夜が明け始めると起き出して身支度を整えると朝食の準備を開始する。
リスティはまだ寝ているようだが、起こさないでおく。
昨日はなかなか寝付けなかったようだし初めて過ごす魔境が深層では精神的な負担も大きいだろう。俺でも狩人になってからは中層から始めたぐらいだ。
カレーの残りに手を加えて食べるつもりだが、朝だからあっさり目にしておきたい。
昨日凍らせたカレーの一部を魔術で切り取ると、小鍋に移して熱変換で解凍してやる。そこにヨーグルトと出汁を入れて味をマイルドにした。味を見ながら少しずつ加えていくとイメージに近い味になってきたので火を止めてパンの準備に入る。
街から持ってきたパンは時間が経つにつれて乾燥して固くなってくるからふかふかの状態で食べられる期間は限られる。早めに食べないといけない。
しかし、今回は新たな試みを行おうと思う。
水蒸気を操って焼きたての状態に戻していこう。細かく操作してやればいい感じに浸透させて均一に水分を足してやることも出来るはず。
一番大きな問題は俺の魔力感覚が焼きたての状態を知らないって事なんだけどな。まあ、適当なところでやめてやればビシャビシャにならずに済むだろう。
水を少し手のひらに乗せて魔術を発動する。熱変換で水の温度を上げつつ分子同士を反発させて水蒸気を作り出した。水蒸気が発生してくると空術も併用して蒸気で満たされた空間を作り出していく。
水術を極めていけばそれだけで水蒸気を自在に操ることも可能になるとは思うがまだそこまでのレベルにはない。一般的に分子同士の間隔が開くほどに制御は困難になってしまう。
それを越える事が出来れば湿度が0%でない限り空術と同じように使用出来るハズなんだが…。
そこまでする必要性は今のところ無い。俺は空術も使えるし。ただ、出来るようになればいろいろと応用が利きそうな気がする。魔術の構築や魔力制御の向上は今後も必要だ。
そんなことを考えている内に、いい感じに水蒸気空間が形成されてきたので皿の上のパンに空間を持っていき範囲内に納める。
最初はパンの中に浸透させていくのが難しかったがゆっくりと温度と圧力を
焼きたてとまでは言えないが水分はある程度戻ったはずだ。暖まっていい匂いがしてきたから大丈夫だろう。
本当のところは食べてみないとわからないが…
朝食の準備が終わったのでリスティを起こすとしようか…と思ったら起きてきたようだ。少し慌てているな。寝坊したと思っているんだろう。
少し勢いよくドアが開けられると開口一番謝罪が飛んでくる。
「申し訳ございません、レイン先生。遅れました 」
遅れるも何も別に起床時間を決めていたわけでもない。
「遅れてはいないから謝罪は不要だ。それより早く食べることとしよう 」
部屋の中に招いて席に座ってもらう。
慌てていても身支度は完璧に熟していた。流石、王女様だ。
清発のお陰で顔の汚れもここに来る前に落とせているし寝癖も付いてない。服にもしわが付いてなくてパリッとしている感じだ。見せてはいけないものは見せない。そこは王族として守らないといけないということか。
もう少し隙を見せてくれた方が親しみはあるんだがそう言うのは酷…というか無礼か。
「部屋の中が暖かいですね 」
「魔術でちょっとな。この方が快適だし料理も冷めにくい 」
こちらが気にしていないのは伝わったようで、気を取り直して席に着いた。食べながら少し体調とか聞いてみる。
「あまり寝れなかったようだな 」
「い、いえっ…眠れなかったというわけではなく 」
「そうなのか? 」
眠れなかったと思っていたんだけどな。いきなりこんな所に来てぐっすり眠れるとは…以外に王族は神経が図太…もとい精神的に鍛えられているのかもしれない。まあ、あのじいさんの孫だしな。
「ええとっ…あの…、その… 」
リスティはなんか言い淀んでいる。無理に言う必要はないんだけど本人的には話しておきたいような雰囲気も感じる。なので黙って聞いておく。
「レイン先生に言われたとおり索敵を行いながら寝ようとしていたんですが目が冴えてしまって眠れなくなってしまったんです 」
俺の言ったとおりに実行しようとしたらしい。とても真面目で努力家のようだ。反対の立場だったらどうだっただろうか? 出来るってわかっていなかったら俺自身もやってなかったかも…。
「眠れない中でも索敵だけはしようと気配を探っていたらレイン先生の気配を感じたんです 」
それも言ったな。俺の気配を探って見ろと。今思えばなんだか恥ずかしくなってくるな。捕まえてごらん、みたいな。
「そうしたらなんだか安心してしまって…そこで完全に寝てしまったんです。申し訳ございません 」
「別に謝る必要はないさ。最初からうまく出来るとは思っていない。少しずつでも上達していくことを目指して積み上げてくれればいい。昨日が初日だしな。いきなりこんな所に連れてこられたら調子が狂ってもしょうがない 」
ちゃんとやろうとしただけでも大したものだ…
「もっと簡単な場所から始めるべきだったんだろうな。その点については俺の落ち度だろう。すまない 」
「い、いえ。この場所に来て良かったです。ここに来て自分がいかに自惚れていたか思い知りました。これ程の厳しい環境でなければ駄目だったと思います 」
おや、なんか最初の印象より凜々しく感じるな。リップサービスでもないような気がする。
「それは良かった。食べたら早速昨日の続きをやっていくとしよう 」
「はい! 」
確認したいことは確認した。その後は会話をすることなく食べることに集中する。
パンは焼きたてとまでは言えないが狙いには近づいているという手応えを感じた。カレーは酸味が利いてサッパリとした味に仕上がっていてこちらは狙い通り朝食にはちょうど良い味付けだった。
リスティも気に入ってくれたようでいい食べっぷりを見せている。
食べ終わって食器を片付ける時にリスティにも水術で洗浄するやり方を教えて自分でやってもらう。中々筋が良くて汚れを綺麗に落とすことは容易に出来ている。
最後に水と汚れを分離することは流石にうまく出来なかったがこの生活を終える頃にはマスター出来ているんじゃないだろうか。
それから準備を整えて魔境の中を探索していく。
やり方は昨日と変わらないのだがリスティの隠密歩行は徐々にその精度が増していっている。索敵も同時に行えるようになってきている。まだまだ覚束ないところもあるが表層ならば十分以上に通用するだろう。
昼食は休憩がてら携帯食料で軽く済ませるとすぐに探索を再開してなるべく多くの時間を探索と訓練に当てられるようにする。そうやって日が落ちる前まで過ごして辿ってきた道を拠点へと引き返していく。
二日目の夕食は朝と同様に昨日作ったカレーにアレンジを加えていくことにする。
猪系の魔物のかたまり肉を細かく刻んでミンチ状にして塩とスパイスを加えて炒めていく。そこに凍らせているカレーの一部を切り取って加える。熱変換とフライパンの熱でカレーを溶かしながら混ぜ合わせていき最後に味を見ながらスパイスを少しずつ加える。
これでキーマカレーの完成だ。これだけだと緑色が足りないので残りの野菜を適当に切って炒めたものを添える。
パンは日持ちがしそうな外側がバゲットのように堅いパンを選択する。と言うかこれしか残っていない。これを食べきるとビスケットとかクラッカーのような携帯食料しかなくなってしまう。
小麦粉と卵と重曹は用意してあるから何とかパンのようなものを作ってバリエーションを増やすとしようか。
パンを炭火で焼いたあと魔術で加水処理をして食卓に並べると夕食が始まる。パンをちぎってそれでキーマカレーを掬って食べていくが途中で面倒になりスプーンで掬って食べた後パンを食べるのが主流になってくる。
キーマカレーは猪肉のクセのある味にスパイスの香りが足されて独特の旨味として感じられる。想像よりも上手くいった。自画自賛ではないはず。目の前のリスティも結構満足げな様子。
食後はまた果物の缶詰を開ける。昨日は桃だったし今日はミカンにしようか。ミカンといっても冬ミカンではなくてオレンジのような大きめの品種だが。
酸味が強くて口の中がサッパリする。カレーには桃よりもこちらの方が合うかも知れない。
夕食が終わったらすぐに就寝となる。
寝るときも昨日と同じようにやっていく。昨日は気配を落としすぎた感もあるので今日は少し変えていこうと思う。
リスティの状態に気を配ってこちらの気配を大きくしていく。相手がこちらの気配を捉えた状態を維持し、そこからわずかずつ小さくしていく。
こちらを見失ったときはしばらく探させる。見つけられるようならそのままにして、見つけられなければこちらから会いに行く。
ちょっとずつ上手くなってきているようだけど睡眠の深さは安定しないな。
昨日は目が冴えて寝れなかったと言っていたが今日はそこまででもないだろう。しかし、時折、覚醒一歩手前まで睡眠が浅くなる。本来の生理機能との兼ね合いもあるから難しいところだな。
俺の方は安定して睡眠深度を保てている。ずっと夢の中にいるような気分だ。夢の中で起きていて周囲を見回しているようなそんな感じ。
小動物系の魔物の気配が感じられた。リスティは気づいてないみたいだな。ちょっと教えてみようか。
―三時の方角、至急警戒されたし、至急警戒されたし
彼女の覚醒レベルが急に上昇して目を覚ます直前までいってしまう。
―危機は去った、繰り返す、危機は去った
危険はないことを伝えると俺の信号を受け取ったのか自分で状況を理解したのかはわからないが覚醒レベルが下がっていく。安心したのかそのまま深い眠りに入っていったようだ。
今日はここまでだな。リスティは二日目にしてけっこう出来るようになってきた。俺の方も上達してきた。まさしく一石二鳥だ。
なによりも、これは結構面白い。例えるならトランシーバーのおもちゃで通信ごっこをやっているような感じ。それも大人の女性とだ。お座敷遊びというものはこんな感じなのかも知れない。お金を払ってもいいぐらいだ。
夜が明けるまでちょっと浮ついた気分で過ごしてしまった。
◇
五日ほど同じような生活を続けていくとリスティの狩人としての技能は結構上達してきた。もともとの才能も有ったんだろう。あと一週間もすれば深層でも普通に行動出来るぐらいになるかも知れない。
ただ、そうなったら今度は戦闘能力について物足りなさを感じてくるだろう。具体的に何処までやれるのかわからないが上級下位の魔物でも一人では厳しいかも知れない。
狩人になりたいわけじゃないから俺があまり教えてしまうのも
頭の中に騎士を思い浮かべてみる。シグンはあまり参考にならない…と言うか俺の知っている騎士はみんな上級過ぎて今のリスティの模範になるような人物はいないな。
まあ、それはまだいいか。問題なのはむしろ俺の方だ。ウサギを捕獲するつもりではあるが今のところその目処は立っていない。
痕跡は見つけている。しかし、それが本体に繋がっていかない。居ることは居るんだけどな。
今まであまり見なかったのは、大物を探していて見つける気がなかったからだと思っていたが俺の勘違いだったのだろうか?
偶に見かけることがあったのはこちらが獲物として見ていなかったからなのか? こちらは見逃してやっていたつもりだったが、向こうからしてみれば同じ事を考えていたのかも知れない。
上級上位の魔物にすら届き得る今の俺ならウサギぐらい本気を出せば簡単に狩れると思っていたがそれは思い違いだったようだ。
弱くても深層の魔物か。ここで生きる以上は相応のしぶとさを持っているのは当然のこと。リスティに言った言葉がそのまま自分に返ってきた感じだ。
今はまだリスティも成長途中だ。未熟な自分が付いてきているから狩れていないとか思っているのかも知れない。だが、彼女が成長するに従って真実に気づいてくるだろう。単純に俺に能力がないから狩れていないことに。
それはそれで魔境の恐ろしさを知る切っ掛けにはなるだろう。しかし、そうなると俺の沽券に関わってくる。上級狩人も案外たいしたことないとか思われたら居たたまれない。
もう少し粘ってみて駄目そうだったら別の方法論を試してみよう。まだ慌てる段階じゃない。
そう思ってさらに二日ほど同じように探索していった。
しかし…
…考えが甘かったのかもしれない