第1話
フォールド中の船内は静かすぎた。
音も、振動も、感覚と呼べるものが削ぎ落とされ、執務室は現実から切り離された箱のように漂っている。
──私は裁かれる。
それは予感ではなく、手続きの問題だ。
壊滅した勢力。
白日の下に晒された数々の悪行。
その周縁にいた人間が、無傷で済む筈がない。
私はその総てを知っていたわけではなかった。
市民達の抗議と呼ばれていた権利の行使がどれほど歪められていたのか。
その全貌を、私は知ろうとも思わなかった。
だが、地方分権より中央集権を優先する思想は正しいと思っていた。
人類は分かれすぎている。
一つにならなければ、未来は無い。
そう考えた。
今でも、それが完全な誤りだったとは言い切れない。
しかし結果として、私は壊滅した賊軍側に名を連ねる人間になった。
銀河ネットワークでは、もう騒ぎになっているだろう。 艦の市民達にもこの波紋は広がっている筈だ。
裁きは訪れる。
私達の席は空く。
あとは、時間の問題だ。
──そのはずだった。
執務室の静寂を打ち破り、突如として警報が鳴り響く。
「フォールド空間内で異常重力波を検知!」
副官の声は、いつもの落ち着きを失っていた
※※※
AD2051年2月15日 2003時(地球圏標準時:統合軍カレンダー)
モルガン星団γ177宙域(超空間フォールド航行中)
《アヴァロン》の艦橋は、久方ぶりに明るい空気に包まれていた。
張り詰めていた疲労の底に、安堵と希望がわずかに滲んでいる。
そういった類の明るさである。
地球圏にてタカ派による圧制の苗は刈り取られた。
これからは移民惑星の自治政府が、より強い発言力を持つことになるだろう。
少なくとも、移民船団の一員である彼らはそう信じていた。
例外はいるにせよ、市民と現場の人間は、皆そう思っていた……
その彼らが人生の大部分を過ごして来た船、アヴァロンは移民船団の中枢艦である。
正式名称は《改メガロード級大型移民船:アヴァロン》
人類史初の宇宙戦争を生き抜き、その絶滅を辛うじて止めた方舟SDF-1マクロス、そしてその改良型であるメガロードを更に改良し、収容可能人口をおよそ十倍にまで拡張した存在だ。
新マクロス級超大型移民船が本格的に運用される以前、その過渡期に試験的に建造された数少ない船の一隻でもある。
航行開始から約三十年……
新天地を求めて星の海を渡り続ける間に、アヴァロンは幾重もの改造を受けてきた。
今や、出航当時の面影を残しているのは、SDF-1の設計思想を引き継いだ艦橋くらいしかない。
判断の場だけは、何も変わらず、歴史を見守り続けていたのだ……
その判断の場、一番高い位置に置かれた席に本来座る筈の人物の姿は無く、主不在の座席を副官の《サラ・ミルズ大佐》が少し複雑な面持ちで眺めていた……
「艦長、昨日からなんだか様子がおかしくないですか?」
ミルズ大佐の様子を見ていた管制官の一人が徐にそう尋ねた。
課程教育を終えたばかりのその管制官は女性というより少女程には若く、ミルズ大佐とは親子程にも歳の差があるようにも見えた。
ミルズ大佐は緊張感の無い少女の様な部下に一言戒めるべきかどうか一考したが、それより先に他の管制官が彼女を戒める様子を見て、何もしない事にした。
VFの管制を主任務とする彼女達は超空間の中では特段忙しい訳でも無い。
それに、ミルズ大佐本人も、席を離れて久しい艦長の心配をするくらいには余裕があったのは事実である。
実際、船団全体が先の騒動による緊張から解放され、そこはかとない安堵の雰囲気に包まれているのだ。
多少気が緩むのも仕方ない、若者ならば尚更だ。
ミルズ大佐はそう判断し、若者達の会話に少しばかり参加する事にした。
「艦長も色々大変だと言う事です、市民からすれば自由を掴んだ勝利の様に思えるかも知れませんが、統合政府や我々軍人から見れば身内の巨大な不祥事そのものです、これからが大変ですからね……」
「大変……ですか?」
少女の様な管制官は少し顔を強張らせる。
それに合わせて数名の若者達がミルズ大佐に視線を向けた。
「そうです、我々に対する市民のイメージは明らかに悪くなります、今まで協力してもらっていた事も聞き入れては貰えないかも知れませんし、猜疑心から我々の一挙手一投足を事細かに見てくるかも知れません」
ミルズ大佐はあえて冗長的な説明口調でもってそこまで言うと、次いで自身を注視していた若い管制官を一瞥する。
「怠けたり、ミスをするなんてもってのほかです」
はっとした彼らは慌てた様子で自分達の正面にあるディスプレイに顔を戻すのだった。
「各員、観測データのチェックを怠るな」
軍人として成長途中にある彼女たちに向けた言葉は、上官というより教官のそれに近かった。 そう自覚したミルズ大佐は、緩みかけた自分の頬を引き締め、艦長の代わりに一言だけ指示を与えて場を締めくくろうとした。
──その時であった。
最初に異変に気づいたのは、甲板部所属の観測手だった。
艦橋に自分の席を与えられてから、十年以上。
若者たちが副官と談笑する傍らで、黙々と自分の仕事に集中できる程度には、己の職責を理解している。
そして、自分の仕事に対する知識と経験、矜持がある。
そういった類の人物だ。
彼の前に並ぶモニターには、スターボウ輝く肉眼の風景とは対極にある世界が映し出されていた。
辛うじて人間に知覚できるよう整形された、文字と記号の羅列──情報の塊。
その塊の一つ、重力波を示す値に、彼は違和感を覚えた。
それは艦艇のフォールドエンジンから発せられるものではない。
かといって、実空間経路上に元から存在する星のものでもなかった。
強いて言うなら──
実空間航路の先に、突然新たな星が現れた。
そんな現象を示しているとしか思えない。
本来ならば、起こり得ない。
そのはずの現象を、数値は静かに示していた。
観測員は即座に再計測をシステムに指示した。
センサーのレンジを切り替え、補正値を外し、別系統の演算器に同じデータを流す。
──消えない。
それどころか、重力波の数値は、上昇している。
刹那のうちに、彼は状況を整理した。
この傾向が続けば、数分以内に臨界値に達する。
観測員は、席を立つことなく声を張った。
「副官! 重力波観測、値上昇を確認!」
ブリッジの空気が、目に見えて変わった。
「重力機雷の類か?」
ミルズ大佐は即座に尋ねた。
プロトカルチャーの時代に作られ、ゼントラーディたちも運用した兵器。
マクロス級艦艇すら航行不能にする重力波を発生させ、場合によっては小型ブラックホールすら生み出す。
銀河には、そうした負の遺産が今も点在している。
(それなら、まだ想定内だ)
彼女は、観測員が答えるまでの短い時間で、いくつもの対処手順を頭の中に組み上げ始めていた。
「……いえ、デカすぎます」
観測員の返答は、そのすべてを打ち砕いた。
「重力波の規模と影響範囲が、過去のデータを遥かに上回っています! このまま進めば──空間そのものが持ちません!」
「フォールド断層……!」
ミルズ大佐のその一言に、艦橋にいる全員が息を呑んだ。
人類播種計画の初期から、数多の犠牲者を生んできた災害。
存在が知られた今なお、人類の技術では突破不能とされる障害。
それと同じものが、移民船団の進路上に、突如として現れたのだ。
「全艦に非常警報発令!
緊急プロトコル発動、総員フォールドアウト実行作業に移行!
座標算出、急げ!」
停止しかけた思考を即座に再起動させ、ミルズ大佐は矢継ぎ早に指示を飛ばした。
そのまま艦内通信システムを緊急区分に切り替え、執務室への直結回線を開く。
「フォールド空間内で異常重力波を検知!」
焦りと緊張を抑えきれぬまま、執務室にいるであろう人物へ、まず事実だけを叩きつけた。
「緊急プロトコルを発動しました、至急艦橋にお戻り下さい」
言い終えた瞬間、彼女の胸を別の不安がよぎる。
それは、その人物の能力を疑うものではない。
むしろ逆だ。
──本当に、そこにいるのか。
その問いは、職務とは無関係なところから、
しかし決して無視できない重さで浮かび上がってきた。
ミルズ大佐は、知らず唇を噛む。
彼女は、副官として無知でいられる立場ではなかった。
この役職は、知りたくもない事実を知る立場でもある。
特に──
有能な指揮官のそばに立つ者ほど、
そうした事実を知る機会に恵まれてしまう。
彼女は、艦長がどの勢力と関わり、どの判断を支持してきたのかを、知っていた。
「……直ぐに向かう」
ミルズ大佐は、それ以上の言葉を求めなかった。
※※※
AD2051年2月15日 2018時(地球圏標準時:統合軍カレンダー)
改メガロード級大型移民船団 アヴァロン 艦橋
鳴り響く警報によって、内省の底から引き戻された《レオナード・H・グラント准将》は、制帽のずれを正しながら主艦橋の自動ブラストドアをくぐった。
「敬礼省略。状況は?」
座席から立ち上がろうとする部下たちを制し、彼は副官ミルズ大佐にそう尋ねた。
「現在、緊急プロトコルに従い、フォールドアウト・シーケンスに移行中です」
「あと、どれくらいだ?」
その問いが終わるより早く、艦橋の視界が眩い光に包まれた。
次の瞬間、漆黒の宇宙に無数の星々が浮かぶ──通常空間だ。
「……今です」
短く答えたミルズ大佐に、グラント准将は二、三度瞬きをした後、口元を緩めた。
「……流石だ」
不在の間も乗員に的確な指示を飛ばし、限られた時間の中で最適な手段を選び、実行した副官の手腕。
彼はそれを、疑っていなかった。
自分がいなくなったとしても、この船団は正しく機能するだろう。
そう思うと、胸の奥にあった重みが、ほんのわずかに軽くなった気がした。
だが、その時が来るまでは、自分に与えられた役割を演じ続けなければならない。
「全艦、損害状況を知らせ!」
艦長という役割に戻った彼が、最初に飛ばした命令がそれだった。
「空母、ハンニバル、スキピオ、共に損傷無し」
「巡洋艦、テルモピュライ、ミュカレ、異常無し」
「護衛フリゲート艦隊、旗艦ハルジオンより入電。
『我ラ、健在ナリ。心配御無用』」
複数の通信オペレーター達が各艦艇から次々と送られる報告を矢継早に艦長に伝える。
その最中。
「工作艦、ニコラ・テスラ──製造区域に異常発生」
船団のライフラインを支える艦だった。
「何が起きた?」
艦長は目を丸くし、座席から身を乗り出して尋ねる。
兵器工場の故障ならばまだマシだが、飲食に関わる部分なら一大事である。
「それが……民生品製造エリア、インスタントヌードル製造機のラベル印刷機が故障したとの事です……」
報告した通信要員は、言い終えると同時に、どこか申し訳なさそうに視線を伏せた。
「……それは、一大事だな」
「……ええ、一大事ですね」
艦長と副官は顔を見合わせ、とりあえず、そう返すことにした。
「艦内居住地区、医療機関より報告です。
フォールド酔いの症状による搬送者が若干名。
その他の負傷者は、今のところ確認されていません」
続いて、通信要員が言いにくそうに言葉を継ぐ。
「また、市民代表のマルコム氏が、状況説明を求めているそうですが……いかがいたしますか?」
「非常事態だと伝えておけ」
即答だった。
艦長は、かの人物の顔を思い浮かべ、わずかに渋い表情を浮かべる。
今はそれどころではない。
何なら、インスタントヌードル製造機の方がよほど由々しき事態だ。
──あの味噌カレーヌードルには、若い頃、何度も助けられたのだから。
「よろしいのですか。後が面倒になりますよ?」
ミルズ大佐の問いかけに、艦長は艦橋正面の視界から目を離さずに答えた。
「事実だ。
彼と悠長に話をしている暇はない」
その視線の先。
主観測スクリーンいっぱいに映し出された《それ》を、彼は無言で見つめていた。
……それは、まるで星の骸のようであった。
青い海も、大地を覆う緑も、星が生きている証である、風化した茶色の隆起も存在しない。
皺と罅に覆われた、醜い鈍色の塊が、そこにあるだけだ。
それだけならば、奇跡が起こらなかった名も無き惑星に過ぎない。
だが、この星は──それにしては、あまりにも歪だった。
鈍色の大地は、本来なら存在し得ないはずの均衡で大気に覆われている。
そして、その大気の下には、《もともとそこにあったもの》の痕跡が、消し去りきれずに残されている。
「……かつての地球よりも、地獄だな」
艦長はそう呟き、眼下の光景から、しばし目を離すことができなかった。
登場人物
レオナード・H・グラント 年齢:60
移民船アヴァロンの艦長、本作一番の被害者。
今の環境を少しでも良くしたいと思い、中央で主流派だと思われていた派閥が負け側になってしまって
危機に陥る地方の役人みたいな状況の人。
能力はあるのに運と政のセンスが無いタイプ。
サラ・ミルズ 年齢:41
副官、被害者ナンバー2。
アヴァロンのおっかさん。
グラント艦長とは士官学校時代の教官と生徒の関係だった過去がある。
また、士官学校時代に同期から「大昔に地球で流行った映画の女優に似ている」
という理由から不吉だと避けられていた過去がある。
その映画が、船の中でヤバい寄生生物が大暴れするSFホラーの金字塔だったので
仕方ない…