・オルクセン王国史本編から見て、さらにIF物的な展開です。
・「星歴800年」を開始時点としています(本編の60年前)
・原作1巻読了後推奨
(原作以前を舞台にしているため、本編のネタバレはないはずです。
世界観と人物が把握できていればという程度)
なんだ、あれは。市か。祭りか。
私とゲオルクが執務室で話をしている間に、広場の様相は変わっていた。
それははっきり言って、悪夢のような惨劇からは程遠い、まるで小さな祭りのようなものだった。
村の東南では、オークたちが設営したテントがいくつも立ち並び、早くも炊煙が上がっている。
そして馬車が整然と並べられ、荷台は開けられてその前に村の住人達の列ができている。
落ち着いてその聞こえてくる声に集中してみると、「押さないで!」とか「沢山ありますよ!」と言っているのがオークたち。
その場に、このスコルの全員がそこに集まっているかのような盛況を呈している。
そのオークたちのそばで、アレシアが何やら、黒エルフの娘たちにあれこれと何かを話している。
その一方で、立ち上る炊煙の中には、きびきびと動くあの先ほどの小柄なオークの姿がある。
すると、私と一緒に立ち上がって窓の外を見た山のようなオーク、フェルディナントが眉間に皺を寄せて言った。
「申し訳ありません、族長閣下。ヨハンめ、あの馬鹿…お許しもなく勝手なことを…」
あの小柄のオークの名はヨハンなのか、と私が思う間もなく、フェルディナントが言う。
「すぐにあの騒ぎを止めさせます。族長のお許しなく、勝手な振る舞い、大変申し訳ありません」
そう言って深々と謝罪の意を示される。しかしこのフェルディナントというオークはやたら大きい。私もその名の通りかなり「丈高き娘」ではあるが、こんなに大きなオークは…。いや、一人だけ…知っている。
しかしその山のようなフェルディナントは、その雄大な身体を折り曲げ、丁重に私に対して山のような頭を下げた。
「いやいやフェルディナント、君のせいではない。私が許可したのだし、多分アレシアがいいと言ったのだろう。しかしあれは一体…まるで祭りのようじゃないか」
するとフェルディナントが、申し訳なさそうに言った。
「大変お騒がせして申し訳ありません。ヨハンはああいうやつなのです」
私と、二人のオーク、ゲオルクとフェルディナントは、連れ立って広場に出た。
そして小走りに騒動、というよりも賑やかな集まりの方へと駆け寄っていく。
すると我々に気づいたアリシアが近寄ってきて、話しかけてきた。
「姉様。瓶詰はそれほど割れておりませんでした。
割れたものもありましたが、おおむね問題ありません。劣化しているものもそれほどございません。
しかし、彼らは色々工夫していますね。いろんな輸送方法を試していたのです」
と、アレシアが嬉しそうに報告してくる。
すると、黙っていられず、彼女の報告に興味津々であるのを隠しきれなくなっているゲオルクが、口を開く。
「どの梱包の仕方の箱が一番割れておりましたかな?」
「はい。私もヨハンさんと一緒に確認しましたが、やはりよい詰め物をすればするほど、割れていませんでした。
ただその分、輸送できる効率は落ちると思います。瓶の形も割れやすさと関係があるようですよ。なかなか難しいですね。
こちらがそれをまとめた記録です。初めはヨハンさんがやっていたのですが、苦労されていたので途中から私が代わりに記録することに致しました。余計な手出しをして申し訳ありません。
皆さんが忙しそうでしたので、つい…。皆さんはお礼を言ってくださいましたが…。
それに、お礼に3つも瓶詰を頂いてしまいましたが、よろしいんでしょうか?」
ゲオルクはにこやかに言った。
「もちろんですとも。しかしお嬢さんは凄いですな。我々が何をしたいのかわかってくださったのか」
「はい。ヨハンさんから事情は伺いましたから、おやりになりたいことを踏まえて記録しています。
ただし私の方でまとめながら作りましたので、ゲオルクさんが思うとおりの記録になっているかどうか、わかりませんが」
そう言ってアレシアが手に持っていた書いたものをゲオルクに渡すと、彼は満面の笑みを浮かべる。
「いや、もうこれで十分です。良くまとまっていると思います。
ここまでしてもらえるとは全く思いませなんだ。…まったく、素晴らしく良くまとまっていますな。これを見てしまうとやはりオークよりエルフの方の方が基本的には優秀なのだと思ってしまいますな。」
「いえ、これは私の感覚だけでやっているものですから…」
その言葉を聞いたゲオルクが、少し驚いた様子になったが、すぐに居住まいを正して言った。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
ゲオルクが丁寧にアレシアに頼む。
「はい、アレシア・ファルメリスと申します。」
「ファルメリス殿ですな。わかりました。ありがとうございます。」
「いえ、アレシアで結構です。こちらこそ。
お礼頂いたところで恐縮ですが、もし差し支えなければ、私からもお伺いさせていただいてよろしいでしょうか。」
「何なりと。できる限りお答えします」
「では、単純なことで申し訳ありませんが、なぜ空の馬車がないのでしょうか、と私は気になっております。
こちらには23台の馬車が来ており、全てに荷が積載されています。そのうち8台ほどは燕麦ばかりで、これは馬糧ですよね。」
「そのとおりです」
「では往路は、馬には草でも食べさせていたのでしょうか?そうではないでしょう。
歩いているオークの方が9名いらっしゃり、8名はみな馬を2頭ずつ引かれていますね。
1名は先ほどゲオルクさんと共に族長とお話をしておられました。するとこの8名が乗られていた、おそらく往路の馬糧を載せていた馬車はどうされたのですか?」
「ああ、空になった馬車は、飼料の節約のために、往路に置いてきております。牽引してきますと馬が疲れまして、その分飼料が必要になります。
この旅は、黒エルフの皆様から何かを仕入れようというつもりではないものでしたので、節約のためそうしたのです。
ご心配なく、往来の支障になるような場所に放置しているわけではございません。
「ああ、そうでしたか。単に置いて来ただけだと。
すみません、その発想がありませんでした。するとシルヴァン川からここまで大体180kmを5、6日ぐらいでいらっしゃったということですね。
しかし遠くから荷を運ぶというのは難しいですね。あまり考えたことはありませんが、馬には燕麦を与えないと荷運びはできませんし、その量がどうしても多くなりますね」
「そのとおりです。いやいや素晴らしい。
今のお話はうちの士官学校生に聞かせてやりたいものですな。アレシア殿はどこかでこういう計算や考え方を学ばれたのか」
「いえ、そういうわけでは…何となく今、この記録をしていて思い至っただけです。」
「いや、彼女は読書家で勉強家でな。小さいころから村にある本をよく読んでいた。またこういうことが得意なのだ。折を見て、ティリアンに留学させようと思っているのだが…」
「私はここで結構です。族長のおそばにおりたいのですから」
「いやいや我が首都ヴィルトシュヴァインに来ていただきたい…ぐらいです。
喜んでお迎えしたいと王なら言うでしょう。」
「はは。すっかり気に入られてしまったな、アレシア。」
褒められてうれしそうな顔をしている彼女を見ていると、自然と私も嬉しくなってくる。
「と、それはそうと、つまり検査が終わったから、瓶詰を配っているということか。」
「そのとおりです姉様。
荷物の検査が終わりましたので、スコルの皆に瓶詰めを配っております。ヨハンさんが言うには、もともと差し上げるとために持って来たのだと。一応、お代をお支払いするとした場合の価格も計算していますが、払えない金額ではないと思います。
そうそう、食べられるのかと村の皆も初めは警戒していましたが、私が大丈夫だと言いました。それに皆、苺は好きですから。」
「それでこの行列と騒ぎか」
オークの荷馬車の前に、スコルの村の皆が並んで順番に瓶詰を受け取っている。貰った者の中には、その場で瓶を開けて食べ始める子供もいて、そんな子供にはオークたちが木匙を渡しているようだ。
あちこちから聞こえてくる、「おいしいねえ」という皆の喜びの声。
「族長閣下もおひとつ、いかがですか」
そう言って、ゲオルクが一つの瓶詰めと、木匙を渡してくる。
「先ほどは話に夢中で食べ損ねていたな。」
「はい。立ち食いとは行儀が悪いかもしれませんが、それもまた楽しいものですよ。子供のころに戻った気持ちになって、さあどうぞ」
「立ち食いが行儀が悪いだと。
本当に貴方がたはオークなのかと言いたくなるが、もはやそれは無意味な問いかけだな。結構だ、いただこうか」
私はその瓶と匙を受け取ると、思い切って大盛りに苺をすくい、口に運ぶ。
程よい酸味と甘み。新鮮ないちごには比べるべくもないが、もしこれを旅の途中、食べることができるなら…贅沢すぎるというものだろう。
「うまい。いや、おいしい。」
「うまいでいいんですよ、こういう時は。」
ゲオルクが笑って言う。
「黒エルフの皆さんの口に合って良かった。でないと売れませんし、そもそも食べられませんからな」
「ただ問題は割れやすいことか。後は劣化していないかだな。」
「はい。そのとおりです。アレシア殿がまとめてくれた結果によりますと、割れたものもありますし、中には傷んでいるものもありますな。
ただこれは密封の仕方も変えて作った品物なので、ある程度は予測しておりました。思った通りの結果ではありますが、これをどうやれば確実に防げるのかは、まだ研究が必要かと」
「研究。研究もされるのか」
「はい。グスタフはこういうことが大好きなのでございます。故に力を入れておることでございます。その結果を報告するのも私の役目」
と、ゲオルクは言うと、アレシアの作った書類の束を大事そうに鞄にしまった。
「ところであちらですが…。おおいヨハン、こっちへ来て族長閣下へご説明してくれ」
ゲオルクがあの小さな丸いオーク、ヨハンという名前らしいが、その彼を呼ぶ。
そのそばで、申し訳なさそうにフェルディナントが言った。
「まったくヨハンのやつ、勝手なことを…」
「いや、私がここでテントを設営してよいし、アレシアに判断を任せたのだ。アレシア、お前が良いと言ったのだろう?」
「はい。また、食事を作りたい、ついては食事もスコルの皆に分けて差し上げたいと言われまして。
そちらも私は材料も作り方も確認いたしました。我々の料理とは趣が異なりますが、美味なスープですよ。
ただし野菜、蕪や芋はこちらからお分けしました。きちんと相場相応の代金も頂いており、村の者には渡しております。
今は、彼らが持って来た物の中にヴルストという食材があり、様々な種類があり、味わいが違っているのですが、それとスコルの野菜などを煮込んだスープを作っています。」
「ヴルスト?肉か?」
私がつい、警戒するような口調でゲオルクに向かって詰問するように言うと、ゲオルクはかぶりを振って言った。
「左様です、族長閣下。先に申し上げておりますが、族長閣下の懸念はご心配には及びません。
我がオルクセンは、確かに以前は同族でも他種族でも食らっておりました。
しかしグスタフの努力によりまして、今となりましては農業生産力は高まり、肉についても豚食が普及しているのでございます。
今回お持ちしているのはこれも保存が利く、やや乾燥させているヴルスト、ドゥーアヴルストと我々は呼んでおりますが、それもいくつか種類を変えて作っておりまして。
それを鍋で煮て、そのほかにジャガイモ、根菜なども入れて煮込むのでございます。」
そこまでゲオルクが説明した時、ヨハンと呼ばれる小柄で丸いオークがやって来て言った。
「はは。そのほかにもいろいろ入れてるんですよ、国…いや、ゲオルクさん。
うちの親父から、親父が秘密にして教えてくれない秘密の作り方ってやつをかっぱらってきてますからね。
しかも、アレシアさんが仲立ちしてくれたんですが、黒エルフさんたち、親父が欲しい欲しいと言って手に入れられないような、いろんなハーブや食材を持ってきてくれたんですよ。おかげで俺は今、この瞬間だけは親父の味を超えましたね」
小柄で丸い身体を反らせて自慢げに言うヨハンの姿が、何とも可愛らしく思えてくる。
「ああ、族長閣下。実はこのヨハン、我がオルクセンの首都の下町にある人気料理店の息子なんですよ。
こいつの親父さんはとにかく安くてうまいものを作るのが大得意で、庶民に大人気の店なんです。だからこのヨハンを連れて来たんですが…」
「ヨハン、だからと言って族長閣下に失礼すぎるぞ」
大柄なフェルディナントがたしなめるように言う。
「いいじゃないかフェル。それにアレシアさんだって手伝ってくれたんだぞ。彼女、いいな。帳面付けるのも上手だし。俺より上手にできる」
「仮にも士官学校を出てるお前より記録作成が上手だなんて…」
と、フェルディナントが言うと、ゲオルクが呆れたように言った。
「確かにヨハン、君よりよほどアレシアさんの方がうまく報告をまとめているぞ。
アレシアさん、貴女ならオルクセンの士官学校に入っても優秀な成績を修められるでしょうな」
「いえそんな、私など未熟な者に過ぎません。ですがおほめ頂きありがとうございます」
「素敵だなあアレシアさん。それに親切だし。
そうだ、族長さん、いや族長閣下、アレシアさんに色々お願いして、黒エルフのハーブや食材を分けて貰ったんです。ありがとうございます」
にこっと笑って丸いヨハンが私に礼をする。
その礼は、フェルディナントの礼とは全く違うものだったが、その分純朴で親しみやすいものに私には感じられた。
「アレシア、何を差し上げたんだ」
「はい。先ほどの野菜のほかには、ハーブを一そろいと、あとは卵はあるかと言われたので、卵屋に話をして、購入してきました。こちらの代金も正価で頂いています。
今ヨハンさんが作っているスープは、卵を入れるとおいしいらしいんです。
卵を入れるというのが王様のおすすめだそうです」
「ああ、そうなんです。ヴルストやらなにやら色々入れますが、その旨味が出たスープで卵を煮込むと、味がしみてうまい。絶品です。
…と王が申しておりまして。」
「そうなのか。」
「はい。私も実は先に確認…要するに少し頂きました。すみません姉様」
「そうか。やむを得ないな。でもまあ、もう村の皆も頂いているのか」
「はい。皆、喜んで食べています」
辺りを見回すと、湯気の立ち上る椀を手にした村のみんなが、口々においしい、おいしいと言って、幼子から老人まで喜んで食べている姿が目に入る。
「黒エルフの皆さんに親しみやすい味付けにしてみたんです。アレシアさんに味見してもらって」
「本当にヨハンさんは料理が得意ですね。勘所をわかっていらっしゃると思います。私は、黒エルフの好みを少し説明しただけですが、それでもわかってしまうんですから」
「アレシアさんの説明が上手なんですよ。それで充分、黒エルフの皆様がどんな感じの味付けが好きかはわかったんです。
ほらどうぞ、族長さん、召し上がって下さいよ」
ヨハンが私に大盛りにした椀を差し出してくる。そばで眉間に皺の三列縦隊を作っているフェルディナントにも、笑ってヨハンが椀を差し出す。
「いや、フェルディナント、気にしないでいい。ヨハンはよくやってくれているじゃないか」
「ほら見ろ、さすが黒エルフのお方は違うね。お前は頭が固すぎるんだ」
「うるさいぞ、少しは礼を覚えろ」
と、また二人が言い争いを始めようとする。それを見かねて押しとどめたのが、ゲオルクだった。
「いや申し訳ない、騒々しい者ばかりで…。
本当のことを申し上げましょう。族長閣下。
というか、本当のことと申し上げましても、色々ありますが…。
まず、いきなりで申し訳ございませんが、このフェルディナントは、実はオルクセン王国軍の中尉の任にある者で、士官学校次席の優秀な人材でございます。
そしてこちらのヨハン、彼は同じオルクセン国軍の少尉で、同じく士官学校席次代59位の者でございます。彼らは実は幼馴染で、小さいころから一緒に遊んで喧嘩ばかりしておりまして…。」
私はさすがに驚いた。
「何、君らは軍人なのか。いや、フェルディナント、君は確かに軍人かと思っていたから意外ではないが、まさかヨハン、君もか。君はさすがに違うと思っていたぞ。」
と私が言うと、フェルディナント中尉は、心底申し訳なさそうな表情で謝罪した。
「今まで隠しておりまして申し訳ありません。またこのヨハン少尉が無礼な振る舞いをしまして、部隊の長として謝罪いたします。
本当にこいつは、軍人の癖にどうしようもない口の利き方ばかりして、閣下にも大変失礼をいたしております」
「うるさいフェル、お前みたいに堅苦しいばかりじゃ、皆さんは信用してくれないんだよ。警戒されるだけだ。それでは駄目だと国王陛下にきつく言われただろうが。
お前、一生客商売はできないぞ」
「この任務は客商売ではないし、そもそも客商売などやらんわ、一生。
軍は客商売をするための組織ではない」
「だからお前は失敗しかけたんだろうが。黒エルフの皆さんを驚かすから」
「お前らやめんか。族長閣下も呆れているぞ」
ゲオルクがとっさに制止しようとする。しかし私は、思わず笑いだしてしまった。
「いやいや。呆れると言うより、もう、何が何だか。
そうするとこの集団は、全員軍人か。武器も運んできているとのことだが、まさか夜中に我らの寝こみを襲うつもりではなかろうな」
私が冗談半分にそう言うと、フェルディナント中尉は、湯気の立つ椀を手にしたまま、直立不動で言った。
「いえ。いつ来るやもしれぬ白エルフの夜襲に備えることはございましても、黒エルフの皆様に危害を加えるようなことはございません。そのような卑怯な真似は、伯父の名に懸けてできません」
「伯父御がいらっしゃるのか、貴官には。
もしや伯父御も軍人でいらっしゃるのか」
「はい。私の名は、フェルディナント・シュヴェーリンと申します」
「何、シュヴェーリンだと?」
流石に私は驚き、一瞬身構えてしまう。
「シュヴェーリン。あのシュヴェーリンか。だから君は、どこかで見たことがあると思ったら…あのシュヴェーリンの…。」
「そのとおりでございます。かつて族長閣下とも戦った、アロイジウス・シュヴェーリンは、私の伯父でございます」
「おい、フェル、だからこそお前がそう堅苦しいと、黒エルフの皆さんが怖がるし安心できないんだよ。伯父さんそっくりのお前がでかい面すると、皆さん驚くだろうが。そういうところがお前の駄目なところなんだ。真面目なだけがいいわけじゃないんだぞ」
少し焦ったようにヨハン少尉が言う。
「族長さん、こいつ、フェルはこんな図体でこんな名前ですが、悪いやつではありません。
間違っても黒エルフの皆さんを傷つけたりなどはしない牡です。
見た通り堅苦しくて要領の悪い、頭のいいバカなんですが、絶対に悪い奴ではありません」
「頭のいいバカとは何だ!」
と、フェルディナント中尉が大きな声を出すと、広場のにぎわっていた声が一瞬凍り付く。
「だから怒鳴るな!みんなびっくりするだろう!」
負けじとヨハン少尉が言い返す。オークの牡同士の一触即発の雰囲気だ。
と、その時。
「まあまあ、二人とも止めましょう。皆さん心配しますよ。
落ち着いて、まずは折角ですから、お食事を頂きましょうよ。」
アレシアが笑いながら、二人の間に割って入っていた。
私たち5人…つまり、私とアレシア、そしてゲオルク会計担当、フェルディナント中尉、ヨハン少尉は、もう一度温めなおした卵入りのヴルストスープの椀を手に、喧騒から少し離れた場所のテーブルに陣取ることにした。他の者たちにも大丈夫だと伝えると、広場はまた元の賑わいを取り戻した。
「まずは我々も食べましょう、うまいものは熱い時のほうがよいものです。
…いただきます」
ゲオルクが丁寧に食事に向かって礼を言うように頭を下げる。
「オークの皆さんも、食事の前には礼をするのか」
私がそう問うと、ゲオルクは目を閉じたまま言った。
「食事が無事に得られたことに、様々なものに感謝しなければなりません。豚とはいえ、命あるものですし、卵もそう。
ジャガイモやカブ、タマネギであろうと、植物もまた生きておるのです。エルフの皆さんもそうお考えであると思いますが」
「すべて大地の恵みであり、それを頂く感謝の心は持っておかなければならないと私は思う。それがオークも同じということとにいささか驚いただけだ」
「同じですよ。エルフもオークも、生きている者に変わりはありません。
では頂きましょう。」
椀の中を見る。よく煮込まれたヴルストは、軍隊の携行食糧としても考えられたものだろうか。歯ごたえもあり食べる楽しみを感じさせながらも、程よく煮込まれて旨味にも溢れている。
その旨味をたっぷりと吸い込んだ芋、蕪、玉葱。そして「グスタフ国王のお勧め」である卵。煮込んだ卵の白身と黄身にしみ込んだ肉と野菜の旨味がとても美味しく感じられる。
そもそもこれはオークの料理であろうが、それをうまく、我々黒エルフが常食とする味付け、ハーブなどを利用して親しみやすいものに変えている。おそらくこれは適度に調整されているからこそ、この味わいができているのだろう。
「ヨハン少尉、貴官の作ったものは非常に美味だ」
「いえ、族長…閣下。確かに作り方は父譲りのものでありますが、アレシア殿がどうすれば黒エルフのみんなに喜んでもらえるか、教えてくれたからうまくできたんですよ。」
「はは。ヨハン少尉。無理に改まる必要はない。話しやすいように話してくれ。」
「さすが族長さん、美人はやっぱり話が早い。」
ヨハン少尉の隣に座っているフェルディナント中尉が、また口を真横に結んで眉をひそめている。そんな彼のことを完全に無視して、ヨハン少尉が続ける。
「いやいやアレシアさんはもう、優しくいろいろ教えてくれましたからね。だから族長さんのお口だけでなく、みんなうまいうまいと言ってくれているんです。
まさにこれこそ黒エルフの皆様あってこその料理ですね。いや、これを帰って作ってやったら、親父が驚きますよ。
うちの店じゃこんな上質のハーブは手に入りませんが、ここじゃいくらでも手に入るらしいじゃないですか。それをうまく使えばこんなにうまくなるとは。まさに黒エルフの皆様とオークの俺らとの友好の飯というものです」
その言葉を聞いたアレシアが、嬉しそうな顔をして言う。
「私達からすれば、いつも使っているその辺の草のようなものですよ。
大したものではありませんから、いくらでもお持ち帰り頂いて結構ですよ。こんなものでよろしければ。干したものが沢山ありますよ。」
「面白いな。その辺の草か。あはは。とするとこの料理は、『その辺の草入り煮込み』だな。そう言ってうちの親父に食わせてやろう。」
ヨハン中尉とアレシアの二人が声を出して笑いあう。そんな姿を見て、ゲオルクが低い声で言った。
「アレシア殿は、我々が怖くありませんか」
その問いに対し、アレシアは落ち着いた様子で、微笑しながら答えた。
「はい。確かに村の外に皆様の気配を感じたときは、あまりに多数でしたので、私は犯された後に食われる覚悟を致しました。
それぐらい恐ろしい思いを致しましたよ。」
「そ、そんなことは絶対にしないって!」
ヨハン少尉が大慌てで否定する。
「わかっていますよ、ヨハン少尉。
今は大丈夫です。ヨハン少尉がどんな方か、一緒に仕事をしていてわかりましたし、このようなおいしいものを作る人が恐ろしいはずはありません。
だから私は思いました。ヨハンのお父様のお店に行ってみたいなと。」
「そんな…。親父なんて、黒エルフのお嬢さんとか連れて行ったら、目を回すぜ。
うちの親父は古臭い、いかにもオークって感じの牡だからな」
「古臭いって…ヨハン少尉のお父様は黒エルフを食べたりするのでしょうか?」
くすくす笑うアレシアを見て、ヨハン少尉が笑って言う。
「いやあ逆だよ。もしアレシアさんが目の前に来たら、親父はもう何をしていいかさっぱりわからなくなって、人形みたいに固まっちまうか、慌てて逃げ出すかどちらかだぜ、きっと。
親父、50年前の戦争で、シュヴェーリン将軍の陰に隠れてようやく生き延びたような弱っちい奴だからな。
料理作ってるときはすげえでかい態度で偉そうなのに。
飯の作り方だって、何一つ教えてくれたりしないんだぜ、店で真面目に働いてる若手とかだけでなく、俺にもさ。」
「厳しいお父様なんですね。」
「いやいや、飯を作っている時以外はまるで役に立たない親父だよ。」
ヨハン少尉が鼻で笑ってそう言うと、
「お前とそっくりじゃないか、ヨハン。アレシアさん、こいつはですね、戦闘じゃもう、全く役に立たない弱虫なんですよ。」
フェルディナント中尉が巨体を揺すりながら笑い出して言った。
「ああそうだよ、悪いか。」
「悪くないさ。」
フェルディナント中尉は、腕組みを解いて言った。
「アロイジウス伯父はな、お前の親父さんがいなければ死んでたっていつも言ってる。
戦争に出て、補給もなくなって食事も満足にできなくなっているのに、お前の親父さんときたら、その辺になってるわけのわからん実とか、草とかを取って来て、うまいものを作って食わせてくれたってな。
おかげで力が出て、お前の親父も、俺の伯父も、無事に戻ってこれたんだ。いや、伯父だけじゃない。伯父はいつも、お前の親父がいなかったら、もっと死人が出ていたはずだって言っている。」
「そうなのか…。あのシュヴェーリンが…?」
「はい。族長閣下、ヨハンの親父はある意味凄い牡なのであります。
50年前の皆様との戦争の時のことですが、あの退却中、こいつの親父の所属していた部隊が激しい戦闘になって、怖くて逃げ出した時がございました。
こいつの親父は逃げ出した後、救援に向かった伯父の部隊に見つかります。
そして脱走兵だということで捕まり、軍規違反だ、罰せねばという話になりました。
しかしまず救援が先だということになり、その、激しい戦闘をしている部隊を急いで救援に行ったのです。
そうするとその部隊は、かなり損害を受けておりましたが、何とか持ちこたえておりました。そこにアロイジウス伯父が現れたものですから、敵…ええ、白エルフでありますが、敵は一目散に退却いたしました。
それで戦闘には決着が付きました。しかし話はここからです。
その、こいつの親父の所属する部隊の指揮官が現れまして、うちの鍋は見つかったか、と伯父に聞いたそうです。
鍋というが何の鍋かと伯父が聞いたら、隊長は笑って、鍋と言ってもただの鍋じゃありません、うちの大事な炊事担当のことでございます、と言いました。
伯父は、途中で拾った脱走兵のことかと思って、連れてきてその隊長に面通しをすると、ああそうだ、生きててよかったなどとその隊長は笑い出しました。
いやこいつ、戦闘ではまるで使えない足手まといだけれど、こいつを失うのはまずいと思って、逃がしたのです、とね。
そうしたら、その部隊の負傷兵や半分死にかけてるような病人兵が、わらわらと集まって参りました。
そして皆が口々に言ったそうです。裏切り者とか卑怯者とか言われて、非難されるのかと思いきや、お前、生きていたなら早く飯を作れ。早くしないとみんなくたばるぞ、とね。
そしてその部隊は、こいつの親父さんが作った飯を食って、元気を取り戻しました。
伯父はびっくりしたそうです。伯父の部隊の死にかけているような兵まで元気を取り戻すぐらい、うまい飯だったと。
それからその部隊と伯父の部隊は一緒に退却を続け、戦いから無事帰還できたということです。ですから伯父は、こいつの親父を凄い奴だと言っておるのでございます。」
私はただ黙って聞いているしかなかった。
ゲオルクもまた、目を閉じて黙ってその話を聞いていた。
そして、俄かに口を開くと、私に向かって言った。
「族長閣下。お見苦しいところをお見せしておりますが、彼らはとても仲が良いのです。
彼らはお話申し上げたとおり、それこそ上の代からの戦友というものでございます。
しかも、彼らはお互いに持たないものを補い合っている、いい友人です。だからグスタフ王は、この困難な任務を彼らに託そうと思ったのです」
「…困難か。それは我ら、黒エルフを説得するのが困難という意味か。」
「いえ。それよりも困難なのは、やはり白エルフへの対応でしょう。
これから何が起きるやら、予想もつきません。
何と申しましても、とにかく早く、説得することが必要です。ご同族を。
いや、こう考えてくださるのはいかがでしょうか。少し旅に出るだけだ、と。
もし、黒エルフの皆さんが我が領へ「旅立った」後、白エルフが何もせずにいて、ただ馬鹿なオークよ、馬鹿なオークの口車に乗った黒エルフよ、と笑うだけであれば、まだよいではありませんか。
もしどうしても体面が気になるのであれば、擬態として我が国に攻め込んで頂いても結構である、とグスタフ王は仰っておられます。あくまで黒エルフはオルクセンに攻め入って勝利した、という体裁でわが国の一部にとどまっていただいて結構。
場合によってはそういうことでもよい。そう王は思われておられます。そうなさるのであれば戦利品も多少はご用意しましょう。落ち着いたらそれを持ち帰ればいい。
それを白エルフに送れば面目も立ちましょう。決して裏切っていたりなどしないと。」
「なぜそこまでされるのか。そんな、偽計に協力していただけるほどの友好関係ではないだろう。
これまで我々は戦いを何度も繰り返しているではないか。敵であった時間の方が長いだろう。そうは思わないか。」
「確かにその通りです。」
ゲオルクは大きく息を吸い込んで、話を続ける。
「だからこそ王は、貴女様、黒エルフの族長、ディネルース・アンダリエルと話がしたいと思ったのです。今まで敵であった貴女様とお話をし、そのうえで決めたいと。
だからこそ、私が族長閣下に、国王の言葉としてお伝えしているのです。」
「…」
「ですが…私は思うのです。
『同じものを食べて美味いと思える者は、わかり合える』と。」
同じものを食べて。
先ほど振舞われた、卵の入った具沢山のヴルストのスープ。あの風味がまだ口内に残っている。
私は目を閉じた。
「先ほど頂いたものはうまかった。確かにそうだ。
私も貴方に茶を振舞ったな。あれを貴方はおいしいと言ってくれた。
あの時の私の気持ちが、貴方にはわかるか」
「…わかるかもしれません。が、それを口に出して言うのは恥ずかしいことです」
「何、私もアレシアと同じようなものだよ。」
私はふっと笑って続ける。
「『こんなにおいしそうに私の茶を飲むオークが、悪い奴のはずがない』のさ。」
その時となっては、最早それは私の本心としか言いようがないものだった。
あの時茶を淹れながら、吐き出されたらどうしてくれよう、と思っていた自分が、今となっては恥ずかしい気もするぐらいだ。
「ただ、懸念はないわけではない。まず第一に、スコルの皆は貴方がたのことを理解したかもしれない。
しかし他の村はそうではない。馴染むには時間がかかる。
そしてもう一つ、繰り返すが、貴方を信じることと、同族を信じないことは別だ。
私にはどうしても、かつての戦友でもある白エルフが、そんな悪辣なことを企んでいると確信することまでには至っていない。
実際、悪い奴ばかりではないのだ。白エルフも…」
「族長閣下。それは仰るとおりです。ただ、あの白エルフの新聞は御覧になったとおりですし、グロワールからであってもキャメロットからであっても、伝わってくる情勢はかなり厳しいものです。
そして何より、グロワールがもし黒幕だと言うならば、そのほうがすっきりするぐらいです。先ほどお話したとおり、彼らにはこの陰謀を執り行う意味がある。それだけに危険なのです。
仮にキャメロットであっても、彼らはもともとエルフィンドに恨みを持つ国家です。
キャメロットとしては、エルフィンドが荒れれば、自慢の海軍力で首都を直接叩くこともできる。キャメロットは結局、海賊の親玉のような気質も残る国家です。
利益をもたらす以上はどこかと組むでしょうが、利益に反すればそうはなりません。
私はそう思っております。いずれにせよ彼らは白エルフを焚きつけようとするでしょうし、白エルフは「良い燃料を見つけた」としか思わないでしょう。
閣下、ご決断はお願いいたします。それが我が王、グスタフからのお願いでございます。」
そう言って、3名のオークは、揃って私に頭を深々と下げた。
私とアレシアもまた、礼を以て返す以上のことはできなかった。