ダンジョンに炎柱がいるのは間違っているだろうか   作:kursk

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炎の絆

アリーゼがアストレア・ファミリアに加わって、十日が過ぎた。

アリーゼ加入後に、杏寿郎とアストレアが最初にやったことが、本拠探しだった。

これまでは二人きりのファミリアということもあり、宿に仮住まいでも問題なかった。

けれど、アリーゼが加わり、今後も眷属が増えるかもしれない以上、いつまでも宿のままというわけにはいかない。

 

ハシャーナの伝手を紹介してもらい、比較的治安のよい北地区で一軒家を探すと、意外なほどあっさりと良い物件が見つかった。

 

「アストレア・ファミリアのことは、馴染みの商店主からも聞いているよ。ガネーシャ・ファミリアと一緒に見回りを頑張っているんだってね。こういうご時世だからね、貸すなら身元のしっかりした人がいいのさ」

 

好々爺然とした白髪の大家は、鷹揚に笑った。

 

家自体は小さいながらも、広めの中庭があり、軽い訓練なら十分にできそうだった。

 

「良い家ね、杏寿郎。家賃はけっこうするけれど、私もヘファイストスかデメテルのところで店番でもしてお金を稼ぐわ」

 

アストレアも満足げに微笑んだ。

 

「アストレア様に店番をさせるわけには……」

 

杏寿郎は主神に仕事をさせるなどとんでもないと拒んだが、アストレアはお茶目な表情で顔を近づけた。

 

「あら、杏寿郎は反対なの? 私に、新妻のように家でずっと帰りを待っていてほしいのかしら? うふふ」

 

「に、新妻ですか!?」

 

妖艶なアストレアの声に、杏寿郎は思わずドキッとした。

 

「あら、杏寿郎は私では不満かしら?」

 

アストレアは悪戯めいた表情を浮かべながら、杏寿郎になおも近づき、耳元で囁いた。

 

「お、お戯れを……アリーゼも見ております」

 

杏寿郎は何とか切り抜けようとしたが、ダシにされたアリーゼの視線は少し冷たかった。

 

眷属の反応に満足したのか、アストレアはそれ以上の追い打ちをかけずに、ファミリアの核心的な問題を指摘した。

 

「これはファミリアのためでもあるのよ。杏寿郎の活躍で、わたしたちのファミリアの名前も少しは知られるようになった。でも、眷属はまだあなたたち二人しかいないとなれば、闇派閥はあなたがいない留守のうちに良からぬことを企むかもしれないわ」

 

「たしかに、そのことは気になっておりました」

 

杏寿郎としても、アストレアの言葉には同意せざるをえない。

毎日のように、どこかの商店、工場、民家が略奪され放火される暗黒の時代――。

無名だった以前ならばいざしらず、すでに闇派閥の恨みを多少は買っている。

いつ何時、お礼参りにやってくるかもしれない。

 

「でも、ヘファイストスやデメテルのところで店番をやる分には、闇派閥もそうそう手出しをできないでしょう? それに二人が帰ってくるときに、迎えに来てくれれば、3人で夜のオラリオをデートできるわ」

 

そう言って片目をウィンクする主神に、アリーゼが元気に割って入った。

 

「それ、いいですね! わたしも夜のデートしたい!」

 

杏寿郎も納得した。

 

「デートかどうかはともかく、確かにそのほうが安全ですね」

 

「決まりね。実は、ヘファイストスとデメテルからは、もう了解を貰っているのよ」

 

 

 

 

その翌朝――。

オラリオの朝は、穏やかな朝の光と清々しい風に包まれていた。

『星屑の庭』と名付けられた新しい本拠の中庭では、杏寿郎の素振りの音が響く。規則正しく、一切の乱れなく繰り返される刀の軌跡は、時計の秒針のように正確に時を刻む。

アストレアはそれを聴きながら朝食の準備をしている。

 

ファミリアに加わったばかりのアリーゼは、下で動く物音で目を覚ました。

二階の窓から中庭を見ると、杏寿郎が独特のフォームで素振りをしている。

杏寿郎の実家に伝わる剣術と呼吸があるという話は聞いていた。けれども、じっくりと見るのはこれが初めてのことだった。

 

「きれい……。本当に炎みたい」

 

それは、憧憬。自分も近づきたい、ああいうふうに剣を振るいたいという根源的な想いだった。

その衝動に突き動かされるまま、アリーゼは階段を下りた。

 

「あら、アリーゼも起きたの? 朝ごはんにはもう少し時間がかかるから、顔を洗って待っていてね」

 

アストレアがキッチンから声をかける。

 

それに、「はい!」と答えながら、靴を履いて中庭に出る。

 

寝巻きのまま、赤い髪は寝癖で跳ねている。碧い瞳は、しかし、寝起きの眠たさとは無縁の、真剣な光を帯びていた。

 

「おはよう、アリーゼ。早いな」

 

アリーゼに気付いた杏寿郎が声をかける。

 

「杏寿郎」

 

呼び捨てだった。最初のうちは「杏寿郎さん」と呼んでいたのだが、いつの間にか敬称は取れていた。

 

「わたしに、剣を教えてほしい」

 

胸に生まれた熱に突き動かされるように、アリーゼは想いを叫んだ。

 

「わたしも、杏寿郎のようになりたい!」

 

「剣か」

 

杏寿郎は、アリーゼを見た。

まだ幼いといってよい容貌。手足は細く、身体もできあがっていない。主神の恩恵を受けたばかりで、ステイタスはすべてI-0。冒険者としては、生まれたばかりの赤子と変わらない。

 

しかし、その碧の瞳は熱を帯びていた。

正義への渇望。強くなりたいという、純粋な飢え。

杏寿郎が母に諭され、父に訓練を訴えたときと同じ。炎がアリーゼの内で燃えているかのようだった。

 

杏寿郎は、自分の刀を見た。

この刀は、母の教えを体現するための道具だ。弱き者を守るための、力の具現。それを、この少女に伝えることは――きっと正しい。

 

「分かった」

 

杏寿郎は、アリーゼの碧眼を見つめた。

 

「教えよう」

 

アリーゼの顔が、ぱっと輝いた。

 

「本当?」

 

「おそらくお前が【炎の呼吸】を習得することは難しいだろう。これは煉獄の者にしか使いこなせない。ただ、その基礎を学べば、そこからお前自身の剣の道を探すこともできる。修行は苦しいが、ついてこれるか?」

 

「望むところよ!」

 

アリーゼは、拳を握りしめた。

杏寿郎は、その姿に思わず笑みがこぼれた。

 

「よし。まずは着替えてこい」

 

「分かったわ!」

 

アリーゼは、飛ぶように部屋に戻っていった。

 

中庭に残された杏寿郎のもとに、アストレアが近づいてきた。手には、冷たい紅茶が入ったグラス。それを杏寿郎に差し出す。

 

「はい、デメテルからのお裾分けよ」

 

「ありがとうございます!」

 

清涼感のある冷たい紅茶は、鍛錬で熱を帯びた杏寿郎の身体を潤した。

 

「剣を教えることにしたのね」

 

「はい」

 

「嬉しそうね、杏寿郎」

 

アストレアは笑みを浮かべた。

その瞳は、いつものように穏やかで、いつものように鋭かった。神の目は、人の心の微細な揺れを見逃さない。

 

「そうでしょうか――いえ、たぶんそうだと思います」

 

杏寿郎は、アストレアの指摘に少し戸惑い、それから頷いた。

そう、これは弟子ができて嬉しいという感情なのだろう。

 

「あなたは、誰かを守ることに喜びを見出す子よ。でも、誰かに伝えることにも、同じくらい情熱を傾けられる子なのね」

 

「伝えること」

 

杏寿郎は、その言葉を胸の中で反芻した。

母が、自分に伝えてくれた。弱き者を助けることは、強く生まれた者の責務だと。あの教えが、今の自分を作った。

――ならば、自分もまた、誰かに伝えることができるのではないか。

 

母が自分に炎を灯してくれたように、自分もまた、誰かの心に炎を灯せるのではないか。

 

「……そうかもしれません」

 

杏寿郎は、深く頷いた。

アストレアは、微笑んだ。

 

「良い師弟になれるわ、あなたたちは。でも、ときどき私も混ぜてね?」

 

「よろしいのですか!? 恩恵込みでも、まだアストレア様には勝てる気がしません。本当に良い鍛錬になります!」

 

目を輝かせる杏寿郎を見て、本当に鍛錬の鬼ねとアストレアは笑った。

朝の涼風が、そんな二人を優しく撫でた。

 

 

 

訓練は、その日から始まった。

 

「剣の基本は、構えと足運びだ。振るのは、その後だ」

 

杏寿郎は、自分の構えを見せた。

 

「足は肩幅に開く。膝を僅かに曲げる。重心は、やや前。――腰を落としすぎるな。動けなくなる」

 

「こう?」

 

「もう少し左足を引け。……そうだ。その位置だ」

 

アリーゼは、見よう見まねで恐々と真剣を握り、構えを取った。

杏寿郎はその姿勢を点検していく。

 

「まだ力が入りすぎて、肩が強張っている。……そう、そのままだ。その構えのまま、百数えろ。動くな」

 

「ひゃ、ひゃく?」

 

「動くな」

 

アリーゼは、歯を食いしばって構えを維持した。

三十を過ぎた頃から、腕が震え始めた。五十を超えると、脚ががくがくと揺れた。七十で、涙が滲んだ。

 

「動くな」

 

杏寿郎の声は、厳しかった。しかし、冷たくはなかった。

 

「お前の体が覚えるまで、動くな。頭で考えるな。体に刻め」

 

「……はち、じゅう……きゅう……」

 

百を数え終えた瞬間、アリーゼは膝から崩れ落ちた。

 

「よくやった」

 

杏寿郎の声が、頭上から降ってきた。

 

「次は素振りだ」

 

「振り方は?」

 

「まずは、見ろ」

 

杏寿郎は、自分の刀を抜いた。

そして、一振り。たった一振り。

しかし、その一振りに、アリーゼは息を呑んだ。

 

空気が裂け、風が吹いた。上段から振り下ろされた刃は、僅かに弧を描き、加速した。単純な力任せの一撃ではない。体全体の連動が生み出す、合理的で美しい軌道だった。

 

「今のが、基本の一振りだ」

 

杏寿郎は、刀を鞘に収めた。

 

「腕の力で振るな。腰を使え。足で地面を踏みしめ、その力を腰に伝え、腰から腕へ、腕から剣へ。全身が一本の鞭になるように振るんだ」

 

「一本の鞭……」

 

「やってみろ」

 

アリーゼは、剣を構えた。

そして、振り下ろした。

ぶん、と不格好な音がした。腕に力が入りすぎて、軌道がぶれている。杏寿郎の一振りとは、似ても似つかない。

 

「もう一回」

 

アリーゼは、もう一度振った。

 

「もう一回」

 

もう一度。

 

「もう一回」

 

さらに、もう一度。

 

杏寿郎は、ただ「もう一回」と言い続けた。まずは、振ること。体が覚えるまで、振り続けること。

それこそが鍛錬の王道だった。

 

五十回を超えると、アリーゼの手に力が入らなくなった。百回を超えたころには、掌の皮が剥けて血が滲んだ。

 

「痛いわ!」

 

アリーゼは鬼のような師匠を睨みつけた。

もっと優しくしてくれてもいいじゃないかという恨みが視線にこもっていた。

杏寿郎は一顧だにしなかった。

 

「それでいい。動きを身体に覚えさせるんだ。考えなくとも動けるまでな」

 

それから、杏寿郎はアリーゼの手を取り、傷薬を塗り込んだ。

この程度であれば、ディアンケヒト・ファミリアで調達した傷薬で一瞬で癒える。

 

「明日もやるぞ」

 

「……分かった」

 

アリーゼは、手を握りしめた。

痛い。でも、やめない。

やめたら、また、何もできない自分に戻ってしまう。

あの日、路地裏で泣いていた自分に。

 

「二人とも、朝ごはんにしましょう!」

 

アストレアの柔らかい声が中庭に響いた。

 

 

 

それから十日後――。

アリーゼの訓練が最低限のレベルに達すると、杏寿郎はアリーゼをダンジョンの浅層に連れていった。

 

まずは一階層から四階層まで。出現するモンスターは、ゴブリンやコボルトといった最弱の個体だ。レベル2の杏寿郎にとっては、欠伸が出るほどの相手だが、レベル1のアリーゼにとっては、初めて対峙する命の危険だった。

 

「来るぞ」

 

杏寿郎が、前方の暗がりを指した。

 

壁からモンスターが生まれる。ダンジョンの壁が膨らみ、やがて、小柄な影が零れ落ちるように現れた。ゴブリン。醜い緑色の肌と、ぎょろりとした目。手には、粗末なナイフを握っている。

 

アリーゼの体が、強張った。

 

訓練とは違う。目の前の存在は、自分を殺しに来る。その事実が、頭ではなく、本能で理解された。心臓が早鳴りし、手のひらが汗ばむ。握り慣れてきたはずの鉄の剣が、やけに重く感じる。

 

「怖いか」

 

杏寿郎の声が、背後から聞こえた。

 

「……怖い」

 

「正直でいい。怖いと感じることは、正常だ。恐怖を感じなくなった時に、人は死ぬ」

 

杏寿郎は、背後に立ったまま、アリーゼの両肩にそっと手を置いた。

 

「俺は手を出さない。ただし、お前が死にそうになったら、助ける。だから、思い切りやれ」

 

「……うん」

 

アリーゼは、杏寿郎の温かく大きな手を感じながら、剣を構えた。

――この手の温もりがあるうちは、大丈夫。

自分にそう言い聞かせながら。

 

ゴブリンが、奇声を上げて突っ込んできた。

アリーゼの体は、考えるより先に動いた。足が地面を蹴った。杏寿郎に教わった通り、腰を落とし、重心を前に。

 

ゴブリンの動きは雑で、剣術の理も何もない。

アリーゼは一気に肉薄して、大きく振りかぶり――。

 

「――はあっ!」

 

剣を大上段に振り下ろし、ゴブリンの左肩から腰までを一刀両断にした。

ゴブリンは、一瞬だけ目を見開き、煙になって崩れた。魔石が、からんと音を立てて転がった。

 

「はぁはぁ……。倒した」

 

アリーゼは、自分の手を見た。

震えている。まだ実感が沸かない。

 

けれども――。

 

「倒せた……」

 

じわじわと、やれたという思いがこみ上げてくる。

 

「ああ。倒せた」

 

杏寿郎は隣にやってきて、呆然としているアリーゼの頭を優しく撫でた。

 

「初めてのモンスター退治だ。本当によくやった、アリーゼ。さすがは俺の弟子だ」

 

手のぬくもりを感じながら、アリーゼは振り返って杏寿郎を見上げた。

 

「……わたし、できたよね?」

 

「ああ、できた。鍛錬どおり、見事な一刀だった」

 

アリーゼの碧い瞳に、光が灯った。

――わたしにも、できる。杏寿郎と一緒なら戦える。

少女のなかで、紅い炎が目覚めようとしていた。

 

 

 

 

アリーゼが訓練を始めて一月ほどが過ぎた頃、杏寿郎は久しぶりにハシャーナのもとを訪れた。

 

「杏寿郎、久しぶりだな」

 

ハシャーナは、執務机から顔を上げた。

杏寿郎がガネーシャ・ファミリアで警邏の技術を学んでから、少し時間が経っていた。

サーラを救ったお礼としての合同巡回は終わっていたが、杏寿郎とハシャーナの間には、互いの力量と信念を認め合う確かな信頼があった。

 

「ハシャーナ。一つ、頼みがある」

 

「聞こう」

 

「うちに新しい団員が入った。アリーゼ・ローヴェルという、十二歳の少女だ。今、訓練をつけているが、実戦経験が圧倒的に足りない。ダンジョンの上層には連れて行っているが、それだけでは不十分だ」

 

ハシャーナは、黙って聞いていた。

 

「ガネーシャ・ファミリアの警邏に、アリーゼを同行させてもらえないだろうか。街の治安維持活動を通じて、モンスターとの戦いとは違う形で、この時代を生き抜く術を身につけさせたい」

 

この暗黒の時代、悪党や闇派閥との戦いは避けられない。

ましてや、アリーゼはアストレアの眷属である以上、向こうから目の敵にされる可能性もある。

ならば――少し早いが、対人でどう振る舞うべきかの基礎をガネーシャ・ファミリアと一緒に学んでほしい。

これが杏寿郎の考えであった。

 

「お前も、一緒に来るのか」

 

「もちろんだ。アリーゼの面倒は、俺が見る。迷惑はかけない」

 

ハシャーナは、顎に手を当てて考え込んだ。

杏寿郎がガネーシャ・ファミリアで修業した時のことを思い出していた。あの時も、杏寿郎は真摯に学び、最終的にはガネーシャの眷属たちから信頼を勝ち取った。

その杏寿郎が、自分の弟子を連れてきたいと言っている。

 

「断る理由はない」

 

ハシャーナは頷き、短く答えた。

 

「ただし、条件がある。警邏中は、うちの指揮系統に従ってもらう。お前個人の判断で動くことは許さない」

 

「承知した」

 

「それと、もう一つ」

 

ハシャーナの目が、柔らかくなった。

 

「アーディが喜ぶだろうな」

 

「アーディが?」

 

「お前のことをよく聞いてくるぞ。『杏寿郎はどうしてる?』と。うるさいくらいだ」

 

杏寿郎は、目を丸くした。

ガネーシャ・ファミリアでの巡回や訓練中、小さな青目青髪の少女がよくシャクティやハシャーナの傍にいたのを覚えている。

 

「年も近いから、お前の弟子とも気が合うかもしれん」

 

実際、まだ11歳のアーディにとって、同年代の友人は貴重だとハシャーナは思う。

ガネーシャの眷属は年上ばかりで、おまけにアーディは常に「シャクティの妹」として見られる。

対等な関係を築ける相手がいれば、アーディの成長にも良い影響があるだろう。シャクティもきっと賛成するに違いない。

親分肌のハシャーナはそんなことを考えていた。

 

「ありがたい。よろしく頼む」

 

杏寿郎は、頭を下げた。

 

 

 

翌日。

杏寿郎とアリーゼは、早朝からガネーシャ・ファミリアの本部に向かった。

アリーゼは、緊張しつつも、新しい環境にわくわくしていた。

ダンジョン以外で本格的に活動するのは、これが初めてだ。しかも、オラリオ最大級のファミリアの一つであるガネーシャ・ファミリア。そこの団員たちと一緒に、街の警邏をする。

 

「杏寿郎、わたし、頑張るね!」

 

本部の正面入口で、二人を出迎えたのはハシャーナだった。そして、その隣に――

 

「あ! 杏寿郎!」

 

小柄な少女が、杏寿郎に向かって駆け寄ってきた。

青い目は大きく、表情がころころと変わる。活発で、人懐こい雰囲気を纏っている。

 

「アーディ。久しぶりだな」

 

「杏寿郎は全然来てくれないんだもん。寂しかったよ」

 

アーディは、杏寿郎の腰に抱きつかんばかりの勢いで近づいた。

 

アーディの視線が、杏寿郎の背後に立つアリーゼに移った。

 

「あれ? この子、誰?」

 

「うちの新しい団員で、俺の弟子でもある。アリーゼ・ローヴェルだ」

 

「弟子? 杏寿郎の?」

 

アーディは、興味津々の目でアリーゼを見た。

 

アリーゼもまた、アーディを見た。

同じくらいの年頃の少女。ガネーシャ・ファミリアの見習いということは、自分と同じように、冒険者としての道を歩み始めたばかりの存在だ。

 

二人の目が交わった。

 

「品行方正で人懐こくてシャクティお姉ちゃんの妹で、君と同じレベル1のアーディ・ヴァルマだよ!よろしく!」

 

「わたし、アリーゼ・ローヴェル。杏寿郎の弟子で、アストレア様の二人目の眷属よ! よろしくね、アーディ!」

 

アーディの笑顔につられるように、アリーゼも笑った。

それは長く続く友情の、最初の瞬間だった。

 

 

 

 

その日の警邏は、北西区画の巡回だった。

アリーゼは、杏寿郎の隣を歩きながら、通りのあちこちをきょろきょろと眺めていた。

まだオラリオに来て日が浅いこともあって、アリーゼにとっては何もかもが新鮮だった。

全体的に雰囲気は暗いし、ボロボロの壁や空き家が目立つ。

 

そんなことを考えていると、横から声がかかった。

 

「アリーゼ」

 

アーディだった。

 

「ねえ、あそこの路地、見て」

 

アーディが指さした先は、大通りから一本入った狭い路地だった。

 

「何?」

 

「あの路地、昨日まで酒場の看板が出てたの。でも今日は、看板がない。それに、入口に荷車が置いてある。荷車で入口を塞いでるみたいに見えない?」

 

アリーゼは、目を凝らした。

 

確かに、路地の入口に大きな荷車が無造作に置かれている。通行の邪魔になっているが、それ以上に、路地の奥が見えないように配置されているようにも見える。

 

「それ、怪しいってこと?」

 

「分かんない。でも、昨日と違うことは、覚えておくんだよ。お姉ちゃんがいつも言ってる。『変化を見逃すな』って」

 

アリーゼは、感心した。

アーディは、まだ見習いだ。しかし、シャクティの妹として、幼い頃から治安維持の現場を間近で見てきた。その経験が、彼女の観察力を研ぎ澄ませているようだった。

 

「アーディはすごいね!」

 

自分よりも年下の少女が鋭いことに感動して、アリーゼはアーディの手をぎゅっと握りしめた。

 

「え? 別に普通だよ。こんなの」

 

アーディは、照れくさそうに笑った。

二人の距離が、また一歩、縮まった。

 

 

 

結果的に、荷車は近隣の商店が一時的に置いたもので、怪しい活動はなかった。

しかし、ハシャーナはアーディを褒めた。

 

「良い観察だ、アーディ。結果がどうであれ、変化に気づいたことが重要だ」

 

アーディは、嬉しそうに胸を張った。

 

その姿を見て、アリーゼは思った。

――この子は、自分と違う方法で、正義を学んで成長している。置いて行かれないように、もっと頑張らないと!

 

杏寿郎は、アーディに釣られるように、どんどん明るく快活になっていくアリーゼを眺めながら、ガネーシャ・ファミリアとの合同警邏は正解だったと思う。

アリーゼは頑張り屋だが、主神と杏寿郎との付き合いだけでは足りない。

もっと色々な人と触れ合って、刺激を受けて成長してほしい。友情を育んでほしい。

とくにアーディとの相性は抜群だ。きっと、この二人なら、ファミリアの垣根を越えて、親友と呼べるような仲になっていくだろう――。

 

 

 

杏寿郎とアリーゼは、週に三日ほど、ガネーシャ・ファミリアの警邏に同行するようになった。残りの日は、ダンジョンの上層での訓練と、『星屑の庭』での基礎鍛錬に充てた。

 

警邏の日は、自然とアリーゼとアーディが行動を共にすることが多くなった。

年齢が近く、共に敬愛する先達の背中を追いかけている少女同士。気が合わないはずがなかった。

 

「ねえアリーゼ、お昼何食べる?」

 

「んー、ジャガ丸くんがいい」

 

「あ、いいね! わたしも好き!」

 

最初は警邏の合間の雑談だったものが、次第に深い話へと移っていった。

 

ある日の休憩中、二人は大通りに面したベンチに並んで座っていた。杏寿郎とハシャーナは、少し離れた場所で巡回報告について話し合っている。

 

「ねえ、アーディ」

 

「ん?」

 

「アーディは、なんで警邏の見習いをしてるの? 別にシャクティの妹だからって、無理にガネーシャ・ファミリアで憲兵にならなくてもいいんでしょ?」

 

アーディは、足をぶらぶらさせながら答えた。

 

「お姉ちゃんが、街を守ってるから。わたしも、守りたいって思ったの」

 

「シャクティみたいに?」

 

「うーん、ちょっと違う。お姉ちゃんみたいに強く厳しくはなれないかもしれない。でも、わたしにできることは、あると思うの」

 

アーディは、行き交う人々を見つめた。

 

「お姉ちゃんは、悪い人を捕まえるのが得意。でもわたしは、みんなが笑顔で過ごせて、悪いことが起きないようにしたい。そういうのも、街を守ることだと思うんだ」

 

アリーゼは、黙って聞いていた。

 

「あとね」

 

アーディは、少し恥ずかしそうに言った。

 

「わたし、人と話すのが好きなの。巡回してると、いろんな人と話せるでしょ。おばあちゃんに道を教えたり、迷子の子どもを親のところに連れてったり。そういうことが、好きなんだ」

 

「そうなんだ……」

 

「変かな」

 

「変じゃないよ!」

 

アリーゼは、首を振った。

 

「わたしは、正義が何なのか知りたくて、強くなりたくてここに来た。でも、アーディの話を聞いてると、それだけじゃ足りないんだなって思う」

 

「え?」

 

「悪い奴をぶっ飛ばすのも大事だけど、その前に、困ってる人に気づいてあげることも大事だよね。わたし、そういうの、全然できてなかった」

 

アリーゼは、自分の手を見た。まめだらけの手。剣の訓練で硬くなった手。

 

「わたしは、杏寿郎に剣を教わってる。でも、アーディは、わたしに別のことを教えてくれてるわ」

 

「わたしが?」

 

「うん! わたしの知らない正義の形を」

 

アーディは、目を丸くした。そして、照れくさそうに笑った。

 

「なにそれ。大げさだよ、アリーゼ」

 

「大げさじゃないよ」

 

アリーゼは、アーディの手を取った。

 

「ねえ、アーディ。わたしたち、友達になろう」

 

「え、もう友達じゃないの?」

 

「うん、もう友達だけど、もっともっと!」

 

「変なの」

 

二人は、顔を見合わせて笑った。

 

 

 

「良い関係だな」

 

ハシャーナが、杏寿郎の隣で言った。

 

「ああ」

 

杏寿郎は、頷いた。

 

「アリーゼは、剣の訓練では覚えられないことを、アーディから学んでいる。ありがたいことだ」

 

「アーディも同じだ。あの子には、同年代の友人がいなかった。いつも大人に囲まれて、『団長(シャクティ)の妹』として見られている。アリーゼは、数少ない本物の友人なのだろう」

 

ハシャーナの声は、いかつい体格に似合わないくらい穏やかだった。

 

その後も、二人の友情はますます深まった。

 

二人は、警邏の日は常に並んで歩き、休憩中は互いの話を聞き、巡回後は一緒に屋台でジャガ丸くんを頬張った。

杏寿郎がガネーシャ・ファミリアに同行して中層に潜っているときは、サーラをお目付け役に、一緒に上層を探索した。

アリーゼが剣の訓練で手にまめを作れば、アーディが薬を塗った。アーディが足をくじけば、アリーゼが背負って歩いた。

 

 

 

アリーゼの成長は、杏寿郎の予想を超えていた。

 

ダンジョンに潜るようになって二ヶ月。

ステイタスは大きく伸び、剣の腕も日に日に上達している。まだ荒削りだが、基本の素振りに迷いがなくなり、構えが安定してきた。

四階層までは、一人で危なげなく対処できるようになっていた。

 

 

 

全てが順調だった。

だからこそ――。

暗黒期の悪意は、正義の眷属に牙を剥いた。

 

アリーゼがアストレア・ファミリアに加わって4か月が過ぎようとしていたころ。

 

その日は、いつもと変わらない警邏の日だった。

杏寿郎、アリーゼ、そしてハシャーナとアーディ。ほかには、ガネーシャの眷属が二名。計六名で、午前中の巡回を終え、午後はダンジョンの上層の巡回に向かうことになっていた。

 

ダンジョン上層の巡回もまた、ガネーシャ・ファミリアの任務の一つだった。

闇派閥が新人冒険者を襲撃する事件が後を絶たなかったし、禁制品の受け渡しに使われているとの噂もあった。

オラリオの治安を守る憲兵としては無視できず、ときおり巡回をしていたのである。

 

「今日は九階層まで見回りをする。アーディ、アリーゼ、班の中央を歩け。先頭と最後尾には出るなよ」

 

ハシャーナの指示は、いつも通り的確だった。

 

六名は、ダンジョンに入った。

 

モンスターの出現は平常どおり。壁から生まれるゴブリンやコボルトを、ガネーシャのレベル1の団員たちが手際よく処理していく。

杏寿郎も、モンスターをアリーゼに任せた。

 

五階層に差し掛かったとき、杏寿郎の体が本能的に強張った。

ダンジョンの壁から染み出す魔物の揺らぎとは異なる、別種の殺意――。

旅の途中で何度も感じた、薄汚れた賊の気配だった。

 

「ハシャーナ」

 

杏寿郎は、低い声で言った。

ハシャーナも、同時に気づいていた。

 

「分かっている。全員、停止。警戒態勢」

 

六名が立ち止まった。

 

五階層の広い通路。光苔が、青白い光で周囲を照らしている。

前方の通路は二股に分かれ、右は六階層への道、左は行き止まり――。

 

「右の通路、数名。左の広間、五名以上」

 

杏寿郎は、囁くように言った。常人には感じ取れない気配を、彼は正確に読み取った。

 

「かなりの数だな」

 

ハシャーナの声は、冷静だった。

暗黒期のオラリオにおいて、闇派閥は治安維持を担うファミリアを目の敵にしていた。

特に憲兵として取り締まりの最前線を担っていたガネーシャ・ファミリアは、多くの殉職者を出している。

ハシャーナにとって、闇派閥の襲撃は慣れたものとは言わないまでも、たまにある出来事だった。

 

杏寿郎がいつでも刀を抜けるよう、腰を落として構えていると――。

沈黙は、唐突に破られた。

 

左の広間から、黒い貫頭衣を纏った多くの人影が飛び出してきた。同時に、右の通路からも。

 

「来たぞ!」

 

杏寿郎は、刀を抜いた。

 

闇派閥の構成員たちは、いずれも邪神の眷属だ。

恩恵を受け、ダンジョンで経験を積んだ者たち。その実力は、最低でもレベル1の上位、数名はレベル2かそれ以上の強者の気配を漂わせていた。

 

「ガネーシャの番犬どもめ! まとめて始末できるとは、運がいい」

 

先頭の大男が、大剣を構えて、嗤った。

 

「杏寿郎、右は任せた! 他の者は俺を中心に左に対処する。アーディとアリーゼは絶対に前に出るな!」

 

ハシャーナは低い声で叫んだ。

 

「分かった!」

 

杏寿郎は、右の四名の敵に向かって駆け出した。

剣や槍の構えから、まともな武術を学んでいないことが分かる。

人を襲うことが多い闇派閥のくせに、賊らしい無手勝流で隙も多い。

 

――邪神の恩恵で得られたステイタスで、弱者をいたぶることしかできない三下だ。

 

「【心を燃やせ――炎の呼吸】」

 

深く鋭く息を吸い込むと、炎が杏寿郎の刀と身体を覆う。

五階層の青白い光苔が、赤い炎に照らされて揺れた。

 

「うおおおおお」

 

杏寿郎の炎を恐れたのだろうか。

無駄に大きな雄たけびを上げながら、男たちがろくに連携もとれずに突っ込んでくる。

 

――こちらをさっと片づけてハシャーナに加勢する。

 

「壱ノ型――不知火」

 

杏寿郎は、大きく息を吸い込み、跳躍する。

 

「は!?」

 

その速さについていけずに、間抜けた声をあげる男に突進し――。

袈裟斬りに一閃。

 

防御の構えすら満足に取れない男の胴を一気に薙いだ。

相手を殺さないギリギリの手加減で、切り捨てる。

 

「なんだと!?」

 

まったく反応できなかった三名が、目に見えて動揺する。

それでも、彼らは数の利を活かして、杏寿郎を囲もうとする。

 

――囲まれる前に潰す。

 

杏寿郎は、息を吸い込むと、左から槍を突き出そうと構えた男のほうに向きなおり。

一瞬で間合いを詰めると、目標を失った槍ごと男を下から上に斬り上げた。

 

「があああ」

 

悲鳴をあげながら、炎に焼かれる男を見向きもせず、右後方に向きなおる。

 

剣を大きく振りかぶって、男が突っ込んでくる。

一瞬で仲間を二人もやられたことに、恐れと動揺が見られる。

胴ががら空きだった。

 

杏寿郎は、腰の捻りを入れて、炎をまとった愛刀を横一文字に振る。

吹き飛ぶ男に見向きもせずに、短剣を握ったまま立ち竦む最後の一人に向きなおる。

 

慌てた男が、短剣を投げて逃げようとするのを許さず、一瞬で間合いを詰めて背中から斬り捨てた。

 

ハシャーナたちのほうに加勢しないと――。

 

そう思って、本隊のほうを振り返ると。

 

「ハシャーナ!!」

 

アーディの悲鳴が響いた。

 

見れば、ハシャーナが左わき腹を抑えてよろめいている。

真ん中の大男が勝ち誇ったように、雄たけびを上げた。

 

「これで【剛拳闘士】も終わりだなぁ!」

 

ガネーシャ・ファミリアの残りの眷属も数の不利に押されて劣勢。

 

「あんたたちに負けないわ! 杏寿郎が来てくれるんだから!!」

 

アリーゼはガネーシャ・ファミリアの二人を突破してきた闇派閥の男と切り結んでいる。

その構えにも、少なからず動揺が見られた。

それも当然だ。武家の子女でもない十二歳の少女が、人間から殺意を向けられて平静でいられるはずもない。

 

それでも――。

あれならアリーゼは大丈夫だ、と杏寿郎は判断した。

相手に剣技と呼べる術理がないのも理由の一つだが、アリーゼの身体は訓練通りに反応できていた。

ステイタス面でそれほどの違いがないなら、あとは鍛錬で培った技量と精神力がものを言う。

そして、弱い少女をいたぶるつもりで、隙だらけの剣をふるった闇派閥の男に、そんな精神力があるはずもなかった。

 

「はああああ!」

 

鍔迫り合いを巧みにいなすと、アリーゼは体幹が流れて構えが乱れた男に剣を向け。

思い切り低い姿勢で突進して、飛び上がりながら真下から胴を斬り上げた。

 

「昇り炎天!!!」

 

もちろん炎は出ないし、呼吸もできていない。

いや、そもそもどちらも習ってすらいない。

だが、間違いなく型は昇り炎天に似ていた。

斬られた男が苦悶の呻き声をあげながら、倒れる。

 

「なんだと!? このガキ、手ごわいぞ」

 

ガネーシャの団員相手に攻めよせていた闇派閥の男たちが動揺する。

 

「うろたえるな!」

 

大柄な男が吠え、劣勢のハシャーナを力任せに両断しようとする。

 

アリーゼの救援は不要。まずは、あの男を何とかする――。

 

杏寿郎は素早く判断すると、大きく息を吸い込んで、刀を握りしめた。

 

「【炎の呼吸】――伍の型・炎虎!」

 

杏寿郎を包む炎が虎を形どり、ハシャーナに止めを刺そうとする大男に向けて突進する。

 

「なに!?」

 

男は動揺して、慌てて杏寿郎の突進を受け止める。

とはいえ、勢いに乗った虎の突撃を受け止めるには、構えが中途半端だった。

杏寿郎は、相手の大剣ごと炎で押し切る。

男は壁まで吹き飛ばされ、大きな地響きと土煙が巻き起こった。

 

「ルー様!?」

 

「そんな、ルー様はレベル3だぞ! あんな小僧ごときが!?」

 

闇派閥の男たちが動揺した声をあげる。

 

「ハシャーナ、あの男は俺がやる。ポーションで傷を回復して、残りの闇派閥を倒せ!」

 

杏寿郎は後ろを振り返りもせずに、叫んだ。

 

「なに!? ……お前ひとりでは厳しいぞ」

 

ハシャーナの力には声がなかった。

一対一の戦いで相手に完封されたのだ。無理もなかった。

 

「それでもだ。今の傷ついたお前では、あの男には立ち向かえない。このパーティは、煉獄の赤き炎刀が守る。誰も死なせはしない!」

 

そう言いつつ、男が吹き飛んだ壁を注視した。

一撃を入れたとはいえ、手応えはなかった。闇派閥が叫んだようにレベル3だというのなら、いくら炎虎とはいえ、一撃で倒せるはずはない。

 

「うおおおおお!」

 

土煙を吹き飛ばしながら、獣じみた怒声とともに、男が姿を現した。

大剣を握りしめ、肩を怒らせながら歩みよってくる。

その重圧は重く、杏寿郎の頬を汗が流れた。

――強い。

 

「てめえはどこのどいつだ!? ガネーシャの糞野郎どもに、こんな炎を使う奴がいるとは聞いたことがねえぞ!」

 

男が吠えた。

 

「俺は煉獄杏寿郎。アストレア様の眷属だ!」

 

杏寿郎は気圧されまいとして、叫び返した。

 

「アストレアァ? ああ、あの正義を掲げているとかいうゴミどもか」

 

男は嘲笑うと、凶悪な相貌に歪んだ笑みを浮かべた。

 

「てめえをぶっ潰したあと、後ろの女子供を嬲ってやろう。お前は、無力を噛みしめながら、正義がクソの役にも立たないことに絶望して、死にやがれ。ヒャハハハ!!!」

 

男の哄笑につられたように、残りの闇派閥も汚い嗤い声をあげる。

 

杏寿郎は深呼吸をしながら、呼吸を整えた。

 

――いま、ここで自分が倒されたら、弱ったハシャーナでは奴を食い止められないだろう。そうなれば、アリーゼとアーディは蹂躙される。

いつだって、悪党は弱い者を穢し、嬲り、食い物にする。卑怯者どもだ。

 

団長として、師として、正義を信じて頑張り続けるアリーゼに、そんな絶望を味わわせる訳にはいかない。

 

「俺は煉獄杏寿郎。俺が守ると言った以上、炎に誓った以上――その誓いは絶対だ!」

 

背中の神血が熱く脈動する。吸い込んだ呼吸が炎となって身体をめぐる。

アリーゼがいる。アーディがいる。守るべき者がいる。

 

「【炎の呼吸】――」

 

刀を右肩に振りかぶり、身体を限界まで捻る。

突進の構え。

 

「なんだ、もう決めるつもりか!? 来てみろよ、真正面からひねりつぶしてやるぜ!」

 

男はレベルの差、ステイタスの差にモノを言わせて受け止めるつもりのようだった。

しかし、もはや杏寿郎にはそんなことは関係なかった。

限界まで剣気を高める。

 

「奥義――【煉獄】!!」

 

限界まで引き絞られた弓から放たれた矢のごとく、杏寿郎が駆ける。

身に纏う炎は、龍をかたどり、敵を焼き尽くさんと顎を広げる。

広い範囲を抉り切り、焼き切る煉獄家の秘奥が、恐るべき熱を放ちながら通路を駆け抜ける。

 

「俺はレベル3だぞ!!」

 

男が叫びながら突き出した大剣を、炎の龍が食い破り――。

そのまま男を両断し、焼き切った。

爆発と閃光がダンジョンを揺るがし、その爆風はポーションを振りかけて戦線に復帰しようとしたハシャーナを飲み込み。

闇派閥の男たちは動揺したように、戦闘を中止して、そちらを振り向き。

奮闘するアリーゼとアーディの視界を遮った。

 

「杏寿郎!?」

 

アリーゼは、悲鳴とも祈りともつかぬ声をあげた。

師匠のことは信じている。けれども、相手はレベル3のハシャーナでさえ負けた強者。

 

「勝って……!!」

 

万感の思いを込めながら、爆炎が収まるのを待つ。

 

すると――。

大きな炎のなかから、人型の炎が分かれ、姿を現した。

杏寿郎だ。

 

「杏寿郎!!」

 

杏寿郎が生き残ったという安堵。救ってもらったという喜び。格上を圧倒する気高い炎と絶技を目撃した高揚感――。

感情がぐちゃぐちゃになって胸中から溢れ、アリーゼは杏寿郎に抱き着き、抱き締められたいという思いを抑えられなくなった。

 

「まだ生き残りがいるぞ! 一気に抑えこめ!」

 

杏寿郎の鋭い命令が、浮足立ったアリーゼの気持ちを押しとどめる。

――そうだった。

まだ敵がいる。杏寿郎の弟子として、同じファミリアの一員として、不甲斐ないところは見せられない。

 

「そ、そんな。ルー様がやられるなんて……」

 

「て、撤退だ!」

 

闇派閥が逃げ腰になった瞬間、アリーゼは突進した。

 

「弱い者をいたぶる闇派閥が!! 私は杏寿郎の弟子、アリーゼ・ローヴェル! あんたたちは逃がさないっ!!」

 

炎は纏えない。呼吸も使えない。

でも、毎日、杏寿郎が見せてくれた太刀筋、手取り足取り教えてくれた踏み込み、呼吸のタイミング。

それどおりに、戦闘に身が入らない闇派閥を次々に斬り捨てる。

 

「よくやった、杏寿郎! それに、アリーゼも! 後は任せろ!」

 

復活したハシャーナが残党を一掃したことで、闇派閥は全滅した。

 

 

戦場が落ち着くと、傷の手当もそこそこに、アリーゼは杏寿郎の胸に飛び込んだ。

 

「杏寿郎! 本当にすごかった。わたし、決めたわ! わたしも、いつか杏寿郎みたいになる。一緒に戦えるようになる。だから……ずっと一緒にいてね!」

 

アリーゼが胸にぐりぐりと頭を擦りつけてくる。

その重みを感じながら、杏寿郎は、アリーゼの紅髪を撫でて、そっと抱きしめた。

 

「アリーゼ、怪我はないか? お前もよくやった! 頑張ったな!!」

 

「うん! うん!! 大丈夫だよ。杏寿郎が戦っていると思ったら、私の心まで燃えたの! バーニングって感じだった!!」

 

杏寿郎に抱きしめられて嬉しいのか、アリーゼの腕に力が籠った。

 

 

抱き合う二人をよそに、ガネーシャ・ファミリアの団員は闇派閥を素早く捕縛していた。

杏寿郎の奥義で燃え尽きた首領のルー以外のメンバーは傷を負いながらも生き延びているようだった。

 

「ねえ、ハシャーナ。私たちは何を見せられているんだろうね??」

 

アーディは、身体を張って自分を守ってくれたファミリアの仲間を治療しながら、つぶやいた。

 

「まあ、二人きりのファミリアだと絆も深いからな。アーディ、お前もよくやったぞ」

 

ハシャーナも、アーディの薄い青髪を大きな手で撫でた。

 

「!!」

 

子犬のように喜ぶアーディを横目に、ハシャーナは思う。

自分が手も足も出なかった敵の首領を圧倒する炎のエンチャントと技量。

杏寿郎もアストレア・ファミリアも、今はまだそこまで名が知られていないし、闇派閥からも侮られている。

けれども、良くも悪くも、双方の見方は変わるだろう――。

 

様々な派閥や市民からすれば、頼りになる味方として。闇派閥からすれば、倒すべき敵として。

 

――これからが大変だぞ、杏寿郎。

 

そう思いながら、ハシャーナは熟練の冒険者として、手早く撤収に向けた作業を進めた。

 

 

 

その夜。

杏寿郎とアリーゼは仲良く、ヘファイストス・ファミリアの売店でアストレアと合流し、帰宅した。

 

アストレアは、闇派閥の襲撃や二人の活躍を聞くと、ステイタスの更新を提案した。

 

「あなたたち、二人とも、きっと成長しているわ」

 

最初に、アリーゼがアストレアの寝室に入った。

 

「アストレア様、お願いします!」

 

そう言って、上半身の服を脱ぎ、寝台に腰を下ろす。

アストレアは、その華奢な背中に神血を垂らすと、ステイタスの更新を始めた。

 

アリーゼの背中に現れた神聖文字を読み取りながら、アストレアは驚きの声をあげた。

 

「アリーゼ、あなた、本当に成長しているわ」

 

「あ、やっぱり! 今日は本当に大変な思いをしたんですから!」

 

アリーゼは、ダンジョンでの興奮を引きずりながら、元気に叫んだ。

 

「ええ、力と敏捷がDを越えている。条件さえ整えばランクアップできるところまで来ているわ」

 

「ランクアップ!」

 

アリーゼは目をきらきらさせた。

 

「ええ、ただステイタスはもう少しあげてからのほうが、ランクアップした後の力になるわ。それに――『偉業』も果たさないと」

 

「あ、その話は聞いたことがあります。杏寿郎も、ギリギリまでステイタスをあげていたんですよね」

 

諭すようなアストレアに、アリーゼも微笑んだ。

 

「ええ、そうね。……それと、アリーゼ」

 

「何でしょう?」

 

「あなたに新しいスキルが発現しているわ」

 

「え? わたしに?」

 

「ええ。名称は、【正炎継子】」

 

「【正炎継子】」

 

アリーゼは、その名をおうむ返しに繰り返した。

継子。杏寿郎が、極東の言葉として教えてくれた。師匠の技と心を受け継ぐ者。

 

「このスキルの効果を説明するわね」

 

アストレアは、優しく言った。

 

「【正炎継子】は、師と認めた者の恩恵の力と共鳴し、その者の近くにいる時、全アビリティに補正がかかるスキルよ。それと……これは絶対に誰にも言ってはダメよ。師から学ぶとき成長速度が上昇するわ」

 

「師と認めた者……杏寿郎のこと?」

 

アリーゼは、思わずと言った表情で後ろを振り向いて、アストレアを見つめた。

 

「ええ。あなたが杏寿郎を師と認め、慕い、その背中を追いかけている限り、効果は続くわ。きっと、あなたの想いと杏寿郎との絆がスキルになったのね」

 

アリーゼは、胸に手を当てた。

 

――自分の中に、新しい力が灯っている。

それも、杏寿郎の二つ名と同じ、正しい炎の名を冠したスキルだった。

 

「アストレア様、わたし……。本当に、本当にうれしいです!」

 

そういうや、アリーゼは素早く服を着て、アストレアの寝室を飛び出した。

 

「杏寿郎!」

 

ダイニングルームで刀の手入れをしていた杏寿郎が、振り返った。

 

「どうした、アリーゼ」

 

「わたしにも、スキルができたわ! 【正炎継子】! 杏寿郎の力を受け継いで、成長できるスキルだって!!」

 

アリーゼの顔は、輝いていた。

スキルの直接的な効果よりも、敬愛する杏寿郎の二つ名を宿したスキル名が嬉しかった。

まるで神の恩恵が、この師弟関係を認めてくれたかのようだった。

 

杏寿郎は驚き、そして笑った。

 

「そうか。【正炎継子】か」

 

「うん。わたしが杏寿郎の継子だって、神様も認めてくれたんだね! さすが、わたし!」

 

「ああ。素晴らしいことだ。頑張ったな」

 

杏寿郎は、刀を鞘に収めて、駆け寄ってきたアリーゼの頭を撫でた。

大きな手で撫でられたことで、アリーゼは今日一日の興奮と疲れと感動で茹だった頭のまま、杏寿郎に抱き着いた。

 

「むふー」

 

アリーゼが、満足そうに蕩けた声をあげていると。

 

「あらあら――。これでは、師弟というより兄妹ね」

 

アストレアがアリーゼに続いて寝室から出てきた。

 

「そんな、アストレア様! 杏寿郎と同じくらい炎を宿した、絶世の美少女の妹だなんて!!」

 

アリーゼが照れたように叫ぶ。

 

「そこまでは言っていないわよ……」

 

アストレアは少し困ったような笑みを浮かべた。

しかし、未だ眷属は二人しかおらず、突っ込み役は不在だった。

 

杏寿郎は大まじめにうなずいた。

 

「アストレア様! たしかに、妹がいたらこんな感じだったのかもしれないですね!」

 

「ほんと!? 杏寿郎もそう思う?」

 

アリーゼはガバっと身を起こした。

 

「それなら、これからはお兄様って呼んでいい?」

 

目をキラキラさせながら詰め寄るアリーゼに、

 

「うむ。いいとも! 俺を兄と呼ぶが良い、アリーゼ」

 

杏寿郎は破顔した。

アリーゼは、感極まったように、再度、杏寿郎に抱き着いた。

 

「ふふ。兄妹の仲を深め合うのも良いけれど、先に杏寿郎の更新を済ませましょうか」

 

アストレアが割って入った。

 

「はい、お願いします!」

 

杏寿郎は、名残惜しそうな顔をしたアリーゼから離れ、アストレアに続いて寝室に入った。

手際よく服を脱ぎ、アストレアに背中を向けて座ると、アストレアが神血を垂らして、浮かび上がった神聖文字を読み取っていく。

 

「杏寿郎」

 

アストレアは、ステイタスを紙に写し取りながら声をかけた。

 

「はい」

 

「あなたのアビリティ、凄まじい伸びよ。特に力と敏捷が、Bランクに達している。他のステイタスもCよ。あとは『偉業』さえあれば、文句なくランクアップできそうね」

 

杏寿郎のスキルと日々の努力を知るアストレアからすれば、成長速度に違和感はなかった。

また他の神々からやっかみを受けるかもしれないが、そんなことは些事だ。

それよりも――。

 

「そして――」

 

アストレアの声が弾んだ。

 

「あなたにも、新しいスキルが発現しているわ」

 

「スキルですか!?」

 

杏寿郎は、身じろぎした。

アストレアは、神聖文字を丁寧に読み解いた。

 

「名称は、【正炎承導】」

 

「【正炎承導】」

 

「効果は、三つ」

 

アストレアは、一つずつ読み上げた。

 

「一つ目。器力共鳴。発現者の器――つまり、あなたの恩恵の力が、周囲の仲間と共鳴する」

 

「共鳴ですか!?」

 

おうむ返しに声をあげるしかない杏寿郎に、アストレアは読み上げを続ける。

 

「二つ目。発現者の一定範囲に存在する、同じ神の恩恵を受けた眷属――つまり私の眷属に、『力』と『耐久』の加算補正がかかる」

 

「おお、素晴らしいですね!」

 

杏寿郎は嬉しそうに笑った。

 

「三つ目。発現者が同じ神の眷属を指導する時、その対象の成長に補正がかかる」

 

「えっ!?」

 

ここで初めて、杏寿郎は少し考えこんだ。

 

「つまり、俺がアリーゼを教える時、アリーゼの成長が早くなる、ということですか」

 

「ええ。そして、あなたの近くにいるだけで、アリーゼの力と耐久が底上げされる」

 

アストレアは、杏寿郎を見た。

 

「杏寿郎。このスキルは、きっとあなたの本質を映し出しているわ」

 

「俺の本質ですか?」

 

「あなたは、きっと一人だけで強くなりたいのではないのよ。仲間を強くして、仲間と一緒に強くなりたいのよ。守り、導き、育て、継がせたい。その想いが、このスキルの形になったに違いないわ」

 

杏寿郎は、自分の手を見た。

母が、自分に炎を灯してくれた。

そして、今度は、自分がアリーゼに炎を灯そうとしている。

その想いが、スキルという形で世界に認められた。

 

「……ありがたいことです。アストレア様にいただいたこの力、決して無駄にはしません」

 

杏寿郎は、アストレアのほうを向きなおり、誓うように拳を握りしめた。

アストレアは杏寿郎の両頬に手をあてて、顔を近づけた。

 

「違うわ、杏寿郎。このスキルは、あなたの想いとアリーゼとの絆から生まれたもの。あなたがお母様から受け継いだ炎はやがてアリーゼに受け継がれる。炎は巡るのよ――。

だから、無茶はダメよ。もうあなたは一人じゃないの。アリーゼがあなたを待っているし、眷属も増えていくでしょう。それに何より――」

 

アストレアは立ち上がって、座っている杏寿郎をそっと抱きしめた。

 

「私も待っているわ」

 

杏寿郎の頭をそっと撫でながら、アストレアは続ける。

 

「レベルが上の敵の首領相手に無茶をしたそうね。もちろん、そうしなければ仲間を守れないと思ったら、あなたはいつでもそうするでしょう。それが、あなたの心のありかた。でも、決して忘れないでね。もしあなたの身に何かあったら、哀しむ者は少なくないわ」

 

「はい」

 

アストレアの胸に包まれていると、昔、病床の母に抱きしめられた記憶が蘇った。

今の杏寿郎の原点、すべての始まりのあのときのことを――。

 

「強く優しい子の主神(おや)になれて、私は幸せよ」

 

アストレアは、そっと声をかけた。

 

――『強く優しい子の母になれて幸せでした。あとは頼みます』

 

「はい!」

 

――母上、アストレア様。私はここまで来ました。

 

杏寿郎の目尻から涙が零れた。

その思いのまま、アストレアのたおやかな腰に手を回し、そっと抱きしめた。

 

 

宵闇が包む『星屑の庭』に、二つの炎が揺れていた。

 

一つは、大きくて力強い炎。

一つは、小さくて、まだ頼りない炎。

 

しかし、その色は同じだった。

正しさを求め、弱き者を守り、決して消えない、真紅の炎。

 

師と弟子。兄と妹。主神(おや)眷属()

正炎の絆に結ばれた魂が、共に燃えていた。

宵闇を輝く美しい星々の煌めきのように。

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