十五の時だった。
初めて、親友と呼べる相手が出来たのは。
きっかけは、酷く下らない一言だった。
「お前、何も喋んねーな」
それが最初だった。
今でも覚えている。
惑星モシリ、行政都市のハイスクール。辺境とはいえ行政機能を担う街だけあって、人の出入りはそれなりに多かった。だが、銀河の中心から見れば所詮は田舎だ。そういう場所をわざわざ進学先に選んだのは、家から離れたかったからだ。
ブロードウッド家。
その名前がある限り、どこへ行っても自分は自分でいられない。
父は新統合政府司法省・保安局の副局長。長男は弁護士。次男は銀河大学で司法を学ぶ優等生。兄二人は最初から出来が良かった。頭も、要領も、家の名前の使い方もだ。
その一方で、自分には何もなかった。
特別秀でた才能もない。愛想もない。家の期待に応えられる程の才覚もない。幼い頃からずっと比べられてきた。兄達と。優秀な一族の名に相応しい人間像と。
周囲も同じだった。
ブロードウッド家の名を聞けば、避けるか、媚びるか。そのどちらかだ。こちらが何者であるかではなく、背後に何があるかしか見ていない。
だから家を離れた。
辺境の学校なら少しはましだろうと思った。だが、甘かった。一部の教師や生徒は名前を知っていた。結局どこへ行っても同じだと、すぐに思い知った。
ならば、最初から誰とも関わらなければいい。
そう決めた矢先だった。
「お前、何も喋んねーな」
見れば、妙な男がいた。
標準語もろくに喋れず、訛りがきつい。顔立ちは悪くないのに、全体として漂う雰囲気が台無しにしている。身なりも少し雑だった。笑い方にも締まりがない。
トール・奏多。
彼の祖国の名で記すなら、奏多透。
控えめに言って、馬鹿だった。
学はない。品性もない。物を知らない。周囲からそのことを指摘されても、いつもへらへら笑っている。教師に注意されても深刻さがない。生徒にからかわれても、どこか他人事みたいな顔をしていた。
こちらがブロードウッド家の三男だと聞かされても、反応は薄かった。というより、そもそも高官が何なのか分かっていないのではないかと思うほどだった。
ブロードウッド家の三男。
そう言われるたびに、あいつは決まって、誰も聞いていないのにこう言うのだ。
俺は農家の三男だ、と。
全部、どうでもよさそうだった。
本当に鬱陶しかった。
あれほど露骨に自分の領域へ踏み込んで来る人間に会ったのは初めてだった。こちらが壁を作っているのに、何の遠慮もなく土足で入ってくる。不快でしかない。
だから、ある日聞いた。
なぜ自分に関わろうとするのかと。
あいつは、少し考えた。
それから、特に意味はないと答えた。
ただ、何となく、本当は面白い奴なんじゃないかと思った。
それだけだと。
あの時、自分の中で何かが変わった。
家柄でもなかった。能力でもなかった。ブロードウッド家の三男という看板でもなかった。
初めてだった。
対等な人間として接してきた相手は。
それからの学生生活は、驚くほど楽しかった。
主に自分があいつの勉強を見ていた。放っておけば平気で赤点を取りそうだったからだ。だが、教えれば覚える。地頭が悪いわけではない。ただ、信じられないほど雑だった。
一緒にバイトもした。
駅前の娘娘。意外にもあいつは味にうるさく、調理の腕前には驚かされた。
学園祭ではバンドを組んだ。あいつは人を巻き込むのが妙に上手かった。最初はあいつを馬鹿にしていた連中も、いつの間にか輪の中にいた。気づけば、あいつと自分を中心にして、大きな輪が出来ていた。
誰が好きだとか、誰に告白して振られたとか、本当にどうでもいい話も山ほどした。
下らない時間だった。
だが、あれが確かに青春というものだったのだろう。
自分は、あいつを尊敬していた。
学も品もないくせに、人の中心へ立ってしまう力。誰かを引きずり出して、笑わせて、巻き込んでしまう力。持とうと思って持てるものではない。
そして進路を決める時期が来た。
あいつは言った。
バルキリー乗りになると。
その夢が、ひどく眩しく見えた。
だから自分も願書を出した。一緒に士官学校へ行った。そこでも、仲間達と馬鹿騒ぎをした。十五歳から十年。ほとんどの時間を一緒に過ごした。
唯一無二の親友だった。
だが、五年前。
あいつは突然いなくなった。
たった一度の失敗だった。
仲間を死なせた。あいつは全部を自分一人で背負い込んだ。そして何も言わず、自分の前から消えた。
裏切られたと思った。
勝手な話だと分かっている。あいつにもあいつの事情があったのだろう。だが、それでもそう思った。
何故、自分に何も言わなかった。
何故、一緒に背負わせなかった。
何故、たった一人で消えた。
それでも、いつか戻って来るのではないかと期待していた。
だが、何年待っても戻らなかった。
今のあいつはどうだ。
左遷部隊。
クロウフォードが作った、陰湿な掃き溜めのような部隊で、自罰的に自分を消耗させている。腐っているようにしか見えなかった。
そう思っていた。
思っていた、はずだった。
だが。
少しだけ、それは違うのではないかと思い始めてもいる。
フォルミスに降りてから見たあいつは、自分が知っているトール・奏多の残滓ではなかった。腐っているようで、腐りきってはいない。壊れているようで、壊れたまま止まってもいない。
相変わらず腹の立つ男だ。
勝手に消えて、勝手に背負い込んで、勝手にどこかで生き方を変えていた。
感謝している。
本当に。
あいつと出会わなければ、自分の人生はあんなふうには開かなかった。
だが同時に、今のあいつには怒りもある。
何故お前は、自分だけで決めた。
何故お前は、今さらそんな顔をしている。
何故お前は、まだそこにいる。
問いはいくらでも浮かぶ。
だが、答えは聞けていない。
いや。
自分がまだ、聞く覚悟を決めきれていないだけかもしれない。
※※※
降下44日目 1100時
空母スキピオ ブリーフィングルーム
ブリーフィングルームには、普段の作戦説明とは違う種類の緊張があった。
集められた顔ぶれが、それを物語っている。
航空団精鋭ソード隊。
攻撃部隊のステッペンウルフ隊とバックインブラック隊。
アックス、フレイル、スティレット、パイク、ランス等の通常部隊。
警戒管制機のエボーニーアイズ。
そして、海兵隊より一時引き戻されたサンダーストラック隊。
先の防衛戦を戦い抜いた可変機のパイロット達が、壁際まで埋まるように並んでいた。
トールは後方寄りの位置に立っていた。
隣にはペイジ。
少し離れてピーター、マーク、クリスがいる。
誰も無駄口は叩かない。
無駄口を叩けないと言った方が正しい。
視線の先、壇上には作戦指揮を担当するシモンズ中佐と、管制部隊指揮官のマルケス少佐が立っていた。
背後の大型スクリーンには、フォルミス地表の広域地形図と、赤いマーカーで囲われた複数の地点が表示されている。
移民船団とコンポーザが手を組んでから、初めての本格的な反攻作戦。
その最初の一手が、今ここで説明されようとしていた。
無意識に肩が強張る。
初の正規任務。
そう言われれば、その通りだった。
今までやってきたことが非正規だったわけではない。むしろ、嫌というほど実戦は潜ってきた。だが、今回のように明確な戦略目標のもと、複数部隊が連携し、正式な命令系統の中で動く任務は初めてだった。
サンダーストラック隊。
左遷部隊。
そう呼ばれ続けてきた自分達が、その一角を担う。
それが少しだけ可笑しくもあり、少しだけ重くもあった。
シモンズ中佐が一歩前に出た。
「これより、無人兵器製造プラント破壊作戦のブリーフィングを開始する」
室内の空気が、さらに一段引き締まる。
「諸君らも承知の通り、敵勢力は先の移民船団への大規模襲撃において、周辺地域に展開していた無人機戦力の八割以上を損失した」
スクリーンに、前回会戦の戦術図が映る。
赤で示された敵機影の大部分が消失し、残存戦力だけが点在している。
「その結果、地下都市側のエネルギー配分は現在、無人機製造プラントへ最優先で集中している。コンポーザ側はその配給先を調査し、複数の高消費地点を特定した」
マーカーの一つが拡大される。
「今回の目標は、その中でも最もエネルギー消費量が大きい地点だ」
表示されたのは、巨大な柱のような構造物だった。
半ば地中に埋まり、半ば天を突くように伸びている。
「敵施設は埋没型の巨大柱状施設。地表──天蓋部と、中層部──本来の地上を貫通するように建設されている」
地形の断面図が映る。
死んだナノマシンの堆積物である岩盤を貫くようにして、施設が上下へ伸びていた。
「施設周囲には四基のシールド発生装置が配置されている。この防御を突破しない限り、中心施設への有効打は難しい」
次に、防衛戦力の一覧が映る。
「防衛戦力の存在も確認されている。蟻型無人機タビス、蜂型無人機チレン、甲虫型無人機タキマ。加えて、先日ソード隊が交戦した新型機の存在も確認されている」
スクリーンに青い半透明の羽を持つ機体が映し出される。
「蝶型無人機パレークス。強力な電子戦能力を持ち、VFの索敵装備を無力化する」
続いて、細長い胴体を持つ大型機の画像。
「蜻蛉型無人機ナスパ。積載量の大きい戦闘爆撃機だ」
マルケス少佐が横から補足する。
「チレン、パレークス、ナスパ。この三種が連携した場合、脅威度は飛躍的に上がる。特にパレークスによる電子戦下でのナスパは危険だ」
シモンズ中佐が頷いた。
「よって、作戦中は蝶型パレークス及び蜻蛉型ナスパを優先攻撃対象とする」
トールは前方のソード隊へ目を向けた。
アーサーは微動だにせず立っている。
ジュールは腕を組み、口元に薄く笑みを浮かべていた。
カールは静かに画面を見つめていた。
「また、地上設備の対空戦闘能力も高い。低空侵入、あるいは地上近接時には相応の警戒が必要になる」
表示が切り替わる。
「作戦は三段階だ」
スクリーンに三つの工程が順に並ぶ。
「第一段階。VF-11各隊による制空戦闘。敵無人航空機部隊を撃破し、制空権を確保する」
サンダーボルトのパイロット達が、それぞれ真顔で画面を見ていた。
「第二段階。サンダーストラック隊によるシールド発生装置破壊」
その言葉に、室内の何人かの視線がこちらへ向いた。
トールは顔を上げる。
ペイジは無表情のまま。
ピーターの顎がわずかに締まり、クリスは口元の笑みを消した。マークだけがいつも通り静かだった。
スクリーンにVA-5ミョルニルの武装図が表示される。
「各機のガンポッド、リベンジャーはレールガンシステム“ヤールングレイプル”へ換装済みだ」
武装模式図が拡大される。
通常の銃砲身に比べ、より長く無骨な形状。
「ミョルニルの精密射撃能力と有り余るジェネレータ出力を用い、高速プロジェクタイルを射出。シールドごと発生装置を打ち抜き、無力化する」
クリスが小さく息を呑む。
ピーターは腕を組み直した。
トールは黙って画面を見ていた。
作戦の要だった。
自分達が失敗すれば、第三段階は成立しない。
「第三段階。VA部隊、VF-17部隊による地上戦力の掃討。並行して、VA-5搭載レールガンによるプラント施設への直接攻撃を実施する」
ステッペンウルフ隊のモナーク大尉、バックインブラック隊のヤング大尉が無言で頷く。
「航空部隊による制圧完了後、海兵隊を投入。製造プラント内部を破壊する」
そこでシモンズ中佐は一度言葉を切った。
「以上が作戦の大枠だ」
だが、説明はそこで終わらなかった。
「次に、目標施設の詳細と攻撃ポイントを説明する」
中佐が一歩脇へ退く。
「コンポーザ代表」
その呼びかけに応じて、前列の脇から小さな影が壇上へ上がった。
プムだった。
室内に、明確などよめきが走る。
「……子供?」
「代表って……」
「何かの冗談かよ」
小声だった。
だが静まり返った室内では十分に聞こえる。
無理もない。
ソード隊とサンダーストラック隊以外のパイロット達は、コンポーザ代表と聞いて、当然もっと年長の指導者を想像していた。実際に壇上へ現れたのは、どう見ても年若い少女でしかない。
トールは視線だけで周囲を一度見た。
驚き、戸惑い、訝しさ。
反応は様々だった。
だが、プム本人は何も気にした様子を見せなかった。
壇上の端末の前に立ち、静かに画面へ手を伸ばす。
「説明します」
短い声。
次の瞬間、施設断面図の一部が強調表示された。
「この施設は外見上の規模以上に内部構造が複雑です」
口調は落ち着いていた。
年齢相応の幼さはある。だが、言葉に迷いがない。
「シールド発生装置は四基。いずれも施設本体から少し離れた位置に配置されています」
四つの発光点が表示される。
「この四基が互いに干渉し合うことで、主施設を防御しています。従って、本体への直接攻撃より先に、ここを破壊する必要があります」
室内のざわめきが、少しずつ静まっていく。
「また、施設上層は天蓋部へ繋がっていますが、実際の生産ラインの多くは中層側にあります」
別の断面図。
内部に走る幾筋ものラインが浮かぶ。
「このルートです」
プムが示したのは、施設側面の一部だった。
「ここはエネルギー伝送量が最も大きく、装甲の分厚さの割に脆弱です。シールドが無ければ、外部からの直接貫通が可能です」
トールは画面を見ながら、頭の中で距離と角度を組み立てる。
撃てる。
条件さえ整えば、十分に。
「こちらが第二目標」
別の箇所が点灯する。
「ここを破壊すれば、施設全体の出力が一時的に低下します。プラントの生産機能も大きく損なわれるはずです」
その説明は明快だった。
誰も、もう彼女の年齢には意識を向けていなかった。
壇上にいるのは子供ではない。
少なくとも、この作戦においてはそうではない。
コンポーザの代表として、今この場に立っている者だった。
説明を終えたプムは、静かに視線を上げた。
「以上です」
短い沈黙。
その後、シモンズ中佐が前へ戻る。
「コンポーザ代表は、案内役としてエボーニーアイズに同乗する。攻撃ポイントの最終指示も彼女が行う」
スクリーンに、VE-11Dの機影が映る。
「ソード隊の主任務は、コンポーザ代表の護衛だ」
ジュールが小さく肩を鳴らした。
カールは無言。
アーサーはただ静かに立っている。
「状況に応じて遊撃も許可するが、優先順位を誤るな」
短い間。
「以上だ。各員、機体最終確認後、発艦準備に入れ」
ブリーフィングルームの空気が一斉に動いた。
椅子が鳴り、靴音が重なる。
各隊がそれぞれの持ち場へ戻るために動き出す。
トールも仲間達の方へ振り向いた。
クリスは気負いを隠すように口を歪めている。
ピーターは無言で手袋を引き直した。
マークは静かだが、目だけがいつもより鋭い。
ペイジは肩を竦めただけだった。
初の正規任務。
しかも、作戦の成否を握る第二段階。
緊張がないはずはなかった。
だが、それを口に出す者はいない。
トールは短く息を吐く。
やることは決まっている。
撃ち抜く。
それだけだ。
その視線の先で、壇上を降りたプムがウェルチ中尉と言葉を交わしていた。
彼女はこれから、あの早期警戒管制機に乗る。
そしてソード隊は、その護衛を担う。
いよいよ始まるのだと、トールは改めて思った。
移民船団とコンポーザが手を組んで行う、最初の本格的な反攻作戦が。
※※※
同日 1306時
空母ハンニバル 待機格納庫 エレベーター前
カタパルトデッキへと続く待機格納庫は、出撃前特有の硬い空気に満ちていた。
エレベーター前に並ぶ機体群。
白銀のVF-19A。
灰色のVA-5ミョルニル。
整備員達が最後の確認を終え、ケーブルや工具を慌ただしく片付けていく。
その一角で、トールは部下達を前に立っていた。
目の前にはピーター、マーク、クリス、ペイジ。
全員、自分の機体の前に立ったまま聞いている。
今さら説明するまでもない内容だった。
だが、だからこそ確認が必要だった。
「ヤールングレイプルの注意事項は、もう分かってるな」
トールが言う。
「今回のための急造品だ。可変機の専用設計じゃない」
視線を自分の機体へ向ける。
リベンジャーに代わって懸架された巨大な砲身。
無骨で、いかにも間に合わせで組み上げたような風体だった。
「アンギラスの調整が間に合ってない。
それにサイズがデカすぎて、変形時に干渉が起きる」
少し間。
「だから今回、バトロイドへの変形は不可能だ」
ピーターが短く頷く。
「了解」
トールは続けた。
「発射に使うエネルギーは膨大だ。
機体側のエネルギーキャパシタは、ほとんどこいつに持ってかれる」
砲身を顎で示す。
「チャージ完了から発射まで十秒。
発射後の再チャージを含めると、合計で約二十秒」
声が少し低くなる。
「その間、機体のSWAGは死ぬ」
クリスの表情から、いつもの軽さが消えていた。
「一発でも食らえば命取りだ」
トールは四人を順に見た。
「射つタイミングの判断は各自に任せる。
だが、前後二十秒無防備になることだけは忘れるな」
ペイジが鼻を鳴らす。
「そんなモン忘れる奴ぁ、最初から死にてぇ奴だけだ」
マークが静かに言った。
「要は、撃つ前に片を付けるか、守ってもらうかですね」
「そういうことだ」
トールは頷く。
ピーターが言う。
「派手な玩具だが、癖は最悪だな」
「その代わり、当たりゃデカい」
クリスが砲身を見上げながら言う。
「外したら笑えませんけどね」
「外すな」
トールの一言に、三人は短く頷いた。
確認は終わった。
各々が自分の機体へ向かう。
その時だった。
マークの前に、ハセヤマが現れた。
マークはわずかに目を見開いたが、すぐにその表情が柔らかくなった。
「来ていたんですね」
ハセヤマは頷いた。
少しだけ視線を落としている。
「ええ。どうしても顔を見ておきたくて」
マークは何も言わず待った。
ハセヤマは、彼の機体に取り付けられたヤールングレイプルへ目を向ける。
「換装を手伝っておいて、こんなことを言うのも変ですけど」
少し迷うように間を置く。
「二十秒……長いです」
声が少しだけ弱くなる。
「ごめんなさい。
もう少し時間があれば……」
その謝罪を、マークは最後まで言わせなかった。
一歩踏み込み、ハセヤマの顎を軽く持ち上げ、そのまま唇を重ねる。
ハセヤマは最初固まっていた。
だが、すぐにマークの首の後ろへと手を回す。
深かった。
短く済ませる気など最初からないような口付けだった。
マークはようやく唇を離すと、惚けたままの彼女を見て、低く言った。
「続きは帰ってからです」
それだけ言って背を向ける。
そのまま機体へ乗り込んでいった。
残されたハセヤマは、しばらくその場から動けなかった。
その一部始終を、隣で見ていた人間が二人いた。
トールとアイだった。
トールは呆れたように言う。
「あの二人だけ世界違うな」
アイが口元に笑みを浮かべる。
「君の部下って大胆だね」
「いや、俺も今ちょっと引いたわ」
アイは肩をすくめた。
「ボク達もするかい?」
あまりにも自然な口調だった。
トールが顔を向ける。
「人前は流石に小っ恥ずかしいわ」
「そうかい」
アイはあっさり引いた。
「その方が良い」
「良いんかい」
トールが苦笑すると、アイは少しだけ視線を逸らした。
「お昼に餃子を食べてしまった」
トールは一瞬黙る。
「なら誘うなや」
アイが笑う。
トールもつられて笑った。
短い沈黙。
もう出る時間だった。
「行ってくる」
トールが言う。
アイは頷いた。
「気をつけて」
それだけだった。
だが、それで十分だった。
少し離れた場所では、別の静けさがあった。
管制機、エボーニーアイズの脇。
橙色のパイロットスーツを着たプムが立っている。
一番小さなサイズでも、やはり少しぶかぶかだった。
袖も、脚も、わずかに余る。
ウェルチ中尉が屈み込み、装具の位置を確認していた。
「大丈夫?
苦しくない?」
「はい」
プムは短く答える。
そのまま、ウェルチに手を借りながらVE-11Dの後部座席へ乗り込んでいく。
その様子を、少し離れた場所からソード隊の三人が見ていた。
黒いパイロットスーツ姿のまま、誰も動かない。
最初に口を開いたのはジュールだった。
「十三、だったか」
誰にともなく言う。
「俺達、その歳の頃何してた?」
少し考えるように、遠くを見る。
自分でも答えは出なかったらしい。
カールが静かに言った。
「少なくとも、あんなにしっかりした子供ではなかった」
ジュールが小さく笑う。
「そりゃそうだ」
アーサーも短く言う。
「……そうだな」
三人の視線の先で、プムはためらいなく座席へ収まっていく。
自分の意思で乗っているのだと分かる。
それでも、三人の胸の内は重かった。
子供だ。
どう見ても、まだ子供だった。
そんな年齢の少女が、革命の神輿として担がれ、戦場に直接出向く。
おかしい。
三人ともそう思っていた。
だが、それを口にしたところで何も変わらない。
止められるだけの立場もない。
変えられるだけの力もない。
精鋭。
航空団最強。
空飛ぶ広告塔。
色々と言われるが、所詮は命令を聞くだけの一パイロットだ。
できることは一つしかない。
ジュールが言う。
「勝って、さっさと終わらせる」
いつも通りの言葉だった。
カールが頷く。
「それしかない」
アーサーは無言で拳を差し出した。
ジュールがそれに拳を合わせる。
カールも重ねる。
短い接触。
そこから先は、誰も何も言わなかった。
仕事の時間だ。
※※※
同日 1430時
フォルミス丘陵地帯 AO(作戦空域)
丘陵地帯の上空を、複数の機影が低く速く走っていた。
先頭を行くのはエボーニーアイズ。
VE-11Dの灰色の機体が、地形に沿うように進んでいく。その少し後方、高度をずらして白銀の三機がつく。ソード隊だ。
さらに左右と後方へ、各隊の機体が散開している。
アーサーはHUDの表示を見つめたまま、前方の空域を睨んでいた。
目標施設はまだ先にある。
だが、敵が黙って通すはずもない。
レーダーの端で、ノイズがざらついた。
直後、複数の反応が湧く。
「来るぞ」
アーサーが短く言う。
即座にエボーニーアイズの後席で、プムが前方の情報盤へ身を乗り出した。橙色のパイロットスーツは相変わらず少し大きい。だが、声音に迷いはない。
「前方上空、蝶型複数。後方に蜻蛉型。数……増えます」
ウェルチ中尉が素早く機を傾ける。
「了解。回避機動に入るわよ」
次の瞬間、前方の空が青く揺れた。
半透明の羽を持つ蝶型無人機パレークス。
その後ろには、細長い胴体を持つ蜻蛉型、ナスパ。
アーサーは即座に判断する。
「ノーブル、マジェスティ。蝶型を優先撃破」
『了解』
『了解した』
だが、距離が遠い。
ジュールとカールが放ったミサイルは、中間航程までは真っ直ぐ飛んだものの、次の瞬間には誘導を失ったように散った。パレークスの電子戦能力が、ミサイルの目を潰している。
ジュールが舌打ち混じりに笑う。
『やっぱりそう来るか』
アーサーは短く命じた。
「接近戦に切り替えろ」
白銀の三機が、加速した。
VF-19Aエクスカリバーが空を裂いて突っ込む。相手は無人機だ。だが、蝶型の撹乱と蜻蛉型の高速機動が重なり、想像以上に厄介だった。
ジュール機が一機のナスパの背後へ回ろうとした瞬間、相手は鋭く機首を返した。重爆撃機然とした見た目に反して、動きが軽い。大きな胴体を振り回しながら、ほとんど戦闘機のように旋回してみせる。
『前より動きが良い』
ジュールが言う。
『学習している!』
別空域では、VF-11各隊も交戦に入っていた。
アックス、パイク、フレイル、ランス、スティレット、レイピア。
六個小隊のVF-11が、ナスパとチレンの群れに食らいつく。
蜻蛉型は重いはずだった。
だが実際には違う。推力を生かした直線加速と、信じ難い切り返しでVF-11の背後を狙ってくる。制空担当の各隊は、いきなり泥臭いドッグファイトへ引きずり込まれていた。
『アックス1、右上!』
『見えてる!』
ケイティ中尉が機体を傾け、背後から突っ込んできたナスパの火線を紙一重で避ける。代わりに僚機が上へ抜け、短い斉射を浴びせる。だが、相手もまた機体を滑らせて致命傷を避ける。
空が狭い。
敵味方の機影が入り乱れ、軌跡が何重にも交差する。
その後方、サンダーストラック隊の五機は丘陵の陰を使って低空進入していた。
トールのミョルニルを先頭に、灰色の機体が地表すれすれを滑る。
各機の翼下には追加武装。
ロケット発射筒、地中貫通爆弾、マイクロミサイルポッド。
そして主兵装として懸架されたヤールングレイプル。
通常のリベンジャーより明らかに長く、重く、無骨な砲身だった。
前方に、目標施設が見え始める。
巨大な柱状施設。
天蓋部を貫き、中層へ食い込むようにそびえる黒い塔。
その周囲四か所にはシールド発生装置。
だが、見えているからといって撃てるわけではなかった。
施設を包むドーム状の防壁が、丘陵の風に合わせて鈍く揺れている。光の膜ではない。重力と磁力で励起された周辺の砂、不活性化ナノマシンが、超高密度の壁となって渦巻いていた。
まるで砂嵐そのものを固定したような防壁。
地球側のバリアとは違った技術。
その防壁の内側で、シールド発生装置そのものも守られている。
「面倒な」
ペイジが低く言う。
トールは前を見たまま答えない。
その時、地上施設から対空砲火が上がった。
赤い火線が丘陵を掠め、ミョルニル隊の進路を薙ぐ。
ピーター機が機体を傾けて回避する。マーク機がわずかに遅れて地形の陰へ沈む。クリス機の頭上を、対空弾が唸りを上げて抜けていった。
「簡単には撃たせてくれねぇな」
ピーターが言う。
ヤールングレイプルは強力だ。
だが、チャージから発射、再充填までの二十秒、SWAGは死ぬ。一発でも食えば終わる。撃つ隙を作ること自体が難しかった。
その時、エボーニーアイズからプムの声が飛ぶ。
『第一発生装置、北西側。砂の励起が少し弱いです』
ウェルチ中尉が情報を即座に各機へ転送する。
『座標更新。サンダーストラック隊、確認を』
「見えた」
トールが答える。
丘陵の切れ目から、砂の流れがわずかに薄い場所がある。シールド四基が互いに干渉し合い、防壁全体の範囲と強度を広げている。その干渉の歪みが、一瞬だけ露出していた。
「TS(サンダーストラック)1、チャージ開始」
ヤールングレイプルが唸りを上げた。
砲身周囲に紫電が走る。
細い稲妻のような光が、バレルの周囲を巻き付くように渦巻き、次第に密度を増していく。
だが、そこへ再び対空砲火。
マークが即座に言う。
「中止。今撃てば貫通前に食われます」
トールは舌打ち一つでチャージを切る。
「位置を変える」
五機が散る。
その上空では、空戦がさらに激しくなっていた。
ジュール機がついに一機のパレークスを捉える。ほぼ零距離まで踏み込み、ガンポッドを叩き込む。青い羽が砕け、機体が爆散する。
『一機撃墜、敵電子戦能力未だ健在!』
その直後に別のナスパが横合いから突っ込む。
カール機が割って入り、短い斉射で軌道を逸らした。
『ノーブル、前を見ろ』
『すまない、マジェスティ』
アーサーはエボーニーアイズの上を抑えながら、空域全体を見ていた。
プムの指示がなければ、サンダーストラック隊は撃てない。
サンダーストラック隊が撃てなければ、シールドは破れない。
シールドが破れなければ、この作戦は進まない。
全てが連動していた。
その時、プムの声が再び飛ぶ。
『東側発生装置、今です! 干渉が薄い!』
「TS2、TS3、抑えろ!」
トールが叫ぶ。
ピーターとペイジが地形から飛び出し、翼下のロケット発射筒とマイクロミサイルを撒いた。直接の破壊は狙わない。地上砲座の頭を下げさせるための制圧射撃。
火線が散り、地上の対空砲が一瞬だけ黙る。
「今だ、撃て!」
五機のミョルニルが一斉にチャージへ入る。
紫電。
砲身を包む雷光が一気に強まり、空気そのものが震える。
十秒。
長い十秒だった。
トールは照準を微動だにさせず、呼吸を止める。
「発射」
次の瞬間、稲妻が放たれた。
トール機のヤールングレイプルから、光に包まれた何かが走る。
直径五ミリのプロジェクタイル。
だが、光速の〇・一パーセントで射出されるそれは、目にはほとんど線光にしか見えない。
防壁へ着弾。
サンドブラストの壁が激しくえぐれ、渦巻く砂が一瞬だけ裂ける。その奥にあった発生装置へ、穿孔が突き刺さった。
遅れて爆発。
北西のシールド発生装置が沈黙する。
「一基!」
クリスが叫ぶ。
だが、まだ三基ある。
しかも発射後の二十秒、ミョルニルはほとんど無防備だ。
そこへチレンの群れが落ちてくる。
蜂型無人機が、近接攻撃に移ったのだ。
「来るぞ!」
マークが叫ぶ。
上空から急降下してきた一機を、トールがロケット弾で吹き飛ばす。ペイジが機体を滑らせ、翼下武装の残りで追撃する。ピーターとクリスは地形を使って回避に徹し、マークが合間に短い射撃を差し込む。
その上へ、白銀の影が割り込んだ。
アーサーだった。
ブレイブが急降下し、チレン二機をまとめて撃ち抜く。続いてジュールとカールも追いつき、ミョルニル隊の上空を守るように旋回する。
『サンダーストラック隊、次を撃たせる。上はこっちが持つ』
アーサーの声に、トールは短く答えた。
「すまない」
『行け』
短い応酬。
だが、それで十分だった。
以後は連鎖だった。
プムがエボーニーアイズ後席から干渉の薄い地点を指示する。ウェルチがそれを即座に戦術データへ流す。ソード隊とVF-11各隊が上空を押さえ、バックインブラックとステッペンウルフが対空砲火を削る。
サンダーストラック隊は、二基目、三基目、四基目を順に撃ち抜いた。
防壁が、崩れる。
ドーム状に渦巻いていた砂の壁が、支えを失って外へ散った。黒い塔の全容が露わになる。
プムの声が飛ぶ。
『中央部。最厚装甲部。そこを貫いてください』
トールは息を吐いた。
「了解」
ここからが本命だった。
シールドを失った施設上部へ、ステッペンウルフ隊のVF-17ナイトメアが進入する。黒い機体群が高度を変えながら列を作り、誘導爆弾を投下。続いてバックインブラック隊のVA-3インベーダが別角度から精密爆撃を重ねる。
施設上部に連続した爆発が咲く。
だが、中央の最厚装甲部はまだ残っていた。
トールは各機へ短く言う。
「タイミング合わせる。五機同時だ」
誰も返事はしない。
必要ない。
灰色の五機が、丘陵の縁に並ぶ。
ヤールングレイプルが再び帯電する。
紫電。
稲妻。
機体全体がうなり、砲身の周囲で光が暴れる。
上空ではソード隊が最後の妨害機を押さえ込み、VF-11隊が残敵を散らしていた。プムは前を見たまま、静かに言う。
『今です』
「撃て!」
五本の光条。
施設中央の最も厚い部分へ、五機同時の高速プロジェクタイルが突き刺さる。
一瞬、時間が止まったように見えた。
次の瞬間、内部から膨れ上がるような爆発。
柱状施設の上部が、音を立てて吹き飛んだ。黒い外殻が裂け、内部構造物が火と煙と共に噴き上がる。頂部は崩れ、中層へ向けて炎を吹きながら折れていった。
無人機製造プラント上部は、完全に破壊された。
『命中確認!』
『上部構造、崩壊を確認!』
管制の声が重なる。
トールはHUDに映る崩壊図を見た。
やった。
その実感が、ようやく遅れて胸の内へ落ちてくる。
航空部隊としての作戦は成功だった。
張り詰めていた空気が、そこで一度だけ緩む。
上空では、敵影を見失わないように機体を旋回させながらも、各隊の動きにわずかな余裕が戻っていた。
ソード隊はエボーニーアイズの周囲を維持したまま、高度を取り直している。
VF-11各隊も隊形を整え始め、バックインブラックとステッペンウルフも攻撃後の離脱軌道へ移っていた。
『いやー、派手にやったな』
ジュールの声が無線に混じる。
普段なら軽口を咎める筈のアーサーの声が今日はしない。
『まずは第一段階完了、か』
別の隊の声も続く。
ピーターは短く息を吐いた。
「やっと終わったか」
クリスが安堵混じりに笑う。
「急造レールガンでも、やればできるもんスね」
マークはまだ計器を確認していたが、その表情からも、先ほどまでの硬さは少し抜けている。
トールもまた、完全に気を抜いたわけではない。
だが、胸の奥にあった重い塊が、ほんのわずかに軽くなったのは確かだった。
——その時だった。
エボーニーアイズのコクピットで、ウェルチ中尉の声が鋭く変わる。
「待って」
先ほどまでの安堵とは明らかに違う声色だった。
「地下から巨大なエネルギー反応を確認」
無線が一瞬だけ静まり返る。
「深度測定……だめ、規模が大きすぎる。今までの反応とは比較にならない」
アーサーが即座に応じた。
「発生源は」
「プラント地下深部」
ウェルチは計器を睨んだまま答える。
「何かがいる」
その直後だった。
後部座席のプムが、小さく息を呑んだ。
「……っ」
苦悶の表情だった。
肩が強張り、細い指が座席の縁を強く掴む。
胸を押さえるようにして前屈みになる。
まるで、見えない濁流を正面から浴びたようだった。
「プムちゃん!」
ウェルチが振り向く。
プムはすぐには答えられない。
青ざめた顔のまま、唇を噛み締めていた。
地下から溢れ出してくるそれは、単なる反応ではなかった。
怒り。
それも、理性を欠いた純粋な怒り。
毒気と呼ぶしかないほど濃密なナノ反応が、彼女の感覚を逆流するように叩いていた。
沈着冷静なはずのプムが、明確に怯えていた。
「……これ、は……」
途切れがちな声。
だが、その瞳は反応の中心を捉えている。
「ただの……兵器では、ありません」
ウェルチが息を呑む。
アーサーが低く問う。
「分かるのか」
プムは苦しげに頷いた。
「感情のような波動を感じます……怒りです」
短く息を継ぐ。
「製造プラントを管理する自律AI……管理者の怒りの声です」
その言葉が終わるより早く、地表が揺れた。
プラント中央部。
先ほどサンダーストラック隊のレールガンと、各隊の精密爆撃で大穴を開けたその内部から、何かが這い上がってくる。
まず見えたのは脚だった。
黒い装甲に覆われた巨大な脚が、崩れた施設の縁へ食い込み、次の脚が現れる。一本、二本、三本。八本の脚が、砕けた構造材を踏み砕きながら地上へせり上がってくる。
続いて現れた胴体は、もはや兵器というより要塞だった。
蜘蛛型。
巨大な蜘蛛そのものを機械として組み上げたような異形。
脚部には複数のビーム砲。
腹部は全面がミサイルポッド。
そして頭部に並ぶ蜘蛛特有の複眼。その一つ一つが、全てレーザー砲口だった。
トールは思わず息を止めた。
他の無人機とは明らかに違う。
タビスも、チレンも、タキマも、パレークスも、ナスパも、所詮は命令に従う道具だった。だが、今現れたそれには、もっと直接的な敵意があった。
見ているだけで分かる。
こいつは怒っている。
そう感じさせるほど露骨な殺意が、空気そのものを重くしていた。
「全機、散開!」
アーサーの命令が飛ぶ。
白銀のソード隊が即座に高度を変え、各隊も一斉に機体を振る。
次の瞬間、蜘蛛型要塞が動いた。
脚部のビーム砲が同時に閃き、複眼から何条ものレーザーが走る。さらに腹部のハッチが一斉に開き、ミサイルの奔流が空を埋めた。
空域が一気に飽和する。
「散れ!」
「上だ、上!」
「ミサイル多数!」
無線が乱れる。
VF-11各隊が回避機動に入り、ステッペンウルフのVF-17ナイトメアが編隊を崩しながら上昇。バックインブラックのVA-3インベーダも対地攻撃姿勢を捨てて離脱に移る。
ソード隊が反撃する。
ジュールとカールが左右から食い付き、アーサーが正面から火線を叩き込む。だが、通常のガンポッド射撃は厚い装甲に弾かれ、浅く削るだけで終わる。
「硬ぇぞ!」
ジュールが叫ぶ。
「通常弾じゃ抜けません!」
別隊の声も重なる。
トールは歯を食いしばった。
正面装甲はもちろん、脚部関節ですら致命傷にならない。
あまりにも厚い。
その時だった。
蜘蛛型要塞の腹部ハッチが大きく開き、近くにいた機体へ向けてミサイルが集中する。
「マーク!」
ピーターの声が裂ける。
マークが機体を捻る。
だが遅い。
回避角が足りない。
その瞬間、灰色の影が横から割り込んだ。
トール機だった。
翼下武装をばら撒くように撃ち込み、マーク機の前へ機体をねじ込む。爆炎と金属片が間に割り込み、ミサイルの進路が逸れる。
「退け、マーク!」
「……隊長!」
「下がれ!」
マーク機が間一髪で離脱する。
そのままトールは機首を上げた。
蜘蛛型要塞へ真っ直ぐ突っ込む。
「バカはよせ!」
ペイジの怒鳴り声が無線へ飛ぶ。
トールは無視した。
ヤールングレイプルのチャージを開始する。
砲身周囲に紫電が走る。
稲妻のような光が、バレルを這いながら密度を増していく。
だが、距離はまだ近すぎる。
否、近づかなければならなかった。
あの怪物は、距離を取ればミサイルとビーム砲でこちらを叩き潰す。
ならば肉薄して、その火力を殺すしかない。
トールは地表すれすれまで機体を沈め、蜘蛛型要塞の脚の間へ潜り込むように進路を取った。
複眼が光る。
レーザーが走った。
左へ捻る。
右へ落とす。
機体を紙一重で滑らせる。
それでも避けきれない。
細い赤光が右翼を掠め、装甲片を吹き飛ばす。警告灯が一つ、二つと赤く染まった。
『隊長!』
クリスの声が聞こえる。
トールは返さない。
もう、真正面だった。
巨大な頭部。
複眼の列。
その奥の胴体中枢。
距離が消える。
「……ここだ!」
トールはヤールングレイプルをパージした。
重い砲身が機体から外れ、惰性で前へ流れる。
同時にミョルニルが変形を開始した。
本来ならヤールングレイプル装備中は不可能なバトロイド変形。
だが、パージした今なら可能だった。
空中で姿勢を崩しかけた機体を、バトロイド形態で強引に立て直す。
片脚を前へ出し、砲身を抱えるように掴み直す。
至近距離。
ほとんど零距離だった。
トールは引き金を引いた。
紫電が一気に放出される。
稲妻。
そう見えるほどの光条と共に、直径五ミリのプロジェクタイルが撃ち出される。
蜘蛛型要塞の頭部へ着弾。
装甲が弾け、複眼がまとめて砕けた。
さらにそのまま胴体へ穿孔が走る。
頭から体へ、一直線に撃ち抜かれた蜘蛛型要塞は、初めて明確に苦悶した。
もがくように脚を振り上げ、複眼の残りと脚部砲座からレーザーを乱射する。
トールは機体を退かそうとした。
だが、遅い。
一本がエンジンへ直撃した。
衝撃。
推力が吹き飛ぶ。
さらに二本、三本。
右腕。
頭部。
装甲が裂け、火花と共に吹き飛ぶ。
その瞬間、右腕損傷の衝撃で右翼に残っていたロケット発射筒が誘爆した。
爆発が連鎖し、機体全体が激しく捩れる。
『トール!』
誰かが叫んだ。
だが、もう制御は利かない。
ミョルニルのバトロイドは推力を失い、ぐらりと傾いた。
その下で、蜘蛛型要塞もまた力尽きつつあった。
頭部から胴体に穿たれた巨大な穴。
そこから火と煙を吹きながら、巨体がゆっくりと傾いていく。
やがて、製造プラント施設に開いた大穴へ、その巨体が落ちた。
トール機もまた、それに続く。
制御を失った灰色のバトロイドは、火を噴きながら竪穴へ吸い込まれていった。
落ちていく。
蜘蛛型要塞の黒い巨体と、壊れた自機と共に。
光の届かない地下へ向けて。