ダンジョンに炎柱がいるのは間違っているだろうか   作:kursk

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ランクアップ

アストレアと杏寿郎がオラリオに来てから、六ヶ月が経った。

 

杏寿郎は、毎日のようにダンジョンに潜り続けた。

 

一階層から十一階層まで。上層と呼ばれる領域を、彼は文字通り庭のように歩き回った。

ゴブリンやコボルトはおろか、キラーアント、ウォーシャドウ、シルバーバックでさえ、もはや敵ではなくなっていた。

次々と現れるモンスターを、杏寿郎は誰の力を借りることもなく、圧倒的な炎の力で薙ぎ払った。

 

成長は、驚異的だった。

アストレアは、毎晩のステイタス更新のたびに、驚きを隠せなかった。

全てのアビリティが、常識では考えられない速度で上昇していく。特に、力と敏捷の伸びは凄まじかった。

「杏寿郎、また上がっているわ。もう力と敏捷はほぼ限界に達している。あとは、偉業さえあれば、ランクアップできる」

杏寿郎の答えはいつも変わらなかった。

「そうですか! 嬉しいです!」

確かに嬉しくはあるが、ステイタスがどうあれ、己のやることに変わりはない。

そんな心のうちが透けて見えるような受け答えだった。

 

「本当に、あなたは……」

冒険者はステイタスに一喜一憂するものなのに、杏寿郎はそうではない。

アストレアは、少しだけ呆れを滲ませながらも、ただ一人の眷属がステイタスに惑わされずに確固とした『自己』を持っていることを嬉しく思った。

 

 

相変らず、二人の仮住まいは場末の宿の一室である。

今の杏寿郎の稼ぎをもってすれば、もっと良い宿に泊まることもできたし、女神と男の眷属が同じ部屋で夜をともにすることも避けられた。

けれども――アストレアからすれば、最初の眷属と同じ部屋に住むことは喜びでこそあれ、避けるようなものではなかった。宿にしても、質素でありながらも、女将の目配りが絶妙で、意外なくらい住み心地がよかった。

そして、肝心の杏寿郎は、男女のことを学ぶ前に母親を亡くし、家を飛び出したため、そういったことに全く頓着しなかった。

他に眷属がいれば、二人に貞操観念の何たるかをみっちりと仕込んだであろうが、アストレアの眼鏡にかなうような人間は現れなかった。

そのため――アストレアは杏寿郎だけを見、杏寿郎もアストレアを敬愛し続けた。

このころのアストレア・ファミリアは、一柱の女神と一人の眷属で、見事なまでに自己完結していたのである。

 

 

もちろん、杏寿郎は夜の見回りも継続した。

闇派閥の構成員を見つければ、容赦なく叩きのめし、困っている市民がいれば、必ず助けた。

おかげで、レベル1の駆け出しでありながら、杏寿郎の名は、少しずつオラリオに広まり始めていた。

 

「アストレア・ファミリアの剣士」

「炎を纏って戦う男」

「夜の守護者」

様々な呼び名で、人々は杏寿郎のことを語り始めた。

 

 

 

しかし、杏寿郎は現状に満足していなかった。

上層は、もはや彼にとって危険な場所ではなかった。

どんなモンスターが現れても、一撃か二撃で倒せる。緊張感がない。

とはいえ、中層はレベル2がパーティを組んで行くところ。

今の自分が行っても、生きて帰って来れる保証はない。

大きなファミリアであれば、先達に着いて成長できたのであろうが、一人だけのファミリアではそれもままならない。

 

ふつうの冒険者からすれば、ふざけるなと言いたいところだろう。

わずか半年でステイタスを上限まで上げているだけでも奇跡のようなもの。日々の稼ぎにも、かなりの余力がある。

一般的な冒険者の基準でいえば、間違いなく恵まれていた。

しかし、杏寿郎の目指す先は、一般的な冒険者とは根本的に異なっていた。

そして、その目標のためには、さらに力をつける必要があった。

 

 

 

今日も、杏寿郎は一人、ダンジョンを下へ下へと降りる。

上層最深部にあたる十二階層でモンスター相手に鍛錬を始めようとしたとき――。

鋭い悲鳴が迷宮にこだました。

「誰か、誰か助けて」という鳴き声が通路に反響する。

 

冒険者がモンスターの集団に襲われでもしたか――。

そう思った杏寿郎が、助けに向かおうとすると、男たちのヒステリックな哄笑が響き渡った。

「ひゃははは!! ざまあみやがれ! せっかく俺たちが愛人にしてやると言ったのに、断るからそうなるんだ!」

 

ドシン、という重量物がたたきつけられたような鈍い音が壁越しに伝わり。

 

「オットー、いやああ!!」

 

という悲鳴が続いた。

 

――ただのモンスターとの戦闘ではない。

杏寿郎は確信した。明らかに、誰かが意図して冒険者にモンスターを擦り付け、殺害しようとしている。

大きく息を吸い込み、呼吸に集中する。炎の呼吸を使うときの準備だ。

そのまま通路を走り、喧噪のする方へ向かう。

 

「ハンス、逃げて!!」

悲鳴が続く。

 

杏寿郎が飛び込むと、そこは大広間だった。

最初に目に飛び込んできたのは、巨大な橙色の山椒魚のようなモンスターだった。

広間の中央で、地響きをたてながら、地面を踏みつけている。

その足元には、どす黒い染みと潰された人体の痕跡

少し離れて、一人の女性が倒れたまま、上体を起こそうとしている。

 

両者からかなり距離をとって、笑い続ける黒ずくめの男たち。

明らかに闇派閥の衣装だった。

 

「お前が大人しく言うことを聞けば、二人は生きて帰れたのになあ。残念だなあ」

男たちの嘲笑が響き渡る。

 

闇派閥だ。

彼らの一人が調教師で、モンスターをパーティーにけしかけたのだろう。

とはいえ、インファントドラゴンを調教できるとは思えない。

たまたまモンスターをなすりつけたところに、インファントドラゴンが乱入したとみるべきか。

いずれにせよ、杏寿郎が許せることでなかった。

 

「下衆どもが!!」

烈火のごとき杏寿郎の怒声が、男たちの哄笑を止めた。

 

「あ!? 誰だ、てめえ?」

男たちが一斉に振りむく。

 

「関係ねえやつは、引っ込んでいろ! それとも、お前もインファントドラゴンに潰されてえのか?」

「いっそ、俺たちが血祭にあげてやろうか?」

相手が一人と分かるや、男たちは警戒を解いた。

 

「罪なき人に牙を剥くというならば。この煉獄の赫き炎刀が、お前たちを骨まで焼き尽くす!!」

そう宣言すると、杏寿郎は刀を抜き放った。

これ以上の問答は不要。

もたもたしていては、ただ一人生き延びている女性もインファントドラゴンに殺されてしまう。

 

「心を燃やせ――!【炎の呼吸】、壱の型、不知火」

赤い炎が杏寿郎の体と刀から燃え上がった、次の瞬間。

杏寿郎の姿が消え、笑い続けていた男たちの一人が、悲鳴すら上げずに倒れた。

 

「なに!?」

「こいつ、速いぞ」

「何が起きた?」

 

眼に見えて、男たちが動揺する。

それに頓着することなく、杏寿郎は次の敵を見定める。

弱い。型を使うまでもない。

振り向きざまに距離を詰め、まったく反応できない男の首を撥ねる。切断面が焼ききれて燃え上がる。

――次。

 

「こ、この野郎!!」

ようやく反応しかけた男の首を、炎の爆心力を使って一気に突く。

 

「ひ、ひいい! こいつ、まさかアストレア・ファミリアの!」

後退りながら、杏寿郎の正体を言い当てた一人を切り捨てる。

 

「全員でかかれ!」

号令とともに、ようやく杏寿郎に襲い掛かろうとする残りの闇派閥。

――遅い。

杏寿郎は、機先を制して距離を詰め、最小の動きで一人、二人、三人と斬り捨てた。

極東の武術は、モンスターだけでなく人間にも使うもので、戦で鍛えられた侍の技法だ。

その実践剣術を修めた杏寿郎からすれば、人間相手の戦闘訓練が不十分な闇派閥の下っ端など、隙だらけだった。

 

文字通り、瞬きする間に、杏寿郎は闇派閥を片付け、インファントドラゴンに目を向けた。

巨体を揺らしながら、生き残った女性を踏みつけようと足を上げたところだった。

 

「させん!」

杏寿郎は大きく息を吸い込むや、壱の型・不知火で一気に距離を詰めた。

守る相手がいて、しかも命が危ない。

背中に刻まれた神血が熱を帯び、肺は限界まで大量の空気を吸い込む。

血潮が全身をめぐり、杏寿郎の体から煌々と炎が吹き上がった。

 

スキル【守護炎心】による圧倒的な身体能力の底上げ。

それを実感しながら、杏寿郎は、女性を踏みつけようとする火蜥蜴の太い足を斬りつけた。

「グァァアァ!!」

 

インファントドラゴンが怒りの声をあげて、よろめく。

 

――浅いか。

見れば、前足に浅からぬ傷をつけたとはいえ、大人数人分くらいの幅はありそうな足を断つには至らなかった。

 

杏寿郎は倒れた女性から注意をそらすため、円を描くように移動する。

インファント・ドラゴンも体の向きを変えて、杏寿郎に正対しようとするが、足の怪我がもとで、体勢を整えるのに若干のロスがあった。

そのタイムラグは、杏寿郎のように素早く動き回るものを相手にするときは、致命的だった。

 

――ここだ!

モンスターがこちらの円運動についてこれない一瞬の隙を見定めると。

杏寿郎は、大きく息を吸い込み、十分な貯めを作って、脇腹に突進した。

 

伍の型・炎虎!

脇腹を抉り切り、燃やし尽くす一撃。

 

「グァァアアアアア!!!!!」

痛みに動揺したインファント・ドラゴンが体を左右にくねらせ、尻尾の一撃で自分にまとわりつく人間を吹き飛ばそうとする。

 

「ふっ!」

杏寿郎は鋭く呼吸を挟むと、大地を蹴り上げ、下からすくい上げるように刀を上に振り切った。

弐の型・昇り炎天。

尻尾を両断とまではいかなかったが、深い斬りこみをいれ、燃やす。

そのまま上へと逃れ、切れかけの尾に向けて渾身の一撃を振り下ろす。

参の型・気炎万象――!

 

続けざまの連撃が、巨木のようなインファントドラゴンの尻尾を断ち切った。

 

「グギャアアアアアア!ゴァアアア!」

 

これまでで一番の悲鳴が、大広間を揺らす。

なんとか杏寿郎のほうを向き直り、噛みつこうとするインファントドラゴンだが、杏寿郎はそれを許さない。

常に円を描くように横へ横へと移動を続け、大蜥蜴の無防備な脇腹や足に痛撃を見舞った。

 

一見すると、戦いは杏寿郎が優勢であった。

レベル1の冒険者がソロで階層主に匹敵するとも言われるインファントドラゴンを追い詰めつつある。

それは、信じられないような快挙であった。

 

しかし、肝心の杏寿郎は歯噛みする思いであった。

――詰め切れない。

今、使える炎の呼吸では、スキルの補正があってさえ、インファントドラゴンの巨体を仕留め切れていなかった。

優勢ではある。少なくとも今のところは――。

けれども、このまま戦っていては、いずれこちらの体力のほうが先に尽きる。

何か、一撃で相手を削り切るような技が必要であった。

 

もちろん、炎の呼吸には、そのような技があるにはある。

奥義たる玖の型・煉獄。

 

しかし、どれほど鍛錬を重ねても、杏寿郎は修得できなかった。

――できるのだろうか、この土壇場で。

 

そのように考えこんだのが良くなかったのであろう。

横から長い首をしならせて、攻撃しようと迫る蜥蜴の頭に反応が遅れた。

「くっ!!!」

刀で直撃を避けつつ、自分から後ろに飛んで衝撃を逃がす。

それでも、その一撃は強烈で、杏寿郎は吹き飛んだ。広間の壁に激突し、石が砕ける。

 

「かはっ」

胸が圧迫され、息が詰まる。

吐きだされた呼気には、血が混じっていた。

 

「ぐ……っ」

無理やりに起き上がろうとすると、内臓が揺れる。肋骨が軋む。

身を包む炎が衝撃を吸収しているにもかかわらず――たった一撃で、これほどのダメージ。

 

インファントドラゴンが、巨体をゆすりながら、ゆっくりと近づいてきた。

大蜥蜴には多くの傷があり、満身創痍といった体である。

ただし、体が大きい分、体力には余裕があり、その目勝利を確信していた。

これで終わりだ、と言わんばかりに。

 

杏寿郎は、壁にもたれかかりながら、自分の体の状態を確認した。

肋骨にヒビが入っているかもしれない。動くたびに、激痛が走る。

普通なら、撤退を考える段階。

 

しかし、動けない女性を見捨てることはできない。

 

 

脳裏に、母の顔が浮かんだ。

『生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません』

『弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです』

 

杏寿郎は、歯を食いしばった。

ここで死んだら、俺は何のためにオラリオに来たのか。

強くなって、母との誓いを果たすためではなかったのか。

弱き者を救うのではなかったのか。

この程度で命を落とすなら、誰かを守る資格などないではないか。

 

「……立て」

杏寿郎は、自分に言い聞かせた。

「立て。俺は煉獄杏寿郎」

膝に力を入れる。激痛が走る。それでも、立ち上がる。

 

眼前にはインファントドラゴンが迫る。

長い首をしならせ、小癪な人間をかみ砕こうとする。

 

杏寿郎は、体をひねり、肩の後ろまで刀を振りかぶった。

体が軋む。腕が震える。視界が霞む。

それでも、彼は構えを崩さなかった。

 

――できるかどうかではない。やるかやらないかだ。

母に誓ったのだ。やるしかない。

やるならば、やり遂げるしかない。

心を燃やせ――。

 

「俺は俺の責務を全うする!! 【炎の呼吸】」

 

蜥蜴の顎が迫る。

十分に気を溜め、この一撃に己の全てを込めた。

触れる者すべてを焼き尽くす、地獄の業火を。

 

奥義・玖ノ型――【煉獄】!!

 

杏寿郎はインファントドラゴンの長い首めがけて、突進した。

炎が龍の顎を象る。

大蜥蜴は慌てて杏寿郎に照準を合わせて噛みつこうとする。

が、遅い。

 

杏寿郎は一瞬でドラゴンの頭をすり抜けると、無防備な首の付け根に辿り着き。

大きく振りかぶった刀を、一気に振り下ろした。

赤く染まった刀が、ドラゴンの硬い表皮を溶かし、肉を焼き斬り――。

身にまとった炎が爆発した。

 

「!!」

声にならない悲鳴を上げて、インファントドラゴンが暴れまわる。

地面が揺れ、空気が震えた。

 

しかし、杏寿郎は止まらない。

そのまま刀を切り返し、半ばまで抉り切った首筋に、再び刃を立てる。

灼熱を帯びた刀が、人間の胴体ほどもある巨大な頸椎を切り裂き――

両断した。

 

杏寿郎が首を食い破って、空中に放り出されると同時に、抉られ、燃やされた首の残りが地面に落ちて地響きを立てた。

力を使い果たした杏寿郎は、辛うじて着地する。

刀を握る手が、震えている。

全身が、汗と血にまみれている。

呼吸が、荒い。

視界が、霞む。

もはや立っていることさえ辛い。

 

それでも――。

インファントドラゴンのほうを振り返ると、巨体は爆ぜるように煙となって大気中に消えた。

後には、大きな魔石とアイテムが残された。

 

「勝った」

杏寿郎は、呟いた。

 

「勝った!」

その瞬間、力が抜けた。

杏寿郎は、その場に崩れ落ちた。

 

「信じられない」

広間の中央に倒れていた女性が呟いた。

まだうら若い女性のようだった。

「ソロでインファントドラゴンを倒すなんて……」

 

その声で、杏寿郎は救うべき人がいたことを思い出した。

ポーチからポーションを取り出す。一気にあおると、少しずつ傷が癒え、体調がよくなってきた。

回復薬だけは良いものを持っていくように、というアストレアの教えに助けられた。

ゆっくりと起き上がり、ポーションをもう一本取り出して、女性のもとに歩み寄る。

 

「これを飲んでください」

「ありがとう……本当に助かりました」

女性は気丈に身を起こして、ポーションを口に含んだ。

 

杏寿郎は、あらためて広間を見回した。

彼が斬り捨てた闇派閥の死体のほかに、モンスターにやられたと思われる遺体があちこちに飛び散っていた。

 

「私はガネーシャ・ファミリアのサーラと言います」

女性がのろのろと立ち上がった。

「私たちはギルドに納める魔石を集めるために、中層を目指していたのですが、ここで闇派閥にモンスターを擦り付けられました。それだけなら何とかなったのですが、雑魚に対処しているうちにインファントドラゴンまでやってきて……」

サーラは声を詰まらせた。

「……そうでしたか」

杏寿郎はかけるべき言葉を見つけられないでいた。

 

「俺はアストレア・ファミリアの杏寿郎と言います。あなただけでも無事でよかった」

適切な言葉ではないだろうと思いつつ、返答を返す。

「アストレア・ファミリア……。たしか、正義の女神様の眷属」

サーラが少し安堵したように呟いた。

アストレアの眷属であれば、ひどいことにはならないだろうと考えたのかもしれなかった。

「はい。帰りましょう。俺もあなたも、万全とは言い難い。ディアンケヒト・ファミリアに行って治療をしないと」

「……そうね、少しだけ待ってちょうだい。二人の形見が欲しいの」

彼女は気力を振り絞るように、インファントドラゴンに踏みつぶされ、地面のシミとなった無残な遺体に歩み寄った。

 

 

 

地上への道のりは、果てしなく長く感じられた。

十二階層から、一階層まで。普段なら、楽々踏破できる道程である。

しかし、今の杏寿郎は、背にサーラを守りつつ、傷ついた身体に負担がかからないよう注意しながら、歩く必要があった。

 

モンスターに遭遇するたびに、足が止まった。

少しでも体力を温存するために、やり過ごせるようなら、気配を消してモンスターが通り過ぎるのを待った。

どうしても避けられない時は、最小限の動きで倒した。

一撃で。それ以上は、もう無理だった。

 

そして、ようやく、地上への階段が見えた。

階段を上りきった時、杏寿郎の意識は朦朧としていた。

 

 

バベルの塔のホール。人々の喧噪。

全てが、遠くに感じられた。

 

「帰って、来れた……」

ほっとしたのだろう。

隣でサーラが泣き崩れた。

 

「ディアンケヒト・ファミリアのところに行きましょう」

杏寿郎は倒れ込む彼女を支えた。

 

「サーラ? サーラじゃない。どうしたの? ハンスたちは?」

とつぜん、隣から女性の声がした。

振り向くと、紺色の短髪に紺色の瞳をした女性がサーラに駆け寄ってきた。

「シャクティ……オットーもハンスも……ううっ」

知り合いと合流できて、気が緩んだのだろう。

サーラは声をあげて泣き出した。

「いったい何が?」

シャクティは倒れ込むサーラを前に呆然とするしかない。

 

「横から失礼します。俺はアストレア・ファミリアの煉獄杏寿郎と言います」

サーラが話せそうにないので、杏寿郎はシャクティに話しかけた。

「アストレア・ファミリア? そういえば、闇派閥を何度も捕まえては引き渡してくれたと聞いているが、君が?」

「はい、ガネーシャ・ファミリアの警邏の方々には、よくお世話になっています!」

「そうか……。こんな状況でもなければ、礼をしたいところだが。まずは何があったか話してくれないか?」

 

シャクティの求めに応じて、杏寿郎は十二階層で起こったことのあらましを伝えた。

 

「そうか、そんなことが」

「はい、俺もサーラもぼろぼろですし、一度、ディアンケヒト・ファミリアのところで治療を受けても良いでしょうか」

杏寿郎自身、立っているのがやっとということもあって、治療を受けたいと提案した。

「もちろんだ。私が責任をもって君とサーラを連れていこう」

 

けっきょく、杏寿郎がディアンケヒト・ファミリアで、【戦場の聖女】アミッド・テアサナーレの治療を受けて、シャクティに事情を詳しく説明してから宿に戻ったのは、夜も更けてからのことであった。

 

アストレア様は心配しているだろう。

そう思いながら宿の扉を開けたとたん、

「杏寿郎!」

と叫ぶアストレアの声が飛び込んできた。

純白の衣が近づいてくるかと思ったら、杏寿郎はアストレアの柔らかい身体に抱きしめられていた。

 

 

「本当に心配したのよ。いつまで経っても帰って来ないから――。恩恵が消えていないのは分かっていたけれど、あなたがどういう状況かまでは伝わらないの」

本当に心配していたのだろう、安堵の入り混じった声で、アストレアが続けた。

 

「アストレア様――申し訳ありません。ダンジョンで本当にいろいろあって……」

ホームに帰ってきたという安堵から、疲労が一気に押し寄せてきた。

そして、杏寿郎の意識は、闇に沈んだ。

 

 

 

目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。

杏寿郎は、宿のベッドの上にいた。

 

身体のあちこちに包帯が巻かれ、部屋は軟膏の匂いで満ちていた。

 

「俺は……」

いつの間に寝てしまったのかと記憶を探ろうとしていると。

 

「起きたのね」

傍らに、アストレアがいた。

彼女の顔には、深い安堵の表情が浮かんでいた。

 

「アストレア様……」

 

アストレアの声は、静かで慈愛に満ちていた。

「杏寿郎、無事で本当によかった。あなたが倒れたときは、どうなることかと思ったのよ」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

「ガネーシャ・ファミリアの子たちが、何があったのか説明してくれたわ。杏寿郎、立派に人助けをしたのね。けれども――これからは、あなた自身のことをもっと労わらないとダメよ。本当に心配したのだから」

アストレアが優しく微笑んだ。

母のような安らぎに満ちた、尊い笑顔だった。

 

「はい……」

童心に返ったように、杏寿郎は素直にうなずいた。

 

それから数日間、杏寿郎は安静にしていた。

ディアンケヒト・ファミリアで治療を受けたとはいえ、怪我と疲労から完全に回復するには時間がかるものである。

それでも、冒険者の回復力は一般人とは違う。恩恵によって強化された肉体は、驚異的な速度で傷を癒していく。

 

そして、傷が癒えた頃、アストレアは言った。

「杏寿郎。ステイタスを確認しましょうか」

 

「はい」

杏寿郎は、上着を脱いで背中を見せた。

アストレアが、神血を垂らし、ロックを外す。

神聖文字が浮かび上がり、アストレアは紙にそれを写し取ろうとして、息を吐きだした。

 

「杏寿郎、あなた、ランクアップできるわ」

 

アストレアは、説明した。

 

「ランクアップには、条件がある。アビリティが一定以上に達すること。そして、『偉業』と呼ばれる功績を立てること。通常は、格上のモンスターを倒すこと」

 

「インファント・ドラゴンは……」

 

「文句なしに十分な偉業よ。レベル1の冒険者が、単独で倒した。これは、誰が聞いても奇跡のような業績だわ」

 

アストレアは、真剣な目で杏寿郎を見た。

 

「杏寿郎。あなたは、ランクアップの資格を得た。どうする?」

杏寿郎は、少し考えた。

 

しかし、答えはすぐに出た。

「ランクアップします」

 

「分かったわ」

 

アストレアは、微笑んだ。

「では、ランクアップしましょう」

 

アストレアが、杏寿郎の背中に手を当てる。神の力が流れ込み、神聖文字が輝きを増す。

温かい力が湧き上がってくるような感覚。

そして、光が収まった時、杏寿郎は確かに感じた。

自分が、一段階上の存在になったことを。

 

「終わったわ」

 

アストレアは、杏寿郎の背中から手を離した。

 

「これで、あなたはレベル2の冒険者よ」

 

「ありがとうございます、アストレア様」

 

杏寿郎は、深く頭を下げた。

 

「そして、もう一つ」

 

アストレアの声に、驚きの色が混じった。

 

「発展アビリティが、発現しているわ」

 

「発展アビリティ……」

 

「レベルアップ時に獲得できる特殊な能力よ。通常は、いくつかの候補の中から選ぶのだけど……」

 

アストレアは、神聖文字を読み上げた。

 

「あなたの場合、一つだけ。強く輝いているものがあるわ」

 

「なんという能力ですか?」

 

「『剣士』。まさに、あなたに相応しいアビリティね。どうする、これに決めてよいかしら?」

 

アストレアは問いかけた。

 

「はい、それでお願いします!」

 

「あと、新しいスキルも芽生えているわね。【全集中】――効果は、戦闘時、全能力に高域補正と、戦闘継続中に微回復」

 

「【全集中】ですか!! 先祖より伝わる炎の呼吸は、正式には【全集中】の呼吸という言います。これまで、奥義を出せなかったので、己のものとできておりませんでした」

杏寿郎は驚きの声をあげた。

 

「あなたがインファントドラゴンに使ったという、その奥義。極限の戦闘のなかで、それを使いこなせたことで、スキルとして昇華されたのかもしれないわ」

アストレアは、ただ一人の眷属の努力を褒めたたえた。

 

そして、紙を取り出し、数値を写し取る。

 

レンゴク・杏寿郎

レベル2

 

力  I0

耐久 I0

器用 I0

敏捷 I0

魔力 I0

 

発展アビリティ:【剣士I】

魔法:

炎の呼吸全身と武器に炎を纏う強化魔法。

身体能力が向上し、炎属性の攻撃力を付与。

持続時間中、剣技として「型」を完全発動可能。

スキル:

炎の誓い

・早熟する

・誓いを守る限り効果持続

・誓いの丈により効果上昇

全集中

・戦闘時、全能力に高域補正

・戦闘継続中に微回復

守護者の心

・守るべき者が近くにいる時、全アビリティが上昇

・守護対象が危機に瀕している時、効果が著しく増幅

 

「これで、俺もレベル2」

杏寿郎は万感の想いで、アストレアが差し出したランクアップ後のステータスを見た。

これで、もっと多くの弱き者を救け、強き悪党を打ち据えることができる。

また一歩、母の願いに近づくことができる。

 

「レベルアップに体が適応するには、しばらく時間がかかるらしいわ。最初は無理せず、慎重にね」

アストレアが顔を近づけ、半裸でベッドに座る杏寿郎の頭を優しくなでた。

窓の外からは、西日が差し込み、室内を炎色に染め上げた。

この半年間、毎日のように見てきた光景だ。

ただ、今日は、それが炎の祝福のように感じられた。

 

女神と眷属が二人で興した新興ファミリアが、いよいよその名をオラリオに轟かせる日が近づいていた。

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