マクロス・ディソナンス   作:藻瑠江 嵐

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第14話(挿絵あり)

 ボクは、最初から“研究者”として最適化された存在だった。

 

 感情は削減。

 共感は抑制。

 迷いは不要。

 

 客観的、論理的、合理的。

 失敗を恐れず、成功するまで続ける。

 それだけがボクの存在理由。

 

 普通の人間が持つ感情は、ただのノイズだと言われた。

 怒り、悲しみ、執着。

 思考と、判断を鈍らせる雑音。

 

 ボクも、それが最適解だと信じていた。

 

 実際、上手くいっていた。

 同業者はボクを疎み、恐れ、あるいは軽んじた。

 だが結果は出した。

 鼻を明かしてやるのは嫌いじゃなかった。

 

 それで十分だった。

 

 ……のに。

 

 トール・奏多。

 

 左遷部隊の士官。

 組織から不要とされた男。

 

 彼が、ボクの在り方を全力で否定した。

 

 あれは何だったんだろう。

 最初は腹が立った。

 

 そして、好奇心。

 自分とは違う“凡人”が、どんな理屈でそんなことを言うのか。

 

 同業者を論破するのと、同じ気分のはずだった。

 

 でも違った。

 

 彼は、理屈でボクを否定したわけじゃない。

 生き方で否定した。

 

 命令無視。

 左遷。

 仲間の死。

 

 ボクなら、そうはならない選択をする。

 合理的に、効率的に、最適解を選ぶ。

 

 でも彼は、違う。

 

 不合理だ。

 無駄だ。

 損失が多い。

 

 なのに。

 

 彼に会うたび。

 彼の話を聞くたび。

 彼の過程を知るたび。

 

 ボクの中で、何かが揺れる。

 

 ひとつの事象。

 観測対象。

 分析すべきサンプル。

 

 それだけだったはずなのに。

 

 干渉したい、と思ってしまう。

 

 介入したい。

 傷を減らしたい。

 失敗確率を下げたい。

 

 それは明確なノイズだ。

 

 研究者としては失格に近い。

 

 でも。

 

 そのノイズを感じる瞬間。

 胸の奥が、少しだけ熱を持つ。

 不快じゃない。

 

 むしろ──

 

 嬉しい。

 

 ……おかしい。

 

 感情は不要なはずだ。

 削減すべき変数だ。

 

 なのに。

 

 アムとフィムのために怒った。

 悲しんだ。

 あの男が飛び立つのを見て、不安になった。

 

 いなくなるかもしれない、と思った。

 いなくなったら困る、と。

 

 困る? 

 

 合理的理由は無い。

 代替は可能だ。

 人員は他にもいる。

 

 でも。

 

 “トール・奏多”でなければ意味がない、と思っている自分がいる。

 

 これは、何だ? 

 

 依存か? 

 錯誤か? 

 進化か? 

 

 ……違う。

 

 全部、あいつのせいだ。

 

 トール・奏多。

 

 ボクより少しだけ年上の、ただの男。

 

 

 

※※※

 

 

 

降下25日目

ニコラ・テスラ 医療区画

 

 

 

 柔らかな照明。

 壁に走る薄い発光ライン。

 静かな機器音が規則的に空間を満たしている。

 

 ニールはいつもの椅子に腰を下ろしていた。

 

「最近の睡眠状態はどうですか?」

 

 トニーの穏やかな声。

 

「浅いですね。寝てるっていうより、落ちてる感じです」

 

「夢は?」

 

 ニールは少し視線を逸らす。

 

「あります。爆音と……声と……」

 

 そこから先は言わない。

 

 言葉にすると輪郭がはっきりする。

 はっきりすると、現実味が増す。

 

「起きた後は?」

 

「……壊れないんですよ」

 

 トニーが目を上げる。

 

「完全に壊れてしまえば楽なんじゃないかって、思う時がある」

 

 苦笑。

 

「でも壊れない。中途半端に丈夫なんですかね?」

 

 肉体は健康だ。

 筋肉も、神経も、反応速度も。

 

 再構築された身体は完璧に近い。

 

 だが──

 

 仲間の死体を使って再生された自分。

 その事実は、夜になると別の顔を持つ。

 

 壊れない。

 でも消えない。

 

 もがくしかない。

 

「あなたは、まだここにいます」

 

 トニーが言う。

 

「それは、壊れていない証拠です」

 

 ニールは小さく息を吐く。

 そして、診察室の扉に目を向けた。

 

 いつもなら勢いよく開くはずの扉が、静かなままだった。

 

「今日は、来ないんですか」

 

 トニーは微笑む。

 

「新しく来た子供達のところかもしれませんね」

 

「子供達?」

 

「見に行きますか?」

 

 ニールは立ち上がった。

 

「ええ」

 

 

 

※※※

 

 

 

——少しして

ニコラ・テスラ 研究区画

 

 

 

 普段は分析機器やホログラムが並ぶ空間の一角。

 

 その休憩室。

 

 そこに、四人。

 

 銀、赤、緑、青。

 特徴的な色彩の髪。

 

 フォルミス人の少女達が、椅子を寄せ合い、静かに話している。

 

 ニールが立ち止まる。

 

「ニール!」

 

 セラが気づき、ぱっと笑顔になる。

 

 駆け寄る。

 

「聞いて! 昨日ね──」

 

 早口で話す。

 

 最近覚えた言葉。

 今日食べた物。

 見た景色。

 

 ニールはその話を聞く。

 妹がいたら、こんな感じなのだろうか。

 自分の話をしなくても、時間は流れる。

 それが、少し心地いい。

 

 赤髪の少女が立ち上がる。

 

「へぇ。この方が」

 

 金色の瞳が、じっとこちらを見る。

 

「初めまして、ニールさん。

 プムと申します」

 

 自己紹介をする赤いショートヘアの少女。

 セラの方に目をやり、少し悪戯っぽい表情を浮かべる。

 

「セラがいつも楽しそうにあなたの事を話すものだから、どんな方なのかなと思っていました」

 

 セラが慌てる。

 

「ちょ、ちょっと! 

 言わないで」

 

 緑髪の少女が会釈する。

 

「……はじめまして。

 フィムです」

 

 恐る恐るといった感じ。

 人見知りする子なのだろうとニールは思った。

 

「こっちが、姉のアムです」

 

 フィムから紹介された青い髪の少女。

 ——こくり、と一度だけ頭を下げる。

 

「三つ子?」

 

 ニールが言う。

 

「まぁ……そのようなものです」

 

 プムが微笑む。

 

 少女達の輪。

 同年代の友人達。

 家に妹が友達を連れてきた時の、あの感じ。

 疎外感を感じつつ、ニールはぼんやりと眺める。

 

 そして違和感。

 

 青い髪の少女。

 呼びかけに対する反応が遅い。

 瞬きが少ない。

 ただ無口だというわけでは無さそうだ。

 

「……あの子」

 

 トニーが隣に立つ。

 

「トールさん達が地下都市まで行った事はご存知ですか?」

 

「地下がヤバい所だという事は海兵隊でも噂になってます」

 

「アムとフィムは、その地下から助け出された子達です」

 

 トニーは簡潔に説明した。

 

 フォルミスの地下都市で行われていたナノマシンによる狂気。

 三人はその被害者。

 青い少女はその結果、心を壊され、セラや妹達がそれを治そうとしている。

 

 トニーの話を聞くニールの胸の奥が、静かに軋んだ。

 

 虚空を見る姉。

 その隣で必死に言葉を紡ぐ妹。

 

 自分と、重なる。

 否。

 善意であった分、自分の方が何倍もマシだ。

 

 拳が、自然に握られた。

 

「前に、俺、言いました……」

 

「何をですか?」

 

「自分が知らないだけで、世の中にはクソみたいな事がいっぱいあるって」

 

「……そう、ですね」

 

「だとしても……これは」

 

 言葉を探す。

 

「あんまりだ」

 

 声は低い。

 

 トニーは否定しない。

 

 沈黙。

 

 その沈黙の中で、ニールの中の何かが、わずかに動く。

 

 怒りでもない。

 同情でもない。

 

 もっと曖昧なもの。

 

 ただ、立ち止まっている場合ではない、という感覚。

 

 何かを守るために立っているはずの自分が、

 守られる側に近いところで足踏みしている。

 

 それが、少しだけ、居心地が悪い。

 

 

 その時、休憩室の扉が開かれた。

 

 

 トクタカ教授達だった。

 

「やあ、ニール」

 

 教授が声をかける。

 

 ハンナが小声で。

 

「え、ちょっと……整いすぎてません?」

 

 その言葉に、セラが反応する。

 じとっと睨むセラ。

 

「……ダメだよ」

 

「あー、このイケメン君がセラちゃんの?」

 

「揶揄わないの、ハンナ」

 

 ハセヤマがやんわり制する。

 

 その時。

 教授がニールの前に立つ。

 

 一瞬、ニールは身構えた。

 

 教授は視線を逸らさず、言う。

 

「まだ君に、きちんと謝罪をしていなかった」

 

 静かな声。

 

「君の前で、心無い事を言ってしまった。

 配慮が足りなかった、すまない……」

 

 空気が止まる。

 

 ハンナが隣にいるハセヤマに囁く。

 

「あの人、何か変な物食べました?」

 

「うるさいなぁ。

 ケジメだよ、ケジメ」

 

 教授は言う。

 

「トールなら、そう言って……」

 

 言葉が途切れた。

 

 何かがあったのだろう。

 ニールはそう思った。

 

 だが。

 この人が、変わろうとしている事は何となく分かる。

 

 ニールは息を吐いた。

 

「ぶっちゃけ、まだ恨んでます」

 

 正直に言う。

 教授が固まる。

 

「でも」

 

 少し間を置く。

 

「済んでしまった事をウジウジ言った所で、何も変わんない」

 

 ほんの少しだけ笑う。

 

「前に進むしか無いんです」

 

 その言葉が、誰に向けたものだったのか。

 ニール自身にも、はっきりとは分からなかった。

 

 奥に座る、青い髪の少女の指先が、わずかに動いた。

 ほんの、わずかに。

 

 

 

※※※

 

 

 

降下26日目

アヴァロン 艦長執務室

 

 

 

 静かな重圧が空間を満たしていた。

 

 テーブル中央にはフォルミス地下都市の立体図。

 階層構造が幾重にも重なり、上層・中層・下層が色分けされている。

 

 それを取り囲むように船団の重役達のホロウィンドウ。

 フォルミス降下から、もう何度目にもなる首脳会議だった。

 

 グラント准将が低く言った。

 

「先日の調査、ならびにコンポーザからの情報を総合した結論だ」

 

 視線を上げる。

 

「地下都市は現在、プロフェットと生存オラクルの連合体制下にある。これは確定だな」

 

「はい」

 

 プムが即答する。

 

 ドルシが続ける。

 

「上層は完全に掌握されています。反抗は即時鎮圧。情報統制も徹底されています」

 

 ミルズが確認する。

 

「市民の支持は?」

 

「下層の大半は我々に共感しています」

 

 プムの声は静かだが揺れない。

 

「中層にも支援者はいます。上層にも──少数ですが」

 

 ホログラムに顔写真が表示される。

 長い髭をたくわえた、白髪の老人。

 黒と金の法衣を纏っている。

 

「第3プロフェット」

 

 今度は長い赤髪の女性。

 同じく、法衣姿。

 

「そして第6プロフェット。

 ……かつての実母です」

 

 わずかなざわめき。

 

「二十年前の内乱。

 その火は未だに消えてないという事です」

 

 グラントは教授へ視線を向けた。

 

「コアとの対話で得た情報を、改めて説明して頂きたい」

 

 教授は淡々と口を開く。

 

「フォルミス=コアは再生計画のため、我々を利用するつもりだ」

 

 空間の空気がさらに冷える。

 

「証拠として、現在も重力制御による妨害が継続している。

 半ば強制的に協力させるための制限だ」

 

 ミルズが言う。

 

「つまり、彼らにとって我々は交渉相手ではなく、道具」

 

 教授は頷く。

 

「コアにとって重要なのはフォルミス人だ。

 異星人である我々は、利用価値があるから生かされているに過ぎない」

 

 ロメロのホログラムが静かに光る。

 

「結局、干渉は避けられんということだな」

 

「そうだ」

 

 グラントは即答した。

 

「プロフェット派は、いずれ我々を敵と認識する」

 

 ミルズが続ける。

 

「現状、コンポーザ側につく以外に選択肢はありません」

 

 視線がプムとドルシに集まる。

 

 グラントが問う。

 

「政権奪取は可能か?」

 

 ドルシは慎重に言葉を選ぶ。

 

「可能性はあります。ですが、上層部の軍事力は強大です」

 

 プムが言う。

 

「血は流れます」

 

 短い沈黙。

 

 

 その間、クロウフォードは無言で地下都市図を見つめていた。

 

(圧倒的だ)

 

 資料にあった文明格差。

 ナノマシン制御。

 重力操作。

 都市全体を覆う管理構造。

 

 手に入れれば──

 

 古巣の連中に従属するよりも、フォルミス人と結託し、独立自治を確立した方がはるかに有利ではないか。

 

 グラントは先が短い。

 責任を背負い、断罪される覚悟もあるだろう。

 

 だが私は違う。

 

 私はラクテンスという時流に乗っただけ。

 たったそれだけの事で全てを失うなど、認められるものか。

 

 クロウフォードは何も言わない。

 だが視線の奥で、計算が回り続けていた。

 

 

 ロメロは別の方向を見ていた。

 

(戦うのは仕方ない)

 

 それが任務だ。

 

 だがその先。

 

 市民達はどうなる。

 この船団はどうなる。

 

 戦いは守るためにある。

 だが戦いの後、守るべきものが変質していたら? 

 

 思想は死なない。

 組織が崩れても、火種は残る。

 

 ラクテンスが潰れたからといって、同じ思想が再び芽吹かない保証はない。

 

 この戦いが、次の火種にならないか。

 

 ロメロはグラントを見つめる。

 

(どこまで見えている)

 

 問いは飲み込んだ。

 

 

 マルコムが落ち着かない様子で口を開く。

 

「しかし……戦うとなれば、市民は無事なのですかな?」

 

 場違いなほど率直な声。

 

「この船団が傷つくことは無いのですかな? 

 子供達は……その……」

 

 言葉が続かない。

 

 背後でアリスが静かに目を細める。

 

(この人は、本当に心配している)

 

 だから扱いやすい。

 

 この戦いがフォルミス人の自由のためだと喧伝されれば、

 市民の感情は動く。

 

 その象徴は既に存在している。

 

 プムという存在。

 地下の少女達。

 理不尽に抗う姿。

 

 それは強力な物語の偶像となる。

 

 物語は人を動かす。

 人は熱狂する。

 

 その熱の中で、ラクテンス残党は再び動く。

 

 グラントが動かなくとも。

 クロウフォードが沈黙していても。

 軍部や市民の中に紛れ込んだ者達が火を点ける。

 

 それをどう刈り取るか。

 

 アリスは計算する。

 

(戦いの後が本番)

 

 

 グラントが最後に言った。

 

「……避けられぬ戦いだ」

 

 誰も反論しない。

 

 執務室の空気は重い。

 それぞれの胸中に、別の戦いが芽生えていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

降下27日目 2000時頃

アヴァロン 最下層区 繁華街

中華料理チェーン“娘娘” 入り口前

 

 

 

「ゴチになりましたー!」

 

「隊長、来月も頼みます!」

 

「冗談っスよ、冗談!」

 

 笑い声が、娘娘の赤い看板の下で弾ける。

 

 祝勝会という名の交流会は終わった。

 仲間たちは三々五々、夜の繁華街へと散っていく。

 

 最後に残ったのは、トールと教授。

 

 財布を閉じた瞬間、トールはほんの少しだけ遠い目をした。

 

「……今月、節約だな」

 

「そんなに減ったのかい?」

 

 隣で当然のように立つ教授。

 

「まぁな。大部持っていかれた」

 

 助けられた手前、断れなかった。

 それは本心だ。

 

 教授は真顔で言う。

 

「助けられたのはボクも同じだ。半分払わないと不公平だろう」

 

「気にすんな」

 

 即答だった。

 

 教授は小さく首を傾げる。

 

「何故だ」

 

 トールは少しだけ視線を逸らし、反射的に答えた。

 

「カッコくらいつけさせろ」

 

 教授の瞳が、真っ直ぐに向けられる。

 

「何故格好をつける必要がある?」

 

「……」

 

 言葉が詰まる。

 

 夜風が二人の間を抜けた。

 

「それは……」

 

 しばらく見つめた後、教授は小さく息を吐く。

 

「まあ、無理に聞くつもりはない」

 

 そして、気を取り直すように言った。

 

「せっかくここまで来たのだから、またあの店に行こう」

 

「俺は腹一杯だぞ」

 

「メニューは全て記憶している。デザートも豊富だ。興味がある」

 

 トールは苦笑する。

 

「甘いものは別腹ってやつ?」

 

「そういうやつだ」

 

「……しゃーねぇな」

 

 二人は並んで、ネオンに照らされた通りを歩き出した。

 

 

 

※※※

 

 

 

10分後

居酒屋のぼる

 

 

 

 暖簾をくぐり案内されたのは、前と同じボックス席だった。

 

 どこか安心する空間。

 

 トールは水割りを。

 教授は小さめのパフェを注文した。

 

 運ばれてきたグラスの氷が、静かに鳴る。

 

 教授はスプーンでパフェを丁寧に掬う。

 その仕草は、研究器具を扱う時よりも慎重だ。

 

 トールはそれをぼーっと見ていた。

 

「欲しいのかい?」

 

「いや」

 

 少しだけ笑う。

 

「嬉しそうに食うなと思ってな」

 

 教授は、わずかに目を伏せた。

 

「甘味は幸福物質の分泌を促す」

 

「理屈で説明すんな」

 

 短い笑い。

 

「……」

 

「……」

 

 そして沈黙。

 

「助手のハセヤマさん、かなり飛ばしてたな」

 

「彼女があれほど飲むとは思わなかったよ」

 

「最後の方、ずっとマークにひっついてたな」

 

「あれほど酔った彼女を見たのは初めてだよ。

 ここ最近、彼女に頼ってばかりだったからね。

 少し休みをあげた方が良いのかも知れないな」

 

「……」

 

「……」

 

 再び沈黙。

 

 次の言葉が出てこない。

 

 妙な間が続く。

 

 トールはグラスを回しながら、こう言った。

 

「この前ここ来た時、お前は、俺とアーサーの事を根掘り葉掘り聞いたよな」

 

「そうだ」

 

「もしかして、また何か聞きたい事でもあるのか?」

 

 “余計な事”を考えないようにして出た、“余計な言葉”だった。

 

 教授は、しばらく沈黙した。

 

 スプーンを置く。

 その指先が、少し震えていた。

 

「気になっている事がある」

 

 ゆっくりと。

 

「君が干渉した事によって、ボクは変わってしまった」

 

 トールは黙って聞く。

 

「以前のボクは、客観的で、合理的で、それが最適解だと信じていた」

 

「今は?」

 

「ノイズがある」

 

 自嘲気味に笑う。

 

「君の事を考えると、判断が揺らぐ。

 不安になる。

 君が危険な状況にいると、理屈とは別の衝動が生じる」

 

 顔を上げる。

 

「なぜトールは、ボクに干渉しようと思った?」

 

 トールは目を閉じ、少し考える。

 

「最初はな、傍若無人で、人の心も考えない、とんでもない奴だと思った。

 正直、腹が立った」

 

 正直に言う。

 

「でも、セラに引っ叩かれたお前を見て……何だか放っておけなかった」

 

 教授の瞳が、わずかに揺れる。

 

「その後に、お前は“感情なんか知らなくていい”って言ったよな……」

 

 氷が、静かに溶ける音。

 

「あれが嫌だった」

 

「それは何故だ」

 

「分からない」

 

 トールは苦笑する。

 

「ただ、あの時のお前の顔が……悲しそうに見えた」

 

 教授は息を止める。

 

「悲しそうな人なら、誰でも助けるのか?」

 

「違う」

 

 即答だった。

 

「多分、お前だからだと思う」

 

 沈黙。

 

 教授は、真っ直ぐに見つめる。

 

「曖昧だな。それほど難しいものなのか?」

 

「難しいっていうより、怖い」

 

「何を恐れている」

 

「今の状態が、壊れちまいそうだから」

 

「どういう事だ、

 何が壊れる? 何を恐れている?」

 

「……そこまで言わせるのか」

 

「ボクに変化を与えたのは、君だ。

 ボクは知りたい」

 

「どうしても、言わなきゃだめか?」

 

「どうしても、知りたい。

 知るまではここを動かない……」

 

 逃げ道は無かった。

 

 

「……好きだからだ」

 

 

 言った瞬間、視線を伏せた。

 鼓動がうるさい。

 

 静寂。

 

 数秒が、永遠のように長かった。

 

「……なんだ」

 

 教授が、小さく笑った。

 トールは顔を上げる。

 

「笑わなくても……」

 

 言いかけて、言葉が止まった。

 

 彼女は泣いていた。

 泣きながら、笑っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「……そういう事か」

 

 涙が頬を伝う。

 だがその表情は、これまで見たことがないほど柔らかかった。

 

「ようやく分かった」

 

 震える声。

 

「これが、“人を好きになる”という事なんだな」

 

 細い身体が、わずかに震える。

 

「ようやく理解できた」

 

 深く息を吸う。

 

「ありがとう、トール」

 

 まっすぐ見つめる。

 

「結論だが」

 

「ボクは、トール・奏多という人物の事が好きなんだ」

 

 迷いはなかった。

 

「そうに違いない」

 

 トールは、ふっと笑う。

 胸の奥の緊張がほどけた。

 

「いい歳した大人達が居酒屋で愛を語るとはな。

 ムードの欠片も無ぇや」

 

 教授は涙を拭きながら言う。

 

「ボクは、そういうことはよく分からない。

 従って、ボクは気にしない」

 

 二人は、静かに笑った。

 

 水割りの氷は、完全に溶けていた。

 

 夜は静かに更けていく。

 

 二人の距離は、すぐ近くにあった。

 

 

 

※※※

 

 

 

降下29日目

空母スキピオ 第9格納庫

 

 

 

 修理を終えた四機のミョルニルが並べられていた。

 

 外装は新品同様に磨かれているが、装甲の下には聖域で刻まれた傷跡の影響は残っている。

 

 あの脱出劇から一週間。

 

 フォルミス地下側が動き出してもおかしくはない時間が経っていた。

 だが、今のところ目立った動きはない。

 

 それが逆に、落ち着かない。

 

「左肩アクチュエータ、もう一回チェックするぞ」

 

 ピーターが端末を操作する。

 

「了解っス」

 

 クリスが機体の脚部に潜り込む。

 

 ペイジはリベンジャーの接続部を自ら点検していた。

 マークは無言でセンサー系の最終確認を進めている。

 

 いつでも出られる状態にしておきたい。

 

 命令は出ていない。

 だが、動くなら突然だ。

 

 それを全員が分かっている。

 

「……なんか」

 

 クリスが機体の下から声を上げる。

 

「俺ら、妙にやる気出てません?」

 

 ピーターが薄く笑う。

 

「否定はしない」

 

 ペイジも鼻を鳴らす。

 

「元々は左遷部隊だったのにな」

 

 ただそこにいて。

 雑用をこなし。

 最低限の訓練だけを受け。

 表舞台から外された穀潰し。

 

 それが今は。

 

 万一に備えて、自主的に機体を弄っている。

 

 戦闘を望んでいるわけではない。

 だが。

 

「……悪くねぇ」

 

 ペイジは小さく呟く。

 

 一端の兵士に戻りつつある。

 その実感が、どこか嬉しい。

 

 格納庫の奥。

 簡易テーブルの上にホログラムが浮かんでいる。

 

 地下構造図を確認しながら、トールと教授が向かい合い、話をしている。

 

 一見すると普段の光景。

 

 だが。

 

 距離が近い様に思えた。

 

 自然と肩が触れそうな距離。

 以前なら、どこか角のあった空気が、今はない。

 

(トールのやつ、男見せたな)

 

 ペイジはその様子を横目で見ながら、彼の功績を讃え、微笑む。

 

 そして、それとは別に胸の奥に引っかかるものを感じていた。

 

 仲間達といるこの場所は、居心地が良い。

 だが。

 彼にはもう一つの顔がある。

 

 アリスと共に、主義者どもの新たな野望を狩る役割。

 

 水面下で動く思想。

 復活を狙う連中。

 フォルミスの件を利用しようとする者達。

 

 その情報を追い、潰す役目。

 

 サンダーストラック隊のペイジ・ギブソン。

 そして、もう一つの顔。

 

 どちらが本当だ。

 どちらが正しい。

 

 その答えは出ない。

 

「……らしくねぇな」

 

 自嘲する。

 

 無骨な機体の装甲に手を置く。

 この愛機は、何も答えてくれない。

 

「おーい、ペイジさん?」

 

 クリスがいつの間にか隣に立っていた。

 

「何かあったんスか?」

 

 ぼーっとしていたらしい。

 

「いや」

 

 ペイジは誤魔化すように顎で示す。

 

「トール達、なんか変わってねぇか?」

 

「言われてみれば……」

 

 クリスが目を細める。

 

「教授の歩き方、ちょっとぎこちなくないっスか?」

 

「週末は“お楽しみ”だったんだろ」

 

 にやにや笑う。

 

「やっぱ俺の言ったこと正しかったじゃないっスか」

 

「そうだけど、そうじゃねぇだろ」

 

 ペイジは軽く頭を叩く。

 

「邪魔すんな。外野は引っ込んどけ」

 

「了解っス」

 

 クリスは機体の下へ戻っていく。

 再び工具の音が響く。

 

 ペイジはもう一度、トールの背中を見る。

 

 あいつは、守るだろう。

 きっと。

 

 だが。

 

 守る相手が、思想の道具にされる日が来たら? 

 

 その時、自分はどちらに立つ。

 

 部隊か。

 任務か。

 

 それとも──。

 

 答えは出ない。

 

「調整、完了」

 

 マークの声が響く。

 

 四機のミョルニルが、静かに立つ。

 

 準備は整った。

 

 動くのは、向こうか。

 それともこちらか。

 

 無骨な機体は、沈黙したままだった。




教授の服はハセヤマさんチョイス。
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