万象、紙に綴れば   作:Mebius217

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第9話:千年の叡智と、空回りの歯車

 

 

 

高専の敷地内、普段は学生どころか職員さえも滅多に立ち寄らない静寂の一角に、その建物――資料室はあった。 重厚な扉の向こうに広がるのは、ひんやりとした冷気と、古紙特有の甘く乾いた匂い。そして、天井まで届く巨大な書架の列だ。

 

現在、その薄暗い迷宮の片隅で、綴眞白は「情報の濁流」に呑み込まれそうになっていた。

 

 

「……うぅ、目が……文字がゲシュタルト崩壊してきた……」

 

 

彼女の目の前には、積み木崩しのように高く積まれた古文書や和綴じの本、そして分厚いファイルが壁を成している。 『呪術界・平安の闇』『結界術・空間構築と解体の力学』『御三家・血脈の系譜』『呪物封印記録・明治編』……。 背表紙に並ぶ難解で専門的なタイトルの数々を見るだけで、普通の高校生なら胃もたれを起こしそうなラインナップだ。

 

ここ数日、彼女は実技訓練以外の時間のほぼ全てを、この部屋で過ごしていた。 指先が紙で荒れ、肩が石のように凝り固まる。それでも彼女がページを捲る手を止めないのは、数日前の授業で突きつけられた、五条悟の「ある言葉」が呪いのように頭にこびりついているからだ。

 

それは、彼女が自身の術式の可能性を五条に認められ、「特級にだって届きうる」と告げられた直後のことだった。

 

          *

 

(回想)

 

 

 

穏やかな午後の陽射しが差し込む教室。 五条は教卓に腰掛け、長い脚をぶらつかせながら、唐突にこう宣言した。

 

 

「てなわけで。明日から眞白には、今までの呪術界の歴史について学んでもらうよ」

 

「……歴史、ですか?」

 

 

眞白は教科書を広げようとしていた手を止めた。 実技の次は座学。学校なのだから当然の流れではあるが、五条の口ぶりには、単なる授業以上のニュアンスが含まれていた。

 

 

「そう。正確な起源は分からないけど、呪術には千年以上の歴史があると思っていいよ。まぁ、その全てが記録されてるわけじゃないけどね」

 

「千年……」

 

 

気の遠くなるような数字に、眞白は呆然と呟く。 彼女が生まれてから今まで生きてきた時間の、何十倍もの歳月。そこには彼女の知らない、血と呪いに塗れた物語があるはずだ。

 

 

「で、眞白には今、高専の資料室にある記録……その『全て』を頭に入れてもらう」

 

「……はい?」

 

 

眞白は自分の耳を疑った。 今、「全て」と言わなかったか? 「重要なところ」とか「テストに出るところ」ではなく。

 

 

「え、あ、あの……全部って、文字通り全部ですか? この学校にある本を?」

 

「イエス。全部だ」

 

「なんでそんな急に!? ここは学校なんですから、そういうのはカリキュラムに沿って、順番にゆっくり習っていくものじゃないんですか!?」

 

 

ブラック企業も裸足で逃げ出すような理不尽なノルマに、眞白は思わず椅子から立ち上がって抗議した。 しかし五条は、動揺する彼女を見て楽しそうに笑い、人差し指をチッチッと振った。

 

 

「そんな驚かないでよ。これが、今の眞白が特級を目指すのに一番の近道なんだから」

 

「近道……? 埃っぽい資料室に引き籠ることが、ですか?」

 

「そう。さっき言った通り、眞白のポテンシャルは大きく分けて二つある」

 

 

五条はすらりとした指を二本立てた。

 

 

「一つは、僕の『六眼』にも匹敵する……とまでは言わないけど、並の術師とは桁違いの情報処理能力を持った『脳』。そしてそれに由来する、精密機械のような呪力操作技術」

 

 

彼は一本目の指を折り、続けて二本目の指に視線を落とす。

 

 

「そしてもう一つは、式神を自律させていると言っても過言ではない、その異常なまでの『イメージ力』だ。想像力と言ってもいいね」

 

「は、はぁ……」

 

 

褒められているのは分かるが、それがなぜ「読書」に繋がるのかが見えてこない。 首を傾げる眞白に、五条は顔を近づけ、その蒼い瞳(レンズ越しだが)で彼女を射抜くように見据えた。

 

 

「この二つの武器を持っている眞白はね、僕からすると『勿体無い』の一言に尽きるんだよ」

 

「も、勿体無い……?」

 

「そう! 宝の持ち腐れもいいところだ」

 

 

五条は両手を広げて大袈裟に嘆いてみせた。

 

 

「今の眞白の状態を例えるなら……そうだな。最新鋭のスーパーコンピューターを使って、ひたすら『1+1』の計算を繰り返してるようなもんだ」

 

「……え」

 

「あるいは、F1カーの怪獣みたいなエンジンを積んでるのに、近所のスーパーまで時速30キロで買い物に行ってるような状態。……どう? 勿体無いでしょ?」

 

「……なんか、すごく馬鹿にされてる気がするんですけど」

 

「事実だよ」

 

 

五条は即答した。

 

 

「君の脳という『エンジン』は最高級だ。その処理能力、演算速度、どれをとっても一級品。でもね、肝心のエンジンを回すための『ガソリン』がスッカラカンなんだよ」

 

「ガソリン……?」

 

「つまり、『知識(インプット)』だ」

 

 

五条は自分のこめかみをトントンと叩いた。

 

 

「いいかい、眞白。『想像(イメージ)』っていうのはね、ゼロから無尽蔵に湧いてくる魔法じゃない。自分の脳内にある知識や経験のデータベースを組み合わせて、再構築する作業のことだ」

 

 

彼は教卓から降り、眞白の机の前まで歩み寄った。

 

 

「人間は、自分が『知らないこと』や『見たこともないこと』は想像できない。君が今まで作ってきた折り紙たち。それらは全部、君が本やテレビで見て『知っていたもの』だよね?」

 

 

眞白はハッとした。 言われてみればそうだ。彼女の術式は「イメージ」を具現化するものだが、そのイメージの源泉は、常に彼女の過去の記憶の中にあった。

 

 

「君は、呪術の世界を知らなすぎる。どんな術式が存在するのか、呪力でどんな現象が引き起こせるのか、過去の術師たちがどんな工夫をして、どんな『縛り』を用いてきたのか……。その『知識』がないから、君の最強のエンジン(脳)は、空回りするしかないんだよ」

 

 

五条はニヤリと笑った。それは教師としての導きの笑みであり、同時に最強の術師としての不敵な笑みでもあった。

 

 

「逆に言えばね。もし君が『過去にこういう術式があった』『こういう現象が可能だ』という知識を得たらどうなると思う?」

 

「……あ」

 

 

眞白の中で、何かが繋がりかけた。

 

 

「そう。君の脳は、その現象を解析し、自分の術式(折り紙)で再現するためのプロセスを勝手に構築し始めるだろうね。『知っている』だけで、君の術式の引き出しは無限に増える。知識はそのまま、君の弾薬になるんだ」

 

 

ただの暗記ではない。 彼女の脳にとって、情報は燃料であり、設計図のパーツなのだ。

 

 

「だから詰め込んで。千年分の呪術の歴史を、その優秀な脳みそに。……パンクしないように、せいぜい気をつけてね?」

 

 

 

(回想終了)

 

          *

 

 

「……ふぅ。これで、めぼしい資料は大体読み終わったかな」

 

 

眞白は最後の一冊をパタリと閉じ、大きく伸びをした。 五条に「千年分の歴史を頭に入れろ」と命じられてから、早一週間。 普通なら高専での4年間をかけて学ぶ膨大な量の専門書や歴史書を、一部とはいえ彼女はこの短期間で驚異的なスピードで読破していた。 もちろん、本人はその異常さに気づいていない。「集中していたから早く読めた」程度にしか思っていないが、その脳内では今まさに、スーパーコンピューター並みの処理速度で情報の整理と格納(ファイリング)が行われている最中だ。

 

 

「……でも、ここ10年くらいの記録がすっぽり抜けてるのが気になるな」

 

 

彼女は空きの目立つ本棚の一角を見上げた。 五条悟が学生だった頃の記録。おそらく「五条悟爆誕」による呪術界のバランス崩壊や、それに伴う特級案件の数々が記されているはずだが、なぜか資料が見当たらない。

 

 

「ま、本人に聞くか。……教えてくれるか分からないけど。家入先生や夜蛾学長に聞いた方が早いかも」

 

 

眞白は思考を切り替え、この一週間で学んだ膨大な知識の海を脳内で泳いだ。

 

 

(特に気になったのは……やっぱり『簡易領域』と『反転術式』、それに『極ノ番』かな)

 

 

『シン・陰流』の簡易領域。 「領域から身を守るための弱者の領域」という概念は魅力的だが、門外不出の「縛り」があるためか、具体的な習得方法や術理についての記述は一切なかった。使い手が少ないせいか記述が少ない反転術式、それに領域展開を除いた呪術の極致である極ノ番についても同様だ。概念は理解できても、それを自分の『折紙呪法』でどう再現するかは、まだ霧の中にある。

 

 

(知識というガソリンは満たされた。あとは……これをどうやってエンジンで燃やすかだ)

 

 

眞白は机の上の資料を片付けると、鞄を手に取り、資料室の重い扉に手をかけた。

 

ガチャリ。

 

ドアノブを回し、押し開けようとした――その瞬間だった。

 

バンッ!!

 

 

「やあ眞白! 勉強の調子はどう!?」

 

 

突如、扉が外側から勢いよく引かれた。 目の前に現れたのは、満面の笑みを浮かべた五条悟。 少女漫画なら、勢い余ってイケメンの胸に飛び込み、甘い雰囲気になる展開かもしれない。

 

だが、現実は非情である。

 

 

「ぐふっ……!!」

 

 

飛び出しそうになっていた眞白の顔面は、五条の胸――ではなく、その数センチ手前にある『無限』の不可侵バリアに、全力で激突した。 見えないコンクリート壁に顔を打ち付けたような衝撃が走る。

 

 

「~~っ!! か、顔が……鼻が……ッ!!」

 

 

眞白はその場にうずくまり、両手で顔を押さえた。 ジンジンと痺れるような痛みに、涙がじわりと滲む。

 

 

「あれ? 何やってるの眞白。変顔の練習?」

 

 

五条は、うずくまる生徒を見下ろしてキョトンとしている。 その悪びれない態度に、眞白の堪忍袋の緒がまたしても引火した。

 

 

「練習なわけあるかッ!ですよ!! 五条先生が急にドア開けるからでしょうが!!」

 

「いやー、ちょうど開けようとしたら中から気配がしたからさ」

 

「だったら少しは加減してください! あと変顔なんてレディに対して失礼です!!」

 

 

涙目で抗議する眞白。 しかし五条は「はいはい」と軽く聞き流し、人差し指を立てた。

 

 

「そんなことよりさー」

 

「そんなこと!? どうでも良くないです!」

 

「もー、いい知らせを持ってきたんだから静かにしてよー」

 

 

五条はわざとらしく勿体ぶるように咳払いをした。 その雰囲気に、眞白は鼻を押さえながらも、少しだけ耳を傾ける。

 

 

「なんと! 明日、『シン・陰流』簡易領域の使い手が高専に来てくれるように頼んどいたよ!」

 

「……え?」

 

 

その言葉に、眞白の痛みは一瞬で吹き飛んだ。 さっきまで資料室で「習得方法が分からない」と嘆いていた、あの技術。

 

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 

彼女は前のめりになり、五条に詰め寄った。

 

 

「簡易領域……教えてもらえるんですか!? 門外不出の縛りがあるって資料には書いてありましたけど!」

 

「直接の指導は無理だけどね。 でもその使い手は、僕が知る中で一番のやり手だよ。期待しててね」

 

「おぉ……!」

 

 

眞白は感動に目を輝かせた。 やっぱりこの人は腐っても特級術師、やる時はやる男なのだ。尊敬の眼差しを向けようとした、次の瞬間。

 

 

「あ、あと『戦闘訓練』って体(てい)で頼んどいたから。ちゃんと戦闘の準備しないと、あっという間にやられて病院送り、いやここの場合は保健室送りかな」

 

 

五条はサラリと爆弾を投下した。

 

 

「……え、戦闘訓練!?」

 

 

眞白の思考が停止した。 教えてもらうのではないのか。戦うのか。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 私まだ戦ったことなんてないですよ!? いきなり実戦なんて無理です!」

 

 

慌てふためく眞白に対し、五条は「うん、知ってるよ? 僕担任だし」と何でもないことのように頷いた。

 

 

「し、知ってるなら止めてくださいよ! 死んじゃいますって!」

 

「心配しないで。硝子は反転術式を使えるし、多少の怪我なら一瞬で治してくれるから」

 

 

五条はニカッと、眩しいほどの笑顔を見せた。

 

 

「時間を無駄にせず連戦して、何度でもボコボコにさせてもらえるよ!」

 

「……」

 

 

眞白の中で、何かが切れた。

 

 

「何言ってるんですか!? このバカ! アホ! 悪魔! 五条悟!!」

 

 

廊下に響き渡る絶叫。 敬語も忘れ、担任をフルネームで罵倒する生徒。

 

 

「ん? なんか今の変じゃなかった?」

 

「何も変じゃないです」

 

 

五条が首を傾げるが、眞白は真顔で即答した。 そして、はぁはぁと肩で息をしながら、ふと気になったことを尋ねた。

 

 

「……ていうか、家入先生って反転術式を使えるんですね」

 

「あれ、言ってなかったっけ? そうだよ」

 

 

五条は事もなげに答える。

 

 

「しかも硝子はただ反転術式を使えるだけじゃなくて、アウトプットして『自分以外の怪我』を治すことができるんだ。だから保険医してるってわけ」

 

「自分以外を……それってすごいことなんですか?」

 

「すごいなんてもんじゃないよ。僕ですら自分を治すのが精一杯だしね」

 

 

五条は人差し指を立てて、少し得意げに、しかし真剣な眼差しで語った。

 

 

「呪力を反転させて正のエネルギーを生むこと自体が高度な技術なんだけど、それを他人に流し込んで治癒させるのはさらに別次元の話だ。はっきり言って、今の呪術界でそれができるのは硝子だけだよ。彼女は替えの効かない、超・貴重な人材なんだ」

 

「へぇ……アウトプット、なるほどです」

 

 

眞白は感心しつつ、ふと意地悪な笑みを浮かべて五条を見上げた。

 

 

「……五条先生は使えないんですか? 反転術式のアウトプット」

 

「んー、反転術式自体は僕でもできるよ。自分の脳を常にリフレッシュさせてるからね。でもアウトプットは無理。流石に僕でもできないよ」

 

 

五条があっさりと認めると、眞白はここぞとばかりにニヤリと笑った。

 

 

「へぇ~、五条先生ってアウトプットできないんですか? 『最強』の名が泣きますね」

 

「……」

 

 

五条の眉がピクリと動いた。

 

 

「まぁ僕も万能じゃないし? そもそも近年の呪術界で反転術式のアウトプットできるの硝子だけだし? 僕ができないのが悪いんじゃなくて硝子が特別なの!」

 

 

五条は少し拗ねたように口を尖らせた。子供のような言い訳だ。

 

 

「近年でたった一人!? すごい! さすが家入先生です! 五条先生とは大違いですね!」

 

「む……」

 

 

さらに畳み掛ける眞白に、五条は完全に不貞腐れた。

 

 

「あーあ! せっかく勉強のご褒美に、眞白の分のスイーツも買ってきたのになー!」

 

 

五条は背後に隠していた、有名スイーツ店のロゴが入った紙袋を高々と掲げた。 甘い香りがふわりと漂う。

 

 

「そんなこと言う生意気な子にはあげなーい! 僕が後でじっくり味わって食べまーす!」

 

「あっ、ずるいです! 私のスイーツ返してください!」

 

「聞こえませーん! だって僕は『最強』の名が泣くダメ教師だからねー!」

 

 

五条は長い脚を生かして、資料室前の石畳の道を猛スピードで走り出した。

 

 

「待てー! 大人げないですよ五条先生!!」

 

 

眞白は慌ててその後を追いかける。

 

茜色に染まる高専の敷地に、二人の足音と笑い声、そして怒号が響き渡る。 たった一人の学生生活。 当初眞白が思い描いていた「キラキラした青春」とは少し違うかもしれないが、騒がしくて、どこか温かい「青春」は、確かにここにあった。

 

 

 




お久しぶりです。
今回は、3話中の1話が長くなってしまい切りをよくするために4話投稿となります。

2026/02/21:修正
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