「クソッ!一体どれだけいやがんだ!?」
鳥の鳴き声が妙に響く静かな森の中。
京都校三年の男子生徒は、茂みの奥から際限なく湧いてくる白い犬型の式神の群れに困惑しつつも、巧みなステップで距離をとり、一体一体を自身の術式で確実に燃やして灰にしていた。
「チッ!いくら燃やしてもキリがねぇ……なッ!!」
悪態をつきながら、背後から高速で突撃してきた『巨大な虎型の式神』の強烈な飛びかかりを間一髪で躱す。そして、すれ違いざまに術式を発動し、紙でできた虎の身体へピンポイントで火を引火させた。
「シャッ!デカブツ一丁上がり!!!」
ボワァッ!と、乾燥した紙を媒体とする虎型の式神は一瞬で炎に包まれた。
式神は自身の身体に引火した火を消そうと、もがきながら地面を激しく転げ回るが、その努力虚しく全身に火が燃え広がり、やがてドサリと崩れ落ちて跡形もなく燃え尽きてしまった。
「ハァ……やっと一体か。一体だけでも骨が折れるってのに、二体目とか冗談じゃねぇ」
彼は額の汗を乱暴に拭い、肩で大きく息をした。
視線の先には、燃え尽きた個体とは別の『もう一体の虎型式神』が、数十体の犬型の式神を侍らせながら彼とジリジリと睨み合いを続けている。
ガサガサッ。
「ぁあ?……まじかよ!?コイツまだいるのかよ!!」
さらに嫌な音がして、森の茂みの奥から更にもう一体の虎型の式神が、グルルと低い唸り声を上げながら姿を現した。
「クソッ、ちょっと派手に騒ぎすぎたか……」
彼は忌々しそうに周囲を見渡した。森のあちこちから、自身が術式で燃やした式神の残骸から、少なくない黒い煙が立ち上っている。これでは、自ら居場所をアピールしているようなものだ。
「明日の個人戦用に呪力をとっておきたかったんだが……この有り様じゃ、出し惜しみしてる場合じゃねぇな」そう言うと、彼は深く息を吸い込み、気合と共に身体に纏う呪力の量を一気に引き上げた。
「ヨッシャ!全員まとめて消し炭にしてやるよッ!!……って、なんだぁ?」
呪力を迸らせ、戦闘を再開しようと構えた瞬間。
殺気立っていた式神たちが、急にピタリと唸り声を収め、彼から数歩後ろへと下がったのだ。
「……おいおい。初心者だから知らねぇかもしれねぇが、式神使いは普通、前に出ないんだぜ?五条特級術師様に習わんかったのか?」
彼がそう声を上げた視線の先――式神たちが作った道の間から、ゆっくりとした歩みで、眞白が姿を現した。
「……?…………いえ、この子達と先輩では、術式の『相性』が悪そうなので。このまま続けてもそう意味は無いかと思っただけで……」
自身の式神が悉く燃やされたにも関わらず、ひどく落ち着いた様子の眞白は、彼の高圧的な言葉に少し違和感を覚えつつも、素直な理由を口にした。
「……ハァ?何言ってんだ?これは団体戦で、お前は一人。お前が戦闘不能になった時点で、東京校の負けなのを理解してるか?」
わざわざ安全圏から出てきた眞白の行動が理解できず、彼はひどく馬鹿にするような口調で鼻を鳴らした。
「う…………はい。それ自体は、ルールとして理解していますが……」
初対面の柄の悪い態度と鋭い三白眼に気圧され、眞白は少しビクビクしながら頷いた。
「じゃあ、早く後ろ下がってろよ。せっかく良いところで俺のテンション上がってきたのに、興が覚めるところだ」
彼は「しっし」と手首を振る動作をして、ひ弱そうな眞白から完全に興味をなくしたように視線を外し、再び燃やし甲斐のある式神達へと好戦的な目を向けた。
「……いえ。下がるのは私ではなくて、この子達です」
眞白は式神たちにスッと手を向けて下がるように指示を出しながら、逆に一歩、また一歩と彼の前へと近づいていく。
「……はぁ。お前、術式が強力だからって調子乗ってないか?」
自身の忠告を無視する眞白の行動に明らかな落胆を見せ、彼は苛ついたように首を鳴らした。
「お前の式神達は確かに優秀だが……どうやら、術者本人は『そうでも無い』らしいな?」
明らかに眞白を見下し、挑発するような言葉を投げかける。
「………こ、この子達ばかり活躍しても、私自身の術師としての実力を示さないと、昇格は難しいと思うので」
眞白は周囲の式神をさらに後方へ下がらせながら、真面目な顔でその理由まできちんと説明し始めた。
「……それと、この子達を評価してくださるのは術者としてとても嬉しいのですが……その、あまりそう言う乱暴な物言いをされると、ちょっと……怖いというか……」
彼のドスの効いた物言いに、眞白は少し不安げな表情をして身を縮ませた。
「チッ」
イライラが限界に達し、彼は大きく舌打ちをした。
「ヒィッ!?」
その舌打ちの音に過剰に反応し、眞白はビクンッ!と肩を跳ねさせ、近くにいた巨大な虎型の式神の足にギュッと抱きついて隠れた。
「……そんなビクビクすんなよ。これじゃあ、こっちが悪者みたいじゃねーか」
あからさまに怯える女子生徒の姿に毒気を抜かれ、彼は少し気まずそうに後頭部をガシガシと掻いた。
「す、すみません!」
眞白は虎の影から顔を出し、咄嗟にペコペコと頭を下げる。
「……やっぱり、お前が下がっとけ」
これ以上このひ弱な後輩の相手をするのは調子が狂うと判断し、彼はため息をついた。
「しばらくしたら、俺の同期たちが合流してくるはずだから、お前はそいつらと対峙しろ。俺はもう、この式神達とやり合いたくてうずうずしてんだ」
彼は眞白から完全に視線を外し、式神達を目に据えながら、もう一度「手出し無用」とばかりに手を振る動作をして眞白を追い払おうとした。
「……あれ?京都校の方々って、五名であってますよね?」
しかし。
眞白は下がるどころか、彼の言葉に少し疑問に思ったのか、虎に抱きついたまま恐る恐る尋ねてきた。
「ぁあ?……それがどうした?」
何が言いたいのか分からず、彼はとりあえず肯定して首を傾げた。
「その……であれば。京都校の残りの生徒は、あと『貴方だけ』になるのですが……」
眞白は、とても気まずそうに、申し訳なさそうに彼を見て答えた。
「……ハァ!?アイツら、もうやられたのか!?」
予想だにしなかった想定外の答えに、彼は目を見開いて驚愕した。
「……いや、確かにこの式神の量は手強いが……一人で無理そうなら、せめて合流くらいしてほしかったぜ」
彼はブツブツと、リタイアしたであろう仲間たちへ文句を言い始める。
「あ、あのー……」
一人で何か言い始めた彼に、眞白は遠慮がちに声をかけるが、彼は何やら考え込んでいるのか全く耳に届いていない様子だ。
「クソッ!俺に『足元掬われるなよ』とか偉そうに言っておいて、お前が真っ先に足元掬われてんじゃねぇか!アイツの術式ならこの森と相性抜群なんだから、逃げるくらい簡単にできるだろうが!!」
あの見えない術式を持つ同期の女子がやられたことがよほど納得できないのか。彼は一人で喚きながら、ここにはいない空に向かって激しく文句を言い続けている。
「……あー、もう良いや。完全に興が冷めた」
数秒後。ようやく現実を受け入れたのか、彼はため息をつき、少しだるそうに首を回して姿勢を整えた。
「それに、コイツ(眞白)一人が増えたところで、大差ねぇ」
そう言うと、彼は鋭い目で眞白と式神達を真っ直ぐに見据えた。
「相手してやるから、かかってこいよ。まとめて消し炭にしてやる」
両手を胸の前で組み、指の関節をポキポキと鳴らす。身体から溢れ出す熱を帯びた呪力で、眞白と式神に圧倒的な圧をかけるように。三年生としての余裕と、格上としての不遜な態度をとってカッコつけた。
「………えっと。流石に『多勢に無勢』では?」
しかし、眞白は空気を全く読まず、彼が必死に作り上げた雰囲気をぶち壊す無粋なツッコミを入れた。事実、彼の前には眞白本人と、数十体の式神が控えているのだ。
「……チッ。良いから早くかかってこいよ。さっきまでの威勢はどうした?」
痛いところを突かれた彼は、イライラしながら顔を顰め、強引に挑発を続けた。
「……まぁ、考えてみたら、この子達(式神)と私で『連携』した経験は、これまであまりありませんね」
眞白は顎に手を当て、何かを納得したように小さく頷いた。
「では、こちらとしても良い機会なので。先輩の胸を借りるつもりで、精一杯やらせていただきます!」
交流会とは言え、これはあくまで自身の成長のための訓練でもある。この絶好の機会に、対人戦闘で色々と試してみようと意気込み、眞白は虎の足から離れると、刀に手を添えてスッと構えをとった。
「……ッハ!なんだ、良い声出るんじゃねぇか!」
眞白の真っ直ぐな気合いを気に入ったのか、彼はニヤリと笑ってテンションを上げ、刀に手を添える眞白を見て、同じく刀を扱う同期の動きを想定し、腰を低く落として臨戦態勢に入った。
「その勢いでかかってきなッ、後輩ッ……ブハッ!?」
「フッ!!」
彼が『後輩』と言い終わる、まさにそのコンマ一秒の瞬間だった。
ドンッ!と空気が弾ける音と共に、縮地かと思うほどの異常な踏み込みで肉薄した眞白の右拳が、すでに彼の顔面に深くめり込んでいた。
ゴギィッ!!
「――ッ!?」
脳髄を揺らす規格外の重い衝撃。視界が白く明滅し、彼の身体は回転しながら後方へと吹き飛んだ。
しかし、攻撃はそれだけでは終わらない。
吹き飛ぶ彼を追うように、左右の茂みから『巨大な虎型の式神』が二体、森を震わせる咆哮と共に同時に飛び出し、強靭な丸太のような前腕をハンマーのように振り下ろしてきた。
「ッ!……ぁぶね!?」
空中で体勢を崩しながらも、彼は咄嗟に呪力を両足に込め、自身の術式を使用した。足の裏から爆発的な『炎』を噴射させ、その推進力で空中でさらに軌道を変え、迫り来る二体の虎の致命的な爪撃を間一髪で躱す。
――しかし。
飛び上がって回避した彼の軌道を完全に読み切るかのように、空中に躍り出た眞白がすでにそこで待ち構えていた。
「ガッ!?」
追撃の二撃目。眞白の凶悪な回し蹴りが、空中の逃げ場のない彼の腹部にモロにめり込み、内臓を破裂させんばかりの威力で彼を横方向へと蹴り飛ばした。
地面を何度も激しくバウンドしながら泥まみれになって転がった彼は、なんとか体勢を直して両足で強引にブレーキをかけ、土煙を上げて止まった。
「クソッ……!?」
だが、息をつく暇など一秒たりとも与えられない。
彼が止まったその場所には、すでに『犬型式神の群れ』が待ち構えていたのだ。両脇から飛び出してきた犬型の式神たちが、彼の左腕と右足に深く噛み付いた。
「クソッ!?離しやがれ!!」
彼は腕と足を激しく振り乱し、犬型の式神を振り払おうとするが、唸る彼らの牙は紙でできたとは思えないほど強靭で深く食い込んでおり、無理に振り回すたびにメキッ、と骨が軋むような激痛が走る。
そうこうして四肢の動きを封じられている隙に、巨大な虎型式神が再度正面から接近し、彼を完全に粉砕すべく、その鋼鉄の牙と太い前腕を天高く掲げた。
「…ッ!?こんにゃろ……がッ!!」
犬型式神に噛みつかれたまま、彼はなんとか回避を試みる。しかし、別の犬型式神が彼の背中に突進して体勢を崩し、その回避行動すらも完璧に妨害してきた。
(ここで喰らったら、本当に死ぬ……ッ!)
彼は強引に術式を発動し、自身の前方に極限まで圧縮した呪力を炎に変え、至近距離で大爆発させた。
その爆風の勢いを利用して、噛み付く犬型を引き剥がしながらなんとか後方へ飛び退き、眼前に振り下ろされた虎型の一撃をギリギリで回避する。
「熱ぃな、クソッ……ガァ!?!?」
至近距離での爆発により、自身の術式による炎の熱さと火傷に苛立ちながらも、彼は死地から脱出できたことに一瞬だけ安堵した。
――しかし。
彼が爆風で後退したその方向には。
まるで彼が『そうすることを知っていたかのように』、足を引いて完璧なタイミングで待ち構えている眞白の姿があった。
是が非もなく、彼の無防備な背中に眞白の重い蹴りが容赦なく叩き込まれる。
ドゴォッ!!
またもや、彼は無様にバウンドしながら地面を転がっていく。
「ッ!!…俺はッ、サッカーボールじゃねぇぇぇぇぇぇえええ!!!」
屈辱と痛みに耐えかねて、やっとの思いでまともに立ち上がった彼は、顔を上げて眞白を睨みつけ、ありったけの声で叫んだ。
「……ッ!?!!!!」
しかし。
顔を上げて、眞白の顔を見た瞬間。
彼の背筋に、猛烈な『悪寒』が走った。まるで、マイナス数十度の氷を直接脳髄に押し付けられたような、生物としての根源的な悪寒。彼の身体が、金縛りにあったようにピタリと硬直する。その致命的な隙を、眞白が見逃すはずもなかった。
超高速で肉薄した眞白は、彼の鳩尾に膝蹴りを深々と叩き込んだ。
「カッ……ハ!?!?!?!!!!」
再度、くの字になって蹴り飛ばされた彼は、もはや立ち上がる気力すら残されておらず、白目を剥きかけてそのまま地面に倒れ込んだ。
「……ハァ、ハァ……ハァ……ッグ……」
全身の痛みに悶えながら、彼はなんとか立とうと足掻くが、膝がガクガクと震え、みっともなく四つん這いのような膝立ちの体勢になるのが精一杯だった。
(ハァ?……なんだ、こりゃ?)
つい先ほどまで、一年相手に負けるはずがないと確信していたはずなのに。気づけば全身の骨が軋むほどの痛みが走り、周囲には今にでも再び襲いかかってきそうに唸り声をあげる大量の式神たち。
圧倒的。あまりにも一方的で凄惨な蹂躙だった。
「……やはり、私の頭の中のイメージを忠実に再現するおかげで、とても連携がとりやすいですね。まるで、私自身が何十人にも増えたみたいです」
凄惨な戦場には全くそぐわない、ひどく嬉しそうな声色。
眞白は彼の前にゆっくりと近づきながら、今の一瞬の完璧な連携行動について、自分自身に感心するようにブツブツと分析していた。
(……何なんだッ、コイツは。俺が全く反応できない速度に合わせて、一撃一撃が馬鹿にならねぇほど重い。それに、打撃の際に込められてた呪力の圧が、俺なんかとは完全に桁違いだ。どんな練度してやがるんだ。……それに)
身体の痛みに耐えながら、彼も同様に先ほどの一連の流れを分析し、絶望的な実力差を痛感する。
だが、彼の心を折った一番の要因は、実力差ではなかった。
「テメェ……何、笑ってやがる」
未だ震えが治らない声で、彼は喉の奥から絞り出すように言った。先ほど視線が合った時に、彼は初めて気づいたのだ。
眞白が『笑っている』ことに。その笑み自体には、何のおかしなところもない。平和な日常を謳歌している、心底幸せそうな女子高生らしい、屈託のない笑顔だった。
しかし、それは学校の休み時間に友人と戯れていたり、学校終わりのカフェで友人と話しているような、まさに『日常のワンシーン』の場合に限る。
ことこの血なまぐさい死闘の最中において、人間をサッカーボールのように蹴り飛ばし、式神で生きたまま肉を削ぎ落とそうとしている極限状況で、そんな純粋な笑みを浮かべる少女に対して、周囲はどのような反応をするだろうか。
眞白自身は、特に笑顔そのものに深い意味合いは感じていない。
しかし、笑うと言う行為は、本来『攻撃的なもの』であり、獣が敵に対して牙を剥く威嚇行為の原点である。即ち、この絶望的な状況で彼が間近に見たその不気味な笑顔は、彼のDNAに深く刻まれた『原始的な恐怖』を強烈に呼び起こしたのだ。
「え、あ……す、すみません。お見苦しいものをお見せしました」
それを指摘された瞬間。眞白の顔から不自然にスン、と笑顔が消え、急に口角が下がった。
そして、なぜか『見苦しい顔を見せてしまった』という羞恥から耳まで真っ赤にし、もじもじしながら申し訳なそうに俯いた。
「……あ?何謝ってんだ?」
急に先ほどの背筋が凍るようなサイコパスじみた表情から、普通の恥じらう女子高生のような真逆の表情になった眞白に、彼は完全に困惑して思考がショートした。
(クソッ。んなことは今はどうでもいい。それより、どうやってこの絶望的な状況を打開するかだ)
彼は顔を振り、なんとか思考を現実へと戻す。周囲に視線を回すと、やはり大量の式神が彼を幾重にも囲っていた。
(式神に完全に囲まれているせいで、アイツから距離をとるのはほぼ不可能。……いや、多少強引に行けば突破はできるが、無茶しすぎると術式の反動で俺自身も大火傷を負う。ある程度の火傷を負うのを無視すれば、なんとか隙を見て離脱するくらいは………?……待て。なぜ俺は『逃げる前提』で考えてる?)
冷静に、現実的に状況を判断して思考を回していたはずの彼は、ふと逃避へと傾いた自身の思考に強い違和感を覚えた。一瞬思考が止まり、次々と自身に対する疑問と自己嫌悪が湧き上がってくる。
(なぜ俺は、こんな一年生相手に、地面に這いつくばって震えている?何で、戦う前から既に諦めてる?俺が命懸けで呪術師になったのは、何もできずただ怯えるだけだった、弱かった自分が嫌になったからだろ?二度とあんな惨めな思いをするのが嫌だったから、血反吐を吐くまで鍛えたんだろ?決して、こんな風に後輩相手に痛みに震えて縮こまるためじゃない)
(もう、目を逸らさないために。自分より強い敵に、真っ向から立ち向かうために……呪術師になったんだッ!!)
ドクンッ、と。恐怖で萎縮していた彼の心臓が、熱を帯びて大きく脈打った。瞳の奥に、再び強い炎のような光が宿る。
「フゥーーー………ッ!!」
彼は肺の中の空気を全て吐き出すと、両手で自身の頬をパァンッ!!と弾け飛ぶような勢いで張り飛ばした。
「え、だ……大丈夫ですか?」
急に奇行に走り、自ら頬を張り飛ばした彼を心配し、眞白は思わず声をかけた。
「……俺が間違ってた」
彼はフラフラと、しかし今度はしっかりと地に足をつけて立ち上がり、真っ直ぐに眞白を見据えた。
「勝手にお前を雑魚扱いした挙句、無様にボコられて、あまつさえ尻尾巻いて逃げようとした。……こんなんじゃ、いつまで経っても一級なんて夢のまた夢だ!!目の前にデケェ壁ができたんなら、まずは全力でブンッ殴る!!それで砕けねぇなら、もう一回全力でブン殴るッ!!……じゃなきゃ、漢が……いや、オレが廃る!!!」
彼は地面に何度も力強く拳を叩きつけながら、己の魂を奮い立たせるように叫んだ。
「すまんッ!待たせたァア!!こっからは漢同士のガチンコバトルッ!!ここで全部出し切るぞォォオ!!!」
彼は完全に吹っ切れたような清々しい顔で、眞白に向けて堂々と宣戦布告をした。
「えぇ……私、女ぁ……」
眞白は少し引いたような声で、至極真っ当なツッコミを入れた。
「シャッァァアアアア!!!!!燃えてきたぜッ!!!!!」
雄叫びと共に、彼の身体から呪力が爆発的に増加した。彼の再起に呼応するように、術式による圧倒的な熱気が森の周囲へと陽炎のように一気に広がっていく。
「シィィッ!!」
ドンッ!!と、彼の立っていた地面が爆発し、クレーター状に陥没した。
足裏から凄まじい業火を噴出させた彼は、爆発的な加速で自身を囲っていた犬型の式神たちを瞬時に燃やしながら突破し、一直線に眞白の目の前まで接近する。
「ッ!……」
一瞬にして眼前に到達した彼を見上げ、眞白は微かに目を見張った。
彼は足裏と両肘の三点から同時に爆発的な炎を噴射し、その規格外の推進力を全て乗せた重すぎる跳び蹴りを、弾丸のような速度で眞白の顔面に向けて放った。
ズゴォォォォォンッ!!!
眞白は咄嗟に両腕をクロスさせて強烈な一撃をガードする。
直後、二人の衝突地点から凄まじい爆風と熱波が円形に弾け飛び、周囲の樹木の葉を一瞬でチリに変えた。先ほどと同じ不気味な笑みを浮かべたままの眞白だったが、さすがにその破格の衝撃と推進力を相殺しきれず、靴底で地面を深く削りながら、後方へと十メートル近くも滑り退いた。
(……凄い。さっきまでの彼とは別次元の速度と重さ。でも、呪力の流し方が上手くなったわけじゃない……むしろ逆。後先を全く考えない、土壇場の無茶な呪力操作だ)
眞白は後方に下がり、両腕の痺れを逃しつつも、その『冷却』された脳内で瞬時に相手の出力と術式の構造を解析し始めた。
しかし、短期決戦を狙う彼は眞白に息をつく暇すら与えない。着地と同時に再び足裏から炎を吹き出し、瞬時にトップスピードへ移行した。炎の推進力を利用した予測不能な加速と、空中で無理やり軌道を強制的に変える変則的な連撃で、眞白へ怒涛のように襲い掛かる。
「オラオラオラッ!!守ってばっかでいいのか?ぁあ!?」
右ストレート、左フック、炎を纏った回し蹴り。
一撃ごとに小型爆弾が弾けるような轟音と熱風が森に響き渡る。眞白は凄まじい熱波を全身に浴びながらも、その超高速の乱打を紙一重で捌き続ける。
「…………」
ドゴォ!バキィッ!ブワァァッ!
炎の拳が掠めるたびに、眞白の周囲の空間が熱で歪む。しかし、眞白は猛攻の中にあっても一切の焦りを見せず、彼の重心の移動、呪力の流れを『観察』していた。高速の連撃に対し、眞白は考え事をしながらでも、見事な足捌きで絶妙な距離を保ちながら最小限の動きでいなし続けていた。
(……あぁ、皮膚表面をミリ単位の薄い呪力の膜でコーティングして断熱しているんだ。そして、発火する術式効果は、体表から数センチ離れた『外側』にのみ指向性を持たせている。だから火は外側に行くほど熱くなるけど、根元である彼自身にはそうでもない」
極限のインファイトの最中。常人であれば恐怖で目が眩むような死の連撃の中で、眞白の思考はひどく澄み切っていた。そして、間近で彼の呪力の流れと術式の構造を観察しながらブツブツと一人で考察している。
「とても器用な真似をしているけど……致命的に『燃費』が悪すぎる。常に断熱と指向性のコントロールに脳の処理領域を割いているせいで、肝心の『肉体強度の底上げ』に呪力が回っていない」
「ッ!?」
(何だ……コイツの目……!)
自身の術式のカラクリどころか、命を削るような覚悟すらも見透かしてくるような、あまりにも冷徹で底知れない眞白の瞳に、彼は一瞬だけ背筋を凍らせた。
「なるほど……顔に出てますよ?」
その僅かな顔の変化――生じたコンマ一秒の『動揺』を、眞白が見逃すはずもなかった。
怒涛の連撃の僅かな隙。彼の炎の右ストレートをスッと首を傾げて躱した眞白は、踏み込んだ勢いそのままに、彼の脇腹へ向けて鋭く重い三日月蹴りをえぐり込んだ。
「グゥゥ!?」
彼は防御しようと慌てて腕を動かすが間に合わず、炎を纏っていない無防備な脇腹でその重い蹴りをモロに受けてしまう。肋骨が嫌な音を立てて軋んだ。
「推進力と断熱に呪力を割きすぎている分、どうしても『呪力による防御』は疎かになる。それに――」
予想が完璧に的中したことが嬉しいのか、眞白は弾んだ声色で淡々と事実を突きつける。
(ッコイツ!この極限の中で、何でそんな冷静に分析なんてできる!?)
彼は脇腹の痛みに耐えながら戦慄する。
(しかも、俺の炎に触れて顔色ひとつ変えねぇどころか、服の端すら焦げ付きもしねぇ!?一体どんな手品を使ってやがるッ!!)
熱を呪力で防いでいること自体は互いに同じはずだ。しかし、彼の熱自体はあくまで『自身の呪力を術式に流した結果、齎された現象』であるため、ある程度の耐性はある。
しかし目の前の眞白はそうではない。彼から見れば、眞白は特別な術式を使っているわけでもなく、ただただ澱みない膨大な呪力が、水のように静かに循環して強固な鎧となっているのが見て取れるだけだった。
「残り少ない呪力を、出し惜しみなく最大出力で回していると言うことは……やはり『後がない』から?過度な発汗と体温上昇による運動機能の著しい低下。つまり、そのパワーアップには『極めて短い制限時間』があるということですね?」
「チッ!!」
彼は図星を突かれた苛立ちから大きく舌打ちし、再び足裏に炎を溜めて眞白へと突進する。
「それに、推進力を得るための『炎に変換する前の呪力のタメ』が……長いッ!」
彼が大きく踏み込み、呪力を足元に溜めているのを見た眞白は、タイミングを見計らって彼の正面から外れる様に素早くステップを踏んで移動した。
「クソッ、ズレた!!」
呪力を炎に変換して爆発的な推進力を得た彼は、軌道を修正できず、眞白の真横を猛スピードで通過してしまう。
「やはり、炎による高速移動は『直線のみ』です……ッね!!」
通過する瞬間。無防備に側面を見せた彼に対して、眞白はすかさず重い裏拳を顔面に叩き込んだ。
「ガッ!?」
首が嫌な音を立てて鞭打ちになり、彼は空中で体勢を崩す。
「細腕の割に、いいモン(パンチ)持ってんじゃねぇかッ!!」
しかし彼も三年生としての意地を見せ、空中で無理やり体勢を立て直すと、再度背後で炎を生み出し、高速で眞白の目の前まで戻ってきて反撃に出た。
ここから、戦闘の激しさはさらに一段階引き上がる。
彼が炎を散らしながら大振りのフックを放てば、眞白はそれを寸前で躱し、流れるような動作で重い肘打ちを顎先へ突き上げる。彼がそれを炎をまとった腕で弾いて防げば、間髪入れずに眞白の鋭い手刀が彼の首筋を狙う。
目にも留まらぬ、超高速のインファイト。
戦いの舞台は、地上から、空中へ。
彼が炎の推進力で高く跳躍し、森の太い樹木の幹を次々と蹴って、跳弾のように不規則に飛び回りながら急降下攻撃を仕掛ける。蹴られた樹木の幹は黒焦げになり、メキメキと音を立ててへし折れた。
対する眞白も、異常な脚力で樹木の幹を垂直に駆け上がり、空中で彼を迎撃した。
ドゴォッ!ガキンッ!!ボァァァンッ!!
空中で交差するたびに、眞白の重い打撃と彼の炎を纏った拳が激しくぶつかり合い、森の中に雷鳴のような衝突音と鮮やかな火花が散りばめられる。
「……フフッ」
空中で激しく拳を交える中、眞白の口から自然な笑みがこぼれた。
「……ぁあ?何だ、さっきの不気味な顔以外でも、まともに笑えんじゃねぇかッ!!」
彼は口から血を流し、炎を散らしながらニヤリと笑って皮肉を飛ばす。
「……今なら、五条先生の気持ちが少しわかるかもです」
両者がズシンッと重い音を立てて地上に降り立つと、休む間もなく攻守が秒単位で入れ替わる壮絶な乱打戦が再開された。
彼が至近距離で炎を爆発させて眞白の視界を奪い、死角から必殺のアッパーを放てば、眞白はそれを首の捻りだけで紙一重で躱し、彼の無防備な胴体へ強烈な膝蹴りを突き刺す。
「……あぁ、楽しい。戦い方のインスピレーションが溢れてくるッ」
眞白の表情が、先ほどのここでない何処かを見ているような不気味な笑みから、『この純粋な戦闘を心底楽しんでいるような笑み』へと変わっていた。
(ッコイツ!まだスピードが上がるのか!?いや、動きが完全に変わった!?)
浮かべる笑みが変わった瞬間。眞白の動きが、先程までの『受け身(防御・分析)のスタイル』から、真逆の『超攻撃的なスタイル』へと完全に豹変した。
「シィッ!!」
眞白は彼の懐のさらに奥深くに潜り込むと、両手を地面について身体を支え、下から顎を打ち抜く渾身の蹴り上げ(サマーソルト)を繰り出した。
「グッ!?」
彼は間一髪で腕をクロスさせて防ぐが、大木を蹴り上げるような凄まじい威力に耐えきれず、上空へと浮かせられる。
「まだまだですッ!」
眞白はそのまま地面に腕を突き立てた状態から、腕を軸にしてブレイクダンスのように高速回転し、遠心力を乗せた両足による重い連続回し蹴りを、空中の彼に向けて竜巻のように叩き込もうとする。
「させるかッ、よ!!!!」
逃げ場のない空中で、彼は自身の顔面スレスレに迫る眞白の脚を見据え、一か八かの賭けに出た。地面に向けて両拳を突き出し、強引に最大出力の炎の爆発を起こす。
その反動で自身の落下速度を強制的に上げると同時に、地面に強烈な爆撃を叩きつけてクレーターを作り出し、眞白の足場を根こそぎ破壊することで、攻撃を無理やり中断させた。
「ッ!?」
地面からの凄まじい衝撃と爆風によって、眞白の両手が地面から離れてしまい、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、宙に無防備な状態で浮いてしまった。
「フンッ!!!!!」
彼は、この戦闘開始から初めて眞白が見せた明確な『隙』を絶対に見逃さなかった。
全身のバネと、残された全ての呪力と炎を右腕に一点集中させ、必殺の右ストレートを眞白の胴体へ向けて撃ち放つ。
「……ッ!」
一瞬の油断によってできてしまった隙。迫り来る死の暴風に対し、眞白は反射的にそれと同等――いや、遥かに上回る量の極限まで圧縮された呪力を腹部に集中させ、目に見えない分厚い盾のような絶対防御を展開した。
ドッゴォォォォォンッ!!!!!
直撃。しかし――。
「グッ!?(なんだこのデタラメな呪力防御ッ!?まるで、分厚い鋼鉄の壁を殴ってるみてぇだ!!!)」
自身の拳が粉々に砕け散るかのような強烈な反発力に襲われ、彼は痛みに顔を激しく歪めた。必殺の一撃は、眞白の服の繊維一本すらも傷つけることができなかった。
互いに一歩も譲らない、極限の死闘。
しかし――彼自身が放つ圧倒的な熱量と、限界を超えすぎた呪力操作により、ついに彼の肉体が限界を迎えた。
「……ハッ……ハッ……ッ!」
着地し、再び空中から急接近して最後の一撃を放とうと踏み込んだ瞬間。
熱の蓄積による過呼吸、極度の酸素欠乏、そして呪力切れから、彼の推進力となる足元の炎が、ほんの一瞬だけ不自然に瞬き……出力が『フッ』と途切れた。
限界を超えたことによる、彼の『ほんの僅かな動きの鈍り』。
戦闘を心底楽しみ、極限まで感覚が研ぎ澄まされていた眞白は、その致命的な隙を絶対に見逃すはずがなかった。
「フヒッ!!……ッ!」
楽しげな吐息と共に、眞白が地面が陥没するほどの力で力強く踏み込んだ。
彼の肉体が完全に限界を迎え、動きが鈍ったその一瞬の隙。眞白は、とどめの一撃と言わんばかりの桁外れの呪力を込めた右拳を、死に体の彼へ向けて大きく振りかざす。
(……あぁ、ここまでか)
彼は逃げ場のない死の暴風を前に、不思議と穏やかな諦観を抱いていた。全力を出し切った。だからこそ、未練はない。迫り来る圧倒的な拳を前に、彼はゆっくりと目を閉じようとした。
しかし――その寸前。
彼と眞白の間に、どこからともなく『予想外の存在』が飛び込んできたのだ。
「させなーーグフッ!?!?!?!!!!」
バァァンッ!!
決死の覚悟で自身の術式を展開し、防御結界を張った状態で飛び込んできたのは、先ほどまで別の場所で戦闘不能になっていたはずの『京都校二年の男子生徒』だった。
先輩を庇おうとしたその勇気は立派だったが――無情にも、眞白の容赦のない一撃は、瀕死状態の彼が張った薄い結界など拮抗することすらなく容易く打ち破った。
「……ん?」
空気を殴り飛ばしたようなスッポ抜けの感触。
眞白は、拳に伝わった想定外の柔らかな感触に違和感を覚え、思わず動きを止めた。
「なッ!?……テメェ無事だったのか!?」
一方の彼は、殴り飛ばされて後方に錐揉み回転しながら飛んでいき、ドサリと無様に地面に転がった後輩の姿に目を見開き、驚きながら声をかけた。
「……ぐへぇ、……ハァ、ハァ……うぅ……はい。たった今、無事ではなくなりましたが……」
二年の男子生徒は、肩で荒い息をしながら今にも吐きそうな顔色になり、血で濡れている口元をガタガタと震える手で押さえた。
「……え?いつの間に……って、あれ!?しまった!!やりすぎた!!」
ここでようやく、純粋な戦闘の狂熱からスッと『正気』に戻った眞白は、目の前で血を吐きながらピクピクと痙攣する男子生徒の惨状を見て、一気に顔を青ざめさせて焦りだした。
「だッ、だだだ、大丈夫ですか!?」
先ほどまでの冷徹な式神使いの面影はどこへやら、ただの女子高生のようにワタワタと慌てふためき、心配そうに二人の元へ駆け寄ってくる。
「あぁ、心配すんな。俺もコイツも大丈夫……とは言い難いが、いい拳だったッ!やるじゃねぇかオマエ」
彼は笑いかけ、サムズアップして問題ないことをアピールしようとした。しかし、呪力切れと全身のダメージで思う様に身体が動かず、腕がピクリとも上がらないことに気づいて自嘲するように否定する。
それでも、自分をここまで追い詰めた眞白に対して、彼は純粋な賞賛の目を向けていた。
「ほ、本当ですか?」
他人に褒められ慣れていないのか、眞白は自分の拳をジッと見つめ、少し伺う様に恐る恐る聞き返した。
「あぁ、悪くない勝負だった。個人的には、まだまだ続きをやりたいところだが……もう呪力がすっからかんだ。まさか、東京校の一年にこんなバケモンが隠れてたなんてな。……まぁ、俺もまだまだ本気じゃなかったけどなッ!」
彼は荒い息を整えながら、心からの言葉と共に眞白の実力を認めるように笑った。三年生としてのプライドからか、少し強がりながらも、改めて清々しい賞賛を送る。
「あ、ありがとうございますッ!……先輩も、まさかあんな火に包まれながら突貫してくる真似するなんて、よほどセンスと度胸がないとできませんよ」
眞白も、彼が全身から炎を噴射して決死の覚悟で突貫してきた数分前を思い出し、少し頬を赤らめながら素直に賞賛を送り返した。
「……僕なんて、油断してたらあなたの式神の最初の一撃でノックアウトされましたよ」
健闘を称え合い、すっかり良い雰囲気で認め合う二人をよそに、今もなお地面に這いつくばって立てずにいる二年の男子生徒が、自身の情けない戦績にガッカリしながらボヤいた。
「あ、それだよそれ。その『ノックアウトされたオマエ』?…が、なんでこんなところにいるんだ?」
彼の存在を思い出したように、三年生の彼は不思議そうに二年の男子に対して聞いた。
「あぁ……ノックアウトしたと言っても、ギリギリ意識はあったんですよ。他のみんなもやられて『あぁ、終わったな』って思ったら、遠くから……鳥の声?みたいなのが聞こえたと思ったら、あのデカい虎の式神がトドメも刺さずに、そっちの方角に物凄い勢いで走って行ったんですよ」
二年の男子生徒は、ふと遠くの森を眺めながら、当時の状況を思い出すように首を傾けながら話した。
「なるほどな。さっきあのデカブツが増えたのは、そういうわけか。……まぁ、俺の術式はコイツの式神(紙)に対して相性抜群だったからな。そりゃあ優先して処理に回されるわけだわ」
後輩の話を聞いて、彼は自分が最大級の警戒対象になっていたことにどこか納得する様な仕草をした。
「……ふむ。これは、何か対策を考えるべきですね」
二人の話を聞きながら、眞白は自身の『折紙呪法』の明確な弱点である『火』に対してどう対応するべきか、顎に手を当てて一人でブツブツと呟いて考え込んでいる。
「……あー、すみません。僕から口を挟み始めといてなんですが……全身が今も……というか先ほどの一撃で、意識を保つのすら辛いので。できたら、家入さんを呼んできてもらえると助かるのですが……」
いよいよ限界が近いのか、二年の男子生徒は話を遮って、苦しそうな顔で家入を呼ぶ様に頼んだ。
「……そうだな。俺も呪力切れとダメージが相まってもう一歩も動けねぇ。……頼んでいいか?」
同様に、過度の疲労によって完全に座り込んでしまった三年生の彼も、眞白へ向かって家入を呼ぶ様に頼んだ。
「もちろんですッ!……というより、私の式神でお運び……」
眞白は元気よく返事をすると、二人を運ばせようと周囲をキョロキョロと見渡した。
しかし――。
「……あ、あぁぁ……あんなにあった紙が、戦いの余波でほとんで燃えてるぅぅ………」
周囲を見渡した眞白は、信じられないものを見るような目で絶望した。
五十体近くいたはずの式神たちが、彼の炎の術式による無差別な爆撃のせいで大部分が黒焦げになり、原型を保っていないことに今更気づいたのだ。
「あー……なんかすまん」
やった本人が故に、眞白のあまりの落ち込み具合に、彼は気まずくなって咄嗟に謝ってしまった。
「……いえ、これも試合ですし、紙はあくまで消費するものだと割りければ……。あぁ、でもあの時、戦闘に夢中にならずに上手く逃す動きをしておけば……あんなにいっぱいいた式神が、もう片手で数えられる程度にぃ……。グスッ」
周囲に生き残っている虎型の式神が一体、犬型が二体、そして上空からバサバサと降りてきた鷲型が二体。
その惨状を見ながら、眞白はあくまで試合だと割り切ろうとするが、やはり丹精込めて作った作品が燃えたのが悲しいのか、自分を責めながらポロポロと涙目になり始めた。
(気まずい……)
泣きそうな後輩の姿を見ていられなくなり、彼はそっと視線を逸らした。
「……では。やった私が言うのもなんですが、二人とも、できるだけ動かないよう安静にしててくださいね」
どうにか気持ちを切り替えたのか、眞白はズビッと鼻を啜りながらそう言い残すと、落ち込んだ様子で校舎の方へトボトボと歩いて行った。
「はい、ありがとうございます」
トボトボと森の奥へ向かって歩いていく眞白の小さな背中に向けて、二年の男子生徒が聞こえる程度の声で感謝の言葉を投げかけた。
眞白の姿が木々の向こうに見えなくなると、その場には静かな風の音だけが残った。
「……いやしかし、正直言ってマジでキツかったぜ」
三年生の彼は、地面に大の字に寝転がったまま、真っ青な空を見上げてポツリとこぼした。
「……だが、得るものもあった。久々に全力を出し切った感がある。明日の個人戦が待ち切れねぇな」
彼は口元に笑みを浮かべ、充実感に満ちた声で隣の後輩に話しかけた。
「……今さっき、死ぬ思いで戦ったばかりでしょうに。僕はもう、来年の交流会まで戦闘は勘弁ですよ」
二年の男子生徒は、あれだけ暴れ回ってボロボロになったにも関わらず、まだ元気が有り余っている先輩の戦闘狂っぷりに、少し引き気味にため息をついた。
「……まぁ、同じく自分の課題も見えましたしね。悪いことばかりじゃありませんでした」
「そうか。それにしても、あの式神、マジでヤバかったな」
彼は自身を襲った巨大な虎型の式神を思い出し、少し身震いをした。
「あの図体で早えーのなんのって。俺は術式で火種さえ付けちまえば、あとは距離取るだけだったからまだ楽だったが。真っ向から殴り合ってたら、余裕でミンチにされてたぞ」
相性こそ最高に良かったため善戦できたが、式神の素の圧倒的な戦闘力と機動力に、彼は未だに驚きを隠せないでいた。
「本当にすごい術式ですよね。……でもまぁ、先輩にとっては所詮、燃やせば終わりの『ただの紙クズ』ってことですね」
二年の男子生徒は、自身を一撃で気絶させた式神を思い出しながら、少し負け惜しみのように軽口を叩いた。
「まさか、子供の遊び道具の紙切れに、あんな凶悪な力があるなんて。……初めて見た時は、そりゃもう驚きましたよ。だって『紙』ですよ?紙」
「そうか?俺は結構、形とか動きとか、普通にカッコいいって思ったけどな」
彼は純粋に、先ほど戦った虎や犬のフォルムを評価して言った。
「いやいや。確かに初めはリアルすぎて一瞬だけ本物と見間違いましたが、近くでジッと見たら、折り目の形が何かおかしかったり。……なんていうか、紙だからか、なんかこう……『薄っぺらい』感じ?ですかね」
二年の男子生徒は、悪気など微塵もない、ただの素直な感想として言葉を紡ぐ。だが、それはあまりにも無神経な言葉だった。
「込められた呪力と術式の強さは凄くても、見た目がアレだと、やっぱりなんともいえませんよ」
彼はどうせ身内しかいないこの場だからと、さらに言葉を続ける。
「先輩、禪院家の相伝術式、知ってます?『十種影法術(とくさのかげぼうじゅつ)』っていう、影を媒体にした式神術ですよ。あっちの式神の方が、断然かっこよくないですか?いつか生で見てみたいものです」
「……おい、お前。いくら本人がいないからって……」
三年生の彼は、さすがに少し言い過ぎではないかと窘めようとした。
「それに、ただの偽物の紙の動物より、やっぱり『本物』の方が断然いいでしょう。……そうだ、明日の交流会が終わったら、東京見物ついでに動物園行きません?」
「そ、そうか……。東京の動物園と言えば、確か……上野だったか?」
すっかり日常の空気に戻った二人は、寝転がったまま、そんな他愛のない雑談を繰り広げていた。
――しかし。彼らは知らなかった。戦闘を終え、呪力による身体強化が解けている彼らとは違い。その話を『全て』聞いている存在が、まだ近くにいたことを。
「…………」
二人から少し離れた森の獣道。
トボトボと歩いていた眞白の足が、ピタリと止まった。ザワッ、と。不自然な風が吹き抜け、木々が揺れる。微かに聞こえるその後輩二人の軽口を。
常に呪力で強化され、極限まで研ぎ澄まされている眞白の聴覚は、一言一句違わず、明確に拾い上げてしまっていた。
『先輩にとっては所詮、燃やせば終わりのただの紙クズ』
『子供の遊び道具の紙切れ』
『形が何かおかしい』
『薄っぺらい感じ』
『見た目がアレ』
『ただの偽物の紙の動物より、本物の方が断然いい』
「………………」
声が、言葉が、鼓膜の奥で反響する。
それは、彼女にとっての何よりの地雷。
自身が丹精込めて生み出した『作品』を、己の全てである『芸術』を、土足で踏みにじり、無神経に貶す言葉だった。
「………………………………」
ズルリ、と。
眞白の足元から、黒い染みのような『何か』が広がっていく。
呪力が溢れ出していた。
それは、普段の彼女の澱みなく清らかな水のような呪力からは到底考えられない、異質で、強烈なもの。
激しく、深く、どこまでも強力な感情を基に出力された、禍々しく、息もできないほどに重く冷たい『ヘドロのような憤怒の呪力』だった。
「…………………………………………」
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ。
音が聞こえる。
それは、自身の体内で警鐘のように素早く脈打つ心臓の音。しかし、激しく沸騰する感情と心臓の鼓動とは裏腹に、彼女の『頭』はひどく冷え切っていた。
反転術式による脳の冷却。それがもたらすのは、極限の怒りの中にあってなお、一切の衝動に任せず、最も残酷な最適解を導き出す異常なまでの冷静さ。
ギギギ、と。
錆びた機械のように、眞白はゆっくりと後ろを振り返った。木々の隙間から、遠くに倒れ伏している二人の姿が見える。
愚かにも己の作品を貶し、真の芸術を理解することすらできない、浅ましく、救いようのない虫ケラ同然の敵を、冷酷な瞳で真っ直ぐに見据える。
「…………………………………………………………殺す」
ポツリと、無機質な声で紡がれたその言葉に呼応するように。
眞白の身体から爆発的に膨れ上がった禍々しい漆黒の呪力が、初夏の穏やかな森を、絶望の深淵へと一瞬にして包み込んだ。