「……はぁ、はぁ。もう、いい加減にしてくださいよ」
ひとしきり暴れた後、眞白はようやく解放され、乱れた呼吸と髪を整えながら抗議の視線を五条に向けた。 顔はまだ少し赤い。褒められた嬉しさと、子供扱いされた羞恥心、そして唐突なスキンシップへの動揺がない交ぜになっているようだ。
「あはは、ごめんごめん。でもさっきの防衛システム、本当によく出来てたよ」
五条は悪びれる様子もなく、ニカッと笑って親指を立てた。眞白は「ふん」と鼻を鳴らし、手櫛で髪を直しながら、ふと気になっていたことを口にした。
「……そういえば、五条先生の術式って、結局どういうものなんですか?」
「ん?」
「私ばっかり自分の術式や手の内を晒して、先生のことは何も知らないなんて不公平です。あとできれば……あの不可解なバリアの『破り方』も教えてください」
眞白の動体視力と、式神からのフィードバックは正確だった。五条の指と、眞白の手裏剣。その間には、紙一枚通らないほどの極小の隙間があったはずだ。まるで、そこに見えない壁が存在しているかのように。
「あー、あれね」
五条は自身の指先を目の前にかざし、面白そうにニヤリと笑った。
「言われてみれば、まだ自己紹介がてらの解説をしてなかったね。いいよ、特別に教えてあげる」
彼は一歩、眞白に近づいた。
「僕の術式は『無下限呪術(むかげんじゅじゅつ)』。一言で言えば、『無限』を現実に持ってくる術式だよ」
「……無限?」
眞白が怪訝な顔をする。抽象的すぎてピンとこない。
「そう。眞白、『アキレスと亀』ってパラドックス、知ってる?」
「あ、はい。足の速いアキレスが亀を追いかける時、アキレスが亀のいた地点に到達するまでの間に、亀は少しだけ進んでいる。その差が無限に縮まることはあっても、理論上は永遠に追いつけない……という思考実験ですよね」
「お、正解。僕の周りには、その『収束する無限級数』が現実化しているんだ」
五条は自分の体の周りを指でなぞるように示した。
「近づくものが僕に触れようとする時、その速度は僕に近づけば近づくほど遅くなる。そして、永遠に僕には届かない。さっきの手裏剣が当たったように見えたのは、僕と手裏剣の間の空間が無限に分割され続けて、そこで止まってしまったからだよ」
「……なるほど。当たっていないのではなく、当たるまでの距離が無限に続いている……」
眞白は呆れたように口を開けた。それはつまり、物理的な攻撃や干渉を一切受け付けない、絶対的なバリアを常時展開しているに等しい。
「なにそれ……無敵じゃないですか。そんなデタラメな術式、ズルすぎます」
「まぁね。でも、この術式は滅茶苦茶燃費が悪くてさ。ただ持ってるだけじゃ使い物にならないんだ」
五条は自身の目元、黒い目隠しを指差した。
「そこで、この『六眼(りくがん)』の出番ってわけ」
「六眼……?」
「そう。五条家の人間でもごく稀にしか持って生まれない特異体質。この眼があるからこそ、僕は呪力をロスなく最適化して、この複雑怪奇な術式を回し続けられる」
五条の声色が少しだけ真剣なものになる。
「他人が真似しようとしても不可能だよ。この眼がもたらす圧倒的な情報処理能力と呪力視認能力……それがなきゃ、無下限なんて使った瞬間に脳が焼き切れて終わりさ」
「…………」
眞白は絶句した。無限を操る術式と、それを可能にする選ばれし者の眼。彼女自身も「天才」と称される片鱗を見せているが、目の前の男は格が違う。この男が「最強」を自称する理由を、嫌というほど理解させられた。
「……じゃあ、五条先生を倒す方法なんてないじゃないですか。その『無限のバリア』がある限り、どんな攻撃も届かないんでしょ?」
眞白が少し拗ねたように呟くと、五条は「んー」と首を傾げ、人差し指を立てた。
「基本的にはそうなんだけどね。いくつか対処法はあるよ。その中でも一番有効な『裏技』……いや、王道を教えようか」
「……王道?」
「そう。それこそが呪術の極致――『領域展開』だ」
五条の口から出たその単語は、重々しく、しかしどこか楽しげに響いた。
「領域展開?」
「術式を付与した生得領域を、呪力で周囲に構築する技だよ。まぁ簡単に言えば、『相手を自分の心象風景の中に引きずり込んで、自分に有利なルールを押し付ける』こと」
五条は地面に足で円を描くような仕草をした。
「領域を展開すると、術者はステータスが上昇するバフがかかるんだけど、一番のメリットはそこじゃない。領域内で放たれる術式は――『必中(ひっちゅう)』になるんだ」
「必中……必ず当たる、ということですか?」
「そ。どんなに速く動こうが、どんな防御をしようが関係ない。『当たる』という結果が先に確定する。だから、この必中効果が付与された領域内では、僕の無下限バリアも無効化されて攻撃が当たるようになるんだ」
「……なるほど。理屈の通じない空間を作って、無理やり当てるんですね」
眞白はゴクリと喉を鳴らした。呪術の世界、その奥深さに改めて戦慄する。
「……でも、それって『呪術の極致』なんですよね? そんなの、私みたいな初心者が覚えるには何十年かかるか……」
「いや? 眞白なら案外、すぐに出来るようになると思うよ」
「は……?」
五条の軽すぎる言葉に、眞白は目を丸くした。
「だって君、無意識とはいえ、常に脳内で超高密度のイメージを構築し続けてるでしょ? それを外に出すか、空間として広げるかの違いでしかないよ。君のその『妄想力』と『緻密さ』は、領域展開とすこぶる相性がいい」
五条はニッと笑い、眞白の肩をパンと叩いた。
「期待してるよ、眞白。君の作る『領域』がどんな世界なのか、僕も楽しみだからさ」
*
実技指導が一段落し、二人は再び教室へと戻っていた。 眞白は運動後の程よい疲労感に包まれながら、パイプ椅子に腰を下ろしている。
「あ! あとこれこれ、忘れてた」
五条が唐突に思い出したように手を打ち、ポケットからくしゃくしゃになったレポート用紙を取り出した。
「何ですか、それ?」
「じゃーん! これは過去に存在した『折紙呪法』の使い手の記録でーす!」
「えっ……!?」
眞白は身を乗り出した。
「過去に、私と同じ術式を持った人がいたんですか!?」
「まぁ、折り紙自体が日本で古くからある文化だからね。その分、術式としても歴史はあるよ」
五条はニヤニヤしながら、その紙を広げた。
「だから、当時の使い手がどういう運用をしていたのか知れば、だいぶお手本っていうか……文字通り『教科書』になると思うよ?」
「教科書……!」
眞白の瞳が輝く。独学で手探りだった彼女にとって、先人の知恵は何よりも得難い宝物だ。
「……じゃあ、読むよ。過去の記録にはこう記されています」
五条は咳払いを一つして、わざとらしい講釈師のような口調で読み上げ始めた。
『折紙呪法とは、紙を折り、獣や鳥の形を模して動かす力を持つ』
『その力、極めて微弱にして戦闘には不向きなり』
『紙は水に濡れれば破れ、火に触れれば燃え尽きる。所詮は童(わらべ)の玩具に過ぎず』
『等級:四級相当。主な任務:集落の子供の慰め、祭事の賑やかし』
「…………」
読み進めるにつれ、眞白の表情から急速に輝きが失われていった。 そこに書かれていたのは、「子供騙しの手品師」という評価と、「最弱」の烙印だった。
「……四級、相当。……子供の、慰め……」
眞白はガックリと項垂れ、机に突っ伏した。 背中に「ズーン」という重い効果音が見えそうだ。
(……結局、私の術式ってその程度なんだ。頑張って「鉄漿紙」とか考えたけど、歴史的に見ればお祭り騒ぎの賑やかし……)
「あれー、どうしたの? そんなに凹んじゃって」
「……当然ですよ。五条先生が教科書だっていうから期待したのに……私の術式、やっぱりゴミじゃないですか」
いじけて机の木目を睨む眞白に、五条は「あはは」と軽く笑った。
「ま、教科書ってのは言い過ぎだったかもね。でもさ、僕が初日に言ったこと覚えてる? 『今のままじゃ不便極まりない雑魚』だって」
「……また雑魚って言った。追い討ちしないでください」
「違う違う。僕が言いたいのはね……」
五条の声色が、ふと真面目なトーンに変わった。その変化に、眞白は顔を上げる。
「『この記録に残ってる術師』は雑魚だった。それだけの話だよ」
「……え?」
「この記録に書かれている人と眞白の術式は、確かに同じ『折紙呪法』だよ。でも、記録の内容と君の術式……明らかにおかしな点があったよね?」
五条は試すような視線を送る。 眞白は眉をひそめ、先ほどの内容を反芻した。
「おかしなところ……? ええっと……『式神を作り出し、簡単な命令を遵守させる術式』……」
そこで眞白は首を傾げた。
「『簡単な命令』……?」
「そう。そこだよ」
五条が指をパチンと鳴らす。
「この術式の最大の難点はね、発動時のプロセスにあるんだ。紙を式神にする際、『形を維持するために流す呪力』と、『命令をインプットさせるための呪力』……この二つの異なる性質の呪力を、同時に、かつ完璧なバランスで扱わなきゃいけない」
五条は右手と左手を同時に動かしてみせる。
「右手で精巧な絵を描きながら、左手で難しい計算式を書くようなもんだよ。過去の術師にはそのセンスがなかった。だから、形を作るのに精一杯で、中身の命令は『前へ進め』とか『回れ』みたいな単純なものにするしかなかったんだ」
式神は一度放てば、破壊されるか呪力が尽きるまで動き続ける。だが、最初の入力(インプット)がお粗末なら、出来上がるのはただのポンコツだ。それが、この術式が「四級(最弱)」と呼ばれた所以。
「でも、眞白は違う」
五条は、眞白を見据えて言った。
「さっきの手裏剣の自動迎撃。あれ、君は『命令』なんて入力してないよね?」
「あ……えっと……」
眞白は言葉に詰まった。「命令」と言われてもピンと来ない。言葉で指示を出した覚えもなければ、頭の中で文章を組み立てた覚えもない。
「命令というか……なんと言えばいいのか……。こう、『パチンと弾く感じ』とか、『私の周りに誰も寄せ付けない空気』みたいな……そういう『イメージ』を、そのまま紙にぎゅっと込めるというか……」
眞白は身振り手振りを交えて必死に説明しようとするが、要領を得ない。彼女自身、自分が何をしているのか言語化できていないのだ。ただ、頭の中にある完成図を、そのまま形にしているだけに過ぎない。
「そう。君がやっているのは言語化された『命令の入力』じゃない。君の脳内に溢れている高精細なイメージを、そのまま呪力に乗せて紙に叩き込んでいるんだ」
「イメージを……叩き込む……?」
「君は無意識のうちにやってるけどさ。君の折り紙は、ただ形を真似てるだけじゃない。脳内で構築された『生物としての機能』や『行動原理』そのものを、紙を折るという工程の中で丸ごと出力してるんだ」
ちまちまとコマンドを入力する必要なんてない。彼女の脳内にある「完成図」には、最初から自律行動するためのプログラムが含まれている。それを呪力というインクで印刷するように、現実世界へ具現化させているのだ。
過去の術師が必死にマニュアル操作の設定に苦戦していた横で、彼女は最新鋭の自律型AIを搭載したドローンを量産しているようなもの。術式の名前が同じでも、中身は別次元だ。
(……本人は自覚なしか。ま、無理もないか)
五条は、不思議そうに首を傾げる眞白を見ながら内心で舌を巻いた。彼女の脳内では、常人なら焼き切れてしまうほどの情報量が常に渦巻いている。それを彼女は、呼吸をするように「折り紙」へ流し込み、外部へ排出(アウトプット)し続けている。それはもはや、生きるための排熱機構。
「……まぁ、難しく考えなくていいよ」
五条はレポート用紙をくしゃりと丸め、ゴミ箱へと投げ捨てた。
「要するに、君の脳みそはちょっと特別製でさ。呪力を扱うためのCPU性能が、そんじょそこらの術師とは桁違いってこと」
「は、はぁ……」
「僕の『六眼(りくがん)』がスーパーコンピューターだとしたら、眞白の脳もそれに近い処理能力を持ってる。……『脳内処理特化バージョンの六眼(りくがん)』ってとこかな」
「り、六眼(りくがん)と同じ……!?」
さすがにそれは言い過ぎではないかと眞白は思ったが、五条の顔は真剣そのものだった。
「だから自信を持ちなよ、眞白」
五条はニカッと笑い、眞白の頭をガシガシと撫でた。
「君は、こんな過去の遺物(レポート)なんかで測れる器じゃない」
彼は言い切った。
「その術式のポテンシャルは、四級なんて生易しいもんじゃないよ。……将来的に、『特級』にだって届きうる才能だ」
「と、特級……!?」
思いがけない高評価に、眞白は目を白黒させる。子供騙しの手品師から、いきなりの特級候補。ジェットコースターのような評価の乱高下に頭が追いつかないが、最強の術師から認められたという事実は、じんわりと彼女の胸を熱くさせた。
「……へへ」
眞白は照れくさそうに笑い、自分の指先を見つめた。この指が折る紙は、ただの遊びじゃない。私の武器であり、私の世界そのものなんだ。
そう思えた瞬間、彼女の中で何かがカチリと音を立てて定まった気がした。
なんか、いつもみたいにオモシレェ小説ないかな〜、って日刊ランキング見たら、見覚えしかないのがあるんだけど。
夢か?夢だな。二代目火影の卑劣な術だ。
龍鱗 反発 番の流星 解ィィィィイイイ!!!!
夢じゃなかった。
ハイ。ありがとうございます。m(_ _)m