あまり見ない形の包丁だと思った。
先端が鋭くなっている。肉切り包丁とはかなり形状が違う。
クロブチいわく、万能包丁というらしい。なぜこんな形状をしているかというと、こちらの世界では一般人は牛を解体いない。それどころか鶏すら解体されたものを調理する。そして切られるものの主役といえば野菜や果物に限定されるのでこんな刃先が鋭くも丸っこい形状をしている。ただこの国は肉料理よりも魚料理のほうが家庭で食べられることも多く、魚をさばくなら先端がこのような包丁を使うほうが切れるらしい。
ちなみに今、私はクロブチが料理している所をスマートフォンで撮影している。彼は今後の私の一人暮らしを想定しており、一人でも自炊できるようにと動画を残してくれるそうだ。
本当に、何というかこの男、女に対する執着が全くない。紳士、というよりは、教会の僧侶を思い浮かべる。どういう人生を送ればこんなふうになるのか、少し興味がわいてきたわ。
彼の料理には全く隙がない。素早く野菜の皮を剥き、フライパンに油を引いて切った野菜を素早く入れる。その後に醤油、酒、みりん、砂糖をいれたあと豚肉を入れて、豚肉の両面が焼き上がるまで煮続ける。そしてスマートフォンで10分のタイマーをセットして鍋に蓋をした。
彼は言った。「あとは野菜が柔らかくなるまで待ちます」
「楽しみだわ」
「よかったら、羊羹食べますか。小豆のお菓子なんですけど」
「アズキって言うものがよくわからないのだけれど、食べてみたいわ」
「じゃあ、どうぞ」と言って彼に渡されたそれは全部がビニールに包まれた黒い棒だった。ただ私には何となく明け方が分かる。この切れ込みの部分をつまんで引っ張れば中身が取り出せる仕組みになっているのよね。
引っ張って、めくると、簡単に中から羊羹が出てきた。
先を少しかじってみる。甘い。控えめだけれど。
成る程、彼の性格が何となく分かってきた。
抹茶に羊羹、彼は、控えめなのだ、性格が。
この大きさなら、お腹いっぱいにはならない。私は大食いではないので、どちらかと言うと死体は魔法で保存して食べるようにしていた。その時に面白かったのが、焼き鳥の串焼きにして人間に振る舞ったことがあるのだけれど、彼らは豚肉のようだと喜んでいた。
しかし何故かな。今はそんな気分じゃない。
何となく、この薄味な甘味を楽しんでいたかった。
ここに来てからずっとそうだけど、私の攻撃性というか、人間から見た毒気みたいなものが、さらっと何処かに流された感じはする。それはこの世界のせいなのか、それとも、目の前の人間があまりにも、紳士的だからだろうか?
「それ、抹茶味? と彼の羊羹を見て言ってみる」
「えぇ、まぁ、好きなんで、抹茶味のアイスとかありますけど、食べてみますか?」
「いいのかしら?」
「是非」
こうして私は彼が少し抹茶に傾倒している人間だということがわかった。牛乳と抹茶の薄く甘くて苦い味が私の舌に乗る。薄い刺激。どこまでも刺激は薄いのに、明確に脳に残る味だった。
彼が肉じゃがと、この国の伝統的な穀物であるコメをよそってくれた。
彼は箸という食器を使って食べるらしいが、私はフォークとナイフを渡された。
「どうぞ」
彼にそう言われて私は料理にフォークを刺す。
肉じゃがというこの国の料理は、調味料の味をしっかり染み込ませることで成り立っていると思う。私の感覚で調味料と言うと、パウダー状の、胡椒や香辛料を思い浮かべるけど、この国の調味料はどこか液体状のものが多い気がする。普通調味料って臭み消しに使うものだと思われるけど、この世界では素材に味を足す感じね。
そんなことを思っていると目の前で彼は二本のスティックを使って、器用に食べ物を持ち上げている。それが何だか綺麗だなと思った。
「ねぇクロブチ、私もそれを使ってみたい」
「箸を、ですか?、、、わかりました」
そう言って私はどうぞと言って箸を手渡される。
持つのが難しい。彼のようにきれいに持つことができなくて思わず顔を歪めてしまいそうだ。
「ゆっくりでいい、落ち着いてやりましょう」
そう言って彼は本当にゆっくりとお茶を飲み始めた。
そんな彼の仕草を見ていたら、なんだか私の焦りもどこかへ行って、ゆっくりだけど白米を口にすることができた。
「すごいですね」
「なにがかしら?」
「いえ、箸が使えるの早いなって」
その顔には驚きが隠せないといった感じだった。
まぁ、彼のように綺麗に持てなくても、無名だけれど大魔族である私が棒切れ二本を扱えないはずがない。
私は食事をしている彼に、ひっそりと魔法の触覚を彼の右手に忍ばせ、動きを探った。
成る程、綺麗に見えるのは指を伸ばすこと。動かす指は必要最低限でいい。そう思って私は指を動かしてみた。
カチリという音がして箸が一本落ちてしまった。
動きだけをトレースしても意味がないみたい。必要なのは筋肉の動かし方のほうね。
「洗ってきます」と言って彼が立ち上がる。
「いいえ、私が洗うわ」
私は彼の申し出を断って自ら台所に向かった。
その間に彼の右手の感覚組織を探る。そして驚愕した。その複雑な筋肉の動きに。まるで弓を引くような感覚で食事をしている。
この国はこのようなことができる人間ばかりなのだろうか。
まるでグラオザームを追い詰めたヒンメルのような感覚ね。
さすがにそれは少し大げさだけど、研ぎ澄まされている。私は好奇心のまま脳波を調べてみた。驚いたことに箸を使っている右手への感覚は無意識だった。
「ふふっ」
「どうかしましたか?」
箸を洗い終えて戻ってきた私が思わず笑いをこぼしてしまったので彼を困惑させてしまった。
「いえ、本当に箸の持ち方が綺麗だなって思っただけ」
「あぁ、どうも、ありがとうございます」
その後の食事は静かに進んだ。
カチリ、カチリと食器を箸が叩く音と、時より外を車が通る音だけが、静かに響いていた。