第25話
降下44日目 2111時
ニコラ・テスラ 居住区画
セラの部屋には、静かな時間が流れていた。
壁際の棚。机の上。窓辺の小さな台。
そこかしこに猫の小物が置かれている。
それを眺める者が今は誰もいない事だけが、いつもの部屋と違っていた。
部屋の中央では、プムが少しだけ背筋を伸ばして座っていた。
戦場から戻ってきた時に比べれば、顔色は幾分か戻っている。
セラ達が彼女を励まし続けた結果である。
「……ありがとう」
プムが言った。
小さな声だった。
だが、はっきりとした礼だった。
「みんながいてくれて、少し楽になりました」
セラは首を振る。
「お互い様だよ」
短い言葉だった。
だが、プムには十分だった。
セラ自身、自分の出自を知った時には打ちのめされそうになっていた。
その時、励ましてくれたのはニールとここにいる三人だった。
だからこそ、今度は自分が返す番だと、そんなふうに言っているのだと分かった。
セラはプムを見ている。
その視線には、遠慮も壁も無い。
友達を見る目だった。
自分もまた、そう思っている。
セラも、アムも、フィムも。
いつの間にか、自分にとって大切な存在になっていた。
だからこそ、苦しかった。
プムは内心で小さく息を吐く。
自分は指導者という立場に置かれた偶像に過ぎない。
最初から分かっていた。
人を導く旗印として、自分が選ばれたのだと。
自分自身の器とは別の理由で、そこへ置かれているのだと。
それでも、偶像以上の存在になろうとはしてきた。
せめて掲げられるだけの旗ではなく、自分の足で立つ者になろうとしてきた。
人を導く為に、必要な言葉や覚悟を身につけようとしてきた。
だが、実際に戦いへ出てみればどうだ。
怖かった。
あの戦場で、自分は確かに恐怖を感じていた。
そして、その結果としてトールを行方不明にさせた。
分かっていたつもりだった。
人が傷つく事も、死ぬ事も。
自分の言葉の先に血が流れる事も。
だが、考えは甘かったのだろう。
これから先、地下都市ではコンポーザによる一斉蜂起が控えている。
多くの血が流れる。
それはもう避けられない。
その責任を、自分は本当に受け止められるのだろうか。
そう考えた時、プムは自分の手がわずかに震えている事に気づいた。
それを見ていたアムは、少し複雑な心境だった。
元々、自分は体制側の人間だった。
プムは反逆者。
本来なら、相容れない立場にいるはずの人間だ。
だが、体制側の悪はほんの一部に過ぎない。
そう思っている。
そして、その悪でさえ、リーテの言葉を信じるならば、ただ狂わされた存在に過ぎないのかもしれない。
第1プロフェットを思い出すたび、今でも足が震える。
あの静かな狂気。
理性の顔をした、底の見えない破綻。
だが、その狂気を生み出したのもまた、別の要因がある事を知った。
ならば、プムも同じだ。
彼女が今は正しい方向を向いていたとしても、それが狂気へ変わらない保証など、どこにもない。
遠くの星から来た人々とは、こうして仲良くなれたというのに。
同じフォルミス人同士が、殺し合おうとしている。
その事実が、アムにはたまらなく悲しかった。
もしかしたら、これはリーテが感じている事なのかも知れない。
自分の一部となって眠っている彼女が目覚めた時、今の状況を見て何と言うのだろう。
アムは、そこまで考えたところで、ふとセラを見た。
その時だった。
セラが突然、頭を押さえた。
「……っ」
短い呻き声。
何かが差し込むような鋭い痛みだった。
フィムが身を乗り出す。
「セラ?」
プムも顔を上げる。
「どうしたの」
だが、セラはすぐには答えなかった。
頭を押さえたまま、虚空を見つめる。
それから、誰もいない空間へ向かって言った。
「……誰?」
部屋の空気が変わる。
アムとフィムが顔を見合わせた。
プムも息を呑む。
セラは、何かを聞いていた。
子供の声だった。
何かを伝えようとしている。
セラは目を見開く。
「……アーク?」
その名が零れた瞬間、部屋の扉が開いた。
ニールだった。
息を切らしている。
「セラ」
彼もまた、どこか焦った顔をしていた。
「今、声が──」
そこでセラと目が合う。
二人とも、同じものを聞いているのだと、すぐに分かった。
アム、フィム、プムには何も感じられなかった。
だが、セラとニールだけには、その声が確かに届いている。
セラがニールの方へ寄る。
距離が近づいた瞬間、声は急にはっきりした。
耳で聞いているのではない。
頭の中へ直接響いてくる。
『トールが危ない』
その一言と同時に、二人の脳裏へ大量の映像が流れ込む。
鈍色の天蓋。
人工の灯り。
巨大な温室のような空間。
鬱蒼と茂る森。
その中で、無人機の大群に囲まれているトールの姿。
セラの顔色が変わる。
「どうしよう……!」
焦りが声になる。
だが、アークの声は続いた。
『君達なら、助けられる』
次の瞬間、情報が洪水のように流れ込んできた。
ナノマシン内のフォールドカーボンの組成を組み替える手順。
擬似的な結晶の構築。
増幅回路の形成。
サブユニバースからエネルギーを転移する方法。
理解できるはずがない量の情報が、意味を持ったまま頭の中へ押し込まれてくる。
セラが苦悶の表情を浮かべた。
「……っ、ぁ……!」
ニールは咄嗟にその肩を支える。
その瞬間、今度はニールの頭の中にも同じ情報が流れ込んだ。
「──!」
視界が白く弾ける。
回路図のようなもの。
数式に近い概念。
手順。
順序。
誤差補正。
自分が知るはずのないものが、まるで最初から知っていたかのように脳へ刻み込まれる。
セラとニールの周囲が、淡く輝き始めた。
床の上。
空気の中。
目に見えない何かが共鳴し、空間そのものが揺らぎ始める。
その異常を察知したのはハンナだった。
部屋の外を駆けてきて、勢いよく扉を開く。
「セラちゃん、今の反応──」
そこで言葉を失う。
手にしていた端末には、強大な重力波の振幅反応が記録されていた。
数値が跳ね上がっている。
そして目の前には、光に包まれるセラとニール。
以前、教授が話していた内容とまったく同じだった。
アムの身体を借りてリーテが行った、あの超空間フォールドと同じ現象が、今まさに目の前で起きている。
ニールがハンナに気づく。
「ハンナさん!」
叫ぶように言う。
「トールさんを見つけた!」
セラも顔を上げる。
「教授達も……見える」
だが、声は苦しげだった。
「一緒に……連れていく……」
演算処理が追いついていないのだと、ハンナにも分かった。
情報量が多すぎる。
一人では抱えきれない。
セラの膝が揺らぐ。
その時だった。
歌声が響いた。
フィムだった。
透き通るような声が、部屋の空気を震わせる。
セラの周囲で揺らいでいた光が、その歌に同期するように脈を打った。
並列処理。
ハンナは直感する。
フィムは歌によって、セラの演算を支えようとしているのだ。
それに続くように、アムも歌い始めた。
さらに、少し遅れてプムの声も重なる。
三人の歌声。
異なる響きが絡み合い、一つの大きな流れになっていく。
光が一気に増幅された。
部屋全体が眩い輝きに包まれる。
ハンナは思わず目を庇った。
次の瞬間、静寂が訪れる。
光が消えた後、そこにはもう、セラとニールの姿はなかった。
※※※
同時刻
フォルミス砂漠地帯
コンポーザが連絡通路に使用するシャフトを目指し、捜索隊の編隊が低く進んでいた。
灰色のミョルニル四機。
その上空を、白銀のエクスカリバー三機が警戒する。
地形に沿って飛ぶペイジ機の後席で、教授は前方のマルチディスプレイと、キャノピー越しの景色を交互に見ていた。
フォルミスを回る衛星の光に照らされた鈍色の地表。
その上を飛びながら、教授は自分の呼吸が普段より浅いことに気づいていた。
焦っている。
認めたくはないが、その通りだった。
前席のペイジは、コックピットの小さなミラーに映る教授の顔を何度か見ていた。
普段なら絶対に崩れない女の顔が、今は少しだけ硬い。
それを見て、ペイジは五年前のことを思い出していた。
トールとアーサーの仲違い。
あの一件以来、二人の間に横たわった長い断絶。
自分もまた、あの戦闘には別部隊で参加していた。
トールの所属していた部隊で戦死者が出たことも覚えている。
あれから五年。
誰にもどうにもできなかったものを、この女はたった数分で動かした。
きっかけを与えただけなのか。
ただ背中を押しただけなのか。
それは分からない。
だがそれでも、彼女だからこそ成せたことなのだと、ペイジは思う。
それが少し、羨ましかった。
兄との確執。
アリスとの関係。
気づけば自分は、トールと対極の位置にいるような男になっていた。
そこまで考えたところで、ペイジは思考を切った。
馬鹿馬鹿しい。
そんなことを考えること自体が、今の自分には似合わない。
ミラー越しの視線に気づいたのか、教授が言う。
「何だい?」
ペイジは口の端を少し吊り上げた。
「いや」
少し間を置く。
「トールの野郎が惚れ込むだけのことはあるなと思ってよ。
全くもって良い女だよ、アンタは」
教授は一瞬だけ眉を動かした。
ペイジは続ける。
「あっという間にソード隊を仲間に引き込んじまった」
教授は視線を前へ戻す。
「引き込んだ覚えはないよ」
「あの隊長の心を動かしたのはアンタだろ?」
「動かしたつもりも無い」
教授は淡々と続ける。
「そもそもボクは、人の心なんて理解しようとしなかった人間だ」
だが、そこで首を振る。
「いや、違うな。
“理解しようとしない”ではなく“理解したくない”の方が正確かな」
ペイジは少しだけ目を細めた。
教授は語る。
「ボクはトゥリシュナー・ケミカルのプロジェクトで生み出された存在だ。生まれた時から研究者として最適化されてきた」
「だが、研究の世界が綺麗なものだったことなんて一度もない」
声に抑揚はない。
だが、内容は重かった。
「あの世界は、常に様々な思惑が付きまとう。
羨望、嫉妬、利権を狙う軍や企業、学者自身の競争心」
「そういう悪意に晒され続けるうちに、余計な感情は持つべきじゃないと思うようになった」
少し間。
「ボクは、悪意を持つ者とそうでない者が感覚的に分かるんだ」
ペイジが片眉を上げる。
「便利な特技だな」
「多分、身を守るために身についた習慣なんだろう」
「その感覚を信じたから、トールにもアーサーにも踏み込めた。
二人とも悪意は無いと思ったから」
ペイジは少し黙ってから問う。
「じゃあ、俺は?」
教授は少し考えた。
そして、実に率直に答えた。
「悪意は感じないよ」
ペイジが小さく笑う。
「ほう」
「どちらかと言うと」
教授は続ける。
「ただ悪ぶっているだけかな」
一瞬、ペイジの表情が固まる。
やがて、数秒遅れてようやく口元を吊り上げた。
「……本当にいい女だな、アンタ」
その時だった。
機内に警報音が鳴り響いた。
鋭い電子音がコックピットを貫く。
「何だ!?」
ペイジが計器を見る。
同時に、各機の無線にも短い緊張が走る。
『重力波異常反応!』
『周辺空域、空間振動を確認!』
キャノピー越しに外を見れば、編隊の周囲が淡く輝いていた。
空気が揺れている。
景色が水面のように歪み始める。
フォールドの前兆だった。
「ふざけんな、どの機体にもフォールドブースターなんざ積んでねぇぞ!」
ペイジが叫ぶ。
無線でも混乱が広がる。
『何が起きてる!?』
『強制フォールドか!?』
『発生源不明!』
だが教授は、座席越しに見えるマルチディスプレイ上の波形を見て、そこに既視感を覚えていた。
この振幅。
この波形。
以前、リーテが短距離フォールドを行った時と同じだ。
ならば。
ニコラ・テスラに残っている彼女達が関わっているに違いない。
教授は即座に判断した。
「このままフォールドする」
その一言に、一同がさらにざわつく。
「はぁ!?」
ペイジが振り向きかける。
教授は続けた。
「フォールドした先にトールがいる」
無線越しに、短い沈黙。
それを最初に破ったのはアーサーだった。
『分かった』
即答だった。
教授はその声を聞き、彼が通信を聞いていたことを前提に言う。
「ブロードウッド少佐。
マスターアームをONにしておいてくれ」
アーサーは意味を理解した。
『了解』
その直後、光が一気に強まった。
※※※
同時刻
聖域
その頃、トールは森の中で包囲されていた。
前方には低く這うように位置を取るタビス。
後方と左右の樹上には、青いレーザーブレードを鎌に灯した蟷螂型。
拳銃一丁では、この数はどうにもならない。
じりじりと距離が詰まる。
逃げ道はどこにも無い。
万事休すだった。
トールは拳銃を構えたまま、ほんの一瞬だけ目を細めた。
脳裏に浮かんだのは、アイの顔だった。
出撃前。
格納庫で、マークとハセヤマが二人だけ別の世界にいた時のこと。
その隣で、アイが言った言葉。
──ボク達もするかい。
あの時は、人前でそんなことをするのが気恥ずかしくて断った。
今になって、どうしようもなく悔やまれる。
トールは小さく呟いた。
「……しときゃよかったな」
その瞬間だった。
目の前に、眩い光が広がった。
次いで突風。
地面の土と草が一気に巻き上がり、無人機の群れが吹き飛ばされる。
タビスが横転し、蟷螂型が弾かれる。
「何だ!?」
トールが顔を上げる。
光が収まり、土埃が払われた後の光景を見て、さらに目を見開いた。
そこに立っていたのは二人。
海兵隊の迷彩服姿の男。
グレーのパーカー姿の少女。
ニールとセラだった。
「……は?」
どうやって来たのか分からない。
だが、突然そこに現れたことだけは確かだった。
しかも状況は最悪だ。
ニールは武装していない。
セラに至っては私服のまま。
危険が減ったどころか、余計に悪化している。
だが、ニールは目の前の光景を見ても怯まなかった。
見渡す限りの無人機。
そして、二メートルを超える蟷螂のような新型。
普通なら気圧される。
それでも、彼は動じない。
隣のセラも同じだった。
自分達が何をするべきか。
どう使うべきか。
その力のことも。
彼が教えてくれた。
二人は互いの顔を見合わせる。
頷く。
それだけで十分だった。
最前列の蟷螂型が飛びかかる。
青白いレーザーブレードの鎌が振り下ろされる。
セラは右手を、すっと前に翳した。
その瞬間、蟷螂型の周囲が光に包まれた。
機体が、その場で硬直する。
時間が止まったように動かない。
「ニール!」
セラが叫ぶ。
ニールは躊躇なく飛び込んだ。
※※※
光の中だった。
ニールの目の前に、長い金髪の子供が立っていた。
前髪が目元にかかっている。
華奢な体つき。年の頃は十にも満たないように見える。
だが、その存在を見た瞬間、ニールには分かった。
こいつだ。
自分達を呼んだ張本人。
そして、どこか懐かしい感覚を伴う相手。
子供は、そんなニールを見て微笑んだ。
「ようやく会えた」
その言葉に、ニールも不思議と頷きそうになる。
初めて会ったはずなのに、再会したような気がした。
「……俺も、そんな感じがする」
子供は少し嬉しそうに目を細めた。
「僕はね、戦士と呼ばれたルミス人の青年。
その、残留思念の一部だ」
ニールは黙って聞いていた。
「青年の名前は、アーク」
「AIを書き換えるために改造されたフォルの女性──スコアを守るために、自から志願した」
静かな声だった。
だが、その一言一言の奥に、気の遠くなるような時間の重みがあった。
「僕はナノマシンを自在に扱う力を使って、スコアを守る盾になった」
「ずっと戦い続けた。戦い続けて、少しずつ身体を失って、気づいた時には人の形をしたナノマシン集合体になっていた」
アークの声に、誇らしさは無い。
後悔も無い。
ただ、そうであった事実だけを語っている。
「最後まで僕はスコアを守り通した」
そこで、アークは少しだけ視線を落とした。
「……その結果、ナノマシンの結束が解除されてしまった」
「スコアの力が、僕を分解したんだ」
ニールは眉をひそめる。
「分解……」
「うん」
アークは頷いた。
「塵になって、ばら撒かれた」
「スコアは必死に僕を再生しようとした。でも、集められたのは本当に一部分だけだった」
自分の胸に手を当てる。
「それが、今の僕」
「そしてスコアは、失意のまま自らを封印した」
短い沈黙が落ちる。
アークは続けた。
「その後、僕は書き換えられたAIの一部になっていた」
「でも、十万年もの間に手を加え続けられたフォルミス=コアのメインフレームから弾き出されて、兵器製造プラントの管理AIの一部として定着していたんだ」
「トールが管理者を破壊したことで、ようやく解放された」
そこでニールは、先に見た記憶の断片──蜘蛛型要塞の残骸を思い出した。
「じゃあ、お前は」
「うん」
アークは先を取った。
「ずっと、あそこにいた」
さらに言葉を継ぐ。
「散らばっていた僕の大部分は、長い年月をかけてまた集まり始めていた」
「ナノマシンの魂なんてものが本当にあるのかは分からない。だが、僕は異物だったのだろう」
少し考えるように、アークは空を見上げる。
「水に浮いた油みたいに、僕の塵はずっと漂い続けていた」
「宇宙の巨大な循環の中で、少しずつ集まって、一人の人間として再び生を受けた」
アークは、ニールを見た。
「その人物が君」
「ニール・トンプソン」
そこで、ようやくニールは息を吐いた。
驚いていないわけではない。
だが、奇妙なことに、腑に落ちてもいた。
「……なるほどな」
自分が何者なのか。
ずっと分からないまま、どこか空虚なまま、生きてきた。
何かが欠けているような感覚。
何かに触れかけては、掴めないまま過ぎていく日々。
その理由が、少しだけ見えた気がした。
「俺は、お前の生まれ変わりってわけか」
「完全に同じ、ではないけどね」
アークは言う。
「でも、君は僕の続きだ」
ニールは小さく頷いた。
そして同時に、胸の奥で別の安堵が生まれていることに気づく。
セラだ。
あいつはきっと、自分のせいで俺の運命が変わってしまったと思っている。
だが、違う。
元からこうなる運命だったのだ。
少なくとも、この話を聞いた今なら、そう言える。
セラが気に病む必要なんて、どこにもない。
そのことに、ニールは少しだけほっとした。
アークはそんなニールの顔を見て、小さく笑った。
「安心した顔だね」
「まぁな」
ニールは頭を掻いた。
少し間を置いてから、ふと思ったことを口にする。
「スコアのこと好きだったんだな」
アークは瞬きもせずに答えた。
「誰よりも愛していた」
迷いのない返答だった。
「君はどうなんだい?」
ニールは言葉に詰まった。
どうなんだ、と聞かれてすぐに答えられるほど、整理できている感情じゃない。
好きか嫌いかで言えば、当然好きだ。
だが、それは恋愛とは少し違う。
もっと別の、もっと根の深い何か。
「……分からん」
正直にそう言う。
「恋愛感情じゃ無い事は確かだ」
アークは黙って聞いている。
ニールは少し考えながら続けた。
「俺、最初から親がいなかったからさ」
「たぶん、愛とか恋とかより先に、家族ってもんに憧れてたんだと思う」
それは今、言葉にして初めて少し形になった感覚だった。
セラは守りたい。
放っておけない。
無事でいてほしい。
だがそれは、男女のそれというより──
「……妹みたいなもんだな」
ようやく出た答えだった。
アークは少し肩を落とすようにして言う。
「それは残念だな」
「は?」
「君はそのつもりでも、あの子はどうなんだろうね?」
ニールが眉をひそめる。
「どういう意味だ」
アークは首を傾げた。
「セラに首飾りを贈ったのは君かい?」
そこでニールは一瞬だけ固まった。
「あれか。
助けてくれた礼にやっただけだ。変哲もない安物のアクセサリーだよ。
セラが猫を気に入ってたから、そのデザインのやつを買っただけで──」
アークは小さく吹き出した。
「君たちの文化ではそうなんだろうね。
でも、この星の文化は違う……」
嫌な予感がするニール。
アークは容赦なく言った。
「ルミスでは、相手に求婚する時に首飾りを贈る。
それを着ける事が返事になるんだ」
ニールは言葉を失った。
「……は?」
「だから」
アークは丁寧に繰り返した。
「君が知らなかったとしても、セラが君から贈られた首飾りを着けている事実は変わらない」
数秒、完全に停止したあと、ニールは両手で頭を抱えた。
「いやいやいやいや待て待て待て待て」
そこから一気に思考が暴走する。
セラの年齢。
自分の年齢。
今の状況。
周囲の目。
倫理。
常識。
ぐるぐる回る。
そして最後に、半ば錯乱したように叫んだ。
「五年だ!」
アークがきょとんとする。
「五年待ってもらう!
その時、セラの気が変わってないなら覚悟を決める!」
その言葉を聞いた瞬間、アークは堪えきれずに大笑いした。
声を立てて、腹を抱えるように笑っている。
「ははは……!」
「十万年後の僕は面白い奴だな」
ニールは真顔だった。
「真面目な話だ!」
「分かってるよ」
アークはまだ笑っていたが、その目はどこか優しかった。
「……僕も、君みたいな奴だったら、未来は違っていたのかも知れないな」
その言葉には、長い時間を生きた者だけが持つ諦めと、わずかな羨望が滲んでいた。
アークはすぐに表情を戻す。
「だけど、五年先の話より、先ずは今の問題を片付けないと」
「だな」
ニールも頷いた。
アークは尋ねる。
「使い方は分かるかい?」
ニールは口の端を吊り上げた。
「大丈夫だ。
海兵隊を舐めんな」
その答えに、アークは安心したようだった。
「……そうか」
そして、一歩下がる。
「後は任せたよ」
その身体が、少しずつ薄れていく。
光が消え始める。
現実の匂いが戻ってくる。
アークの姿は、もう半分以上透けていた。
ニールはその背中に向かって言う。
「じゃあな、俺」
アークは振り返らなかった。
だが、消えていく横顔が、少しだけ笑ったように見えた。
光が消えていく……
※※※
目の前で起きた出来事に、トールは言葉を失っていた。
眩い光の中から現れたのは、黒い人の形をした何か。
大きさは蟷螂型よりやや小さい。
だが、ただの人型ではない。
上半身は重厚な装甲に覆われ、対して下半身はやや細い。
右手には長大なランス。
左手には大きな盾。
クローズヘルムの様な意匠の頭部。
異様に長い銀色のプルームが風になびいていた。
異形の騎士。
そう呼ぶのが一番近かった。
トールは思わず口にする。
「……ニール、なのか?」
騎士がこちらを向く。
ヘルムの奥から聞こえた声は、確かにニールのものだった。
「はい」
短い返答。
だが、その確認を待つほど無人機は甘くなかった。
最前列の蟷螂型が飛びかかる。
青白いレーザーブレードの鎌が一直線に振り下ろされる。
ニールは左手の盾を構えた。
甲高い衝突音。
蟷螂型の一撃は、盾に真正面から弾かれた。
次の瞬間、ニールがランスを突き出す。
槍先が白く瞬き、そのまま光束が迸った。
トールは一瞬、それが何だったのか理解できなかった。
飛びかかっていた蟷螂型の胴体が容易く穿たれる。
さらにその後ろにいた無人機の群れまでまとめて吹き飛ぶ。
爆発。
舞い上がる土煙。
その威力は、陸戦用のエネルギー兵器のそれだった。
ミョルニルの頭部に積まれた重レーザー砲よりも強力だと、トールは思った。
そしてニール本人も、少し驚いたようにその武器を見ていた。
「……なんだよ、これ」
低い呟き。
使い所を間違えれば大惨事。
そういう火力だった。
無人機側もすぐに反応を変えた。
ニールを明確な脅威と認定したのだろう。
それまで野生動物のように各自で襲いかかっていた動きが、一瞬で変わる。
単独行動から連携行動へ。
自律モードの思考ルーチンが切り替わったのが、見ていて分かるほどだった。
タビスが一斉に前へ出る。
腹部からビームガンを展開し、ニール達へ斉射した。
「まずい!」
トールは反射的にセラを庇おうとした。
だが、その瞬間にはニールが盾を構えている。
盾の表面で空間が揺らぐ。
薄い膜のような光が瞬き、空気そのものが歪んだ。
ピンポイントバリア。
AVFに搭載されているそれと同じ物。
否、それよりも洗練されている様に思える。
トールは目を見開く。
タビスの火線が集中する。
ニールはそれを難なく受け止めた。
続けざまにランスを横へ構える。
空を切り裂くように、ランスを横に大きく振る。
地を這うように突き進む碧い光波。
爆轟。
薙ぎ払われるようにタビスが吹き飛んでいく。
地表が抉れ、樹木がへし折れ、金属片が高く舞い上がった。
異形の騎士には傷一つない。
装甲の隙間から青い光が脈動するように漏れている。
「……出鱈目だ」
トールは思わず呟いた。
十万年前の戦い。
その一端を、ほんの一瞬だけ垣間見た気がした。
その時だった。
遠くの空から、聞き慣れた熱核ジェットエンジンの音が届いた。
トールが顔を上げる。
聖域の鈍色の天蓋の下、森林の上空に見覚えのある機影が現れていた。
※※※
同時刻
フォールドアウトした教授達の目に入ったのは、遠くにそびえる巨大な柱だった。
天蓋を貫く構造物。
製造プラントの下層部が、ここからでもはっきり見える。
初めて聖域を見るアーサー達は、流石に戸惑いを隠せなかった。
鈍色の天蓋。
その下に広がる森林。
自然と人工が混ざり合ったような異様な景観。
だが、それを眺めている余裕はない。
この近くにトールがいる。
そう確信していた。
前席のペイジが無線を立ち上げた。
「マーク」
「もう始めてます」
呼ばれる前に、マークはセンサーを走らせていた。
広範囲にナノマシン反応を検出。
しかも量が多い。
「大量の無人機が稼働しています」
急がなければまずい。
マークは、トールのパイロットスーツから発せられているはずのビーコンの捜索を開始した。
だが、その瞬間。
足元に見える森が一瞬、碧く煌めいた。
次いで爆発。
高く舞い上がるタビス。
「何だ!?」
ペイジが叫ぶ。
教授も目を見張るが、すぐに言う。
「あの方向へ!」
指示と同時に、足の速いソード隊の三機が一気に前へ出た。
白銀のエクスカリバーが加速する。
その直後、森林の中を光が横切る。
次の瞬間、森の一角が爆発と共に吹き飛んだ。
樹木ごと切り裂かれ、地表が抉られる。
最初にそれを見つけたのはジュールだった。
「……何だあれ」
その視線の先で、黒い騎士のような何かが、無人機をまとめて吹き飛ばしていた。
ブーストを吹かせたバトロイド並みの速度で森の中を駆ける。
群れへ突っ込み、次の瞬間には別方向で爆発が起きる。
アーサーもカールも、すぐには言葉が出なかった。
人間サイズのデストロイドが高速戦闘を行っているようなものだ。
あまりに現実離れしている。
その時、無線にノイズ混じりの声が走った。
『──聞こえるか!』
トールの声。
ペイジの表情が変わる。
「隊長!」
クリスが思わず声を上げた。
「よかった……!」
マークの張り詰めていた気配も一瞬だけ緩む。
教授の瞳が、ほんのわずかに揺れた。
だが喜んでいる暇はない。
トールは矢継ぎ早に続ける。
『下で暴れてるのはニールだ! 無人機を蹴散らしてるが数が多い! こっちにはセラがいる! 誰か乗せてやってくれ!』
それを聞いて最初に動いたのは、ソード隊の三機だった。
即座に降下。
空中でバトロイドへ変形し、トールとセラの近くにいる無人機へ火線を叩き込む。
タビスが砕け、蟷螂型が吹き飛ばされる。
それを合図に、マーク機とクリス機のミョルニルがガウォーク形態で着地した。
トールはセラを連れて駆け出す。
「マーク!」
「乗ってください!」
トールはセラをマーク機へ押し上げる。
次いでクリス機へ駆け寄った。
キャノピー越しに、クリスが言う。
「俺のを使ってください!」
「すまない、借りる!」
クリスは即座に後席へ移る。
トールはキャノピーを閉じると、ミョルニルを浮上させる。
操縦桿を握ったトールは、すぐに無線を開いた。
『もう一度言う! あの騎士は変身したニールだ! 周囲の無人機を一掃して、ニールを支援する!』
その声を聞いたアーサーは、ふっと笑った。
『……無事だったか』
短い一言。
『良かった』
トールは一瞬言葉を失った。
少し遅れて答える。
『……すまなかった、アーサー』
『謝る相手が違うだろ』
さらに続ける。
『もう自分勝手な真似はするな』
その声は少しだけ優しかった。
だが次の瞬間には、もうソード隊隊長の声へ戻っている。
『ノーブル、マジェスティ聞いたな?』
『了解』
『聞いています』
『絶対に当てるな』
ジュールが笑う。
『今度はあいつの剣になればいいんですね?』
アーサーは短く答える。
『その通りだ』
三振りの聖剣が、一斉に飛び立つ。
その後は一方的だった。
白銀のソード隊が上空から無人機の連携を切り崩す。
四機のミョルニルが低空から火線を叩き込み、森を制圧していく。
そしてその中心で、異形の騎士となったニールが、群れの中へ突き進む。
タビスが吹き飛び、蟷螂型が砕け、樹木ごと地表が抉られていく。
やがて、一帯の無人機は完全に沈黙した。
聖域の森には、焼け焦げた匂いと、熱核ジェットエンジンの余韻だけが残っていた。
※※※
戦闘終了後 2153時
聖域 開豁地
無人機の掃討を終えた後、戦闘で森の一部が大きく開かれた場所に、ガウォーク形態の可変機が集結していた。
灰色のミョルニル。
白銀のエクスカリバー。
それぞれが少しずつ位置をずらし、互いの射線と警戒範囲を確保しながら降りている。
その光景はどこか、長い距離を飛び続けた後に羽を休める鳥の群れを思わせた。
実際、今日一日で彼らがこなしたことは常軌を逸している。
製造プラントの破壊。
蜘蛛型要塞との遭遇。
トールの墜落。
その後の強行捜索。
そして今、聖域での救出戦。
疲れていない方がおかしかった。
マークのミョルニルが、ゆっくりと脚を下ろす。
キャノピーが開いた瞬間、セラが勢いよく飛び降りた。
着地してすぐに駆け出す。
「ニール!」
ニールはもう、あの黒い騎士の姿ではなかった。
少しだけ、あどけなさが残る青年の顔。
いつものニールの姿だった。
飛びついてきたセラを、彼は両腕で優しく受け止めた。
「トール、助けられたね……!」
セラの声は、安堵と喜びで少し震えていた。
ニールは微かに笑う。
「セラのおかげだ」
だがセラはすぐに首を振る。
「違うよ。ニールのおかげ」
そのやり取りは、どこか仲の良い兄妹のようだった。
少し離れた場所で、その光景を見たトールは、ようやくミョルニルのキャノピーを開いた。
クリス機から身を乗り出し、外へ降りる。
その瞬間、足元がわずかに揺れた。
「……っ」
墜落の時、全身を嫌というほど打ちつけていたことを思い出す。
アドレナリンで誤魔化されていただけで、体のあちこちがきしんでいた。
だが、トールはそれを無視した。
彼の視線の先には、ペイジのミョルニル。
キャノピーが開いていた。
そしてタラップを降りてくるアイ。
地面に降り立った瞬間、走り出した。
トールも痛む体を無視して駆け出す。
次の瞬間には、もう抱きしめていた。
勢いのまま腕の中へ収める。
強く、逃がさないように。
アイは泣いていた。
涙が頬を伝っている。
抱きしめられたまま、消えそうな声で言った。
「……よかった」
トールも小さく答えた。
「ごめん」
それ以上の言葉は要らなかった。
二人はそのまま口付けをした。
短くではない。
互いの無事を、そこにいることを、確かめ合うような長い口付けだった。
それを少し離れた場所から見ていたペイジが、煙草を咥えながら呟く。
「……文句を言うんじゃ無かったのかよ」
誰に聞かせるでもない独り言。
そのままそっぽを向き、火を点ける。
煙がゆっくりと立ちのぼり、鈍色の天蓋へ溶けていった。
唇を重ねる二人の姿を見て、ニールは完全に固まっていた。
「……え」
セラも顔を真っ赤にしている。
ニールは咄嗟にセラの目を両手で隠した。
「見ちゃダメです」
「う……うん」
ぎこちない声だった。
隊長と教授の様子を見ていたクリスが口元を緩める。
「お熱いねぇ」
その時、無線に啜り泣くような男の声が混じった。
クリスはてっきりマークだと思ったらしい。
苦笑しながら言う。
「泣くなよ、マーク」
だがマークはきょとんとした。
「私ではないですよ」
次の瞬間、全員が気づく。
泣いていたのはピーターだった。
「……本当に、よがった……」
感極まった声だった。
しかもついでに盛大に鼻までかんでいる。
「え? ピーターさん?」
マークが本気で驚く。
クリスは半歩引いた。
「怖っ」
その素直すぎる反応に、場の空気が少しだけ緩んだ。
※※※
エクスカリバーのコックピットの中で、ジュールはその様子を眺めていた。
濃い一日だった。
本当にそれしか言いようがない。
カールも同じことを考えているのだろう。
特に何も言わないまま、下を見ている。
だが、不思議と嫌な疲れ方ではなかった。
疲労はある。
神経も削られている。
それでも、どこかその感覚が心地よい。
ソード隊に選抜される前へ戻ったような気分だった。
無駄に尖って、ただ飛ぶことだけに夢中だった頃。
あの懐かしい感覚が、胸の奥に少しだけ戻ってきている。
その時、ジュールはあることに気づいた。
「……隊長?」
先ほどから一言も喋っていない。
不思議に思ってアーサー機を見ると、キャノピーが開いていた。
アーサーはもう機体から降りている。
そのままトール達の方へ歩いていく後ろ姿が見えた。
ジュールはその様子を黙って見ていた。
トールがアーサーに気づいて顔を上げる。
傍らの教授が、一歩だけ後ろへ下がった。
二人が向かい合う。
何か話している。
ここからでは聞こえない。
だが、少しして二人はがっしりと手を掴み合った。
ジュールから見えるのはアーサーの後ろ姿だけだ。
それでも、トールの表情が穏やかなのははっきり分かった。
それを見て、ジュールはふっと笑った。
「マシンみたいな人だと思ってたんだがな」
カールが視線を向ける。
「誰がだ?」
「隊長だ。
ちゃんと、人間してたわ」
カールは小さく笑う。
ジュールはそのまま続けた。
「ソード隊、変わるかもな」
「そうだな」
カールは短く答える。
そして少しだけ間を置いて、付け加えた。
「だが多分、いい方向にだ」
※※※
トールとアイのキスを目撃したセラは、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
だが、まだ動きはどこかぎこちない。
胸がどきどきしている。
憧れてしまったのだ。
あんなふうに誰かを想って、誰かに想われることに。
そして、自分にもああいう未来が訪れることを願った。
相手はもう決まっている。
この気持ちは、スコアの記憶なんかじゃない。
アークとニールの会話は、セラにも聞こえていた。
だが、だからこそ分かる。
これは自分の気持ちだ。
誰かに押しつけられたものじゃない。
私は私。
ニールはニール。
それだけだ。
それでいい。
セラは小さく息を吸った。
あと五年。
少し長い。
でも待てる。
アークが待った十万年に比べれば、あっという間だ。
そう、人知れず心の中で決めていた。