万象、紙に綴れば   作:Mebius217

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第15話:白紙の束と、呪術師の業

 

 

 

午前中。薄暗い高専の資料庫には、古めかしい紙の匂いとカビの香りが微かに漂っていた。

 

 

「はぁ……やっぱり、ないか……」

 

 

高く積まれた古文書や巻物の山を前に、眞白は一人、深いため息を吐き出した。

家入との朝食を終えた後、彼女は『術式を付与しない領域展開』についての記述や似たような事例がないかを探すため、資料庫に籠って文献を漁っていたのだ。

しかし、どれだけ埃を被った古い記録をめくっても、求めているような答えは見つからなかった。

 

 

「っていうか、術式を付与しない空間って、そもそも『領域展開』って呼んでいいのかなぁ……?」

 

 

ただ呪力で空間を分断しただけの「空っぽの箱」。

資料を片付けながら、眞白の心の中に徐々にナイーブな疑問が湧き上がってくる。

 

 

「まぁ、いっか! 午後は切り替えて術式の練習でも……しようと思ったけど、そもそも紙のストックがないや」

 

 

自身のポケットを探りながら、眞白はぽつりと独り言を漏らす。

彼女の生得術式である『折紙呪法』は、媒体となる紙がなければ発動できない。自身の折り紙も、最近の激しい訓練のせいで残り少なくなっていた。

 

 

「私の折り紙だけじゃ、すぐなくなっちゃうしなぁ。たまには美味しいスイーツでも食べて、その帰りに画材屋さんで質の良い紙を大量に買っておこっと」

 

 

最近は過酷な肉体労働ばかりで、カフェ巡りもご無沙汰だった。持ち前の「自分の青春を全力で謳歌したい」という前向きで少しばかりちゃっかりした性格が顔を出し、眞白は気を取り直して散らかった資料を元通りに片付け始めた。

 

 

「よし、お片付け完了! 今日は何しようかな〜」

 

 

午後の予定を考えながら、ご機嫌な様子で資料庫の重い扉を開けて外に出る。

すると、そこには。

 

 

「あれ? 夜蛾学長。こんにちはです」

 

 

廊下の向こうから歩いてきた大柄な人物――夜蛾正道と偶然遭遇した。

眞白は立ち止まり、行儀よくペコリと頭を下げて挨拶をする。

 

 

「あぁ、やはりここにいたか、綴。休日に資料庫とは、勉強熱心で素晴らしい」

 

 

夜蛾は恰幅の良い腕を組み、サングラスの奥の目を少し細めて感心したように深く頷いた。

 

 

「ここにいたかって……私のこと、探されていたんですか?」

 

 

偶然の遭遇かと思いきや、どうやら最初から自分を探して足を運んでくれたらしい。眞白が不思議そうに小首を傾げて尋ねる。

 

 

「そうだ。悟から明日の試験について、『先ほど』聞いてな」

 

 

夜蛾はなぜか『先ほど』という部分を異様に強調し、額に青筋を浮かべるようにして言った。その低く重い声には、またしても事後報告にしてきた不良教師への、隠しきれない呆れと苛立ちがドロドロと滲み出ている。

 

 

「ここは学長らしく、お前にお節介とプレゼントを用意したんだ。歩きながら話そう、ついてきなさい」

 

 

夜蛾はそれ以上五条への愚痴をこぼすことはせず、くるりと大きな背を向けてゆっくりと歩き出した。

 

 

「は、はい!」

 

 

大股で歩く夜蛾の後ろを、眞白は慌てて小走りで追いかける。

 

 

「お節介にプレゼント……ということは、学長は明日、五条先生が何をするか知ってらっしゃるんですね?」

 

 

眞白は隣を歩きながら、今一番気になっている懸念事項を探るように上目遣いで聞いた。

 

 

「あぁ、もちろんだ。と言っても、悟に固く口止めされていてな。私からは内容は言えない」

 

「えぇぇ……そんなぁ……」

 

 

その非情な宣告に、眞白は目に見えて肩を落とし、どんよりと落ち込んだ。

 

 

(絶対にろくでもないことだわ……急に富士山の山頂に置いてけぼりにされるとか、深海に沈められるとか……!)

 

 

ブツブツと一人で最悪の被害妄想を繰り広げながら夜蛾の横を歩いていると、不意に前を歩く彼が立ち止まった。

顔を上げた眞白は、目の前にある扉のプレートを見て息を呑む。

 

 

「あれ、職員室……ですか? ……まさかっ!」

 

 

眞白が急に頓狂な声を上げたかと思うと、たちまち顔面を蒼白にさせた。

 

 

「わ、私何かしちゃいましたか!? ……っは! まさかプレゼントってお説教のこと!?」

 

 

呼び出された先が「職員室」という事実だけで、学生特有の恐怖心が煽られたのか、眞白は一人で全く見当違いな被害妄想を猛スピードで展開し始める。

 

 

「………はぁ。落ち着け! 綴!」

 

 

あまりの飛躍っぷりに、夜蛾がたまらずドスの効いた大声を廊下に響かせた。

 

 

「は! はいっ!」

 

 

その雷のような声にビクッと肩を跳ねさせた眞白は、反射的に背筋をピンと伸ばし、軍人のように姿勢を正した。

 

 

「プレゼントが説教などとは、そんな嫌味な言い回しは私はしない」

 

 

夜蛾は酷く疲れたようにこめかみを押さえて息を吐くと、話を本筋に戻すべく職員室の扉を開けた。

 

 

「お前に渡したかったのはあれだ」

 

 

そう言って、夜蛾は職員室に入ってすぐの壁際に鎮座している、二つの巨大なダンボール箱を指差した。

 

 

「ダンボール……ですか?」

 

 

眞白はキョトンと目を瞬かせ、困惑しながら聞き返す。

 

 

「正確には、ダンボールに入っている『紙』だ」

 

 

夜蛾はそう言いながら、ダンボールの蓋を覆っていたガムテープを剥がし、中を大きく開いて見せた。

そこには、術式の媒体として申し分ない、真っ白で上質な真新しい紙の束がぎっしりと隙間なく詰まっていた。

 

 

「紙って、こんなにたくさん!?」

 

 

先ほどまで「紙がない」と頭を悩ませていた眞白は、夜蛾の想定通りの、見事なまでの驚きと喜びの表情を浮かべた。

 

 

「あぁ、そうだ」

 

 

目を輝かせる教え子を見て、夜蛾は口元に薄く優しい笑みを浮かべて続ける。

 

 

「これ自体は高専からの支給品という扱いになる。実際は任務を達成した際の報酬からこの分の金額が引かれるわけだが、お前はまだ任務に行っていないからな。これは俺からの遅めの入学祝い、もとい、明日の試験の前祝いとして受け取ってくれ。……期待しているぞ」

 

 

夜蛾はサングラスの奥の目を和らげ、どこか父親のような温かみのある声で語りかけた。

 

 

「あぁ、あ、ありがとうございます! 夜蛾学長!」

 

 

学長の不器用ながらも深い心遣いに、眞白は「九十度」という言葉がふさわしいほど腰を綺麗に折り曲げ、心からの感謝を込めてお礼を言った。

 

 

「喜んでもらえて何よりだ。流石にこの量を一人で自室まで運ぶのは骨だろう。明日の試験前にここまで来なさい。運ぶのはパンダにも手伝わせよう」

 

 

夜蛾はそう言って、満足そうに腕を組んだ。

 

 

「パンダさんにも、明日しっかりお礼を言わないと」

 

 

目の前に積まれた真新しい紙の束を眺め、眞白はまだ興奮が収まらない様子で嬉しそうに呟いた。これだけの質と量があれば、頭の中で渦巻くイメージを形にするための「弾」に困ることは当分ないだろう。

 

そんな浮かれた様子の教え子を黙って見下ろしていた夜蛾だったが、ふと、わざと低く、含みを持たせた声で呼びかけた。

 

 

「あと、その様子だと忘れているかもしれんが」

 

「へ?」

 

 

眞白が間の抜けた声を出し、紙の束から夜蛾へと視線を戻す。

 

 

「先ほど、俺はお節介をしに来たと言っただろう?」

 

「あっ……お節介……ですか?」

 

 

プレゼントの喜びが強すぎて、その前置きをすっかり頭から逃していたらしい。眞白はまだ頬を上気させたまま、不思議そうに聞き返した。

 

 

「そうだ」

 

 

夜蛾はゆっくりと腕を組み、職員室の空気を引き締めるような重々しい口調で語り始めた。

 

 

「明日の試験を大まかに言うと、お前がこれから『呪術師としてちゃんとやっていけるか』を確かめるためのものだ。先ほども言ったが、具体的な内容までは口止めされていて言えんがな」

 

 

夜蛾はそこで一度言葉を切ると、ゆっくりと振り返り、サングラス越しに眞白の目を真っ直ぐに見据えた。

そして一拍置き、先ほどまでの「入学祝いを贈る年長者」としての温かみを一切消し去った、冷徹で真剣な教育者の顔で改めて口を開く。

 

 

「お前が、高専に来た初日に、俺はお前に聞いたな。……なぜ呪術師になりたいのか、とな」

 

 

その低く響く声を聞いた瞬間、眞白の背筋にゾクリとした冷たいものが走った。

あの入学初日。薄暗い部屋で、無数の呪骸に囲まれながら受けた面接試験。あの時の、心臓を直接掴み出されるようなヒリつく空気が、一瞬にして職員室を支配したからだ。

 

 

「そしてお前は、こう答えた。この『力』で、いろいろなものを作りたいから、と。人助けのためではなく、あくまでも自分のために呪いを祓う呪術師になるのだと」

 

 

夜蛾は、教え子の根幹にある「核」を暴き出すように、落ち着いた声で問いかけた。その真剣な眼差しを正面から受け止め、眞白は少し緊張した面持ちで、だが淀みなく口を開く。

 

 

「……はい。私は、人助けをしたくないわけではありません。でも、やっぱり私の中で一番優先度が高いのは、ものを作ることなんです」

 

 

眞白は自身の胸にそっと手を当て、少し苦笑いを浮かべながら、心の中にある嘘偽りのない本音をポツリポツリとこぼし始めた。

 

 

「なんて言うか……頭から常にイメージが溢れてくるんです。それを早く作って外に出さないと、居ても立ってもいられないっていうか。何ででしょうか、自分でもよくわからないんですけど。それに、あの化け物……呪霊と戦うのは、今でもやっぱり怖くて、慣れるのには時間がかかりそうですが」

 

 

正直に弱音を吐いた後、眞白はふっと顔を上げ、夜蛾の目を真っ直ぐに見つめ返した。

 

 

「でも、この呪術高専に来て、自分と同じものが見える人がいて……一人じゃなかったことへの安心感と。それから『あともう一つ』、再確認できたんです」

 

 

眞白自身は全く気づいていなかった。その言葉を口にした瞬間、彼女の頬が徐々に異常なまでの赤みを帯び、口角が吊り上がるように歪な弧を描いていったことに。

 

 

「この力は、私の想像以上に『なんでもできる』んだって……!」

 

 

静かだった声に、徐々に隠しきれない熱がこもっていく。

いや、それは単なる熱などではなかった。

 

ゴクッ、と。夜蛾がわずかに喉を鳴らす。

気づけば、職員室の室温が急激に下がったかのような錯覚に陥っていた。

眞白の足元から、黒く重厚な呪力が、まるで意思を持ったヘドロのようにドロドロと溢れ出し、足首を這い上がり、空間そのものを不気味に歪ませ始めていたのだ。

 

 

「だから! 私は、この頭から溢れるイメージと、この力で……もっと」

 

 

眞白の瞳孔が限界まで開き、焦点の合っていない虚ろな目が、見えない「何か」を貪欲に見つめていた。

 

 

「もっと、もっともっと。もっともっともっともっともっともっともっと」

 

 

息継ぎすら忘れたような、異常な早口。

まるで壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返すその声は、次第にボリュームを増していく。

 

 

「もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと」

 

(なんだ、この呪力は……!)

 

 

数多の修羅場を潜り抜けてきた一級術師である夜蛾でさえ、その異常性に本能的な悪寒を感じた。

少女の華奢な身体から際限なく溢れ出す呪力は、恐怖や怒りといった一般的な負の感情ではない。ただ純粋な「執着」と「狂気」の煮凝りだった。

 

 

「もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおっっっと!!! たくさんの作品を作ることができるんだって!!」

 

 

鼓膜を劈くような、歓喜と狂気に満ちた絶叫に近い宣言。

大袈裟で、子供の我儘のようでありながら、そこには絶対的な説得力を伴うドス黒い重圧があった。

普段の大人しく気弱な眞白からは到底考えられないほどの剥き出しのエゴイズムと、部屋の空気を圧し潰すほどの不気味な呪力のプレッシャー。

 

それを至近距離から正面で浴びた夜蛾は、そのあまりの気迫に、思わず冷や汗を流しながら「一歩、後ずさって」しまった。

 

その、次の瞬間だった。

 

ピタリ、と。

眞白がスッと俯いた途端、部屋を満たしていた狂信的な熱と重圧が、嘘のように消え去った。

パキリと音を立てて空気が凍りついたような、不気味なほどの静寂。

 

 

「――だから、邪魔なんです」

 

 

落ちた前髪の影から響いたのは、一切の感情が抜け落ちた、ひどく冷たく無機質な声だった。

 

 

「私の平穏な創作活動を脅かす、あの芸術性のカケラも感じられない『失敗作』たちが」

 

 

それは、紛れもない呪霊への殺意だった。

しかし直後、眞白はハッとしたように目を瞬かせ、きょとんとした顔で視線を彷徨わせた。

 

 

「………あれ? 何で私……こんなこと。……まぁ、いいや」

 

 

自分でも初めて吐き出すその底知れないドス黒い感情に、ほんの少しだけ戸惑った様子を見せたが、眞白はあっさりとそれを思考の隅へと追いやった。

 

 

「すみません、夜蛾学長。なんか一人で興奮してたみたいです」

 

 

すっかり元の「普通の女子高生」の落ち着きを取り戻した眞白は、何事もなかったかのように軽く頭を下げて謝罪した。

 

 

「でも……もしできるなら……」

 

 

眞白は言葉を続け、たっぷりと間を取った。

そして、無邪気な子供が壊れたおもちゃを見るような、ひどく残酷で静かな声で紡いだ。

 

 

「私が、綺麗に『作り直して』あげるのになぁ……」

 

 

その瞬間、彼女の瞳の奥に宿っていたのは、呪霊に対する恐怖などではなかった。

歪みきった「哀れみ」だ。

人々の恐怖や怨念から生まれ、人を殺す存在である呪霊たちを、ただの「失敗作」と見下し、己の作品の素材として作り変えようとする、傲慢なまでのエゴイズム。

 

 

(……なるほどな)

 

 

眞白が職員室を去った後。夜蛾は一人、今しがた教え子が見せた異質で底知れない狂気を思い返し、深く思考に沈んだ。

 

 

(あの様子なら、明日の試験は問題なさそうだな……)

 

 

そう結論づけた時、ガラリと軽い音を立てて職員室の扉が開き、一人の男が入ってきた。五条悟だ。

 

 

「あれ? ここでなんかあった? 眞白の呪力の残穢がえらいことになってるけど」

 

 

五条は、部屋に色濃く残る不気味な呪力の残滓に気づき、鼻をひくつかせるような仕草をしながら不思議そうに夜蛾へ問いかけた。

 

 

「いや、なんでもない。少し明日のために発破をかけただけだ」

 

 

夜蛾が短く答えると、五条はニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

 

「へぇ。眞白、緊張してなかった?」

 

 

少しここにいない教え子を揶揄うような、楽しげな五条の口調。夜蛾はそれに対し、何かを確信したように一拍置いてから、不敵な笑みを返した。

 

 

「緊張こそしていたが、あの様子なら問題ないだろう」

 

 

そして夜蛾は、五条の顔を見て、彼の言葉を借りるようにして告げた。

 

 

「あいつは――ちゃんと『イカれてる』」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、五条は待ってましたと言わんばかりに目を細め、今日一番の嬉しそうな顔をして答えた。

 

 

「当然でしょ? 僕の生徒だよ?」

 

 

最強の呪術師は、己の教え子の狂気を誇るように、自信たっぷりにそう言い放った。

 

職員室の窓の外では、初夏の風が青葉を激しく揺らしている。

呪術師としての芯。圧倒的なエゴイズム。

そのいびつな蕾を確実に見せ始めた少女は、明日、最強の術師によって容赦なくその実力を試されることになる。

来るべき「死合い」の幕開けは、もう目の前にまで迫っていた。

 

 

 






お久しぶりです。

ちゃんと書き続けていますよ。

今回は、眞白の呪術師としての芯を作るための五条の試験に向けたお話です。

もう少ししたら交流会のお話も書くと思います。

時間はかかると思いますが、これからも読んでくださると大変ありがたいです。

ちなみに時間軸についての質問がありましたが、これから物語が続けば必然とわかりますので気長にお待ちください。って言っても案外すぐわかるかもしれませんが。

あ、あと。眞白の反転術式の習得のお話と特級になるお話とかちゃんと考えているのでそこまでは頑張って書くつもりです。
できれば原作まで書きたいな~とか思っています。

てことで、
次回、眞白、五条にボコボコにされるの巻。ぜってぇ見てくれよな!

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