万象、紙に綴れば   作:Mebius217

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第18話:静かな保健室と、高みへの招待状

 

 

 

「…うぅん……あれ、ここどこ…、保健室?」

 

 

微かな消毒液の匂いと、規則的に低く唸る冷蔵庫の稼働音。蛍光灯の無機質で白い光に照らされながら、保健室のベッドの上でゆっくりと重い瞼を開いた眞白は、ぼんやりとする頭で周囲に目を向けた。

ひどく霞んだ視界の先、すぐそばのデスクに座る白衣姿の家入硝子が、カタカタとパソコンのキーボードを叩いている背中が見えた。

 

 

「ッ! 眞白! 起きたのか!?」

 

 

眞白の微かな呟きを聞き逃さず、家入は弾かれたように勢いよく椅子から立ち上がった。そのまま急いでベッドの脇へと駆け寄ってくる。

彼女は眞白の顔を覗き込み、ペンライトを取り出して瞳孔の開き具合や顔色、脈拍などを素早く、かつ念入りに確認していく。

 

 

「……よし。見たところ後遺症はなしだな。あとで念のため、改めて五条の『目』に見てもらうか」

 

 

家入は心底ホッとしたように深く、長い息を吐き出し、ベッドの柵に寄りかかるようにしてスッと体の力を抜いた。目の下に濃く浮かんだクマが、彼女がどれほど神経をすり減らして治療に当たっていたかを物語っている。

 

 

「はぁ……全く、心配かけやがって。この1年坊主が」

 

「……私、一応女の子ですけど」

 

 

まだ酷く掠れた声で、眞白がむすっと口を尖らせて抗議する。そのどこか気の抜けた反応に、家入は毒気を抜かれたように吹き出して笑った。

 

 

「ははっ、細かいことは気にするな。それに、起きて早々それだけ達者に軽口が叩ければ問題無さそうだな」

 

家入の心からの安堵の表情を見て、眞白はまだ重たい頭を働かせ、自分が置かれている状況を少しずつ把握し始める。

 

 

「そういえば……私、訓練の途中で倒れちゃったんですか?」

 

「あぁ、やっぱり直前のことは覚えてないのか」

 

 

家入は呆れたように肩をすくめ、ベッドの横の丸椅子に腰を下ろすと、事の顛末を説明し始めた。

 

 

「お前と五条が同時に黒閃出したあと、お前が突然血吹いて倒れたんだよ。顔の穴全部からな」

 

「血!? 顔!? ぜ、全部!?」

 

 

あまりにホラーすぎる自身の惨状を淡々と聞かされ、眞白は目を白黒させて困惑した。

黒閃を放った瞬間の、あの圧倒的な全能感と頭がクリアになる感覚までは鮮明に覚えている。だが、その直後にそんなスプラッタ映画さながらの事態になっていたとは夢にも思わなかったのだ。

 

 

「冗談じゃない。感謝しろよ、私がいなけりゃお前、確実に死んでたんだからな」

 

 

家入は冗談めかすことなく、真剣な瞳で眞白を見据えてそう告げた。その声のトーンに、眞白は自身が本当に命の危機に瀕していたのだという事実を突きつけられる。

 

 

「死ッ!? あ、ありがとうございます! 家入先生!」

 

 

自身の命を繋ぎ止めてくれた恩人に対し、眞白は反射的に深く頭を下げようと、慌てて勢いよく体を起こした。

――その瞬間だった。

 

 

「ぐぇ!?」

 

 

感謝の意を込めて勢いよく身を起こそうとした眞白の口から、およそ女子らしくない潰れたカエルのような叫び声が漏れた。

彼女は体を半分ほど浮かせた、なんとも中途半端な姿勢のまま、ピキーンと全身を丸太のように硬直させ、息を詰まらせて微動だにしなくなる。

 

その異様な反応を見た家入は、先ほどの安堵から一転、ガタッと丸椅子を蹴り倒す勢いで血相を変えて身を乗り出した。治療しきれていなかった脳の欠損か、あるいは内臓の出血が今になって再発したのかと、最悪の事態が脳裏を過ったのだ。

 

 

「どうした!? どこが痛い!」

 

 

家入が鋭い声で問い詰める。しかし、脂汗を滲ませ、涙目になりながらプルプルと小刻みに震える眞白の口から飛び出したのは、予想外の言葉だった。

 

 

「い、いえ……。痛いは痛いんですが……多分、筋肉痛が……ッ。それも、前の比じゃないくらいの……」

 

 

呼吸をするだけで全身の筋繊維が悲鳴を上げるような極度の痛みに、眞白は呻き声を上げながら必死に状況を説明する。

それを聞いた家入は、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、心底呆れたように深いため息を吐き出した。

 

 

「……なんだ、筋肉痛か。驚かせるな……。心臓が止まるかと思ったぞ」

 

「なんだ、じゃないです! これあり得ないくらい痛いです! 全く動けません!」

 

 

脱力する家入に対し、眞白は顔をしかめたまま涙声で抗議した。本当に一ミリでも体を動かせば、全身の筋肉が千切れてしまいそうなほどの激痛なのだ。黒閃によるポテンシャル120%の引き出しと、限界を超えた呪力操作による肉体の酷使が、アドレナリンが切れた今になって最悪の形で牙を剥いていた。

 

 

「そんなにか?」

 

 

家入は眉をひそめ、大袈裟に痛がる眞白を見て少しだけ首を傾げたが、ふと何かを思い出したようにポンと手を打ち、一人で納得の息を漏らした。

 

 

「あぁ……そういえばお前、なんかすごい速度で五条とバチバチに殴り合ってなかったか? 絶対にそのせいだろ」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、眞白の脳裏に先ほどの死闘の記憶がフラッシュバックした。

何度も空の彼方へ放り投げられ、腹部に強烈な打撃を喰らい、極めつけには見えない空気の面を無理やり蹴り上げて三次元的な高速戦闘までこなしていたのだ。

 

 

「ハッ! そういえば……!」

 

 

眞白は自身のしでかした異常な戦闘内容を思い出し、愕然と目を見開いた。

 

 

「あの時は『痛いのを考えないようにしてた』から気づかなかったけど……もしかしてあの時、私の身体ってすごいことになってた!?」

 

 

戦闘中、極限の集中力と生存本能によって痛覚を完全にシャットアウトしていただけで、肉体には凄まじいダメージと疲労が蓄積し続けていたのだ。その事実に行き着き、眞白はベッドの上で硬直したまま絶叫する。

 

 

「痛いのを考えないようにしてたって……お前なぁ……」

 

 

それを聞いた家入は、自身の限界すらも無視して最強の呪術師に食らいついていた目の前の狂気的な一年生に対し、完全に呆れ果てたようなジト目を向けた。

 

 

「自業自得だ。無茶苦茶した罰だな」

 

「えっ!?」

 

「そんなただの筋肉痛に反転術式は無しだ。ストレッチでもして、ゆっくり治していくんだな。その方が筋肉もつくだろうし」

 

「えぇぇぇえええええええ!?」

 

 

家入は非情にもそう言い放つと、眞白の絶望に満ちた叫びを背中で聞き流しながら、クルリと踵を返してベッドから離れていくのだった。

 

 

「そんな〜……!」

 

 

ピキーンと全身を硬直させたまま、眞白は絶望に満ちた情けない声を上げた。指先一つ動かすのも億劫なこの地獄のような激痛を、自力で治さなければならないという非情な宣告。

 

 

「もう少ししたら、校庭の整備を終えた五条が来るはずだ。それまで今回の試験の復習でもしといたらどうだ?」

 

 

白衣のポケットに両手を突っ込みながら、家入が振り返りもせずに背中越しにそう告げた。

 

 

「校庭の整備……ですか?」

 

 

激痛に顔を歪めながらも、眞白はその言葉に引っかかりを覚えて問い返した。確かに激しい訓練で多少グラウンドを荒らしてしまった自覚はあるが、「整備」という大掛かりな単語が出るほどだっただろうか。

 

 

「……それも覚えてないのか。幸せな頭だな」

 

 

家入は呆れたように足を止め、肩越しにチラリと眞白を一瞥した。

 

 

「お前らがバチボコに殴り合ってる時にできた無数のクレーターと、五条の『蒼』が抉り取った校庭。それに暴風に巻き込まれて割れた校舎のガラスの応急処置。まあ、被害をあげたらキリがないな。夜蛾センかわいそ〜」

 

「こ、校舎まで!?」

 

 

自身の記憶からすっぽりと抜け落ちている惨状を淡々と並べ立てられ、眞白はスッと血の気が引くのを感じた。最強の呪術師との本気の死闘の余波は、歴史ある高専の敷地に甚大な被害をもたらしていたらしい。

激怒した夜蛾学長に首を絞められる五条の光景が容易に想像できてしまい、筋肉痛とは別の意味で胃が痛くなってくる。

 

 

「他人事みたいに言ってますけど、絶対夜蛾学長カンカンじゃないですか……ッ」

 

「だろうな。じゃあな、私はそのカンカンな夜蛾センに事後報告をしてくるから、お前は大人しくそこで安静にしとけよ」

 

 

家入は心底面白がるような、他人事感満載の薄い笑みを浮かべてヒラヒラと手を振る。

そして、ガララッ、と保健室の引き戸を開け、そのまま夜の廊下へと出て行ってしまった。

 

パタン、と扉が閉まる。

一人取り残された眞白は、静まり返った保健室のベッドの上で、痛みで身動き一つ取れないまま、これからやって来るであろう五条への気まずさと夜蛾の雷を想像して、ただただ白い天井を見つめて現実逃避することしかできなかった。

 

 

「校庭の修繕……後で夜蛾学長に謝って何か手伝わないと……」

 

 

誰もいなくなった静かな部屋で、眞白は夜蛾の怒った顔を想像しながら申し訳なさそうにポツリと呟いた。

ため息をつきつつ、先ほど家入に言われた言葉を思い出す。

 

 

「それにしても試験の復習かぁ」

 

 

続けて一人呟く眞白。あの極限の死闘、限界を超えた脳の回転、そして放った黒閃。記憶を遡っていた彼女は、ふとあることに引っかかった。

 

 

「ん?」

 

 

何かを思い出し、気づいたように小さく声を上げる。

 

 

「あれ? 私って五条先生に()()入れたっけ?」

 

 

眞白は必死に試験中の自分を思い出す。蹴りを防がれ、投げ飛ばされ、最後はお互いの拳が激突しただけ。つまり、あそこまで命を懸けて身体をボロボロにしたというのに、結果は完全なる『無傷(ノーダメージ)』。

 

その圧倒的な事実に直面した眞白の顔から、スッと表情が抜け落ちる。

数秒の静寂の後。

 

 

「……ぁ、……ぁあ、ァァァァァアアアアアア!!!!」

 

 

己の不甲斐なさと五条の理不尽な強さに気づき、眞白は保健室の天井に向かって魂の絶叫を上げた。

――が、それは今のボロボロの肉体にとって致命的な悪手だった。

 

 

「ぃっだァァァァァアアアアアア!!!!」

 

 

己の大声によって限界を迎えていた腹筋がギュンッ!と急収縮し、今度は純粋な物理的激痛が眞白を襲った。

悔しさの叫びはコンマ一秒で断末魔へとすり替わり、眞白はベッドの上で「くの字」になったまま、水揚げされた魚のようにピチピチとシュールな痙攣を始める。

 

 

バンッ!!

 

「なになに! どうしたの!?」

 

 

眞白が白目を剥いてピチピチ跳ねている絶妙なタイミングで保健室のドアが勢いよく開き、五条がひどく慌てた様子で飛び込んできた。

異常事態を察知した彼は、瞬く間に眞白のベッドサイドへと駆け寄る。

 

 

「き、筋肉痛が……ッ」

 

 

全身をビクンビクンと痙攣させながら、眞白はかすれた声で律儀に答えた。

 

 

「……へ?」

 

 

予想外すぎる返答を聞かされ、五条の動きがピタリと止まる。

 

 

「筋肉痛? ……なんだぁ〜、驚かせないでよ……」

 

 

五条は心底安心したように肩を撫で下ろし、全身の力をスッと抜いた。そのまま近くの丸椅子を引き寄せてどっかりと腰を下ろすと、目隠しの奥の『六眼』を静かに光らせ、もとの体勢に戻りベッドで硬直している眞白の身体の隅々まで、本当に異常がないか改めて観察し始める。

 

数秒の沈黙の後。

 

 

「……うん、よし! 脳も内臓も後遺症ゼロ! さすが硝子、完璧な治療だね!」

 

 

五条はパンッと手を叩き、教え子の無事を心から喜ぶように明るい声を上げた。

しかし、激痛と絶望のどん底にいる眞白にとって、それは全く「よし!」な状況ではなかった。

 

 

「っ、て、そうじゃなくて……!」

 

 

筋肉が引きちぎれるような痛みのせいで首すら動かせない眞白は、顔を天井に向けたまま、目線だけをギョロリと無理やり五条の方へ向けて必死に訴えかけた。

 

 

「私、あの時……一撃も、五条先生に攻撃当てれてないです……ッ!」

 

 

命を懸けて限界を突破したにも関わらず、結果は完全なるノーダメージ。その事実を自らの口で告げながら、眞白の顔に再び絶望の色が濃く滲む。

だが、その決死の告白を受けた五条の反応は、拍子抜けするほど軽いものだった。

 

 

「ん? うん、そうだね。それがどうしたの?」

 

 

五条は本当に何でもないことのように、あっけらかんとした顔で聞き返した。

 

 

「そ、それがどうしたの? じゃないですよ!!」

 

 

眞白の限界ギリギリの感情が、ここにきてついに暴走を始める。

 

 

「攻撃当てられなかったってことは、試験不合格ってことですよね!? わ、私退学!? せっかく呪術師になれると思ったのに!? また元の生活に戻って、ひとりぼっち!? 嫌だぁぁぁ……ッ!!」

 

 

目に大粒の涙をいっぱいに溜めながら、眞白の被害妄想はとどまるところを知らずに膨らみ続ける。頭の中ではすでに、雨の中でボストンバッグを抱えて高専の門を追い出される哀れな自分の姿が鮮明に再生されていた。

 

 

「あ〜、なるほど。そういうことね」

 

 

涙目で半狂乱になっている教え子を見て、五条はようやく彼女が何に絶望していたのかを理解した。

途端に、彼の整った顔に悪戯っ子のような、ひどく意地悪な笑みが浮かび上がる。

 

 

「眞白、僕が最初に言ったこと、ちゃーんと話聞いてた?」

 

「ひ、聞いてましたよぅ……ッ」

 

 

五条はわざとらしく人差し指を立て、チッチッチと左右に振ってみせた。

 

 

「あの時の試験内容は、『僕に一撃入れること』。それは間違いない。でもさ……僕、『一撃も入れられなかったら不合格にする』なんて、一言も言ってないよ?」

 

「……へ?」

 

 

眞白の口から、間抜けな音が漏れた。

膨らみ続けていた被害妄想の風船が、五条の一言であっさりと破裂する。

 

 

(えっ……言って、ない? ……たしかに、「一撃入れること」とは言われたけど、「できなかったらクビ」なんて言われてない……!!)

 

 

全ては自身の思い込みが生んだ、壮大な一人相撲だったのだ。

 

 

「……ッ」

 

 

数秒間の思考のフリーズを経て事実を理解した眞白は、一気に全身の緊張が解け、ベッドの上でスライムのようにへなへなと溶け崩れた。

 

 

「よ、よかったぁぁぁぁ〜……」

 

 

心底安堵した長いため息とともに、眞白の目からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。全身の激しい筋肉痛は相変わらずだが、退学の危機という最悪の妄想から解放されたことで、彼女の顔にはようやく安らぎが戻っていた。

 

だが、そんな教え子の安堵を打ち砕くように、五条がニヤリと口角を上げた。

 

 

「ま、その代わり。罰としてこれから暇ができ次第、毎日僕と『組み手』ね」

 

「く、組み手……!?」

 

 

平和が戻りかけた保健室に、眞白の戦慄した声が響く。またあの、重力を無視して投げ飛ばされ、腹を殴られ、死の淵を彷徨うような地獄の日々が始まるのか。

 

 

「そんなの、またボコボコにされるだけじゃ……」

 

 

眞白は怯え、布団を顎まで引き上げて震えようとした。だが、そこで彼女の脳裏に、試験の終盤で見せた自分の「動き」がフラッシュバックする。

あの時、自分は確かに五条悟の動きを捉え、空を蹴り、まともに打ち合っていた。

 

 

(……待てよ? あの時の感覚を再現できるなら、もしかして案外いけるんじゃ……?)

 

 

少しだけ元気を取り戻した眞白は、涙を拭い、天井を見つめたままどこか挑戦的な笑みを浮かべた。

 

 

「……わかりました。あれを経験した今の私なら、次は一撃くらい入れられる気がします!」

 

「あぁ、あれね」

 

 

眞白の鼻息の荒い宣言に対し、五条は不意に表情から笑みを消し、冷徹なまでの真剣なトーンで告げた。

 

 

「あの脳の使い方、当分は禁止ね」

 

「え、なんでですか!? せっかく上手くできたと思ったのに……!」

 

 

突き放すような物言いに、眞白は思わず寝返りを打とうとして「痛っ!」と悶絶しながらも食い下がった。自分を最強に近づけてくれる唯一の手がかりを奪われるのは、彼女にとって受け入れがたいことだった。

 

 

「眞白、君さ……自分が顔中の穴から血を吹いて倒れた原因、まだちゃんと理解してないでしょ?」

 

 

五条は椅子に深く背を預け、呆れたように、そして諭すように話し始めた。

 

 

「血、ですか……? そういえば家入先生も、なんかスプラッタなこと言ってたような……」

 

「要は、脳の使いすぎ。あの時の眞白は演算能力に集中しすぎて、脳が完全にオーバーヒートを起こしちゃったんだよ。そのせいで頭の中の血管が何本もブチ切れた。……いい? あともう少し硝子の治療が遅れてたら、眞白、死んでたよ。大袈裟じゃなくね」

 

 

五条の言葉は重く、静かに眞白の心臓を射抜いた。

全能感に包まれていたあの瞬間の裏側で、自分の脳が物理的に壊れ、死へと突き進んでいたという戦慄の事実。

 

 

「死……原因、それだったんですか……!?」

 

「そ、だから明日から僕と組み手しながら、脳がぶっ壊れない程度を模索していくわけ」

 

 

五条は椅子の背もたれに深く腰掛け、どこか他人事のように、しかし拒絶を許さない響きで説明を続けた。自身の才能が「自爆スイッチ」でもあるという過酷な事実に、眞白は全身の筋肉痛も忘れて身震いする。

しかし、五条はそんな教え子の動揺を意に介さず、さらに追い打ちをかけるように、事もなげに言い放った。

 

 

「ま、それでも根本的な解決にはならないけどね」

 

「……え?」

 

 

その一言が、眞白の思考を完全に凍りつかせた。

根本的な解決にならない。どれだけ訓練を積んで出力を抑える術を学んでも、いつかまたあの「死」の淵に立たされる可能性があるということか。

 

 

「ど、ど、どうすればばばば!? 私、死んじゃうんですか!? せっかく呪術師としての一歩を踏み出したと思ったのに、脳がパンクして終わり!? 嫌だ、そんなの嫌すぎます!!」

 

 

絶望と恐怖が限界を突破し、眞白の情緒は音を立てて崩壊し始めた。脳内がパニックでバグり散らかし、ベッドの上で激痛に悶えながらも、涙目で五条に縋るように詰め寄る。

 

その惨状を、五条は隠そうともせず楽しそうに眺めていた。目隠しの奥で瞳を細め、ニヤリと唇を吊り上げる。彼はわざとらしく、もったいぶるように深い溜めを作ってから、囁くように口を開いた。

 

 

「……1つだけ。これも根本的な解決とはいかないけど、ちょうど眞白にぴったりの『良い方法』があるよ」

 

 

五条はスッと人差し指を立てると、ベッドに横たわる眞白の顔を覗き込むようにして、自身の吐息が届くほどの至近距離まで顔を寄せた。

至近距離で対峙する、六眼の蒼い輝き。そのあまりの圧に、眞白は心臓の鼓動すら忘れ、ただひたすらに答えを乞うように彼の瞳を真っ向から見返した。

 

 

「そ、それは……! 一体……っ、なんですか……」

 

「あれ〜? わからない? 眞白にしては随分と鈍いねぇ」

 

 

期待に潤んだ眞白の表情を見て、五条はニヤニヤと意地悪な笑みを深める。彼女が焦れる過程を心ゆくまで楽しんでいる、いかにも彼らしい態度だった。

 

 

「は、早く教えて下さい!!」

 

 

なりふり構わずねだる教え子の様子に、五条は満足げに目を細めると、まるでクイズ番組の司会者のように一段とテンションを上げて言い放った。

 

 

「答えはもう、眞白も知ってるはずだよ? さぁ、シンキングタイムッ!」

 

 

その突然の問いかけに対し、眞白はすぐには言葉を返せなかった。痛む身体を横たえたまま、眉を寄せてしばらく沈黙する。

 

 

(私が、もう知ってる……?)

 

「……もう知ってる、ですか」

 

 

ようやくそれだけを口にすると、眞白は静かに目を閉じ、これまでの話を頭の中で追体験し始めた。

自身の脳がパンクした原因と、それを治癒してくれた家入の存在。そして、五条が言った「根本的な解決にはならない」という言葉。

 

 

(答え自体は、なんとなく想像していた。ただ反転術式を使うだけ。……でも、それでは一時的な解決どころか、どのみち限界が来ればまた同じように死にかけることになる)

 

 

暗闇の中で必死に思考を巡らせていた眞白は、ふと、ある事実に思い至った。

閉じていた目を勢いよく見開くと、そこには飄々とした態度で座っている「最強」の男の姿。

 

 

(まさか……! この高等技術を、何食わぬ顔で常に行使し続けている目の前の存在……五条先生と同じことをしろってこと!?)

 

 

あまりにも規格外な解答に辿り着き、眞白はハッと息を呑んだ。驚愕に瞳を大きく揺らしながら、震える声でその答えを口にする。

 

 

「……反転術式、ですよね。しかも、それだけじゃなく、五条先生と同じように常に脳にかけ続けて、自己補完の範疇で常に脳を新鮮な状態にリセットすること」

 

「大正解ッ!!」

 

 

五条はビシッと指を鳴らし、突き抜けるようなハイテンションで嬉しそうに声を上げた。

 

 

「僕並みの呪力操作ができるからこその解決策だね」

 

 

五条はニヤッと口角を上げ、我が事のように心底楽しそうに笑った。

しかし、その絶賛の言葉を受けても、眞白の顔は晴れなかった。

 

 

「で、でも……私、反転術式使えないですよ。資料室で資料は見ましたけど、全然わからなかったです……」

 

 

どれだけ理論が完璧でも、前提となる技術がなければ絵に描いた餅だ。どうせ自分には無理だと言わんばかりに、眞白は自信をなくし、悲しそうに項垂れた。

そんな教え子のネガティブな反応を待っていたかのように、五条はわざとらしく身を乗り出した。

 

 

「なーに言ってんのこの眞白ちゃんは!」

 

 

大袈裟な身振り手振りで声を張り上げる五条。

 

 

「この保健室の主を忘れてない?」

 

 

彼はニヤッと笑い、さも名案だと言わんばかりに得意げな表情を作ってみせた。

 

 

「……家入先生?」

 

 

眞白がぽかんとした顔で呟くと、五条は深く頷いた。

 

 

「そう! 僕が知る限り、最も優秀な反転術式の使い手だよ」

 

 

五条が胸を張り、自信たっぷりにそう断言した瞬間、眞白の脳内に一筋の光が差し込んだ。

 

 

「そ、そうです! それです! 家入先生に教えてもらうことができれば!」

 

 

眞白は全身の筋肉痛も忘れ、ベッドの上でパァッと嬉しそうな表情を咲かせた。自力で学ぶのが無理なら、最高の指導者に教えを請えばいいのだ。

 

 

「ふふーん、そう言うと思って、明日授業してもらえるように頼んどいたよ!」

 

 

五条はまるで手品で鳩を出したマジシャンのように、サプライズ気味に言い放った。

 

 

「本当はもっと前から頼んでたんだけど、やることがたくさんあったから後回しにしてたんだ。日下部さんの件とか、今日のテストとかね」

 

 

五条の言葉を聞き、眞白はこれまでの家入の多忙ぶりや、先ほどまで見せていた目の下の深いクマを思い出し、深く納得したようにコクリと頷いた。

 

 

「なるほど……。それに、家入先生っていつも忙しそうでしたからね」

 

「ってことで、明日にはちゃんと元気になれるように休んどいてよ」

 

 

五条はパンッと軽く手を叩いて話を締めくくると、座っていた丸椅子からスッと立ち上がった。そして、用件は済んだとばかりに背を向け、保健室の出口へと向かうそぶりを見せる。

 

 

「わかりました」

 

 

眞白は素直に返事をしつつも、ピキッと引きつる自身の身体に視線を落とし、ジト目で五条の広い背中に向かって言い返した。

 

 

「て言うか、この調子だと休むってよりか、ひたすらストレッチですけどね」

 

 

全身バキバキの筋肉痛を訴える教え子の憎まれ口に、五条は歩きながら楽しげに肩を揺らす。

 

 

「あ、反転術式の授業終わったら、僕と組み手なんだから、ちゃんと身体ほぐしといてよ〜」

 

 

ガララ、と引き戸を開け、五条はそのまま夜の廊下へと出ていく――。

眞白がそう思った、次の瞬間だった。

 

閉まりかけた扉の隙間から、五条が立ち止まり、ふたたびひょっこりと顔を出した。

彼は目隠しの奥の視線を眞白へと向け、少しだけコテッと首を傾げる。そこには、いつもの飄々とした軽薄な態度はなく、教え子の底知れぬ才能と未来に純粋な期待を寄せる、一人の『教育者』としての静かな微笑みが浮かんでいた。

 

 

「この調子で頑張ってよ。――()()()()()()()

 

 

「最強」からの、これ以上ないほどの明確な肯定と、高みへの招待。

五条は優しくそれだけを言い残すと、今度こそ静かに保健室のドアを閉め、完全にその場から立ち去っていった。

 

パタン、という微かな戸締まりの音が、夜の保健室に響く。

たった一人残された眞白は、胸の奥底から熱いものが込み上げてくるのを感じていた。

激痛に軋む身体の辛さなど、とうの昔に消え去っている。あの五条悟に、自分と同じ領域で「待っている」と言われたのだ。呪術師として、これほどまでに血が沸き立つ言葉はない。

 

 

「……もちろんです」

 

 

静寂に包まれた部屋の中。

眞白は、五条が出ていった無機質な保健室のドアを真っ直ぐに見つめたまま、誰に聞かせるでもなく、強い決意を込めてポツリと呟くのだった。

 

 

 





てな感じで、眞白vs五条。眞白の自爆による幕引きとなりました。

ちょっと戦闘描写を盛りすぎた感は否めないけど、個人的に満足いく感じになりました。

次は、反転術式の授業をしてから姉妹校交流会までいけたらいいなって感じです。

てことで、次回がいつになるかは、わかりませんがきっとまた会いましょう。

あどぅ~
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