ダンジョンに炎柱がいるのは間違っているだろうか   作:kursk

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アストレアの双炎

それから三ヶ月――。

 

季節が一つ移ろう間に、アリーゼは杏寿郎の予想をはるかに超えて成長し続けた。

 

アリーゼの日課は、夜明けとともに『星屑の庭』の中庭に立つことから始まる。

杏寿郎と並んで素振りをする。数百回だった素振りは数千回に増え、それとともに剣を振り下ろす軌道には迷いがなくなった。

杏寿郎との打ち合いでは、指導を受けるたびに、反応が早くなり、間合いが上手くなった。

 

「アリーゼ、ステイタスが大きく伸びているわ。敏捷がA、力がB、耐久がDまで上がっている」

 

週に一度のステイタス更新のたびに、アストレアは驚嘆の声を漏らした。

 

【正炎継子】と【正炎承導】――師弟の絆から生まれた二つのスキルが共鳴し、アリーゼの成長は常識の枠から解き放たれた。

 

 

 

ダンジョンでの立ち回りも飛躍的に洗練された。

半年前にゴブリン一匹に身体を強張らせていた少女は、今やオークやインプの群れを簡単に捌けるまでになった。

杏寿郎から受け継いだ剣の基礎が、アリーゼの身体と魂に深く根を下ろしつつあった。

 

それでも――アリーゼの胸には、満たされない渇きと焦りがあった。

自分には届かないものの姿が、鍛錬を重ねるほどに、くっきりと浮かび上がってくるのだ。

 

杏寿郎が使えて、アリーゼが使えないもの――それは、炎のエンチャントだった。

 

 

ある夜のこと。

ダンジョンの中層から帰還した杏寿郎が、中庭で刀の手入れをしていた。

砥石の上を刃が滑る、かすかな音。規則正しく、一定の間隔で、ジョリ、ジョリという音が静かな夜に溶けていく。

月明かりの下、刃を磨く杏寿郎のもとに、アリーゼがやってきた。

湯上がりの紅い髪が、夜風にゆれている。

 

「お兄様」

 

ふだんは快活な碧の瞳が、この夜ばかりは沈んでいた。

 

「どうした、アリーゼ。もう寝る時間だぞ」

 

アリーゼは、いぶかしげな杏寿郎の問いかけに答えず、黙って隣に腰を下ろした。中庭の石畳がひんやりと冷たい。

 

「わたしも、炎が使いたい」

 

静かに、訥々とした調子で、アリーゼは言葉を絞り出した。

今、この瞬間に湧き上がった衝動ではない。何日も、何週間も、胸の内で煮詰め続けてきた想いが声になったものだった。

 

杏寿郎は砥石の上で刃を滑らせる手を止めて、アリーゼを見た。

 

月明かりに照らされた少女の横顔は、もう自分がアストレア・ファミリアに迎え入れたときの幼い顔ではなかった。

アストレアが作る栄養豊富な食事や、充実した鍛錬や実戦を通じて、身体は急速に女性らしく成長しはじめた。うっすらと日に焼けた頬は見る者に健康的な印象を与え、義兄や親友との交流を通じた精神的な成長は、幼い少女を咲きかけの蕾へと変貌させた。

何より、碧い瞳の奥に宿る消えない熱が、不思議な魅力を放っていた。

いつの間にか、アリーゼは美少女――それも絶世の――と呼ぶに相応しい相貌を備えるようになっていた。

 

 

「お兄様が戦うとき、炎が刀を包んで、通路を焼いて、敵を薙ぎ払うわ。あの炎を見るたびに思うの。わたしも、ああなりたいって」

 

「アリーゼ」

 

「うん、分かってるわ。【炎の呼吸】はお兄様の血筋にしか使えない。私とお兄様は本当の意味で血のつながった兄妹にはなれないって」

 

そう言って、アリーゼは自分の手を見た。

まめだらけの手。毎日の素振りで硬くなった指。

この手は、杏寿郎の教えを再現できるようになった。足運びも、腰の回転も、体幹の使い方も、今までとは段違いに滑らかになった。そんな自覚はある。

 

――けれども。

 

「でも、わたしの中にも炎があるの。お兄様が灯してくれた炎が」

 

アリーゼは、自分の胸に手を当てた。

 

「お兄様の炎に憧れて、追いかけて、わたしのスキルの名前にまで正炎が刻まれた。なのに、わたしの剣からは何も出ない。同じように振っても、同じように踏み込んでも、わたしの刃は冷たいまま。それが悔しくてたまらないの」

 

アリーゼの碧い瞳が、夜の静寂の中で揺れていた。

杏寿郎は、その瞳を見て、昔の自分を思い出した。

父の炎を見上げていた幼い日。あの燃え盛る刀が、世界で一番美しいものだと信じて疑わなかった日。

そして、母が病床で教えてくれた、炎の意味を。

 

「アリーゼの気持ちは分かる」

 

杏寿郎はアリーゼの頭に手を置いた。

アリーゼは黙ったまま身体を預けてくる。

 

「俺も、父上の炎を見て、いつか自分もああなりたいと思った。何度も何度も、届かない背中を追いかけた。だから、アリーゼがそう感じる気持ちは、尤もだと思う」

 

「でも!」

 

「ただ、忘れないでほしい。お前の道は、俺の道とは違う」

 

杏寿郎は、鞘に収めた刀を膝の上に置いた。月光がその鞘を白く照らしている。

 

「俺の炎を模倣するのではなく、お前自身の炎を見つけろ。型を真似るのはいい。むしろ、真似ることは学びの根幹だ。だが、魂まで借り物にする必要はない」

 

「自分の炎……」

 

「そうだ。アリーゼの中で燃えている炎は、もう俺のものではない。俺がきっかけを与えたかもしれない。だが、それを燃やし続けているのはお前自身だ。お前自身の想い、お前自身の魂だ。それを信じてほしい。そうすれば、いつか、それはアストレア様の神血を介して、スキルや魔法となって現れる」

 

アリーゼは、膝を抱えた。

杏寿郎はアリーゼの肩をそっと抱き寄せた。

夜風が吹いて、肌寒かった。けれど、杏寿郎の温もりがアリーゼを温めてくれた。

杏寿郎は、いつもそうだ。厳しくて、でも温かい。突き放すようで、手は決して離さない。

 

「……わたし、いつかきっと、自分だけの炎を見つけるわ」

 

アリーゼは顔を上げた。

 

「お兄様がくれた火種を、わたしの力で大きくして。お兄様の隣で、一緒に燃えてみせる。血が繋がっていなくっても、わたしはお兄様の妹なんだって証明してみるわ!!」

 

「うむ。その意気だ!」

 

杏寿郎は、微笑んだ。

師としての誇りと、兄としての愛情がない交ぜになった、不器用で嘘のない笑顔だった。

アリーゼは、その笑顔を見て、胸の奥がじんわりと温かくなり、義兄の胸に抱き着いた。

 

「もう寝ろ。明日も朝から訓練だぞ」

 

「分かってるわ。おやすみなさい、お兄様」

 

アリーゼは名残惜しそうに立ち上がり、二階の自室へと戻った。

兄との間に目に見える確かな絆が欲しいという焦りや悲しみはある。でも、探し続ける覚悟は決まった。

 

 

それからも、アリーゼは頑張り続けた。

ダンジョンでの経験も着実に積み上がった。

もはや上層に敵はなく、中層の十三、十四層でさえ、杏寿郎と一緒なら、多少の物量は対処できるようになっていた。

それほどまでに、杏寿郎と一緒に戦うときのアリーゼは強かった。

スピード、剣技、一撃の威力は、いずれもレベル1の域をはるかに超え、標準的なレベル2すら凌駕していた。

二人のスキルの相乗効果だった。

 

 

週に三度のガネーシャ・ファミリアとの合同警邏でも、アリーゼの存在感は増していた。

アーディと二人で街の異変を察知し、闇派閥の下っ端を追い詰めて捕縛したこともあった。

二人の連携は日を追うごとに洗練されていく。アーディが観察眼で異変を嗅ぎつけ、アリーゼが行動力で対処する。まるで一つの生き物の左右の手のように、二人は息が合っていた。

 

「アリーゼ、強くなったね!」

 

アーディが素直に感嘆すると、

 

「でも、アーディだって凄いよ! あの路地裏の変化に気づいたのはアーディじゃない!」

 

アリーゼは屈託なく笑って、親友の手を握った。

二人の指はどちらも傷だらけだった。ダンジョンや訓練で転び、擦りむいた跡。

それは二人がこの暗黒の時代を、懸命に生きている証だった。

 

 

けれども――。

悪意は、突然訪れる。いつも。

 

 

アリーゼがアストレア・ファミリアに加わってから七ヶ月。

最初の闇派閥との戦いから三ヶ月が過ぎた日のことだった。

晩秋の夕暮れどきに、杏寿郎、アリーゼ、ハシャーナ、アーディ、そしてガネーシャの眷属三名の計七名は、巡回を終え、本拠へ帰ろうとしていた。

 

西に傾いた太陽が、オラリオの街並みを茜色に染めている。日が暮れかけた大通りは、店じまいを急ぐ商人たちの喧騒がまだ残っていた。

荷車を引く馬の蹄の音。呼び込みの声。鍛冶場から漂う金属と炭の匂い。

暗黒の時代とはいえ、人々の営みは途絶えない。その日常を守ることが、自分たちの仕事なのだと、アリーゼは思った。

 

 

その時だった。

 

突如として、遠くから、ズシンとした爆発音と、建物が崩れるような重い破砕音が響いた。

地鳴りのような振動が微かに足の裏に伝わってくる。

遠くから空気を伝って、複数の悲鳴が折り重なり、オラリオの街並みに木霊した。

 

杏寿郎が、足を止めた。

手が自然と刀の柄にかかる。

普通の事故や喧嘩とは違う。あの音は、大規模な破壊行為のそれに違いなかった。

 

「ハシャーナ、さっきまで巡回していた北地区の通りだ!!」

 

杏寿郎が叫ぶ。

 

「聞こえた。この音。大規模な襲撃の可能性がある。急行するぞ!」

 

ハシャーナの顔色が変わった。

歴戦の憲兵であるハシャーナが、顔色を変えた。その事実が、事態の深刻さを物語っていた。

杏寿郎たちが、断続的に続く破壊音と煙を頼りに、走り続ける。

現場が近づくと、ハシャーナが声を荒げて断言した。

 

「間違いない! 襲われているのは、エイドス商会だ」

 

エイドス商会。

オラリオでもそれなりに有名な大商会である。

食料品や日用品を中心に幅広い取引を手がけ、オラリオの経済を支える柱の一つだった。

 

同時に、エイドス商会は闇派閥に対する資金拠出を拒み続けてきた数少ない商会としても知られている。

この暗黒の時代、闇派閥は街のあらゆる商会や工房に「みかじめ料」を要求していた。従わぬ者には略奪、放火、暴行などの報復が待ち受けていた。そのため、多くの商店が、恐怖に屈して金を払っていた。

 

そんななか、エイドス商会は頑として拒み続けた。ギルドやガネーシャ・ファミリアとの連携を選び、護衛の冒険者を雇い、正面から恐るべき闇の勢力に抗ってきた。

それは勇気ある行動であり、同時に危険な選択でもあった。闇派閥の怒りを、一身に買っているからだ。

 

「闇派閥が、ついにエイドス商会を狙った!」

 

ハシャーナの声は低く、硬かった。

その声の奥に、杏寿郎は押し殺された焦りを聞き取った。

 

何度目かの轟音が続く。

煙が立ち上るのが見える。黒い煙だ。建物が燃えている。

悲鳴が連なり、大通りを走り抜ける市民の姿が増えていく。

 

「全員、戦闘準備。エイドス商会はその角の先だ。現着と同時に戦闘になる可能性が高い!!」

 

「「「「はい!」」」」

 

ハシャーナの命令に、全員が走りながら戦闘準備に入る。

 

「かなりの規模だ。ギルドと本拠に伝令を出す。――タルヴァ!」

 

ハシャーナは黒煙を睨みつけながら、団員の一人に指示した。

 

「はい!」

 

本拠(アイアム・ガネーシャ)に急行して、シャクティ団長に報告。闇派閥がエイドス商会を襲撃、規模は大。至急増援を要請しろ! それから、ギルドにも通報だ。走れ!」

 

「了解!」

 

タルヴァが脇道に逸れて全力で走り去った。

残る六名で、現場に向かう。

 

 

 

最後の角を曲がると、状況の深刻さは一目瞭然であった。

逃げ惑う住民の顔は一様に蒼白で、ある者は怪我を負って泣き叫び、ある者は這って炎から逃れようとしていた。

建物の壁には斬撃の痕が刻まれ、ところどころに血痕が飛び散っていた。

飛散したガラスの破片を踏みしめながら走るたび、靴底が嫌な音を立てた。

 

エイドス商会の本店は、三階建ての堅牢な石造りの建物だが、正面の壁が大きく崩されていた。

屋敷の門もメインエントランスも木っ端微塵に破壊され、瓦礫が散乱していた。おそらく魔法の砲撃か、あるいはそれに匹敵する一撃で壁ごと吹き飛ばしたのだろう。

 

建物の周囲には、黒い貫頭衣を纏った者たちの姿が目に入る。だが、襲撃の規模に比して、数は少ない。

 

杏寿郎は、走りながら気配を探った。

呼吸を研ぎ澄まし、全身の感覚を開放する。

建物内からは、沢山の人間が動き回る気配と断続的な悲鳴がした。

明らかに、すでに多くの闇派閥が建物内に侵入しているようだった。

 

「ハシャーナ、内部にかなりの数がいるぞ。しかも――多分だが、手練れの気配がする」

 

ハシャーナは、歯を食いしばった。

 

「この規模の襲撃なら、間違いなく闇派閥の幹部級が陣頭指揮を執っているはずだ。タナトスか、アレクトーか、それとも別のところか。目的は金庫か、あるいは見せしめに会長や商会幹部の身柄だろう……。下種どもがっ!!!」

 

「アリーゼ、アーディ」

 

杏寿郎は、二人に声をかけた。

振り返らず、前を見たまま。

 

「今回の襲撃は、いつもの闇派閥との戦いとは訳が違う。俺たちで相手にできる敵と、できない敵がいる可能性がある。決して無理はするな。生き残ることが最優先だ」

 

「分かった」

 

アリーゼは頷いた。心臓は嫌というほど早鳴りしていた。手のひらは汗で湿っている。

だが同時に、杏寿郎に対する揺るがない信頼もあった。

杏寿郎と一緒なら絶対に負けない。それは経験に裏打ちされた自信だった。

アーディも、いつもの朗らかな表情を引き締めて、うなずいた。

 

「分かったよ! わたし、二つ目の魔法が発現したから、後ろからサポートするね!」

 

「よし、周囲の雑魚を一掃してから、突入する。先頭は俺と杏寿郎。アーディとアリーゼは中衛で遊撃と支援、残りは周辺の警戒と後ろの敵の対処だ。おそらく、物音からして、敵は最上階にいる!」

 

建物内の状況を窺っていたハシャーナが素早く指示を下した。

 

「「「「了解!」」」」

 

六名が武器を構えて隊列を作った。

杏寿郎は刀を抜いた。鍛え上げられた鋼が、夕焼けの残光を受けて紅く輝いた。

 

建物の前に立ち塞がった闇派閥の見張りが四名。

いずれも隙だらけで、大した障害にならない。

 

「ハシャーナ、俺が右の二人をやる」

 

「分かった、俺は左だ」

 

ハシャーナは短く応じるや、闇派閥に向かって怒鳴った

 

「退け。退かぬなら、斬る」

 

見張りの男たちが一瞬たじろいだ。

しかし、すぐに虚勢を取り戻す。

 

「はっ、ガネーシャの犬どもが。ここは通さ――」

 

男の言葉が終わる前に、杏寿郎は一気に間合いを詰めていた。

この程度の雑魚なら、呼吸は不要。

炎を纏わぬ一閃で、二人が反応すらできないうちに、一瞬で斬り伏せる。

 

ハシャーナも大剣で残りの二人を片付けていた。

 

「行くぞ!」

 

崩された正面入口を駆け抜け、建物の中に踏み込んだ。

商会の一階広間は、惨憺たる有り様だった。

帳場が破壊され、商品の棚がなぎ倒されている。精巧な細工を施された内装が、床に飛び散り、ガラクタの山と化していた。

 

床には血だまりがいくつもあり、倒れている商会員の姿も見えた。呼吸はある。気を失っているだけのようだ。

 

杏寿郎の胸に怒りが燃えた。

この者たちは、ただ商いをしていただけだ。闇派閥に屈しないという当たり前の選択をしただけで、こんな目に遭わされている。

――許すことはできない。

 

「誰か、ポーションで治療を!」

 

杏寿郎が呼びかけると、奥の間で、金属がぶつかり合う甲高い音と叫び声が聞こえた。

広間は他の者に任せて駆けつけると、そこは巨大な金庫室の前だった。

五名の闇派閥が、金庫室を守る商会の警護役の冒険者と交戦していた。

護衛はすでに満身創痍で、立っているのが二名だけ。一人は肩から血を流しながら剣を構え、もう一人は盾で攻撃を受け止めているが、腕が震えている。長くは持たない。

 

「アストレア・ファミリアだ! これ以上の狼藉は許さん!!」

 

杏寿郎は怒声をあげ、飛び出した。

上の階からも物音がする以上、ここに時間をかけることはできない。

――一瞬で片づける。

 

「【炎の呼吸】」

 

炎を刀に纏わせ、エンチャントとスキルによって著しく上昇した筋力をフルに使う。

一拍で闇派閥に近づき、護衛に止めをさそうとしている男を斬り捨て、返す刀で反応が遅れている襲撃者に襲い掛かる。

 

動揺する闇派閥を見て、態勢を整えた護衛が逆襲にでる。

 

「ぎゃあああ」

 

杏寿郎と護衛に挟撃される形になった闇派閥はもろかった。

前後を気にして身動きがとれなくなったところを、杏寿郎と護衛で処理する。

 

「アストレア・ファミリアの【正炎】だよな、本当に助かった!」

 

護衛の大男が肩で息をしながら、ニカっと笑って感謝を告げる。

 

「いや、我々は責務を果たしているだけだ! 向こうにガネーシャ・ファミリアの巡回隊もいる。そのうち本隊も来るはずだ」

 

「そうか、我々は金庫を守る役目がある。ここを動けないが、ポーションをくれないか? 後で返す」

 

「うむ、もちろんだ」

 

この状況でも、任務に忠実な男たちだった。杏寿郎は腰のパックからポーションを二本抜き取り、彼らに配った。

 

「護衛の方々、あとは頼む」

 

「ああ……。襲撃者の本隊は、上の階に上がっていった。上には、まだ商会長がいる。奴らの狙いは、ここの金庫と会長かもしれない」

 

「分かった。上は我らに任せておけ!」

 

そう告げるや、杏寿郎は広間に戻り、店員たちの治療を終えて外に運び出していたハシャーナに、状況を伝えた。

 

「分かった。ここの怪我人はもう大丈夫だ。俺たちは会長室を目指す」

 

ハシャーナは方針を告げた。

巡回隊は、当初の隊列のまま階段を駆け上がる。

 

豪奢な内装の階段を一段飛ばしで上り、三階に辿り着くと、中央の重厚な樫の扉が、重厚な樫の扉が蝶番ごと引きちぎられ、壁に叩きつけられていた。

周辺には、護衛と思しき冒険者、黒ずくめの闇派閥の遺体が散乱している。

 

「この扉を一撃で吹き飛ばしたか」

 

ハシャーナが思わずという調子で呟いた。

 

「おそらく、相当な手練れがいる。最低でもレベル3、俺よりも力が強いかもしれん」 

 

ハシャーナ以上の強敵となれば、間違いなく闇派閥の幹部クラス。それも、以前、ダンジョンで襲撃してきた相手などよりはるかに強い可能性がある。

 

「ハシャーナ、わたしの魔法はどうしよう?」

 

アーディが小声で聞いてくる。

そういえば、レベル1なのに二つ目の魔法が発現したと言っていたな、と杏寿郎は思い出した。

 

「まだ唱えなくてもいいが、詠唱準備はしておいてくれ。――杏寿郎、アーディの魔法には相手の動きを止めるものと、回復支援効果のあるものがある。いざとなったら使ってもらうから、そういうものだと念頭においてくれ」

 

杏寿郎はハシャーナの声に驚きつつも、分かった、と応じた。

味方へのバフ効果のある魔法は、最大戦力が前衛二人というこのパーティではかなり強力だ。

 

杏寿郎が突入に機を窺っていると、中から嗜虐心を隠そうともしない陰湿な声が響いた。

 

「商会長さんよぉ、おとなしく金庫の鍵を渡しな。お前は五体満足で連れて来いって言われているから、できれば痛い思いはさせたくないんだよなぁ」

 

言葉とは裏腹に、傷つけたいという願望がにじみ出ているような声だった。

 

「ふ、ふざけるな……。お前たちのような外道に、一ヴァリスたりとも渡す気はない……!」

 

声は震えていたが、折れてはいなかった。

脅されてもなお抵抗している商会長の気骨に、杏寿郎は感銘を覚えた。

 

「気に入ったぜ、その根性。だが、根性だけじゃ命は守れねえんだよ」

 

また別の声。

他にも気配があり、最低でも4人はいる。

 

杏寿郎は、ハシャーナと目を合わせた。

ハシャーナが頷く。言葉は要らなかった。

 

杏寿郎たちは、一気に室内に踏み込んだ。

 

 

広い会議室だった。

長い楡の木のテーブルが横倒しにされ、革張りの椅子が散乱している。

壁に掛けられていた絵画が斬り裂かれ、床に落ちている。

 

窓ガラスは割れ、夕暮れの風が吹き込んでいた。

奥の壁際に、壮年の男が一人、額から血を流しながら壁を背にしている。商会長だろう。痩せぎすだが、眼光は衰えていない。恐怖の中にあっても、矜持を手放していない男の目だった。

 

その前に立ちはだかるように、四人の人影が陣取っていた。

左手前の男は筋骨隆々の大男だった。身の丈六尺半はある巨体に、両手に戦斧を握っている。腕は丸太のように太く、首が見えないほど肩が盛り上がっている。熊か猪の獣人だった。

 

右手前の男は対照的に小柄だった。全身から油断ならない気配を発している。短剣を両手に逆手で構え、暗殺者の佇まいをしている。静かな気配が不気味だった。

 

そして、二人の間に立つのは長身痩躯の男で、手には細身の長剣を持っている。口元には、状況を楽しんでいるかのような薄い笑みが浮かんでいた。

 

しかし、何よりも存在感があったのは、窓際に腕を組んで立っているもう一人だった。

黒い外套を纏い、フードを目深に被った長身の男。腰に一振りの長大な剣を佩いている。

 

動かない。微動だにしない。だが、その男だけが、他の三人とは異なる威圧感を放っていた。

まるでそこだけ空気の密度が違うかのように、男の周囲の空間が歪んで見える。

 

 

――間違いない、あれが首領。

杏寿郎の肌が総毛立った。

背筋を冷たいものが走り、本能が危険だと叫ぶ。

 

「おや。こんなところに犬が紛れ込んできたか」

 

細剣の男が蛇目を細めて、杏寿郎たちのほうを振り返った。

薄気味の悪い笑みは崩さないまま、値踏みするように目を細める。

 

「ガネーシャの【剛拳闘士】と――お前は見かけない顔だな。若いのがわざわざ死にに来たか」

 

「煉獄杏寿郎。アストレア・ファミリアだ。その商会長を離せ」

 

杏寿郎は刀を構えた。切先が男に向く。

 

「アストレア? ああ、最近ちょこちょこ名を聞く弱小ファミリアか。正義だの何だのと、ご大層な看板を掲げている。ルーを始末した小僧はお前か」

 

蛇目の男は、やれやれとでも言うように首を振った。

 

「ルーを倒したくらいで、大した実力もないくせに増長したか?」

 

蛇目の男の声には余裕があった。

しかし、杏寿郎を見る目は冷徹だった。決して油断はしていないことは明らかだった。余裕の態度とは裏腹に、一定の警戒は怠っていない。

 

「バルク、ジュネ、ローラン」

 

窓際の大男が、傍らの三人に声をかけた。

 

「ガネーシャの番犬どもを始末しろ。俺はもう少し商会長と話がある」

 

大男が戦斧を軽々と肩に担ぎ、暗殺者風の男が短剣を構え直した。

 

 

それに反応するように、ハシャーナが前に出た。

 

「大男は俺がやる。杏寿郎は細剣の男、残りの3人で短剣使いだ。アーディは支援。くれぐれも無理はするな。増援もすぐに駆け付ける!」

 

「「「「了解!」」」」

 

杏寿郎は、息を大きく吸った。

仮に相手が3人ともレベル3だとしたら、アリーゼたちでは荷が重い。一瞬で片づけて、加勢に入る必要がある。

 

「お兄様」

 

アリーゼの声が、横から聞こえた。

緊張で声が強張っているのがよく分かる。

 

「アリーゼ、俺たちがすぐに加勢する。それまでは他の者と協力して、決して無理はするな!」

 

「うん! お兄様と一緒なら、私はやれるわ!」

 

アリーゼは自分を勇気づけるかのように声をあげた。

 

「私はこんなところでは負けないんだから!」

 

「その意気だ!」

 

次の瞬間、ハシャーナが前に出て、大斧使いと激突した。ハシャーナの大剣と相手の大斧が交錯し、金属のぶつかる音が響く。

 

杏寿郎は、蛇目の細剣使いと対峙した。

 

「おやおや、私相手に1対1とは、随分と自信があるようだな、小僧」

 

蛇目の男が笑った。

杏寿郎は取り合わなかった。この戦いは、いかに早く決着をつけて、他を救け、相手の首領を数で抑え込むかが勝負。

ならば、この相手にいつまでも時間をとられるわけにはいかない。

 

スピードタイプで、構えにも隙はない。

対人戦の経験も豊富なのだろう。

けれども、アリーゼという守るべき弟子にして妹を抱えたいま、守るために勝つという杏寿郎の意志は固かった。

 

「【心を燃やせ――炎の呼吸】」

 

全身から炎が噴き出す。

会議室が赤く染まる。散乱した椅子の破片が火の粉を散らし、割れた窓ガラスの欠片が炎に照らされてオレンジ色に輝いた。

 

蛇目の男の目が、わずかに見開かれた。

 

「炎のエンチャントか。なるほど、これでルーを倒したわけか。とはいえ、そのような大道芸、この私には通用しないぞ」

 

蛇目の男の細剣が閃いた。

 

――速い。

 

杏寿郎の予想を上回る速度だった。

 

「弐ノ型――昇り炎天!」

 

杏寿郎は切り上げで迎え撃ったが、男はそれを読んでいたかのように半身をずらし、杏寿郎の脇を突こうとした。

 

辛うじて刀の柄で逸らす。火花が散った。

鋼がぶつかる衝撃が腕に走る。明らかにステイタスは格上だった。 

 

「なかなか反応が良い。レベル2といったところか。それにしては上出来だ」

 

蛇目の男の口調は余裕だった。その余裕は演技ではなかった。

 

「しかし、ステイタスの差は覆せん」

 

 

蛇目の男が踏み込んだ。

その一歩で、杏寿郎の間合いが崩される。

おそらく、相手はレベル3でも上位の敏捷。それが牙をむいた。

細剣の連撃が、暴風雨のように襲いかかった。

左、右、突き、薙ぎ、切り上げ。一つ一つが致命の軌道を描く。

杏寿郎は刀でそれを受け、いなし、弾き、かわし続けた。

 

一撃ごとに腕の痺れが増す。受け止めるたびに足が後退する。

三合目で、頬を斬られた。血が散った。

五合目で、右腕の防具が斬り裂かれた。

 

「ふふ、どうやらお仲間の少女も劣勢のようだな――」

 

蛇目の男が動揺を誘うように、声をかける。

杏寿郎が横を見ると、アリーゼはアーディたちの支援があってもなお、苦戦しているようだった。

まだ致命的とはいえない、けれども長期戦はまずい。

 

――ならば、こちらから攻めるしかない。

 

杏寿郎の攻めの構えを見て、男は内心ほくそ笑んだ。

相手に焦って攻めさせることで、カウンターで仕留めることができる。

そうなれば、ここでの戦闘は一気に有利に持ち込める。

細剣技によるカウンターを得意とする男は、そう期待して心理戦を仕掛けたのだった。

 

たしかに、そうした駆け引きは一定の効果があった。

しかし――彼に誤算があったとすれば。

味方の窮地、とくにアリーゼの危機の際に、杏寿郎の力が爆発的に上昇するということだった。

 

杏寿郎の瞳に、黄金の光が灯った。

 

「【炎の呼吸】――」

 

身体が動いた。

背中の神血が、熱を帯びて、素のステイタスをはるかに超える力を杏寿郎にもたらす。

アストレアの導きが、アリーゼの信頼が、杏寿郎の炎を限界の先へと押し上げる。

 

「伍ノ型――炎虎!」

 

杏寿郎の炎が虎の形を取り、蛇目の男に向かって牙を剥いた。

会議室の空気が灼熱の渦に変わる。酸素が燃え、空間そのものが炎に支配された。

 

「くっ……! この程度の火遊びで!」

 

蛇目の男は細剣を構え、炎虎を斬り裂こうとした。

刃が炎にぶつかり、火花が散る。男の技量は確かに高い。レベル3の上位として、カウンターで杏寿郎を仕留めるだけの腕はあった。

 

しかし、武器と魔法の相性が致命的に悪かった。

細剣は鋭い一撃で相手の急所を突くもの。

通常のエンチャントであれば、その性能を存分に発揮できたであろう。

 

しかし、杏寿郎は虎を象った炎と化して突撃してくる。

そもそも急所が分かりにくいうえ、炎の軽い細剣の一撃では、高密度の炎を突破できない。

 

カウンターは不発に終わり、男が慌てて細剣を引こうとしたところ。

杏寿郎の全体重を乗せた炎の剣技がさく裂した。

 

「がああああ!!!」

 

悲鳴をあげながら、男が壁まで吹き飛んだ。

 

「何だと――!?」

 

細剣使いの敗北に動揺した斧使いが、思わず注意をそらす。

大剣と拳の双方を使いこなすハシャーナの前では、あまりにも大きな隙だった。

ハシャーナは剣をフェイントに使い、斧使いが釣られた瞬間に、右こぶしのアッパーで相手の顎を砕いた。

 

「ガハっ!」

 

アリーゼたちの救援に入らなければ――。

杏寿郎が一番端っこで戦っているアリーゼのほうを振り向くと、杏寿郎の予想に反して、そちらでも戦闘が終わろうとしていた。

 

当初、アリーゼはレベル差に押し込まれ、3対1でさえ防戦一方だった。

スキルの恩恵と杏寿郎との訓練を通じた剣技があるとはいえ、アリーゼはまだ12歳である。

対人戦闘の経験も少ない。

そこを、短剣使いに突かれ、素早い動きで主導権をとられ続けていた。

 

「くっ」

 

嫌な動きと体術を組み合わせた短剣技に抑え込まれ、思うように型を繋げられない。

その苛立ちが募る。

待っていれば杏寿郎かハシャーナが助けてくれるだろうが、こちらはアーディを入れれば4対1である。

数の有利でこちらの戦いを終わらせないと、救援に行けない――。

そんな焦りもあった。

 

「落ち着いて、アリーゼ」

 

アーディが、そこを巧みにサポートした。

 

「【ガーナ・アヴィムサ】!」

 

とたんに、短剣使いの動きが乱れる。

 

「いま!」

 

アーディの第一の魔法は、敵の動きを強制停止させ、全能力低下のデバフをかけるもの。

さすがにレベル差があるのか、効果は減衰している。

それでも、短剣使いの動きは確実にぎこちなくなっていた。

速攻とフェイントが多い技巧タイプの相手にとって、アーディの魔法は致命的に相性が悪かった。

 

アーディのサポートに勝機を見出し、アリーゼは猛然と前に出る。

残りの二人も、歩調を合わせて、一気に攻勢へつなげる。

 

「もう一回!」

 

アーディが叫ぶと、短剣使いは魔法を警戒してさらに消極的になった。

 

そこに、アリーゼが鋭い呼気とともに踏み込んだ。

下からすくい上げるような一撃で、相手の短剣の構えを崩す。

 

――武器の間合いでは勝っている。杏寿郎とのスキルの共鳴もある。

 

「はああああ!! 炎虎!」

 

左右からのサポートを得て、アリーゼは決めに入る。

選んだ剣技は、奇しくも杏寿郎と同じものであった。

 

呼吸が使えなくても、炎が使えなくても、杏寿郎が授けてくれた剣技である。

戦乱絶えない極東で磨かれた必殺技こそ、血のつながらない兄との絆の証――。

その剣理が通じない相手はいないはずだ。まして、相手はいま、アーディのデバフで動きが乱れている。たとえレベル差があっても、これだけは通す。

 

そんな覚悟とともに、体幹の捻りを加えた渾身の一撃を袈裟切りに叩き込む。

男は慌てて短剣を戻そうとしたが、アーディの魔法のせいで動きが鈍く、守りの構えも中途半端だった。

相手の拙い防御など一顧だにせず、アリーゼは刃を振り下ろす。

 

「しまっ――」

 

その叫びを最後に、短剣の男は倒れた。

 

杏寿郎は、荒い息をつくアリーゼを大声でねぎらう。

 

「よくやった、アリーゼ!」

 

「ふふん! 血はつながっていなくても、お兄様の妹なんだから、これくらい当然よ!」

 

アリーゼが息を整えながら叫ぶ。

 

 

敵はあと一人――。

誰もが希望を持ったときだった。

 

「ガハっ」

 

窓際の男が、商会長を投げ捨てた。

フードの下の顔は見えない。しかし、その存在感だけで、室温が数度下がったような錯覚を覚えた。

先ほどまでの戦闘の熱が、一瞬で消し飛ぶほどの冷たい重圧だった。

 

「見事だ。商会長から話を聞きだす前に、3人を仕留めるとはな……」

 

低い声だった。感情のない、冷たい声。

 

男が一歩、踏み出した。

それだけで、会議室の空気が一変した。

杏寿郎の全身に鳥肌が立った。呼吸すら重くなる。

まるで深海の底に沈められたような圧迫感。先ほどまで死力を尽くして倒した幹部が、この男の前では子供のように見える。

 

――強い。

 

杏寿郎は、相手の力量を漠然と推し量る。おそらくレベル4以上、ただし、きっと5はない。

もしレベル5ならば有名な殺帝のようにもっと名が知られているはずだった。

それでも、レベル2の差は厳しい。

 

「お前が首領だな?」

 

ハシャーナが唸るように問う。

 

「いかにも」

 

「目的は商会の金か?」

 

「それもある。が、それ以上に、俺たちに逆らう商会を見せしめにする必要があった」

 

「どこまでも汚いやり口をとりやがって! もうすぐ増援も来る。【象神の杖(アンクーシャ)】もいる。もう逃げられないぞ!」

 

ハシャーナが、自らを勇気づけるように大声を出して、投降を促す。

 

「そうだな……。たしかに象神の杖相手だと少々手間だ。ならば、貴様らを血祭にあげてから、撤退することにしよう」

 

大男は悠然とフードを脱ぎ捨て、剣を抜いた。

 

「俺が相手をする。アーディは魔法を、杏寿郎は一撃を狙え。他の者は余計な手を出さずに、援護に徹しろ。決して無理に踏み込むな、連携を重視するんだ!」

 

ハシャーナが負けじと声を上げて、命令する。

 

「分かった」

 

杏寿郎はそう言うや、剣気を練り上げる。

 

「【ガーナ・アヴィムサ】!」

 

開戦の火蓋は、アーディの魔法で切って落とされた。

 

「ふん!」

 

しかし、レベル差が大きすぎて、強制停止が跳ね返される。

 

「それでいい! アーディはそのまま、支援を続けろ!」

 

そう叫ぶや、ハシャーナは男に向かって突進した。

杏寿郎も、ハシャーナに続こうとして、息を吸い込む。

 

「【炎の呼吸】――不知火!!」

 

わずかな時間差で、側面から大男を強襲する。

 

しかし、男には全く動揺は見られなかった。

ハシャーナの一撃を軽く押し返すと、杏寿郎の突進に大剣を合わせる。

 

硬い。呼吸と体重を乗せた一撃なのに、まったく押し込めない。

それどころか、鍔迫り合いだと攻め負ける。

杏寿郎が態勢を崩しかけたタイミングで、ハシャーナが拳で相手をけん制する。

 

「うぉおおお!」

 

その渾身の打撃を、男はガードすることなく受けた。

それでいて、体幹はこゆるぎもしない。

杏寿郎は仕切り直しを兼ねて、一度距離をとる。

ハシャーナも続いた。

 

強い。力のレベルが単純に違う。

 

「レベル2か3といったところか……。軽いな」

 

大男が静かに呟く。

 

「とはいえ、これ以上、足止めされるのは好ましくない。商会長から鍵のありかを聞きだす必要もある。悪いが、決めさせてもらおう」

 

ただでさえ重かったプレッシャーが、さらに致死的な鋭さを備えて、室内の空気を揺るがす。

噂に聞く殺帝やディース姉妹のような、絶対的な強さとまでは言わない。

それでも、強力な魔法がなくとも、明らかにレベル3のハシャーナを含め、自分たちを一瞬で屠る実力を持っているに違いなかった。

 

どうすべきか。

一瞬の気の迷いが出てしまった、そのとき――。

 

「う、うう……」

 

か細い呻き声が部屋の隅から聞こえてくる。

これまで痛めつけられていたと思われる商会長だ。

まだ生きている。とはいえ、早く治療が必要なのは間違いなかった。

 

いかんな、と杏寿郎は頭を軽く振った。

守るべきものが倒れているのに、退却のことを考えるようでは、誓いを守れるはずもない。

 

杏寿郎が気合を入れなおしている傍らで、大男が大剣を振り上げた。

練り上げた剣気が風のように杏寿郎の身を襲う。

 

「はあああ!!」

 

ハシャーナがふたたび突進する。

そう。守ると誓ったからには、やれることをやるしかない――。

 

「【炎の呼吸】――伍の型、炎虎!」

 

ハシャーナに続いて、杏寿郎も仕掛ける。

しかし、男は大剣ごとハシャーナの一撃を粉砕した。

 

「ぐっ……」

 

呻き声とともに、ハシャーナは一瞬で吹き飛ばされ、部屋の壁に激突する。

壁が破壊される音が聞こえ、木や石の破片が舞い上がる。

 

それを見るともなく、杏寿郎は最高のタイミングで突撃した。

しかし、炎をまとった杏寿郎の斬撃を、男は真正面から大剣で迎え撃ち、押し返す。

 

「盛炎のうねり!」

 

杏寿郎は無理に鍔迫り合いに持ち込まず、力を抜いて、大男の一撃をいなし、そのまま呼吸を繋げる。

男の防御が間に合わないところに、斬撃。軽い。

 

その一撃を無視した男は、強引に大剣を横薙ぎにする。

杏寿郎はかろうじて防御が間に合い、後ろに下がることで衝撃を緩和する。

 

「ぐぅっ……」

 

防いだはずなのに、両手はしびれ、呼吸は乱れる。

腕が痛い。手に力が入らない。

もしかしたら、上腕の骨にヒビが入っているかもしれない――。

杏寿郎は我知らず汗をぬぐった。

 

相手の腕力が想像以上に強い。真正面からの打ち合いでは、絶対に力負けする。

それでも、大男の身長と大剣の射程を考えると、活路があるとしたらインファイトか奥義しかない。

 

「昇れ、神聖の階段」

 

杏寿郎が覚悟を決めたタイミングで、アーディの詠唱が響き渡った。

先ほどの、強制停止魔法とは異なる別の魔法。

わずか11歳で、しかもヒューマンなのに、二つ目の魔法を使いこなしている。

 

――そうだった。

 

杏寿郎は刀の柄を握りしめる。

自分が負けたら、この将来有望な少女も、アリーゼも命を落とす。

アストレア様も必ずや哀しむだろう。

一度、正義を掲げた以上、どれほど弱くとも、負けられない戦いというものはある。

 

「照らせ、癒しの月光――【ディア・カウムディ】!」

 

アーディが詠唱を終える。

刀を握るのもやっとだった腕の痛みが消き、力が宿る。

 

「助かる」

 

杏寿郎は視線をずらすことなく、短く感謝を告げた。

 

「治癒師もいるのか。邪魔だな」

 

男が呟く。

明らかに、杏寿郎を一顧だにせず、アーディに照準を合わせている。

 

まるで相手にされない口惜しさ。

アーディを絶対に守るという強い思いが杏寿郎の身を焦がす。

 

「お兄様!」

 

すがるような義妹の声。

 

――たとえ一度目の奥義で足りなくとも、何度でもあてればよい!

 

杏寿郎の目は、黄金に燃えていた。

 

「奥義――」

 

全身の炎が、刀に収束した。

赤い光が、白い光に変わるほどの高熱。

刀身が限界を超えた熱を帯び、空気が悲鳴をあげた。

 

「――煉獄」

 

振り下ろされた一閃は、炎の龍と化し、炎の龍が突き進む。

爆発と閃光が会議室を揺るがした。

衝撃波が室内の調度品をすべて吹き飛ばし、窓枠ごと壁が崩れた。

 

けれども。

男の鉄壁の構えは崩せない。

 

「良い一撃だ」

 

杏寿郎は、仕留められないことに臍を噛む。

けれども、レベル差を考えれば仕方のないこと。一撃でダメなら、ここから追い込めばよい。

息を大きく吸い込む。

 

「【昇り炎天】!」

 

素早く切り返し、下からの一撃。

防がれる。

 

「【気炎万象】!」

 

全体重を乗せて、上から袈裟切り。

弾かれる。

 

前のめりになっていたため、体勢が流れる。

大男が返す一撃で杏寿郎を両断せんと振りかぶる。

間に合わない。

 

「くっ……」

 

杏寿郎が呻いた、その瞬間。

 

「お兄様はやらせない!!!」

 

アリーゼが全身全霊の踏み込みから、がら空きのわき腹を狙う。

 

「【不知火】!!」

 

炎は出ない。けれども、敬愛する杏寿郎とともに戦うことで、アリーゼ自身のスキルが力強く発動していた。

たやすくレベル1の境界を超え、レベル2の上位に迫るような一閃が男の脇を襲う。

 

「なにっ!?」

 

いかにレベル差があっても、完全に油断していたところからの予期せぬ一撃は、わき腹に確かに食い込んだ。

 

「ぐ……っ」

 

男が動揺した声を上げる。

 

「わたしは――杏寿郎の継子、アリーゼ・ローヴェル! 正義の炎に誓って、私たちは負けない!!」

 

アリーゼがおたけびを上げる。

 

「【ガーナ・アヴィムサ】!」

 

男が動揺の声を上げた瞬間、アーディが待機状態だった魔法を発動させる。

男の動きが不自然に止まる。

本来のレベル差を考えれば、効くはずのない魔法だった。

それが、アリーゼの不意打ちで精神的に無防備になった男に僅かな、けれども決して無視できない隙を紡ぎだす。

 

アーディとアリーゼが作ってくれた千載一遇のチャンスだった。

これを逃したら、二度目はない。

 

「「杏寿郎!!!」」

 

アリーゼとアーディが叫ぶ。

負けられない。煉獄の剣士として、妹を持った兄として、若い芽を背負ったレベル2として――。

 

「うおおおおおおおおお!!! 奥義・煉獄」

 

無理やりに体勢を作って、再度、突撃する。

 

アーディの強制停止魔法を破って、男が構えようとする。

――遅い。

魔法の効果は一瞬に満たない。されど、その一瞬が大きかった。

しかも、アーディの魔法には、全能力値下降の効果もある。

 

杏寿郎の身体は、ふたたび炎の龍をまとい、防御が間に合わない男を打ち倒す。

アダマンタイトの硬い壁を叩いたかのような強烈な衝撃が両手を襲う。けれども、絶対に刀を離さない。

そのまま、一気に振り下ろす。

 

「おおおおおお」

 

全身の炎が、インパクトの瞬間、大男に叩きつけられ、男は吹き飛んだ。

そのまま、商会の石造りの壁を突き抜け、外に投げ出される。

 

「はあ、はあ……」

 

無理をしたことで、杏寿郎は呼吸が乱れ、追撃ができない。

手応えはあった、だが――。

 

杏寿郎は両ひざを手で支えながら、なんとか姿勢を戻そうとする。

その瞬間。

 

「どけ!! ガネーシャ・ファミリアだ!」

 

通りから女性の大きな声が響いた。

 

「お姉ちゃん!!!」

 

アーディが叫ぶ。

もう大丈夫か。

ガネーシャ・ファミリアの増援には、レベル4のシャクティもいる。

 

そう思った瞬間、疲れがどっと押し寄せてきた。

 

「お兄様!!!」

 

アリーゼが飛びついてくる。

 

「良かった、本当に良かった!」

 

その熱い塊を、杏寿郎は抱きしめた。

腰に力が入らず、そのまま仰向けに倒れる。

 

「アリーゼもよくやってくれた。二人が助けてくれなかったら、きっと勝てなかった」

 

「うん、うん。当然よ、私はお兄様の妹なんだから!!」

 

アリーゼが涙声で叫ぶ。

杏寿郎は、アリーゼを抱きしめたまま身を起こすと、壁のほうを向きなおった。

 

「ハシャーナ、無事か?」

 

すでに、アーディが駆け寄っていた。

壮年の男は額の傷から血を流しているが、意識はあるようだった。

 

「ああ……。また助けられたな」

 

「ハシャーナは治療するから、商会長さんのほうをお願い!」

 

アーディが詠唱を始める。

 

杏寿郎はアリーゼを引きずったまま、反対側で倒れている商会長のもとに歩いて行った。

拷問のあとが残されていて、息は荒い。

 

「商会長、ご無事ですか?」

 

杏寿郎が声をかけると、男は微かにうなずいた。

よかった。自分たちが到着してから、誰も死なせはしなかった。

杏寿郎は心底ほっとして、力を抜いた。

 

 

建物の外では、ガネーシャ・ファミリアの本隊が、住民の治療に当たっているようだった。

 

「ハシャーナ! アーディ! 無事か!」

 

鋭い女性の声。シャクティが幹部を連れて駆け込んできた。

 

「お姉ちゃん! 私たち、やったよ!」

 

アーディがシャクティに飛びついてきた。

 

シャクティは妹を抱き留めながら、その薄い青髪を撫でた。

 

「アーディ、何度言っている。団長と呼べ」

 

表情は厳しいままだったが、シャクティの瞳には安堵があった。

 

「……怪我はないな?」

 

「うん! 私たちで、商会長さんを守ったの! 相手の首領も、杏寿郎がやっつけて、たぶん館の外で倒れていると思う!」

 

シャクティの視線が、杏寿郎に向いた。

 

「礼を言う、杏寿郎。よくやってくれた! おい、館周辺で倒れている者を拘束しろ」

 

「ハッ!」

 

ガネーシャ・ファミリアの末端が駆け降りていった。

暗黒の時代には、このような市街戦はありふれていた。

日々、どこかしらの商店や民家が襲撃され、略奪され、無辜の人々が連れ去られていた。

今回はたまたま、杏寿郎たちが駆けつけるのが早かったため、商会長の命は助かったにすぎなかった。

そのことを知りつつ、杏寿郎は助かった命があることに感謝した。

 

 

その夜。

杏寿郎とアリーゼは、ギルドで簡単な治療を受けた後、ヘファイストス・ファミリアで残業を続けていたアストレアに合流した。

 

「杏寿郎! アリーゼ!」

 

アストレアの目元は少し赤かった。

ギルドからの情報で、杏寿郎とアリーゼが商会襲撃の現場に急行したと聞き、二人の安否が分からないまま、待ち続けていたのだ。

 

「ただいま帰りました、アストレア様」

 

杏寿郎が言うと、アストレアは二人をきつく抱きしめた。

 

「おかえりなさい。……本当に、よかった」

 

アストレアの腕の中で、杏寿郎もアリーゼも、張り詰めていたものが一気に緩んだ。

 

「帰りましょう」

 

アストレアの優しい声を聴きながら、ようやく戦場の緊張と恐怖と興奮が溶けていき、代わりに温かさが身体を満たしていった。

 

 

 

『星屑の庭』に帰りつくと、アストレアは手慣れた調子で温かい食事を用意した。

二人が食卓で今日の出来事を興奮まじりに話す間、アストレアは向かいに座って、じっと大切な眷属たちを見つめていた。

無事に帰ってきた眷属の姿を、目に焼き付けるように。

 

「二人が無事で、本当に良かったわ……。あとで、ステイタスの更新をしましょうね」

 

食事が終わると、アストレアは安堵しながら柔らかに穏やかに微笑んだ。

その瞳には、いつもの茶目っ気が戻っていた。

 

「今夜は、きっと特別な夜になるわ」

 

最初に、杏寿郎がアストレアの寝室に入った。

手際よく服を脱ぎ、アストレアに背中を向けて座ると、アストレアが神血を垂らして、浮かび上がった神聖文字を読み取っていく。

 

アストレアの指が、杏寿郎の背中の文字をなぞる。

 

その手が、止まった。

 

「杏寿郎」

 

「はい」

 

「今回も大変だったのね。力、耐久、敏捷がSまで上昇しているわ。これ以上ない到達点ね」

 

アストレアは、少し高揚しながら続けた。

 

「そして――今日の戦いで、ランクアップの条件が満たされている。おめでとう、杏寿郎。レベル3よ」

 

杏寿郎は、目を閉じた。

背中に感じるアストレアの温もりが、傷だらけの身体に沁みた。

 

レベル3。

母の教えを胸に、一歩ずつ歩いてきた。

アストレアに出会い、導かれ、アリーゼを弟子に取り、ハシャーナと肩を並べ、アーディと友情を育んだ。

その全てが、この瞬間に結実しているようだった。

 

「ありがとうございます。アストレア様のお導きと、仲間のおかげです」

 

やがて、深く頭を下げた。

 

「いいえ。これはあなた自身の意志と努力の結果よ。発展アビリティは対異常の一つだけだったから、これにしておくわ」

 

アストレアは微笑んで、新しいステイタスを紙に写し取った。

 

杏寿郎は、自分の手を見た。

包帯に巻かれた手。今日の戦いで何度も刀を握り、何度も血を流した手。

だが、この手は新たな力で、より多くの者たちを守れる。

 

「強くなったこの力で、もっと多くの者を守り、もっと多くの者を導きます」

 

「ええ。期待しているわ」

 

 

杏寿郎が決意新たに退室すると、アリーゼがアストレアの寝室に入った。

 

「アストレア様、お願いします!」

 

期待に興奮を抑えきれない様子で、上半身の服を脱ぎ、背中を見せる。

アストレアが神血を垂らすと、文字が浮かび上がった。

 

「……アリーゼ」

 

「はい?」

 

「全アビリティがB以上に達しているわ。力と敏捷はSね」

 

「やったぁ!」

 

アストレアの声は少しはしゃいでいた。

 

「あなたもランクアップよ! 今日からレベル2ね」

 

「レベル2!! また少し、お兄様に近づけた!」

 

アリーゼは背中をアストレアに向けたまま、両手を突き上げた。

肩が震え、声が弾む。

アストレア・ファミリアに入って七ヶ月。杏寿郎に剣を教わり、ダンジョンに潜り、警邏をし、友を得て、敵と戦って――。

その全てが、この瞬間のためにあったのだと思った。

 

「でも、まだ終わりじゃないわよ」

 

アストレアの声が、嬉しそうで、誇らしそうな響きを帯びる。

 

「アリーゼ。あなたに、新しい魔法が発現しているわ」

 

「魔法……?」

 

アリーゼは、息を呑んだ。

心臓が、先ほどとは違う意味で高鳴った。

杏寿郎のような炎の魔法だろうか。そうあってほしい。絶対に――。

切実に願った。

 

「【アガリス・アルヴェシンス】」

 

アストレアは、神聖文字を丁寧に読み上げた。

その古い言葉の響きが、アリーゼの耳に染み込んでいく。

 

「魔法によって自身の武器や身体に魔力の炎を付与するエンチャントね」

 

「炎を……」

 

アリーゼの声が震えた。

身体の芯が、かっと熱くなった。

 

「そう。あなたがずっと求めていた炎よ」

 

アストレアの声は優しかった。

 

「杏寿郎の【炎の呼吸】とは異なるけれど、あなた自身の魔力から生まれる、あなただけの炎。杏寿郎の炎は、煉獄の血に宿る呼吸の力。あなたの炎は、あなたの魂と経験から生まれる魔法。――頑張ったわね、アリーゼ」

 

アストレアは後ろからアリーゼをそっと抱きしめた。

 

アリーゼは、自分の手を見た。

まめだらけの手。杏寿郎に教わった素振りで硬くなった指。

あの夜、中庭で杏寿郎に告げた言葉を思い出す。

 

――わたし、炎が使いたい。

 

それは、何度も何度も、胸の中で繰り返した願いだった。

杏寿郎の炎に憧れ、杏寿郎の本当の妹になりたいと切望し、自分の剣の冷たさに悔しさを覚え続けた。それでも、泣きながらも諦めなかった。

その全てが、今、報われようとしている。

 

アリーゼは涙がこらえきれなかった。

嗚咽が漏れ、肩が震え、涙が頬を伝い、顎から落ちた。

あふれる涙を拭いもせず、アストレアに振り返って、抱きついた。

 

「アストレア様……!」

 

声が、言葉にならなかった。

伝えたいことが多すぎて、感情が大きすぎて、何を言えばいいのか分からなかった。

 

「わたし、ずっと、ずっと欲しかったの。お兄様みたいに、炎で戦える力が。毎晩、自分の手を見て、どうしてこの手から炎が出ないんだろう、私はお兄様の本当の妹にはなれないのかなって、悔しくて」

 

アストレアは何も言わず、ただアリーゼを抱きしめた。

少女の身体は小さくて温かくて、震えていた。

 

「でも、杏寿郎が言ってくれたの。お前自身の炎を見つけろって。わたし、ずっとその言葉を考えてた。自分の炎ってなんだろうって」

 

アリーゼは、アストレアの胸に顔を埋めたまま続けた。

 

「今日、分かった気がするの。杏寿郎を守りたいって、心の底から思ったとき、胸の中で何かが燃えた。あれが、わたしの炎なんだって」

 

「ええ、ええ。よく頑張ったわね、アリーゼ」

 

アストレアは、泣きじゃくる少女の紅い髪を優しく撫で続けた。

 

二人きりのファミリアで、眷属が二人とも同時にランクアップする。

しかも、二人とも半年強という異例のスピードで、発現した魔法はどちらも炎――。

神々は、正義面のアストレアはチートしていると喚きたてた。

しかし、ヘルメスが密偵しようとも、道化の神が駄々を捏ねようとも、その証拠は上がらなかった。

 

神々の猜疑心をよそに、第二級冒険者となった杏寿郎は、炎の妹とともに活躍しつづけた。二人合わさると、互いにレベルを無視した連携と強さを見せる星乙女の眷属に、民衆は喝采した。

 

――アストレアの眷属は二人合わさると手に負えなくなる。あれこそ、正義の双翼、アストレアの双炎だ、と。

闇派閥のさらなる怒りと復讐のうねりを跳ね返しながら、正義の派閥は飛躍のときを迎えようとしていた。

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