万象、紙に綴れば   作:Mebius217

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第5話:硝子のメスと、六眼のカルテ

 

 

 

高専の敷地内には、独特の静寂がある。生徒たちの喧騒も、呪霊のうめき声もない、ただ消毒液の匂いが微かに漂う空間――保健室。家入硝子は、西日が差し込む窓際で、手持ち無沙汰にボールペンを回していた。

 

 

「……はぁ。今年は静かなもんだ」

 

 

新学期。例年なら新入生たちの健診やら何やらで多少は騒がしくなる時期だが、今年の東京校の新入生は「たった一人」だ。 口寂しさを紛らわせるように、彼女は棒付きキャンディを口に放り込んだ。タバコをやめてもう数年になるが、こういう退屈な午後にはつい紫煙が恋しくなる。

 

アンニュイにけだるげな視線を宙に向けていると、ノックもなしにガララと乱暴に引き戸が開いた。

 

 

「よっ! 硝子、元気~?」

 

 

「……元気に見えるなら眼科に行け。いや、お前の目は良すぎるんだったな」

 

 

入ってきたのは、つい先ほど校舎の一部を半壊させてきた五条悟だった。彼は「よっこらせ」と勝手に空いている丸椅子を引き寄せ、硝子の机の横に陣取る。

 

 

「たった一人の新入生の対応はどうした? 入学初日にあんなデカい音させて、まさかもう潰したわけじゃないだろうな」

 

 

「失敬な。ちゃーんと課題を与えてきたよ。『拡張術式』の開発っていう、愛のある宿題をね」

 

 

「拡張術式だぁ? 入学初日のガキにか?」

 

 

硝子は呆れてため息をついた。相変わらずこの男の教育方針はスパルタという言葉でも生温い。

 

 

「で? わざわざここに来たってことは、怪我でもさせたか」

 

 

「ううん、違う違う。今日は硝子にお願いがあってさ」

 

 

五条はサングラスを少しずらし、蒼い瞳で硝子を見た。

 

 

「あの新入生――綴眞白(つづり ましろ)にさ、『反転術式』を教えてあげてほしいんだよね」

 

 

 

「……は?」

 

 

硝子は口の中の飴を噛み砕いた。反転術式。呪力を掛け合わせて「正のエネルギー」を生み出し、肉体を修復する高等技術。この学校……いや、今の呪術界を見渡しても、他人を治療できるレベルでそれが使えるのは自分くらいだ。自分の肉体を治すだけなら目の前の五条もできるが、それでも使い手は片手で数えられるほどしかいない。

 

 

「お前な……私が教えるのが苦手なの知ってて言ってるだろ。あれは感覚だ。『グッ』とやって『パッ』だ」

 

 

「うん、いつも通りの素晴らしい擬音指導だね」

 

 

「それに、教えたところで大抵の奴は使えない。あれはセンスの領域だ。一朝一夕で身につくもんじゃない」

 

 

硝子は椅子に深くもたれかかった。五条の顔が、いつになく真剣――というより、新しいおもちゃを見つけた子供のように輝いていたからだ。

 

 

「大丈夫だよ、硝子。彼女ならできる」

 

 

「根拠は?」

 

 

「彼女の呪力操作の精度。現状の呪術界で、六眼持ちの僕を除けば、彼女が一番上手いから」

 

 

「……はぁ?」

 

 

硝子は今度こそ素っ頓狂な声を上げた。 五条悟が、他人の呪力操作をそこまで評価することは滅多にない。あの一級術師たちでさえ、彼からすれば「雑」な部類に入るのだ。それを、今日入ったばかりの雛鳥が「一番」だと?

 

 

「買いかぶりすぎじゃないか? たかが新入生だろ」

 

 

「買いかぶりじゃないよ。むしろ過小評価したくらいだ」

 

 

五条はニヤリと笑い、机の上にあったレポート用紙を一枚手に取った。

 

 

「硝子、彼女の脳ミソはね、今この瞬間も焼き切れる寸前なんだよ」

 

 

「……どういうことだ」 硝子の目が、医師としての鋭さを帯びる。

 

 

「あくまで僕の推論なんだけどね」 五条は指先でレポート用紙を弄びながら、淡々と、しかし確信を持って語り始めた。

 

 

「彼女、生まれつき脳の処理能力が異常に高いんだ。普通の人間が『1』を見る間に、彼女の脳は勝手に『10』も『100』もシミュレーションしちゃう。いわゆる『想像力が豊かすぎる』ってやつだね」

 

 

「……サヴァン症候群に近いのか?」

「もっと性質(タチ)が悪い。彼女の場合、それが生存本能と結びついてる。いわゆる『被害妄想』だよ」

 

 

五条はこめかみを指差す。

 

 

「『もしここから敵が来たら』『もし誰かに見られたら』……そういう負のシミュレーションを、彼女の脳は24時間フル稼働で演算し続けてる。放っておけば、その膨大な情報熱量(ノイズ)で脳が物理的に焼き切れちゃうレベルでね」

 

 

「……じゃあ、なんで彼女は生きてる?」

 

 

「そこで『縛り』だ」

 

 

五条の声のトーンが落ちる。

 

 

「彼女は無意識のうちに、自分自身に強烈な縛りを科している。 『脳内に溢れるイメージを、呪力操作とモノ作りによって常に外部へ排出し続けなければならない』 その恩恵として、彼女の脳と呪力回路は、『死』を回避するために極限まで進化(最適化)された」

 

 

硝子は息を呑んだ。 自ら望んで結ぶ縛りではない。生きるために、呼吸をするように結ばれてしまった生存のための契約。

 

 

「アウトプットを止めたら、脳がパンクして死ぬ。だから彼女は作る。折り紙を折り、呪力を捏ね、異常な密度で情報を物質に書き込む。 そうやって10年以上、死の縁で綱渡りを続けてきた結果、彼女の呪力操作は人間の領域を超えちゃったんだよ」

 

 

五条は楽しそうに、けれどどこか恐ろしいものを見るように言った。

 

 

「要するにさ。彼女は『死』という特大のリスクを背負うことで、後天的に作り出しちゃったんだよ。 僕の『六眼』の、脳内処理特化バージョンをね」

 

 

「六眼の……脳内バージョン……」 硝子は呆れたように呟くが、その表情には隠しきれない興味が浮かんでいた。

 

 

「そう。だから彼女がもし反転術式を習得したらどうなると思う?」

 

 

五条は身を乗り出し、子供のように瞳を輝かせた。

 

 

「今の彼女は、脳を冷やすために必死で呪力を外に出してる。でも、反転術式で常時脳をリフレッシュできるようになったら? 『死の縛り』によるペナルティが無くなり、異常な演算能力と操作精度だけが手元に残る」

 

それはつまり――。

 

 

「術式こそ違うけど、呪力効率が馬鹿みたいに良くて、脳が焼き切れない僕がもう一人増えるようなもんだよ。彼女の術式『折紙呪法』は、そこまで行って初めて完成する」

 

 

「……お前、本当に楽しそうだな」

 

 

硝子は頬杖をつき、呆れ半分、懐かしさ半分で五条を見た。こんな風に、手放しで誰かの才能を面白がり、未来を語る五条を見るのはいつ以来だろうか。まだ、彼らの隣にもう一人、親友がいたあの頃――学生時代に戻ったような無邪気さだ。

 

 

(……そういえば、あいつ『も』式神使いみたいなもんだったか)

 

 

硝子はふと、かつての夏油傑の姿を重ね、小さく息を吐いた。五条がここまで入れ込むのも無理はないのかもしれない。孤独な最強の座にいる彼にとって、自分と同じ「景色」を見られる可能性のある生徒が現れたのだから。

 

ふと、硝子は窓の外に目をやった。西日は既に沈みかけ、空は藍色に染まり始めている。

 

 

「……で? お前、そんな期待の星をこんな時間まで教室に放置してるのか?」

 

 

「え?」

 

 

「寮の案内、まだなんだろ?」

 

 

五条の動きがピタリと止まった。

 

 

「……やっべ」

 

 

次の瞬間、五条は風のような速さで立ち上がり、保健室のドアに手をかけた。

 

 

「じゃ、硝子! 今度反転術式の授業よろしくねー! 絶対だよー!」 「あ、おい待て五条!」

 

 

硝子の制止も聞かず、最強の術師は嵐のように去っていった。バタン、と閉まった扉を見つめ、硝子は机の上のキャンディの包み紙をゴミ箱に投げ入れた。

 

 

「……相変わらず、騒がしい奴」

 

 

静寂が戻った保健室で、硝子は再びPCに向かう。その画面の端には、新入生・綴眞白のカルテが新しく作成されていた。

 

 

 




一旦これで、主人公の異常な呪力精度の理由を解説できました
これから原作に入るまでに少しずつ成長させていくつもりです。
書く気力があればですが…

2026/02/13:矛盾修正
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