山中の廃集落に、その家はあった。
瓦屋根は半分崩れ、壁には戦時中のものと思われる弾痕がいくつも残っている。私は民俗調査のため、その家に一晩泊まることになった。
家の奥、仏間だったであろう部屋に入った瞬間、異様なものが目に入った。
――骸骨。
畳の中央に、正座するような形で置かれていた。
しかも、古びた**軍服**をきちんと着込んでいる。階級章は擦り切れ、帽子だけが脇に揃えられていた。
不思議なことに、恐怖よりも先に「行儀が良すぎる」という印象が湧いた。
村の古老は言っていた。
「その家の主は、戦争から帰らなかった」
「だが、帰ってきたとも言える」
夜半、私は物音で目を覚ました。
**カチャリ**
金属が触れ合う、乾いた音。
骸骨のいた方角からだ。
懐中電灯を向けると、骸骨は――**立っていた**。
軍服の袖は中身のないまま垂れ下がり、それでも背筋だけは異様なほど真っ直ぐだった。
骸骨は私の方を向き、顎骨をゆっくりと上下させた。
「……点呼」
声はない。
だが、確かに**命令の意志**だけが伝わってきた。
私は反射的に立ち上がり、背筋を伸ばしていた。
なぜそんなことをしたのか分からない。ただ、逆らってはいけないと骨の髄まで理解した。
骸骨は一歩、また一歩と近づいてくる。
軍靴は履いていないはずなのに、床に**規則正しい足音**が響く。
そして、私の耳元で止まった。
「……まだ、足りない」
瞬間、視界が歪んだ。
部屋の壁が消え、代わりに戦場が広がる。泥、血、叫び。倒れた兵士たち。その中に――**同じ軍服を着た骸骨が、無数に正座している**。
彼らは皆、私を見ていた。
「補充兵」
その言葉と同時に、胸が異様に軽くなった。
朝、村人に起こされた時、私は仏間で倒れていた。
骸骨は元の位置に戻っていたが――**軍服だけが一着、増えていた**。
それは、私のサイズにぴったりだった。
帰り道、私はふと気づいた。
背筋が、以前よりも真っ直ぐになっていることに。
そして今夜も夢の中で、私は聞く。
**点呼の声を。**
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帰宅してから数日、私は奇妙な規則性に縛られるようになった。
朝は必ず同じ時刻に目が覚める。
布団の中で寝返りを打とうとすると、胸の奥が軋み、自然と仰向けになって背筋を伸ばしてしまう。
食事の前、無意識に姿勢を正している自分に気づいた時、私は初めて本気で恐ろしくなった。
鏡の前に立つ。
顔は変わらない。
だが、立ち姿だけが違っていた。
**「休め」と言われるまで、決して崩してはいけない姿勢**を、体が覚えてしまっている。
その夜、夢を見た。
私は仏間にいた。
骸骨はもう一体ではなかった。整然と並んだ骸骨の列、その全てが軍服を着ている。サイズも、階級章も、微妙に違う。
そして、最後列に――**まだ肉の残った私自身**が立っていた。
「貴様は遅い」
誰かが言った。
怒声ではない。ただの事実として告げる声。
「死んでもなお、整列を乱す気か」
次の瞬間、私の体から音が消えた。
心臓の鼓動も、呼吸音も、すべて。
**代わりに聞こえてきたのは、骨が擦れる音だった。**
目が覚めると、布団の横に軍帽が置かれていた。
拾い上げると、内側に名前が縫い付けられている。
かすれてはいるが、確かに――**私の名前**だった。
私はあの廃集落を再び訪れた。
家は以前よりも荒れていた。
だが仏間だけは、妙に整っている。
骸骨は、また正座していた。
いや、**一体増えている**。
新しい骸骨は、まだ白い。
そして、その軍服は、私が夢で見たものと同じだった。
古老が、背後から言った。
「順番が来たんだよ」
私は振り返れなかった。
振り返ったら、もう戻れないと分かっていたからだ。
「戦争は終わったがな」
「点呼だけは、終わらなかった」
仏間に入った瞬間、体が勝手に動いた。
骸骨の列の最後に、立つ。
骸骨が一斉にこちらを向く。
その中の一体が、私の肩に手を置いた。
冷たいはずなのに、奇妙に馴染む。
「……欠員、補充完了」
世界が、静止した。
朝、村人が家を訪れた時、仏間には骸骨が並んでいた。
軍服の数は、また一つ増えている。
その中に、**まだ少しだけ血の色を残した白骨**があったことに、誰も触れなかった。
そして今も、山奥のその家では――
**終戦を知らない点呼**が続いている。