相変わらずウサギを狩れる芽が見えないままだったのだが、ここに来てリスティがこちらの想定を越えて成長を見せてきていた。
真実に気がついてしまうのも時間の問題だろう。いや、もう魔境に入って一週間になる。薄々感づいているのかも知れない。
もうなりふり構っている場合じゃないな…
「リスティ 」
「は、はいっ。何でしょうか? 」
少し緊張を込めて声を掛けるとそれに驚いたのかうわずった声で返事を返してくる。強い魔物が現れたのかと思ったのだろうか? リスティの緊張が高まってくる。
緊張の中に戦いに対する期待もあるようだ。戦いたくてうずうずしているって感じかな~、意外に好戦的だ。
申し訳ないけれどそんなことはない。
居ないんだよ、残念ながらね…
「これからちょっと本気で探ってみようかと思う。静かに集中して俺のやることを感じ取ってみるといい。参考になるはずだ 」
「はい…わかりました。やってみます 」
俺は腕をだらんと垂らすと体中から力を抜いていった。極限まで集中して領域を広げていく。前は空気中だったが今回は土の中、それも表層部分に限定して薄く広範囲に広げる。
足の裏から細かな根をあらゆる方向に伸ばしていくような感覚だ。ゆっくりと静かに、周囲に溶け込ませるように薄く。まるで自分が森の中の木の一本になったように感じる。わずかな自我を残して存在のほとんどが魔境に溶け込んで根ざしていく。
半径150メートルぐらいに広げると範囲内に一羽のウサギが居ることに遅れて気がついた。領域を広げることに集中しすぎて本来の目的を見失いかけていた。
そのウサギに意識を集中して気配を捉えると領域を閉じていく。完全に閉じ終わると人間に戻ってきたようにも感じるな。少しほっとする。
肉体の感覚を確かめると、マーキングしたウサギの気配を追って気づかれないように接近する。木々の間を、草を避けながら、時々、木の幹を足場にして飛び跳ねながら、音もなく素早く移動していく。
数メートルの距離に来ると一旦木の陰に入り様子をうかがう。ウサギはこちらに気がついてはいないようで、草の影でじっとしていた。
脚甲の横に付けたナイフを引き抜いて左手に持つと跳躍してウサギのいる草叢に垂直に落下していく。右手を突き入れてウサギの両耳を掴んでそこから引きずり出した。
そこから流れるような動作でウサギの首をナイフで掻き切り、両足を持って逆さまにして血抜きを行う。
体長50センチぐらいか…結構大きく感じる。
血抜きが終わると血の跡を土術で埋めてリスティの元に帰還する。
ようやく仕留めることが出来たな…
まさかウサギ相手にここまですることになるとは思ってなかった。獅子はウサギ一匹狩るにも全力を尽くすと言うし油断をしてはならないと言うことだろう。ここまで出し切ったこと、決して恥ではない。
実際にどんな獲物だろうと仕留められればうれしいものだ。それまでに苦労をしたならなおのこと。
まあ、意気揚々とウサギ一匹を持って帰る上級狩人を見て、リスティがどう思うかはわからないんだけどな。
捉え方は自由だ。たいした事ないと見るかすごい事と見るか…。
…スゴいって言って欲しいな
この後により困難なことが待ち構えていると考えると気分を上げてくれる方がいい。少なくとも下がるようなことは勘弁してもらいたい。
彼女の所に戻ると先手を打って声を掛ける。
「いつもより早いが拠点に戻ることにしよう。こいつをどうにかしないといけない 」
「はい、先生 」
リスティの先導で拠点に戻っていく。最初はバッチリ残っていた痕跡も今ではほとんど見えなくなっている。そのため痕跡を消す作業は早い。拠点までそれほど時間もかからず戻ってきた。
もうちょっと時間を掛けてくれてもいいんだけどな…
弟子の成長を喜ぶ反面、自分にとっての試練の時間が早速到来してしまったことを嘆く自分もいる。
まあ、意識せずにさっさとやってしまうのがいいか。ただの作業と言えばそれまで…
「それではこのウサギを解体していくとする。しっかりと見ておくように 」
「はい、先生 」
はっきりとリスティに宣言した。これで後戻りは出来ない。人生初めての解体作業が始まってしまった。
今まで何体もの魔物を殺してきたが今更のように緊張してしまう。人にすべて任せてきたツケのようなものか? いや、それはそれで合理的な判断だった。プロに任せた方がいいところもある。ギルドとしてはその方が助かるはずだ。
まずは冷静になって手順を思いだそう。ウサギの体を触ったり魔力を流したりして構造を把握していく。
わかってきたら順番に刃を入れていくのだが何種類かあったので一番やりやすそうな方法を選択する。
頭をズバッと落としたあと手足の先を切り落とす。それから、胸元からお腹に向かってススっと刃を入れて裂いた。切れ目から腸などの内臓を抜き出して切り取ると捨てる。これであとは皮を剥げばだいたい終わる。
手足の先から切れ込みを入れていくとお腹の切れ込みと繋げてから、皮を持って肉から引き剥がしていく。
ビッ…ビッ…ビビッ…
剥がれにくいところはナイフを入れて剥いていくと思いのほか簡単にすべてを分離することができた。
皮を失った剥き出しの状態はグロテスクと言えばグロテスクなんだけど嫌悪感みたいなものは感じない。ずいぶんと冷静だな、俺は。
心臓から魔石を取り外して保管すると食べられそうな肉の付いている部位を切り取ってバットの上に並べていく。
毛皮と魔石はギルドに卸して肉は今日食べることにする。残りの部分は土術で適当な場所に埋めておいた。
こうして人生初の解体作業は終了した。終わってみると何でもなかったような、気怠い疲労があるような感じがする。
この先、大物を狙っていくことになるだろうから自分でここまで解体することはあまりないんだろう。プロに任せた方が無駄はない。しかし、今回、自分でやってみて良かったと思う。
リスティを見ると黙りこくったまま何かを考えているようだ。彼女にとってもこの事はいい経験になったように思う。
ウサギ肉を持ってキッチンに移動すると、夕食には少し早いが調理を開始する。
せっかくメイン食材を自分自身で調達出来たので、パンも自分で作ることにした。
ボウルに小麦粉と水、卵、砂糖、塩、バター、重曹を入れて混ぜ合わせ適当な大きさにちぎって形を整えるとそのまま置いておき、ウサギ肉の調理に入る。
ハーブと塩と小麦粉を混ぜてウサギ肉にまぶしておく。フライパンにオリーブオイルをたっぷりと広げて熱するとそこに肉を入れて揚げ焼きにする。スプーンで熱された油を掬って肉の上から掛けて加熱していく。
途中でリスティに作業を変わってもらうと俺はパン焼きにとりかかる。熱変換でパン生地の周りの空気を加熱してパンの焼成を行う。温度を調整しながら生地内部の空気まで加熱していくと生地はすぐに膨らんで表面が焦げていく。
このやり方だと中の火の通り具合もなんとなくわかるから便利だ。途中で肉の方の加熱具合も見て火から上げてもらい、パンの焼成が終わると食卓に並べて食べ始める。
まずウサギ肉の香草焼きを食べてみる。仕上げにたっぷりの香草と塩をひとつまみ足してある。表面がカリカリに仕上がっていて中はほろほろぷりぷりした食感になっていた。
油のもったりした味とウサギ肉の淡泊な味、そして香草の爽やかな風味がほどよい塩味で引き締まっていいバランスになっている。深層のウサギは鶏肉に少し牛肉のような味わいと食感が足されたような感じだ。
パンを食べるとふかふかした食感と小麦の芳ばしい味が口の中に残った油を受け止めてすっきりさせてくれる。店売りのパンには及ばないが焼きたてはやはり美味い。自分で作ったからというのもあるだろうが小麦の香りが違うような気がする。
自分で仕留めた獲物を捌いて魔境の中で食すのもなかなか乙なものだ。狩人の醍醐味って気がしてくる。ここまでする狩人は中々いないだろうけど。
リスティも結構満足しているみたいだな。雰囲気も悪くない。
ここいらで俺の内心を吐露しておこうか…
俺の実力は買ってくれているようだし、きちんと指示も聞いてくれている。成長もしているし、それを実感もしている。俺に対する信頼のようなものが出来つつあると思えていた。
だからこそ俺が単なる思いつきで教えていることがなんか心苦しくなってきている。
虚勢を張ることに疲れた。
もうすべて吐き出してしまおう。
「まともにウサギを狩ったのは今日が初めてだったんだ。正直狩ることが出来てほっとしている。これほど苦労するとは思っていなかった 」
「…そうだったんですか 」
唐突に話し出した俺にリスティは戸惑っているようだ。まあ、最後まで付き合ってもらおう。
「当然、ウサギの解体を行ったのも初めてだ 」
「ずいぶんと慣れていたように見えましたが… 」
「事前に初心者向けの教本で調べておいた。思いのほか上手くいったのは日頃魔力の扱いに慣れていたお陰だな。解体の腕は解体士どころか初級狩人の方が上手いだろう 」
俺が何を言いたいのかわかっていないようだが、何かを伝えたいと言うことは伝わったのだろう。姿勢を正してこちらの話を兎に角聞くことにしたようだ。
「俺は訳あって最初から上級狩人として活動を開始することになった。既に聞いていると思うが様々な実績を打ち立ててもいる。狩人になってまだ一年も経ってはいないが… 」
「はい。とても凄いことだと思います 」
「そうだな…人には出来ないことをやったという自覚も自負もある。だが狩人として経験するべきだった事を積み上げてきていないということも事実だ 」
それが出来なかった事情があった。俺にとってはそちらの方が大きくて深刻な事実ではある。リスティには関係ないし話すわけにもいかないんだけれど。
「一般的に、狩人は免許を取ったあとはギルドに所属して狩り場と獲物の捕獲数の割り当てをもらって活動を始める。そこで最初は表層のネズミやウサギなんかの小動物を狩ることになるがそういった獲物はあまり金にならない
自分で解体しないと解体費をギルドに取られるから上手く解体出来るように必死に覚えるものだ。その過程で獲物の体の構造を覚えていき効率のいい仕留め方なんかを修得していく 」
話ながらオードからいろいろ習ったときのことを思い出してくる。こういった基礎的なところを教えてもらう機会はなかった。オードにとってはやりづらい生徒だったんだろうな、俺は。
「そして、生態系の底辺に当たる魔物の生態を学んでいくことで大きな生態系の枠組みを知っていくことが出来る。知識としてではなく実体としてだ
また、そういった魔物が魔境の中でどんな風に命を繋いでいるのかを知ることで狩人も技術を学び、それを磨いていくことが出来る 」
「物事を学ぶには順序があると言うことですね。そして、基本が大事であると。私も歌や楽器、武術などいろいろ学んで参りましたが、いつも基本を疎かにするなと注意を受けておりました 」
感銘を受けたように頷きながら言った。本人が素直なのもあると思うが、良い師に恵まれたのだろう。
「そうだな。俺には狩人としての積み上げがなかった。リスティは俺を先生と言ってくれているが本当は人に教えられる立場でもないんだ 」
「い、いえっ。そんなつもりで申し上げたのでは… 」
「カイルゼインの手紙にはこう書いてあった。リスティに教えることはお前のためにもなる、と…
どう言うつもりでそう書いたのか、本当のことはわからないが今ならその意味がわかる気がする。一緒にここにこれて良かったと思っている。ありがとう 」
じいさんの手のひらの上で踊らされている感じがする。今までの俺ならしゃくに障る感じだったかも知れないが、どういうわけかそれが気にならない。むしろ気分がいいまであった。
「お礼を申し上げなければならないのはこちらの方です。もう既にいろいろなことを学ばせて頂きました。先生に師事することが出来て良かったと思います 」
「お互いに学ぶことがあって良かった。魔境は人間にとって厄介なところだがそれと同時に魔境に依存している部分もある。今回、学びを得られたのは魔境のお陰だ。今は魔境に感謝するところだな 」
「そうですね。感謝の気持ちは忘れないようにしなければなりませんね 」
どちらともなく軽く笑い出すと食事が再開される。しかし、会話が長引いたせいか料理は冷たくなっていた。
「すまない。料理が冷めてしまったな。暖めよう 」