『決勝戦! うたたねヨフネ対不知火ゲンマ!』
西日が差し込む闘技場に、審判の声が木霊する。
準決勝の熱狂が嘘のように、会場全体が固唾を飲んで静まり返っていた。誰もが期待しているのだ。先ほど日向の天才を一撃で沈めた、あの轟音と閃光――「電磁砲」の再演を。
だが、フィールドに立つ俺の心中は、観客の期待とは裏腹に冷え切っていた。
(……右腕が、もう限界だ)
ポケットの中で握りしめた右手は痙攣し、感覚が麻痺している。酷使した右腕からは微かに焦げた肉の匂いが立ち上り、神経が焼けるような激痛が断続的に走っていた。これ以上あの高出力の術を使えば、腕そのものが炭化して完全に使い物にならなくなるだろう。
チャクラ残量も残り二割。対して相手は、アスマとの戦いで肉弾戦が多かったことから外傷はいくつか負ってはいるが、チャクラについてはさほど消費しているように見えない。
数十メートル先に、不知火ゲンマが立っている。
口元に一本の千本を咥え、どこか気怠げで飄々とした態度を崩さない。だが、その涼しい目の奥には、獲物を狙う確かな警戒と余裕が入り混じっていた。
「……やりにくい空気にしてくれたもんだな」
ゲンマが千本を口元で遊ばせながら呟く。
「あの術、見たぜ。音より速い鉄球か。……まともに食らえば即死だが、予備動作がデカすぎる。両手をかざして、チャクラを溜める時間が必要だろ?」
「……観察眼が鋭いな」
俺は痛む右腕を隠しながら、左手でクナイを逆手に持った。
「前の戦いで術を見せすぎたな。その隙を与えずに殺す。……それだけだ」
『始め!!』
開始の合図と同時、ゲンマの手首がブレた。
風切り音すら置き去りにする速度で、三本の千本が俺の眉間、喉、心臓へと飛来する。
速い。そして精密だ。
俺は最低限の動きで首を捻り、紙一重で回避する。頬を金属の冷たい風が撫で、背後の地面にカキン、と乾いた音が響いた。
「距離は詰めさせねぇよ」
ゲンマは足を止めない。常に移動し、俺の視界の端へと回り込みながら、五月雨のように千本を投擲し続ける。
俺はクナイで弾くのが精一杯だ。火花が散り、鉄の味が口の中に広がる。
彼の戦術は合理的だ。俺に立ち止まって照準を合わせる暇を与えない。電磁砲の発射工程に入ろうと足を止めれば、その瞬間に蜂の巣にされる。
(完全に封じ込められたな。……このままジリ貧で負けるか?)
観客席からは「なんだよ、あの術やらないのか?」「逃げ回ってるだけじゃねーか」という落胆の声が漏れ始める。
俺は呼吸を整え、乱れる心拍数を抑え込む。
俺には一つだけ、前の試合までに見せていないカードがある。
コン平と契約したことで得た、念力だ。
戦闘に使うには出力が低すぎる。大の大人を吹き飛ばすことなど不可能だ。せいぜい、手首の力で物を押す程度の強度しかない。
だが、物理法則において「小さな力」は、かける場所とタイミングさえ間違わなければ致命的な作用をもたらす。
(千本の質量は約五十グラム。速度は凄まじいが……止める必要はない。軌道をほんの数度、ズラすだけでいい)
俺は走る速度を緩め、あえて立ち止まった。
そして、ゲンマに向かって右手を突き出す。
「……終わりにするぞ、ゲンマ!」
俺の右手に、バチバチと激しい雷遁チャクラが集中する。
それは電磁砲の予備動作――に見せかけた、ただの威嚇だ。右腕はすでに限界で、術を放つことなどできない。だが、観客とゲンマの脳裏には先ほどの強烈な一撃が焼き付いている。必ず警戒するはずだ。
「馬鹿が! その距離で足を止めるかよ!」
ゲンマが好機と見て踏み込む。
彼は口に咥えていた千本を吹き矢のように鋭く射出した。同時に、懐から取り出した数本の千本を指の間に挟み、投擲の構えを取る。必殺のタイミング。
俺がチャクラを練り上げるよりも、彼の千本が俺の眼球を貫く方が速い。誰の目にもそう映ったはずだ。
眉間へと迫る死の針。
俺は避けなかった。瞬きすらせず、その針を見据える。
到達までコンマ一秒。
今だ。
(……軌道に干渉する!)
俺はコン平の力を発動させた。
狙うのは千本そのもの。飛来する針の側面を念力でパチンと弾く。
ただそれだけ。
だが、高速で飛行する物体にとって、わずかな横方向の衝撃は大きな軌道のズレを生む。
千本が俺の顔の直前で、まるで意志を持った虫のように急激にカーブした。
俺の耳元を掠め、虚空へと消えていく。
「なっ……!?」
ゲンマが目を見開く。
(風か? いや、ありえない。風遁の印は結んでいない。)
彼の思考が「未知の現象」への解析で一瞬だけ空白になる。その隙こそが、俺が作り出したかった本当の好機だ。
俺は電磁砲の構えを解き、全速力で懐に飛び込んだ。
「よそ見してる場合か!」
ゲンマは慌てて体術で迎撃しようと千本を構えるが、俺は再び不可視の力を発動させる。今度は彼が握る千本のお尻を、逆方向へグイッと押した。
手元が狂う。
攻撃の軸がブレる。
「くっ、なんだ手元が狂う……!」
「種も仕掛けもあるさ!」
俺は残った全チャクラを右の掌底に込めた。
予選の壁を破壊した時と同じ、共振破壊の応用。だが今回は破壊ではなく、生体電気への直接干渉だ。
「雷遁・神経遮断!」
俺の掌がゲンマの鳩尾に深々と突き刺さる。
物理的な衝撃に加え、強烈な電流が彼の神経網を駆け巡る。脳から筋肉への命令信号を強制的に上書きし、運動機能を停止させる一撃。
「が、はっ……」
ゲンマの体がビクリと跳ね、白目を剥いた。
彼の膝から力が抜け、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
俺は肩で息をしながら、倒れたゲンマを見下ろした。
右手の感覚は完全に消え、立っているのもやっとの状態だ。
静寂。
そして爆発的な歓声。
『勝者、うたたねヨフネ! 中忍試験本戦、優勝!!』
審判が俺の手を掲げる。
派手な電磁砲ではなく、地味な念力と、一発の掌底。だが、あの実力者ゲンマを完封した事実は、俺の価値を証明するには十分だった。
俺は観客席のアスマや紅、そしてシビ先生に向かって、震える手で小さくガッツポーズを作った。
(……やっと、終わったか)
安堵の溜息を吐き出した瞬間、視界が急に暗く沈んでいく。
張り詰めていた糸が切れ、全身の筋肉が強張りから解放される。立っているための気力すら霧散していき、耳鳴りが大きくなった。周囲の割れるような歓声が、遠い水底からのようにくぐもって聞こえる。
限界だった。あと一秒試合が長引いていれば、倒れていたのは間違いなく俺の方だった。膝から完全に力が抜け、俺の意識は深い闇へと落ちていった。
*
医療用アルコールのツンとした匂いが鼻腔を突き、俺はゆっくりと目を開けた。
試合終了後、俺は医務室のベッドに横たわっていたらしい。
医療忍者が俺の右腕に巻かれた包帯を締め直し、「少なくとも二週間は術の使用禁止」と言い捨てて去っていく。
静かな部屋に、ノックの音が響いた。
「……おう、入るぞ」
顔を出したのは、片腕を吊った猿飛アスマだった。後ろには夕日紅もいる。
アスマは俺のボロボロの腕を一瞥すると、少しバツが悪そうに鼻を鳴らした。
「全く、無茶苦茶やりやがって。……優勝おめでとう、ヨフネ」
「……ああ。アスマも、腕は大丈夫か」
「これか? まあ、お前のあの『一撃』に比べりゃ、かすり傷みたいなもんだ」
アスマはそう言って笑うが、
その目には俺を一人の「対等な忍」として認める光が宿っていた。
紅が心配そうにベッドの横に寄り添う。
「里中の噂になってるわよ。日向の天才を倒し、ゲンマの技術を翻弄した『うたたねの麒麟児』って。……でも、本当に生きてて良かった」
「麒麟児か。柄じゃないな……」
俺は苦笑し、包帯の巻かれた重い右腕を持ち上げた。
前世の知識と、今世の血の滲むような修行。その両方が噛み合って掴み取った勝利だ。だが、それ以上に「仲間が待っている」という実感が、今の俺を支えていた。
*
数日後。火影邸の屋上にて、中忍昇格者の伝達式が行われた。
青く澄み渡った空の下、深緑色の中忍ベストが長机の上に積まれている。
三代目火影・猿飛ヒルゼンがパイプを燻らせながら、俺たち数名の昇格者を見渡した。その隣には、祖母であるうたたねコハルも、厳しい表情の中にどこか満足げな色を滲ませて立っている。
「皆の者、中忍への昇格、大儀であった」
三代目の低く重い声が、屋上に響く。
「だが、喜ぶのはここまでじゃ。現在、我が木ノ葉隠れの里は複数の前線を抱える戦時下にある。中忍になれば、お前たちは自らが部隊の指揮を執ることになる。……実戦において、自らの命だけでなく、部下の命を背負い、生きて帰還させる。それが隊長たる中忍の責務じゃ」
横に立つゲンマの口元から、いつもの飄々とした笑みが消えた。真面目なライドウは、より一層背筋を伸ばし、火影の言葉を一言一句漏らさぬように聞き入っている。
「ここから先、お前たちの道は二つに分かれる」
三代目はパイプを指の間に挟み、ゆっくりと語り続けた。
「一つは、己の適性を極める道。拷問・尋問、暗号解読、医療、あるいは教育。ある特定の分野において並外れた技量を持ち、その道のエキスパートとして里を支える『特別上忍』への道じゃ」
(なるほど。中忍が現場の部隊長、いわゆる中間管理職なら、特別上忍は特定のスキルに特化した専門職(スペシャリスト)というわけか)
俺は三代目の言葉を、前世の記憶と照らし合わせながら頭の中で整理する。
「そしてもう一つは、万能たる部隊長……『上忍』への道じゃ。上忍となるには、ただ腕が立つだけではなれない。最低でも二種類以上のチャクラの性質変化を使いこなし、数々の困難な任務を成功に導く統率力が必要じゃ。そして何より、他の上忍からの推挙と、わしからの任命が不可欠となる。……知力、実力、そして里への忠誠。すべてを兼ね備えた者だけが至る、里の柱じゃ」
(二種類以上の性質変化……か)
俺は包帯の巻かれた自分の手を見つめた。
幼い頃、婆様との修行で掴んだ感覚。「雷」と「風」。俺はすでに二つの属性を持っている。上忍になるための絶対条件の一つは、素質としてはすでにクリアしているのだ。
「ヨフネ」
不意に名前を呼ばれ、俺は顔を上げた。三代目が俺の目を真っ直ぐに見据えている。
「お前がこの試験で見せたのは、単なる力の誇示ではない。己の手札を隠し通し、ここぞという場面で切る判断力。そして戦況を俯瞰し、支配する知略……まさに隊長たる器じゃ」
「ありがとうございます」
「ただし……お主は一人で何でも解決しようとするきらいがある。これから信頼できる仲間をもっと見つけ、他人に任せることを覚えなさい」
「はい」
全く気づけなかったが、二次試験の様子を監視していた忍から報告があったのかもしれない。自分自身、アスマの選択をみて反省した部分でもあった。
三代目は次に、俺の隣に立つゲンマへと視線を向けた。
「不知火ゲンマ」
「……はい」
普段の気怠げな態度を微塵も感じさせない、引き締まった返事が響く。
「お前は決勝で敗れはしたが、準決勝のアスマとの戦いで見せた個の戦闘能力は見事であった。常に冷静に相手を分析し、己の優位を確立する堅実な戦い方。そして何より、死の森での二次試験において、部隊をまとめ上げ窮地を脱した統率力」
三代目はゆっくりと頷き、言葉に重みを込める。
「それらを総合的に評価し、お前の中忍昇格を認める。隊長として、その分析力と指揮能力を遺憾なく発揮してくれ」
「……ありがたき幸せ」
ゲンマは深く頭を下げた。
三代目の後ろに控えていたシビ先生が、サングラス越しに軽く頷いた。
いつもの無表情だが、その纏う寄壊蟲たちの羽音が、どこか誇らしげな旋律を奏でているように聞こえた。
式の後、俺たちは屋上の手すりに寄りかかり、支給されたばかりの新品の中忍ベストに袖を通していた。
「……似合わねーな、俺」
ゲンマがベストの襟を弄りながら苦笑する。火影の前での緊張感が解け、彼はいつもの調子を取り戻していた。
「負けた俺が昇格ってのも複雑だが……ま、結果オーライか。にしてもヨフネ、お前最後のアレ、何やったんだ? 風の術も使わずに千本の軌道を変えるなんて、手品じゃねーんだぞ」
「秘密だと言っただろ。……いつかな」
俺がそうはぐらかすと、ゲンマは「ケチな野郎だ」と肩をすくめた。
「ま、どうせこれから長い付き合いになるんだ。任務の中で暴いてやるよ」
ゲンマがニカっと笑い、俺が戦闘中に弾いたであろう千本を一本、俺の方へ放り投げた。
俺はそれを左手でしっかりと受け止める。
「おい、お前ら。……そんなところで油売ってないで、行くぞ」
声をかけてきたのは、背中に大刀を背負った並足ライドウだった。彼もまた、今回の試験を共に戦い抜いた同志だ。
「これで解散か? せっかく昇格したんだ。……景気付けに一杯、団子屋でもどうだ。俺が奢る」
ライドウの意外な提案に、俺とゲンマは顔を見合わせた。
「お、いいな! ライドウが奢るなんて珍しい」
「……たまにはな。中忍になった祝いだ」
俺たちは並んで歩き出す。
振り返れば、火影岩の顔たちが夕日に照らされ、里を静かに見守っていた。
今日から俺たちは、駒ではなく、駒を動かす側になる。
この過酷な忍の世界で、どこまで生き残れるかはわからない。だが、この熱い鉄の味と、仲間たちの体温を忘れない限り、俺は俺のやり方で進んでいける。
そんな確信を胸に、俺は少しだけ早くなった歩調で、新しい仲間たちの背中を追いかけた。
忍界歴34年
第二次忍界大戦が終結
自来也の長門達への修行も終わりを迎える
カカシ生誕
ヒルゼン(42)、綱手(25)、ミナト(10)