ダンジョンに炎柱がいるのは間違っているだろうか   作:kursk

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五条一閃

杏寿郎とアリーゼの快進撃が始まった。

 

レベル3とレベル2。

たった二人の眷属だが、その戦力は数字以上の意味を持っていた。

【正炎承導】と【正炎継子】が共鳴するとき、二人の力は単純な足し算ではなく、掛け算になる。

 

それを証明したのが、ダンジョン中層の戦いだった。

 

 

二十四階層――大樹の迷宮の底。

天然の岩盤と絡み合うように巨木の根が走り、食糧庫に多くのモンスターが集まる中層の最深部で、上層とは比較にならない初見殺しの強敵がひしめく領域である。

通常、レベル2から3の冒険者六人以上で挑む階層だった。

 

もちろん、二人も毒対策は十二分にしていたが、パーティー・メンバーを増やそうとはしなかった。

この暗黒の時代、信頼できるメンバーを探すのが難しいというのもあるが、そもそも実力的に問題がないというのが最大の理由だった。

 

「――お兄様、来るわ。多い」

 

アリーゼが剣を抜きながら囁いた。

かつてはモンスターの気配を察知することすらおぼつかなかった少女が、今では杏寿郎と同じくらい早く異変を嗅ぎつける。

 

「うむ。相当な数だな」

 

杏寿郎は刀の柄に手をかけ、前方を睨んだ。

呼吸を研ぎ澄ます。大樹の根が張り巡らされた広大な空間の四方八方から、おびただしい数の気配が湧き上がってくる。

 

地面が微かに震える。壁が軋む。

ダンジョンが、新たなモンスターを産み落としているのだ。

 

 

最初に姿を現したのはリザードマンの群れだった。手に握った武器が燐光に鈍く光る。

武装した蜥蜴人が、隊列をつくって走り寄ってくる。

続いて、食糧庫へと続く道からは、バグベアが雪崩のように降りてきた。

さらに奥の闇から、のろのろと歩くお化けキノコの姿が見える。毒をまき散らすダークファンガスだ。

 

異なる種の魔物が同時に産み出され、怒涛となって冒険者を襲う。これこそが、中層における最大の脅威の一つ、モンスターパーティーだった。

 

杏寿郎が瞬時に数えた限りでは、総数は早くも七十を超えていた。しかも、これで終わりという保障はどこにもない。

戦闘音がさらなるモンスターを呼び寄せれば、あっという間に百体に達するかもしれない。

 

「アリーゼ」

 

「分かってるわ!」

 

言葉は短い。

二人の間に、もはや長い指示は不要だった。

 

杏寿郎は空間の中央に立ち、腰を深く落とした。

自分が要となって中央で敵の波を受け止める。その周りをアリーゼが遊撃として高速で駆け回って、側面と後方を削る。

それが二人の戦い方だった。

 

「【心を燃やせ――炎の呼吸】」

 

杏寿郎の全身から深紅の炎が噴き上がった。

二度のランクアップを経て、その炎はより大きく、濃く、熱くなった。

モンスターを焼き尽くす破邪の正炎だ。

石の床が赤く照らされ、巨木の根が炎の影を踊らせた。

二十階層の広大な空洞が、灼熱の空間に変わる。

 

押し寄せるリザードマンの第一波が、杏寿郎に殺到した。

十体以上が同時に剣で襲い掛かる。 

 

「壱ノ型――不知火」

 

踏み込みは一歩。しかし、レベル3の脚力が生み出す加速は、モンスターの認識を置き去りにする。

 

炎をまとった斬撃が弧を描いた。

一閃で三体が灰と化し、さらに返す刀で四体が断たれた。

 

「伍ノ型――炎虎!」

 

間を置かず、杏寿郎は渦巻く炎を虎の形に練り上げ、正面から突入する。

炎虎が咆哮し、突進する蜥蜴人の群れを飲み込み、切り裂き、燃やし尽くした。

断末魔の悲鳴すら上げる暇なく、十数体が魔石へと還る。

 

リザードマンの第一波を退けるや、背後から迫るバグベアの群れを受け止める。

 

「参ノ型――気炎万象!」

 

頭上から振り下ろした刀から放射状に炎が広がり、後方のバグベアを丸ごと焼き払った。

衝撃波で巨木の根が軋み、石の壁に罅が走る。

 

一方――。

 

「【アガリス・アルヴェシンス】!」

 

杏寿郎が広間中央で圧倒的な強さを見せつけている間に、アリーゼは戦場を縦横無尽に駆け抜けていた。

 

夕焼け色の紅炎が、疾風のように空洞を舞う。

杏寿郎から剣技を伝授されたにもかかわらず、いつの間にか、アリーゼの戦い方は杏寿郎のそれとは異なっていた。

脚に炎を集中させ、地面を蹴る。

茜色の残像だけを残して、アリーゼの身体が消えた。

 

次の瞬間、リザードマンの隊列の側面に現れる。

 

「はああっ!」

 

炎を凝縮させた斬撃が、リザードマンの盾ごと三体を断ち割った。

隊列が崩れる。陣形の乱れに動揺した残りのリザードマンが、慌てて武器を振り回すが、アリーゼはすでにそこにいない。

一瞬で背後に回り込み、さらに二体を斬り伏せる。

 

「遅いわ!」

 

アリーゼは笑った。

戦いの最中にあっても、その碧い瞳は輝いていた。

恐怖はない。半年前に上層で身を固くしていた少女は、もうどこにもいなかった。

 

残存するリザードマンが集団で追いかけるが、アリーゼは追われる前に次の群れへと跳躍する。

脇道を下ってきたバグベアの群れに飛び込み、「花開け(アルガ)」の掛け声とともに、炎をさらに放散して数体をまとめて焼き払う。

 

焼け落ちるバグベアの残骸を踏み台にして跳び、別方向から湧き出したホブゴブリンの頭を踏みつけながら、着地と同時に一閃。

夕焼けの光が、戦場を駆け巡る。

 

杏寿郎が正面の大波を受け止め、アリーゼが攪乱し、殲滅する。

 

「お兄様、右奥の通路からまた群れがくる!」

 

「任せろ! ――奥義・煉獄!」

 

パントリーからの援軍に向かって、杏寿郎は全力の奥義を放った。

白に近い高熱の炎が龍を象り、広大な空洞の右翼を丸ごと焼き尽くす。

 

通路が赤熱し、押し寄せるモンスターがマグマのように溶けた。

暴力的なまでの火力。

 

「すごい……」

 

アリーゼは見惚れた。

あの炎にはまだ追いつけない。追いつけないけれど、いつか隣に並んでみせる――。

そう胸の内で誓って、自分の戦場に視線を戻す。

残ったモンスターは三十体ほど。

 

アリーゼは再び加速した。

杏寿郎が焼き残した散発的な群れを、一つずつ、確実に潰していく。

右から五体。左から三体。背後から二体。

 

アリーゼは炎をまとって、高らかに舞う。

すべて、杏寿郎の呼吸の型ではなく、アリーゼ自身の炎の運用と、杏寿郎から学んだ剣理の組み合わせだった。

しかし、その足運び、体幹の使い方、力の伝達は、紛れもなく煉獄の刀技を源流に持つものだった。

 

最後の一体――巨大なリザードマンの生き残りが、アリーゼに向かって斧を振り下ろした。

アリーゼは半歩だけ横にずれ、斧の風圧が髪を揺らすほどの至近距離で、相手の胴を真一文字に斬った。

 

 

静寂が戻る。

広大な二十四階層の広間に、モンスターの影は一つも残っていなかった。

散乱する魔石が、まるで星屑のように燐光に照らされていた。

 

「終わったわ! 今日も強く美しく正しく、炎で燃やし尽くしたわ! さすが私! さすがお兄様!!」

 

アリーゼが杏寿郎のもとに駆け寄り、息を弾ませながら笑った。

額に汗が光り、茜色の残り火が髪の先で揺れている。

 

「ああ。見事だった、アリーゼ。お前の遊撃は、もう俺の目でも追うのがやっとだ!」

 

「もう、大げさよ。――お兄様こそ、いつも通り奥義はとんでもなかったわ!!」

 

二人は笑い合った。

百を超えるモンスターの群れを屠ったばかりだというのに、切迫した空気はなかった。

それほどまでに、この師弟の連携は完成されつつあった。

 

 

戦果が積み重なるにつれて、アストレア・ファミリアの名はオラリオの街に広まっていった。

たった二人のファミリアでありながら、ダンジョン中層の深部を安定して攻略し、闇派閥とも正面から戦う。

しかも、二人とも異例の速度でランクアップを遂げているという話が、酒場やギルドの掲示板を通じて、冒険者たちの間で語り草になった。

 

――アストレアの双炎。正義の双翼。

 

その異名は、ある者には希望として、ある者には嫉妬の対象として、そしてある者には――導きとして響いた。

 

 

ある日の夕方、杏寿郎とアリーゼがダンジョンから帰還し、『星屑の庭』の中庭で鍛錬の仕上げをしていたときのことだった。

 

一人の少女が門をたたいた。

 

「ごきげんよう」

 

透明感のある滑らかな声だった。

 

少女は長い黒髪を竜胆の飾りで結い、極東風の衣装を纏っていた。

腰には一振りの太刀。柄の巻きは古びているが、手入れは完璧で、持ち主が相当の手練れであることを物語っていた。

整った美しい顔立ちは怜悧で冷たく、切れ長の瞳には、凪いだ湖面のような静けさの奥に、淀みが沈んでいた。

年齢はアリーゼよりも一つか二つ上だろうか。しかし、その纏う空気は年齢以上に鋭く、張り詰めていた。

 

「どなた?」

 

アリーゼが稽古を止めて、問いかけた。

 

少女は美しい一礼を見せた。

背筋は一分の狂いもなく伸びている。完璧な所作だった。

 

「お初にお目にかかります。ゴジョウノ・輝夜と申します。極東から参りました。本日は、アストレア様にお目通りを願いたく」

 

極東。しかも、ゴジョウノ。

杏寿郎は記憶を探った。

名門で正義を唱えることの多い一族だったはずだ。

それにしては、目の奥の荒んだ気配が違和感を与えた。

 

「話とは?」

 

杏寿郎が穏やかに問うた。

 

「不躾とは存じますけど、こちらのファミリアに加えていただきたく、ご相談に上がった次第でございます」

 

言葉は丁寧だった。

一語一語が礼節の鎧を纏っており、その完璧さがかえって、言葉の奥に隠された棘を際立たせていた。

 

アストレアが奥の部屋から出てきた。

女神は訪問者の姿を見て、静かに微笑んだ。

 

「いらっしゃい。お茶でもいかが?」

 

四人で、揃って応接室に腰を下ろす。

アリーゼが気を利かせて茶を淹れてきた。輝夜はそれを一瞥し、軽く会釈して受け取ったが、口はつけなかった。

 

「……それで、ゴジョウノ・輝夜さん。私の眷属になりたいということだけれど、なぜなのか教えてもらえないかしら?」

 

アストレアの声は穏やかだった。

問い詰めるのではなく、ただ聴こうとする声。

 

輝夜は、微笑んだ。

微笑み、と呼ぶのが適切かどうか迷うような、凍るような薄い笑みだった。

唇の両端がわずかに上がっているだけで、目は笑っていない。

 

「アストレア様。不躾を承知でお伺いしたいのですが――」

 

「ええ、何でもどうぞ」

 

「こちらのファミリアは、正義を標榜してはるとか」

 

「ええ。わたしは正義の女神ですから」

 

「なるほど。それは大層ご立派なことですなぁ」

 

声は澄んでいた。しかし、その澄み方は、冬の氷刃のようだった。

称賛の形をとった問いかけ。敬意の衣をまとった批判。

杏寿郎は、輝夜の言葉の奥に、抑え込まれた怒りの気配を嗅ぎ取った。

 

「正義いうのは、誠に美しい言葉ですなぁ。私の一族も、代々正義を掲げて参りました」

 

アストレアは静かに耳を傾けている。

輝夜は続けた。声は丁寧で、どこまでも冷たかった。

 

「ゴジョウノ家は、極東におきまして長い歴史を持つ名門でございます。民を守り、悪を討ち、正義の剣を奉じる名門の鑑でございます。――そう世間には知られております」

 

間を置いた。

茶杯の水面が、微かに揺れていた。

 

「その裏で何が行われていたか。お聞きになりたいですか?」

 

アストレアは、ただ頷いた。

 

「暗殺でございます」

 

声は変わらなかった。丁寧なまま。

しかし、その一語に込められた重量が、応接間の空気を変えた。

 

「政敵の暗殺。係争の相手方の一族郎党の粛清。毒殺、夜討ち、放火、偽計。正義の名のもとに行われた、数え切れない殺戮でございます。表では正義を語り、裏では闇夜に忍び、寝首を掻く一族。それがゴジョウノの歴史でございます」

 

静寂が落ちた。

中庭から入り込んだ風だけが、冷たく吹き抜けていく。

 

「正義の名のもとに殺された者たちの中には、罪なき者も含まれておりました。相手方の妻子、使用人、たまたま居合わせた旅人。ゴジョウノでは、正義の遂行に巻き込まれた犠牲は、やむを得んものとされております。――なんと美しい正義ですこと」

 

最後の一言だけ、声が震えた。

それは怒りの震えだった。偽善に対する、煮詰められた怒りと諦め。

そして、その血を引く自分自身に対する、底なしの嫌悪。

 

杏寿郎は黙って聴いていた。

 

「私は、その薄汚い罪に組するのが嫌になりまして、家を出ました」

 

輝夜の声は乾いていた。 

 

「以来、各地を転々としながら、自分の剣を磨いてまいりました。いくつかのファミリアに短い間身を寄せたこともございます。――おかげさまで、レベル2の恩恵はいただいております」

 

「それだけの実力がありながら、なぜわたしたちのファミリアに?」

 

アストレアが真摯に問うた。

 

輝夜は、微笑みを崩さなかった。

しかし、その瞳の奥で、何かが揺れるのを杏寿郎は見逃さなかった。

 

「率直に申しまして、正義を標榜するファミリアなんぞ、本来でしたら近づきとうありません。正義という言葉を聞くたびに、私の中で何かが軋むんでございます」

 

「それなのに、来てくれたのね」

 

「ええ。自分でも不思議に思っております。おそらく、こちらの噂を聞いたせいでございましょう」

 

輝夜は、杏寿郎とアリーゼに目を向けた。

微笑みの仮面にわずかな亀裂が入った。

 

「たった二人で闇派閥と戦い、商会を守り、市民を救っておられる。正義を掲げて、ほんとうにそれを実行している。……馬鹿げたことと思いました。正義なんぞというものは、裏を返せば必ず醜い顔を見せるものでございましょう」

 

「だから――確かめに来たのね」

 

アストレアの言葉に、輝夜は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、視線をそらした。

そして、すぐに取り繕った。

 

「ええ。嘘だということを確かめるために。――安心して軽蔑するために」

 

嘘ではないかもしれないが、真実でもない。

 

輝夜は自分でも分かっていた。本当は、嘘であってほしくなかったのだ。

本当に正義を貫く者がいるのなら、それを見たかった。自分の中でとうに死んだはずの何かが、まだ息をしていることを確かめた。

正義に反発し、冷笑し、現実主義という言葉で全てを諦めながらも、なおそれに惹かれ続ける屈折した心情だった。

 

「それで、確かめて、どうだった?」

 

アリーゼが、自信満々に口を開いた。

 

「嘘じゃなかったでしょう? フフン!」

 

輝夜は、何も答えなかった。

皮肉で躱そうとして、言葉が喉に詰まった。

沈黙が長くなりすぎた。

 

杏寿郎が静かに口を開いた。

 

「輝夜。君が怒るのは当然だ。正義を唱えながら、裏で人を殺す――そのような行いに怒りを覚えるのは、君の心が正しいからだ」

 

「……正義を信じていない私の心が?」

 

輝夜の瞳が、かすかに揺れた。

 

「偽物を偽物だと言えるのは、本物が存在してほしいと願っている者だけだ。君が正義に怒れるのは、君の心の奥底に本物の正義の炎があるからだ」

 

「……ご冗談を。この手には、ゴジョウノの血が流れています。正義を騙る一族の血が」

 

「血筋で人の魂は決まらない!」

 

杏寿郎の声は、穏やかだが、断固としていた。

 

「俺も極東の出だ。先祖の行いの重さも知っている。だが、俺は俺だ。先祖がどうであれ、俺がどう生きるかは俺が決める。君もそうではないのか、輝夜。ゴジョウノを出たのは、君自身の意志ではないのか」

 

輝夜は、唇を噛んだ。

反論の言葉を探した。皮肉のひとつも返したかった。

でなければ、皮肉と冷笑で覆い隠した心の鎧が崩れてしまう。

 

アストレアが、割って入った。

 

「わたしは、あなたに正義を信じろとは言わないわ。信じるかどうかは、あなた自身が決めること。わたしのファミリアでは、正義について考え、思い悩んでも良いの。正義を疑うことも、巡り巡って正義に行きつくわ。だから、輝夜――ここにいて、自分の目で確かめなさい。それが一番確かでしょう?」

 

アストレアが言うと、アリーゼが手を差し出した。

まめだらけの手。傷だらけの指。

 

「輝夜、一緒に来て! わたしたちと一緒に探そうよ、あんただけの正義を!!」

 

輝夜は、差し出された手を見た。

小さな手だった。自分よりも年下の、まだ幼さの残る少女の手。

ゴジョウノの大人たちの手は、いつも冷たかった。礼節の裏に短刀を忍ばせた手。

この少女の手は、違った。手の温度が、嘘をついていなかった。

 

「……ひとつ、条件がございます」

 

「なに?」

 

「私は正義のためにこのファミリアに入るわけではございません。あくまで、自分を鍛えるために――」

 

「ええ。理由は何でも構わないわ」

 

アストレアは微笑んだ。

 

こうして、三人目の眷属――ゴジョウノ・輝夜が星乙女の列に加わった。

 

 

 

輝夜が加わってひと月――。

アストレア・ファミリアは、三人でふたたび中層最深部の二十四階層に足を踏み入れた。

輝夜が加わったことで、攻撃のバリエーションがさらに増えた。

 

杏寿郎が正面、アリーゼが高速遊撃というのは変わらない。

二人がかき回す戦場で、静かに居合の一閃で強敵を不意打ちし、切り捨てる――。

それが輝夜の役割となっていた。

 

前方の通路から、鹿型のソードスタッグが群れで突進してくる。

巨躯の魔物が、五体、十体、十五体。角が光を反射して、青白い刃のように光る。

 

右翼の通路からは、デッドリーホーネットの群れが羽音を立てながら接近する。毒の針で冒険者を死に至らしめる「上級殺し」。

 

左翼からは大型の昆虫、マッドビートルが、地を這いながら迫る。その数、三十を下らない。

 

全てを合わせると、二百を超えようとしていた。

 

「……これは凄まじい」

 

輝夜は、太刀の鯉口を静かに切る。

 

「陣形はいつも通りだ。俺が正面で要を務める。アリーゼは遊撃。そして輝夜――」

 

杏寿郎は振り返り、輝夜を見た。

 

「君には搦め手を任せたい。奴らの隊列の継ぎ目、指揮系統の核、死角から仕留めるんだ。君の刀は、それに向いている」

 

輝夜は一瞬、目を見開いた。

搦め手。暗殺者の一族に生まれた自分に、搦め手を任せる。

それは皮肉か、侮辱か。

 

――いや、違う。

 

杏寿郎の目を見れば分かった。この男の目には、皮肉も侮辱もない。ただ、戦場における最適解を求めた結果としての、純粋な信頼があった。

 

「……承知いたしました」

 

輝夜は鞘に入れた太刀を構え、右手を添えた。

古びた柄巻。完璧に研がれた刃。

ゴジョウノ家から唯一、持ち出したもの。

呪いのような過去の残滓であり、同時に、自分を鍛え続けてきた相棒でもある。

 

「【心を燃やせ――炎の呼吸】」

 

杏寿郎が中央に立ち、深紅の炎を全身から噴き上げた。

広間が赤く染まる。青白い水晶の光と深紅の炎が交錯し、空間全体が異様な輝きに包まれた。

 

「【アガリス・アルヴェシンス】!」

 

アリーゼが快活に叫ぶや、彼女の全身に茜色の炎がまとわりつく。

夕焼けの残照のような温かな光が、アリーゼの剣と四肢を覆った。

 

杏寿郎が中央でモンスターの突進を一気に引き受け、炎で焼き尽くす。

アリーゼは杏寿郎に群がろうとする側面や背後の敵を、片端から削り燃やし続ける。

 

だが、それでも――数が多すぎた。

 

アリーゼが右翼を掃討している間に、左翼から新たなホブゴリンの大群が湧き出す。

アリーゼが左翼に転じれば、今度は背後からバグベアーが迫る。

 

杏寿郎が正面を支え、アリーゼが側面を削っても、モンスターは減らない。

 

――その瞬間。

 

月光が、閃いた。

誰もが杏寿郎とアリーゼに気を取られている隙に、輝夜は戦場の外縁を音もなく移動していた。

影から影へ。呼吸すら殺して。

ゴジョウノの技が、ダンジョンの戦場で花開く。

 

輝夜の目は、戦場の全体像を捉えていた。

この大群は無秩序に見えて、実は構造がある。

 

自然発生の連携ではあるが、核となる個体が存在するのだ。

ホブゴブリンの群れの中に一際大きな個体がいた。他のホブゴブリンはその動きに追随している。群れの統率者だ。おそらくは強化種。

 

ソードスタッグの群れにも、一体だけ片目を潰された老練な個体がいる。

――あの二体を潰せば、群れが瓦解する。

 

「【五光】」

 

輝夜が囁いた。

月白の魔力が太刀に凝縮される。刀身の輝きが増し、周囲の水晶が共鳴するように淡く光った。

 

一閃にして五の光――。

ゴジョウノ家の剣術の極意。すべての力と魔力を一振りに込め、五つに分かたれた太刀の一閃で敵の命脈を断つ。

 

統率者のホブゴブリンの首が、音もなく宙を舞った。

巨躯が、何が起きたかも理解できぬまま、魔石に還る。

ホブゴブリンの群れは、瞬時に統制を失った。

先ほどまで整然と連携していた群れが、急に散り散りになり、互いにぶつかり合い、方向を見失う。

 

輝夜は止まらなかった。

統率者を仕留めた太刀の余韻を殺さず、そのまま柱の影に溶け込み、次の目標――片目の大鹿へと移動する。

 

獣の本能が、背後の脅威を嗅ぎ取る。振り返り、輝夜に向かって牙を剥いた。

護衛の若い個体三体が、同時に飛びかかる。

 

「――【双葉】」

 

輝夜の太刀が二度閃いた。

 

一の太刀で飛びかかった二体を同時に斬り伏せ、二の太刀で三体目を袈裟懸けに断った。

護衛を失った大鹿が、咆哮を上げて輝夜に突進する。

巨体が床を砕きながら迫る。その速度はレベル2の冒険者を容易に捉える。

 

輝夜は逃げなかった。

正面から受け止めもしなかった。

半身をわずかにずらし、突進を紙一重で躱す。

 

巨体が脇を通過する刹那、太刀を真横に振り抜いた。

 

「【一閃】」

 

大鹿の巨躯が二つに割れた。

魔石が砕け散り、水晶の粉塵と混ざり合って青白く煌めいた。

 

統率者を二体とも失ったモンスターの大群が、目に見えて崩壊し始めた。

群れがばらばらに動き出す。個体同士がぶつかり合い、攻撃の方向が定まらなくなる。

 

それは、杏寿郎とアリーゼにとっての好機だった。

 

「今だ! アリーゼ!」

 

「分かってる! 燃え上がれ! アルガ! アルガ! アルガ!」

 

アリーゼは敵のど真ん中に突出し、大声で三回スペルキーを唱える。

杏寿郎のように、大きく息を吸い込み――。

 

「【全開炎力(アルヴァーナ)】!!!!」

 

瞬間、アリーゼが纏う紅炎が一気に膨張し、空間を揺るがす爆発となった。

炎がモンスターを覆いつくし、次々にモンスターを取り込み成長する。

吹き飛び、焼かれ、砕けたモンスターが魔石に代わり、床に散らばった。

 

「見事だ、アリーゼ!」

 

13歳になったばかりの義妹の急成長に、杏寿郎は惜しみない賛辞を贈る。

 

「玖の型――煉獄!」

 

白熱の炎が龍と化して突き進み、モンスターの最後の密集地帯を丸ごと焼き尽くした。

柱が赤熱し、回廊全体が灼熱に震える。

 

輝夜は、残った魔物たちを、片端から斬り伏せていく。

 

【正炎承導】で底上げされた三人の力で、連携と分業が形を成し、冒険者の常識を覆すような圧倒的な戦果が生まれていた。

 

 

しかし――。

ダンジョンは冒険者の健闘を赦さない。

 

 

通路の奥に立つ巨木。

先ほどまで、誰もがただの樹木だと思っていた。

だが、その樹木が、ゆっくりと身じろぎした。

 

幹だと思っていたものが、脚だった。

枝だと思っていたものが、爪だった。

樹皮だと思っていたものが、鱗だった。

 

巨木が、立ち上がった。

全長十メートルを優に超える、苔むした深緑の鱗に覆われた全身。四本の太い脚。長い尾。

濁った黄色い瞳が二つ、こちらを見据えていた。

 

グリーン・ドラゴン。

別名、木竜。

樹木に擬態し、獲物が近づくのを待ち伏せる中層最強のモンスター。

迷宮の孤王(モンスター・レックス)とは言わないまでも、通常のモンスターとは格の異なる、階層の王者。

レベル4のパーティでも全滅の危険がある相手だった。

 

「……これは」

 

輝夜の瞳が鋭くなった。

太刀の柄を握る手に、わずかに力がこもる。

 

「三人で、やれるか」

 

杏寿郎が問うた。

撤退するか、戦うか。

判断は一瞬だった。

逃走すれば背中を見せることになる。10M級のドラゴンに背を向ければ、追撃で叩き潰される可能性がある。

ならば、正面から叩く。

 

「お兄様と私なら、やれるわ! 輝夜もいる!!」

 

「やれます。我が秘剣に斬れぬものはありません」

 

アリーゼと輝夜が同時に答えた。

 

 

木竜が咆哮した。

空間が震え、天井から岩の破片が雨のように降り注いだ。

苔むした巨体から、凄まじい殺気が放射される。

10Mの巨躯が地響きを立てて前進を始めた。

一歩ごとに床が砕け、岩壁に罅が走る。

 

「俺が正面を引き受ける。アリーゼ、側面から炎で牽制しろ。輝夜――」

 

杏寿郎は輝夜を見た。

 

「弱点を狙えるか」

 

「竜種の構造はゴジョウノでも学んでおります。翼の皮膜、眼球、顎下の鱗の継ぎ目。――お任せください」

 

輝夜の声は冷静だった。

先ほどまでの慇懃無礼な調子ではなく、戦場に心震わせる武人の声だった。

 

「行くぞ! ――【心を燃やせ――炎の呼吸】!」

 

杏寿郎の全身から深紅の炎が噴き上がった。

木竜の濁った瞳が、炎の光に反応する。

巨大な頭部がこちらに向き、顎が開いた。

喉の奥で何かが蠢く。ブレスの予備動作だった。

 

「させない――伍ノ型・炎虎!」

 

杏寿郎は木竜が吐息を放つ前に、炎の虎を叩き込んだ。

炎虎が木竜の顔面に直撃する。

ブレスが中断され、木竜が頭を振って怯んだ。

だが、深緑の鱗は頑丈だった。

炎虎の直撃を受けてなお、鱗の表面が焦げただけで、致命的なダメージには至っていない。

 

「硬いな……!」

 

中層最強の名は伊達ではなかった。

杏寿郎のレベル3の全力攻撃ですら、正面からでは鱗を貫通できない。

 

だが、杏寿郎が正面を引きつけた瞬間、側面からアリーゼが仕掛けた。

 

「【アガリス・アルヴェシンス】!」

 

茜色の炎を纏ったアリーゼが、木竜の左脚に向かって疾走する。

脚の付け根を狙った斬撃。

木竜が反射的に前脚を振り上げ、踏みつけようとした。

巨大な足が振り下ろされる。

だが、アリーゼはすでにそこにいなかった。

炎の加速で死角に飛び込み、振り下ろされた足の隙間を潜り抜けて、木竜の腹の下に入り込む。

 

「ここよ!」

 

腹部の鱗は背中や側面よりも薄い。

アリーゼの炎を凝縮させた一撃が、木竜の腹に深い切り傷を刻み、燃やす。

黒い体液が焼け爛れて凝固した。

 

木竜が激昂した。

長い尾が鞭のように振るわれ、アリーゼを薙ぎ払おうとする。

アリーゼは間一髪で跳び退いたが、尾の風圧だけで身体が吹き飛ばされた。

地面を転がり、岩壁に背中をぶつける。

 

「アリーゼ!」

 

杏寿郎が叫ぶ。

だが、アリーゼは即座に立ち上がった。

口元の血を拭い、碧い瞳に火を灯す。

 

「大丈夫! まだやれるわ! 私は――私たちは負けない!!」

 

木竜がアリーゼに向き直った。

弱った獲物を仕留めようとする本能。

巨大な顎が開き、今度こそブレスが放たれようとした。

 

「後ろががら空きですね」

 

場違いなまでに静かな声が、木竜の背後から聞こえた。

 

輝夜だった。

いつの間に回り込んだのか。

木竜の背中に生えた翼の真下に、輝夜は立っていた。

 

木竜の注意が杏寿郎とアリーゼに集中していた、その数秒の間に、音もなく移動し、完璧な位置取りを終えていた。

暗殺の一族に生まれ、その技を自分のものとして磨き上げた、縮地の極意。

 

輝夜が、太刀の鯉口を切った。

全身の筋肉が極限まで弛緩し、次の瞬間に極限まで収縮する。

居合の太刀。静から動への、無限の落差。

 

「忌々しき五条の技、貴様にくれてやる――【五光】」

 

五つの斬閃が、同時に走った。

人の目には一振りにしか見えない。

だが、太刀は同時に五回、閃いていた。

 

一閃目が右翼の皮膜を切り裂いた。

二閃目が左翼の皮膜を断った。

三閃目が右目を抉った。

四閃目が左目を潰した。

五閃目が顎の下――逆鱗と呼ばれる鱗の継ぎ目を深く斬り裂いた。

 

五つの斬撃は、すべてが弱点だけを正確に射抜いていた。

極東で学んだ竜種の解剖学的知識と、一刀五連の秘技が、木竜の防御を貫いた。

 

グリーン・ドラゴンが絶叫した。

両目を失い、翼膜を裂かれ、顎下から大量の体液を噴き出す。

巨体が暴れ、尾が壁を砕き、前脚が床を踏み砕いた。

 

だが、もはや攻撃に精度はなかった。

視覚を失った十メートルの巨竜は、ただ苦痛に暴れるだけの巨大な的と化していた。

 

そして、そのとき――杏寿郎は感じた。

 

――【正炎承導】がさらに脈動する。

 

アリーゼのスキルも共鳴の凱歌を謡う。いつもの共鳴だった。だが、今日は何かが違った。

輝夜の健闘に煽られ、さらにスキルとして昇華したかのようだった。

共鳴した炎が、限界を超えて高まっていく。

二人の炎が混ざり合い、白に近い高温の炎が杏寿郎の刀身に凝縮される。

 

「うおおおおおおっ!!」

「はあああああああ!」

 

杏寿郎が跳び、アリーゼが天を駆ける。

暴れ狂う木竜に上下から接近して、渾身の力で刀を振り下ろす。

 

「奥義――煉獄!!」

 

白熱の炎龍が、木竜の裂けた顎下の傷口から体内に侵入した。

鱗の上からでは通じない炎が、輝夜が切り開いた傷口を通じて、木竜の内部を焼き尽くす。

 

「キィィイイイ!」

 

木竜が声にならない声を上げる。

その瞬間、アリーゼが上から急降下して、竜の鼻に剣を突き刺す。

 

「【炎華(アルヴェリア)】!!!」

 

裂ぱくの叫び声とともに、紅炎が極光となってグリーン・ドラゴンの頭を焼き尽くし、そのままダンジョンの壁まで触れるもの全てを蹂躙する。

 

木竜が、最後の咆哮を上げた。

それは叫びというよりも、嘆きに近い音だった。

中層の王者の終わりを告げる、最後の声。

 

轟音とともに、十メートルの巨体が崩れ落ちた。

深緑の鱗が灰と化し、内側から燃え尽きた巨竜が、魔石の粒子へと還元されていく。

灰が舞い上がり、薄緑の燐光に照らされて、皮膜や牙を残した。

 

 

静寂が戻った。

杏寿郎は着地し、刀を鞘に収めた。

肩で大きく息をしている。さすがに消耗が大きかった。

 

「……やったわ! やったのよ、お兄様、輝夜!!!!」

 

アリーゼが膝に手をつきながら、息を弾ませて高らかに笑った。

背中を打った痛みはまだ残っているが、顔は晴れやかだった。

 

輝夜は、太刀を静かに鞘に納めた。

乱れた髪を直しもせず、木竜が残したドロップ品を見つめる。

その表情は、いつもの慇懃な仮面を忘れたかのように、静かだった。

 

「見事だったぞ、輝夜。五光――あの技がなければ、こうはいかなかった」

 

杏寿郎が言った。

偽りのない賞賛だった。

 

輝夜は、一瞬だけ杏寿郎を見た。

何か言おうとして、やめた。

代わりに、形式的な一礼を返した。

 

「恐れ入ります。――もっとも、とどめを刺したのは団長様と副団長様の奥義です。わたくしは露払いをしたに過ぎません」

 

言葉は相変わらず丁寧だった。

 

だが、いつもの毒がなかった。

戦場を共にした者だけが交わす、素直な言葉だった。

本人が気づいていなくとも、鎧のごとき仮面がファミリアの仲間を前に崩れ始めていた。

 

「二人とも、よく戦ってくれた」

 

杏寿郎はアリーゼと輝夜を見渡して、微笑んだ。

 

「これが俺たちの連携だ。まだ粗削りだが、磨けばもっと強くなる」

 

「もちろんよ! 次はもっとうまくやってみせるわ、お兄様! 輝夜もね!!」

 

アリーゼが達成感と高揚のまま、杏寿郎に抱き着き、胸板に顔を押し当てた。

 

輝夜は何も言わなかった。

ただ、鞘に手を添えたまま、二人の後を静かについて歩いた。

 

その足取りは、一月前にこのファミリアに加わったときよりも、ほんの少しだけ軽かった。




原作でも輝夜のバックグラウンドは仄めかされているだけで、本当のところは良く分からないので、全て捏造です。
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