火影邸の執務室。
俺は執務机の奥で腕を組む綱手様に対し、淡々と報告の口を開いた。
「概ね予定通りとなりました。大蛇丸の拠点の情報は獲得済みです。こちらとしては草隠れへの直接的な資金援助は断り、代わりに相場情報の提供という形で手を打たせました。それに、木ノ葉崩しの前からこちらで誘導していた『ならず者たち』の討伐を利用して、草側に恩を売ることもできました」
淀みない報告に、綱手様は満足げに頷いた。
「そうか、良くやってくれた。……で、奴らは欲をかくと思うか?」
「間違いなく。こちらとしても、適度に欲をかいてくれた方が後々助かるんですけどね」
俺が口角を上げると、綱手様もまたニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
その様子を応接ソファから見ていた三代目火影・猿飛ヒルゼン様が、呆れたようにパイプの煙を吐き出す。
「なんじゃ綱手。お前も随分とヨフネに毒されたようじゃの」
「人聞きの悪いこと言わないで下さいよ、三代目」
俺は肩をすくめてみせたが、三代目の目は笑っていなかった。
「お前たちが裏で何を企んでおるかは深く追求せん。だが、現役を退いたこのワシをわざわざこの場に呼んだのは、それ相応の用があるのだろう?」
その言葉に、部屋の隅で控えていたヤマトの肩がビクッと跳ねた。彼の視線が泳いでいる。これから俺が報告する内容を知れば、温厚な三代目でも――いや、うずまき一族との繋がりが深く、優しい三代目だからこそ激怒するのではないかと、気が気でないのだろう。
そんなヤマトの緊張をよそに、俺は平然と話を続ける。
「概ね予定通り、と言ったのはそこなんです。実は今回の交渉の裏で、草隠れから一人の忍をこちらに引き抜きました」
「なに? また聞いていないことを……」
綱手様が眉根を寄せる。事前の作戦会議にはなかった、俺の独断だ。
「今回のことに関しては完全に予想外の収穫でした。それに、あそこに綱手様がいたら激怒して交渉どころではなかったはずです。元々、草側に条件を飲ませるために大分譲歩した交渉をする予定でしたので、かえって怪しまれずに引き抜きができました」
「……それで、その引き抜いた忍というのは?」
綱手様の促しに応じ、俺は執務室の扉に向かって声をかけた。
「入れ」
重い扉が開き、タシに連れられて一人の少女が部屋に入ってくる。赤い髪に眼鏡をかけた少女――香燐の姿を見た瞬間、三代目の目が大きく見開かれた。
「そ、その赤髪は……」
「そうです。うずまき一族の生き残りです」
俺は怯える香燐の背中に軽く手を添え、部屋の中央へと促しながら淡々と説明を始めた。
「彼女は特殊体質であり、他者に自分を噛ませることで対象者の傷やチャクラを回復させることができます。彼女の母親はその能力を草隠れに酷使され、命を落としたようです。そしてこの子もまた、母親と同じように回復用の『道具』として前線で利用されて――」
「もうよい。みなまで言わなくても、どういう扱いを受けていたか想像できる」
三代目が低く、しかし力強い声で俺の言葉を遮った。その声には、確かな怒りと哀しみが滲んでいた。
「ヨフネ、良くやった」
短く労うと、三代目はゆっくりと立ち上がり、香燐の目の前まで歩み寄る。そして、少し膝を屈めて、怯える少女と真っ直ぐに目線を合わせた。
香燐は緊張で身を硬くしている。彼女の優れた感知能力ならば、目の前にいる老人が放つ『火影』としての圧倒的なチャクラを嫌でも感じ取っているはずだ。
「助けるのが遅くなってすまぬ」
三代目の口から出たのは、香燐にとって予想外の謝罪だった。優しく、慈愛に満ちた声だった。
「今日から、お前の後ろ盾にはこのワシがなろう。何か困ったことがあれば、いつでも言いなさい」
「え……?」
香燐は戸惑ったように目を丸くした。草隠れの道具に過ぎなかった自分を、なぜ他里の重鎮がここまで気にかけてくれるのか、理解が追いついていないのだろう。
疑問が顔に出ていたのか、三代目は穏やかに微笑み、木ノ葉隠れとうずまき一族の間に古くから結ばれている強固な同盟関係と、血の繋がりの歴史について静かに語って聞かせた。
話を聞き終えた香燐の表情から、わずかに強張りが抜けた。
ようやく自分の居場所がここにあっても良いのだと、納得がストンと落ちたような顔だった。
その様子を見届けた俺は、再び綱手様に向き直った。
「綱手様、一つお願いがあります」
「分かっている。その子についた歯形の除去だな?」
「そうです。お願いできますか?」
「当たり前だ。私の医療忍術を舐めるな」
綱手様は力強く頷くと、香燐の方へと視線を向けた。
「香燐、といったか。お前はこの先、どうしたい?」
突然の問いかけに、香燐は少しだけ俯いた。これまで命令されるばかりで、自分の意見など聞かれたことはなかったはずだ。しかし、彼女はすぐに顔を上げてはっきりと答えた。
「良ければ……ヨフネさんと一緒に働きたいです」
「無理はせずとも良いのじゃぞ?」
三代目が心配そうに声をかけるが、香燐は首を横に振った。
「私が、そうしたいんです」
使い捨ての道具として扱われていた彼女を、真っ先に理不尽から引き剥がした恩に報いたいのだろう。その確かな意志が、彼女の瞳には宿っていた。
綱手様が、ジトッとした冷たい視線を俺に向ける。
俺はすかさず両手を上げて潔白を主張した。
「なにもしてませんよ?」
「このバカの部隊に入りたいというなら止めはしないが、後悔しても知らんぞ?」
「……??」
俺の普段の無茶の数々を知らない香燐は、言葉の意味がわからず首を傾げている。
「まあいい。とりあえず今はよく休め。ここにはお前の能力を酷使するような奴はいないから安心しろ。それと今後の生活については」
「私が面倒を見ます」
タシが静かに、しかしきっぱりと宣言した。多感な年頃の少女の面倒を見るなら、男の俺よりも彼女の方がよっぽど適任だ。
タシの珍しい主張を受けて、綱手様は一瞬驚きながらも頷いて了承した。
こうして香燐は、正式に木ノ葉隠れの忍として迎え入れられることとなった。タシに連れられ、香燐が執務室を後にするのを見届けてから、綱手様は再び執務机に肘をついた。
「で、次は砂隠れか?」
「ですね」
俺は持参していた資料をまとめながら頷く。
「ただ、今回は護衛中隊は付けないつもりです。猟犬部隊が大隊長のホヘトを筆頭に、下忍育成プログラムの技術交流で来週にも砂へ行く予定なので、それに同行します」
その言葉に、綱手様は鋭い視線を送ってきた。草隠れでの強引な立ち回りを経て、次は砂隠れだ。
「砂隠れは今や同盟相手だ。やりすぎるなよ?」
「善処します」
俺は薄く笑い、風の国での次なる『外交』を見据えて執務室を後にした。
*
肌を焦がすような日差しと、常に吹き荒れる乾いた熱風。
砂隠れの里を歩いていると、木ノ葉にいる時よりも確実に体内の水分が奪われていくのが実感できる。
「相変わらず、乾燥した里ですね」
役所へと続く砂岩の廊下を歩きながら、隣を歩く日向ホヘトがポツリとこぼした。
「実際に来てみれば、里全体に余裕がないのが分かるな」
俺が淡々と返すと、ホヘトは僅かに表情を険しくした。
「そもそもの原因は、風の国の大名による一方的な軍縮と予算削減でしたか。依頼を他国に回され、自国の忍軍すら維持できなくなった結果の暴挙……」
「ああ。貧しさに追い詰められ、通常の軍事力で抗えなくなったからこそ、一人の少年に里の命運を託すしかなかった。最終兵器たる『人柱力』への過剰な依存と、大蛇丸の甘言。……典型的な貧困からの暴発だ」
俺の言葉に、ホヘトは静かに頷いた。
役所の奥にある広い会議室の扉を開けると、バキをはじめとする砂の上層部が円卓を囲んで待ち構えていた。
木ノ葉隠れから提案した「下忍育成プログラムの技術交流」。その実務責任者として猟犬部隊の大隊長であるホヘトを連れてきたわけだが、俺たちを見た砂側の反応は、強い緊張と警戒に満ちていた。会議室の空気が、息苦しいほどに重く張り詰めている。
挨拶もそこそこに、ホヘトが持参した資料を配り、淡々とカリキュラムの概要を説明し始めた。
「――以上が、我々『猟犬部隊』が実践している基礎育成プログラムの全容です。スリーマンセルにおける死角を徹底的になくすカバーリング戦術の構築。これらを砂の下忍育成に組み込んでいただきます」
ホヘトが説明を終えると、会議室に深い沈黙が落ちた。
バキが手元の資料に目を落としたまま、微かに額に汗を滲ませている。
一撃必殺の秘伝忍術を教えるわけではない。しかし、それは裏を返せば「才能のない凡人でも、確実な戦力として機能させる」ためのノウハウだった。軍事力の底上げにおいて、これほど恐ろしい技術はない。
そして何より、先日の『木ノ葉崩し』において、砂の忍たちを圧倒し、機能不全に陥らせたのが他でもないこの部隊運用だ。隙のない連携で砂の猛攻をことごとく絡め取り、狩り尽くした。その苦い記憶が、バキたち上層部の脳裏に生々しく蘇っているのだろう。
「木ノ葉が、部隊運用の肝とも言えるノウハウをここまで明かしてくれるとは……。しかし、外交局長殿」
バキが、探るような鋭い視線を俺に向けてきた。あのえげつない賠償交渉で徹底的に絞り上げられた時の恐怖が、まだ彼らの中に根強く残っているらしい。
「何か裏の条件があるのではないかと、そう言いたい顔ですね」
「……」
「条件などありませんよ。砂隠れは今や木ノ葉の重要な同盟国です。同盟国の戦力低下は、巡り巡って我が国の不利益に繋がる。下忍の生存率を上げ、防衛線を強固なものにしていただくための純粋な技術協力です。それに今回お伝えする部隊運用は基礎中の基礎ですよ」
俺が肩をすくめてみせても、バキたちの警戒は解けない。実務的なすり合わせはホヘトに任せた方がスムーズだろう。
「実務的なことは現場の専門家同士でやった方が早い。技術的な質問はすべてホヘトに聞いてください」
そう言って、俺は椅子から立ち上がった。
「局長。どちらへ?」
「少し里の市場を視察してくる。ここは任せた」
「了解いたしました。バキ殿、では今お伝えした内容を踏まえてメンバーの選定をしていきましょう」
ホヘトがすぐさま会議を再開する。俺が退室したことで、バキたちから微かに安堵の息が漏れたのを、俺は背中で感じ取っていた。
*
役所を出た俺は、二名の猟犬部隊員を護衛に伴い、すり鉢状に広がる里の市井を歩いていた。
市場には砂埃の匂いと独特の香辛料の匂いが入り混じって漂い、土壁で作られた簡素な建物がひしめき合っている。露店には乾燥肉や干した果物などが並べられているが、通りを行き交う住民たちの顔に余裕はなく、やはり活気は薄かった。
そんな中、一つの露店の前で俺の足が止まった。
強い日差しを避けるように張られた日除けの布の下に、素焼きの小さな瓶がいくつも大切そうに置かれている。
「これは、何ですか?」
尋ねると、日焼けで肌を赤黒くした老人の店主が愛想笑いを浮かべて答えた。
「そいつはホホバって植物から搾ったオイルで、この辺りの女衆は、乾燥から肌を守るためにそいつを塗るんだ。そんで、こっちはウチワサボテンの種から採れたオイルで、日焼けなんかに効くぞ」
俺は許可を得て、試供品を手の甲に一滴だけ垂らしてみた。
とろりとした黄金色の液体が、乾いた肌に驚くほどの速度で浸透していく。表面にベタつきは残らず、内側から水分が逃げるのを強力に防いでいるのがはっきりと実感できた。
(……なるほど。砂漠の過酷な乾燥を生き抜く植物だからこそ、極上の保水力を持っている。ストーリー性も良いな)
俺は指先でオイルの感触を確かめながら、頭の中で新たな波の国の目玉の一つになると思った。
(波の国は今や、カジノや遊郭、高級温泉宿が立ち並ぶ巨大なリゾートアイランド化しつつある。世界中から富裕層が集まるあの歓楽街において、過酷な砂漠で採れた『幻』の美容オイルはどれほどの価値を生むか)
砂漠という極限環境でしか育たない希少性。そして確かな美容効果。
富豪の妻やトップクラスの花魁たちがこのオイルを知れば、言い値で買い求めるはずだ。他に競合が存在しない、最高にして最強の商品に化ける。
(砂隠れの経済復興という大義名分を隠れ蓑にして、波の国でのリゾート利権に繋げる。……商機だな)
「店主。このオイルの原料となる植物は、里の近くでどれくらい採れる?」
「そりゃあ、自生してるもんを拾い集めるしかねえから、たくさんは採れねえよ。サボテンの種なんて、ほんのわずかしかオイルにならねえし」
「そうか」
俺は懐から財布を取り出し、並んでいた瓶をすべて買い取った。
驚く店主に札を渡し、俺は踵を返す。
技術の提供による防衛力の向上は木ノ葉の利益になり、このオイルを事業化すれば砂隠れの利益となる。
あとは、この大事業を任せるに足る『責任者』をどう据えるかだ。
俺は何となく里の全景を見渡したくなり、砂防壁に作られた高台へと足を向けた。
*
常に砂と風にさらされている砂隠れの里。その外周をぐるりと囲む巨大な砂防壁の上に立つと、吹き付ける風の質がはっきりと変わるのが分かる。
遮るもののない高台。眼下には土色の里の全景が広がり、視線を上げれば、地平線の彼方まで果てしない砂漠がうねっていた。
過酷で、圧倒的な乾きの世界だ。
その風景を、たった一人で見下ろしている小柄な背中があった。
背負った巨大な瓢箪と、赤茶けた髪。かつて中忍試験で木ノ葉に牙を剥き、うずまきナルトと死闘を繰り広げた砂の人柱力、我愛羅だ。
俺の足音に気づいたのか、我愛羅がゆっくりと振り返る。
かつて彼の瞳に宿っていた、触れる者すべてを殺そうとするような狂気は鳴りを潜めていた。代わりにそこにあるのは、こちらを推し量るような、ひどく静かで真っ直ぐな視線だった。
我愛羅が、躊躇いなくこちらへ歩み寄ってくる。
少し離れた防壁の陰から、その様子を窺っていたテマリが「あっ」と小さく声を漏らすのが聞こえた。これまで他人に一切の興味を示さず、自ら距離を詰めることすらなかった弟の行動に、姉として驚きを隠せないのだろう。
その隣に立つカンクロウはといえば、俺の顔を見るなりギリッと奥歯を噛み締めている。木ノ葉崩しの折、俺の教え子である油女シノに苦杯をなめさせられた彼は、その師匠である俺に対して、不器用な敵対心を隠そうともしていなかった。
そんな兄姉の反応を気にする素振りも見せず、我愛羅は俺の目の前で足を止める。
「木ノ葉の外交局長……」
乾燥した風に紛れるような、低く掠れた声だった。
「うずまきナルトと戦った時、あいつの思念の一部が俺の中に流れ込んできた。……その中に、お前がいた」
我愛羅の言葉に、俺は眉を少しだけ動かした。
チャクラの激突によって互いの記憶や感情が流れ込むという現象は、高位の忍同士の戦闘において稀に報告される。あの規格外のチャクラのぶつかり合いの中で、我愛羅はナルトの過去を視たというわけか。
「それがどうした?」
俺が淡々と聞き返すと、我愛羅は視線を足元の砂に落とし、ポツリとこぼした。
「なぜ、お前たちはあいつを拒絶しなかった。あいつの記憶の中にいたお前たちは、あいつを化け物としてではなく……対等な、一人の忍として見ていた」
顔を上げた我愛羅の瞳の奥には、彼自身も処理しきれていないような、深い疑問と羨望が渦巻いている。
「俺には、そんな大人は一人もいなかった。……何が違ったんだ」
その問いには、彼が生まれてからずっと抱え続けてきた、絶対的な孤独の重さが滲んでいた。
テマリが息を呑む気配が、風に乗って伝わってくる。砂の大人たちが彼を単なる兵器として恐れ、遠ざけてきたという事実に対する、無自覚な断罪のように響いたからだろう。
だが、俺は外交局長だ。ここで彼に甘い同情の言葉をかけるつもりも、木ノ葉の大人たちを美化するつもりも毛頭ない。
俺は、一切の感傷を排した事実だけを口にした。
「勘違いするな。あいつだって、ほんの数年前までは里中から迫害されていた」
「……」
「むしろ状況はあいつの方が悲惨だったかもしれないな。お前には『砂の盾』という自分を守る圧倒的な力があった。だが、当時のあいつにはそれすらなく、ただ大人たちから悪意を向けられ、傷つけられるだけの弱い立場だったんだ」
過酷な真実を突きつけられ、我愛羅の目が僅かに見開かれる。
「……それでも、あいつは周りを表立って恨むことなく、自分を認めさせようと必死に努力した。あんな真似、誰にでもできるわけじゃない」
俺は、かつて訓練場でナルトに手渡したおにぎりや、彼が泥だらけになって基礎訓練に食らいついてきた姿を思い出しながら言葉を継ぐ。
「あいつは里の奴ら全員に自分の存在を認めさせるために『火影』という里の長になろうとしている」
「火影……」
「そうだ。誰一人味方がいない底辺から、少しずつ自分の足で信頼を積み重ねて、里の頂点へ行く。そんな気の遠くなるような割に合わない道のりを、あいつは格好悪く足掻きながら、今も歩き続けているんだ」
吹き抜ける熱風が、俺の外套を激しくバタつかせる。
俺は我愛羅の目を真っ直ぐに見据えた。
「俺たちみたいな大人があいつの周りに増えたのも、あいつがそうやって必死に足掻いた結果だ。最初から与えられていた光なんて、どこにもない」
誰かに与えられるのを待っているうちは、何も変わらない。ナルトは自分で動き、血を吐くような努力で周りの大人たちの認識を力業でねじ伏せたのだ。
俺の言葉を聞き終えた我愛羅は、何も言わず、ただ無表情のままゆっくりと目を瞑る。
防壁の上には、砂を巻き上げる過酷な風の音だけが響いていた。長い長い沈黙だった。
我愛羅は目を閉じたまま、底辺から這い上がろうとする一人の同世代の生き様を、彼の中で反芻し、時間をかけて消化しているようだった。
やがて、ゆっくりと目を開く。
その瞳から、かつて宿していた虚無は完全に消え去っている。代わりに灯っていたのは、己の宿命と里の未来を背負って立つ、指導者としての確かな覚悟だ。
「……火影、か」
我愛羅の口から、決意を帯びた声が漏れる。
「なら――俺は、風影になる」
「ほう」
「だが、風影という座に就いたからといって、皆に認めてもらえるわけじゃない。……俺がこの里のために『何をしたか』でしか、過去の罪は償えず、本当の信頼は得られないだろう」
俺は少しだけ目を細めた。やはり聡明な子だ。
行動で示すことの重要性をこうもあっさりと理解するとは。
「この過酷な砂漠が、里の貧困と争いを生んだ。大人は余裕を失い、俺のような兵器を生み出した。……だから、俺はこの里を根底から変えたい」
我愛羅は眼下に広がる里と、その外に広がる果てしない砂漠へと視線を向けた。
「緑を増やし、次世代へ同じ苦しみを味わせないために、俺自身がこの里の盾になる」
過去の己の罪から逃げず、痛みを背負って上に立つ。それはまさに、非の打ち所のない強烈な意志表示であり、指導者としての壮大なビジョンだった。
だが、我愛羅は無表情のまま、少しだけ頑なな口調でさらに言葉を継ぐ。
「……それに、ナルトと対等な存在として再会したい。俺は負けず嫌いなんだ。あいつにだけ、格好いいところをさせるわけにはいかない」
「……」
俺は一瞬、本気で呆気に取られた。
あまりにも大真面目な顔で、年相応の子供のように「負けず嫌い」などと言い放ったからだ。立派な指導者の覚悟の直後に、ただの一人の少年としての純粋な我儘が飛び出してきた。
視界の端で、遠巻きに見ていたテマリが両手で口元を押さえていた。
(あの我愛羅がいま、もの凄く普通のガキみたいな理由を言わなかった!?)
声にこそ出さないが、驚きと困惑、そして感動が綯い交ぜになったような顔だ。
俺はやれやれと肩をすくめ、小さく息を吐き出す。
「……そりゃ結構なこった。火影と風影の背比べか。見物だな」
「ああ。負ける気は無い」
我愛羅が、初めて微かに口角を上げたように見えた。
だが、直後に我愛羅は俺を真っ直ぐに見据え、ひどく不器用に言葉を絞り出した。
「……だが、俺は人の殺し方しか知らない。どうすればいい?」
「っ……!」
またもや、テマリが鋭く息を呑む気配が伝わってくる。
(あの子が、他人に……教えを乞うている……!?)
かつて自分以外の全てを拒絶していた少年が、他国である木ノ葉の大人に頭を下げている。それがどれほど天地がひっくり返るような劇的な変化か、身内である彼女たちが一番よく分かっているはずだ。
俺は少しの間、我愛羅の真っ直ぐな視線を受け止め、やがて低く厳格な声を出した。
「なら、まずは過去を振り返るんだ。お前自身と、この砂隠れが『何に失敗し』、逆に『何に成果を出してきたか』をだ」
「……俺と、里の失敗」
「そうだ。お前はこれまで恐怖で他者を遠ざけ、殺すことでしか己を証明しようとしなかった。結果として誰にも認められず、孤独に陥った。……里も同じだ。貧しさを理由に武力で他国から奪おうとし、結果として信用を失い、里をさらなる困窮へと追い詰めた。安易に力で奪おうとする道は、ことごとく失敗しているんだ」
痛いところを突かれ、我愛羅は僅かに目を伏せる。だが、その顔から逃げる気配はなかった。
「では、逆に何が『成果』を出している?」
俺は懐から、市場で買い上げた素焼きの小瓶を取り出し、我愛羅に向けて放り投げた。
サラサラと足元の砂が独りでに舞い上がり、空中で小瓶をふわりと受け止める。絶対防御の砂は瓶を割ることもなく、我愛羅の手の中へと優しく収まった。
「それは?」
「市場で売られていた、サボテンの種やホホバから採れた油だ。過酷な乾燥地帯で育つ植物だからこそ、極上の保水力という『成果』を出している。波の国をはじめとする富裕層に、言い値で売れる代物だ」
我愛羅が、手の中の小瓶を見つめる。
「他国の豊かな緑を無理に真似ようとするな。お前たち砂隠れは、自分たちの足元にある『資産』をずっと見落としてきた。……お前自身もだ」
「俺の、資産……」
「お前は砂の性質を誰よりも知っているはずだ。どこに水脈が隠れているか、どう砂を動かせば厳しい風から苗を守る防風壁になるか。お前なら分かるはずだ」
俺の言葉に、我愛羅の目が微かに見開かれる。
自分が無意識に操り、これまで人を殺し、物理的な盾としてのみ使ってきた「砂」。その力が、生命を育むための何よりの武器になるという事実に気づいたのだ。
「恐怖で支配する兵器を辞めろ。その砂でこの植物を大規模に育てる環境を構築し、他国と正当な商売をしろ。それができれば、里は莫大な外貨で潤い、自然と緑も増えていく」
「……」
「力で奪うのではなく、他国と繋がり、豊かさを生み出して里を守る盾になれ。それが、人として、そして風影として上に立つということだ」
俺が冷徹な事実として道を提示すると、我愛羅は手の中の小瓶を強く、大切に握りしめた。
かつての虚無は欠片もなく、迷いのない確かな光を宿した瞳で、力強く頷く。
「……ああ。必ず、やってみせる」
我愛羅の瞳に宿った確かな覚悟を見届けた俺は、高台を後にした。
階段を下りながら懐から小さな巻物を取り出し、簡潔に暗号文を走らせる。そして、あらかじめ待機させていた小型の忍鳥を指笛で呼び出し、木ノ葉の綱手様に向けて放った。
*
高台の風とは打って変わって、役所の重苦しい廊下。
俺はそこで一度深く息を吐き、商人と外交官としての仮面を丁寧に整え直した。先ほどまでの我愛羅に対する指導者の顔を完全に消し去り、冷徹な木ノ葉の外交局長として、再び会議室の扉に手をかける。
会議室の中は、ホヘトによる下忍育成プログラムの技術説明がちょうど一区切りついたところだった。
俺はホヘトと視線を交わして頷き合い、バキたち砂の上層部と対峙するように円卓に手をつく。
「実務的な技術提供のすり合わせは終わったようですね。では、ここからは我が外交局、およびシラカワ商会の代理として『商談』をさせてもらおう」
バキたちが怪訝な顔を見せる。俺は、市場で買い上げた素焼きの小瓶を卓上に並べた。コツ、と乾いた音が静かな会議室に響く。
「シラカワ商会は、砂隠れの特産品である『ホホバオイル』および『ウチワサボテンオイル』の独占交易権を獲得したい。砂漠地帯での大規模な農地開拓、および量産化の資金はシラカワ商会が全面的にバックアップする。買取価格は現在の市場価値の倍を約束し、この国の緑化事業にも技術援助を行おう」
その提案に、会議室の空気が一変した。
莫大な賠償金と大名の軍縮によって首が回らない今の砂隠れにとって、他国の資本による全面的な事業支援は喉から手が出るほど欲しい話だ。上層部の数名が、隠しきれない喜びの色を顔に浮かべている。
「それは……我々にとって願ってもない申し出だ。そこまで経済的支援をしてくれるとは……」
バキが僅かに声を上擦らせながら身を乗り出した。だが、俺は歓喜に沸く彼らの期待を断ち切るように、淡々と言葉を継ぐ。
「ただし、この大事業の砂側の全権責任者には、我愛羅殿を指名させてもらう」
「なっ……!?」
会議室が、一瞬にして凍りついた。
「木ノ葉隠れとしては、彼を次期風影として推薦する」
「ふ、ふざけるな!」
上層部の一人、顔に深い皺を刻んだ長老が立ち上がり、机を激しく叩いた。
「あいつは里を壊そうとした化け物だ!それにまだ若すぎる!そのような不安定な人柱力を、里のトップに据えるなど断じて認められん!」
当然の反応だ。だが、今の砂隠れは実質的に木ノ葉の属国に近い。俺は一切怯むことなく、冷徹に反論を口にする。
「若すぎると言うが、今の砂隠れに他国を牽制できる戦力がどこにいる?里が弱体化している今、土の国のオオノキあたりが国境を脅かせばどうする。圧倒的な個の武力を持つ彼をトップに据えなければ、余計な横槍を入れられるだけだ」
「それは……」
「それに、だ」
俺は声を一段階低くし、彼らの危機感を煽る。
「事前に伝えていたと思うが、『暁』という組織が尾獣を狙って動き出している。標的となる人柱力を里の隅に隔離しておけば、容易に各個撃破されるだろう。だが、彼を風影として里の中心に据えれば、里の総力で彼を守る大義名分ができる」
上忍たちが絶句し、溜息のような吐息が漏れる。
「彼はもう無差別に暴れるだけの兵器ではない。里の盾となる覚悟を決めている。武力による他国への抑止力と、対『暁』の防衛網。そして何より、我が国との太いパイプを持ち、この里を潤す経済の柱となる」
俺は卓上のオイルの瓶を、指先で軽やかに弾いた。
「武力、経済力、外交力。これを兼ね備えた人材が、今の砂に他にいるなら教えていただきたい」
重苦しい沈黙が会議室を支配する。圧倒的な正論と、木ノ葉という巨大な後ろ盾を前に、彼らは反論の糸口すら見出せなかった。
だが、バキは苦渋に満ちた顔でゆっくりと首を横に振った。
「……あなたの理屈は正しいのかもしれない。だが、風影の選定は我々の一存で決められるものではない。それに、いくらあなたが『彼は変わった』と言っても、我々にとってあいつは、里の者を無差別に殺した化け物のままだ。そのような不安定な存在を、おいそれと推薦することなどできない」
それは、砂隠れの大人たちが抱える拭い去れない恐怖であり、里の未来を案じる者としての正当な疑心だった。
だからこそ、俺はそれ以上彼らを言葉で詰めることはしなかった。机上の論理で恐怖は拭えない。
「ええ。ですから、私も今すぐとは言っていません。提案はあくまで、『事業の責任者として我愛羅殿を指定』『風影候補として推薦』という二点のみです」
「責任者、だと?」
「はい。まずは彼と一度、顔を合わせて話をしてみてください。そして、彼にこの緑化とオイル事業を任せて、あなたたちの目で監視し、評価すればいい。……木ノ葉の資本と技術を注ぎ込み、彼が本当に里の盾となり得るのかを」
俺は卓上のオイルの瓶を、彼らの方へゆっくりと滑らせた。
「結果を見てから、推薦するかどうかを決めればいい。木ノ葉はそれまで待ちますよ」
猶予を与え、かつ経済支援という果実は先に渡す。
バキは数秒の間、俺の瞳の奥を覗き込むように睨みつけていたが、やがて敗北と、僅かな安堵を入り混じらせたような深い息を吐き出した。
「……そこまで譲歩された上での提案となれば、無下に断るわけにもいかん。分かった。事業の件、持ち帰って一度彼と話をしてみよう」
バキの言葉と共に、会議室から漂っていた刺々しい敵意は霧散した。
我愛羅という不確定要素を抱えながらも、砂隠れが木ノ葉の経済圏へと組み込まれる第一歩を踏み出した瞬間だった。
*
その後、バキたち上忍衆と我愛羅との間でどのような対話が交わされたのか、俺は詳しく知らない。
だが、我愛羅は自身の砂を操る力を、人を殺すためではなく、地質を調査するために使い始めた。
彼が行動で示した、次世代を守るという確かな『覚悟』。
それらはやがて、かつて彼を化け物と恐れた大人たちの心を動かしていくだろう。
話を聞く限り、水の確保や土壌改良、植物の選定など多くの障壁が立ち塞がっている。これらのことについては、それぞれの専門家の意見を聞きながら進めていく必要がある。そして、それを取りまとめるのも我愛羅にとって良い経験になると信じて俺は砂隠れを後にした。