カシデルが倒した海蛇に胸から下が潰された。感触から推察するに、下半身はミンチより酷い有り様になっている。
身体の断面を炎よりも熱い虫が派手にのたうち回るような痛みが襲っており、あと数秒で意識が落ちてしまいかねない。少女に「自分を助けた大人が潰されて死ぬ」などという心の傷を焼き付けたくは無いのだが……。
不幸中の幸いと言うべきか、少女は海蛇の身体の向こう側に居る。人一人分の高さがある死体に遮られ、今すぐグロテスクな私の身体を見られてしまうということは無いだろう。
ひとまず安堵していると、崩れた木箱をどけながら白い甲冑が姿を見せた。
「主よ!ご無事では……ありませんね。このままお体を引き抜きますか?」
私を有様を見たカシデルの言葉は焦燥を感じさせたが、すぐにいつもの落ち着いた口調へと戻る。
「そうしてくれると助かる……」
言葉を紡ぎ終えると、ごぼりという無様な音と共に口から血が零れていく。胸から上だけになった身体は軽いようで、子供を持ち上げるように軽々と引き抜かれた。いくつかの内臓が中途半端な編み物のように垂れ下がってくる様は実に不格好だ。
石畳の上に寝かせてもらったら、瞬時に魔力で肉体を編み上げていく。どんな織物よりも繊細に、それでいて時間をかけないよう迅速に。仄かに白く発光する糸が失った私の身体を型取り、骨と血と肉に置換していく。
瞬く間に傷一つ無い身体が再生された。一糸まとわぬ姿ゆえ、白磁のように白い下半身が露になっている。服を着なければ。そう、服……を……。
「背嚢は置いてきたん……だったな……」
服を始め色々と詰め込んであったカシデルの背嚢は魔鉱屋の前に置いてきたままだ。痴女のように何も着ないまま動くわけにもいかない。
「申し訳ありません。私の不手際です。早急に取ってまいります」
「取りに行かなくても大丈夫よ。お探しのものはこれでしょう?」
頼んだ、とカシデルにかけようとした声は口から出ることはなく。
私の声の代わりに上から降ってきたのは聞き覚えのある声。声の主は、いつの間にか海蛇の身体の上に立っていた。
実をつけ項垂れた稲穂のような黄金の髪。大きな丸眼鏡の奥にあるのは、琥珀よりも鮮やかに輝く赤みがかった黄色い瞳。フリルのついた白いシャツと茶色いロングスカートを身に着けているその人は。
「姉さん……!タイミングが良すぎて怖いが、ともかく助かる」
「早く着替えちゃいなさい。風邪ひくわよ?」
姉さんの周囲に浮く袋を提げた6つの鈍色の箱。カシデルの背嚢を持っていたそのうちの1つが音も無く私の横まで降り、静かに背嚢を置いた。
私は即座にそれをまさぐり、下着やらズボンやらを身に着ける。一刻も早く服を身に着け文明的な人間に戻りたい。
上半身の服も血で汚れてしまっていたため、ついでに着替えておいた。来て早々に服の予備を使うことになろうとはな。
「相変わらずモノトーンが好きなのね。綺麗な浅葱色の髪が映えていいわね~」
姉さんの言う通り、私が身に着けている服は白いアメスリシャツと黒のパーカーに黒いズボンだ。というか、白色か黒色の服しか持っていないから何を着てもモノトーンになってしまう。
「……一人で結べるからな?」
そして、巧妙に隠したつもりだろうがお見通しだ。この姉は私をいつまでも子供扱いをする。
「あら、何が言いたいかばれちゃってたのね」
髪を結い直して身だしなみは完成。普段からただ結ぶだけのポニーテールにしているからこういう時も楽で良い。
「あーらら、綺麗に潰れちゃって。……あら?胃腸の辺りは思ったより汚くないわね」
いつの間にか海蛇の上から降りていた姉さんはしゃがみ込んで私が潰れていた辺りをまじまじと見ている。ただ赤いだけの肉と骨を見て何が楽しいんだか。
「今日はほとんど食べてないからそのせいだろう。変に消化途中のものがぶちまけられるより良い。そこにいるついでだ、掃除しておいてくれないか?」
「姉遣いの荒い妹ね~。まぁお茶の子さいさいだからいいけど」
姉さんが胸の前で小さく両手を広げると、いくつかの魔法陣が表れた。魔法陣の中で徐々に鈍色の物体が現れ、さほど時間もかからず円盤のような何かが完成する。
「できました!スーパーお掃除君14号!」
「13個も作ってるのか、その変な奴……」
一見ただの円盤にしか見えないスーパーお掃除君14号と名付けられたその機械は静かに私の肉だったものを片付けていく。石畳に沁み込んだ赤い染みを一つ残らず取り去り、見違えるように美しくしていった。
名前は馬鹿らしいが、流石に姉さんが魔法を使って作っただけはあって高性能だ。
「にしても、我ながらこんな無様を晒すとはな。こういうことにならないよう結界を……張って……」
途中まで口にして自分の失態に気付く。
「……張られていませんね」
カシデルも私の失態に気付いたのか、さぞ申し訳なさそうに口を開き。
「魔力の起こりすら感じられなかったわよ?」
姉さんの鋭利な言葉が私の心にぐさりと刺さる。
「……!忘れていた……お前の一撃が弾かれた衝撃ですっかり忘れていた……」
我が愚かさ故、地に膝を付き項垂れる。あれだけ「私はやることやってから助力に行く」とか啖呵を切っておいて結果がこれとは。主失格だ。カシデルに合わせる顔が無い。
「前線を退いて久しいがここまで衰えていたとは……」
「まあまあ、結果オーライ……ってことにしましょう?」
「姉君の仰る通りです。結果的に被害は最小限だったのですから」
カシデルの言う通り、被害は最小限。それで良しとしよう、うん。
こんなことで意気消沈している場合では無かった。今頃、少女は悲しみに暮れているに違いない。心の傷にならないうちに対処しなければ。
「もう一つお願いがあるんだが」
「なぁに?」
「光って鳴って小さい女の子が楽しめるような玩具とか作れないか?」
「そういうの、大得意よ~」
お掃除君とやらを作った時と同じように構えると、ピンクと白の杖が生成される。先端に可愛らしいピンクのハートがついており、非常に小さく如何にも子供用といった見かけだ。
「すまない、恩に着るよ」
「可愛い妹のためならこのくらい幾らでも作ってあげるわ。でも、何に使うの?」
「すぐに分かるさ」
海蛇の身体をよじ登って越えると、人が大勢集まっていた。騒ぎが騒ぎを呼び、ざわめきが蠢く。
すぐ傍では私が助けた少女が泣きじゃくり母親らしき女性にあやされている。
「わた、わたしのせいでお姉ちゃん……ひっぐ……」
「大丈夫、大丈夫よ。魔女様が助けに行ってくださったから、きっとなんとかなるわ」
彼女らに近づくと、信じられないものを見ている顔に変わっていく。
「あれ、え、おねえちゃん」
「心配をかけて悪かったな。私は魔法使いだから、生き残る算段くらいつけているさ。もうあんなところに隠れるんじゃないぞ」
嘘は言っていないが、本当でもない。
これは魔法というより呪いに近しいものだ。魔女であるならば例外なく持つ、不老不死。世界から死を拒絶された、その証左。
この世に生まれ落ちた瞬間から終わりが無いと宣告されているのだ、呪いと呼ぶほかあるまい。
全く、忌々しい身体だ。だからこそ、この身体を殺し尽くす魔法を作り上げたのだが……。
「う、うん!」
「娘を助けて頂いて、なんとお礼をすればいいのやら……」
母親が頭を下げるが、生憎とお礼目当てで助けた訳では無いのだ。
「お礼なんて要りませんよ。それと、娘さんにこれを。今日の傷を癒す小さな手助けにはなるはずです」
「魔女様の玩具まで頂いて、本当にありがとうございます」
「いえいえ。では、私はこれで」
踵を返し、港の一角で海蛇が解体される様子を眺めている姉さんの所に向かう。
力自慢の男を呼びに行く女性、クレーンのついた大型船を動かす船乗り、道具を持って集合する解体工たち。
単純作業用の
先ほどとは違った様子ながら、先ほどよりも一層騒がしくなり。
カシデルは人に取り囲まれていた。
「いや~、凄かった!あんなでっかい海獣をすぐに倒しちまうなんて驚いたよ!」
「カシデルの旦那が強いとは聞いてたけどあんなに強かったなんてな」
「今朝も海蛇が出て探索者連中は疲れ切ってるし、魔女様も居ないしでどうなることかと思ったよ。いやー、助かった助かった!」
「あれは私だけの力ではなく、主の助力あってこそで」
「にしてもただの海蛇じゃなさそうだし、今朝と同じ王海蛇とかいう珍しい奴じゃないのかこれ?解体にも時間かかりそうだぞ」
主に現段階ではやることの無い商人連中が取り囲んでいるようだ。暇な連中に話題という餌を与えれば養鶏場の鶏のように集まってくるのは至極当然だ。
カシデルは大きい身体を縮こませ、急に多くの人に囲まれたことで戸惑っている。
「カシデルちゃん、大変そうね」
「まぁ、なんとかうまくやるだろう。ああいう交流はあいつの方が得意だ」
「あなたは人付き合いとか嫌いなのに似なかったわね」
「親子じゃないんだ。私と一緒に居たからと言って必ず似るわけでもない」
懐をまさぐり、ライターと煙草を手に取る。疲れた後の一服は欠かせない。煙草を口に咥え、ライターのキャップを開ける甲高い金属音と同時に火を着ける。
息を吸うと煙草の先がほの赤く燃え、甘さを微塵も含まない刺激の塊が喉から肺へと侵入していく。
「そのライター、ユーちゃんにもらったのね」
「貰ったというか押し付けられたというか。使い勝手はいいから気に入ってるがね、メイちゃん?」
「あなたに言われるとむず痒いわ。いつも通り姉さんでいいわよ」
「発明の魔女をもじってメイ、か。呼びやすく親しみやすい。姉さんにぴったりだよ」
どこにでもある、古びた銀のライター。一見よく手入れされている品に見えるが、所々に傷がついており年代も感じる逸品だ。いくら単純な構造で非常に長持ちするといっても、いつか終わりは来るというのに大切にされていたと簡単に分かる。
「あの子の最期はどうだった?」
何度目かに吸い込んだ煙を吐き出す。形を持った白い靄はやがて雲散霧消し空気に溶けるようにほどけていく。
「安らかだったさ。そういう魔法にしたんだからな」
「そう。魔女を終わらせる魔法が完成したなら、お祝いしなくちゃね。長い長い時間をかけた研究だったんですもの」
「まさかそのために私を呼んだんじゃないだろうな?」
「別の用事もあったけど、お祝いしたかったのも事実よ。妹の最後の晩餐になるかもしれないんだしね」
姉さんはいつもと同じ、人好きのするような笑顔を浮かべている。初めてだった。見飽きているあの笑顔を見て、寂しそうだなんて思ったのは。
その理由を考えていると、カシデルが人ごみをかき分けてこちらに向かってきた。ようやくこの場を離れられそうだ。
「主よ、彼らの手伝いをしてきてもよろしいでしょうか。どうやら力のある者の助力が必要なのです」
飛び出した言葉は予想の外に存在するものだった。堅苦しいカシデルは遅れて申し訳ない、と言うと思っていたが。
カシデルを囲っていた人ごみにいつの間にやら解体工も混ざっていた。解体するのがあの巨体だ。人手が僅かでも欲しいんだろうな。
「お前が行きたいなら行って来い。私はここで煙草をふかしながら待っている」
従者の意志を尊重しないほど狭量な主になった覚えは無い。特段断る理由も無いのだから好きにすればいいのだ。そもそも、私に伺いを立てる必要すらない。
「寛大なお心に感謝いたします」
恭しく礼を言ったかと思うと、解体工の元まで駆け寄っていく。解体の仕事が楽しいのか、人の役に立てることが嬉しいのか。私にはそのどちらなのか分からない。もしかすると両方かもしれないが。
皮を剥ぎ、血を抜き、肉を切り取る。熟達した集団の動きは洗練されており、一切の無駄が無い。最小限の動きで最大限の力を生む動作は一朝一夕で身に着くものでは無いだろう。
彼らの中に居るとさしものカシデルも動きに無駄が見えるが、即座に学習して動作を修正していく。あっという間に彼らの中に違和感なく溶け込んだ。
作業は滞りなく順調に進んでいるかに思われたが、ある解体工が足を滑らせて死体から転げ落ちる。人一人分はあろうかという高さだ。身体を打ちつければ大きな怪我になりうる。
そのまま落下してしまうかと思ったが、カシデルが受け止める。
「お怪我はありませんか?」
「あぁ、おかげさまでピンピンしてるぜ。すまねぇな、みっともねぇとこ見せちまって」
「貸ひとつですね。今度酒でも奢ってください」
「酒ならいくらでも奢ってやるよ!なんなら飲み比べでもするか」
がっはっはと豪気に笑いながら転げ落ちた男は作業に戻っていく。
「お前も気を付けろよー!」
目の前で人が転げ落ちる様を見たからか、特に何を考えるでもなく言葉が口から出ていた。
その言葉を聞いたカシデルはこちらに向かって手を振り、周囲から大事にされてるなーなどと言われる。
「こうしてると本当の親子みたいね」
「親子なんかじゃないさ。親子なんて名乗る資格は私に無いんだから」
姉さんは私の言葉に何も返さず、代わりに煙草の灰が落ちていった。すっかり短くなった煙草を踏み潰し、新しい煙草に火を着ける。
結局、海蛇の解体が終わったのは日が暮れ始めた頃だった。
拙文ですがお楽しみいただければ幸いです。
毎週日曜日投稿予定です。
(毎週日曜投稿予定だったのに日付を間違えていたお馬鹿さんがいたみたいです)