万象、紙に綴れば   作:Mebius217

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お久しぶりです。
いろいろ詰め込んだせいで文章量が多くなって時間もかかちゃいました。

※流血表現注意




第16話:日常の終わりと、目覚める切り札

 

 

 

試験の日。

いつものように、眞白は自身の頭の中で被害妄想を極限まで膨らませてしまったせいか、すっかり寝不足のまま、目覚まし時計が鳴るよりもずっと早く目を覚ましてしまった。

 

 

「うぅ……五条先生のテストって……絶対ろくなことにならない……」

 

 

薄暗い部屋のベッドの中で膝を抱え、今日のテストの最悪なシチュエーションをいくつも想像し、早くも極度の緊張をし始めた眞白はごくりと生唾を飲み込む。

 

しかし、ここで縮こまっていても始まらない。眞白は「うしょっ」と気合いを入れてのそのそとベッドから起き上がると、手早く身支度を済ませた。

少しでもガチガチになった心身をリフレッシュしようと思い立ち、「早く起きちゃったし、たまには朝風呂なんかしてもいいかもな」と考えながら、いつかの日のように女子寮の大浴場へと向かう。

 

脱衣所に入ると衣服を脱ぎ捨て、大浴場のシャワースペースへと向かった。

最初は冷たい水を顔に浴びて強制的に脳を叩き起こし、そこからだんだんと温度を熱くしていく。寝不足で重たくなっている両目を重点的に温めると、少しだけ頭がすっきりしてきた。

 

 

「ふぅ……」

 

 

ほっと息を漏らしながらシャワーを止め、浴場内の壁に設置してある時計を確認する。まだ時間にはたっぷりと余裕があることを確認した眞白は、そのまま外の空気が吸える露天風呂へと向かって歩いていった。

 

基本的にお湯にゆっくり浸かるのは、その日の授業や訓練が終わった後、つまり夜にしか入ってこなかった。初めての朝風呂を体験する眞白は、朝日がキラキラと水面を反射するいつもと違う清々しい景色に見惚れる。

白い湯気が立ち上る、誰もいないであろう広い温泉を見つめていると、彼女の頭の中に『1つ、やってみたいこと』が浮かんだ。

 

眞白は露天風呂の縁から数歩下がり、足元が滑らないように注意しながら、タッタッタッと小走りで駆け出した。

そして、温泉に向かって全力でジャンプ。

 

 

ザパァァァンッ!!

 

 

大きな水飛沫を派手に上げながら、眞白の身体が豪快に湯船へと着水した。

 

 

「プハーーーッ!」

 

 

お湯の中から勢いよく顔を上げ、眞白は会心の笑みを浮かべて声を上げた。

 

 

「あははっ! これ、一回やってみたかったんだよなー!」

 

 

誰もいない広い温泉を独り占め。

「朝風呂最高! 明日から早起きするのもありかも!」と、すっかりテストの緊張を忘れたように、眞白は楽しそうに温泉でバシャバシャとバタ足をしてはしゃいだ。

 

 

「綴、朝から元気そうだな」

 

 

不意に。

水音に混じって、地を這うような低い声が聞こえた。

ビクッと肩を震わせて振り返ると、湯気の向こうから家入硝子が温泉の中をゆっくりと歩いて近寄ってくるのが見えた。

 

 

「それと、温泉では静かにな?」

 

 

頭にタオルを乗せ、少し怒ったようなジト目で声をかけてくる家入。

それを見た眞白は、一瞬何が起きたのか理解できずに数秒間完全にフリーズした。

そして、自分がやらかしたこと(=誰もいないと思って温泉にダイブして大はしゃぎしていたところを先生に見られた)を察すると、温泉の熱気で赤くなっていた顔を限界まで真っ赤にして、温泉の中で勢いよく土下座をした。

 

 

「すみませんでしブボボボ……ッ!」

 

 

当然ながら、お湯の中に顔が沈んだ眞白の声は、途中から盛大な泡の音に掻き消されて聞こえなくなった。

 

その後、慌てて顔を上げて平謝りし、なんとか謝罪を済ませた眞白は、家入と並んでお湯に浸かっていた。

 

 

「はぁ……それで、シャワーを浴びに来たはいいが、テンションが上がってダイブしてしまったと」

 

 

家入は顔に飛んできたお湯をタオルで拭いながら、呆れたように深いため息を吐いた。

 

 

「はい、本当にすみません……」

 

 

眞白は鼻の頭までお湯に沈みながら、シュンと小さくなって謝る。そんな教え子に対し、家入は保健医さながらの真っ当な注意をしてくる。

 

 

「人がいる時は絶対にやるなよ。滑って転んだりして頭を打ったら危ないからな。いくら私が治せると言っても、痛い思いをするのはお前だ。怪我だけはやめてくれよ」

 

「はい、以後気をつけます……」

 

 

眞白が素直にまた謝罪すると、家入は小さく息を吐き、緊張を解くように自身の肩まで深くお湯に浸かった。

 

 

「まぁ、今日は試験があるんだろ? 朝くらいゆっくり温泉に浸かりながら身体を癒すぞ。私も今日は、五条のやつに付き合わされる羽目になったしな」

 

 

家入は、天井を見上げながら何気ない調子でこぼす。

 

 

「あれ、そうだったんですね。家入先生も試験を見学するんですか?」

 

 

眞白はぱちくりと目を瞬かせて聞き返した。

 

 

「あぁ、昨日の食堂でな、ちょうど綴が出て行った後にあいつが来たんだ。その時に私にも声がかかったってことだ」

 

 

家入は、昨日の五条の嵐のような乱入を思い出したのか、心底面倒くさそうに顔をしかめる。

しかし、その言葉を聞いた瞬間、眞白の脳内でピーンと『最悪のピース』が組み合わさってしまった。

 

 

「なるほどです。……ん? ……えっと、家入先生がわざわざ来るってことは……まさか、私が『怪我をする前提』のテストってことですか!?」

 

 

反転術式を使える家入の待機。

眞白はガバッとお湯から身を乗り出し、いつもの被害妄想を大爆発させながら慌てて聞き返した。

 

 

「……」

 

 

家入は、すっと眞白から目線をずらし、急に無言になった。

チョロチョロと岩肌から温泉が流れ落ちる音だけが、やけに大きく響く。

 

 

「い、家入先生……なんで急に何も言ってくれなくなるんですか!?」

 

 

あからさまに目線をずらして遠くの岩を見つめ始めた家入を見て、眞白の不安はついに臨界点を突破した。

 

 

「あー、そのなんだ。綴……やっぱいいや、なんでもない」

 

 

家入は一瞬だけ同情するように眞白と顔を合わせたが、すぐにまたバツが悪そうに目を逸らしてしまった。

 

(だって、『ボコボコにするから治療よろしく』なんて、これから試験に向かうこいつに言えるわけないだろ……)

 

「何ですか!? その反応、すごく怖いんですけど!」

 

 

露骨に目を逸らして頬を掻く態度は、もはや「その通りだ」と肯定しているのと同じだ。眞白は湯船の中でバシャバシャとジタバタ抗議する。

 

 

「まぁ、綴なら大丈夫だよ。死にはしない」

 

 

家入がフッとどこか誤魔化すように乾いた笑いをこぼすと、「じゃあ私はもう出るぞ」と言って立ち上がり、逃げるように浴場の入り口の方へ向かって歩き出した。

 

 

「あっ、待ってください! 私も出ます!」

 

 

これ以上一人でお湯に浸かって最悪のシチュエーションを想像するのは耐えられないとばかりに、眞白は慌ててお湯から上がり、足早に去っていく家入の背中を追いかけた。

 

 

  *

 

 

その後、身支度を整えた二人は共に食堂で朝食を食べた。

 

 

「じゃあ、私は先に行く。後で校庭でな。健闘を祈る」

 

「はい……ありがとうございます」

 

 

食後、後ほど試験の場で見学に来るという家入とはそこで一旦別行動となった。眞白は少しだけ腹ごなしの休憩を挟んだ後、昨日指定された通り、重い足取りで職員室へと向かった。

 

コンコンと控えめに扉をノックして中に入ると、夜蛾正道と、その最高傑作である突然変異呪骸のパンダがすでに待機していた。

 

 

「夜蛾学長にパンダさん、おはようございます」

 

 

眞白は背筋を伸ばし、二人に丁寧な挨拶をする。

 

 

「あぁ、おはよう」

 

「おう、おはよう」

 

 

デスクから立ち上がった夜蛾が短く返し、パンダもその大きな体をのっそりと揺らしながら、軽く片手を挙げて応えてくれた。

 

 

「早速だが、パンダ、ダンボールを頼むぞ。綴、お前も一つ持ちなさい。ここに台車があるからそれを使うといい」

 

 

夜蛾が指示を出すと、パンダは昨日眞白が見た巨大なダンボール箱の一つに近づき、ひょいと軽々と持ち上げた。

眞白も、残されたもう一つのダンボール箱を台車に乗せようと両手をかける。

 

 

「うっ……お、重い……」

 

 

顔を真っ赤にして踏ん張る眞白。ダンボールいっぱいに詰まった上質な紙の束は、見かけ以上にずっしりとした密度と重量があり、非力な彼女の腕力を容易く奪っていく。なんとか気合いでそれを台車に乗せると、三人は連れ立って試験会場である校庭へと向かって歩き出した。

 

ガラガラと台車の車輪がアスファルトを擦る音だけが響く。

初夏の眩しい日差しを浴びながら、校庭まであと少しというところまで来た時だった。前を歩いていた夜蛾が、ふと足を止めて眞白に話しかけた。

 

 

「綴」

 

「はい」

 

「今日の試験は、お前がこれから呪術師としてやっていくのに必ず必要なことだ。心してかかれ。決して最後まで諦めないように」

 

 

夜蛾の低く静かな声には、昨日のような意図的な威圧感は欠片もなく、純粋な教育者としての深く温かい激励が込められていた。

 

 

「そして、期待を裏切るな」

 

 

夜蛾はサングラスの奥の目を横を歩く眞白に向け、さらに踏み込んだ言葉を続ける。

 

 

「私たちではなく……お前自身が期待する、『自分』に……だ」

 

 

それは、教師である自分たちや周囲からの期待に応えろという意味ではない。昨日、彼女自身が熱っぽく語った「この力でなんでも創りたい」という己の強烈なエゴ。その自身の内側にある純粋な欲求と期待から目を背けるなという、夜蛾なりの深い助言だった。

 

 

「私自身の期待……自分を裏切るな……ですか」

 

 

眞白は台車を押す手を少しだけ止め、その言葉の真意を噛み砕くように黙り込んだ。

 

 

「今はまだわからずとも、試験が――いや、悟がお前に無理やりにでも気づかせるだろう。再三言うが、諦めるなよ」

 

 

夜蛾が意味深にそう話し終え、再び前を向いて歩き出すと、ちょうど一行の目の前に広大な校庭の景色が広がる。

 

広く開けた校庭には、すでに二人の姿があった。

 

 

「お、来たか綴」

 

 

初夏の日差しを避けるように、濃い影を落とす木陰の中から家入が軽く片手を上げて声をかけてくる。

 

 

「あ、家入先生。先ほどぶりです」

 

 

眞白はダンボールの乗った台車を止めて、家入に近づいていく。すると、その奥の木の幹に寄りかかっていて見えなかったが、長身の白髪――五条悟もこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 

 

「あれ、五条先生が遅刻しないなんて珍しいですね」

 

 

いつもなら平気で時間を破る担任がきちんと待ち構えているという異常事態に、眞白は思わず素直な感想を口走ってしまう。

 

 

「ちょっと、僕のことなんだと思ってるわけ?」

 

 

五条は心外だと言わんばかりに大袈裟に肩をすくめ、ケラケラと笑いながら眞白に返す。

そして、パンッ! と空気を破るような大きな音で両手を叩き合わせた。

 

 

「じゃあ、説明に時間かけるのももったいないし、早速テストの内容を発表しちゃうよ〜! ほらテンション上げて!!」

 

 

朝からフルスロットルの異様なハイテンションっぷりに、眞白が若干引いたように顔を引きつらせていると、五条はビシッと眞白を指差し、盛大に声をあげて試験内容を発表した。

 

 

「テスト内容は、僕に『一撃』攻撃をいれること。方法はなんでもいいよ」

 

 

――その瞬間。

五条の纏う空気が、パキリと音を立てるようにガラリと変わった。

先ほどまでのおちゃらけた態度は完全に消え失せ、目隠しの奥から射抜くような鋭い視線が向けられる。それは心底真剣で、それでいて教え子の持つ底知れない狂気に強烈な期待を寄せる、最強の術師としての眼差しだった。

 

しかし、その言葉を聞いた眞白は、思ったよりも拍子抜けだと感じながら、確認するように小さく呟いた。

 

 

「五条先生に一撃……ですか」

 

 

先ほどの夜蛾からの『諦めるなよ』という念押しや、今朝の家入の気まずそうな反応から、てっきりサバンナにでも放り込まれて呪霊の群れと戦わされるか、最悪殺し合いのような過酷なサバイバルを強いられるとばかり思っていたからだ。

 

そんな疑問を顔に浮かべる教え子を見て、五条はポンッと手を叩き、わざとらしく「忘れてた」という風に言葉を付け足す。

 

 

「あ、勿論僕は無下限バリアは張らないよ! そんなことしたら勝負にすらならないからね〜」

 

 

その軽い口調の裏にある、明確な『煽り』。

カチンときた眞白は、少しむっとした顔で言い返した。

 

 

「別に無下限バリアがあったって関係ないですよ! この前は体力が尽きて逃げられましたけど、あの領域を使って今度こそ思いっきり殴り飛ばして見せます!」

 

 

煽られたことに怒りながら、眞白は自信満々に答える。

 

 

「眞白じゃまだ無理無理。それに、あの領域使ったら術式は使えないし、せっかくの式神も僕の無下限バリアみたいに無力化しちゃうでしょ?」

 

 

五条に『術式を付与しない領域』の弱点を的確に突かれ、眞白は「そ、それはそうなんですけど……」とあっさり正論を突き返されて少し落ち込む。

しかし、すぐに顔を上げて言い放った。

 

 

「ですが! バリアがない五条先生に一撃を入れるだけなんて簡単ですよ! それに今の私には、こんなにたくさんの紙があるんですから!」

 

 

眞白は得意げに後ろを振り向き、パンダが運んでくれた真新しい紙が詰まったダンボール箱をビシッと指差して自慢した。

 

 

「…………」

 

 

その自慢げな態度を見た瞬間。

五条は無言のまま、ゆっくりと眞白に近づいてきた。

長身の彼が目の前に立ち、ちょうど上から見下ろす形になる。そして、スッと黒い目隠しを指で少しだけ上にずらし、蒼く澄んだ瞳で眞白を真っ直ぐに射抜いた。

 

 

「眞白さぁ……最近、調子乗ってる?」

 

 

淡白で、ひどく冷たい声だった。

いつものふざけた雰囲気は微塵もない。そこにあったのは、眞白が日常の中で忘れかけていた『現代最強の呪術師』としての絶対的な風格と、限りなく洗練された底知れない呪力の気配。

 

 

「ッ……!」

 

 

五条の瞳と完全に視線が合った瞬間、眞白の背筋にゾクッとした冷たい錯覚が走り、蛇に睨まれた蛙のように完全にフリーズしてしまった。

 

そこへ、木陰から見学していた家入が呆れたように声をかけた。

 

 

「あまり綴をびびらせるな。それに、説明に時間をかけたくないって言ったのはお前だろ」

 

「別に、これも必要なことだよ」

 

 

家入の的確なツッコミに、五条はずらしていた目隠しを元に戻しながらそう返し、「じゃあ眞白、始めるよ」と言って、ゆったりとした足取りで校庭の中心へと移動していった。

 

威圧感から解放され、小さく息を吐き出した眞白へ、見学者たちから声がかかる。

 

 

「綴、頑張れよ」

 

家入が、木陰から激励をかける。

 

「さっき話したことを忘れるなよ」

 

夜蛾も、腕を組みながら静かに言葉をかけた。

 

「ほどほどに怪我すんなよ〜」

 

パンダも、夜蛾のすぐ隣に座りながらのんびりと手を振っている。

 

「はい! ありがとうございます!」

 

 

三人の言葉に背中を押され、眞白は気合いを入れ直すと、ダンボールの乗った台車をガラガラと押して自身の陣地へと移動させた。

 

 

「よし、紙はここら辺でいいかな……」

 

 

少し距離を取った場所で台車を止め、ダンボールの蓋を大きく広げてすぐに紙を展開できるように準備をする。

 

 

「先手はそっちでいいから、準備出来次第はじめていいよー」

 

 

校庭の中心に立つ五条は、眞白の準備を眺めながらのんびりとした様子で声を張った。

 

 

「よし、これでいい感じ」

 

 

準備を終えた眞白は、深く息を吸い込み、真っ直ぐに五条の方を向いた。

 

 

「五条先生。せっかくなので、胸を借りるつもりで、私の正真正銘の本気でいきます!」

 

 

先ほどの目の前で放たれた威圧感を思い出し、目の前にいる五条悟が「現代最強の呪術師」であることを再確認した眞白は、初めから出し惜しみせずに全力でいくことを決意した。

 

全身から重厚な呪力を練り上げ、背後のダンボール箱にある大量の紙へ向けて、後ろ手でスッと手を向ける。

その尋常ではない呪力の高まりを感じ取った五条は、不敵な笑みを浮かべて答えた。

 

 

「いいよ、全力できな」

 

 

五条は不敵な笑みを浮かべて答える。

その言葉を合図に、眞白はこれまでの猛勉強の成果である『呪詞』を詠唱に加え、術式効果を爆発的に底上げする。

 

 

「無垢、連理、彩の息吹。折紙呪法――『折紙』!」

 

 

眞白の脳内から溢れ出す膨大なイメージが、背後のダンボールに積まれた計一万枚もの真新しい紙全てに行き渡っていく。

すると、紙の束がまるで自らの意志を持つ生き物のように蠢き始め、次々と宙へ舞い上がった。それらは空中で複雑に折り畳まれ、瞬く間に形をとっていく。

猛る犬、地を這う蛇、空を裂く鷲を含めた様々な形の中型の式神。それに合わせ、『鉄漿紙(カネノカミ)』を付与して刃のように鋭く重くした手裏剣を含め、武器の形をした小型の式神。

あっという間に顕現した計百体以上にも及ぶ式神の大群が、まるで巨大な黒い波のようになって校庭の中心に立つ五条へと殺到した。

 

 

「へぇ! この量の式神を同時に作れるなんて、呪詞を使ったとはいえ流石に驚いたよ」

 

 

五条は押し寄せる式神の波を前に、軽く驚きの声を上げながらスッと手を伸ばし、黒い目隠しを外した。

蒼く輝く『六眼』が露わになる。しかし、彼は呪術の構えをとることはなかった。

 

 

「まぁ、だからと言ってどうなる訳じゃないけどね」

 

 

五条はそう呟くと、術式を一切使わず、純粋な『体術』のみで式神の大群へと歩みを進めた。

先頭を駆けてきた犬型の式神が鋭い牙を剥いて飛びかかるが、五条は最小限の歩法でふわりと躱し、すれ違いざまに無造作な裏拳を叩き込んで紙屑へと粉砕する。死角から襲い来る蛇型の式神の顎を素手で掴み取ると、そのまま鞭のように振るって上空の鷲を叩き落とした。

押し寄せる百体以上の波に対し、五条は舞を踊るような滑らかさで躱し、いなし、的確に一体ずつ破壊していく。

 

 

「え、うそ……」

 

 

眞白の目には、五条がたった一人で、群がる式神の軍団を赤子をあしらうようにいなしていく姿が映っていた。しかも、彼の息は全く切れておらず、まだ余裕そうに笑みすら浮かべている。

 

 

「ッ! まだまだ序の口です!」

 

 

眞白が五条に向けて叫び、式神たちに新たな合図を送る。

すると、一斉に無秩序に襲いかかっていた式神たちがピタリと統率を取り、瞬時にグループを組み始めた。各グループ内で、五条の攻撃を受ける盾役、隙を突く攻撃役、死角をカバーする補助役へと役割を分担し、高度な連携で波状攻撃を仕掛ける。さらに、眞白の身の回りを護衛していた『鉄漿紙(カネノカミ)』の手裏剣等の小型式神が、その攻防の僅かな隙を縫って五条の死角へと次々に射出されていく。

 

 

「別に多少動きが変わった程度でそんな変わらないよ。あと、僕に隙ないし」

 

 

五条が淡々と口にした、その瞬間。

彼の周囲に迫り、いよいよ牙を剥こうとしていた一部の式神たちが、突如として目に見えない強大な力に巻き込まれた。

メキメキッ! と紙が千切れる不快な音が響く。五条はただ立っているだけだというのに、彼の周囲の空間そのものが不可視の力によって歪み、式神たちはまるで巨大な手で『雑巾搾り』にされたように捻じ切られ、空中で無惨に破壊されていった。

 

 

「触れてないのに! これが無下限呪術ですか!」

 

 

眞白は驚愕の声を上げる。防御のバリアだけではない、空間を操る暴力的なまでの攻撃への転用。

 

 

「無下限のバリアなんて、ほんの応用の1つでしかないんだよ」

 

 

五条は余裕を持て余した顔で、迫り来る役割分担された式神たちも、息をするように容易く処理していく。

 

 

「ッ……これなら!」

 

 

眞白は高く手を挙げた。それを合図に、空を旋回していた鳥型の式神を一度自身の元へと素早く呼び戻す。そして、その一体一体に改めて『鉄漿紙(カネノカミ)』を付与し、鋼鉄の質量を持たせた弾丸へと変貌させると、それを高速で打ち出して五条を真っ直ぐに狙い撃つ。

 

空気を切り裂いて飛来する鋼の鳥。

だが、五条は飛来する軌道を完璧に読み切り、首を僅かに傾け、身体を半歩ズラすだけの最小限の動きで、射出された鳥型式神を次々と躱していく。

 

しかし、眞白の真の狙いはそこにあった。

五条が鳥型式神の回避に気を取られている間に、生き残っていたその他の式神たちに指示を出す。彼らは直接的な攻撃を止め、五条の周囲をドーム状に固めて逃げ場をなくす「壁」となったのだ。鳥型の式神の攻撃をサポートするため、退路を断った完璧なタイミングを見計らい、全方位から五条へと一斉に襲いかかる。

 

 

「んー、なんだろ」

 

 

包囲網の中心から、ひどく退屈そうな声が響いた。

 

 

「もしかして僕のこと、舐めてる?」

 

 

五条が両手をポンッと合わせる仕草をした。

その直後、彼の姿がフッと空間から掻き消えた。

 

 

「え?」

 

 

眞白が状況を理解できず、間抜けな声を漏らした瞬間。

 

 

「まぁ、眞白なら大丈夫でしょ。硝子もいるし死にはしないよ」

 

 

巻き起こった突風と共に目の前に現れた五条が、耳元で囁くようにニヤリと笑う。

そして、一切の容赦のない拳を真っ直ぐに引いた――その直後。

 

フワッ、と。

眞白の身体が、前方――つまり『五条の構えた拳の方』へと、一瞬にして強引に引き寄せられた。

無下限呪術の「蒼」による、回避不可能な絶対的な引力。

 

 

バキンッ!!!

 

 

五条の拳が腹部に触れる直前、眞白を守ろうと自動迎撃に入った『鉄漿紙(カネノカミ)』の手裏剣たちが、五条の拳の圧倒的な質量と呪力によって紙屑のように粉砕される嫌な音が響く。

そして、引き寄せられて完全に無防備となった眞白の腹部に、その重い拳が深くめり込んだ。

 

 

ドゴォォォンッ!!

 

「――――ッ!?」

 

 

声すら出なかった。

眞白の身体は、まるで弾き飛ばされたボールのように凄まじい勢いで後方へ吹き飛び、校庭の砂埃を激しく巻き上げながら何度も何度もバウンドして、遥か後方の校庭の端まで転がっていった。

 

 

「……」

 

 

今、何が起きた!?

あれ? 私、いつの間に校庭の端に……。

しかも、私を守ってくれているはずの手裏剣の式神たちが、原型を留めないほどぐちゃぐちゃになって周囲に落ちている。

 

頭の中が真っ白になり、起きた現象が全く理解できずに困惑していると、不意に口の端から生温かい液体がツゥッと溢れ出てきた。

 

 

「へ? ……なにこれ、血が……」

 

 

自分の口からこぼれ落ちた赤い液体。

それを眞白の脳が視覚情報として理解しようとした、その瞬間だった。

 

 

ドクンッ。

 

「――――ッ!!?」

 

 

遅れてやってきたのは、腹部を中心とした、爆発的で破滅的な『激痛』だった。

内臓をミキサーにかけられたかのような、息を吸うことすら許されないほどの悍ましい痛み。

 

 

「ぐうっ!? ……い、痛いっ! なに、これ……ッ! ゴホッ、ガハッ!」

 

 

眞白は腹を抱え込むようにしてその場にうずくまり、同時に大量の血をゴボッと咳き込んで吐き出した。

そして、ようやく眞白は理解した。自分は『殴られた』のだと。

人間の認識を遥かに上回る不可視の速度で、鋼鉄の式神もろともに、腹を殴り飛ばされたのだと。

 

その致命的な事実と、生まれて初めて味わう「暴力」の味を認識した瞬間。

眞白の異常な演算能力を誇る脳が、生存本能から最悪な形で『処理』を始めてしまった。

 

 

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)

 

 

強烈なダメージのシグナルが、彼女の過敏な脳内で何万倍にも増幅され、無限のループとなって頭の中を埋め尽くしていく。

 

 

「うぁ……あぁぁ……ああぁ……ッ」

 

 

限界を超えた痛みの濁流に、眞白は立ち上がることも、術式を使うこともできず、ただその場から動けずに蹲った。

ボロボロと大粒の涙をこぼし、口から血を流しながら、言葉にならない悲痛な呻き声を上げ続ける。

 

 

「あれ、眞白って殴られたのってもしかして初めて?」

 

 

土に伏して泣きじゃくる教え子へ向かって、五条がゆっくりとした足取りで歩いてくる。

 

五条は眞白の方へ歩きながら、六眼を通して冷静に彼女の身体のダメージを観察していた。

(肋骨を折るつもりで殴ったんだけど、骨には異常なさそうだな。内臓が衝撃で傷ついた程度か)

五条は感心したように、少しだけ口角を上げる。

(自分でも気づいて無さそうだけど、あの呪力操作、やっぱりすごいな。咄嗟で、しかもほぼ無意識であの精度なんて……。眞白の『被害妄想』によって常に再生される最悪のシミュレーションが故の、呪力防御の隙のなさ、か)

 

そして五条は、うずくまる眞白の目の前まで歩み寄り、冷たく見下ろした。

 

 

「任務に行くようになれば、こんな怪我は日常茶飯事だよ?」

 

 

どこまでも淡々と、事実だけを突きつける声。

 

 

「それに、こんなにたくさん式神を作ったところで、君が『一人』なのは変わらないし。敵を前にしてうずくまるなんて、殺してくださいって言ってる様なもんだよ?」

 

 

最強の呪術師としての、言葉による容赦のない追撃。

そして、五条はひどく冷めきった、氷のような声で言い放った。

 

 

「はぁ。なにやってるの? 早く立ちなよ」

 

「ヒッ……!」

 

 

五条の冷たく淡白な声が上から降ってくる。

眞白は掠れた悲鳴を漏らし、涙と血で顔をぐしゃぐしゃにしながら、五条から逃げるようにズリズリと後ずさりを始めた。

その目には、教師に対する信頼など微塵もない。圧倒的な力の差の前に、今まさに自分を殺そうと迫る『捕食者』を見るような、原始的な死の恐怖だけが張り付いていた。

 

それを見た五条は、心の中で合点がいったように思考する。

 

 

(あぁ、そういうことか。最悪のシミュレーションなんだから、メリットだけのはずはないよね。……眞白は今から、僕に『殺される』とでも思ってるのかな? ちゃんとテストだって言ったのに)

 

 

自身の教え子が抱える異常性の「負の側面」を正確に理解しながらも、五条は手を差し伸べることはせず、ただ冷酷な試験官としてそこに立ち尽くしていた。

 

 

「あぁ……ぁぁああああ!!」

 

 

これ以上近づかれる前に。殺される前に。

防衛本能が限界を突破した眞白は、喉が裂けんばかりの絶叫を上げながら、周囲に散らばっていた式神の残骸を数枚の紙へと戻し、それらを束ねて一本の「紙の刀」を創り出した。

そして、涙で霞む視界のまま、なりふり構わず五条へと向かって力任せにおもいっきり刀を振り抜いた。

 

恐怖に急き立てられ、限界以上の呪力を込めた決死の一閃。

それは、五条の六眼をもってしても予測を僅かに上回る、異常な踏み込みと速度だった。

 

 

(速い……ッ!?)

 

 

咄嗟のタイミングの攻撃に、五条は一瞬だけ目を見開いた。

完全に躱しきれないと判断した彼は、即座に右手を掲げ、過剰なまでに練り上げた莫大な『呪力防御』でその刀身を直接受け止めにいく。

 

 

バスッッッ!!!

 

 

五条の素手と紙の刀が激突した瞬間、爆発のような凄まじい衝撃波が校庭に吹き荒れた。

二人の足元の地面がひび割れ、周囲の砂埃が円状に激しく舞い上がる。眞白の放った一振りは、それほどまでに桁外れの重さと威力を秘めていた。

 

 

「ぁあ、なんで……」

 

 

眞白は絶望に染まった声を漏らす。

 

 

(無下限のバリアはないはずなのに……どうして斬れないの……!)

 

「は、何これ。呪力ブレすぎ」

 

 

五条は、手のひらに当たる刃の感触を確かめ、一瞬その威力に驚いたように目を細めたが、すぐに心底落胆したような冷たい声を落とした。

威力は確かに凄まじい。しかし、恐怖とパニックのせいで、眞白の本来の武器である繊細な呪力操作が完全に崩壊していたのだ。

 

 

「いつもの冷静な眞白ならともかく、こんなのじゃ僕に傷一つ、つけられないよ」

 

 

五条が刃を掴んだ指先にクッと力を込めると、鋼鉄の硬度を持っていたはずの紙の刀が、グシャッと無惨に握り潰された。

唯一の武器を容易く粉砕され、眞白は完全にパニックに陥る。

 

 

「こ、来ないで!!」

 

 

眞白が悲鳴を上げると同時に、先ほど五条に蹴散らされて生き残っていた式神たちが主人の危機に反応し、再度五条へと一斉に襲いかかった。

だが、当然そんなものが最強の足止めになるはずもない。

 

 

「邪魔。」

 

 

五条は群がる式神を鬱陶しそうに手で払い退けると、そのまま滑るような足運びで眞白の懐へと潜り込んだ。

そして、容赦のない回し蹴りが、再び眞白の腹部を捉える。

 

 

ドゴォッ!!

 

「かはっ……!?」

 

 

眞白の小さな身体は、またしても鞠のように校庭を激しくバウンドし、今度は校庭の反対側の端まで蹴り飛ばされて転がっていった。

 

 

「ぐぅぅうううぅぅぅ………ッ」

 

 

砂埃に塗れながら、眞白は顔をぐしゃぐしゃに歪めてお腹を抱え、再度うずくまった。

だが、先ほどの一撃に比べれば、五条の動きを視認できた分だけ咄嗟の呪力防御が間に合っており、ダメージは致命傷に至るほどではない。

 

痛みに耐えながら、ふと眞白が顔を上げた、その時だった。

校庭の反対側まで蹴り飛ばされたはずなのに、すぐ目の前に五条悟が立っていたのだ。

 

 

「ヒッ……!」

 

 

眞白は咄嗟に、握りしめていた紙の刀の残骸を手裏剣に作り変え、反射的に五条の顔面へと飛ばした。

しかし、そんな苦し紛れの攻撃は、五条に届く前に難なく弾き落とされてしまう。

 

 

「はぁ、意味もないのにやたらめったら式神向けてくるのやめたら?」

 

 

五条は足元に落ちた手裏剣を見下ろし、心底呆れたような表情を浮かべた。そして、わざと心を抉るような辛辣な言葉を並べ立てる。

 

 

「そんな『()()()』程度で、僕に一撃入れられるとでも思ってるの?」

 

「………か…紙クズ?」

 

 

一瞬、何を言われたのか理解できず、完全に放心していた眞白の脳に、その言葉の刃が深く突き刺さった。

先ほどまでの痛みや恐怖による涙とは全く違う、悲しみと強烈な悔しさによる大粒の涙が、ポロポロととめどなく溢れ出し始める。

 

この時の眞白は、間違いなく深い悲しみの涙を流していた。

しかし、もし目の前にいる相手が五条や高専の仲間、あるいは肉親でなかったのなら、彼女は確実にその敵を地の底まで後悔させていただろう。眞白の全てを持ってして、自身の心血を注いだ『作品』を貶す輩を、この世から徹底的に排除していただろう。

 

しかし、相手は五条悟だ。

1人暗い部屋の中にいた自身を見つけ出し、その手を引いて、のびのびと青春を生きられるこの素晴らしい世界に連れてきてくれた恩人。そして何より、こんな自分に対してとてつもない期待を寄せてくれていた五条自身が、眞白の作品を「紙クズ」と切り捨てたのだ。

 

 

(あぁ……私は、五条先生の期待に……応えられなかったんだ……)

 

 

その瞬間、眞白の中で何かが決定的に「折れる」音がした。

自分を見出し、あんなにも面白がってくれていた恩人からの、見限りの宣告。唯一の拠り所だった造物主としての誇りも、呪術師としてこの場所で生きていくという微かな決意も、音を立ててガラガラと崩れ去っていく。

眞白の両手からだらりと力が抜け、砂まみれの地面にポタリ、ポタリと涙が染みを作っていく。完全に心が砕け散り、虚無感に支配された瞳からは、先程までの狂気や反抗心など微塵も感じられなくなっていた。

 

 

「これで泣いちゃうって。君さ、呪術師向いてないよ。高専辞めたら?」

 

 

静まり返った校庭に、冷え切った空気をさらに凍てつかせるような、あえて突き放す厳しい言葉が降ってくる。五条は呆れたように首を振り、無慈悲に宣告した。

 

 

「……ご、ごめんなさい……っ」

 

 

心が完全に折れきった眞白は、これ以上五条の冷たい視線を浴びることに耐えきれず、怯えた表情で深く蹲りながら、ただひたすらに掠れた声で謝罪の言葉を口にした。

 

 

「……は? 何に謝ってるの?」

 

 

五条は深いため息を吐き出しながら、心底理解できないといった様子で冷たく言い放つ。その声のトーンに、眞白は言い返す気力すら湧かず、ただビクッと肩を震わせるだけだった。

 

 

「……本当にいいの?」

 

 

五条はゆっくりとしゃがみ込むと、足元に転がっていた眞白の式神――先ほど自身が握り潰し、ぐしゃぐしゃになった紙の残骸を指先で摘み上げながら、ひどく冷ややかに告げた。

 

 

「呪術師辞めたら、この折り紙、もう作れなくなるよ」

 

「……ぇ?」

 

 

涙で霞む瞳を僅かに見開き、眞白は疑問を孕んだ声を漏らす。なぜ、高専を辞めることと自分の創作活動が結びつくのか、パニックと絶望に支配された頭では瞬時に理解できなかった。

 

 

「知ってるでしょ? 呪術規定第八条、『呪術の存在を明かしてはならない』ってやつ。高専辞めたら、また一人で、元の寂しい生活に逆戻りだよ?」

 

 

五条は少し誇張したように、わざとらしく冷たい口調で告げた。

 

 

「ひ、一人……?」

 

 

ポツリとこぼした眞白を、五条は表情の全く抜け落ちた顔で見下ろしている。しかし、その奥底には、彼女の内に眠る『何か』を引き摺り出そうと期待するような雰囲気が纏わりついていた。

 

 

(一人……あの、寂しい生活に……?)

 

 

その言葉を受け取った瞬間。心が折れ、機能停止しかけていた眞白の脳が、突如として急速な回転を再開し始めた。

 

カッ、と。頭の芯が焼け付くように熱くなる。

次の瞬間、眞白の脳裏に、高専に入学してからの記憶が怒涛の勢いで駆け巡っていった。

 

歓迎会での温かく賑やかな空気。

初めてできた自分の居場所である、女子寮での生活。

五条や日下部から受ける、厳しくも新しい発見に満ちた授業。

家入と朝食の時間を共にし、夜蛾やパンダたちと言葉を交わした穏やかなひととき。

 

それら全てが、まるで今まさに肌で体験しているかのような鮮烈な温度を持って、眞白の頭の中を満たしていく。

そして何より――高専を去るということは、自身の命と同等である『折り紙』を、自身の作品を創れなくなるということ。それは彼女にとって、到底許容できることではなかった。

 

 

「……い、嫌。それだけはダメ」

 

 

いかに高専での生活が楽しかったか。前の自分からは想像もできないくらい、のびのびと自分を曝け出せていたか。

その事実を思い出した眞白は、地面の砂を掴むようにギュッと両の拳を強く握りしめた。全身にギリギリと力を込め、ゆっくりと、だが確かな意志を持って顔を上げる。

その強烈な想いに呼応するように、彼女の小さな身体から、黒く重厚な呪力が底なしに溢れ出し始めた。

 

 

「私は、もう逃げたくない。一人で閉じこもるなんてもうイヤッ!」

 

 

眞白は魂の底から叫んだ。

 

 

「それに、私の折紙は紙クズなんかじゃない!!」

 

 

自身の作品を馬鹿にされた強烈な怒り。

それを叫ぶと同時に、眞白は己の呪力を目一杯、校庭全体へと爆発的に広げていった。

五条に破壊され、校庭中に散らばっていた式神の紙片。その一欠片すらも逃さず呪力を流し込み、引き寄せる。さらに、校庭にある木の葉や雑草など、眞白の異常な脳が「折れるもの(媒体になるもの)」と判断したあらゆる物質が、彼女のすぐ横を起点として凄まじい勢いで集まり始めた。

草木がざわめき、周囲の空気がビリビリと震えて揺れる。

 

 

「……!」

 

 

その尋常ではない呪力の奔流を見て、五条はスッと眞白から距離を取った。

 

(これは……まさしく、本来の術式を付与した『領域展開』! だけど、今度は外郭の結界が不完全? 眞白ならこんな失敗はしないはず……)

 

渦巻く呪力の中心を見据え、六眼でその流れを視認した五条は、一瞬のうちに思考を高速で回して事態を分析する。

 

 

「……まぁ、だからと言って何が変わるわけじゃないけど」

 

 

五条は意味深に、そしてどこか冷徹なトーンで呟き、その不完全な領域の中心で何が産声を上げるのかを静かに見守った。

 

その嵐の中心で、眞白は極限の集中状態にあった。

暴風のように舞い踊る無数の紙片と木の葉を一点に圧縮し、精緻に組み立てながら、彼女は自身の内側で1つの重い『()()』を結んでいた。

 

 

――『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』。

 

 

それは、『折紙呪法』の最大の強みである「数の有利」を完全に捨て去るという決断。自身の持てる全ての呪力と演算能力をたった一つの『個』に注ぎ込み、より強大で凶悪な式神を顕現させるための、等価交換の縛りだった。

 

 

「ふぅ……っ」

 

 

巨大な器に命を吹き込み終えた瞬間。

眞白は短く、熱い呼気を吐き出し――自身でも自覚せぬまま展開していた不完全な領域を、あっさりと解除した。

 

ピタリと、吹き荒れていた暴風が止む。

視界を覆っていた濃密な土煙が風に流されて晴れていくと、そこには、これまでの式神とは明らかに次元の違う「異形の存在」が顕現していた。

 

全長はおよそ五メートル。五条の長身すらも遥かに見下ろす、圧倒的で巨大な体躯。

黄金の鬣を揺らす猛々しい「ライオン」の顔を持ち、呪力で異常なまでに隆起した屈強な「山羊」の身体。そして背後には、独立した意志を持つかのように鎌首をもたげて蠢く「蛇」の尻尾。

 

3つの獣の形状を完璧に備えた、暴力の結晶とも呼べる巨大な合成獣(キメラ)の式神だった。

 

桁違いの質量と濃密な殺気が、校庭の空気をビリビリと震わせる。

その絶対的な化け物の足元で、眞白は真っ直ぐに最強の呪術師を見据え、掠れた、しかし確かな熱と意志を宿した声で宣言した。

 

 

「――これが、今の私と紙で作れる……最上級の式神です……!」

 

 

 

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