万象、紙に綴れば   作:Mebius217

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第21話:期待の新星と、絶望の足音

 

 

 

「あれ、皆さんお早いご到着で」

 

 

観戦用の教室に足を踏み入れ、五条はドアを後ろ手で閉めながら、室内に集まっていた面々に向かって気楽な挨拶を放った。

教室の前方には、交流会の戦況を映し出すための複数のモニターがすでに設置されている。

 

 

「アンタが遅いだけよ。あの後、一体何してたのよ」

 

 

腕を組んでモニターの前に立っていた歌姫が、五条を横目で睨みつけ、忌々しそうにため息を吐いた。

 

 

「いや、ちょっとね。作戦会議ってやつ?」

 

 

五条はニヤニヤと楽しそうに笑い、具体的なことははぐらかした。そのまま視線を室内に巡らせると、教室の隅の席に腰掛けている長い銀髪の女性を見つける。

 

 

「あ、冥さん久しぶり。例の件、ありがとうございます」

 

 

五条は片手を上げながら親しげに近づき、冥冥に向かって『例の件』についての感謝を口にした。

 

 

「対面では久しぶりだね、五条くん」

 

 

冥冥は優雅に微笑み、手元の書類から視線を上げた。

 

 

「想像より手間ではなかったから、お礼は不要だよ。報酬はすでに十分もらっているからね。それと――例の物の配置も、五条くんに言われた通りにすべて終わっているよ。どちらかと言うと、そっちの方がだいぶ手こずったけどね」

 

 

二人は、周囲には分からない隠語のような意味深な言葉を交わす。

 

 

「さっすが冥さん!仕事が早くて助かりますよ!」

 

 

五条は大袈裟に両手を合わせて感謝の意を示した。

 

 

「私としては、感謝の言葉より『追加報酬』の方が誠意を感じられるんだけどね。まぁ、君のことだ。今後の見返りに期待しておこうかな」

 

 

冥冥は感謝自体に悪い気はしていないようで愛想良く笑うが、やはり金銭に優るものはないというブレない守銭奴の態度を見せる。

 

 

「例の物?……アンタ、今度は一体何をするつもり?」

 

 

五条と冥冥のヒソヒソとした意味深な会話に、歌姫は嫌な予感しかせず、胡乱な目で五条を邪推した。どうせまた、ろくでもないことを企んでいるに違いない。

 

 

「何、『例のもの』と言ってもそんな大層なものではないよ」

 

 

冥冥は歌姫の警戒を解くように、あっさりと説明を始めた。

 

 

「私も依頼された時、こんな大量の代物を何に使うのかと思ったけど、なるほど。例のあの子の術式は『折紙呪法』だったね。それなら合点がいく」

 

 

冥冥は五条の意図に深く納得がいったというように、一人で頷いた。

 

 

「へぇ〜。冥さん。それ、誰から聞いたの?」

 

 

その瞬間、五条の顔からスッと温度が消えた。軽薄な笑みこそ浮かべているが、声のトーンは低く、自身の生徒の『術式情報』がどこから漏れたのかを暗に詰め寄る。

 

 

「この前、歌姫と硝子と三人で飲んだ時にね。君の愚痴のついでに、硝子から軽く聞いた程度だよ。それに代わりとして、飲み代は全て私が払ったしね」

 

 

冥冥は五条の微かな殺気に全く怯むことなく、裏の取り引きややましいことは一切ないと、正直に経緯を伝えた。

 

 

「なんだ、硝子か。それならいいや。まぁどうせ今日、派手にバレるんだし」

 

 

情報源が身内であったことに安心したのか、五条はいつもの軽薄な態度に戻り、カラカラと笑い飛ばした。

 

 

「折紙呪法?……え、私知らない……」

 

 

一方、情報を漏らされた当事者の一人であるはずの歌姫は、本当に覚えがないのか、自身の記憶の糸を必死に掘り起こしながら困惑していた。

 

 

「まぁ、歌姫はだいぶ酔って盛り上がってたからね。主に五条くんの愚痴で」

 

 

冥冥は、当時の泥酔した歌姫を思い出したのか、呆れながらも面白いものを見るような目でクスクスと笑った。

 

 

「何それ酷くない?大の大人が、裏でこそこそ僕の愚痴で盛り上がるなんて。……僕、泣いちゃうかも」

 

 

五条はわざとらしく目元を拭う泣き真似をして、歌姫をねちっこく煽る。

 

 

「チッ。黙れ、クソガキ」

 

 

五条の白々しい態度に神経を逆撫でされ、歌姫は額に青筋を浮かべて怒った。

 

 

「ガキじゃありませーん。ぴちぴち二十五歳の立派な大人でーす。オ・バ・サ・ン!」

 

 

五条は小学生男子のような低レベルな言い草で、さらに歌姫の地雷を踏み抜く。

 

 

「コロス……!!」

 

 

『オバサン』の一言に完全に堪忍袋の尾が切れた歌姫は、言語能力を著しく低下させ、純粋な殺意の塊となって五条へ掴みかかろうとした。

 

 

「……おい、ここにいるのはお前たちだけじゃねぇぞ」

 

 

その時、観戦室に並べられた席の端の方から、深く呆れたような低く太い注意の声が飛んだ。一級呪術師、日下部篤也である。

 

 

「「………………」」

 

 

日下部の声に促され、三人が視線を向けると、少し離れた特等席には楽巌寺と夜蛾の二人が、無言のまま冷ややかな視線を送っていた。夜蛾に至っては、頭に手を当てて心底頭痛がするといった様子で呆れ果てている。

 

 

「ッ!す、すみません。楽巌寺学長、夜蛾学長。それに日下部さんも」

 

 

周囲の冷たい空気にハッと気づいた歌姫は、即座に殺意を引っ込め、真剣な顔で深々とお辞儀をして謝罪した。

 

 

「そんなことより、綴の話だろ?俺も、あいつが今日何をやらかすか気になってわざわざ見に来たんでな」

 

 

日下部は、いい大人が子供みたいにふざけ合うのは許さないが、交流会――特に眞白に関する話には強い興味があるようで、身を乗り出した。

 

 

「おや珍しいね。日下部くんが、特定のいち生徒をそこまで気にかけるなんて」

 

 

冥冥は珍しいものを見たというように、日下部へ優雅に笑いかける。

 

 

「そんなんじゃねーよ……と言いたいところだが。……まぁ、見ればわかんだろ」

 

 

日下部は少しバツが悪そうに視線を逸らした。眞白の底知れない実力を身をもって知っているせいで、期待を完全に否定することができない。むしろ、彼女の活躍を誰よりも楽しみにしている節があった。

 

 

「そうそう。これは『眞白のお披露目パーティー』みたいなもんだと思ってくれていいよ!」

 

 

日下部の言葉に感化されたのか、五条はさらにテンションを上げて両手を広げた。

 

 

「お披露目?……確かに今朝見た時は、やけに繊細な呪力操作がうまい子だなとは思ったけど。術式はあの『折紙呪法』なんでしょう?そんなに言うほどのものがあるの?」

 

 

歌姫は今朝見た眞白の纏う呪力を思い出し、呪力操作に関しては大人顔負けの才能を持つことは素直に認めていた。しかし、媒体が『紙』である術式が、実戦――それも格上相手にどこまで通用するのか、ひどく懐疑的だった。

 

 

「当然でしょ。最強の僕が直々に教えてるんだから。……他人を見てこんなに心が躍ったのは、高専以来だよ」

 

 

五条は両手を頭の後ろに回し、心底楽しそうに、自慢の教え子を誇るように語った。

 

 

(高専以来?この五条が?)

 

 

歌姫は、五条のその『セリフの重み』に少し違和感を覚えた。しかし、それでも現実的な問題は残る。

 

 

「……だとしても、今回は異例の一対五。この圧倒的な人数差はどうにもならないでしょ」

 

 

いくら才能があろうと、多勢に無勢。それが呪術戦の基本だ。歌姫は冷静に分析して断言した。

 

 

「確かに。高専に入学、いや、呪術を知ってからたった二ヶ月の素人の子に課す試練ではないね」

 

 

冥冥も歌姫の意見に同感だというように頷き、まだ顔も見たことがない一年の少女の身を案じた。

 

 

「「ピクッ………………」」

 

 

その『二ヶ月の素人の子』という単語が出た瞬間、五条と夜蛾の肩が同時にピクッと跳ねた。

二人は何か強烈な心当たりがあるのか、急に居心地が悪そうに視線を泳がせる。五条に至っては、明後日の方向を見ながらわざとらしく「ヒュ〜♪」と下手くそな口笛を吹いて誤魔化そうとし始めた。その後ろで、家入だけが「さすがに言えないよなぁ、あんな試験」と深く呆れた目を向けている。

 

 

「……?日下部くんはどう思うんだい?君も、綴ちゃんに直接色々教えたんだろう?」

 

 

冥冥は、不自然すぎる五条と夜蛾の態度を訝しみつつも、確かな情報を持っているであろう日下部へ、眞白の真の実力について聞き出そうとした。

 

 

「俺が教えたのは、刀の振り方の基礎と、実戦に必要な最低限の身体作りくらいだ。それも最初の数回だけ。あいつ、物覚えが異常すぎてな……あとは自由にやらせてる。つっても、ほぼ俺との模擬戦だがな」

 

 

日下部は当時の稽古を思い出すような仕草をして、ぶっきらぼうに語った。

 

 

「模擬戦?日下部さんと?……しかし、それが人数差を覆す理由にはならないと思いますが」

 

 

歌姫はさらに困惑した。呪術歴二ヶ月の初心者が、一級最強と目される日下部と模擬戦を行っていること自体が異常だ。だが、仮に一対一の立ち回りが優れていたとしても、一対五の包囲網を破れるわけではないと感じる。

 

 

「そうだね。人数差は覆らないね。うん」

 

 

五条は眞白の異常な戦い方と、『折紙呪法』の本来の性質を知っているため、必死に口元を押さえて笑いを堪える仕草をした。人数差など、彼女の前では何の意味もなさない。

 

 

「何ニヤニヤしてんの?キモ」

 

 

歌姫は五条の態度にイラッとして、シンプルな悪口を叩きつける。

 

 

「まぁ、少なくとも俺が思うのは……」

 

 

日下部はモニターに映る京都校の生徒たちを見つめ、ひどく哀れむような目をした。

 

 

「今日戦う京都校の生徒たちが、不憫でならないってことだ。この手合いで、綴が負けるのはまずあり得ない。……『術式あり』なら、尚更な」

 

 

日下部もまた、眞白の理不尽な火力を直接肌で知っているため、彼女が敗北するビジョンなど全く想像できなかった。

 

 

「それほど……ですか」

 

 

いつもは慎重で悲観的な日下部にまでそこまで断言され、歌姫は半信半疑ながらも、その見えない実力を信じざるを得ないと感じて息を呑んだ。

 

 

「そうそう。それに京都校の子達、みんなあからさまに油断してたし、足元掬われちゃうよ?」

 

 

五条はニヤニヤと意地悪く笑い、ふと日下部の方へ視線を流した。

 

 

「……日下部さんみたいに」

 

 

それは、暗に「一級術師である日下部が、たかだか二ヶ月の素人に負けた」という事実を仄めかす言葉だった。

 

 

「ッ!?」

 

 

五条の言葉の意味にいち早く気づき、歌姫と楽巌寺の二人が目を見開いて驚愕した。歌姫に関しては、パイプ椅子からガタッと音を立てて飛び上がるように立ち上がっていた。

 

 

「……!?負けたのかい?君が?呪術二ヶ月の初心者に?」

 

 

普段は冷静沈着で、何事にも動じない冥冥ですら、その事実には驚きを隠せないというように目を丸くして日下部を見た。

 

 

「チッ……おい五条、余計なことを言うんじゃねーよ」

 

 

視線を一身に集めた日下部は、心底めんどくさいことになったと言わんばかりに五条を睨みつけ、忌々しそうに舌打ちをした。

 

 

「最初の一度だけだ!それも、あいつの術式も完全な初見だったから……ってのは、言い訳にはならねぇか」

 

 

一級呪術師としての矜持とプライドはある。だが、だからこそ強者として、実戦において『初見だったから』などという見苦しい言い訳はするべきではないと、日下部は自重して頭を掻きむしった。

 

 

「…………ハァ、負けたよ。アレが殺し合いなら別だが、その後に『あんなの』見せられたらなぁ。これだから才能マンは……」

 

 

日下部はガックリと落ち込むような仕草を見せ、諦めたようにぐちぐちと言葉を吐き出した。

 

 

「あんなの?」

 

 

日下部の意味深な言葉に反応し、歌姫が疑問符を浮かべて首を傾げる。

 

 

「ちょっとちょっと!ネタバレ禁止!」

 

 

五条は立ち上がり、腕をパタパタと大袈裟に振って、これ以上話を深掘りされないよう遮った。

 

 

「アンタが話振ったんでしょう?まったく」

 

 

自分から爆弾を投下しておいて勝手に話を切る五条の態度に、歌姫は深く呆れてため息をついた。

 

 

「へぇ。あの日下部くんがここまで言うなんて、まさに『期待の新人』ってことか。いやはや、一体どんな驚きを齎してくれるんだろうねぇ。その綴ちゃんって子は」

 

 

冥冥は、未知の才能への好奇心と、それが生み出すであろう価値を計算しているのか、心底楽しそうな笑みを浮かべた。

 

 

「儂もその綴とやらのことは気になるところだが……冥冥。そろそろ時間だ、映像を頼む」

 

 

楽巌寺も自身の中で興味が湧いているのか、話を遮るのを少し申し訳なさそうにしながらも、時間厳守を優先して冥冥へ指示を出した。

 

 

「おや、もうそんな時間ですか。楽しい時間とは、なぜこんなに早くすぎるんだろうね」

 

 

冥冥は小さな独り言をこぼしながら、壁に複数の大きなモニターが取り付けられている観戦用の定位置へと優雅に移動した。

 

 

「では、映像を繋ぎます」

 

 

冥冥が自身の術式『黒鳥操術』を起動させる。視界を共有している何羽ものカラスの瞳が捉えた映像が、次々と複数のモニターに映し出されていった。

 

 

「……はぁ。やっぱりあの子達、何考えてるのかと思ったら……」

 

 

画面を通じて自身の教え子たちの初期配置を見た歌姫は、頭を抱えて呆れた。

京都校の生徒を映す画面では、団体戦であるにも関わらず、五人の生徒が見事にバラバラの場所で森の中に立っている姿が映し出されていた。誰一人として連携をとる気がないのが丸わかりである。

 

 

「で、例のものっていうと……やっぱりアレか」

 

 

一方、別のモニターに映る眞白の初期配置を確認した日下部が、なんとなく予想はついていたというように顎で画面をしゃくった。

 

 

「ふむ、ダンボール。その中身は……紙か。……いや、待て。ダンボール多すぎないか?」

 

 

楽巌寺は、眞白の周囲に無造作に積み上げられた物を見て、初めこそ『折紙呪法』に理にかなった贈り物だと理解したが、そのあまりの量に目を見開いて驚いた。

 

 

「そう!冥さんに頼んだダンボール二十五箱!その中身は、なんと!計五万枚のコピー用紙!!」

 

 

五条は席から身を乗り出し、両手をバッと広げながら、通販番組の司会者のようなハイテンションで発表した。

 

 

「――五万枚!?」

 

 

歌姫はその異常な数に素っ頓狂な声を上げて驚く。

 

 

「紙とはいえ、こんな枚数用意するのは流石の私も骨が折れたよ。主に、ここまでの運搬にね」

 

 

冥冥は少し疲れたような仕草こそ見せているが、落ち着いた優雅な様子を崩さず、ふふっと笑みを浮かべている。

 

 

「……しかし、腑に落ちんな」

 

 

楽巌寺は目を細め、自身の知っている呪術の知識を元に考えを巡らせた。

 

 

「おおかたあの紙は、折紙呪法の触媒用だろう。儂の記憶が正しければ、折紙呪法は例え紙がいくらあろうと、作れる式神はせいぜい陽動が限界。それに、一つ一つに術式を付与する関係上、あの数ともなると大半が……いや、殆どが役に立たんだろう」

 

 

紙がいくらあろうと、術者の呪力やキャパシティには限界がある。それが呪術界の常識だ。

 

 

「チッチッチ」

 

 

五条は人差し指を立てて、メトロノームのように左右に揺らした。

 

 

「眞白の折紙呪法を甘く見ちゃダメだよ、お爺ちゃん。そんなんじゃ、腰抜かして数日はお布団から出れなくなっちゃうよ?」

 

 

五条は楽巌寺の古い常識をあっさりと否定し、ついでにニヤニヤと煽り倒した。

 

 

「…………。夜蛾、では頼むぞ」

 

 

これ以上この男と話しても無駄だと悟ったのか、楽巌寺は五条を完全にシカトし、夜蛾に開始の合図を頼んだ。

 

 

「ええ、承知しました」

 

 

夜蛾は静かに頷くと、手元のマイクを握りしめ、一度咳払いをした。

 

 

「……えー、テステス。これより、姉妹校交流会、一日目団体戦。『チキチキ呪物争奪猛レース』を開始する!!」

 

 

森全体に響き渡るような大音量で、試合開始の宣言がなされる。

 

 

「各自、用意について――初めぇぇえ!!!」

 

 

夜蛾の力強い号砲と共に、交流会の幕が切って落とされた。

五条はニヤニヤと頭の後ろに手を回し、行儀悪く足を前の机の上に乗せると、最高にリラックスした姿勢でモニターの観戦を始めるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

時間は少し遡り、眞白が試合開始前に指定された場所へと到着したタイミング。

 

 

「……確か、このあたりのはずだけど……」

 

 

眞白は少し心配そうに、鬱蒼と茂る森の中でキョロキョロと周囲を見渡した。

木漏れ日が差し込む石畳の道を外れ、落ち葉を踏みしめながら奥へと進む。

 

 

「……高専って、改めて思うけどものすごく広いなぁ」

 

 

足を進めながら、眞白はポツリと呟いた。普段は寮と教室、食堂くらいしか行き来しないため、こうして敷地内の深い森に入り込むのは初めての経験だった。

 

 

「……えぇーと。指定の場所には、五条先生が言ってた『特別なプレゼント』があるはずだから、それを目印に………と」

 

 

少し開けた場所に出た眞白は、目を細めて前方を確認した。そして――それを見つけた。

 

 

「あ、あったあった!ここだ!……って……」

 

 

眞白の顔から、みるみると表情が抜け落ちていく。

 

 

「……なんか、ピラミッドが建ってる!?」

 

 

目の前に現れたのは、幾つもの巨大な『段ボール箱』が積み上げられて出来た、高さ三メートルはあろうかという茶色いピラミッドだった。

周囲の厳かな和風の森の調和を、暴力的なまでに叩き壊すかのように鎮座するその異物に、眞白は素っ頓狂な驚きの声を上げた。

 

 

「……待って。プレゼントって、まさかコレ全部!?」

 

 

眞白は木漏れ日を反射して後光が差しているような存在感を放つ段ボールピラミッドを、改めて呆然と見上げた。

 

 

「ッ!あれはッ!!」

 

 

手で後光(木漏れ日)を塞ぎながら頂上を見上げた眞白は、信じられないものを見つけた。

今まで遠くて気づかなかったが、段ボールピラミッドの頂上には、「眞白へ♡」というふざけた文字と共に、雑にデフォルメされた五条の顔(サングラス付き)が描かれた立札が、まるで王者のように鎮座していたのだ。

 

 

「………………」

 

 

眞白は、唖然とした表情でその立札を見つめた。

数秒の沈黙の後。

 

 

「……まぁ、悪くはないか」

 

 

眞白は顎に手を当て、目を細めながら、まるで美術館で前衛的な芸術品でも鑑賞するような目でピラミッド全体を観察し始めた。

 

 

(段ボールの組み方が、マヤ文明のピラミッドの実物に近い。基礎がしっかりしているから崩れないんだな……)

 

 

和の森に混じる中南米風の段ボールピラミッドは、クリエイター気質ゆえに少し感性がズレている眞白にとっては、意外にも『及第点』のデザインだったらしい。

 

 

「っと!こんなことしてる場合じゃなかった!早いとこ段ボール開けて、交流会の準備しないと」

 

 

我に返った眞白は、慌てたように一番下の段ボールに近づき、一つひとつ開封しようと手をかけた。

 

 

「……なんだろう。誕生日やクリスマスってわけでもないけど、プレゼントって言われるとちょっとワクワクするなぁ」

 

 

眞白は嬉しそうに口元を綻ばせながら、ビリビリと段ボールのガムテープを剥がし、中身を覗き込んだ。

 

 

「これは……紙、か。まぁ想像通り。試合前の私へのプレゼントで、一番役立つものって言われたらコレしかないよね」

 

 

箱の中にぎっしりと詰め込まれていたのは、大量の『コピー用紙』だった。

眞白は少し残念そうに息をつくと、視線を横にずらして隣の段ボールを開封した。

 

 

「これも……紙……。うん、これだけあると戦術の幅も広がるよね」

 

 

次の段ボールを開ける。

 

 

「……紙。うんうん、私の術式にとって紙は必需品だからね。あればあるほど良いよね。……うん」

 

 

さらに次の段ボールを開ける。

 

 

「…………」

 

 

その段ボールの中にも、またもや親の顔より見た白いコピー用紙が敷き詰められていた。眞白はそれを、ひどく残念そうに、虚無の目で見つめた。

 

 

「……ってことは。これ全部、紙かぁ」

 

 

目の前に積み重なった、計二十五箱の段ボールピラミッドを見上げる。中身は全て、計五万枚の紙の束だ。

 

 

「まぁ、良いや。プレゼントは……交流会で成績残せたら、直接五条先生に何か高いもの強請ってみよっと」

 

 

眞白は現実的な妥協案を脳内でまとめると、再び大量の紙へと視線を戻した。

 

 

「……ん?ちょっと待てよ?これだけ紙に余裕があるなら、アレが作れるかも……。それも、一体だけなんてケチな数言わずに」

 

 

眞白の頭の中で、パズルのピースがカチリと噛み合う音がした。

 

 

「いや、もしかしたらアレも作れるかも?いや、アレにしよっかなぁ。いやいやアレも……。うへへ……」

 

 

先ほどまでの残念そうな雰囲気とは打って変わり、芸術家・創作者としての『表現欲求』が前面に押し出てきた。眞白はニヤニヤとだらしない笑みを浮かべ、楽しそうにアレコレと妄想の中で折り紙を組み立て始める。暫くの間、眞白が大量の紙を前にブツブツと妄想に浸っていると――。

 

キィィィン、と。近くの木に取り付けられていたスピーカーから甲高いハウリング音が聞こえ、夜蛾学長の重低音ボイスが森に響き渡った。

 

 

『えー、テステス。これより、姉妹校交流会、一日目団体戦。「チキチキ呪物争奪猛レース」を開始する!!』

 

『各自、用意について………初めぇぇえ!!!』

 

「ハッ!じ、時間だ!!」

 

 

眞白は我に返り、ビクッと肩を跳ねさせた。

 

 

「やばい、具体的に何も考えてない!というかチキチキ?呪物争奪猛レースって何!?」

 

 

「相手チーム全員の制圧」というルールしか聞かされていなかった眞白は、ここで初めて「呪物争奪」という本来のルールの一端を知り、完全にパニックに陥った。

 

 

「と、とりあえず作戦を考えないと……!」

 

 

焦り、慌てふためきながらも、眞白の脳はフル回転を始める。

 

 

「…………よし、決まり!」

 

 

ほんの数瞬。手元にある情報だけで大まかな試合ルールを強引に解釈し、その上で自身のポテンシャルを最大限発揮できる作戦を、頭の中で完璧に組み上げた。

 

 

「とりあえず呪物は無視!五条先生の『全員制圧しろ』って命令が嘘じゃないなら、相手が全員戦闘不能=呪物を取得できずにこちらの勝利!最適解は、相手が呪物を見つける前に全員見つけて制圧すること!なら、当初の予定通り……」

 

 

眞白は段ボールピラミッドの前に立ち、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして、術式発動の準備に入る。

 

 

「“無垢”“連理”“彩の息吹”――折紙呪法、『折紙』!」

 

 

瞬間、眞白が常に穏やかに纏っていた呪力が、ズンッ!と鼓動を打ち、段ボールに詰まった五万枚の紙全てに術式をかけるべく、爆発的に膨れ上がった。

 

呪詞に合わせて、パンッ!と澄んだ音を立てて両の掌を合わせる。合掌印による『縛り』で、術式の効果と出力を極限まで引き上げる。

 

バサァァァァァァッ!!!

 

眞白の背後で、段ボールを内側から破り、大量のコピー用紙が竜巻のように宙へ舞い上がった。無数の白い紙が空中で折り畳まれ、圧縮され、明確なシルエットを形作っていく。そこに現れたのは、白い紙で構成された『大量の式神の群れ』だった。

 

今回は複雑なキメラは避け、役割ごとに適したシンプルな三種類の形態を選択する。

 

まず、遊撃、追撃、場面制圧を担う『犬型式神』が五十体。

 

次に、上空からの索敵と式神全体の統率を担う『鷲型式神』が二体。

 

そして――残った半分以上の紙を贅沢に使い、隠密と強襲を担う、体長三〜四メートルはあろうかという巨大な『虎型式神』が三体。ズシンと重い音を立てて地面を踏みしめ、グルルと低い唸り声をあげて姿を現した。

 

 

「最後に仕上げ――っと!」

 

 

眞白はすぐさま、上空の鷲型式神に『拡張術式』を発動する。

 

「拡張術式・『隠形紙(おんぎょうし)』」

鷲型の体を構成する紙質を、透明度の高い薄いフィルム状へと変化させ、周囲の風景に溶け込む完璧な『迷彩効果』を付与した。

 

続けて、巨大な虎型式神の牙に向けて指を差す。

 

「拡張術式・『鉄漿紙(かねのかみ)』」

虎型の鋭い歯牙の紙質を、鋼鉄のように重く頑丈に圧縮・変質させ、その一撃を必殺の威力へと昇華させる。全身を鋼鉄にしないのは、紙特有の身軽な動きが鈍くなるのを防ぐため。必要最低限の武装に限ることで、虎型式神のポテンシャルを最大限に引き出した。

 

 

「……よし、じゃあ行こうか……みんな!!」

 

 

眞白が大きく腕を振って合図を出すと、五十体の犬型は十体ずつ計五部隊に綺麗に分かれ、ザッザッザッと統率の取れた動きで森の奥へと駆けていった。

二体の鷲型は大きな翼を広げ、バサッ!と音を立てることなく素早く森の上空へと飛び立ち、迷彩によって完全に姿を消す。

そして、二体の巨大な虎型は、犬型の後を追うように音もなく素早い動きで森へ散っていった。

 

 

「刀をベルトに刺してっと……。手裏剣もいくつかポッケに入れとこうかな」

 

 

陣形を見送った眞白は、足元に余っていた紙でスッと鉄漿紙が付与された『日本刀の式神』と『手裏剣の式神』を作成し、腰のベルトとポケットにそれぞれ装備した。

 

 

「じゃあ、君も私と行こっか。護衛よろしくね!」

 

 

眞白は、手元に残しておいた最後の一体の巨大な虎型式神を見上げ、その鼻面を撫でながら微笑みかけた。

虎型は眞白の言葉を理解し、肯定するように「グルゥ」と喉を鳴らす。

 

 

「うん、可愛い!さすが、私の折紙」

 

 

巨大な殺戮兵器である虎型式神の顔まわりを、まるで猫を可愛がるようにもふもふと撫で回し、眞白は自身の作品の挙動に愛らしさを覚えて自画自賛した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「何よ……、アレ」

 

 

観戦用の教室に設置された大型モニターの一つ。そこに映し出された異様な光景を見て、歌姫は思わず呆然と呟いた。

 

 

「…………」

 

 

その隣の特等席で腕を組んでいた楽巌寺も、目をカッと見開き、食い入るようにモニターを凝視して完全に固まっている。

 

 

「……まさか、あの大量の紙……五万枚全てを一度に使い切るなんてね」

 

 

冥冥は、モニターで眞白の操る式神の群れを観察しながら、内心の驚きを隠しつつも冷静に分析の言葉を口にした。

 

 

「それにあの式神の動き。個体ごとに思い思いに動くのではなく、明確な意思を持って分隊に分かれ、完璧な連携行動を成している」

 

「……圧巻の一言に尽きるな」

 

 

眞白の本来の術式『折紙呪法』の性質と、そのポテンシャルをある程度知っていた夜蛾は、モニターに映る完成された『式神の軍団』を見て、ただ深く達観したように頷いた。

 

 

「でしょでしょ〜〜!!!」

 

 

静まり返った観戦室の中で、五条悟だけが一人、腹が立つほどの上機嫌さで声を張り上げた。

 

 

「どう?僕の自慢の生徒!みんな、あまりの凄さに驚いて気絶してなぁい?おじいちゃん、心臓大丈夫〜?」

 

 

五条はニヤニヤと笑いながら、周囲の教師陣――特に楽巌寺に向かって鬱陶しいちょっかいをかける。

 

 

「ぅるっさいわね!?いいから真面目に説明しなさいよ!なんなのよアレ!?あんなのまるで……」

 

 

五条の子供じみたちょっかいに怒りつつも、歌姫はモニターから目を離せずに説明を求めた。

 

 

(……あんなのまるで、数多の呪霊を操る『呪霊操術』みたいじゃない……)

 

 

歌姫の脳裏に、かつて高専時代に背中を見ていた後輩――夏油傑の面影がフラッシュバックする。

 

 

「何って、さっきも言ってたでしょ〜?『折紙呪法』だよ。オ・リ・ガ・ミ・ジュ・ホー・ウ☆」

 

 

五条はニヤニヤと笑い、わざと赤ん坊に話しかけるようにゆっくりと区切って説明した。

 

 

「……有り得ぬ」

 

 

沈黙していた楽巌寺が、低く唸るような声を出した。

 

 

「あの術式に、ここまで汎用性はないはずだ。……いや、それ以前に、あの異常な量の紙『全て』に、一度で術式を付与するなど、到底有り得る話ではない」

 

 

楽巌寺の額に、タラリと冷や汗が流れる。

 

 

「いったいどれほどの呪力操作と、どれほどの途方もない呪力量を持てば、あんなデタラメな芸当が可能になるというのだ……」

 

 

眞白の術式の本当の恐ろしさ――それは、一度に全ての紙に術式を行き渡らせる『常軌を逸した呪力操作の練度』と、それを支える『膨大な呪力量』。楽巌寺は、自身の長年の常識が根底から覆されたことに深く驚愕していた。

 

 

(今度、私にもあの紙で可愛い猫作ってもらお)

 

 

一方、そんな重苦しい驚愕の空気を完全に無視して、家入はモニターに映る『巨大な虎型の式神』にもふもふと顔を埋めている眞白の姿を見て、ただ一人場違いなことを考えていた。

 

 

「まさか、あの式神どもをあんな一気に作れるとはな……」

 

 

日下部もまた、モニターを見上げながら深く呆れ果てていた。

 

 

「流石の俺も、大半は予備のストックに回すと思っていたが……過剰戦力すぎないか?」

 

「そうか、日下部くんはアレと直接戦ったと言っていたね」

 

 

冥冥は数刻前の会話を思い出し、興味本意で日下部に尋ねた。

 

 

「実際のところ、あの式神の強さはどれほどのモノなんだい?」

 

「……あの犬(遊撃型)に限ったら、五体いりゃ殆どの『一級以下の術師』は何もできずにボコボコにされておっ死ぬだろうなぁ。当然、術式の相性にもよるがな」

 

 

日下部は忌々しい記憶を思い出すように首を擦る。

 

 

「……それが、画面に映ってるだけでだいたい五十体位か?……一人につき十体とか、俺だったらその時点で泣いてるね」

 

 

日下部は深い呆れと共に、これからそれに襲われる京都校の生徒たちに心底同情した。

 

 

「それに次いで、あのサイズで迷彩機能を持つ透明な『鳥型の式神』に、見るからに凶悪な武装を施された『虎型の式神』。……なるほど、これは既に勝負は決まったかな」

 

 

日下部の実体験から来る信憑性の高い評価と、自身の卓越した戦力分析を合わせ、冥冥は早くも結論を出した。彼女もまた、京都校の生徒たちに哀れみを覚える。

 

 

「……いや。まだ微かにだが、勝機はあるはずだ」

 

 

楽巌寺は、眞白のデタラメな式神に驚愕しながらも、指導者として冷静に戦況を見つめ直した。

 

 

「あの式神の『呪力切れ』を待つか。あるいは、式神を無視して『術者本人』を叩くかだ」

 

「いや〜。それは無理だと思うよ?」

 

 

五条が、またしてもニヤニヤしながら即座に否定した。

 

 

「無理ってなんでよ?」

 

 

歌姫が楽巌寺の真意を読み解き、五条に食ってかかる。

 

「あのタイプの式神なら、媒体である紙に込められた呪力が切れた時点で行動不能になる。試合時間が二時間とはいえ、あの莫大な量を一度に作ったのなら、まだ隙ができる可能性はあるはずでしょ?それに、式神使い本人を直接叩くのは対式神戦の基本中の基本よ」

 

「だから無理でしょ。特に『呪力切れ』とか……多分あの式神、半日以上はピンピンして持つよ?」

 

 

五条はあっけらかんと、とんでもないことを口走った。

 

 

「は、半日!?」

 

 

予想を遥かに超える燃費の良さに、歌姫は目を丸くして驚く。

 

 

「そりゃそうでしょ。だって眞白って、僕より断然『呪力量』多いし」

 

 

五条はケラケラと笑いながら、さらなる爆弾を投下した。

 

 

「アンタよりも、ですって!?」

 

 

歌姫は信じられないものを見る目で五条を見る。

 

 

「……朝、食堂で話した時は、そんなの微塵も感じなかったはずなのに……」

 

「そりゃあ、眞白は普段、自身の呪力をだいぶ内側に押さえてるからねぇ」

 

「ある程度抑える分にはわかるけど、なんでそんな極端に……」

 

 

呪力の浪費や無駄使いを避けるため、ある程度抑えるのはプロの呪術師として理解できる。しかし、五条以上の莫大な呪力を持っているはずの眞白が、朝の時点で『ただの微弱な呪力を持つ一年生』にしか見えなかったほど極端に内側に押さえ込む理由が、歌姫には理解できなかった。

 

 

「眞白にとって、呪力切れは文字通り『死活問題』だからね。心配症な眞白にとって、呪力の無駄使いはできるだけ避けたいんだよ」

 

 

五条は、歌姫がなぜ勘違いをしたのか、その理由を淡々と説明する。

 

 

「……死活問題?そりゃあ誰だって、戦闘中に呪力がなくなったら死活問題でしょ?」

 

 

歌姫は五条の説明に、さらなる疑問を覚える。戦闘中ならまだしも、日常的にそこまで神経質に抑え込む必要があるのか?

 

 

「え〜?内緒」

 

 

五条は口元に人差し指を当て、わざとらしくもったいぶる仕草をした。

 

 

「…………じゃあ、式神使い本人を叩くのが無理な理由は?」

 

 

五条のふざけた仕草にイラつきながらも、歌姫は質問を続ける。

 

 

「そりゃあ……まぁ、見てればわかるよ」

 

 

ここにきて、一つ一つ丁寧に説明するのに飽きたのか、五条は適当にはぐらかし始めた。

 

 

「それに歌姫さぁ〜。人に聞くばっかりじゃなくて、少しは自分で考えてみたら?もういい年した大人でしょ?」

 

 

五条はやれやれと呆れる仕草をしながら、歌姫をねちっこく揶揄い始める。

 

 

「ハッ!?元はと言えば、アンタが自分から自慢げに話し始めたから、それに乗ってあげたんでしょう!?」

 

 

五条の理不尽な物言いに歌姫がヒートアップし、二人の醜い言い合いが再燃し始める。

 

 

「……おい、お前ら。そろそろ始まるぞ……」

 

 

日下部が深い溜息をつきながら、見苦しい二人の言い合いを仲裁した。日下部の言葉に全員がモニターへと視線を戻す。

 

 

 

 ***

 

 

 

ザッ、ザッ、ザッ……!

森の奥深く。京都校二年の男子生徒は、息を切らしながら鬱蒼とした木々の間を慌てて走っていた。

 

 

「……ッ!無事ですか!?」

 

 

試合開始直後、意図的にバラバラに散った京都校の生徒たちだが、個人主義の三年生に比べ、経験の浅い二年生の三人は比較的近い距離を保って行動していた。

だからこそ、彼は異変に気づけた。

少し離れた場所から響いた鈍い衝撃音と、同級生二人の短い悲鳴。運良くそれを聞き取った彼は、全速力で二人の元へと駆けつけ、なんとかたどり着いた。

 

 

「ハァッ……?何なんですかコレ……」

 

 

木々を抜けた先に広がる光景を見て、彼は思わず息を呑んだ。

そこには、倒れて完全に気絶している同級生が一人。そして、それを庇うようにして地面にへたり込んでいるもう一人の同級生。

 

さらに絶望的なのは――彼らを隙間なく包囲する、二十体は下らない『犬型の式神』の群れだった。彼はその異常な数と統率の取れた動きに唖然とし、一瞬思考を放棄しかけた。しかし、呪術師としての本能がすぐさま彼を突き動かし、同級生の元へと駆け出させる。

 

 

「後ろへ下がってッ!僕が時間を稼ぎます!!……早く!」

 

 

彼は満身創痍の二人の前に躍り出ると、両手を広げて庇うように立ち塞がり、自身の術式発動の準備を整えた。

 

 

「……すまない。足に攻撃を受けてしまって、歩けそうにない」

 

 

背後でへたり込んでいた同期の少年が、苦痛に顔を歪めながら言った。

 

 

「それに、意識を失っているこいつは、ルール上すでに失格扱いだろう。庇うだけ無駄だ」

 

 

彼が少年の足元に視線を落とすと、ズボンが不自然に裂け、血こそ流れてはいないものの、打撲で肌がドス黒く変色しているのが分かった。

 

 

「……では、せめて状況報告を。一体何があったんです。この大量の式神は一体……」

 

 

彼は冷や汗を流しながら周囲を警戒する。何故か、自身を含めた三人を包囲している犬型の式神たちは、グルルと低い唸り声を上げるだけで、様子を見ているようにすぐには襲いかかってこない。

 

 

「……試合が始まってすぐだった。何かが猛スピードで近づいてくる音がしたと思ったら、コイツが慌てた様子で俺のところに飛び出してきたんだ」

 

 

少年は気絶している同級生を一瞥し、悔しそうに拳を握りしめた。

 

 

「何事かと事情を聞こうとしたら、あの式神どもが後を追うように飛び出してきて……一瞬のうちに包囲され、制圧された。俺の術式じゃ、まるで歯が立たなかったよ」

 

「……あと、数に関しては知らん。俺たちも、相手が一年一人だとタカを括って完全に油断していたな。まさか、ここまでの式神使いだとは……」

 

 

つい先ほどの理不尽な出来事と、自身のどうしようもない力不足を噛み締めるように、少年は口元を引き攣らせながら語った。

 

 

「……ここまでの式神使い……」

 

 

彼は絶望的な数の式神を見回し、自嘲するようにフッと笑った。

 

 

「貴方達を庇いながらの戦闘は、僕の攻撃力では不可能ですね」

 

「しかし、まだあの三年生の方々がいます」

 

 

彼は自身の技量を客観的に考慮し、今生き残るためにすべき最善の行動を頭の中で組み立てる。

 

 

「ここは僕が防御に徹して時間を稼ぎ、先輩が駆けつけてくれるのを待つか……あるいは、先輩が式神使い本人を倒してくれるのを待つかの二択です」

 

「なるほど。確かにお前の防御特化の術式なら、あの式神の群れを破壊するのは無理でも、時間稼ぎ程度なら問題なさそうだな」

 

 

作戦内容を聞いて納得したのか、少年は少し安堵したように息を吐いた。

 

 

「……頼むぞ」

 

「……えぇ、任せてください」

 

 

彼は力強く頷き、両手を前方に押し出すような構えをとった。

 

「あの先輩のサンドバックになって、日々理不尽に鍛え上げられた私の術式を……とくと見よ!術式展開!!」

 

 

彼が呪力を込めて叫ぶと同時に、呪力で形成された半透明の球状のバリアが展開され、三人をごっぽりと覆い隠した。それを合図にしたかのように、周囲で待機していた犬型の式神たちが一斉に動き出す。彼らは統率の取れた動きで三人の元へ駆け出し、四方八方からバリアへ向けて鋭い爪や牙による波状攻撃を繰り始めた。

 

 

ガガガガガッ!ギィィィン!!

 

 

凄まじい衝撃と、バリアが軋むような嫌な音が響き渡る。しかし、波打つように呪力が揺れるだけで、バリアが破れる様子は全くない。

 

 

「……よかった。コレなら数十分は持ちそうです」

 

 

自身の術式が破られないことを確認し、彼は心底安堵したような表情で額の汗を拭った。

 

 

「さすが、毎日あの先輩にボコられてるだけあるな。防御力だけなら、一級でも通用するんじゃないか?」

 

 

少年も命の危機が去ったことに安堵したのか、表情を柔らかくして茶化すように話しかけた。

 

 

「さ、流石に式神とはいえ、一般家庭出身の一年生相手に破られたら凹みますね。僕の二年間が否定されるようなものですし」

 

 

彼は顔を引き攣らせながらも、軽口を叩いて笑って答える。

 

 

「おいおい、先輩も言ってただろ?お前はもっと自分の防御に自信をもてってさ」

 

 

少年は試合前の広場でのやり取りを思い出しながら、友人を励ますように言った。

 

 

「……そ,そうですかね?では、このまま攻撃を防ぎ続けて、先輩達より好成績とっちゃうぞ!な、なーんて――」

 

バァンッ!!!!

 

 

――その直後だった。鈍く、重く、あまりにも規格外な破砕音。彼が展開していた絶対のバリアが、何の前触れもなく、薄氷のように粉々に砕け散った。

 

 

「バァ……ッ!?」

 

 

言葉を最後まで言い切る前に、彼の身体は強烈な衝撃を受け、バリアの破片もろとも真横の木立へ向けて凄まじい勢いで吹き飛ばされた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……………は?」

 

バリアの内側で。

先ほどまで軽口を叩き、雑談に花を咲かせていた友人が、次の瞬間には急に視界から掻き消えていた。

少年は状況が全く理解できず、言葉を失って呆然と宙を見つめた。

 

 

「一体……何が……ッ!」

 

 

極度の困惑とパニックに陥りながら、少年は慌てて友人が吹き飛んだ方向へと視線を向けた。

少し離れた太い木の根元。そこに、木を背もたれにするようにしてぐったりと倒れ込み、口から大量の血を流してピクリとも動かなくなった友人の姿を見つける。先ほどまで、あんなに自信満々にバリアを張っていた彼が一撃で。

 

 

(そんな……嘘だろ?どうして……)

 

 

恐怖で顔を蒼白にしながら、少年は怪我をした痛む足を無理やり動かし、倒れた友人に近づこうと必死に立とうとした。

しかし、やはり足のダメージは深く、一メートルほどズリズリと進んだところで痛みに耐えきれず、動きが止まってしまう。

 

ハァ、ハァ、と荒い息を吐きながら地面を這う少年の脳裏に、ふと、ある致命的な違和感がよぎった。

 

 

(……何故、あの犬型の式神が襲ってこない?)

 

 

バリアはとっくに破られている。それなのに、周囲を囲んでいたはずの二十体の犬型式神は、いつの間にか一斉に動きを止め、何かに譲るように道を開けて後ずさっていたのだ。

 

嫌な予感がして、少年は俯くように下を見た。

自身の影が――不自然な形に広がっている。

昼の真っ赤な太陽の光を完全に遮るように、自身の背後に『何か巨大なもの』が音もなく立っているのが分かった。

 

全身の毛穴が開き、冷や汗が滝のように噴き出す。

少年は、恐怖で顔を引き攣らせながら、軋む首をゆっくりと……ゆっくりと後ろへ振り向いた。

 

そこには――。

巨大な鋼鉄の牙を剥き出しにし、すでに太く分厚い腕を天高く掲げて攻撃体勢に入っている、自身を冷酷に見下ろす『虎』がいた。

 

「あ――」

 

ドンッ!!!!!

 

命乞いの言葉すら許されない。

腹の底に響く重い地鳴りのような音が、静寂の森に虚しく響き渡った。

 

 

 

***

 

 

 

「ッ……。何だ?今の揺れは」

 

 

森の中で息を潜め、一人離れた場所で潜伏していた京都校三年の女子生徒は、足元から伝わってきた軽い地鳴りと、遠くから響いた鈍い音に眉をひそめた。

 

 

「……まぁ良い。とりあえず今は、『式神使い』を見つけることに集中しなければ。……良し、追手は無し。行くか」

 

 

彼女は音を立てずに茂みの中から周囲を観察し、追手(犬型の式神)が自分の方へは向かってきていないことを確認すると、警戒しながらゆっくりと足を進めようとした。

 

 

ザクッ。

 

「……足音?」

 

 

ふと、前方から微かな落ち葉を踏む音が聞こえた。

彼女が気配を殺して視線を上げると、木々の隙間から、高専の黒い制服を纏った見慣れない少女――眞白が、少し離れたところをのんびりと歩いているのに気づいた。

 

 

(……いた。あれが東京校の一年か)

 

 

彼女は木陰に身を隠し、息を潜めて眞白を観察する。

 

 

(………アイツが、さっきの式神群の術者で合っているんだよな?あまりこういうことを思うのは良くないとわかっているが……到底、強そうには見えないな……)

 

 

先ほどの規格外な式神の数々と、目の前を歩く、隙だらけで小柄な少女の姿。そのあまりのギャップに、彼女は困惑を隠せなかった。

 

 

(まぁ良い。本体が貧弱なのは、式神使いには良くあることだ。といっても、あの子の式神が凶悪なことには変わらない。ちょうど、式神が全て出払って周囲に護衛がいないようだし……あの子には申し訳ないが、早いところ試合を終わらせよう)

 

 

眞白のただずまいに脅威を感じなかった彼女は、何も気づくそぶりを見せない眞白が完全に背後を向くのを待った。

しばらくすると、眞白は森を歩き進み、彼女に対して完全に無防備な背中を向ける角度になった。

 

 

(……良し。今!)

 

 

彼女は腰の刀の柄に手を添え、呪力を流した足で力強く地面を蹴った。

一息の間。風を切る音すら置き去りにする速度で、瞬時に眞白の真後ろへと接近する。

 

「ッシ!!……ッ!?」

 

彼女の最速の一撃、抜き放たれた白刃が、眞白の無防備な背中を切り裂く――はずだった。

誰がみても回避不可能な位置取り、タイミング、そして速度。

しかし、彼女の刀から、全く予想外の音が静寂の森に響き渡った。

 

 

カキンッ!!

 

それは、硬い金属同士が激しくぶつかったであろう、甲高い音だった。

一拍遅れて、彼女は自身の一撃が、何かの要因で『完全に防がれた』ことを察した。

攻撃に失敗した彼女は、即座に思考を切り替え、防がれた要因を確かめるのと同時に、眞白から安全な距離を取ろうと素早く視線を上げた。

 

瞬間。

彼女の視界いっぱいに広がったのは、不意打ちにあった後の焦った少女の姿などではなく――眞白の『靴の裏の模様』だった。

 

 

「ッガッ!?」

 

 

顔面に、一切の容赦がない重い回し蹴りをモロに喰らった彼女は、数メートル後方へと錐揉み回転しながら吹き飛ばされた。

ザザザッ!と地面を転がりながらも、なんとか体勢を整えて膝をつく。

 

 

「あっ!ど、どうしよう!?咄嗟に足が出ちゃって、か、顔に!わ、わざとじゃないんですぅっ!!」

 

 

蹴り飛ばした張本人である眞白は、先ほど無防備な背中を晒して斬りつけられそうになっていたはずなのに、なぜかあたふたと両手を振り回し、本気で焦りながら謎の弁明をし始めた。

 

 

「……何が起こった?」

 

 

未だ現状を理解できていないのか。

彼女は、あたふたしている眞白を見ながらひどく困惑し、ズキズキと痛む顔を擦った。すると、指先にぬるりとした感触があり、自身の鼻からツーッと鼻血が出ていることに気づく。

 

 

「蹴られた、のか?……ッ!!」

 

 

あの一瞬の攻防で、自身の不可避の奇襲が防がれただけでなく、逆に強烈なカウンターをもらって蹴り飛ばされた事実に気づき、彼女は眞白に対する『ただの一年』という認識を完全に改めた。

思考が回り始めたところで、今の一撃である程度距離は離れたものの、彼女は慌てて刀を構え直し、追撃に対する強い警戒を見せる。

 

 

「どどどうしよう!?救急車?いや、硝子先生ッ!!!」

 

 

一方の眞白は、完全に挙動不審になりながら、空に向かって家入の名前を叫んでいた。

 

 

「……何をしているんだ、お前は?」

 

 

あまりにも想定外すぎる反応に困惑し、彼女は思わず声をかけた。

 

 

「ッハ!すみませんッ、いきなり顔面蹴ったりして!は、鼻血出てる!!どうしよう!あ、ハンカチあります!!」

 

 

慌てふためく眞白は、自身の蹴りのせいで鼻血を出している先輩の姿を見て、咄嗟にポケットからハンカチを取り出そうとワタワタしている。

 

 

「……今は試合中だ。頼むから、真面目にやってくれ」

 

 

彼女は、緊迫感の欠片もない眞白を見て深く呆れた後、真剣な声色で、かつ年下の女子と言うこともあり、どこか諭すように優しく注意した。

 

 

「今は大事な『姉妹校交流会』の最中だ。結果次第では昇級もある。……気を引き締めなさい」

 

「ッ、すみません!咄嗟のことで気が逸れてしまってました。……私も昇級を目指す身として、これからは、本気でやらせていただきます!」

 

 

眞白は素直に自身の気の緩みを謝罪し、ハンカチをしまうと、スッと表情を引き締めて気合いを入れ直した。

 

 

「……ッ!……それで良い。では、続けるぞ」

 

 

その瞬間、眞白の纏う呪力と、空気が研ぎ澄まされたものに変わったことに彼女は驚きを隠せなかった。しかし、気を取り直してそう宣言すると同時に、彼女は眞白から一気に距離を取り、素早い動きで木々の中に紛れ込んだ。

そして、眞白の視界から完全に姿を消した。

 

 

「あ、あれ?今の正面から戦うパターン……消えた?いや、これは……」

 

 

いきなり距離をとられたことに驚いた眞白だったが、それよりも、今の一瞬で先輩の気配が『全く感じられなくなった』ことに強い違和感を覚えた。

 

 

(説教した後で悪いが、私の術式は正面戦闘向きではないのでな。悪く思ってくれるなよ)

 

 

彼女はそう考えながら、木々の間を音もなく走り回り、少し離れた安全な位置から、キョロキョロと周囲を見回している眞白を観察する。

 

 

(私の術式は、発動さえすれば『私を認識できなくなる』というもの。もちろん、相手の正面に姿を見せてしまえば、その限りではないが。それでも十分使い勝手が良い。欠点があるとすれば、術式を発動するためには相手の視界から外れないといけないことだが……呪術師の主な活動時間は夕暮れにかけての夜、或いは帳の中など薄暗い場所が主。特にこういう森の中とはすこぶる相性が良い)

 

 

彼女は自身の術式の特性を活かし、完全に気配を絶ちながら眞白の死角へと回り込んでいく。

 

 

「……ん。探すのを諦めたか?」

 

 

眞白の周囲を移動し、ようやく完全な背後へ回ったころ。彼女が眞白を観察していると、先ほどまで辺りを警戒する様子だった眞白が、今はなぜか微動だにせず、直立不動のまま静止していた。

 

 

(あの化け物みたいな式神の群れが戻ってくる前に、決着をつけなければ。視線が増えれば増えるほど、私の術式は不利になる。しかし、先ほど私の刀を防いだ原因は未だ不明だ。安易に突撃してしまえば、先ほどの二の舞になる。それに、あの蹴りを繰り出した反射神経は異常だ)

 

 

彼女は冷静に思考を回しつつ、確実な対策を考える。

 

 

(ならば、初撃は『弾かれる前提』の動きで繰り出し、刀が弾かれたのち、もう一刀の脇差で素早く二撃目を繰り出す。例えこれが防がれたとしても、近接戦闘に持ち込めさえすれば、いくらあの異常な反射神経があろうとも、あの細腕では体術に長けた私に分があるはずだ。相手に防戦一方を強制させ、私の得意な接近戦のスタイルに持ち込む)

 

 

彼女の視線が、眞白の腰に差してある刀に向く。

 

 

(腰の刀が気になるが、どれだけの使い手であろうとも『抜かせなければ』さほど問題ではない。現状の手段では、これが最適か)

 

 

思考を高速で巡らせ、作戦を決定した後。

彼女はすぐさま実行に移すため、木々の隙間から眞白の完全な『背後』を捉え、音もなく茂みから飛び出した。

 

 

(ッ今!)

 

 

できうる限りの呪力で身体機能を強化し、落ち葉を掠めるような低い姿勢で高速移動し、眞白の背後へと肉薄する。

このまま必殺の初撃を繰り出そうとした、その時。

 

 

「見つけたっ」

 

 

眞白の上半身が、ありえない速度でグリンッ!と百八十度回転し、飛び出してきた彼女と完全に視線が合った。

『見つけた』。

それは、かくれんぼで隠れていた友達を見つけた時のような、少し上擦った、心底嬉しそうな声色だった。

 

 

(ッ!!!バレた!?)

 

 

彼女の背筋に、氷を当てられたような悪寒が走る。

 

 

(ッ何故!私の術式は完璧に機能していたはず!……まさか、わざと背後を晒すことで私を誘ったのか!?)

 

 

真っ直ぐに視線を合わせてくる眞白の表情に、彼女は得体の知れない戦慄を覚えた。

奇襲を受けたはずのその顔には、焦りも恐怖も微塵もない。むしろ、完全に背後をとられたこの死地において、彼女の顔の輪郭や頬の筋肉は、ひどく異様で狂気じみた『歪み方』をしていたからだ。

 

 

(だがッ!まだ詰みではないッ!!)

 

 

見つかったところで、ここまで距離を詰めてしまえば接近戦に持ち込むという計画に支障はない。彼女は本能的な恐怖を無理やり振り払い、そのまま流れるような動作で眞白へ向けて刀を振り下ろした。

 

 

「…………」

 

 

眞白は無言のまま、彼女の刃の軌道を見つめ、何かを思考している。

 

 

「ッフン!」

 

 

彼女は小さく息を吐き、初撃――『防がれる前提』の刀を、わざと大振りで繰り出した。それと同時に、本命であるもう一方の『脇差』が眞白の視界に入らないよう身体の向きを微調整し、刀が弾かれるその瞬間を待つ。

 

――しかし。

刀は防がれることはなく、眞白は必要最小限の無駄のない動きでスッと身体を翻し、彼女の渾身の一撃をまるでそよ風を避けるように紙一重でかわした。

 

 

「なっ!?」

 

(防がれなかった?それどころか、完全に躱しただと!?)

わざと大振りしたとはいえ、自身の最速の一撃をいとも簡単にかわされた事に、彼女は驚愕した。

 

(クソッ!体勢が!?)

 

 

防がれる前提で踏み込んだ一撃が予想外に空振りで終わったことと、二撃目の脇差に意識を割きすぎたせいで、彼女の体勢が前のめりに大きく崩れた。

その致命的な隙を、眞白が見逃すはずもなかった。

 

彼女は片足に重心を全て預け、ギリギリのところで転倒を防いでいた。眞白は、その踏ん張っている軸足に対して、鋭く重い足払いを見舞う。

 

 

「グッ!?」

 

 

眞白の足払いをモロに受けて完全に体勢を崩した彼女は、勢い余って空中へと放り出され、地面に無様に転がるのを待つばかりとなった。

しかし、彼女も三年生としての意地がある。最後の足掻きとして、空中で二撃目に備えていた脇差を振りかぶり、ちょうど足払いをした直後の体勢にある眞白の背後へ向け、至近距離から鋭く投擲した。

 

 

(この距離、この角度ならどれだけ反射神経が優れていようと回避は不可能!)

 

 

眞白は呪力の流れと微かな横目で、背後から迫る脇差を明確に認識していた。しかし、躱すどころか、驚く様子さえ見せない。

そして――脇差の刃先が眞白の背中に突き刺さる直前。

 

確信を持った彼女の必殺の一撃は、無惨にも空中で正確に弾き落とされた。

眞白が直に手で放ったわけではない。彼女の周囲をあらかじめ自律して旋回・浮遊し続けていた『折紙の手裏剣』が、主の死角を補うように自動で迎撃に動いたのだ。

 

 

カキンッ!!

 

「クソッ!!」

 

 

呆気なく弾かれた脇差を見て、彼女は思わず悪態をついた。

彼女はそのまま空中で片手を地面につき、体勢が上下反転したまま、その腕を軸にして両足で二連続の強烈な回し蹴りを眞白へ繰り出す。

 

眞白はそれに対し、一歩だけスッと後ろに引いてギリギリ当たらない距離をとりつつ、かと言って相手との間を空けない絶妙な距離感を保ちながら躱し続ける。

 

 

(……今の動きで完全に理解した。コイツに腰の『刀』を抜かせた瞬間、私は確実に負ける!)

 

 

眞白の常軌を逸した反射神経と、それに付随する圧倒的な動体視力。そして、それをノータイムで実行できる無駄のない身体の使い方を目の前で見せつけられ、彼女は眞白に武器(刀)を使わせた場合、自分に勝ち目がないことを痛感した。

 

彼女は回し蹴りの着地の反動をそのまま推進力に変え、休む間もなく眞白の懐へと飛び込んだ。眞白に抜刀の隙を一切与えないための、極限まで距離を詰めた死闘――インファイトを開始する。

 

 

「シッ!!」

 

 

彼女は手元の刀を短く持ち直し、至近距離からの刺突、柄打ち、さらには膝蹴りや体当たりを織り交ぜた、死角のない猛攻を絶え間なく繰り出す。

 

しかし、眞白は依然として自身の刀を抜こうとする気配を見せず、異常な反射神経による最小限のステップと上体の逸らしだけで、彼女の凶刃を紙一重でヒュン、ヒュンと躱し続ける。

 

 

「…………」

 

 

防御一辺倒に見えた眞白だったが、彼女の連撃の僅かな切れ目、そのコンマ一秒の隙を見逃さず、反撃に転じた。

躱すと同時に鋭い掌底や手刀を放ち、彼女の肘の関節、手首、肩口など、人体の急所を的確に打ち据える。

 

 

「グゥッ!?」

 

(クソッ、全て私の攻撃の途中……回避行動ができないタイミングをピンポイントで狙って打ってきている!!)

 

 

眞白の短く重い打撃は、彼女の刃の軌道を強制的に逸らし、同時に彼女の体勢とスタミナをじわじわと、だが確実に削っていく。

 

 

(だが……ここで下がるわけにはいかないッ)

 

 

彼女は眞白の打撃による鋭い痛みを歯を食いしばって無視し、強引に前進を続ける。周囲の太い樹木の幹を蹴って鋭角に軌道を変えるなど、森の環境を利用した変則的な動きで眞白を追い詰めようと必死に足掻く。

 

しかし、眞白の的確な牽制の蓄積と、森特有の木の根や不整地に足を取られたことで、彼女の踏み込みがほんの僅かに乱れ、攻撃のリズムが一瞬だけ途切れた。

 

その致命的な焦りを払拭するかのように、彼女は無理な体勢のまま強引に踏み込み、眞白の首筋を狙って刀で渾身の横薙ぎを放った。

 

だが、眞白は後退して躱すのではなく、逆に刃の懐へと鋭く踏み込んだ。

そして――迫り来る彼女の刀身を、眞白は呪力を込めた素手でガシィッ!と掴みとった。

 

 

「なッ!?」

 

(掴んだだと!?呪力を込めた私の刀を、素手で!?)

 

 

刃を力で完全に固定されたことで、彼女の動きがピタリと停止する。無理な踏み込みで前のめりの体勢となっていた彼女に、この戦闘で最大にして、明確な『隙』が生まれた。

 

眞白は刀からパッと手を離すと同時、がら空きになった彼女の顔面、胸部へ向けて、目にも留まらぬ重い打撃――拳や肘打ちの連打を容赦なく叩き込む。

 

 

「ッ!カハッ!?」

 

ドゴォッ!バキィッ!

 

眞白の重すぎる攻撃の衝撃と痛みにより、彼女は意識を飛ばしかけ、ふらつきながら後退する。

眞白は、その無防備な腹部にとどめと言わんばかりの正拳突きを繰り出した。

 

 

「ガッ……ッ!!」

 

 

これまで彼女が受けたことのないほどの、濃密な呪力を纏った眞白の拳が、腹部に捩じ込まれる勢いで叩きつけられた。

凄まじい衝撃に、彼女の身体は空中で「く」の字に曲がり、そのまま後方へバウンドしながら無惨に転がっていく。

そして、数メートル先の太い木の幹に背中から激しく叩きつけられることで、ようやくその勢いは止まった。

 

 

「……グゥ……ハァ、ハァ……」

 

 

肺から絞り出されるような荒い息を吐きながら、彼女は湿った土の地面にうつ伏せに倒れ込んでいた。

全身の骨が軋み、殴られた腹部の奥から焼け焦げるような鈍痛が波打っている。

 

 

(なんなんだ、コイツは……。あの異常な反射神経から、無駄の一切ない身体の使い方。それに……一撃に込められたあの濃密で膨大な呪力と、それを精密に操るセンス。どれをとっても、規格外じゃないか)

 

 

血の味のする唾を吐き捨てながら、彼女は心の中で毒づく。

 

 

(何が『一般家庭出身』だ。冗談にも限度があるんだぞ……)

 

 

しかし、彼女の呪力が底を突いたわけではない。

 

 

(だが……相手はたかだか一年。私がここで諦めていては、京都校の、いや、先に立つ先輩としての沽券に関わる)

 

 

意識が朦朧と白濁していく中、彼女は泥まみれの自身をなんとか奮い立たせた。これまでの激しい攻防の中でも決して手放さなかった刀を杖代わりに地面へ突き立て、無理やり両足に力を込める。

 

しかし、限界を超えた膝の力が抜け、立ち上がることができず、片膝立ちの状態で動きが止まってしまった。

 

 

(……痛みが引かない。この様子じゃ、立つのもやっとだな……)

 

 

彼女は額から流れる汗を拭い、荒い呼吸を繰り返す。

――ふと、奇妙なことに気がついた。

 

 

(……静かだ。……風で葉の擦れる音が聞こえる。遠くの鳥の声が聞こえる。……一体、何のつもりだ?)

 

(…………なぜ、追撃が来ない。アイツの身体能力なら、倒れ伏した私までこの数メートルの距離程度、一瞬で簡単に詰められると思っていたが)

 

 

なけなしの力で刀の柄を強く握りしめ、肩で息をしながら、彼女は訪れた不気味な静寂と、追撃してこない眞白の意図に不審を抱いた。

 

 

ガサッ。ガサガサッ。

 

 

静寂を破るように、彼女の周囲の茂みから、複数の四つ足の足音が聞こえ始めた。

 

 

「……そうか。すでに『時間切れ』ということか」

 

 

彼女がゆっくりと顔を上げて周囲を見渡すと、いつの間にか自分をぐるりと隙間なく包囲するように、あの『犬型の式神』が数十体、低い唸り声を上げながら配置についていた。

そして視線の先――数メートル先の先ほどの位置から、眞白は一歩も動かずにこちらを見下ろしている。

 

 

「私を圧倒するだけの優れた近接戦闘技術を持っておきながら、強力な式神使いとは……まさに期待の新星というやつだ。五条特級術師の生徒なだけはあるということか」

 

 

無数の式神に完全に囲まれ、死地にありながらも、彼女は純粋な賞賛の言葉を眞白へ贈った。

数メートル先に立つ眞白は、先ほどからずっと『同じ表情』を全く崩していない。

 

 

「そして、弱り切った敵に対しても、自らは手を出さず式神で包囲を固める……決して油断をしない思慮深さも持ち合わせている」

 

 

彼女はフッと自嘲するように笑う。

 

 

「……そうだな。敗れ去る先輩として、最後に一つだけアドバイスを送るとしたら。……『その顔』は、やめた方がいいと思うぞ。呪霊相手ならともかく、術師相手だと、随分と変な勘違いをされかねないからな」

 

 

少しだけ口角を上げてそう指摘すると――。

ビクッ!と、眞白の肩が大きく揺れた。

明確な意図があって意図的に浮かべていた笑みだったようだが、面と向かって「変な勘違いをされる」と指摘されたのが気恥ずかしかったのか。眞白はパッと両手で自分の顔を覆い、耳まで真っ赤にしてあからさまに恥ずかしがる素振りを見せた。

 

 

「……フッ。では、もう私は限界が近いのでな。最後に一つ、悪あがきをさせてもらう。悪く思うなよ、これはあくまで団体戦だ。少しでも味方の負担を減らしておく」

 

 

そう言うと、彼女は残された全ての力を振り絞り、納刀した刀の柄に手を添えて、かろうじて抜刀の構えをとった。

彼女の体から、最後の呪力が青い炎のように勢いよく溢れ出し、周囲の式神たちを覆うようにして地面に足を中心とした円を模っていく。彼女は、その呪力を強固な『結界』へと昇華させるために、静かに目を閉じて極限まで意識を集中させた。

 

 

「シン・陰流ッ!!」

 

 

円形に模られた呪力が、周囲の空間を制圧しようと出力を増していく。

最後に彼女は、他の京都校の仲間たちのために、可能な限りこの厄介な式神を排除してからリタイアするつもりだった。

 

「「簡易領域」」

 

彼女と――そして前方の眞白の声が、ピタリと重なった。

呪力が結界へと転換され、彼女の領域が顕現する――。

 

パァァンッッ!!!

 

しかし。彼女が簡易領域を展開したまさにその瞬間。

分厚いガラスをハンマーで粉々に叩き割るような、不快で暴力的な破壊音が森中に響き渡った。

 

 

「…………ッハ。先ほどの言葉は撤回しよう。……化け物め」

 

 

衝撃に弾かれるように開いた彼女の目に映ったのは、自身の簡易領域によって切り裂かれ、破壊された式神たちの残骸などではなかった。

それは、眞白が展開した、彼女のものとは比較にならないほどの『圧倒的な密度と範囲を誇る簡易領域』によって、いとも容易く外側から押し潰され、霧散していく自身の結界の悲惨な残穢だった。全てにおいて、次元が違いすぎる。

 

その絶対的な実力差に深い絶望と微かな諦観を抱いたまま――それが、彼女がこの日見た最後の景色となった。

 

 

 

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