何かが接近してきているのはわかるが遠すぎてよくわからなかった。
魔力で水晶体を操作して視力を強化してみるが、それでも詳細を確認するには至らない。
ならば、
―圧縮形成、操空術式、遠視《えんし》空鏡《くうきょう》
空気を歪ませて望遠レンズを作り出すと拡大して見てみる。すると、ようやく輪郭がはっきり見えてきた。
…黒い木か?
黒くて大きな木がこちらに向かって動いてきている。速度は人が早歩きをしているぐらいか。ぐらいって言っても木は動くもんじゃないから凄い速さとも言えるか…。
立ち塞がる木を引っこ抜いているのか、時々根っこがついたままの木がまるごと飛ばされている。
森で隠れて見えないが下はどうなっているんだろうな? デカい亀でもいて木を背負っているんだろうか?
不思議に思っているとリスティも樹上に上がってきて俺と同じように望遠用の空術を使って確認し出した。
使えるのか…
固定術式なら覚えるのもそんなに難しくないだろうが誰から習ったんだろうな? 王城の中で必要だと思えないが。
二人してじっくりと魔物を観察していると徐々にその魔力の大きさや強さの程がわかってくる。
ちょっと甘く見ていたかも知れないな…
想像以上の魔力量だ。感じられる圧から言ってギルゼルンすら優に超えているだろう。
それなりに接近してきてリスティにも相手が感じられるようになったのか無言のまま驚愕の表情で凝視し続けている。
それにしても、なんとなくこの魔力と圧には覚えがあるような気がする。気のせいだと思うがどこか引っかかるものがあった。
思い起こせば、
このままだと広範囲に異変が巻き起こることになるだろう。何か対策が必要だ。
チラッとリスティの方を見る。今だ放心したように魔物を見つめて彫刻のように動きを止めている。
レインメーカーなら勝てるかも知れないが、リスティに見せるわけにもいかないな…
「リスティ。一旦降りるぞ 」
「……はっ、はい 」
俺に声を掛けられて現実に引き戻されたのか遅れて反応を返すと、俺に続いて地面に降りる。そこで俺の考えを伝えることにした。
「今から街に引き返してこのことをギルドに知らせに行く。すぐに出発するから荷物をまとめてくれ 」
「たっ、戦わないのですかっ!?」
「まったく勝ち目はないな…急いでギルドに知らせて市民の避難誘導を行ってもらう。その後に騎士団とギルドの連合で討伐部隊を編成して対処するべきだろう 」
「…それでも、対策をしている間に影響が広がっていくのではないでしょうか? 」
…ん? 何だろうか?
俺の言わんとしていることは理解していると思うんだが同意が得られたように思えない。
すぐに納得してくれると思ったんだが…
「それはそうだが相手が悪すぎる。大部隊で当たらなければ対処のしようがないし情報収集も必要だ。幸い移動速度は遅い。人的被害は十分に抑えられる 」
「しかし、相手のことは何もわかりません。その考え通りになるとは限りません 」
随分と突っかかって来る。何か考えがあるのか?
「わからないからこそ基本通りに行動するしかないんだ。こうしている間にもヤツは移動している…俺の指示に従ってくれ。俺とリスティがあいつと戦ったところでどうにもならない 」
リスティはあれを相手に力を試したいんだろうか?
そんなに向こう見ずな性格をしているとは思えないんだけれど…
「そう言うことを言いたいのではありません… 」
「どういうことだ? 」
リスティは何かを言おうとして言えない感じに見える。言いにくいことなんだろう。トイレかな? このタイミングでトイレは確かに言いにくい。
「……先生についてお祖父様からうかがっていることがあります 」
意を決したように口に出す。その瞬間、ずしっと空気が重くなった。
じいさんから…? 嫌な予感がする…
トイレであって欲しかった。これは絶対に厄介なことだ。
「先生には隠している力があると…その力は英雄カイルゼインを遙かに超えるものであると英雄自らが認めていらっしゃいました 」
「………… 」
クソッ、カイルゼインめ…、何を考えている
はぐらかしているつもりなんだろうが、実質、暴露しているようなものだ。
剣の誓いはなんだったんだ…
「
そう言われてもな……俺はどうしたらいいんだ? どうしたいんだ、俺は?
急に言われたところで結論はでない。結論を出すための情報が足りない気がするが、必要な情報がなんなのかわからない。
黙っているとリスティは短く嘆息した後、重々しく言葉を吐いた。
「信頼していただけないようですね… 」
その声には少し、震えが混じっている。その表情は感情を押し殺すためか無表情を作っている。だが、どこか悔しさをにじませているようにも見える。
次の瞬間、決意を固めたような顔になり、おもむろに剣を抜くと自分の首筋に当てた。
「何をするっ!? 」
「
冗談でもブラフでもないようだ。剣を持つ手が震えている。死ぬのが怖いのだろう。誰だってそうだ。リスティの行動が理解出来ない。
「……馬鹿な真似はよすんだ… 死ななくても見えないぐらい遠くにいってくれればいい 」
言ってて暗に認めてしまっていることに気付いたがもう遅かった。
「…やはりそうなんですね 」
「…認めよう。だが人に見せていいものじゃない。街まで案内する。俺はそこで戻ってヤツと戦う。それでいいだろう… 」
「それでは時間がかかります。それに先生は私を信頼してくださらない様子…私が戦いを見に来ないとも限らない。そんな状況で戦えますか? 」
リスティの言うことは筋が通っている。決して感情的になってやっているわけじゃない。俺があの時、飛び出していったこととは違う。
王族としての責務、騎士の誇り…背負うものがある。
……俺は今、覚悟を問われている気がする。
リスティは俺のことを信頼している。俺ならばこの状況を打開出来ると信じている。
俺はどうだ? リスティのことを信頼しているのだろうか?
俺は何に怖じ気づいているんだろう?
正体を明かしたところで別に彼女がそれを言いふらすとは思っていない。拒む理由はないはずなんだけれどな…。
終始、教える立場として接してきてお互いに関係性を作り上げてきたと思っていた。リスティは俺をしっかり人間として見ている。そして、俺という人間を信頼しているんだろう。彼女が今死んだとして俺が戦う根拠なんてない。
だが、俺はどうだろう?
リスティを人間として信頼しているかと問われれば違う気がする。あくまで優秀な生徒として、騎士候補生として見ているんだろう。今この瞬間も。
リスティは俺を信頼しているが、俺は彼女を信頼していない。
リスティは俺からの信頼を得ようと思っているが、俺の方はそれに応える勇気がない。
お互いの間に深い溝がある。その溝を作り出しているのは俺だ。溝を越えるために命まで投げだそうとしているひとが目の前にいる。
良くないな…これは良くない…
どうしたいんだ、俺は…
迷っていると状況に変化が訪れた。それはまるで俺の背中を押してくるかのような変化だった。急に動きが速くなる。
こんな時にか…
それをリスティもわかったんだろう。最後通牒を突きつけてくる。
「もう時間がないようですね。これでお別れです。先生、後はよろしくお願いします 」
少し悲しげな、すべてを諦めたような笑顔でそう言うと即座に行動に移る。
全身から魔力を抜いて剣に集中させる。首を切断するには十分だろう。刃が勢いを付けて首に迫る。
自然と体が動いていた。
刀身を握りしめて止めると指から血が流れ剣を伝って流れる。痛みと熱を感じるが不思議と気にならなかった。
リスティはどうして? という目で俺を見てくるが俺にはそれに答える術がない。
今、俺はどんな顔をしているんだろう?
「お前に見せると、今、決断した。死ぬ必要はない 」
そう伝えると、ほっとして力が抜けたのか剣を手放して膝から崩れ落ちる。
「良かった…
心の底からの声だろう。掛け値無しに本気だった。指に刻まれた傷がそれを物語っている。
回復術で流れた血を戻して剣の柄を握ると傷を再生しながら鞘に収めていく。
「お前の信頼に応えてやれなくて済まなかった。ただ、今はリスティリスの覚悟と誇りに応えることにする 」
覚悟が揺らがないように言葉を紡ぎつつ、リスティの両肩に手を乗せると治癒術を掛けながら確認する。
「立てるか? 」
「はっ、はい… 」
お互いに立ち上がって正面から向き合う。
「見せると決めたんだ。最後まで見ていてくれ 」
「はいっ! 」
いい返事だ。すべてを出し切るつもりで戦おう。そうする価値のある闘いだ。相手に不足はない。
まったく…この世界はいつだって俺の上をいく…
よく見えるように少し距離を空け、真っ直ぐリスティの瞳を見つめる。そして、宣言を口に出す。
「