火影邸の執務室。
今回も外交の報告のために、俺は綱手様の元へ訪れていた。
山積みになった書類の奥で、五代目火影である綱手様が大きくため息をつく。俺は木ノ葉外交局長として、その執務机の前に立ち、持参した報告書を淡々と読み上げた。
「――以上が、砂隠れでの会談の顛末となります。我愛羅を次期風影に推す根回しは順調に進んでおり、砂の上層部もこの方向で進めていく予定のようです」
「そうか、予定通りといったところだな。新しい風影を木ノ葉が推薦した。この事実は大きいぞ」
「ええ。そして、この先も彼らを影響下に置き続けるためにも、砂隠れの緑化計画の支援が重要となります」
「そっちについては、各局の専門の者たちと連携して上手くやれ。予算は出せないが、ある程度の技術支援ならば許可しよう」
「ありがとうございます」
「それで、肝心の我愛羅はどうだ? 上手くやれそうか?」
「思った以上に頭の良い印象ですね。友人がいなかった分、勉強はそれなりにしていたようです」
「……本当にナルトとは正反対だな」
綱手様が思い出し笑いのように口元を緩め、俺もつられて薄く笑みをこぼした。
「ところで緑化だが……言うのは簡単だ。ただ、あの過酷な砂漠地帯でそれを実現するには、植物を育む良質な土壌と水が必要不可欠だぞ。一体どこから調達する気だ?」
「水については、砂隠れ特有の気候を利用して夜露を集める方法を試してみます。土壌となる豊かな腐葉土については、次の訪問予定地である滝隠れの里から買い付けようかと」
「……滝隠れか」
綱手様は腕を組みながら怪訝そうに目を細めた。
「あそこは他国との関わりを極端に避ける、閉鎖的な里だぞ。おいそれと交渉に応じるような相手ではない」
「ええ。ですから、訪問前に少し現状を整理しておきましょう」
俺は手元の資料をパタンと閉じ、滝隠れにの現状についてわかっていることを説明する。
「滝隠れは巨大な滝という自然の要害に守られ、大国に囲まれながらも今日まで生き残ってきました。しかし、その極端な鎖国状態ゆえに、経済的には完全に停滞しています。昔は少数の有力な忍を輩出していましたが、現在は実質的な武力も乏しく、防衛力は地形に依存している状態です。伝承にもある『英雄の水』がどういった物かは知りませんが、早々気安く使える物とは思えません。つまり……資金を安全に得られる方法には必ず興味を示すはずです」
その冷徹な定義を聞いた瞬間、綱手様がジトッとした冷ややかな視線を俺に向けた。
「無用な争いは生みたくない。これ以上、恨みを買うようなことはするなよ?」
「もちろんです。草も砂も、先に恨みを買う行動をしてきたのは相手の方です。売られた喧嘩は買いますが、こちらから売るような真似はしませんよ。それにあそこは五大国以外で唯一尾獣を保有する里でもあります。友好関係は築いておきたいです」
「確かにそうなんだが、いまいち納得できないのは何故だろうな」
「さて? 何故でしょう?」
俺が悪びれずに聞き返すと、綱手様は心底呆れたように天を仰ぎ、シッシッと犬を追い払うように手を振った。
「……もういい。さっさと行ってこい。今回はヤマトたちを連れて行くんだろ? くれぐれも揉め事だけは起こすなよ」
「もちろんです。では、シラカワ商会との打ち合わせも済ませてから、二週間後にでも滝隠れへ向かいます。最近里から離れることが多くて、仕事も溜まってますしね」
「増えているのは自業自得だ」
俺は薄く笑みを浮かべて一礼し、次なる訪問先を見据え、執務室を後にした。
*
木ノ葉の里を出発してから数日後。
俺たち特務小隊は、火の国と土の国の間に位置する小国、滝隠れの里の周辺へと到着していた。
視界を埋め尽くすほどの巨大な滝が、轟音と共に大量の水を打ち付けている。空中に舞い散る水しぶきが肌を濡らし、周囲の深い森からは濃密な土と緑の匂いが立ち込めていた。
「すごい水量ですね……。これだけの水がずっと流れ落ちてるなんて」
ヒナタが滝を見上げながら、感嘆の声を漏らした。
今回同行しているのは、第八班の教え子であるヒナタとシノ、時空間忍術を得意とするテンテン、そして小隊長を務めるヤマトだ。
「本当に圧倒的なスケールだな。だが、俺たちの目的は観光じゃない。まずは周囲の状況と資源の事前調査だ。ヤマト、土壌の方はどうだ?」
「ええ、確認しましたよ」
ヤマトが足元の土を深く掘り返し、手に取った黒々とした土を指先で崩しながら答えた。
「良い腐葉土です。これだけ栄養価の高い土壌なら、砂漠の緑化計画の土台として申し分ありません。……それにしても、他国の土を買い付けて砂漠を森にするなんて、スケールの大きなことをよく考えつきますね、局長」
「潜在需要ってやつさ。本人達が気付いていない需要を発掘するのは商売の基本だ。さて、次は水だ。テンテン、運搬量のテストを頼む」
「了解! 任せておいてよ」
テンテンは背負っていた巨大な巻物を地面に広げた。彼女の時空間忍術は、武器だけでなく質量の大きな物体を封印し、展開することにも長けている。
俺は波の国の水事情を頭の中で思い返していた。あのような小さな島国で、標高の高い山がない地形では、雨水を蓄える森や地層が乏しい。そのため、地下水には海水が混入しやすく、硬度が高くて飲みづらいのだ。
上質な飲料水を販売する上で、最大の障壁となるのは輸送の手間と経費である。だからこそ、時空間忍術でどれだけの水量を一度に運搬できるのかが、この事業の要となってくる。
「よし、ヤマト、仕事だぞ。木遁で幅五メートル、長さ十メートル、高さ二メートルの容器を作ってくれ」
「分かりました」
ヤマトは両手を合わせて印を結び、言われた通りの巨大な容器を作り出した。
「ヤマト、次にこの中に水遁で水をいっぱいにしてくれ」
「……人使いが荒いですね、局長。僕は一応、護衛役として同行しているはずなんですが」
ヤマトは呆れたように肩をすくめながらも、水遁で川の水を容器に移していく。
「ありがとうな。俺じゃチャクラが不安なんだよ。じゃあ次はテンテン。この中の水が全部入るか試してくれ」
「任せてください!」
テンテンが素早く印を結び、巻物の中央に手を当てると、ヤマトの作った容器に入った水が渦を巻きながら巻物の術式の中へと全て吸い込まれていった。
「テンテン、チャクラはどうだ?」
「ふう……。これだけの水を一度に封印すると流石にチャクラを使いますけど、大丈夫そうでーす」
額の汗を拭いながら、テンテンが自信満々に笑う。
「ところで、限界まで試さなくて良かったんですか? まだ入りそうですよ?」
「重要なのは『誰でも扱える量』の方さ。才能とチャクラのあるお前にしかできない作業では、商売になるかはならないからな」
「えへへへ」
俺の合理的な評価に、テンテンは少し気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「それに今の量が、波の国で必要とされるであろう一ヶ月分なのさ。しかも今回とは違って硝子瓶に詰めてもらうから、一回の量は大きくなる。厳しかったら二回に分ければ良いだけだしな」
俺はそう言ってから、最後の確認へと移った。
「シノ、ヒナタ。水質の確認を頼む」
「了解した。蟲たちはすでに滝の周辺に展開して調べてある。……いつもよりも、心なしか蟲たちが嬉しそうにしているな」
シノが淡々とした口調のまま、蟲使いならではの特異な感覚を口にする。その横で、ヒナタが目の横に血管を浮かび上がらせた。
「白眼……!」
彼女の透き通るような白い瞳が、滝の水流とその水源の奥深くを透視していく。やがて、ヒナタは驚いたように息を呑んだ。
「ヨフネ先生……この水、ただの水じゃないかもしれないです」
「どういうことだ?」
「ごく微量ですが、チャクラが溶け込んでいるようです。健康に良い影響を与えたりするくらいの効果はあるかもしれません」
ヒナタの報告に、俺は口角を上げた。
「そうか。飲んだらチャクラが回復するか?」
「いえ、流石にそこまでは含まれていないと思います」
話によれば、滝隠れには飲むとチャクラが数十倍になる『英雄の水』という伝承があるらしい。ヒナタが見たチャクラも、無関係ではないだろう。
『秘境の滝の天然水』とでも名付けて、富裕層向けの「長寿と健康をもたらす水」としてブランド化できる資源だ。
ヤマトが確認した腐葉土。テンテンが実証した物流ルート。そしてヒナタが裏付けた水質。事前の資源調査は完璧だった。
「よし。これで交渉のカードは揃った。滝の裏側へ入るぞ」
*
轟音を立てる滝の裏側に隠された洞窟を抜けると、そこには外界から完全に切り離された空間が広がっていた。
巨大な地底湖と、その周囲に広がる美しい集落。豊かな水と深い森に囲まれたその景色は、平和な隠れ里そのものだった。
よく言えば長閑、悪く言えば活気がない。
通りを歩く里の住人たちの表情は明るいが、行き交う商人の姿もない。木ノ葉や砂隠れのような、経済活動に伴う熱気や喧騒が一切感じられないのだ。
豊かな水と森という途方もない資源を持ちながら、それを金に換える手段を知らない。まさに「宝の持ち腐れ」だ。
「……静かな里ですね」
ヒナタが周囲を見渡しながら、ポツリと漏らした。
俺は周囲の地形と建物の配置を頭に叩き込みながら、淡々と答える。
「大国に囲まれながらも、この自然の要害のおかげで生き残ってきたんだろうな。それでも、引き篭もってきた分、不足している物も多いはずだ」
ヤマトが俺の言葉に同意するように小さく頷いた。
「だからこそ、局長が持ち込む『金』の力に、彼らは必ず食いつくというわけですか」
「そういうことだ。さて、この里の長であるシブキ殿に会いに行こうか」
俺は薄く笑みを浮かべ、停滞した水の都の中心部へと足を踏み出した。
*
巨大な滝の裏側に隠された長閑な集落を抜け、俺たちは滝隠れの長が執務を行う建物へと通された。
建物は木や石といった自然の素材を活かした質素な造りだが、滝隠れらしく自然と調和した空間だった。
通された会議室には、滝隠れの長であるシブキが既に円卓の奥に腰を下ろしていた。その後ろには、険しい表情でこちらを睨みつける滝隠れの上忍が二名、護衛として控えている。
滝隠れは決して鎖国を敷いているわけではないが、他国の人間を里内に入れることを嫌う傾向がある。そんな彼らにとって、大国である木ノ葉の「外交局長」の訪問は異例中の異例だ。シブキの顔には、隠しきれない緊張と強い警戒心が張り付いていた。
対するこちらの護衛は、俺の背後に立つヤマト一人だけだ。事前の調査を終えたテンテン、シノ、ヒナタの若手三人は、相手に無用な威圧感を与えないよう、会議室の外で待機させている。
俺の背後に立つヤマトからは、ピリピリとした無言のプレッシャーが伝わってきた。草隠れでの交渉見て、砂隠れとの停戦条約についての話も知っているヤマトだ。今回はどんな手段でこの里の首を絞めるつもりだと、一人で勝手に緊張状態になっている。
俺は完璧な笑顔を浮かべ、円卓の向かいに腰を下ろした。
「まずは本日は訪問を受け入れていただき、感謝いたします。シブキ殿」
「……元猟犬部隊の隊長であり、木ノ葉の外交局長殿が、我が滝隠れに何の用でしょうか。我々は他国の者を里に招き入れることをあまり好まない。それはご存知のはずですが」
シブキが探るような視線を向けてくる。
俺は手元の鞄から数枚の書類を取り出し、テーブルの上に並べた。
「ええ、重々承知しております。本日は、新たに五代目火影が就任したことに伴う、名代としての挨拶に参りました。木ノ葉として、貴国に対する特段の政治的な要求をする意図は一切ありません」
その言葉に、シブキと背後の護衛たちが僅かに怪訝な顔をした。
「では、本当に挨拶だけだと?」
「いいえ。政治的要求はありませんが、双方の利益となる純粋な『商談』を持参しました」
俺は言葉を切り、シブキの目を真っ直ぐに見据えた。
「まず、木ノ葉の御用商人であるシラカワ商会が支援している、砂隠れの緑化計画において土壌改良に用いるための『腐葉土』。そして、波の国でミネラルウォーターとして販売するための『水』。この二つを、対価をお支払いした上で定期購入させていただきたい」
「……は?」
シブキの口から、間の抜けた声が漏れた。背後の上忍たちも、虚を突かれたように顔を見合わせている。
彼らにとって、豊かな森の土と無尽蔵に流れ落ちる滝の水は「そこら中にあるタダの物」でしかない。資源としての価値に全く気付いていないのだ。
「えっ……土と水、ですか? そんなものでよろしいので?」
拍子抜けしたシブキに対し、俺は淡々と具体的な条件を提示していく。
「土については、周辺の環境を壊さない程度の量を定期的に。水については、滝の天然水を一度煮沸消毒したうえで、一リットル単位でガラス瓶に詰めて準備していただきます。買い取り価格は、水を入れたボトル一本につき二十両をお支払いします」
「一本二十両……」
「ええ。初期のテスト販売として、月に十万本を想定しています」
俺が金額とその数量を口にした瞬間、会議室の空気がピタリと止まった。
滝の水を煮沸して瓶に詰めるだけ。それだけの作業で、毎月『二百万両』という莫大な外貨がこの長閑な里に転がり込んでくる計算になる。
シブキの顔色が変わった。驚きではなく、深い困惑と疑心暗鬼だ。
「……ヨフネ殿。失礼を承知で申し上げますが、そこまでこちらに都合が良い条件を提示されると、逆に裏があるのではないかと疑ってしまうのですが……」
シブキが言葉を選びながらも、為政者としての警戒心を滲ませて尋ねてくる。
「ただの水を詰めるだけで、それほどの大金をそのシラカワ商会とやらが支払うなど……。途中で莫大な違約金を請求されるなど、何か隠された意図があるのではないですか?」
俺は苦笑し、手で軽く制した。
「ご懸念は尤もですが、決してそのような意図はありません。双方に確実な利益が出るよう、商売として計算しているだけです」
俺はシラカワ商会の販売ルートについての資料を開いた。
「こちらの栄養豊富で、さらに微細なチャクラまでも含んだ水は、波の国や他国の富裕層に向けて『秘境の天然水』としてブランド化し、より高値で販売します。こちら側は輸送と販売の手間を差し引いても、十分に莫大な利益が確保できるのです。そちらが儲かる以上に、我々が儲かる仕組みになっていますからご安心を」
「我々以上に……」
「ええ。さらに、この水詰め作業の労働力について一つ提案があります」
俺はシブキの目を見て、懇切丁寧に告げた。
「この単純かつ安全な作業の雇用先として、戦闘で負傷し第一線を退いた忍や、戦で夫を亡くした未亡人、高齢者の方々を割り当ててはいかがでしょうか。そうすれば、里の経済が潤うだけでなく、福祉の面でも安定をもたらすはずです」
シブキの瞳が見開かれた。長として里の弱者を救う手立てに悩んでいたのだろう。俺の提案は、彼の心を掴んだようだ。
「ですが、瓶の用意や他国への運搬はどうするのです? 我々の里には、それだけの大規模な流通を担う人員は……」
「土と水の運搬については時空間忍術で巻物に保管して行いますので、問題ありません。もし、そちらで巻物に取り込んでもらえるのならば、いくらか手数料を追加で支払います。もし、それが難しいようなら、こちらから時空間忍術の使える者を派遣します。また、ガラスボトルは、我々シラカワ商会が全て用意し、再利用を前提として循環させるつもりです」
俺は書類の最後の項目を指し示した。
「そして何より、貴国が他国の人間を里内に入れることを嫌うことは理解しています。ですから、水の受け渡しは里の中ではなく、里の外……国境付近の指定場所で構いません。外部の人間を里に入れるリスクはゼロです」
そこまで聞いて、シブキは沈黙した。
提示された条件を頭の中で反芻し、どこかに罠がないか最後まで警戒して探っていたようだが、やがて木ノ葉側に他の要求が一切ないことを確信したのだろう。
彼は張り詰めていた肩の力を抜き、深く、心底からの安堵の息を吐き出した。
「……そこまで我々に配慮していただき、さらに里の民の生活まで案じてくださるとは。疑ってしまった非礼をお許しください」
シブキは少しだけ自嘲気味に笑い、静かに告白した。
「実を言うと、滝隠れにはこれといった名産がなく、里の財政については長年頭を悩ませていたのです。この条件、喜んでお受けいたします」
シブキが立ち上がり、俺に向かって右手を差し出した。
俺も立ち上がり、その手をしっかりと握り返す。
「交渉成立ですね。これから末長いお付き合いになることを期待しております」
「ええ、こちらこそ」
シブキが心からの安堵の息を吐いた直後。
俺は笑顔から、外交官として真面目な表情へと切り替えた。
「最後に一つだけ。シブキ殿、『暁』という組織をご存知ですか?」
「……名前だけは。何やら、どこの国にも属さない傭兵集団だとか」
「我々も彼らの目的など詳しいことは知りませんが……彼らは『尾獣』を狙っているそうです」
その言葉に、会議室の空気が再び鋭く凍りついた。護衛の上忍たちも驚き、シブキの顔が強張る。滝隠れにとって最大の武力は、七尾とその人柱力だからだ。
「……そうですか。ですが、人柱力は我々が守りますので、木ノ葉の手出しは不要です」
シブキが強めの口調で牽制してくる。
「誤解なさらないでください。決して『危ないからこちらで預かる』などという話をするつもりはありません。ただ、気をつけて欲しいというお願いです。得体の知れない組織に尾獣が渡ることは、忍界にとって火種にしかなりませんから」
「ご忠告は感謝します。ですが、ご安心を。滝隠れはこの自然の要塞に守られています。必ず守り抜いてみせますよ」
「それが……気をつけていただきたい理由はもう一つあるんです。我々の掴んだ情報によれば、暁の幹部には『滝隠れ出身者』が一名いるようです」
「なんだって!? その者の名前は?」
「『角都』。かつて我が木ノ葉の初代火影を襲った忍です」
角都。その伝説的な抜け忍の名前を聞いて、シブキと護衛の上忍二人が愕然と目を見開いた。
「馬鹿な……彼は生きていれば九十近い筈ですが……!」
「我々も直接見たわけではありませんし、眉唾物の話ですが……『不死身』であると聞いております」
「……里の機密となる情報源ですので詳しくはお話しできませんが、その話が本当ならそれは本人かもしれません」
シブキ殿は言葉を切り、真っ直ぐに俺を見据えた。
「つまり、この自然の要塞の抜け道や、里の内部事情に精通している忍が敵にいるということです。そのことを、どうか頭に置いておいてください」
「……そうですか。貴重な情報、ありがとうございます」
「もし、暁がこの里に現れた時には、報せをいただくことはできますか? 木ノ葉も人柱力を抱えておりますので。もちろん、こちらに現れた際にはお知らせいたします」
「それは……もちろんです。情報共有の約束は交わしましょう」
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。……今度こそ、木ノ葉からの用件は以上ですかね?」
重くなった空気を振り払うかのように、シブキが自嘲気味に笑いながら聞いてくる。
「ええ、そうですね」
「では長旅でお疲れでしょう。ささやかではありますが、ヨフネ殿たちのために会食の準備をさせております。どうか、この後はゆっくりと里の料理を楽しんでいってください」
シブキの顔には、最初の頃の緊張や警戒は欠片もなく、純粋な感謝の笑みが浮かんでいた。
「お心遣い、感謝します」
俺が一礼して、会談は穏やかに終了した。
シブキたちが会食の手配のために部屋を退出し、会議室に俺とヤマトだけが残された。
重厚な扉が閉まった瞬間、背後で微動だにしなかったヤマトが、信じられないといった顔で俺に問いかけてきた。
「……えっ、終わりですか?」
「なんだ、何か不満でもあったか?」
俺が振り返ると、ヤマトは完全に拍子抜けした表情で口をパクパクさせていた。
「いや、マッチポンプで借金漬けにするとか、逃げ道を塞いで属国化するような手は……いつ裏の顔が出るのかと、ずっとヒヤヒヤしていたんですが」
俺は呆れたように肩をすくめた。
「俺をなんだと思ってるんだ。敵対していない相手にそんな真似をすれば、無用な恨みを買って将来の火種になるだけだ」
書類を鞄にしまいながら、俺は淡々と自身の外交哲学を口にする。
「相手が望むものを的確に与え、自発的に木ノ葉へ依存させる。これが一番強固な安全保障さ。搾取するより、生かして働かせた方が結局は大きな利益になるからな」
「……」
ヤマトは引きつった笑いを浮かべ、額の汗を拭った。
「局長……やっぱりあなたは怖い人ですね」
俺は薄く笑みを返し、今日の会食へと思いを馳せた。
*
シブキ殿の案内で通された大広間には、滝隠れの誇る山の幸や川魚を中心とした、素朴だが豪華な食事が所狭しと並べられていた。
囲炉裏でじっくりと焼かれた鮎の塩焼きや、採れたての山菜の天ぷら。どれも波の国の新鮮な海産物とはまた違う美味しさだった。
俺もヤマトも長旅の疲れがあったため、出された料理に素直に舌鼓を打っていた。
だが、一つだけどうしても気にかかるものがあった。
主食として出された『米』だ。
一粒一粒が大粒で芯が太いのだが、いかんせん水分が少なく、パサついていて食味が悪いのだ。他の料理が絶品なだけに、その悪目立ちが気になってしまう。
思わず箸を止めて米の椀を見つめていると、向かいに座っていたシブキが苦笑交じりに声をかけてきた。
「ヨフネ殿は美食家でらっしゃいますね。……気付かれましたか」
「ええ。十分美味しいのですが、他が美味しいだけに少し勿体ないなと……」
俺が素直な感想をこぼすと、シブキは自嘲気味に頷いた。
「私も外で初めて他国の米を食べた時に、その美味しさに感動しました。この米は、この辺りで昔から栽培している品種でしてね。元々粒が大きく収穫量があるため重宝されていたのですが、いかんせん穂が重くなりすぎ、雨風で稲が倒れることも多かったのです」
シブキは椀の中の米粒を愛おしそうに見つめる。
「そこで、倒れにくい品種を掛け合わせて作られたのがこの米です。食味を改善しようと、外の……それこそ木ノ葉の美味しい米を仕入れて育ててはみたのですが、気候が合わないのか身付きが悪く、結局この品種を使い続けております。……ただ、あまり量は作っていないものの、酒にすると美味いんですよ」
そう言って、シブキが手元の徳利を傾け、俺の猪口に透明な液体を注いだ。
その瞬間、ふわりと果物のような華やかで甘い香りが鼻腔をくすぐった。
俺は基本的に、隙を見せないために他国や外の酒場では酒を自制している。だが、注がれた液体から漂うそのあまりにも澄んだ香りに惹きつけられ、思わず猪口を手に取り、ほんの一口だけ舌の上で転がした。
「……美味い」
驚きが声に出た。
雑味がまったく無く、水のように澄み切っているのに、後から甘さと辛さの完璧なバランスが口いっぱいに広がる。
俺は思わず箸を取り、塩焼きにされた鮎の身をほぐして口に運んだ。そして、また一口飲む。
川魚特有の微かな臭みを酒が綺麗に洗い流してくれつつも、鮎の塩味が酒の甘味をさらに引き立てる。たまらず山菜の天ぷらにも手を伸ばし、ほのかな苦味を口に残した状態でまた一口飲んだ。この酒は、山菜の苦味すらも心地よいアクセントに変えつつ、口の中には一切のくどさを残さない。
実に美味い。
無言のまま料理と酒を交互に口に運び始めたため、少し呆けたようにこちらを見ていたシブキが「美味しいでしょう?」と嬉しそうに笑いながら、空になった猪口へ再び酒を注いでくれた。
「ええ、本当に……」
俺は会釈で返しつつも、脳内では凄まじい勢いで思考が回転していた。
大粒で芯が太く、食用には向かないが、酒にすると化ける米。
一つの明確な可能性に思い至る。これは、前世の記憶にある最高峰の酒造好適米『山田錦』に近い品種なのかもしれない。
微弱なチャクラを含む美味しい天然水に、最高の酒米が揃った滝隠れ。
ここは停滞した里などではない。俺が思った以上に、途方もないポテンシャルの塊だった。
「シブキ殿。こちらの酒についても、仕入れさせていただくことはできませんか?」
俺がビジネススマイルを浮かべて切り出すと、シブキは困ったように眉を下げた。
「いや、しかし先ほど言ったように、あまり量は作れないのです。里の者の主食として育てている米ですから、酒に回せる分はどうしても少なくなってしまって……」
「でしたら、酒造に回す分の『食用米』については、シラカワ商会が市場価値の半額で定期的に提供します。皆さんの主食は、我々が確実に保証しましょう」
「いや、そこまでは……木ノ葉に損をさせてしまいます」
「その代わり、この酒の独占販売権を頂ければ」
シブキは目を丸くした。
「それは構いませんが……そんなにうちの酒に価値が?」
「もちろんです。その一升瓶一つで、八百両くらいで如何でしょうか?」
「こ、これ一瓶でですか!?」
八百両。滝隠れからすれば破格の買い取り価格に、シブキが思わず立ち上がる。
「もちろんです。千本で八十万両のお取引になります」
「こちらとしてはありがたいですが……千本で八十万両!?」
「ご了解いただけるなら、こちらも正式な契約書をお作りします」
「え、ええ。よろしくお願いします……!」
シブキは夢でも見ているかのように、何度も力強く頷いた。
「ありがとうございます。では、帰りに十本ほど購入させて頂けますか?」
「いえいえ! それくらいでしたら、こちらでご準備させていただきます!」
商談がまとまり、シブキが上機嫌で酒の手配に席を立ったその時。
背後に控えていたヤマトが、顔を引き攣らせながらコッソリと耳打ちしてきた。
「局長……そんなに即決で決めてしまって良かったんですか? 食用の米を半額で卸すなどまで約束してしまって……流石に赤字では?」
ヤマトの常識的な懸念に、俺は軽く肩をすくめた。
「ヤマト、お前も飲んでみろ。……あの綱手様なら、これほどの銘酒を独占的に味わえるとなれば、喜んで里の備蓄米を格安で卸す許可を出すさ」
「いや、僕は護衛の任務中なので」
「良いから、一口試してみろ。局長権限で許可する」
俺に猪口を押し付けられ、ヤマトは渋々といった様子で口をつける。
だが、舌に酒が触れた瞬間、彼の目がカッと見開かれた。
「こ、これは……」
「な? 凄いだろ?」
「ええ……。米で作られたとは思えないほど、果物のような澄んだ香りがしますね。それに、この料理との相性……」
完全に酒の魅力に当てられたヤマトが、生唾を飲み込む。
俺は猪口に残った最後の一滴を飲み干し、口元に満足げな笑みを浮かべた。
「水事業に加えて、特産品の酒。……予想外に実りの多い『会談』になったな」
そこへ酒瓶を抱えて戻ってきたシブキが、可笑しそうに口を挟んだ。
「今は『会食』の席ですよ、ヨフネ殿」
その温かいツッコミに、俺とヤマトが顔を見合わせて笑い声を響かせていた、まさにその直後だった。
乾いた破裂音と共に、大広間の立派な襖が勢いよく開け放たれた。
「里長! 外からお客さんが来てるって本当っスか!?」
元気な大声と共に室内に飛び込んできたのは、エメラルドグリーンの短い髪に、褐色の肌をした小柄な少女だった。その大きな瞳は、俺たち他国の人間を見つけて好奇心にキラキラと輝いている。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 勝手に会議に乱入したら、局長に怒られるってば……!」
「はぁ、はぁ……フウさん、足が速くて……」
「……ああ。彼女の好奇心による行動は、俺の蟲たちよりも予測不可能だ」
少女の背後から、滝の周辺で待機と事前調査を命じていたはずのテンテン、ヒナタ、そしてシノの三人が、完全に体力を削られた様子で雪崩れ込んできた。
どうやら、外で作業をしていた若手三人をこの少女が見つけ、「外の忍っスか!? 友達になるっス!」と強引に絡み、そのままボスである俺のところまで案内もとい突撃してきたらしい。
先ほどまでの長閑な会食の空気が一瞬にして吹き飛び、大広間が騒然となる。
だが、誰よりも顔を青ざめさせていたのは、他でもないシブキだった。
「フ、フウ!? お前、今日は絶対に大広間には近づくなとあれほど言っただろう……!」
シブキが慌てふためきながら立ち上がる。
ほんの数十分前、「人柱力はこの要塞で我々が厳重に守る」と力強く豪語していた手前、当の本人が超フレンドリーに他国の外交官の前に飛び出してきたのだから、無理もない。
慌てて警戒態勢に入ろうとしたヤマトを、俺は手で静かに制した。
そして、騒ぎの中心にいる少女――七尾の人柱力である『フウ』を、静かに観察する。
里の大人たちから向けられる「腫れ物」としての視線。それは砂隠れの我愛羅と同じはずだ。しかし、彼女の瞳には我愛羅が抱えていたような暗い狂気や、他者を拒絶する絶対的な孤独の影は微塵もなかった。
あるのは純粋に外の世界を求め、他者との繋がりを渇望する『無防備さ』だけだ。
(……なるほどな。彼女自身に悪意がないからこそ、人を疑うことを知らない)
俺は内心で冷徹に分析する。
この無邪気さ。外への強い憧れ。それこそが、彼女を里の外へと誘い出そうとする「暁」にとって、付け入る最大の『隙』になるのだと。
「里長は黙ってるっス! お客さんに挨拶するのは当たり前っス!」
フウはシブキの制止を軽く受け流すと、上座に座る俺の目の前までズイッと距離を詰めてきた。至近距離で見つめてくる瞳には、警戒心など欠片もない。
「お兄さんがこの人たちのボスっスか!?」
「……まあ、そうなるな」
「あたしフウ! 友達百人作るのが目標っス! 外の面白い話、いっぱい聞かせてほしいっス! お兄さんもあたしと友達になるっス!」
満面の笑みを浮かべ、フウは一切の躊躇いなく右手を突き出してきた。
その背後で、シブキが「ああ……もう終わりだ……」と悲痛な声を漏らし、胃を押さえて畳に崩れ落ちるのが視界の端に映る。
俺は崩れ落ちる里長を余所に、完璧なビジネススマイルを浮かべた。
「ああ、喜んで。俺は木ノ葉のヨフネだ。よろしく頼むよ、フウ」
「ヨフネさんっスね! よろしくっス!」
差し出されたその小さな手を、俺はしっかりと握り返した。
豊かな水源、極上の地酒、そしてこの無邪気な人柱力の少女。
木ノ葉にとって莫大な利益をもたらすであろう商談の成功と、やがて忍び寄る「暁」という影。明るさと波乱の予感を同時に孕みながら、滝隠れの夜は賑やかに更けていくのだった。
*
里内で一泊した俺たちは、翌朝滝隠れの里を離れた。
轟音を立てていた滝の音が次第に遠ざかり、代わりに深い森の静寂が俺たちを包み込んでいた。
「今回の視察、皆ご苦労だった」
歩きながら、俺は背後を付いてくる若手三人とヤマトに向かって口を開いた。
「ところで……『フウ』という少女についてだが、何か感じたことはあるか?」
俺の問いかけに、真っ先に反応したのはシノだった。彼は丸いサングラスを指で押し上げ、淡々とした口調で答える。
「俺の寄壊蟲たちが、かつてないほど騒がしかった。こんなことは初めてだ」
「なるほど」
「すっごく明るくて、元気な子でしたけど……ちょっと変だったかも」
シノに続いて、テンテンが腕を組みながら少し首を傾げた。
「フウちゃん本人は無邪気なのに、周りにいた滝隠れの大人たちが、どこか腫れ物に触るみたいに遠巻きにしてたっていうか……すごく気を遣ってた気がします」
「あ、あの……」
テンテンの観察を補足するように、ヒナタが少し自信なさげに口を開いた。
「私、白眼で少しだけ彼女のチャクラが見えたんですけど……なんだか、ナルト君のチャクラにすごく似ていました。なにか強大な力が眠っているような……」
そのヒナタの決定的な報告を聞いた瞬間、背後を歩いていたヤマトがピタリと足を止めた。
尾獣の暴走をも抑え込める木遁使いであり、人柱力についての知識も豊富なヤマトだ。三人の断片的な情報を頭の中で繋ぎ合わせたのだろう、驚愕の表情で俺の背中を見つめてきた。
「局長……まさか、あの子が……」
「ほぼ間違いなくそうだろうな」
俺は足を止めず、前を向いたまま淡々と頷いた。
「滝隠れが保有する『七尾』は、巨大な昆虫の姿をしていると伝えられている。シノの蟲が過剰に反応したのは、そういうことだろう」
「そんな……あんな無防備な子が、人柱力だなんて」
ヤマトが顔をしかめ、重い息を吐き出した。
無理もない。圧倒的な力を内に秘めながら、他国の忍に警戒心ゼロで「友達になろう」と満面の笑みで手を差し出してきたのだ。
人の悪意を知らない彼女は、「暁」のような尾獣を狙う組織からすれば、あまりにも容易く狩れる格好の獲物になる。
「少し、心配ですね……」
「そうだな」
俺は同意するように薄く息を吐いた。
俺にできることは、他国の人間である以上、限られている。だからこそ、先手を打ったのだ。
「シブキ殿から『暁』に関する情報共有の約束を取り付けておいて良かったよ」
俺の言葉に、ヤマトがハッとしたように息を呑んだ。
あの会談の終盤で見せた、暁と角都への容赦のない警告。それが単なる情報提供ではなく、無邪気な人柱力を守るための、木ノ葉からの防衛線を敷くための布石でもあったのだと気づいたのだろう。
「局長は、最初からそのために……」
「さて、どうだろうな。俺はただ、せっかく立ち上げた美味い酒と水のビジネスを、得体の知れない連中に邪魔されたくないだけさ」
俺は肩をすくめ、はぐらかすように笑った。
背後でヤマトが「……本当に、底が知れない人ですよ」と呆れたような、しかしどこか頼もしげな声を漏らす。
木ノ葉に莫大な利益をもたらす利益と、未来の戦いに向けた緩やかな防衛線。
確かな手応えを感じながら、俺たちは木漏れ日の降る森を抜け、一路、木ノ葉の里へと歩みを進めていった。