わなかった。
「……分かった」
座敷の空気が極限まで張り詰めたのを確認し、成り行きを見守っていた綱手様が静かに立ち上がった。 彼女は部屋の襖を開け、外で待機しているであろう暗部に向かって短く、しかし威厳に満ちた声で命を下す。
「外交局の別室で待機させている二人を、ここへ呼べ」
木ノ葉隠れの里における最高のSランク機密。 その封印が解かれる時が、ついにやってきた。
*
三代目邸の奥座敷の襖が開き、タシに案内されてカカシとサスケが入室してきた。
室内に満ちるただならぬ空気と、上座に座るヒルゼン、綱手様、そして隣に控えるシスイの姿を見た瞬間、サスケの足がピタリと止まる。鋭い洞察力を持つ彼は、無意識に身構えた。
一方のカカシは、長年の暗部としての経験から瞬時にこれを「木ノ葉隠れの里における最高機密の開示」だと看破した。彼はサスケの背後に一歩回り込むと、音もなく扉を閉め、その退路を塞ぐように静かに立ち塞がった。
室内の静寂が、まるで物理的な重みを持って二人を圧迫する。俺はソファから立ち上がり、サスケの目を真っ直ぐに見据えた。
「サスケ。これからお前に、木ノ葉隠れの里における最高のSランク機密……『うちは一族滅亡の真実』を話す。お前の復讐の根幹を根こそぎ覆す話だ」
その言葉に、サスケが息を呑み、喉を鳴らした。
一歩前に出たのはシスイだった。彼は自身の右眼……かつて失うはずだったが、俺たちの介入によって守られた、父から受け継いだ眼で、まっすぐにサスケを見据える。
そして、かつてうちは一族が里に対してクーデターを企てていたこと、自分がそれを止めようとして動いていたこと、しかしその最中に起きた悲劇の全貌を静かに語り始めた。
フガクを討ったのはクーデター派の過激派であったこと。そして、イタチが里とサスケの命を守るため、自ら一族の処刑人となり、すべての罪を被って闇に落ちたこと。
「――嘘だ!」
張り詰めた空気を切り裂くように、サスケが絶叫した。その顔は血の気が引き、怒りと混乱で激しく歪んでいる。
「ふざけるな……! あの男は俺に言った! 己の器を測るためだと、一族を皆殺しにしたと言ったんだ!!」
崩れ落ちるような激昂。サスケの身体が怒りと動揺で激しく震えている。だが、サスケの目はすぐに、目の前に座るもう一人の男へと向けられた。彼の視線の先には、気まずそうに、しかし真摯な眼差しを返すシスイがいる。
「……なんでだ」
サスケの声が、震えながらも絞り出される。
「シスイさん……あんたは、俺の保護者として、ずっと俺の側にいてくれた。俺を支えてくれた。なのに、どうして……どうして俺に本当のことを隠していたんだ!」
信頼していた肉親代わりの存在に裏切られていたという絶望。サスケの瞳から大粒の涙が溢れそうになるのを、必死に睨みつけることでこじ開けていた。
シスイは苦しげに目を伏せ、ゆっくりと首を横に振る。
「すまない、サスケ。……それはすべて、イタチの頼みだった。お前をこれ以上、血塗られた一族の業に巻き込みたくなかった。お前を闇から守るためだけに、俺たちは真実を隠し通すしかなかったんだ」
「ふざけるな……!」
サスケがさらに声を荒げようとした時、俺は静かに一歩前に出て、さらに決定的な事実を叩きつけた。
「……それだけではない。お前に伝えておかなければならない生存者が、もう一人いる」
サスケが息を詰まらせ、俺を睨みつける。
「波の国の『シラカワ商会』に身を寄せている……『うちはイズミ』だ。彼女もまた、あの夜にイタチの手で殺されてはいない。イタチが裏で密かに逃がし、俺たちが保護した」
兄の恋人であり、あの夜に死んだとばかり思っていた少女の名が出た瞬間、サスケの思考が完全に停止した。 足元が崩れ去るような衝撃の中で、サスケはかすれた声を漏らす。
「いずみ……さんが、生きている……?」
「そうだ。しかし、まだ知られるわけには行かなかったから、お前が波の国へ行くたびに、彼女が身を隠していたんだ。……だが、もう隠れる必要はない。今度、俺が波の国へ連れていってやる。自分の目で、彼女が生きていることを確かめるといい」
シスイという『生きている保護者』。そしてイズミという『兄が命がけで守り抜いた恋人』。
この二人の存在こそが、イタチが冷酷な裏切り者などではなく、すべてを犠牲にして一族の血と未来を守ろうとしていたことの、何よりも動かぬ証明だった。そして同時に、俺自身が裏でイタチと密に繋がり、うちはの未来を守るために動き続けていたという証拠そのものでもあった。
「俺は今でもイタチと連絡を取っている。彼は『暁』の内部に潜入し、二重スパイとして今も里を守り続けている」
兄が自分のために生き、過酷な闇の中で木ノ葉のために命を削り続けているという事実。混乱するサスケの目の前で、俺はさらに事実を重ねていく。
「イタチはお前に自分を憎ませ、いずれお前の手で討たれるつもりでいる。一族の仇を討った『里の英雄』としてお前を生かすためにな。……さらに言えば、お前に『万華鏡写輪眼』を開眼させるためだ。その条件は修練ではない。『最も親しい者の死』……深い喪失のトラウマによる、脳内チャクラの変異だ」
その呪われた開眼条件を聞き、サスケは完全に息を呑んで硬直した。隣でそのやり取りを聞いていたカカシもまた、顔色を失い、自身の左手を無意識に左目へと伸ばしていた。
俺は、驚愕しているカカシへと視線を向ける。
「カカシ。お前も自覚していなかったようだが、お前の左目には既にそれが宿っているはずだ」
「俺が……? なぜだ、俺はうちはの人間じゃないぞ」
「霧隠れでのやぐらとの戦い……お前は無意識に空間を抉り取った。かつてお前にその眼を託した親友『うちはオビト』の死。その強烈な喪失感がトリガーとなり、お前の左目にはとうの昔に万華鏡が宿っていたんだ。お前自身が、写輪眼をただの『他人の術をコピーする道具』と思い込み、その底知れぬ出力を引き出せなかっただけでな」
カカシは左目を覆っていた額当てをさらに押し上げ、過去の絶望とオビトの顔を脳裏に浮かべながら、激しく息を呑んだ。
身近な実例を突きつけられ、サスケは「力を得るための代償」と、イタチがどれほどの地獄をくぐり抜けてその眼を開眼させたのかを、嫌というほど理解させられた。
イタチの果てしない愛情と、想像を絶する犠牲。 そのすべてを知ったサスケの瞳から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。憎しみの呪縛が音を立てて崩れ去り、行き場を失った激しい怒りと絶望が、彼の胸の内を焼き焦がしていく。
「なら……! 誰が兄さんにそんな真似をさせた! 誰がうちはをそこまで追い詰めたんだ!!」
サスケの叫びに応じるように、上座で目を閉じていたヒルゼンが、重く、懺悔するような声音で口を開いた。
「……ワシの幼馴染であり、独立した暗部『根』を率いていた男……志村ダンゾウじゃ。ワシの弱さが、奴の暴走を許してしまった」
その名が告げられた瞬間、サスケの三つ巴の写輪眼に研ぎ澄まされた殺意が宿った。その矛先は、もはやイタチでも、木ノ葉の里そのものでもない。ただ一人、『志村ダンゾウ』という闇の元凶へと向いていた。
俺は一歩歩み寄り、サスケの肩に手を置いた。
「お前の怒りを否定はしない。だが、ダンゾウは狡猾な怪物だ。今のままでは、お前もイタチと同じように組織や権力に利用されて終わる」
サスケを真正面から見つめる。
「イタチの用意した悲劇のシナリオに乗るな。強くなれ、サスケ。圧倒的な力をつけ、俺たちと共にダンゾウを追い詰めろ。それが、イタチを救う唯一の道だ」
サスケは袖で乱暴に涙を拭い、唇を噛み締めながら、深く、力強く頷いた。カカシもまた、自身の左目に込められたオビトの想いと、目の前の教え子が背負う過酷な運命を共に引き受ける覚悟を決め、静かに頷き返す。
だが、俺が突きつける真実はそれだけでは終わらなかった。
「――もう一つ、知っておくべきことがある」
ダンゾウへの怒りに震えるサスケに対し、俺はさらに事実を重ねる。
「俺たちが霧隠れで直面した異常事態。四代目水影やぐらを幻術で操り、血霧の里を作り上げた黒幕……それは十中八九、傭兵組織『暁』だ」
「……暁?」
「そして、あのうちは滅亡の夜。ダンゾウの暗躍の裏で、イタチに協力して一族を虐殺したのも『暁』の者だ。イタチ一人で、あの警務部隊を全滅させるなど物理的に不可能だからな」
霧隠れの惨状を思い出し、サスケとカカシは背筋が凍るような戦慄を覚えた。
「イタチは今、一族の仇であり、世界の脅威であるその『暁』の内部に単身で潜り込み、木ノ葉を守るために奴らの動向を探っている」
兄が今この瞬間も、一族を手にかけた化物どもの中で孤独に命を削り続けていることを悟り、サスケは己の無知と無力さに歯噛みし、拳が血に染まるほど強く握りしめた。
「最後に、忠告しておく。サスケ、今後お前に『大蛇丸』が接触してくる可能性がある。奴は甘い言葉でお前に力を与えようとするだろう。だが、絶対に耳を貸すな」
俺は、未来の決定的なリスクを排除するため、明確に名前を挙げて断言する。
「奴はかつて『暁』に所属し、ダンゾウとも裏で手を結んでいる外道だ。大蛇丸がなぜお前を狙うか分かるか? 奴は『暁』の内部でイタチの身体を乗っ取ろうとし、あっけなく返り討ちに遭って組織を逃げ出した。つまり、お前はイタチに手も足も出なかった敗北者の『妥協の産物』として狙われているに過ぎない」
その言葉を聞いた瞬間、サスケの中で「大蛇丸」という存在は、救いの手どころか、完全な嫌悪と侮蔑の対象へと変わった。兄に惨敗した哀れな抜け忍の、そのまた残りカスに成り下がるなど、彼のプライドが絶対に許さない。
サスケは真っ赤に染まった写輪眼で俺たちを見据え、揺るぎない決意を込めて宣言した。
「……ふざけるな。ダンゾウも、暁も、大蛇丸も……俺がすべて潰す。兄さんは、俺がこの手で引きずり戻す!」
その力強い言葉に、カカシもまた「まったく、俺も教え子に負けてはいられないな」と言いながら、額当てを下ろし、写輪眼を隠した。
俺は静かに微笑みながら、二人の前に立つ。
「なら、強くなれ。術もチャクラコントロールも面倒は見てやる」
真の敵を見据える目を取り戻したサスケに対し、俺は約束した。
「ところで、この前イタチが里に来た時、お前も幻術の中で拷問されたのか?」
「いや、お茶飲みながら情報交換してたぞ」
「ズルだ!」