今回、約16,000文字あります。
木ノ葉隠れの里、火影邸。
新設された十一局体制の頂点に位置する火影執務室では、今日も五代目火影・綱手がうずたかく積まれた書類の山と格闘していた。
窓の外には活気を取り戻した里の風景が広がっているが、室内に漂うのは重苦しい静寂と、古いインクと紙の匂い。そして、終わりの見えない決裁に追われる火影の重いため息だけだ。
「――以上が、滝隠れの里での会談の顛末となります」
俺は外交局長として執務机の前に立ち、持参した報告書を読み終えた。
「砂隠れの緑化計画に必要な土については、波の国周辺からの調達の目処が立っています。そして、水についても、滝隠れからシラカワ商会で定期的に買い取ることで合意しました。これで滝隠れには安定した収入源ができ、同時に我々が彼らの財政の要を握る形になります」
「なるほどな。水資源を金に変える仕組みか。悪くない」
綱手様はペンを置き、納得したように深く頷いた。
「あとは、懸念されていた人柱力についてですが……滝隠れの長であるシブキ殿から、暁に関する情報共有の約束を確実に取り付けることができました」
「ほう。外部の人間を里に入れることすら嫌う閉鎖的なあの里が、よく木ノ葉からの干渉をすんなり受け入れたな」
「彼らにとっても暁は無視できない脅威ですからね。ただ……」
俺は無意識に眉をひそめていた。
「彼らが抱える七尾の人柱力は、非常に無邪気な少女でした。初対面の他国の忍である俺たちにすら、警戒心を微塵も見せず『友達になろう』と満面の笑みで接してくるほどです。彼女のその純粋さは人として美徳かもしれませんが、尾獣を狙う冷酷な暁からすれば、あまりにも容易く狩れる獲物になり得る。正直、不安が残ります」
俺の報告を聞き、部屋の隅で控えていたシズネも心配そうに表情を曇らせた。綱手様も腕を組み、額に深い皺を寄せて息を吐く。
「……そうか。人柱力の管理は各里の責任とはいえ、暁が動くとなれば対岸の火事では済まされない。引き続き、滝隠れとの連携は密にしておけ」
「了解しました。……さて、堅苦しい報告はここまでです。実は今回、予想外の収穫もありました」
俺は少し声の調子を変え、持参していた一本の酒瓶を取り出した。そして、綱手様の机の上に静かに置いた。
「滝隠れの里で作られている酒です。お土産にいただいてきました」
その言葉を聞いた瞬間、長時間の書類仕事で限界に達していた綱手様の表情に明らかな生気が戻った。
「おっ! 気が利くじゃないか、ヨフネ!」
「違います。これはただのお土産じゃありません。……一口だけ、飲んでみてください。いいですか、一口だけですよ?」
俺が念を押すように言うと、すかさずシズネが慌てて割って入ってきた。
「ちょっと! ヨフネ君!」
シズネは目を吊り上げ、机の上に置いた酒瓶をすぐさま奪い取った。
「綱手様が一口で終わるわけないじゃないですか! この後もまだ決裁の書類が山ほど残っているんですよ!」
「シズネ、ごめん。ただ、こればかりは言葉で説明するよりも、実際に飲んでもらった方が話が早くて……」
「全くもう……綱手様、本当に少しだけですからね! あ、ダメです! 私が注ぎますから、瓶には触らないでください!」
シズネがどこからともなく取り出した小さな盃に慎重に注ぎ始めた。
見た目は、どこにでもある普通の透明な酒だ。しかし、盃に注がれた瞬間、執務室の空気が変わった。
滝隠れの澄んだ空気と清涼な水源を思わせるような、芳醇で甘い香りがふわりと立ち上る。注ぐ段階で、すでに香りの格がまったく違っていた。
盃を顔に近づけただけで、綱手様の目の色が変わった。
そして、舐めるように一口だけ口に含む。
ゴクリと喉を鳴らした直後、綱手様は目を丸くし、低く唸った。
「……これは、ダメだな」
「え?」
シズネが不思議そうに首を傾げる。
「飲み過ぎてしまう……」
綱手様は盃を凝視したまま、火影の威厳など微塵も感じさせない切実な声で言った。
「なんだこの酒は! やはり水が違うのか? 舌触りが恐ろしく滑らかで、それでいて後味のキレが良い。……火影の仕事なんか放り出して、このまま一生飲んでいたいくらいだぞ!」
「……でしょう?」
俺はクスリと笑った。長年、世界中の酒を飲んできた綱手様がこれほど前のめりになるということは、この酒の価値は俺の計算以上だ。
「確かにこれは予想外の収穫だな。おい、ヨフネ! ちゃんと継続して仕入れられるように手配してきたんだろうな!?」
「もちろんです。ただ、滝隠れは土地柄、食用の米に余裕がないため、この酒自体あまり作っていないようでした」
「馬鹿言え! 今の木ノ葉の流通と備蓄なら、少し融通を利かせればいくらでも回せるだろう!」
綱手様が机を叩いて身を乗り出してくる。
「そう言われると思っていました。ですので、こちらの備蓄米で構わないので、相場の半値で滝隠れに販売しようと思います」
「半値だと?」
綱手様がわずかに眉を寄せた。
「いくら同盟国への農業支援名目とはいえ、備蓄米をそこまで安く卸すのはやりすぎじゃないか? ご意見番の監査がうるさいぞ」
「その代わり、この極上の酒の独占販売権を木ノ葉……正確にはシラカワ商会に認めてもらいました」
俺がそう告げると、綱手様は一瞬ぽかんとし、すぐにすべてを理解したようにニヤリと笑った。
「それなら文句は言えんな。この味と香りの酒なら、買う奴はいくらでもいる」
「そうですね。ですので、滝隠れには一瓶800両で買付の申し出をしました」
「お前……それは詐欺だろう!」
綱手様が呆れたように声を上げた。
「こんな代物、2000両で吹っかけたって買う奴は世界中に腐るほどいるぞ!」
「ええ、だからこそ、こちらから出す米を半値にしたんですよ」
俺は肩をすくめた。
「あちらは食糧不足とまでは言いませんが、決して余裕があるわけではありません。高い金で買い取られるよりも、日々の糧となる米を安く確実に提供した方が、里の者たちは助かりますし、木ノ葉への心証も良くなる。これで滝隠れの食糧事情も少しはマシになるでしょう」
ただ利益を搾取するのではなく、相手の生活の根底を支える。それが結果的に強固な信頼を生む。
「それに、米の恩を売っておけば、万が一暁が動いた時、彼らも木ノ葉を頼りやすくなりますからね」
「ふん、何ともまあ抜け目のない優しさだな。その優しさに、他国はまんまと乗せられるわけだ」
綱手様は満足げに笑い、盃に残っていた酒を飲み干した。
「うむ。木ノ葉の備蓄米を、かなり抑えた金額でシラカワ商会の方に卸してやろう。監査連中がうるさく言ってきたら、火影の権限でねじ伏せてやる」
「ありがとうございます。これで合法的に大量の米の流通を動かせます。……それで、これだけの米が一気に動くということは」
俺が声を潜めると、綱手様の瞳に火影としての鋭い光が戻った。酒を愛する呑兵衛の顔から、一国の長としての顔への切り替えだ。
「そろそろ、タイミングだな」
「はい。条件は整いました。……暁の資金を巻き上げてやりましょう」
執務室の窓から差し込む光を背に、俺と綱手様は、次の一手を見据えて静かに口角を上げた。
*
波の国、シラカワ商会の一室。
窓から吹き込む潮風には、どこかピリついた空気が混ざっていた。
眼下に見下ろす商会周辺には、ものものしい警戒態勢が敷かれている。約一カ月前、草隠れと覚書を交わした直後に『侵入者』をわざと逃がして以来、表向きの警備は最高レベルに引き上げられていた。
「サイ」
俺が声をかけると、背後の影から音もなく彼が姿を現した。
「これを、波の国に滞在している草隠れの商人に届けてくれ。先日交わした約束通り、『新商品の内容と発表時期』を詳細に記した書面だ」
俺は机の上に用意しておいた封筒を、サイに向けて滑らせた。サイはそれを受け取ると、少しだけ首を傾げた。
「草隠れは信じますかね?」
「信じるさ。奴らは、自分たちが木ノ葉を完全に出し抜いた勝者だと錯覚しているからな」
俺の答えに、サイは短く「了解しました」とだけ応え、姿を消した。
今回草隠れに渡す新商品の情報。それは、米を特殊な工程で加工し、栄養価を高めた代物だ。いざという時は水を入れるだけで食べられる。ただし、加工の段階でロスが発生するため、通常よりも大量の米を必要とする。
覚書を交わす前に情報を掴んだ気になっている草隠れは、木ノ葉が後手後手に回っていると完全に信じ込むはずだ。あとは、彼らが勝手に欲をかいて動いてくれるのを待つだけだ。
*
波の国の裏通り。
大通りから一本裏に入ったこの街の二等地ともいえる場所に構えた商会の中で、商人に扮した草隠れの元締めは、手元の紙片を見つめて低く笑いを漏らした。
「……木ノ葉の焦りが見えるな」
彼の机の上には、二つの資料が並べられている。一つは約一カ月前に部下がシラカワ商会の倉庫から命がけで盗み出してきた情報。もう一つは、たった今、木ノ葉の使いが恭しく届けてきた真新しい書面だ。
「元締め、それは……」
先日、商会の警備網を掻き潜って生還した部下の忍が、息を呑んで身を乗り出した。
「ああ。お前が体を張って掴んできた新商品の情報と、内容が一致している」
元締めは二つの情報を並べ、薄暗い部屋の中で目を細めた。
「奴ら、お前に逃げられてから慌てて商会の警備を強化したようだが、肝心の情報が既に抜かれていることには微塵も気付いていない。木ノ葉の外交局長は『約束通りに』などと馬鹿正直にこの機密と発表時期を渡してきた」
「ということは、やはりこんな米をシラカワ商会は開発したということですか……。自分で取ってきた情報とはいえ、そんなことが可能なのかと少し疑ってましたが杞憂でした」
盗み出した情報と、公式に渡された情報。二つから同じ事実が確認できたことで、元締めの頭から罠かもしれないという疑念は完全に消え去っていた。
書面に記されているのは、水を入れるだけで食せる高栄養の米の加工技術。
「これで、この技術が本物であることは確定した。加工の段階でロスが出るとなれば、奴らは今後も大量の米を買い漁ることになる。相場が上がるという予測は確実だ」
「では、すぐに我々の資金で米の買付に動きますか?」
「ああ。だが……それだけではもったいない」
元締めの目が、泥沼のような貪欲な光を帯びた。
「この情報を他所に売れば、情報料と米の利益で二重に儲かる。それに、大口の買付が増えれば増えるほど米相場はより高騰し、結果的に我々の手元にある米の利益も跳ね上がるという寸法だ」
問題は、この情報をどこに売るかだ。
大蛇丸に持ち込むのが一番手っ取り早いが、接触が木ノ葉にバレれば制裁を受けかねない。岩隠れに売るという手もあるが、岩は波の国と距離的に離れ過ぎている上、この島に商会を置いていない。今から商会を作っていては間に合わないため、情報の売り先としては不適格だ。
「……『暁』はどうだ?」
元締めが呟いた。
最近、何かと売り込みをかけてくる傭兵集団『暁』。彼らは各地で戦争や裏工作の代行を行うことで豊富な資金を持っており、この波の国にも隠れ蓑にしている商会を通じて手を伸ばし始めている。彼らなら、この情報を高値で買い取り、即座に相場を動かせるだけの力がある。
「決まりだ。里に掛け合って暁の窓口に接触しろ。同時に、我々の手持ち資産もすべて換金し、全力で米を買い占めるぞ」
元締めは暗い部屋の中で、己の描いた完璧な青写真に酔いしれていた。
*
「……草隠れからの情報、間違いないのだろうな」
どこかの冷たい石造りの地下室。
カビの匂いと、大量の札束が放つ紙とインクの匂いが混ざり合う空間で、机の上に積まれた膨大な帳簿を前に、暁の金庫番である角都は緑色の瞳を冷酷に光らせていた。
「は、はい。草隠れの忍がシラカワ商会から得た情報と、木ノ葉から裏で渡されたという書面の写しです。情報料としてそれなりの額を要求されましたが……」
「それに見合う情報でなければ、その対価を支払ってもらうだけだ」
角都は長きにわたり、裏社会で数え切れないほどの金を扱ってきた。他人が持ち込む儲け話など、基本的にはすべて詐欺だと思っている。だからこそ、徹底的な裏取りを行うのが彼の流儀だった。
「隠れ蓑にしている商会からの報告を照らし合わせろ」
角都の指示に従い、暁が波の国に配置している商会からの動向調査が報告される。
「ここ数日、夜間に人目を避けるようにして、木ノ葉からシラカワ商会宛に大量の荷が運び込まれているのを確認しました。積荷の目録は偽装されていましたが、重量と荷姿からしてほぼ米で間違いないようです」
その報告を聞き、角都は静かに帳簿を閉じた。
情報の裏は取れた。草隠れからもたらされた情報は本物だ。
(だが、なぜ木ノ葉は草隠れのような輩に、新商品の情報を与えた?)
角都の老獪な思考が素早く回転する。
雲隠れ、岩隠れ、大蛇丸。現在の各国の動向に軍事的な動きはない。
(木ノ葉は草隠れに確実な利益を与え、完全に取り込もうとしているのか)
木ノ葉があえて相場高騰の情報を草隠れに掴ませ、甘い汁を吸わせることで他国からの離反を促す算段だろう。草隠れが欲をかいて情報を他所に売り飛ばすことまでは、木ノ葉も計算していなかったに違いない。
「……面白い」
角都の口元が、覆布の下で三日月型に歪んだ。
木ノ葉の政治的思惑など、暁には関係ない。角都にとって重要なのは、確実に米相場が高騰するという事実だけだ。ここで一気に資金を投入し、相場を操作すれば、莫大な利益を生み出すことができる。
「おい」
角都は命令を下した。
「波の国に点在している隠れ蓑にしている商会に金目の物をすべて売却するよう伝えろ。即座に銭に換えるんだ」
「す、すべてですか!? しかし、それでは商会の運営が……」
「構わん。組織の裏金は別の隠し場所にある。それに、相場が上がりきったところで米を売り抜ければ、こんな商会などいくつでも買い戻せる。急げ」
九十年の経験から導き出された確信。角都は決断を下し、莫大な資金が波の国の市場へと雪崩を打って動き始めた。
*
波の国、シラカワ商会本部。
最上階に位置する執務室のデスクには、今日も分厚い報告書が積み上げられていた。
「計画通りですね。草隠れ、そして波の国に点在する暁の息のかかった商会が、土地や蔵の権利、現物資産を急速に売却し、現金化を急いでいることが確認されました」
過労気味の目を少しだけ細めながら、シラカワ商会代表代行であるうちはイズミが報告を読み上げる。
俺は頷き、手元にある一冊の規約書を静かに捲った。
それは約一年ほど前、波の国を経済要塞化する過程で新たに制定し、大々的に導入を発表した『波の国商品取引所』の取り決めを記した書物だ。
「現金化された彼らの資金は、すべて米の『先物枠』の買いに突っ込まれているな?」
「はい。見事なまでに全額、一両残らずです」
イズミの言葉に、部屋の隅で護衛として控えていたヤマトが、腕を組んだまま難しそうな顔で首を傾げた。
「あの……お二人が嬉しそうなのは分かるんですが、俺にはどうもその『取引』のルールがよく理解できていなくて。手持ちの資金をすべて米の買いに突っ込んだ、というのは分かるんですが、なんで彼らは現物の米を商会の倉庫に運ばないんですか?」
忍としての常識しか持たないヤマトにとって、帳簿上の数字だけで完結する波の国の経済システムは、忍術か詐欺のように見えるのだろう。
俺が苦笑すると、イズミが壁に立てかけられた黒板の前に立ち、さらさらと図解を描き始めた。
「ヤマトさん、簡単に説明しますね。まず『先物取引』というのは、『将来の指定された日に、あらかじめ決めておいた価格で品物を売買する』という約束を交わす取引のことです」
「将来の約束……?」
「ええ。例えば商人目線で考えてみてください。船で数ヶ月かけて物資を運ぶ間、海難事故や天候不順で品物の市場価格が乱高下するリスクがありますよね。でも、事前に『三ヶ月後にこの価格で売る』と確定させておけば、暴落した時の大赤字を防ぐことができる。本来は、そういう商人のための『価格の保険』なんです」
ヤマトが「なるほど」と頷く。
「ここからが本題です。波の国の取引所では、この先物取引を行う際、『証拠金取引』というルールを導入しています」
イズミは黒板に『一五パーセント』という数字を大きく書き込んだ。
「取引金額の全額を支払う必要はありません。総取引額の十五パーセントの『証拠金』を手付として預けるだけで、満額の取引を成立させることができる仕組みです」
「……えっと、つまり?」
「手元に百五十万両しかない商人でも、取引所にそれを預ければ、一千万両分の米を買う約束ができる、ということです。そして指定日になっても、実際に大量の米を引き渡す必要はありません。買った時の価格と、指定日の価格の『差額』だけを、波の国の帳簿上で書き換えて決済するんです」
ヤマトの目が徐々に見開かれていく。そのシステムの恐ろしさに気づき始めたようだ。
「……少額の資金で、何倍もの規模の取引ができる仕組み、ということですか。じゃあ、暁は今……」
「ええ」
俺はデスクの上に両手を組み、冷たい笑みを浮かべた。
「あの金庫番は、手持ちの資金の約七倍近い米の『買い先物枠』を握っている。差金決済の梃子の原理を利用して、利益を極限まで膨らませようとしているんだ」
「なるほど……それで現物が動かないわけですね」
ヤマトは納得したように息を吐き、しかし、すぐに別の疑問に直面したように眉をひそめた。
「ちょっと待ってください。確かに手持ちの何倍もの取引ができるのは凄いですけど……もし本当にその通りに米の相場が値上がりし続けたら、暁の資産を何倍にも増やしてしまうことになりませんか?」
真面目なヤマトらしい、至極真っ当な疑問だ。
俺は言葉を返さず、イズミの方を向いた。イズミもチョークを置き、こちらを見ていた。
俺たちは一切の言葉を交わすことなく、ただ同時に、静かに口角を吊り上げた。
「……あ、これ、絶対に関わっちゃダメなやつだ」
ヤマトは俺たちの顔を見て何かを察したのか、そっと視線を逸らして窓の外を眺め始めた。
*
数日後。波の国の中央広場は、むせ返るような熱気と怒号に包まれていた。
「シラカワ商会からの公式発表だ! 米を使った新製品『栄養米』の製造を開始するぞ!」
「水を入れるだけで食える保存食だと!? なんだそれは!」
「しかも製造過程で大量の米を消費するらしい! 米の需要が爆発するぞ! 買え、市場の米をすべて買い占めろ!」
広場に設置された高札の前で、商人たちが血走った目で怒号を交わしながら取引所へと殺到していく。
その熱狂を、裏路地のじめじめとした暗がりから見下ろしている男たちがいた。草隠れの商人に扮した元締めとその部下たちである。
「……見ろ。すべて我々が事前に掴んでいた情報の通りだ」
元締めは歓喜に顔を歪ませ、拳を強く握りしめた。
新製品『栄養米』の発表。それは、彼らが木ノ葉の倉庫から盗み出し、ヨフネから渡された情報と違わぬものだった。
発表と同時に、米の相場は凄まじい勢いで高騰を始めた。
この初期の段階で莫大な利益を手にしたのは、ごく一部の者たちだけだ。たまたま米の買付を行っていた運のいい一般の商屋。そして、事前に情報を掴んでいた草隠れと、暁の息のかかった商会である。
「元締め! 米の価格が上がりすぎて、値幅の制限に達し、取引所が強制的に取引を停止しました!」
情報収集に走っていた部下が、息を切らせて駆け込んでくる。
急激な価格変動を防ぐための取引停止。それほどまでに、市場は米を求めて狂乱しているのだ。
「いいぞ……もっと上がれ。再開すればさらに価格は跳ね上がるぞ!」
「しかし元締め、我々はすでに手持ちの資金をすべて米の証拠金に突っ込んでいます。これ以上は……」
「馬鹿野郎! こんな確実な儲け話があるか! 里の運営資金でも何でもいい、かき集めてこい! 取引が再開された瞬間に、追加の証拠金を入れてさらに『買い』の注文を入れるんだ!」
元締めの目は、完全に欲に血走っていた。
買いたくても買えないという状況が、彼らの「もっと儲かるはずだったのに」という射幸心と焦燥感を極限まで煽り立てているのだ。
「木ノ葉の外交官ヨフネとやら……本当にご苦労なことだ。我々にわざわざ莫大な利益を運んできてくれたのだからな!」
相場が高騰しきった危険な高値圏で、さらに借金をしてまで買い増しに走る。それが投資の素人が陥る典型的な破滅の行動であることも知らず、草隠れの者たちは自分たちの勝利に酔いしれ、歓喜の祝杯を上げていた。
*
一方その頃。波の国の地下深く、暁の商会が隠れ蓑とする部屋。
冷え切った地下室には、古い札束とカビの饐えた匂いが充満していた。角都は机に積み上げられた帳簿を前に、緑色の瞳を静かに光らせていた。
「角都様、米の相場が値幅の上限を記録しました。我が商会の帳簿上の利益は、すでに投じた資金の数倍に膨れ上がっています」
「分かっている」
部下の興奮した報告にも、角都の声は冷徹なままだった。
草隠れを中心とした商会連合の動きにより、相場は確かに爆発している。普通であればここで利益を確定させて祝杯を上げるところだが、角都は違った。
九十年の長きにわたり、金と命を天秤にかけてきた男だ。目先の利益に浮かれることなく、彼は波の国中に放っていた情報員から「裏の動き」を集めさせていた。
皆が米相場に熱狂し、取引所に群がっている中、一人の部下が足早に部屋に入ってきた。
「角都様。シラカワ商会の裏手を見張らせていた者から、奇妙な報告が上がりました」
「言え」
「波の国の外れにある、潰れかけの小さな商屋――かつて忍向けの『兵糧丸』を製造していたが、後継者がいなくて休業状態だった工房に、木ノ葉の忍が密かに出入りしているのを確認しました」
角都の目が、スッと細められた。
「木ノ葉の忍だと? なぜ分かった」
「工房に出入りしていたのは、元々その商会と取引のあった顔馴染みの商人の姿でした。しかし、我々の別の情報網によれば、その商人は数日前から別件で茶の国へ出向いており、現在波の国にはいないはずなのです」
「……なるほど。波の国にいないはずの商人が、兵糧丸の工房に出入りしている。変化の術か」
角都の口元が、覆布の下で三日月型に歪んだ。
(木ノ葉の奴らめ。草隠れのような小悪党に『栄養米』の情報を流して目眩ましにしつつ、裏では栄養米を兵糧丸に転用する手筈を整えていたか)
点と点が繋がり、角都の中で一つの明確な意図が浮かび上がった。
兵糧丸への転用。それは、単なる保存食とは桁が違う需要を生み出す。各国の軍事予算が直接流れ込むことになり、米の価値は今の比ではなくなる。
木ノ葉は草隠れを隠れ蓑にしつつ、この莫大な利益を自国だけで独占するつもりなのだ。
「詰めが甘いな、木ノ葉。変化の術の綻びから、この俺に真実を辿り着かれるとは」
角都は、自らの高度な情報網と推理力によって、誰も知らない木ノ葉の裏の思惑を暴き出したという全能感に満ちていた。
他人が持ってきた情報は疑うが、自分が自ら裏取りをして導き出した真実には、疑いも持たない。経験則がもたらす、絶対的な過信。
「角都様、いかがなさいますか」
「さらなる値上がりが確実となった。隠し蔵の三割を追加の資金として引き出せ。取引が再開され次第、追加の手付金として突っ込み、買いの枠を限界まで広げる」
角都の決断に、部下が少しだけ躊躇うように尋ねた。
「あの……この情報、情報の提供元である草隠れには流しますか?」
「ふん」
角都は、心底見下したような低い声で鼻で笑った。
「馬鹿を言え。草隠れの連中など、相場を釣り上げるためのただの養分だ。有象無象に餌をやる義理はない。暁が、すべての利益を横取りする」
薄暗い地下室で、角都はさらなる富を確信し、冷たく笑う。その視線の先にある帳簿の数字だけが、静かに、そして確実に膨れ上がり続けていた。
*
波の国、シラカワ商会本部。
先週から狂乱状態に陥った米相場は、今もなお天井知らずの異常な高騰を続けていた。取引所の窓口には連日、莫大な利益を夢見る商人たちからの買い注文が殺到し、すでに処理能力の限界を超えて捌ききれない状態に陥っている。
中でも、この高騰を誰よりも早く察知し、証拠金を限界まで積んで買い枠を広げていた草隠れや付き合いのある取り巻きのような商会、そして暁の息のかかった商会は、帳簿上で天文学的な利益を叩き出していた。
「タシ。草隠れの連中には、例の書状を確実に届けたな?」
執務机から窓の外の喧騒を見下ろしながら、俺は背後に控える部下に確認を入れた。潮風を含んだ重い空気が、開け放たれた窓から執務室へと流れ込んでいる。
「はい、局長。草隠れの元締めへ直接手渡しております。ですが……彼らの動きに変化はありません。取引が再開されるたびに追加の買い注文を入れています」
「そうか。欲に目が眩むというのは、救いようがないものだな」
俺は冷たく息を吐き、手元の書類から視線を外した。
草隠れに送り届けた書状には、「これ以上の投機的な買い占めは市場を混乱させるため、直ちにやめてほしい」という、木ノ葉からの忠告が記されている。もちろん、彼らを破滅から救うために送ったわけではない。
これは後日、彼らが全財産を失って路頭に迷った際、「我々は事前に警告した。だが彼らが自らの欲で暴走し、自滅したのだ」という、完璧な外交上のアリバイを作るための事務的な手続きに過ぎない。
「これで、木ノ葉としての義理は十分に果たした。これ以上、彼らの自滅に付き合ってやる必要はない」
「はっ。それでは……」
「ああ。まずは第一波だ。シラカワ商会の公式発表として、新商品の材料を一般市場からではなく、各国の古い備蓄米から専用ルートで調達すると発表しろ」
「承知いたしました。その後は?」
「霧の海運会社の碧、そして綱手様と、雲のマブイ殿、そして例の所に至急連絡を入れろ。……奴らが第一波の下落を一時的なものと勘違いし、欲をかいてさらに手付を積み増したその翌日――一斉にトドメを刺す」
俺の静かな命令に、タシは深く一礼し、影のように静かに部屋から消えた。
さあ、狂乱の宴を終わらせよう。
*
同日午後。
波の国の裏通りにある隠れ家には、じめじめとした湿気とカビ、そして安酒の饐えた匂いが澱むように充満していた。その薄暗い部屋の中で、草隠れの元締めはシラカワ商会の第一波の発表を受け、下卑た笑い声を上げていた。
「元締め、木ノ葉が新商品の材料を専用ルートで調達すると発表したことで、相場が少し値を下げていますが……」
「くくっ、慌てるな! これは木ノ葉の苦し紛れのハッタリだ! 『これ以上価格を釣り上げるのはやめてくれ』と泣きの書状を入れてきた直後にこれだぞ。奴らはどうにかして相場を冷やし、安く米を買い叩こうと必死なのだ!」
元締めの目には、完全に欲のフィルターがかかっていた。高騰しきった相場が少し下がったことすら、自分たちに有利な絶好の買い場だと都合よく解釈しているのだ。
「木ノ葉の揺さぶりに乗るな! むしろ安くなった今こそ買い増しの好機だ! かき集められるだけの資金をすべて証拠金として突っ込み、さらに米を買い上げろ! 明日になればハッタリだとバレて、再び価格は跳ね上がるぞ!」
彼らは自ら追加の担保を用意してまで泥沼に足を踏み入れ、狂ったように笑い続けた。
*
暁の商会が隠れ蓑とする部屋。
冷え切った石造りの空間には、古い札束とインクの特有の匂いが立ち込めていた。角都は机に積み上げられた分厚い帳簿を前に、緑色の瞳を静かに光らせていた。
「角都様、シラカワ商会が専用ルートでの調達を発表したことで、相場が下落に転じました。いかがなさいますか」
「静観しろ」
部下の報告にも、角都は余裕の笑みを崩さなかった。
「木ノ葉の姑息なブラフだ。一時的に市場に恐怖を植え付けようとしているが、兵糧丸に転用する以上、奴らの専用ルートだけで全軍の需要を賄い切れるはずがない。いずれ一般市場の米にも手を出さざるを得なくなる」
「では、この下落は……」
「ただの押し目だ。恐怖に駆られた素人どもが手放した枠を、我々が底値で拾い上げる。明日には再び相場は反転するだろう」
己の九十年におよぶ経験と分析力への絶対的な自信。角都は完全に、相場を支配したつもりでいた。
――そして、運命の翌朝がやってきた。
取引所の開場と同時。
角都の目論見通りに相場が持ち直すかと思われた矢先だった。
「――か、角都様ッ!!」
部屋の扉が乱暴に開け放たれ、情報収集に出していた部下が、顔面を蒼白にして転がり込んできた。異常なまでの焦燥感に、角都はわずかに眉をひそめた。
「騒がしいな。なんだ」
「たった今……雲隠れ、霧隠れ、波の国、さらには米の一大産地である茶の国までもが……自国の巨大な備蓄米を、一斉に一般市場へ放出すると同時発表しました!!」
「……は?」
角都から、初めて余裕の消えた素っ頓狂な声が漏れた。
五大国のうちの主要な勢力たちが足並みを揃え、市場に米を叩き売る。それはつまり、需要が萎みかけていた市場に、天文学的な量の供給が津波のように押し寄せることを意味していた。
「な、なんてことだ……。木ノ葉が買わない上に、他国が備蓄米を一斉に吐き出すだと……? 米の価値が、ただの紙屑に……!」
「か、角都様! 相場が……相場が崩壊しています! 昨日の下落など比ではない速度で暴落し……今は完全に値幅の下限に張り付いています! 誰も、米を買おうとしません!!」
部下の絶叫が、地下室に虚しく響き渡る。角都は立ち上がり、信じられないものを見る目で部下を睨みつけた。
「売れ! 今すぐ手持ちの買い枠を手放して精算しろ! 多少の損害は目を瞑る、急いで逃げろ!!」
「む、無理です! 値幅の底で売りたくても買い手がいないんです! 取引が一切成立しません!! 昨日、安値だと勘違いして追加で抱え込んだ買い枠のせいで、被害はさらに……!」
売れない。逃げられない。価格だけが、恐ろしい速度で奈落の底へ落ちていく。
その時、部屋に設置された波の国取引所に張り付かせている部下から、忍鳥による文が届いた。別の部下が震える手で文を広げ、そして、絶望で顔を歪めた。
「か、角都様……。取引所からの、緊急通達です」
部下の声は、完全に震えていた。
「相場の歴史的暴落により、我が商会の口座残高は……規定の維持率を大きく下回りました。これより資産の強制没収を実行するとのことです」
「な、に……?」
「……さらに、手付金だけでは暴落の損失をカバーしきれず、残った損失額は追加の担保として……直ちに波の国へ支払うよう、莫大な請求が……!」
角都の足から、ガクンと力が抜けた。
帳簿上の差金決済。少ない資金で何倍もの取引ができる仕組み。それは相場が予想と逆に動いた時、手元の資金をすべて失うだけでなく、担保を遥かに超える莫大な借金を背負わせるという、悪魔の牙だったのだ。
しかも角都は、昨日の第一波の下落を好機だと勘違いし、自ら傷口を広げてしまっていた。暁が波の国に集めた莫大な活動資金は、たった今、消し飛んだ。それどころか、巨大な負債が、組織に重くのしかかったのだ。
「……ヨフネェェェエエエエエエエエエエエエエッ!!!!」
冷え切った地下室に、九十年の人生でこれほどまでに屈辱と絶望に塗れたことはない、角都の血を吐くような咆哮が轟いた。物理的な打撃など一切ない。ただ、彼は何よりも大切にしていたはずの金を奪われた。
*
波の国、草隠れが拠点としている裏通りの隠れ家。
部屋の空気は、前日までの熱狂が嘘のように冷え切っていた。テーブルに散乱する帳簿と、取引所から届いた無慈悲な通達の紙片。
「……消えた。俺たちの金が……一瞬で……」
草隠れの元締めは、虚ろな目で宙を見つめていた。
昨日の下落を絶好の買い場だと勘違いし、里の運営資金や集められるだけの銭をすべて追加の手付金として突っ込んでしまった。そして今朝、各国の巨大な備蓄米の一斉放出によって相場は崩壊した。
価格の急落により、彼らの手元に残ったのは、帳簿上の莫大な大赤字だけだ。
「元締め……取引所からの通達です。『即時、追加の担保を納めない限り、買い付けた権利は破棄される』と……」
「そんな大金……今すぐ用意できるわけがないだろうがッ!」
元締めは頭を抱え、獣のようなうめき声を上げた。
払えなければ、資産の強制的な没収が実行される。彼らが預けていた巨額の担保は、すべて波の国の市場の利益として吸い上げられてしまう。
木ノ葉の機密を盗み出し、完全に出し抜いたと慢心していた。暁という巨大な組織にも情報を売り、二重に利益を貪るはずだった。
だが、その強欲がすべての判断を狂わせたのだ。
「里の……里の利益を、失った……。俺たちは……どうすればいいんだ……」
窓の外から聞こえる波の音だけが、絶望に沈む愚者たちの耳に虚しく響き続けていた。
*
「ははは……消えた」
波の国の地下深く。冷え切った石造りの部屋で、角都は乾いた笑いを漏らした。
目の前にある帳簿の数字は、もはや意味を成していない。暁が波の国に配置していた隠れ蓑の商屋の活動資金が、たった一晩で完全に溶けてなくなったのだ。
「まさか、最初から……俺たちを狙った罠だったのか……! ヨフネェ!!」
九十年の経験を持つこの俺が、小童の張り巡らせた策に自ら飛び込んだというのか。
だが、角都の緑色の瞳には、まだ絶望は宿っていなかった。
(……忌々しいが、追加で突っ込んだ資金は隠し蔵の三割にとどめた。本国に残した七割がある限り、暁という組織自体が崩壊する事態だけは避けられた)
老獪な彼のリスク管理が、首の皮一枚で致命傷を避けたのだ。だが、それでもかつてない大損害であることに変わりはない。ヨフネに対する個人的な殺意が、心の中で黒い炎となって燃え盛る。
「……こうなれば、力技だ」
角都は立ち上がり、覆布の下でギリッと歯を鳴らした。
「波の国の倉庫群を襲撃し、持ち込まれた米をすべて焼き払う。供給を物理的に絶てば、暴落した相場を無理やりにでも吊り上げることができるはずだ」
相場の理屈が通用しないなら、暴力で市場そのものを破壊する。それが裏社会を生き抜いてきた猛者の冷酷な決断だった。
だが、彼が部下に指示を出そうとしたその瞬間。
「た、大変ですッ!!」
扉を蹴破るようにして、見張りの部下が血相を変えて飛び込んできた。
「なんだ! 騒々しい!」
「我々が抱える隠れ蓑の商屋のほとんどに……波の国の警務隊による強制査察が入っています!!」
「なに?」
角都の目が驚愕に見開かれた。
「しかも、ただの警務隊ではありません! 木ノ葉の猟犬部隊たちや霧隠れの暗部らしき忍が完全武装で周囲を取り囲んでいます! 倉庫群の周辺にも、蟻の這い出る隙間もないほどの厳重な警戒網が……!!」
「…………ッ」
角都は息を呑み、そして全てを理解した。
ヨフネという男は、角都が追い詰められれば必ず力技に出ることまで完全に先読みし、相場を崩壊させる前から、すでに圧倒的な武力を配置して待ち構えていたのだ。
しかも、木ノ葉の部隊だけでなく、同盟国とはいえ他国の軍隊である霧隠れの暗部までが、波の国に我が物顔で展開している。一介の外交官が、どうして他国の暗部まで手足のように動かせるのか。
盤面の上で徹底的に敗北しただけでなく、この状況をひっくり返す暴力の行使すらも、あらかじめ完全に封じられていた。
(化け物め……!)
もはや一矢報いる隙すら存在しない。ここで時間をかければ、間違いなくこの場所にもやって来てしまう。
「……くそっ!!」
角都は長い人生で最も苦々しい怒号を叩きつけた。
「金目の物だけをかき集めろ! 商会の権利書はすべて燃やせ! 痕跡を消して、今すぐここから逃げるぞ!!」
手足として使っていた商会を躊躇なく見捨て、角都は姿を消した。
*
シラカワ商会本部、最上階の執務室。
「約束が違うではないか! 我々は、木ノ葉から確実に相場が上がると聞いていたのだぞ!」
執務机の前に立つ草隠れの使者が、血走った目で唾を飛ばしながら声を荒らげた。
木ノ葉から与えられた情報を他国へ裏切り行為として売った挙句、自らの欲で大赤字を抱えたというのに、どの口が被害者面で抗議をしているのか。
俺は椅子に深く腰掛けたまま、冷徹な視線で男を見据えた。
「私は事実しか言っていない。『栄養米』を開発したこと、そしてその製造過程で大量の米が必要になるのは事実だ。そして、相場は上がったじゃないか」
「そ、そんな詭弁が……!」
「詭弁ではない。裏切って他国に情報を漏らし、身の丈に合わない買い占めに走ったのは、お前たちの強欲のせいだ」
俺の静かで重みのある声が、執務室の空気を凍てつかせる。
「俺たちの制止も無視し、勝手に泥沼に足を踏み入れた。違うか?」
「うぐ……ッ」
使者は言葉に詰まり、ギリッと唇を噛み締めた。これ以上木ノ葉を責める大義名分など、彼らには最初から存在しない。
草隠れは完全に敗北した。多額の負債を抱え、次は絶対に失敗できないという致命的な状況に追い詰められている。
「……だが条件次第では、今回の損失の一部をカバーしてやっても良い」
俺が不意にそう告げると、使者は弾かれたように顔を上げた。
「本当か?」
男の口から、焦燥とすがりつくような思いが混じったタメ口が漏れた。
俺は言葉を返さず、ただ無言で彼を見つめた。
室内の温度が急激に下がったかのような錯覚。俺の全身から放たれる底冷えするような圧力に当てられ、使者の顔からみるみるうちに血の気が引いていく。
「ん? 本当か、とはどういう意味でしょう?」
「……す、申し訳ありません。本当、でしょうか……?」
使者は震える声で敬語を絞り出し、深く頭を下げた。
「俺の言葉を疑うのか? 俺はお前たちと違って、これまで一度も嘘をついていないぞ」
「し、失礼いたしました……! どうか、どうか我々の里をお救いください……!」
床に這いつくばらんばかりの勢いで頭を下げる使者を見下ろし、俺は淡々と条件を突きつけた。
「草隠れの上層部から『草の実』を全て一掃すること。そして、こちらの指定した人員に変更すること。さらに、その上層部には木ノ葉の忍も配置する。それだけだ」
『草の実』とはいわゆるタカ派であり、この波の国に来ている者達はほぼ全員が『草の実』だと調べはついている。彼らを完全に排除すれば、草隠れは軍事的な牙を失い、後顧の憂いを絶つことができる。
「…………なっ」
使者は信じられないものを見る目で俺を見上げた。
それは、莫大な借金の肩代わりと引き換えに、里の主権を丸ごと木ノ葉に引き渡せという、事実上の国盗りの宣言に他ならない。
「そ、それはあまりにも……! それでは草隠れは、木ノ葉の属国も同然ではないか!」
「嫌なら、そのまま破産するだけだ」
俺は机の上の書類を揃え、交渉を打ち切るように立ち上がった。
「お前の一存で決められないのなら、里へ持ち帰って相談しろ。……だが、没収の期限は迫っている。あまり待つ気はないがな」
絶望に染まった使者は、もはや反論する気力すら奪われ、亡霊のような足取りで執務室を出て行った。
扉が閉まる音を聞きながら、俺は冷たく口角を吊り上げた。
NARUTOの世界の文明はチグハグなので、調整が難しいですね。
江戸時代にはすでに堂島米会所という市場が存在していましたので、そちらをモデルとしながら執筆しました。
細かい部分については、そういうものだと目をつぶって頂けましたら幸いです。