扉を開けると、そこは天井の高い広い部屋だった。扉は部屋の端に繋がっていた。
奥には巨大な魔物がいる。いつでも飛びかかれるような体勢で、こちらを見つめていた。四つの目が光を反射して怪しく光る。
やはりいたか…
頭が二つあるオオカミ…ニルスの言っていた通りだな
どうやら、ここが大本命だったらしい。
しかし、当初の目的からしてみれば、こいつを狩り取れば終わりだった。しかし、それではもう済まなくなった。こいつを従えている人間をぶちのめすことが新たな目的だ。
さっさと倒して調査を進めたいんだが…
どうやら一筋縄でいかないようだ。魔力の大きさだけで言えばガルアドラを超えるかも知れない。
全身の毛は黒っぽくて、青みがかった灰色を基調としている。胸や首周りの毛は他よりも長くて白っぽい。尻尾は甲殻に覆われていて、その先っぽが鋭く尖っている。
地獄の番犬、ケルベロスと言った外見をしている。登場する作品によっては頭が三つだったり一つだったり、尻尾が蛇だったりするんだが、原典ではどうなんだろうな?
人間の考えることは世界が変わってもたいして変わらないようだ。頭とかが沢山あるイコール強い…なのかも知れない。
ケルベロスは感情が伴っていないような虚ろな目で俺を見ている。殺気はひしひしと感じているが、視線がそれと釣り合っていない。なんだがちぐはぐな感じがする。
不気味な相手だ…
扉の近くで観察しているが動きはない。近づいていって正面に立つとようやく始まりそうな雰囲気になってくる。
俺は“守継”を抜いて威嚇を放った。だが、反応はない。
威嚇を返してくれれば実力の一端を垣間見ることが出来るのだが、空気を押しているように手応えがない。縄張り争いといった概念がこの魔物には存在しないのだろうか?
調子が狂うな…
ならば…
―自在操水術式、如水心拠
手始めに防御を主体として戦うと決める。相手の力を見極めていくとしよう。
正面から飛び込んで接近すると、前足でのスタンプが跳んできた。それを転がるようにして前に飛んで躱すと懐に潜り込み、後ろ足に切りつける。
チッ… 硬いな…
硬くしなやかな毛に弾かれて、刃が入っていかない。すかさず水塊を飛ばして柔らかい腹部にぶち当てる。
内臓を衝撃で揺さぶってやる…つもりだったのだが、まったく効いていないな…
相手は水撃の勢いを利用して体を反転させると、宙を飛ぶようにして前足を薙ぎ払ってきた。
速いな…
―渇水走
後ろに身を引いて躱す。俺の眼前を空気を切り裂きながら魔力の塊が通り過ぎていった。
膨大な魔力と恵まれた身体能力はそれだけで脅威になり得る。コイツとの地力の差を考えると、正面からぶつかり合うのは危険だ。一撃でまともに喰らったならば一気に寄り切られる。
ならば…
渇水走で床上を高速で滑っていく。ケルベロスを中心にして、円を描くように回り込む。そして、死角から水撃を乗せた斬撃をたたき込んだ。
相手は反射的に攻撃があった方向へ反撃する。だが、動き続けている俺は既にそこにいない。
再び死角から斬撃を喰らわせて逃げる。そのままヒットアンドアウェーを繰り返していく。俺の斬撃は相手の装甲に弾かれるが、ケルベロスの方も俺の動きについてこれない。
どうやら、戦闘技術は大したことないみたいだな…
単純な肉弾戦しかやって来ていないという気がする。魔術も得意そうな感じがしなかった。
ならば、大きな隙を作り出してから貫通力のある大技を叩き込む。
そう算段を付けたところ、相手の動きに変化がみられた。魔力が高まり前足に集束していく。
魔術だな…
構成は単純で、どんな攻撃が来るのか丸わかりではある。しかし、出力は膨大だ。警戒して動きを注視する。的を絞らせないように動き続けることも忘れない。
ケルベロスが前足を振るうと巨大な風刃が俺に向けて放たれた。長く広がった超高気圧の刃が大気を歪ませ高速で迫る。
それを前進しながらギリギリで躱し相手に肉薄する。魔術を放った隙をついてカウンター気味に水撃斬を叩き込んでやると体勢を崩してよろめいた。
刃は入っていかなかったが、多少のダメージは通ったようだ。
そのまま、連撃で押し込む…そう決めて踏み込もうとした時、後ろから魔力が迫ってくる気配を感じ飛び退く。
すると、俺がいた場所を風刃が過ぎ去った。ケルベロスに当たる直前、手前で停止する。
先ほど放った風刃は未だに制御下にあるようだ。それなりに衝撃を通してやったはずだが構成が解けていなかった。
痛みに強いのか痛みを感じていないのか? それとも頭が二つあるからどちらかが魔術を制御しているということのか?
今までにないタイプの敵に戸惑いがある。そして、コイツから普通じゃない何かを感じていた。見た目がどうとか言うことではなく魔力の質に関してだ。異様な鋭さを感じる。
どこまで通用するかな……
―操雷電化術式、
再び風刃が放たれると、今度は剣を振り下ろしてくるかのような軌道で迫ってくる。
横に跳んで躱すと床のコンクリートを容易く切断してめり込む。そこから直ぐに形状を変化させて切り返し、横薙ぎの一閃を放ってくる。
それを跳んで躱すと、相手は空中で動きの制御が出来ない隙を見計らい、風刃を切り上げてくる。
水糸を天井に跳ばして引き上げて斬撃を躱し、天井に張り付く。そこから渇水走で天井や壁面を滑っていき立体的な動きで追いかけてくる風刃から逃げる。
逃げていると風刃は軌道を変え先回りして来た。
弾水を利用して跳ねて躱すと、今度は部屋のすべての面を跳弾のように跳ね回って攪乱していく。
ケルベロスは跳ね回る俺を四つの目で追う。タイミングを合わせて風刃を振るい攻撃を当てようとしてくるが、俺は銃弾やスーパーボールとは違う。反射角は俺のさじ加減でコントロール出来る。
当たらねぇよ!
予想がつかない軌道に相手は風刃を無茶苦茶に振り回して当てようとしてくる。だが、それも空振りに終わる。偶然、当たるような軌道に入って来たとしても、転水を使って空中で軌道を変えてやる。飛ぶ軌道も直線とは限らない。
完全に翻弄してやったところで、いよいよ攻撃を仕掛ける。
目で追いきれなくなり、明後日の方向を見ているケルベロスへと真横から突進していく。
途中で水を後ろに放ち、その反動で加速すると相手の手前で水を引き戻す。
―雷神装
水に引っ張られる体を電気の力で加速させつつ、水をイオン化させて電流を流し…
―雷電水撃
電撃を纏った水塊を横っ腹からぶち当てた。
接触した水塊は、体に沿って纏わり付くように変形しながら打撃と魔力を余すことなく伝えていく。
吹き飛ばされたケルベロスの巨体が壁に激突して轟音を立てる。部屋全体が揺れた。全身に浴びせた電撃も相まってかなりのダメージになっただろう。手応えありだ。
…!
―迅雷・渇水走
床に降り立った瞬間、俺目がけて風刃が飛んできた。身を床につくほどに低くしながら後ろに滑っていくと頭上すれすれのところを刃が通り過ぎる。
壁を切り裂いて刃は止まった。
相手を見ると、何事もなかったようにこちらを見ている。なかなかに異常なタフネスだ。水撃はともかく電撃でも集中を乱せないとは恐れ入る。
だが、欠点もあるな…
どうにも風刃をコントロールしている時は肉体の制御が疎かになるようだ。風刃を掻い潜って肉薄してやれば魔術を解くまでの間は容易に攻撃できる。
―迅雷・渇水走
不規則な軌道で左右に滑りながら接近していく。
更に速度が上がった俺の動きに狙いを絞り切れていない。目では追えているようだが魔術の制御がそれに追いついていなかった。
肉薄すると雷電水撃を叩き込む。纏わり付くように移動しながら当てる場所を変えて次々と喰らわせていき、魔力防御の薄い場所を探す。
…むっ!
尻尾の付け根辺りを攻撃した時、嫌がって体が跳ねるような素振りが見えた。
そこが弱点か…
その辺りが装甲が薄くて魔力を纏わせにくい場所のようだ。
ケルベロスは体を捻ってこちらに向き直ると噛み付いてくる。風刃は解けていた。
上に跳んで躱すと低くなった頭上を越え、一直線に尻尾の付け根に向かう。
―雷電水撃
“守継”の刀身を叩きつける。だがその時、グニャリとした手応えと共に水撃が手前で止められた。
透明な壁に受け止められたかのようだ。それだけでなく弾力性のある衝撃で体が吹き飛ばされる。
その勢いに乗って天井に足の裏から着地する。そのまま張り付いて相手の様子を見下ろしながら確認してみた。
全身が空気の鎧に覆われている。せっかく見つけた弱点も、これでは突くことが難しい。
弱点を突いたとしても回復されてしまうか…
仕留めるには頭部か心臓を狙いたいところだが、容易にはさせてくれないだろう。
考える間もなくケルベロスから攻撃が飛ぶ。風鎧の一部を触手のように伸ばしてくる。クンッとしならせた後、真っ直ぐに伸ばして突きが放たれた。
天井から落下して避けると、元いた場所を触手が貫いて砕く。結構な威力だ。床に降りた俺を追って触手が床に叩きつけられる。
後ろに跳んで避けた。
触手に叩かれた床は四方に亀裂が走り、砕けて細かな破片が飛び散った。衝撃で天井からコンクリート片が落ちてきて床に跳ねた。
触手はケルベロスの尻尾から伸びている。尻尾の動きに合わせて滑らかにくねり、本体を守護するようにふわりと広がった。
コントロール技術が先ほどまでの風刃と比べたら雲泥の差だ。確実に魔術での戦闘に馴染んできている。
ちっ…やるようになってきたじゃないか
技術面ではこちらが圧倒していたはずだが、徐々に差を詰められてきている。パワーでは圧倒的に向こうが上だ。このままだとどこかの段階で押し切られる。
攻撃の手応えを早めに掴みたいところだが…
“守継”を鞘に収めて“絶雷”を抜く。
体に纏う水をロープ状にして斜め前に二本飛ばし、先端を床に張り付ける。構えを取って足の裏を床に貼り付け、張力を溜めた。
……ギッ…ギッ……ギギ……
これで準備は整った…高速で接近して首を狙う
お互いに出方をうかがって動かなかった。相手はこちらの動きに合わせるつもりのようだ。
緊張が高まっていく。
触手の先がピクッと震えた。
瞬間、足の固定を解くと張力によりグンと体が前進していく。そこに触手による突きが飛んでくる。
飛び上がって触手を掠めるように躱すと、それをガイドにして上を滑っていく。途中で触手を蹴り上げて飛んだ。
―迅雷転水
うねって接近を阻止してくる触手の間を、加速しながら軌道を変化させて抜ける。
相手の頭上に出ると降下して首の上に立った。
―電華熱閃
赤熱する刃を首へ向かって振り下ろす。高熱が毛皮を焼き切る。防御を貫通し、肉に食い込んでいった。
このまま骨まで切る…
そんな手応えを感じた刹那、俺の体は宙に吹き飛ばされていた。
グッ……
手から柄が離れている。刀を手放された。そのまま部屋の壁に叩きつけられ、落下して床に落ちる。
どうやら、触手でぶったたかれて飛ばされたらしい。反射的にガードは入れていたが、衝撃が内臓まで揺さぶって痛みと気持ち悪さに襲われる。
そこに前方から衝撃波が迫ってきた。
体に纏っている水を防御に回して耐える。
クッ…ソッ…
ケルベロスの二つの口から放たれる衝撃波が重なって高め合い、威力を増大させていた。床のコンクリートが振動でひび割れていく。後ろの壁からミシミシと軋むような音が響く。
気を抜くと体が引きちぎられそうな予感に一瞬たりとも気が抜けない。
ようやく衝撃波が納まった時、間髪を入れずに正面から高熱が迫ってくる。
―低温熱変換
咄嗟に纏っている水を冷やして再び耐え忍んでいく。だが冷却が追いつかない。
火まで吹けるのかよ…
まるで伝説からそのまま出てきたみたいだ。
真っ赤な炎が吹き付けられ周囲を渦巻いていた。水温が上昇していき表面から蒸発させられていく。
炎が止んだ時には魔水をほとんど失っていた。
そして、眼前には前足を振り上げてこちらを見下ろしているケルベロスの姿がある。
チッ…
弾かれるように“守継”を抜くと、迫り来る巨大な前足に正面からぶつけ合う。
次の瞬間、俺は空中を舞っていた。視界がめまぐるしく回転して壁に叩きつけられて止まる。
雷神装を維持していなければ死んでいたな…
全身の痛みを
視線の先ではケルベロスの首に食い込んでいた“絶雷”が、少量の血と共に床に落ちて乾いた音を立てた。
俺を殺しきったと思ったのか回復に専念するみたいだ。詰めが甘い。だが、ちょうど良いので俺も回復していく。
…ん?
刀を持っている手に違和感がある。視線を落として確認してみた。すると、“守継”は根元から折れて先がなくなっていた。折れた先が床に転がり、恨めしそうに光を反射する。
このままでは勝てないか……
「ハッ、ハハハッ… 」
まだまだ俺を上回る相手がごろごろいると思うと、なんとなく、そこに可笑しみを感じる。
思わず笑いがこみ上げてきてしまった。