百余年を掛けた大建築があと少しで完成するというのに、国から待ったをかけられた。
人生を賭した龍の絵に目を描き入れて完成させようとしたら、絵具が切れていた。
これらの落胆を数百倍にしたのが今の私の心境。悲願成就を目前にして、訳あってこの船着き場で立ち止まっている。
潮風が頬を撫で、好ましいとは言い難い潮の匂いを運んでくる。
耳に届くのは、港から広がる露店通りを忙しなく行き交う人々の喧騒。正直言ってうるさい。杖袋の肩ひもが食い込む痛みも不快さを加速させる要因の一つ。
野菜、果物、魚、肉、日用品、その他諸々。市場の品ぞろえは百科事典をひっくり返したように多彩だ。
「確かに待ち合わせはここで合っているはずなんだが……」
右を向いても左を向いても待ち合わせている人物の姿は見えない。
何かの襲撃にあったのか、それとも天災か。穴だらけで傷だらけの港が目に入るだけだ。海にはいくつかの木片も浮かんでいる。市場通りは比較的綺麗だということを考えると、恐らく何かの生物に襲われたのだろう。
そんなことはどうでもいい。それよりも問題なのは。
「姉君のお姿は見当たりませんね」
頭上から降ってきた声が端的に問題を口にした。
声の主は白銀の甲冑を着込んだ騎士。鎧に彫られた金の彫刻は華美な印象を与えず、寧ろ神聖さや清廉さを強調させる。兜を飾る赤い羽根飾りもその一助。背には身の丈と同じ長さの白い槍を背負っている。
どこぞの騎士団所属か神聖騎士です、と言われても納得するような風貌だ。
「如何いたしますか?」
「通りを一周して見つからなければ戻ってこよう。お前は目立つ。白い甲冑の騎士が歩いていた、という噂がすぐに広まるだろう。姉さんがそれを聞きつければ、無事に合流できるはずだ」
「良いお考えかと。見て回りたい露店などございますか?」
「いや、特に無いな」
「承知しました。では、私が適当にご案内いたします」
「頼んだぞ」
先に歩きだしたあいつに置いて行かれないよう着いて行く。真面目なあいつが万が一にも私を置いて行くなんて、あり得ないが。
雑踏の中に紛れると喧騒はより一層我が身に纏わりつく。あちらこちらの話し声と人の熱気で酔ってしまいそうだ。通りを一周する、などと言った数秒前の自分を殴りたい。
「今日は買っていかねぇのかー?」
「また後日寄らせていただきまーす!」
隣を歩く従者は八百屋の店主に声を掛けられ。
「おじちゃんおじちゃん、あのね、今日すっごくおっきいうみへびさん?が暴れたんだよ!」
「すっごいでかく強かったんだぜ!」
「それは怖かったでしょう。怪我はありませんでしたか」
「うん!りょうしゅさまのきしまとか、皆が守ってくれたから」
「おれもああなりてぇ!まほーと剣をカッコよく使ってさ」
子供たちにも呼び止められ。
こんな調子で、一歩ずつ話しかけられているのでは?と錯覚するほど頻繫に隣の騎士は話しかけられていた。
噂を流す、という策は思った以上の成功を収めそうだ。
「街の人間に随分と好かれているな」
「何故かは分かりませんが、いつの間にかこうなっているのです」
「良いことではないか。人望は大事だぞ」
こうやって話しつつ通りを歩きながら、視線を右へ左と緩やかに動かす。残念ながら興味を惹かれる露店は無いが。
色とりどりの屋根と看板で見た目は良い。だが、ただそれだけだ。食材も食器も雑貨も武器も私に縁は無く、故に惹かれることもない。
早く元居た場所に戻ろうと改めて思った。体調を崩しかねん。が、ある露店に目が留まり自然と足がそちらに向く。その露店にはいくつもの鉱物が置かれていた。
店主は妙齢の女性で、鉱物をルーペで観察しながら何やら本に書き込んでいた。
「ご婦人、品物を見ても?」
「どうぞ、お好きに見てください……ってこの綺麗な女性の方、カシデルさんのお知り合い?」
声を掛けられて視線を挙げた婦人は、甲冑の騎士を見ながらカシデルと呼んだ。どうやら二人は知り合いだったようだ。
「こちら、私がお仕えしている主で……」
「アサギと言います。従者が世話になっているようで」
「これはどうもご丁寧に。こちらこそいつもありがとうございます」
私が手を差し出し握手を求めると、婦人は快く握り返してくれた。
「カシデルさん、ここら辺では有名人なんですよ」
「やはり風貌が目立つからですか」
「それもあります。けど、誰にでも親身になってくれる優しさを持っているからだと思いますよ。あと、かなりお強いとかって噂もありますし」
「……面と向かってそう言われると恥ずかしいですね」
仮に今カシデルの顔を見ることができたら、それはもう熟れきった林檎のように赤くなっていただろう。
少ない言葉を交わしただけで婦人とカシデルは良好な関係だと分かる。この婦人だけではない、街全体で良い関係を築けていると。
それが我がことのように嬉しく感じた。従者の成長を見る、というのは子が育つのを見ているようなものかもしれないと一人感慨深くなる。
改めて店の品揃えに目を向けると、一目で良質な魔力を内包した鉱物ばかりだと分かった。
「カシデル、研究に使っていた魔鉱はこの店で買っていたのか?」
「その通りです。ここ十数年のものは全てこちらで購入しておりました」
「どうりで既視感があったわけだ。お前に店選びも任せておいて正解だったとつくづく思うよ」
「私には勿体ないお言葉です」
この店に並べられている鉱物はどれも濃密な魔力を内包している。ということは、つまり。
魔力を含有した鉱物、魔鉱。この店で取り扱っているものは一般的にそう呼ばれているものだろう。
杖や道具の核に様々な研究。用途も多岐に渡り、人が生きていくうえで欠かせないものだ。私も数えられないほど使用したことがある。
どの魔鉱も質が良い。自身が研究に用いていたものの質の良さを思い出し、改めて感服する。カシデルはもちろん、婦人は相当に目が利くようだ。
「気に入って頂けていたみたいで何よりです。研究用でしたら、こちらとこちらがオススメですよ。カシデルさんの選んでいた傾向からすると、値は張りますがこちらも」
婦人は握りこぶしほどの赤く澄んだ魔鉱は反応の促進用。黄色い魔鉱は反応の抑制用。小石ほどの青と緑のマーブル模様の魔鉱は魔法の無効化。
汎用的な物と客の好みにあったものを勧める婦人。この婦人、相当にやり手だ……!
だが、もう私は研究用の魔鉱を必要としていない。
「勧めていただいて申し訳ないが、研究は最近終わったんだ」
「まぁ、おめでとうございます!その、差し支えなければどんな研究か教えて頂いても……?」
明るく咲く花のように笑顔を浮かべ、興味津々といったふうに聞いてくる。別に言ったところで問題はあるまい。
「あぁ、私が研究していたのは……」
私の言葉は終わりを紡ぐことなく、ぶつ切りにされる。腹に響くような爆発音と獣の咆哮によって。
音のした方へ振り向くと、沖合の方で大きな水柱が立ち上っていた。
そこから現れたのは一匹の海蛇。港から離れていてもはっきり分かるほどに巨大なそれが、耳をつんざく轟音の咆哮を上げる。
細長い巨躯、この距離からでも大きさが分かるほど巨大な青い鱗、中型の舟さえも容易くかみ砕けそうな大顎。全長は100mをゆうに超えているだろう。
人よりもはるかに高い視座から睥睨するのは怒りと興奮に染められ血走った瞳。
間違いない、怪物と呼ばれる生物の一種。あの怪物なら正規の騎士団やらが束になってようやく勝てるかどうか、と言ったところか。
突如現れた巨大な怪物により混乱が伝播する大衆の中、冷静に婦人へ問う。
「婦人、近くに衛兵やら騎士団は居るか?」
「それが、今朝も似たような海蛇が襲ってきて怪我人が大勢出てたから…」
役に立ちそうな戦力は皆無、か。
放っておけば被害は甚大なものになるだろう。死者すら出かねない。
選択の余地は無い、か。面倒ごとには巻き込まれたくなかったのだが。
「カシデル」
「何なりとご命令を」
従者の騎士は短く鋭い言葉を返す。
「仕方がない、私たちでやるぞ」
「主はあまりご無理をなさらず」
「そのつもりだ。私は攻撃が飛んでこないよう結界を貼っておく。先に行っておいてくれ」
「承知いたしました」
「え、何をするんですか……?」
婦人が困惑しているのをよそに、カシデルは背負っていた背嚢を地面に下ろして槍を手にする。白銀の鎧によく合う白亜の槍。手に持つと改めて長さが際立つ。
その槍は眠っていてなお、嵐のように獰猛で禍々しい魔力を内包していた。つくづく見た目と中身が合っていない。もう少し中身に寄せて作ってやるべきだったな、と今更思い直す。
カシデルが少し屈み足に力を籠めると同時、魔力炉心も1割ほど稼働し始めた。独特な吸気音が鳴りながら周辺の魔力を吸い込んでいく。吹きすさぶ風のような、鳴り響く雷のような音。
「ご婦人、結界は張りましたのでご安心を」
「ま、まさかあれと戦うんですか!?無茶です、いくらカシデルさんが強いらしいって言ってもあんな化け物相手に一人なんて……!」
「あれはそこらの騎士が束になっても敵わないように作っております。力を抑えてもあの程度なら余裕ですよ」
私の言葉が開戦の合図となった。
圧縮された力は一息に解き放たれ、逃げ惑う市井の上を駆け抜ける。何度が空中を蹴り、一陣の風よりも雷よりも速く。
その速度を乗せたまま槍を構え、巨大な海蛇に肉薄する。海蛇は攻撃に対して反応することもできない。
一閃。
勢いを乗せた槍を振り下ろす。城壁をも切り崩す一撃に襲われ、海蛇はものの見事に両断されて終わりだ。
と、思ったが事はそう上手くいかないらしい。
硬質な金属同士が勢いよく衝突する耳障りな音。その大轟音が辺りに響き渡る。
何らかの強力な障壁に弾かれた。
そう思ったときには怪物は大口を開け、魔力を貯め込み終えていた。あの怪物はカシデルの攻撃に反応しなかったのではない。反応する必要がなかったのだ。
極限まで圧縮され、深海よりも暗く深い圧を伴った魔力。それが、カシデルを貫かんと放たれる。
詠唱している暇はない。障壁にぶつかり合った衝撃で槍が弾かれ胴を晒して無防備になったカシデルへ障壁を貼る。
障壁を貼った一瞬の後、超高水圧のブレスが放たれた。
半球状の障壁により、ブレスは幾つもの細く弱い水流へと分かれていく。それでも人が触れればひとたまりも無いだろうが。
ブレスを受けきったカシデルは近くにあった建物の屋根に着地した。
『カシデル、無事か?』
念話による経路を急造し、カシデルに繋ぐ。
『損傷はありません。助かりました、主よ』
音声良好。問題なく繋がっているようだ。
『お前の障壁は暫く持つはずだ。私の魔法を使って打開策を探す。十秒ほど時間を稼いでくれ』
『お言葉ですが、私の出力を上げればこの程度簡単に……』
不安と心配を丁寧に練り込んだ声が届く。今頃、カシデルは自分の不甲斐なさに肩を落としているだろうな。私の指示が甘かった上に、あいつの最適解を選んだ結果だというのに。
『お前が出力を上げると港が吹き飛ぶ。私たちは街に被害を出さないため首を突っ込んだんだ。早く終わらせたいという思いやりはありがたいが、そこを忘れるな』
『御意に。ですが本当によろしいので?』
『戦闘が久しぶりだからと心配し過ぎだ。仮にもお前の主だぞ?』
『仰る通りです。浅慮をお許しください。では、お任せ致しました』
こう話している最中もカシデルは海蛇の攻撃を受け流し、私は魔力を全力で全身に駆け巡らせる。
全盛期ならわざわざ魔力を励起させる必要も無かっただろう。だが、百数年ぶりのまともな戦闘に加えて対象との距離も離れている。この状況で雑に魔法を使っても失敗するのは目に見えている。
急がば回れ、だ。ゆっくりと、確実に準備を整えようじゃないか。
心臓から血潮が送られるように、熱い魔力が迸る。全身を余すことなくか細い熱の糸が覆っていく。あぁ、懐かしい感覚だ。
そのまま解析対象を海蛇に設定し、一息に魔法を発動する。
理解の魔法。
私の、私だけの魔法。そして、私に刻まれた呪いの根源を。
脳へ直接、障壁の組成ごと海蛇に関する情報が叩き込まれる。これまで全く知らなかったことを、今この瞬間に全て知った。本来なら書を読むなり経験するなりして知るべきことを無理矢理知ったのだ。
これが、理解の魔法。私の望む情報を強制的に理解する理外の魔法だ。
障壁の組成に関して分かったのは、あれを今の私が短い時間で解除するのは不可能だということ。短時間でどうにかしようと思えば、それこそカシデルの出力を上げて破壊するしかない。
あるたった一つの方法を除けば。
「婦人、申し訳ないがこの魔鉱をいただく。後で必ず代金は納めに戻ってくる。それと、そろそろ逃げた方がいい」
「えっ?あ、はい!どうか、ご無事で!」
婦人は私の目を見て頷いた後、大衆に紛れてこの場から離れていった。
先ほど婦人に勧められた、青と黄色のマーブル模様の魔鉱を手に取る。魔法を無効化する、その魔鉱を。
「さて、上手く飛行できると良いが」
肩に背負っていた杖の覆いを解き、跨って加速する。
カシデルが先ほど駆けて行ったのと同じかそれよりも早く。
風が私に向かって吹き荒んで杖から降り落とされそうになる。空いている片手で杖を強く握りしめ、何とか抗う。
海蛇とすれ違う一瞬、杖を握りこんだのとは逆方向の手を突き出し――。
握りこんだ魔鉱をぶつけると、ガラスが割れるような音を盛大に立てて障壁が崩れ落ちる。
「カシデル、今だ!」
言うや否や、カシデルは先ほどより強く魔力を槍に溜め込み始める。
あらゆるものを奪い去るために吹き荒れる風。天より来りて地を焼き尽くす雷。不浄も清浄も区別なく押し流す雨。それらを纏め上げ練り上げ作り上げるは極小の嵐。
何者も決して乗りこなせぬ暴力が極限まで圧縮され、解き放たれる。
障害が無くなった怪物など、カシデルとって試し切り用の案山子より劣る存在だ。
轟雷を伴った一刀のもとに首を断ち、海蛇の命を絶つ。
これにて一件落着。急激に魔力を励起させたせいで身体の節々が痛む。後で薬でも見繕うか。
などと、港に着地しながら吞気に考えていた。
支えを失いぐらりと地に倒れ伏していく胴体。その向かう先、木箱が幾つも置いてある場所。
そこに、小さな子供が居た。
つい先ほどカシデルに話し掛けた少女だ。逃げ遅れたのだろう。木箱に囲まれる形で隠れたは良いが、怯え切って腰を抜かしている。
考えるよりも先に、走り出していた。
体の節々が痛む。魔力を一気に使いすぎたせいで頭痛もする。それでも、低い身体能力をできる限り強化して走る。
何とか少女の居る場所に間に合い、少女を私が走ってきた方に投げ飛ば。
その動作が丁度終わった時。
重く鈍い断頭台の刃が、私の胸から下を圧し潰した。
胸から下が水風船が割れるようぐしゃりと潰れる、生々しい感覚。胃が残っていれば吐しゃ物をばら撒いたかもしれないが、代わりに口からは滝のように血が流れ出る。
少女は何とか助かったみたいだ。良かった。
血が、熱が、命が流れ出る。赤い水溜まりが、段々と広がっていく。
常人ならば命を落とす大怪我だ。もう、助かる術は無い。
そう、常人ならばな。
拙文ですがお楽しみいただければ幸いです。
毎週日曜更新予定です。