キメラの体高は二メートル、体長は四メートル程の巨体を誇る。
魔力量はジュジュよりもだいぶ多い。格上と呼べる相手だった。ひとりでそのような相手と戦うことは初めてのことだ。
しかし、恐れも気後れもない。負けるとは思えなかった。本能が告げている。
正面に立つと、にらみ合いが始まった。しかし、どこか普通ではない感覚を覚える。
相手からは、生き物としての感情が希薄なように感じられた。そのくせ、殺気のような、敵意のようなものはしっかりと放ってきている。
見た目からして普通ではないので、そこは気にしないようにした。ただただ、倒すことのみに集中する。
先に動いたのはキメラの方だ。
巨体に似合わない俊敏な動きでジュジュに向かって駆け出した。前足の爪を振り下ろし、引き裂こうとしてくる。
それをあえてギリギリで躱す。上に跳んで頭上を取ると、空射加速で尻尾の付け根辺りに向けて飛ぶ。すれ違いざまに魔力を込めた爪で蛇を切りつけた。
―ガキィッ…!
硬質な物に弾かれる音が響き渡る。鱗を何枚か引っぺがす事に成功したが内部までは斬撃を届かせることが出来なかった。
後ろを抜けて床に着地するジュジュ目がけ、蛇がしならせた体を伸ばして噛み付きを放つ。それを、体を捻って飛びギリギリで躱した。躱すついでに相手に向き直って着地する。
後ろから攻撃を仕掛けようかと隙をうかがうが、蛇が警戒の目を光らせて牽制してくる。
その間に、キメラはゆっくりと振り返りジュジュと正対する。間を置かずに再びキメラから攻撃が始まった。
今度は蛇が連続して噛み付きを放ってきた。キメラ本体がジュジュに接近すると蛇が体をしならせて伸びる。
噛み付きの合間に鞭のような薙ぎ払いも混ぜる。高速の攻撃に空気を切る音が響き渡った。
それをジュジュは的確に躱していく。空歩を有効に活用して素早く小刻みに動き、狙いを定めさせない。不規則な動きで相手を翻弄し、時折、蛇に攻撃を喰らわせる。風刃を纏った爪による斬撃だ。
攻撃の隙を突いて放たれた斬撃が、鱗も皮も切り裂いて出血をさせる。たまらず蛇が身を引くと、その瞬間、山羊の頭から魔術が放たれた。
キメラを中心に放射状に暴風が吹き荒れる。間髪入れない攻撃にジュジュの防御が間に合わず、後方へ吹き飛ばされていく。壁に叩きつけられて床に落ちた。
そこにキメラの爪が迫る。吹き飛ばされる間に接近されていた。申し分のない連続攻撃だった。躱すのは難しい。
爪がジュジュを引き裂く―その様に思われたがキメラの前足は空を切った。
空術による急加速で相手の足元を抜けていく。勢いを乗せて、通り抜けざまに後ろ足に爪を立てて引き裂き、鮮血が舞う。
だが、手応えはあまり感じられなかった。
硬く厚い毛皮に阻まれて傷は浅い。回復術で直ぐに塞がれてしまう。ジュジュは地力の差を痛感させられた。
だが、速度は自分の方が上であると確信する。
再び空射加速を使い、肉薄して脇腹を切り裂く。加速途中で更に別方向に加速すると、今度は背中に爪を立てた。
キメラもやられるままにはさせまいと反撃を試みる。ジュジュの動きを予測し、前足を振り上げて爪で薙いでくる。攻撃を避けようと場所を移動し、飛び上がって回転し狙いを絞らせない。
しかし、ジュジュは滑らかに加速して空中を自在に飛び回る。キメラの反撃を余裕で躱し、その動きに追随していく。攻撃を回避しながら、体の至る所を爪で引き裂いていった。
傷は浅いものの確実に出血をさせている。
どこまで痛めつければ相手が死ぬのか先は見えない。だが、一方的に攻撃をしている状況だ。続けていれば、いつかは殺し切ることが出来る。
一方的な状況に焦りを抱いたのか、キメラもジュジュと同様に、空射加速に近い魔術を用いて対抗する。
互いに空中を飛びながら、爪による斬撃の応酬が始まった。だが、それでもジュジュの優位が揺らぐことはない。
キメラの加速は直線的で断続的な加速であり、加速と加速の合間に隙が出来る。魔力防御の隙にもなっていた。
その瞬間を狙われると、確実に深い傷を負うことになる。好機を見逃すようなジュジュではなかった。
空中戦でも、キメラはジュジュには及ばない。むしろ、より不利な状況になっていた。しかし、体力と魔力はキメラに軍配が上がる。地力に裏打ちされた継続力を持って試行を繰り返していけば得られるものもあった。
回を重ねるごとに、キメラの魔術は洗練されていった。より滑らかに魔術が発動され、動きと動きの隙が小さくなっていく。
やがて、ジュジュと比べても遜色のない魔術で空中を飛ぶようになった。滑らかな軌道で空中を駆けていく。魔術と魔術の隙を狙われることもない。
しかし、それでも、ジュジュによる一方的な状況は変わらなかった。
自らが仕掛けるあらゆる攻撃を縫って、逆に攻撃を返される。キメラの中に焦りのようなものが生まれていた。
無茶苦茶に爪を振るい運任せに打ち落とそうとするが、ジュジュは冷静に距離を取り、攻撃終わりの隙を突いてくる。
状況を打開するため、尻尾の蛇も攻撃に加わった。だが、それは悪手だった。より大きな隙が生じ激しい反撃を喰らうこととなる。
打開策を見いだせないまま、体中を爪で裂かれていく。魔力も体力にも、まだまだ余力はあったがこのままでは確実に逆転をされるだろう。
一方でジュジュも焦れていた。このまま続けても圧倒し続けられる自信はある。しかし、終わりが見えない。相手の成長力を考慮すると、長々と戦闘を続けていくことに不安があった。
まだまだ、隠された能力があるようにも感じている。頭が三種類ついていること、膨大な魔力を保有していることがこの先の戦いを予測がつかないものにしている。
攻撃を続けながら頭部を狙う隙をうかがうことにした。頭への攻撃なら十分な手応えを得られるという予感があった。
蛇の攻撃を誘うためにわざとキメラの後ろで空射加速を中断する。相手からは魔力切れを起こしたように見えただろう。果たして蛇はそれに食いついた。
隙を逃すまいと、大口を開けて相手の後ろ姿目がけ体を伸ばしていく。顎が閉じられて牙が突き立てられようとした、まさにその瞬間、ジュジュの空射加速が炸裂する。
蛇の顎は空を切った。牙は虚しく折りたたまれていく。空術も解除していた。
キメラの巨体は尻尾を伸ばしたまま床に向かって落下していき、足から着地しようとしている。
ジュジュはキメラを追い越すように飛んでいき、斜め後ろからライオンの頭部…目を狙って爪を振り抜く。眼球を深く
爪の軌道が確実に狙いを捕らえている…ジュジュには確信があった。
しかし、眼球を捉える直前、ジュジュの体は大気に押され、あらぬ方向へ飛ばされてしまう。
身体感覚で姿勢を認識すると直ぐに空術を使用し、キメラから距離を取りつつ足から着地していく。
ジュジュの攻撃を
草食動物の持つ広い視野でジュジュの動きを捉えていた事もそうだが、蛇が攻撃を躱されたことを察知して相手が反撃をしてくると予想できていた。三つの頭が互いに感覚を共有できることが、素早い対処に繋がっている。
ジュジュは距離を取りながらキメラと睨み合う。これからどう攻めていくかを考える。
これまでの戦いからキメラの特性を理解しつつあった。三頭分の魔力を併せ持ち、異常なほどの魔力を誇る。膨大な魔力に裏打ちされた攻撃力や耐久力などの肉体性能と強力な魔術が脅威だった。
そして、三者三様に独自の感覚器官で捉えるため、広くて独特な視野を持つ。
だが、欠点もある。
背骨で繋がっているため、蛇が独自に動き出すとライオンの体の動きが、ぎこちなくなる。激しく動く時は足が止まる瞬間もあった。
ジュジュは体の構造を詳しく知っているわけでもないが、それを見抜く。
高速で近接戦闘をしている時も体の構造が不利に働いていた。蛇が独自に動くことにより全体の動きに不安定さが加わる。また、山羊の頭があることによって左右のつり合いが悪い。
体の制御はライオンが中心を担っているようだが、その思い通りに動かせていない。体の動きがものを言う近接格闘戦では、体構造上の理由でその力を発揮出来ないことを理解していた。
肉薄して戦うべきだとジュジュは考える。それも空術を使用し、速度で翻弄するのが最善であるとも。つまりは先ほどまで行っていたことの延長だ。
火力の面で不安はある。だが、まだ奥の手があった。雷術をここに来て一度も使用していない。
主の使う雷神装と同様の術式であれば、一撃一撃を大幅に強化することが出来る。同時に電撃で体の内部にも損害を与えることが可能だ。
戦術の方針が決まると前傾姿勢を取って走り出す構えを取る。睨み付ける先でキメラは不動の構えを見せていた。
四つ足を開き気味にして体を安定させるような構えだ。どうやら、相手も何か戦う方針を決めたらしい。
そのまま睨み合いが始まる。
互いに動かないまま刻々と時間が過ぎていった。
一分ほどが過ぎただろうか? 先に動いたのはジュジュだ。
正面から一直線に向かう。十分に接近して相手の間合いに侵入した。その瞬間、加速するために空術を発動させる。
加速して足元に取り付くかに思われた。
だが、ジュジュは魔術の発動をやめる。突如として後ろに飛び上がった。
それより一瞬早く、キメラの体を中心にして暴風が全方位に広がる。
躱しきれずに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。落下して床に着地する瞬間、赤い炎がジュジュに迫った。
床を蹴って横に飛び退く。躱すことは出来たが、炎はジュジュのあとを追っていき焼き尽くさんとする。
蛇の口から細く伸びた炎が吹き出され、ジュジュの近くで広がり攻撃範囲を拡大していた。
キメラは近接戦闘でジュジュを上回ることは出来ないと判断して動くことをやめた。固定砲台と化して敵を迎え撃つ戦術を選択したのだった。
相手と比較した自分の強み…膨大な魔力量を生かして戦うことが最も有効だと判断していた。
ジュジュは炎に巻かれる前に空射加速で逃れると、キメラの後ろに回り込んでから接近を試みる。
キメラは相手の動きに合わせて体の向きを変えつつ、獅子の口から衝撃波を放つ。
動きの軌道を予測して次々と放たれる衝撃波に対して、ジュジュはそれを上回る動きで回避していった。
左右に不規則に加速して衝撃波を躱す。場に展開されるすべての衝撃波を同時に把握して相手に接近できる経路を算出する。ギリギリを避けながら前進しキメラに接近する。
自分の間合いに入り再び接近戦に持ち込もうとしたその時、またしてもキメラを起点として全方位に暴風が吹き荒れた。
ジュジュは山羊の頭がこの魔術を放っていると理解したが、それが判ったとして躱す先のない全方位攻撃を避ける術がなかった。
正面から受けると決め、空術で防御を試みる。
体の周りに空気の層を作り出し、吹き付けてくる暴風から身を守りつつ、その場に留まろうとする。
しかし、今度は先ほどのものより威力が高い。
魔力を高めて抵抗していくが、その場に留まるジュジュに対して風が集中していく術式だった。加速的に威力が高まっていき、抵抗虚しく吹き飛ばされていく。
激しく壁に叩きつけられ、魔力を内包した風に圧縮される。骨が軋み内臓が圧縮される痛みに魔力を増大させて抵抗していく。
致命的な損傷はなく耐え忍ぶことは出来た。
だがそこに、獅子が放つ衝撃波が叩きつけられる。この機会を逃すまいと、最大の威力で何度となく放たれ、混凝土の壁は爆発四散した。
煙が周囲を覆っていきジュジュの姿は視界から消える。それでもなお、獅子の口から衝撃波が放たれ続けていた。