降下44日目 1928時
ニコラ・テスラ 研究区画
休憩室のベンチに、クリスは一人で座っていた。
手の中の端末には、作戦終了後に回収した観測データが入っている。
サンダーストラック隊は、調査隊扱いだ。
フォルミスの無人機と交戦した際のデータは、教授達へ直接手渡しで提出する決まりになっている。
いつもなら、それは隊長のする仕事だった。
あの人が教授に渡して、必要ならその場で説明して、ついでに変な軽口まで叩いて、教授に鬱陶しそうな顔をされる。
それがいつもの流れだった。
だが、今回は違う。
戻らなかった隊長の代わりに、四機分の観測データを自分が持ってきた。
持ってきたは良い。
だが、今の状況でこれを教授に渡すなど、出来るわけがなかった。
仲間達の中で、一番不安と悲しみに押しつぶされそうになっているのは、あの人だ。
そう思うと、休憩室を出る気になれない。
クリスは背もたれに体を預け、小さく息を吐いた。
サンダーストラック隊は、酷い有様だった。
マークは塞ぎ込んでいる。
あの時、自分のせいで隊長がああなったと、本気で思い込んでいる顔だった。
ペイジもピーターも、戻ってから一言も話していない。
二人とも待機室から一歩も動こうとしなかった。
このデータを教授のところへ持っていけと言ったのはペイジだ。
理由は言わなかった。
だが、何となく分かる。
あの二人は、隊長を助けに行けるならすぐにでも動くつもりなのだろう。
だから待っている。
そしてその中に、自分とマークは入っていない。
それも分かっていた。
技量が違うのだ。
隊長、ペイジ、ピーター。
あの三人は最初からバルキリー乗りだ。
マークは元々、電子戦部隊のオペレーター、自分に至っては整備部隊の人間だ。
左遷部隊に回されて、名目上はVAのパイロットをやっているだけで、生え抜きのあの三人とはそもそもの土台が違う。
それでも、自分なりに頑張ってきたつもりだった。
食らいついてきたつもりだった。
だが、それはただの勘違いだったのかもしれない。
そんなことを考えていると、休憩室の入口で足音が止まった。
顔を上げると、ハンナが立っていた。
彼女もまた、クリスを見て少し驚いたような顔をする。
「……クリスさん」
「お、ハンナちゃん」
声をかけると、ハンナは少しだけ迷ってから中へ入ってきた。
クリスから少し距離を空けた位置に腰を下ろす。
「どうしたんですか、こんなとこで」
「それはこっちの台詞っス」
そう返してから、クリスは端末を軽く持ち上げた。
「データ提出」
短く言う。
ハンナはその端末を見て、すぐに事情を察したらしかった。
「ああ……」
それきり、少し黙る。
休憩室の静けさが戻りかけたところで、クリスが先に聞いた。
「ハンナちゃんこそ。どうしたんスか」
ハンナは視線を落とした。
「……ちょっと、耐えられなくて」
正直な言い方だった。
「教授は自室に籠ったまま出てきませんし、ハセヤマ先輩もずっと塞ぎ込んでます。戻ってきたプムちゃんも責任を感じていて……セラちゃん達が慰めてます」
そこで少し言葉を切る。
「なんだか、あの空気の中にいるのが苦しくて」
クリスは頷いた。
「そりゃ分かるわ……」
ハンナは膝の上で指を組んだ。
「わたし、自分が薄情な女なんじゃないかって思うんです」
クリスは黙って聞く。
「心配ではあるんです。もちろん」
「でも……自分じゃなくて良かったって、どこかで安心してるところもあるんです」
ハンナは唇を噛むようにして俯いた。
「それがすごく醜く思えて……」
少し間。
「それに、先輩達を見てると」
声がさらに小さくなる。
「研究職員としての知識とか技量だけじゃなくて、女としても負けてるんじゃないかって、そんなことまで考えてしまって」
言い終えてから、自分でも嫌になったのか、ハンナは小さく息を吐いた。
クリスは少しだけ天井を見た。
「……なら、俺も一緒だな」
ハンナが顔を上げる。
クリスは笑わなかった。
「直接言われた訳じゃないけど……
ペイジさんとピーターさんに、俺は戦力外扱いされてるんだろうなってのは分かるんスよ。
悔しいっちゃ悔しいし、仲間と思われて無いみたいで悲しくもある」
そこで一度、言葉を切る。
「なのに『選ばれなくて良かった』って安心してる自分もいる」
情けないっスよね、と続けようとして、やめた。
「学生の頃から何も変わってないんスよ」
代わりにそう言う。
「どうしようもないクソ野郎のまんま」
クリスは端末の角を指で叩いた。
「自分は元整備兵だから、とか。追い出し部屋に送られた人間だから、とか。そういうの、言い訳みたいに使ってるんでしょうね」
少しだけ笑う。
乾いた、自嘲だった。
「今こうしてハンナちゃんに話してるのだって『違う』って言って欲しいからなのかも知れない」
ハンナはしばらく黙っていた。
それから、少しだけ口元を緩めた。
「……意外と面倒臭い人なんですね」
クリスは一瞬きょとんとした後、吹き出した。
「ひでぇなぁ」
「でも、ちょっと気が楽になりました」
ハンナはそう言った。
その時だった。
休憩室の前を、小さな影が二つ通りかかった。
アムとフィムだった。
二人は中の様子に気づいて立ち止まる。
クリスが声をかけた。
「お、どうしたの」
アムが一礼する。
「教授に頼まれて、コーヒーを取りに来ました」
フィムがその横で補足した。
「ポットごとです」
クリスとハンナは、ほとんど同時に目を丸くした。
「……教授が?」
ハンナが思わず聞き返す。
アムが頷こうとした、その前に、フィムが二人の表情を見て気づいたように言った。
「アイさんは諦めてませんよ」
その一言が、休憩室の静かな空気を僅かに変えた。
※※※
同日 1958時
製造プラント下層部
意識が浮かび上がってくる。
最初に戻ったのは痛みだった。
背中。
肩。
首。
全身のあちこちに鈍い打撲の感覚が残っている。だが、思っていたほどではない。
トールは浅く息を吸った。
狭いコックピットの中、計器の多くは沈黙していた。警告灯だけが赤く瞬いている。だが、致命的な圧壊は起きていない。視線を巡らせれば、胴体フレームは歪んでいるものの、コックピット周辺の構造は奇跡的に保たれていた。
墜落の寸前、無我夢中でバトロイドの姿勢を立て直した。
内部の壁や構造材へ、わざと機体を擦らせて落下速度を殺したのが効いたのだろう。
四肢は死んでいる。
マルチディスプレイに映るミョルニルの状態は酷かった。
両脚は途中でねじ切れ、腕も使い物にならない。直立など最初から不可能な有様だ。
だが、胴体は残った。
自分も生きている。
「……頑丈すぎだろ」
掠れた声で呟く。
ミョルニルの首の付け根が低い駆動音と共にせり上がり、コックピット部が押し出される。次いでキャノピーが開いた。
トールは体を引きずるようにして外へ出た。
床へ降り立つと、軽く膝が沈む。
だが歩ける。
ヘルメットのライトを点け、周囲へ向けた。
闇の中に、広大な空間が浮かび上がる。
高い天井。
何列にも伸びる搬送レール。
その先に吊るされた、組み立て途中のタビスやチレン。
未完成の無人機が、巨大な工場の中で幾つもぶら下がっている。外装の途中まで組まれたもの。骨格だけのもの。今にも目を覚ましそうな形をしたまま、静かにそこにいた。
トールは反射的に拳銃へ手をやる。
動くなよ。
そう念じるように、ライトを巡らせた。
その時だった。
背後で、金属の塊が崩れるような音がした。
トールは即座に振り返り、拳銃を構える。
ライトの先に、人影があった。
反射的に引き金へ掛けた指を、慌てて外す。
子供だった。
燻んだグレーの外套を羽織っている。
金色の髪は長く、前髪が目元を覆っていて顔立ちがはっきり見えない。
だが、その姿は明らかに幼い。セラ達よりさらに小さい。十にも満たないくらいにしか見えなかった。
トールは銃口を下ろす。
「……何で子供がここに」
そう口にした直後、子供が言った。
「助けてくれてありがとう」
穏やかな、妙に落ち着いた声だった。
トールは眉を寄せる。
「助けた?」
「うん」
子供は頷く。
「僕、ずっと閉じ込められてたんだ」
「どこに」
尋ねると、子供は指を差した。
ライトを向ける。
そこには、瓦礫に半ば埋もれた蜘蛛型要塞の残骸があった。
脚の一本が折れ曲がり、装甲板が剥がれ、頭部から胴体にかけて大穴が穿たれている。自分が撃ち抜いたあの怪物の成れの果てだ。
その近くに閉じ込められていた、ということか。
トールは小さく息を呑んだ。
ここまでの偶然が幾つ重なれば、こんなことになる。
「……他に人は?」
子供は首を振った。
「いないよ」
「どれくらいここにいた」
「分からない」
少し考えるように間を置く。
「でも、ものすごく長い時間だと思う」
トールは子供を見た。
「お父さんやお母さんは」
「分からない」
やはり淡々とした返事だった。
「もう存在していないことだけは確実だと思う」
奇妙な子供だった。
受け答えは幼いのに、言葉の置き方が妙に大人びている。
だが、今はそんなことを考えている場合でもない。
「とにかく、ここを出るぞ」
トールが言うより早く、子供の方がこちらへ歩み寄ってきた。
そして何の躊躇もなく、トールの手を取る。
小さな手だった。
「出口を知ってるのか」
「うん。こっちだよ」
そのまま手を引いて歩き出す。
トールは一瞬迷ったが、他に当てもない。
ついていくしかなかった。
辿り着いたのは、工場区画の脇に隠れるように開いていた細い通路だった。ライトで照らすと、配線や点検ハッチが並んでいる。恐らくは保守点検用のダクトか何かだろう。
子供は迷いなく進んでいく。
暗い通路を、二人で歩いた。
しばらくして、その子供がふと思い出したように言う。
「そういえば、まだ名前を言ってなかった」
トールは視線を向ける。
「僕はアーク」
少しだけ振り返る。
「髪が長いから分かりにくいかも知れないけど、男の子だよ」
トールは一瞬だけ黙った。
「そこは別に気にしてねぇよ」
「そう?」
アークは少しだけ楽しそうに言った。
グレーの外套へ目をやる。
「地上の子か」
「違う」
即答だった。
そのままアークが聞き返す。
「君は?」
「トール」
短く名乗る。
自分がどうやってここへ落ちてきたかまで説明するべきか迷ったが、その前にアークが口を開いた。
「宇宙から来た人達なんでしょう?」
トールの足がわずかに止まる。
「……何で知ってる」
「知ってるよ」
アークは前を向いたまま答える。
「AIの愚かなタスクに巻き込まれたことも」
トールは顔をしかめた。
だが、アークは気にした様子もなく続ける。
「星を渡し者、二つの傷を伴い落ちる」
その言葉に、トールは記憶の奥を掻かれるような感覚を覚えた。
どこかで聞いた。
確か──
「偽りの神から我らを救い出す。この星は生まれ変わる」
そこで思い出す。
レジスだ。
最初に会った時、あの老人が語っていた最古の経典。あの頃は翻訳機の学習もまだ不十分で、言葉の意味が今ほど正確ではなかった。
トールはアークを見る。
アークは小さく苦笑していた。
「先人達が作った傍迷惑な欠陥品を、修理しただけなのに」
その言い方に、トールの背中へ汗が流れる。
手を引く小さな指。
子供の姿。
だが、口にしている内容は明らかにおかしい。
こいつは何だ。
何を知っている。
「……お前、何者だ」
トールが問うと、アークは小さく首を振った。
「害意はないよ」
答えになっていない。
その時、通路の先に光が見え始めた。
出口だ。
アークはその光へ向かって歩きながら言う。
「スコアはまだ完全には目覚めていない」
トールの表情が変わる。
スコア。
恐らくセラのことだ。
トールはそこで確信する。
こいつは十万年前のことを知っている。
知っているどころではない。
その中にいた側の存在だ。
「セラをどうするつもりだ」
問いは自然に出た。
アークは少し驚いたように振り返る。
「スコア、今はセラって名前なんだね」
それから小さく笑った。
「いい名前だ」
トールは黙って先を促す。
アークは言う。
「セラはルミス語で“大切な”って意味だけど」
少しだけ言葉を選ぶ。
「厳密には、“愛する”の方が近い」
「求婚の時に使う言葉なんだ」
トールは眉を上げた。
「愛を名前にするくらい、別に珍しくねぇよ」
言いながら、脳裏に白衣姿の女の顔が過った。
アークはそんなトールを見て、どこか羨ましそうに言った。
「君達の文化は、ルミスのそれよりずっと素晴らしいんだね」
少年の顔に、一瞬だけ老人のような寂しい影が落ちた。
アークは前を向き直る。
「スコアを守るのが、僕の使命だった」
それだけ言う。
「もう直ぐ出口だよ」
アークはトールの手を引き続ける。
細い通路の先、半ば固着したハッチがあった。アークがその隙間に手を掛ける。見た目からは想像しにくい力で、重い扉をこじ開けた。
外光が差し込む。
トールはその隙間を抜けた。
次の瞬間、目の前に広がった光景に息を止める。
鈍色の天蓋。
その下に広がる森林。
本当の大地。
聖域と呼ばれる場所だ。
トールは足を止める。
再びここへ来ることになるとは思っていなかった。
振り返る。
「おい、アーク──」
これからどうするつもりだ。
そう聞こうとした。
だが、そこにはもう誰もいなかった。
薄暗いハッチの向こう、通路の中にも、あの小さな影は見当たらない。
消えた。
トールはしばらくその場に立ち尽くしたまま、開いたハッチの奥を見つめていた。
※※※
同日 2003時
空母ハンニバル 第1格納庫
待機室は、格納庫に併設された部屋らしく簡素な造りだった。
だが、簡素である事と乱雑である事は違う。
壁際のロッカー。
整然と並ぶ椅子。
小さなテーブルの上にすら、余計な物は置かれていない。
ソード隊らしい部屋だった。
その静まり返った空気の中で、アーサーは一人、壁際に立っていた。
正確には、ジュールとカールも居た。
だが、会話はほとんど無い。
今は誰も、余計な事を口にする気分ではなかった。
トールが撃墜された瞬間を、アーサーは見ていた。
あの蜘蛛型要塞へ、単身突っ込んでいった灰色の機体。
仲間が退く時間を稼ぐ為だけに、何の躊躇もなく自分を投げ出した姿。
その末路まで、全部見ている。
だからこそ、今の自分の平静が、ただの振りでしかない事も分かっていた。
ソード隊の主任務は、エボーニーアイズの護衛だった。
攻撃が通じないと判断した瞬間、撤退を選んだ。
それ自体は正しい。
少なくとも軍人としては。
だが、勇敢だったのはどちらか。
考えるまでもない。
仲間の退路を作る為に一人で突っ込んだ男と、任務を優先して退いた自分達。
ブレイブ。
そのTACネームが、今はひどく空虚に思えた。
今の自分には相応しくない。
そう思った瞬間、アーサーは小さく舌打ちしたくなった。
何故そこで、そんなふうに心が揺れる。
あいつには裏切られたはずだった。
五年前、自分の前から何も言わずに消えた男だ。
勝手に責任を抱え込み、勝手に関係を断ち、勝手に左遷部隊などという掃き溜めで飛び続けていた。
一人で飛ぶと決めたのは、自分の方でもあった。
もう、あいつに振り回されるつもりはない。
そう思っていたはずだった。
なのに。
その決意が揺らいでいる。
その事自体が、腹立たしかった。
その時、待機室の外が妙に騒がしい事に気づいた。
格納庫の喧騒とは少し違う。
整備要員達の、押し殺したような問答。
「ですから、ここは関係者以外──」
「関係はあるよ」
「困ります!」
「困っているのはこっちだ」
低く、だが一切引く気の無い声。
アーサーが顔を上げた瞬間、待機室のドアが開いた。
「邪魔するよ」
教授だった。
待機室の中にいた三人は、一瞬だけ言葉を失う。
ニコラ・テスラからハンニバルの第1格納庫まで、単身で乗り込んで来たらしい。
整備員達を押しのけてでもここへ来る胆力に、流石に驚く。
だが同時に、妙な納得もあった。
この人物ならやりかねない。
アーサーは一目で察した。
トールの件だ。
それ以外に、この女がここへ来る理由はない。
トールの女。
そういう認識は、アーサーの中に既にあった。
行動力がある分、余計にたちが悪い。
教授は三人を順に見渡すと、前置きもなく言った。
「トールの捜索に協力してほしい」
やはりな、とアーサーは思う。
「ソード隊は便利屋ではありません」
即座に切り捨てた。
「既に捜索部隊の編成が進んでいる事は、ご存知のはずだ」
教授は否定も反論もせず、手に持っていた分厚いファイルをテーブルの上へ置いた。
鈍い音がする。
アーサーは眉を寄せた。
ジュールとカールも無言で視線を落とす。
ファイルを開く。
そこには、製造プラントの詳細な図面。
フォルミス中層世界の資料。
さらに、コンポーザが地上と地下を行き来する最寄りのシャフト、そのシャフトからプラント下層までの航路まで、信じ難いほど細かく書き込まれていた。
「……これを、たった数時間で?」
ジュールが思わず漏らす。
教授は平然としている。
「捜索部隊はプラントから地下へ降りるだけだ」
「しかも海兵隊主導の下層部破壊も控えている。時間が無い」
淡々と続ける。
「プラントだけを探しても無意味だよ」
教授はアーサーを見た。
「トールも、ボクも、聖域へ行った事がある。
トールなら必ず、聖域側へ退避するはずだ」
その断言に、誰もすぐには口を挟めなかった。
あまりにも準備が出来すぎている。
だがアーサーは、それでも首を縦には振らない。
「それでも、ソード隊の任務に捜索は含まれません」
教授は首を振った。
「違う」
その一言で空気が変わる。
「ソード隊に頼んでいるんじゃない」
視線を真っ直ぐアーサーへ向ける。
「アーサー・ブロードウッドにお願いしている」
ジュールとカールが小さく目を見開いた。
アーサーの眉間に皺が寄る。
「君とトールの関係も知っている。
知っているから、君にお願いしている」
事情を知らない二人は顔を見合わせた。
アーサーは低く言う。
「知っているなら、私があいつを助ける気になどならない事も分かるだろう」
教授はそれも否定する。
「任務が終わっても待機室に居座り続けている君が言っても、説得力が無い」
アーサーの表情がわずかに固まる。
「本当にどうでもいいなら、自分の仕事が終わった時点でとっくに帰っているだろう」
言い返せない。
ジュールもカールも黙っていた。
そして、それは二人も同じだった。
トールの事が気がかりだった。
ほんの短い時間だったが、その素質には驚かされた。後先を考えずに仲間の為に戦える人間だと知って、好感も持っていた。
教授は続ける。
「親友だったのだろう?」
その言葉に、ジュールとカールは揃ってアーサーを見る。
アーサーは苛立ったように吐き捨てた。
「それを壊したのはトールだ」
「その通りだ」
教授はあっさり認めた。
「だから、トールはずっと償い続けている」
短い沈黙。
「トールは一生、自分を許さないつもりだ。
正直、ボクはそれが気に食わない」
教授の声は静かだったが、その芯は強かった。
「そうはさせるかと思っている」
そしてアーサーへ問う。
「君はどうする?」
アーサーは黙っている。
教授はさらに踏み込んだ。
「散々、人の領域に土足で踏み入って、人の気持ちを変えておいて、ある日突然居なくなった、独りよがりの大馬鹿野郎」
少し間。
「面と向かって文句の一つでも言ってやらないと、ボクの気が済まない」
アーサーが目を瞬かせる。
その発想は、無かったらしい。
教授は淡々と続けた。
「恐らくだが、ボクと君は、似たような立場だ」
「トール・奏多という人物に、自分の在り方をいつの間にやら変えられた。
違うのは、男女の関係か親友か。それだけだ」
そこまで聞くと、アーサーはふっと笑った。
「一つだけ間違いがある」
教授が見る。
「貴方と私は似ていない」
アーサーは肩を竦める。
「人の領域にズカズカ入り込む、その鬱陶しさは」
少しだけ口元が緩む。
「本当にアイツそっくりだ」
「そうかい?」
それを聞いて、教授はどこか嬉しそうだった。
アーサーは深く息を吸い、そして言った。
「個人の頼みは受けられない」
教授の表情は変わらない。
「だが」
続く言葉を待つように、待機室の空気が静まる。
「調査隊の護衛が、任務である事に変わりはない」
ジュールが薄く笑う。
カールも無言で頷いた。
教授はすぐに意味を理解した。
「然るべき体裁を整える必要がある、という事だね」
「そういうことです」
教授はファイルを抱え直した。
「分かった」
それだけ言って、踵を返す。
待機室を出ていく背中は、来た時と同じく迷いが無かった。
ドアが閉まる。
静けさが戻った待機室で、アーサーはジュールとカールを見た。
「軽蔑したか?」
二人は即座に首を振る。
「いいえ」
ジュールが答える。
「我々はソード隊。剣として振られるなら、腹黒い将校より、女の為に振られる方がいい」
カールも静かに続けた。
「同感です。
それに、腕の良いパイロットを失う事は大きな損失でもある」
そして、少しだけ声を柔らかくする。
「だから、もっと我々を頼ってください」
ジュールも頷く。
「そうですよ、隊長」
どさくさ紛れの本音だった。
アーサーは、わずかに驚いたような顔をした。
それから、小さく笑う。
「……すまないな」
その一言は、思っていたよりも素直に出た。
※※※
同日 2044時
空母スキピオ 第9格納庫
第9格納庫には、出撃前の張り詰めた空気が満ちていた。
サンダーストラック隊の機体が整列し、その周囲を整備員達が忙しなく行き交っている。だが、ただ慌ただしいだけではない。誰もが必要以上の声を出さず、手元の作業だけに集中していた。
教授は、その一角で端末を片手に立っていた。
表情はいつも通りに見える。
だが、目の奥だけが違う。
ペイジ、ピーター、マーク、クリスも、それぞれ機体の傍にいる。
ソード隊の姿はまだない。
「本件は調査任務扱いとする」
教授が言った。
その一言に、クリスが顔を上げる。
「調査任務?」
「うん」
教授は頷いた。
「以前ペイジが行ったものと同質だよ」
それで大体の意味は伝わったらしい。
あからさまな救助任務ではなく、あくまで調査隊として聖域へ向かう。体裁を整えた上で、トールを捜すということだ。
教授は続ける。
「それと、ソード隊も同行する」
その言葉に、格納庫の空気がわずかに揺れた。
「……は?」
最初に声を漏らしたのはクリスだった。
ペイジは目を細め、ピーターは無言のまま教授を見る。マークも一瞬だけ表情を止めた。
「何でまた、あの人達が」
クリスが半ば呆れたように言う。
教授は平然としていた。
「調査隊支援だよ」
「いや、そんな当然みたいに言われても」
クリスはまだ戸惑っている。
だが、それ以上詳しく聞こうとする空気でもなかった。
その時、マークが小さく言った。
「……ですが」
一同の視線が向く。
マークは自機を見たまま続けた。
「私が行って、また足を引っ張らないでしょうか」
静かな声だった。
「今回の事も、結局は私が──」
「おい」
遮ったのはクリスだった。
珍しく、はっきりした口調だった。
マークがそちらを見る。
クリスは眉を寄せていた。
「いつものスカした屁理屈オタク野郎はどこ行ったんだよ」
あまりにクリスらしい言い方で、マークは一瞬だけ面食らったような顔になる。
だが、クリスは続けた。
「俺もお前も、本物のバルキリー乗りじゃねぇ」
その言葉に、今度は自分に言い聞かせる色が混じる。
「マークは元々レーダー屋だし、俺なんか整備上がりだ。
最初からこの人達みたいに飛んで来たわけじゃない」
少し間。
「でもよ」
クリスはまっすぐマークを見た。
「それでも、負けじと食らいついて来たのは事実だろ」
マークは何も言わない。
クリスは半ば苛立つように言う。
「いつも通り飛んで、あの人を迎えに行って、帰ってくる」
「それでいいんだよ」
そして、少しだけ語気を強める。
「じゃなきゃハセヤマさんに胸張って会いに行けないだろ」
格納庫の空気が、一瞬だけ止まった。
いつになく熱いクリスに、全員が呆気に取られていた。
最初に我に返ったのはマークだった。
ぽかんとした顔のまま、少しだけ口元を緩める。
「……そんな暑苦しいキャラでしたっけ、あなた」
それを聞いて、クリスがむっとする。
「うるせぇな」
だが、マークはそのまま小さく笑った。
「でも、確かにそうですね」
視線を落とし、それから改めてクリスを見る。
「ありがとう、クリス」
素直な礼だった。
そのやり取りを見ていたペイジが鼻を鳴らす。
「良い歳した野郎共が青春ドラマかよ」
ピーターが珍しく短く口を開いた。
「悪くない」
全員がそちらを見る。
ピーターは相変わらず無表情に近い顔で言う。
「いつまで経ってもガキなのが男だ」
その言葉に、クリスが少し笑った。
教授も頷く。
「同感だよ」
そして静かに言った。
「その子供っぽさが、ボクをここまで変えたんだと思う」
一同が教授を見る。
教授は機体列の向こうを見たまま、小さく息を吐いた。
「だから、トールに文句を言ってやらなきゃ」
それは独り言のようでもあり、宣言のようでもあった。
誰も続けて何かを言わなかった。
だが、その場にいた全員が同じ方向を見ていた。
迎えに行く。
その為に今、自分達は飛ぶのだと。
※※※
同日 2102時
聖域
鈍色の天蓋の下、森林が広がっていた。
聖域特有の湿った空気。
根を張った大木。
複雑に絡む枝葉。
薄暗い森の中を、トールは歩いていた。
正確には、彷徨っていた。
手元にあるのは拳銃と最低限の装備だけ。
機体も無ければ通信も期待できない。
今の自分にできるのは、まず生き延びることと、人の気配を探すことだった。
聖域には観測者の末裔が散らばって暮らしている。
スマウ達が逞しく生きていた見た光景を、トールは覚えていた。
ならば、どこかに集落か、あるいは人の痕跡くらいはあるかもしれない。
そう考えて森の中を進み続けていた。
だが、静かすぎた。
獣の気配も薄い。
鳥の鳴き声もない。
代わりにあるのは、どこか張り詰めた気配だけだった。
トールは足を止める。
葉擦れの音。
いや、違う。
もっと硬い。
金属が枝を擦るような音。
瞬間、身を沈める。
次の瞬間、頭上の枝が青く光った。
斬撃。
青い光の刃が空を裂き、さっきまで首があった位置を通り過ぎる。
トールは地面を転がるように飛び退いた。
木の幹に張り付き、上を見上げる。
そこにいたのは、蟷螂型の無人機だった。
細長い胴体。
折れ曲がった脚部。
そして前肢に当たる鎌の部分が、青いレーザーブレードになっている。
「今度は蟷螂かよ……」
呟くより先に、それは再び跳んだ。
トールは拳銃を抜いて撃つ。
二発。
三発。
だが相手は軽い。
枝から枝へ飛び移り、火線を避けながら迫ってくる。
無人機だ。
プラントから出てきた個体なのだろう。
だが、こんなところまで出てきているとは思っていなかった。
トールは後退しながら周囲を見た。
一機だけか。
そう思った瞬間、別方向の枝が揺れる。
二機目。
さらに奥でも、硬質な擦過音。
「……増えてんのかよ」
嫌な予感が走る。
蟷螂型は、一機ではなかった。
木々の上、枝の影、幹の裏。
森の中に潜んでいた機体が、少しずつこちらへ寄ってくる。
統制された隊行動ではない。
獲物を見つけた捕食者のような執拗さだけがあった。
トールはその異常さをまだ知らない。
ただ、妙に数が多いことと、こいつらが迷いなく自分を狙っていることだけを理解していた。
走るしかない。
踵を返し、木々の間を駆ける。
足元の根を飛び越え、低木を避け、進路を何度も変える。
だが蟷螂型は地形を苦にしない。木の上から追い、枝を足場にし、青い刃を振るってくる。
幹に火花が散る。
焦げた匂いが鼻を刺す。
トールは息を切らしながら森を抜けようとした。
その時だった。
前方の茂みが揺れた。
低い影が幾つも現れる。
蟻型無人機タビス。
地を這うように現れ、低い位置から一斉にこちらへ向き直る。
トールは足を止めた。
前にはタビス。
後ろには蟷螂型。
左右も、既に金属の気配で埋まっている。
包囲だった。
トールは荒い呼吸を整えながら、ゆっくり拳銃を構える。
青い刃が木々の間で光る。
タビスのセンサーが低い位置から赤く明滅する。
逃げ場は、もう無かった。
その光景を、遥か上空から見下ろしている小さな影があった。
空の上。
鈍色の天蓋を背に、アークが静かに立っている。
その視線の先で、トールは無人機に包囲されていた。
アークは、そこで自分の選択が誤りだったと認める。
蜘蛛型要塞を破壊したことで、無人機群は統制を失った。
あの要塞はプラントの管理AIであると同時に、無人機の司令塔でもあった。
自らが機能停止する前に、稼働している無人機へ自律行動を命じたのだろう。
その事実を、アークは知らなかった。
トールを聖域へ出した判断は、結果として彼を別の危険へ放り込んだに過ぎなかった。
アークは目を伏せる。
「……僕の判断ミスだ」
小さく呟く。
次の手を打つしかない。
だが、それは半分、賭けのようなものだった。
登場人物
アーク(9歳くらいの男の子)
メカクレ少年。
十万飛んで九歳。
閣下クラス。