(別視点)
その日、ミゲルは仕事が早く終わったので早々に自宅に戻っていた。
運送業を生業にしていて、普段ならばもっと遅くまで働いているはずだった。しかし、先日起こった魔物騒動の影響から夜間の外出に制限がかかり仕事を控えなければならなくなったのだ。
早く帰宅出来るのはいいが、その分、収入は減ってしまう。この都市の家賃相場はそれなりに高い。収入が減ってしまうことに一抹の不安があった。
気晴らしに友人を誘って飲みにでも行きたいところだが、飲み屋も営業時間を短縮している。多少は飲めなくもないが良いところで中断させられることになるだろう。飲みに行く気にもなれないでいた。
皮肉なことにそれで支出が抑えられることになっているのだが。
行方不明事件でも仕事に制限がかかっていた。最近はその影響も薄れてきていたところにまた制限がかかるようになりムシャクシャしてくる。
とは言え自分に出来ることは何もない。警察に任せておくしかないのだ。
(魔物が現れたなら俺がたたき切ってやるんだけどな… )
部屋の隅に置いてある自分の愛用していた剣に視線をやると、そういう気持ちが湧いてきた。
魔物の脅威が久しくなかったアッシェバーンでも、護身用として家に武器を置いてある家は多い。持ち歩くまではしないが、一般人でも定期的に避難訓練に参加するなど注意喚起はなされている。
だが、ミゲルが所有している剣は護身用のものではない。彼は元狩人だった。狩人であった時に使っていた自分の手に馴染んだものだ。
高等学校を卒業してから三年ほど狩人として活動していた。三ツ星まで昇格することが出来たが才能がなかったのだろう。そこから上がることが出来ずに期限を迎えることになった。
辞めてから一年ほど今の仕事を続けているが、未練があるのか未だに剣を手放せないでいる。
護身用ならもっと安いものでいい。これを売って差額を生活費に回すことも考えたが
剣を手に取って握ると即座に肉体は戦える状態に移行する。
(くさくさ考えていても駄目だな… )
そろそろ夕飯の準備をしようかと台所に動こうとしたときだった。突然、街中に警報が鳴り響く。
(なんだ…!? 訓練か? )
最初はいつもの試験放送かと思ったが警報は鳴り止むことなく続いていく。こんな時間に流すことにも違和感がある。極めつけは都市全体を得体の知れない緊張感が覆っているように感じたことだ。
狩人時代に
(魔物だ… )
弾かれるように動いて戸棚を開けると、たいして量のない、吊してある衣類の中から狩り着を引っ張り出す。これも昔使っていた物だった。急ぎ着替え始める。
(捨てなくて良かった )
そう思いながら袖を通していき上を着終わる頃に警察の音声による放送が流れる。
―魔物警報を発令… 魔物警報を発令…
―これは訓練ではない… 繰り返す… これは訓練ではない…
無機質な放送に電流が体を駆け抜けた思いだ。着替え終わると愛用の剣を携えて外に飛び出していく。
久しぶりに剣を振るうことになる。否応なしに緊張と興奮が高まり心臓は早鐘を打った。
住んでいる集合住宅に接する狭い道路にはちらほらと避難所に向かう人が見える。
その流れに従って大通りに行ってみるとそこには既に人の流れが出来ていた。誘導を行っている警官の指示に従って特に流れが乱れることなく避難行動は進んでいる。
流れの中には武器を携帯している人が何人も見られるが、みな戦いの心得がなさそうだった。他の多くの人々と同様に不安げな顔をしている。だが、いざとなったら家族や友人を守るために剣を持って戦おうという気概は感じる。
人波から目線を外すと、道路の脇にはちらほらと武装をした人物達が見えた。武器を
中にはミゲルよりも強者であると思われる人物が少なからずいた。中級以上の狩猟者だった者だろう。年季の入った面構えをしている。
現役の狩猟者とおぼしき者もいた。たまたま境界線から街に戻っていたのだろう。一際、鋭い視線を周囲に配っている。
ミゲルは彼らを見て心強さを感じた。しかし、それと同時に場の空気に含まれる不穏は色濃さを増していく。
(これは… まるで魔境だな… )
狩人時代、特になりたての頃に魔境に足を踏み出したときの感覚に似ていると思った。無意識のうちに剣の柄に手が伸びる。周囲にいる猛者達も同様に構えを取る。中には剣を抜き放つ者もいた。
暗視強化と魔力視を調整していく。街灯の光で明るさはある程度確保されているが、戦闘を十全に行うには足りない。乱戦になる予感も相まって慎重に準備を行う。
誘導を行っている警官の他に、周辺を警備していた警官達がいる。その者達がこちらに駆けてくるのが見える。ミゲルが今いる場所は大通りが交差するようにして少し広くなっていた。
ここが主戦場の一つになる。そんな空気が漂う。
―パンッ!
突如として破裂音が鳴り響く。周囲に白煙が上がり視界を覆い尽くしていく。
―パンッ!……パンッ!……
更に間隔を開けて何度も破裂音が響き渡る。反響や大きさから言ってここ以外でも起きているようだ。一帯にばら撒かれているのかも知れない。
魔力波で人間の位置関係は把握出来る。同士討ちの心配はないがこれで魔物の位置を特定しづらくなった。だが、問題は別のところにある。
(煙玉? 魔物がか? )
ミゲルは魔物が道具を使うなど聞いたこともなかった。人間が使ったようにも思えた。パニックを起こして使ってしまったのか、それとも人間がこの騒動を起こしているのか…?
自分の考えに動揺して注意が散漫になる。気付くのが遅れた。
煙の中から黒っぽい塊が飛び出し迫る。
(しまっ… )
金属光を反射するものが閃く。死が頭をよぎった。
―ザンッ…
一瞬、斬られたかと思う。だが、それは魔物の方だったようだ。近くにいた誰かが切り伏せたらしい。
「気をつけろ… 来るぞっ 」
自分を助けてくれた誰かの冷静な声にハッと我に返ると、剣を握り直して構えを取る。周りでは既に戦闘が始まっていて剣戟の音がそこかしこから響いてくる。
ミゲルも次々と白煙の中から飛びかかってくる小柄な魔物に対して無我夢中で剣を振るっていった。
必死に戦いながらもわかってくることがある。魔物は猿系の魔物のようだ。猿を見たことはないが概形は図鑑で知っていた。どういうわけか兜や鎧を装備し棍棒や短剣で武装している。
そこまで強い魔物ではないようだが防具に阻まれて致命傷を与えられない事もあった。切り伏せても起き上がって再び襲いかかって来ることもあるのが厄介だ。人間のように武器で攻撃してくるのもやりにくい。
それでも直ぐさま対応する。首などの守られていない箇所を狙って倒すやり方に切り替えて効率を上げていく。
気がつくと、いつの間にか顔も知らない誰かと背中をつき合わせて戦っていた。前方だけに集中して切り伏せていく。
だが、防ぎきれなかった攻撃により体の所々に損傷を受けていた。それでも、回復術で治して崩れるのを防げている。
全体の状況はわからない。しかし、警察の対応によって避難民を上手く逃がすことが出来ているようだ。あちこちから上がっていた悲鳴も今では聞こえない。
警察だけでなく市民達も奮起して立ち上がった結果なのだろうか?
状況は好転しているという前向きな兆候を信じ剣を振るい続ける。だが、そこに新たな脅威がやってきた。
巨大な魔物の気配が迫っている…ミゲルは感じた。自分では勝負にならない。そんな力の差を感じる。
薄くなりつつある白煙の中から巨大な魔物がその姿を現した。人間のように二本の足で直立する猿の魔物だ。ミゲルは知らないがオリバーにより隊長級と分類される個体である。
鎧を纏い、血のついた長剣を持つその姿は、異様さに加えて頭の位置の高さから実際よりも大きく感じられた。
逃げたい…ミゲルはそう思った。だが、まだまだ小型の猿たちが襲いかかってくる。その場を動けない。
(くそっ、どうする… )
相手はこちらに狙いを定めたようでまっすぐに近づいてくる。
危機的状況だ。しかし、逆にこっちから攻撃を仕掛けてやる…何故かそういう覚悟が湧いてきていた。背中を合わせて戦っているもう一人も同じようなことを考えているようだ。伝わってくる魔力から覚悟の高まりを感じる。
後は呼吸を合わせて二人同時に動き出すだけだ。片方だけだともう一方の背中が空く。
状況を見ながら動きを合わせようとしたその時だった。隊長級の前に一人の警官が飛び出てきて剣を交え始めた。
(強いっ…! )
ミゲルからすればその警官は相当な実力者に見える。体格も魔力も劣るが、巧な剣さばきで相手の斬撃を去なしていく。
このまま押し切れるのではないかという希望が湧いてきた。
だが、依然として状況は厳しい。小型の魔物はどれほどの数が存在しているかわからないほどに後から後から湧いてくる。隊長級と戦っている警官の方にも横から迫りつつあった。
(させるかっ! )
二人同時に動いて警官の背中を守るように位置取りをする。
今、警官に倒れられたなら一気に瓦解してしまう。もし小型を一匹でも向かわせたなら、辛うじて保たれていた均衡が崩れるのは火を見るより明らかだろう。
そんな危機感に突き動かされ、二人は示し合わせたわけでもなく連携して動き出す。必死に剣を振るって目の前に押し寄せてくる敵を倒していく。
地面に転がる魔物の死体を蹴り飛ばして新たに迫る魔物にぶつける。動きが止まったところを切りつけて倒す。横をすり抜けていこうとする相手に薙ぎ払いをかけて地面に倒し、上からのし掛かるように剣先を突き刺して始末する。
ミゲルは自分でも驚くような動きで魔物を倒していった。狩人をやめた一年前、おそらく自分の全盛期ですらここまでは動けなかっただろう。
あの時分にここまで出来ていれば、中級に上がることが出来たのではないか…そんな思いがむくむくと首をもたげてきてしまう。
(もっと集中しろ… )
雑念を振り切って戦いに集中し剣を振るう。すると、いつの間にか警官の後ろを預かる人員が増えていた。同じように考えた者達が連携を取り始めているということだろう。
大型の魔物は他にも沢山いるようで戦場の至る所で同じような戦いが繰り広げられている。視界に映っているわけでもないがミゲルにはなぜだかそれがわかった。
敵の数は多いが今は膠着状態を保てている。このまま耐えていれば警察の増援が来て形勢は一気にこちらに傾くだろう。そう信じて剣を振るい続ける。
しかし、その後ろで均衡は崩れようとしていた。
「ぐっ…… 」
大型と渡り合っていた警官がうめき声を上げる。大腿部を深く切りつけられ、少なくない量の出血を強いられる。溢れ出た血液は制服を濡らし道路に赤い染みができていた。
回復術で直ぐに傷口を塞いで出血を抑えていた。戦いを続けることは可能だろう。だが、傷を負う前のように戦うことは出来そうにない。
保たれていた均衡に
危機的な状況を理解してミゲルの意識は急激に冷めてきていた。感じられていた戦場の息吹も感じられなくなる。いつの間にか共に戦っていた仲間も何人か倒れ数が減っている。
そこに、さらなる脅威がせまる。
大型が一匹、ミゲル達が戦っている場所にゆっくりと歩いてきていた。返り血を浴び、身につけた鎧が所々赤く染まっている。手に持った剣には血糊がべったりと付着していた。
別の場所で戦っていた個体が新たな獲物を求めてやって来たのだ。
(もう、ここまでか… )
その姿をみたミゲルの心を諦めが支配していく。だが、完全に心が折れたわけでもなかった。
後ろ向きの中の前向きさとでも言おうか。ただ殺されるぐらいならせめて一矢報いてやろうと言う気にもなる。
不思議なことに、そう意識を切り替えた途端に心が何も感じなくなった。絶望も希望も、恐怖も勇気も…。何かがストンと抜け落ちるような感覚があった。何故か全身に力が
衝動に突き動かされるように地面を蹴る。自分より強大な敵に向かって一直線に突き進みながらもどこか冷静に状況を分析している自分がいる。
おそらく勝つことはできないだろう。
相手の斬撃を掻い潜って足を切断…機動力を奪いつつ注意を引きつけて時間を稼ぐ…すぐに方針はまとまった。そのことだけに意識を集中して体を動かしていく。
途中、小型の魔物が飛びかかってきたが冷静に見極めて切り伏せると勢いそのままに駆ける。
相手の間合いが迫る。初撃を躱すことが出来なければそのまま死ぬことになる。それを理解してなお正面から相手を見据える。
魔物は迫り来るミゲルに対して剣を振り上げて構えを取った。こちらもまた残酷なまでに冷静に殺意を用意している。
高く上げられた剣が振り下ろされようとしたその時…
―ボッ……
辺りを照らし出すような閃光が一瞬、走った。同時に空気が破裂するような音が鳴り魔物の胸に穴が空く。魔石が地面に転がる。
(えっ…?)
目の前の光景が信じられなかった。魔物から魔力圧が消失してゆっくりと地面に倒れ伏す。背中に穴が空いている。
周囲を見渡すとさっきまで動いていたはずの魔物達が一匹残らずいなくなっている。警官が相手にしていた魔物も路上に倒れ込んでピクリともしない。
少し離れた場所から建物の隙間を縫い、チカチカと閃光が見えた。その度に魔物の気配が消えていくのが辛うじて感じられる。
(光が魔物を倒しているのか? )
良くわからなかったが自分は助かったのだと理解した。
周辺から魔物が一掃されいる。ここでの戦いは間もなく終わりを迎えるだろう。
ホッとして地面に倒れそうになったが、静かになった戦場に倒れている者のうめき声が聞こえるようになると、今度は生存者の救助をしなければならないことに思い当たる。
ミゲルは疲労した体を引きずるようにして生存者を探しに行った。