マクロス・ディソナンス   作:藻瑠江 嵐

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残酷描写がございます。
ご注意ください


第27話

降下47日目 1000時

聖都フォルミカナスト

 

 

 

 反乱が始まった。

 

 聖都フォルミカナストの下層。

 光も届きにくい、巨大な蟻塚のような都市構造の底。

 その闇の中から、人々が這い上がってくる。

 

 コンポーザに手引きされた者達だった。

 

 異邦人から与えられた武器を手に取り、長い抑圧の末に燻り続けていた怒りを、ついに形へ変えた者達。

 

 最初に目指す場所は決まっていた。

 

 各居住エリアに置かれた監督署。

 

 管理社会の末端機関。

 上の命令を下へ落とすだけの場所。

 だが同時に、彼らの不正と怠慢こそが、下層市民の生活を苦しめる元凶でもあった。

 

 ならば、最初に潰すべきはそこだ。

 

 そう考えるのは自然だった。

 

 既に、反乱に加わった者達の総数は把握できなくなっていた。

 時間と共に増え続けている。

 

 下層の住民だけではない。

 中層に近い位置で暮らしていた者達まで、次々と流れ込み始めていた。

 

 地下の歪んだ社会に怒りを覚えていたのは、何も底辺だけではなかったのだ。

 

 二十年前の戦いに身を投じた老人がいた。

 痩せた腕に武器を抱えた子供の姿すら混じっていた。

 

 その光景は、地上を埋め尽くしたタビスの群れとは似て非なるものだった。

 

 命令に従うだけの機械では無い。

 

 一つの感情に支配された人の群れ。

 

 怒り。

 

 それだけが彼らを一つに束ねていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

 監督署を守る衛兵達は、庁舎前でたじろいでいた。

 

 群れが来る。

 

 暗がりの向こうから、黒い波のように人々が押し寄せてくる。

 

 怒りに満ちた表情。

 遠くからでも分かる殺気。

 隠そうともしない敵意。

 

 その中に、武器を携行している者がいると気づいた時には、もう遅かった。

 

 ガコン、と硬い金属音が響く。

 

 次の瞬間、衛兵の近くに控えていたタビスを何かが貫いた。

 

 爆発。

 

 異邦人が与えた二〇ミリ擲弾筒から発射された徹甲榴弾だった。

 

 至近距離で炸裂したタビスは、外殻も内部機構もまとめて吹き飛ぶ。

 その破片の一つが、一人の衛兵の頭を貫いた。

 

 男は何も考える間もなく絶命する。

 

 だが、その方がまだ幸せだった。

 

 別の衛兵は裂けた鎧の隙間からこぼれ落ちる体の一部を両手でかき集めようとして息絶えた。

 さらにもう一人は、爆発を合図に一斉に放たれた銃弾を浴びる。

 

 庁舎正門の石灰岩めいた床が、みるみる赤く染まっていった。

 

 焦げ臭い匂い。

 生臭い鉄の匂い。

 

 それらを踏み越え、暴徒と化した市民達が一斉に庁舎へ雪崩れ込む。

 

 もう、誰にも止められなかった。

 

 

 

※※※

 

 

 

 プアンが指揮する一団は、A-13監督署の制圧を終えていた。

 

 ロビーには敵の死体が散らばっている。

 

 衛兵。

 職員。

 抵抗しようとした何人かの監督補佐官。

 

 床に倒れたまま置かれ、赤い染みだけがじわじわと広がっていた。

 

 こちらの被害は無い。

 

 だがそれは喜ぶべき事と言うよりは、むしろ管理体制側の腐敗の証明だった。

 

 戦時体制へ移行すれば、内部の情勢が不安定になることなど考えなくても分かる。

 それを最も理解し、最も備えるべきなのは現場の人間のはずだった。

 

 それすら怠っていた。

 

 衛兵の練度も最悪だった。

 

 こちらの殺気に当てられ、まともに動ける者が誰もいない。

 今まで、警備活動と称して無抵抗の市民にスタンスティックを振り上げていた連中がだ。

 

 プアンは、同じ腐敗でもこちらはオラクル内部とは断然質が違うと思っていた。

 

 裏切った身ではあるが、それでもオラクルはまだ高潔だった。

 少なくとも、あそこにいた者達の多くは、自分達の使命を信じていた。

 

 だが、ここは違う。

 

 この監督署にいた連中には、それすら無かった。

 市民を虐げることに慣れ切っただけの、空っぽの役人達だった。

 

 そのことに、プアンは少し苛立っていた。

 

 そこへ、一人の男が市民達に引きずられてきた。

 

 この地域の監督官だった。

 

 丸々と太った中年男。

 血の気の失せた顔で、必死に命乞いをしている。

 

 ロビーの中央へ跪かされたその男に、市民達が殺気のこもった視線を向ける。

 

 一人の若い男が前に出た。

 

 手には、異邦人が寄越したカービン。

 

 それを逆手に持ち、床尾を振り上げる。

 

 そして、監督官の頭へ叩きつけた。

 

 鈍い音。

 

 監督官の顔が床へ激突し、短い悲鳴が漏れる。

 

 若い男は、これから生まれてくるはずだった子供の父親になる男だった。

 だが、その子は生まれる前に死んだ。

 飢えと薬不足で母体が持たなかったからだ。

 

 そこへ今度はスタンスティックが振り下ろされる。

 

 握っていたのは若い女だった。

 

 病気の父親を失ったばかりの女。

 本来なら配給されるはずの薬が届かず、苦しませるだけ苦しませて見送るしかなかった。

 

 電撃を浴びて監督官が悶絶する。

 

 その後も暴力は続いた。

 

 拳。

 棍棒。

 スタンスティック。

 銃床。

 

 武器や手が振り下ろされるたび、市民達が湧き立つ。

 

 それはもはや制裁ではなく、儀式めいた私刑だった。

 

 無機質だったはずのロビーが、熱気に包まれていく。

 

 プアンは、その場から逃げ出したい衝動を必死に押し殺していた。

 

 狂気が湧き上がる瞬間を、目の前で見ている気分だった。

 

 正しいとか、間違っているとか、そういう次元ではない。

 

 積み重なった苦しみと怒りが、ついに人の形を取って噴き出している。

 

 その圧力に呑まれそうになる。

 

 だが、逃げてはいけない。

 

 プアンは、強く歯を食いしばった。

 

 自分はプム様の代わりにここへいる。

 

 この光景を、あの子に見せるわけにはいかない。

 

 この狂気を、未来そのものにしてしまうわけにはいかない。

 

 あの子達の未来のために。

 

 だからこそ、自分がここで立っていなければならない。

 

 戦いは、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

※※※

 

 

 

同日 1147時

アヴァロン居住ブロック 行政庁舎

 

 

 

 アヴァロンの居住ブロックは、積層構造の都市である。

 

 歓楽街を抱えた最下層区画から始まり、その上へ幾つもの居住層が積み重なっている。

 船舶として見れば広大で、快適で、よくできた生活空間だ。

 だが都市として見れば、やや窮屈でもある。

 三十万人近い人間が長期間生活する移民船団では、その閉塞感によるストレスは無視できない。

 

 だからこそ上層部は広大なデッキになっていた。

 

 人工の大地。

 

 山の手エリアと呼ばれる地域には療養施設群や、高級住宅街《アヴァロン・ヒルズ》が置かれ、それ以外の地域は基本的に公園などの緑に囲まれている。

 人工空の下で風景を再現し、少しでも「地上」に近い感覚を人々へ与えるための場所だ。

 

 そして、その中央には行政機能を司る区画が存在する。

 

 行政庁舎。

 船団にとっての市役所のようなものだった。

 

 現在はマルコム代表の下で、市民達の生活を支える基盤として機能している。

 市民にとっては軍事と同等、あるいはそれ以上に重要な場所だ。

 住居、戸籍、婚姻、相続、死亡届、公共サービス。

 戦う者が前線にいるのなら、ここは人々が暮らしを続けるための後方そのものだった。

 

 だが、ここ一週間ほど、様子がおかしい。

 

 行政手続きの多くは情報化されている。

 端末で入力され、システムで処理される。

 

 しかし、最終的に確認し、責任を負うのは人間だ。

 

 便利になるのは市民側であって、それを業務として処理する職員の仕事が消えるわけではない。むしろ例外処理や照合作業の分だけ、最後は人の手に負担が集中する。

 

 今、庁舎内ではその手が休まらない日々が続いていた。

 

 理由の一つは、十日前の大規模抗戦である。

 

 軍人もまた市民だ。

 戦死者が出れば、その分だけ手続きが発生する。

 人事上の処理は軍の仕事だが、行政上の処理は役所の仕事だった。

 相続、戸籍修正、遺族向け支援、住居区分の変更、各種補償の整理。

 一挙に数百人規模の死者が出たことで、庁舎はそれだけでも十分に忙しかった。

 

 だが、今回に至ってはそれ以外の理由もある。

 

 それは、本来なら喜ばしいはずの話だった。

 実際、記録上はそうなる。

 

 しかし職員達は辟易していた。

 

 あの戦いの後から、何故か婚姻届の提出が相次いでいるのだ。

 

 船団の総人口は約三十万人。

 婚姻届の件数は年間千三百組前後で、ここ数年ほぼ横ばいだった。

 

 それが、ここ数日だけで六百件以上。

 

 年の半分近い数字が、たった数日に集中している。

 

 意味が分からない。

 

 職員達は皆、その一点で困惑していた。

 

 庁舎の奥にある代表室でも、その話題が重くのしかかっていた。

 

「……何故こうなるんだ……」

 

 マルコム代表は机に肘をつき、頭を抱えていた。

 

 ただでさえ少ない髪が、更に無くなりそうだ。

 本人は本気でそう不安になっているらしい。

 

 その前に、大量の資料を抱えたアリスが現れる。

 

 表向きの彼女は、相変わらず少し間の抜けた軽薄な秘書官だった。

 どこか緊張感に欠けるような、ふわりとした笑みを顔に貼りつけている。

 だが、その腕の中に積まれた資料の量だけは冗談ではなかった。

 

「調べてきましたよぉ」

 

 アリスは机に資料を置きながら言う。

 

 マルコムが半ば縋るような目を向ける。

 

「どうだった」

 

「とりあえずですねぇ、システム不具合とか、誰かの悪ふざけとか、そういう線ではないです」

 

 アリスは書類をめくる。

 

「婚姻届は全部、実際に提出されたものですぅ」

 

 マルコムの顔がますます曇る。

 

「職業や年齢に偏りもありません。先の防衛戦との因果関係も、今のところそこまで高くない感じですねぇ」

 

「高くない?」

 

「ええ。もちろんゼロじゃないですけどぉ、軍関係者ばっかりとか、若い層だけとか、そういう傾向は出てません」

 

 さらにページをめくる。

 

「で、面白いのがここからですぅ」

 

 アリスは、面白いと言いつつ声の調子は少しだけ慎重だった。

 

「届出された方のうち、およそ三割は離婚した者同士の再婚でしたぁ」

 

「は?」

 

 マルコムが素で間の抜けた声を出す。

 

「不思議に思って調べたらですねぇ、離婚調停の撤回がここ数日だけでも百件近く申請されてるんですよぉ」

 

 代表室にしばし沈黙が落ちた。

 

 マルコムは目の前の紙を見ているが、文字が頭へ入っていないようだった。

 

「……明らかにおかしいだろう」

 

「そうですねぇ」

 

 アリスはにこにこと答える。

 

「でもまあ、おめでたい話ではありますよぉ」

 

 表向きは、そう笑っていた。

 

 だが内心は全く穏やかではない。

 

 異常は防衛戦の直後から始まっている。

 

 しかもその直後、市民達には情報統制が敷かれた。

 彼らが知っているのは、敵の大部隊と交戦状態になり、辛うじて撃退したという程度のことだけだ。

 戦いの全貌など、ほとんど知らされていない。

 

 だが、アリスは違う。

 

 彼女は全て知っている。

 

 敵を撃退したのは、技研が保護しているフォルミス人の少女の力。

 ナノマシン停止信号を乗せた、生体フォールド波のようなもの。

 

 ペイジはそう説明していた。

 

 だが、それだけではないとしたら。

 

 アリスの思考は、自然とそこへ滑っていく。

 

 歌によるマインドコントロール。

 

 それ自体は空想ではない。

 実際にそれを研究している機関は幾つもあるし、実例もまた幾つもある。

 

 あの少女がそれに近い何かを持っていたとしたら……

 

「アリスくん?」

 

 マルコムの声で、アリスは現実へ引き戻された。

 

「え?」

 

「疲れているのか」

 

 しまった、と思う。

 少し考え込みすぎていた。

 

 アリスはすぐに取り繕うように笑う。

 

「やだなぁ、ちょっとぼーっとしただけですぅ」

 

 マルコムは気遣わしげに眉を下げた。

 

「無理はするなよ」

 

「ありがとうございますぅ」

 

 アリスは軽く会釈し、それ以上踏み込ませないよう、話題を変える。

 

「でもまあ、忙しいのは忙しいですけど、最近は犯罪件数まで極端に減ってるのが救いですよぉ」

 

「……ああ、それは確かに妙だが、ありがたいことではある」

 

 マルコムは頷いた。

 目の前の婚姻ラッシュだけでも頭が痛いのだ。そこへさらに治安悪化まで重なっていないのは幸運だとしか思えない。

 

 だがアリスは違った。

 

 見えないところで何かがもう始まっている。

 

 資料の山を整えながら、胸の奥に新たな不安が沈んでいくのを感じていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

同日 1326時

ニコラ・テスラ 研究区画

 

 

 

 トクタカ教授の研究室には、珍しく四人の職員が揃っていた。

 

 説明役はトニー。

 腕を組んで静かに聞いている教授。

 話の流れを追えているらしく、既に半ば納得した顔をしているハセヤマ。

 そして、内容についていけていないのを隠しきれていないハンナ。

 

 トニーがここへ来るのは、船団の例の防衛戦以来だった。

 

 理由は二つある。

 

 一つは、医師として負傷兵の治療に協力していたこと。

 元軍医だった彼は、自発的にその役目を申し出ていた。

 

 もう一つは、その治療の過程で不可解な現象を複数確認したことだった。

 

 調査の結果、その異常はこの研究チームが抱えている案件と深く関わっていた。

 だからこそ、こうして教授達を呼び、直接説明しに来たのだ。

 

「結論から申し上げます」

 

 トニーは穏やかな口調で言った。

 

「今、船団内で起きている異変は、スピリチアの一時的な変質によるものだと考えています」

 

 ハンナが小さく眉を寄せる。

 

「すみません。その……スピリチアっていうのが、まずよく分かってなくて」

 

「知らないのも無理はないよ」

 

 教授が口を開いた。

 

「スピリチアとは、生体エネルギーのことだ」

 

 ハンナは微妙な顔になる。

 教授は気にせず続けた。

 

「活力とか、精神力とか、そういう言い方もする。

 これが極端に失われると、人は心身虚脱状態に陥り廃人のようになることもあるし、最悪の場合は死ぬ」

 

 ハンナは一拍置いてから言った。

 

「……かなりオカルトっぽく聞こえます」

 

「だろうね」

 

 教授はあっさり頷く。

 

「応用物理学を専攻していた君なら、そう思って当然だ。

 でも実際に存在する概念だ。Dr.チバのサウンドエナジー理論とも関わっている」

 

「ああ……」

 

 そこまで聞いて、ハンナもようやく頷いた。

 

「それなら、一応話としては分かります」

 

 ハセヤマがトニーへ向き直る。

 

「それで、一時的に変質したとはどういう意味なんですか?」

 

 トニーは静かに説明を続けた。

 

「スピリチアなどと一纏めに呼ばれていますが、実際には様々な性質のエネルギーの総称です。

 感情によって性質が変わる。要するに、感情のエネルギーなんです」

 

「感情がエネルギーを作り出しますし、逆に、他者のエネルギーに影響されて自身の感情が変化する場合もあります」

 

 そこで少しだけ間を置く。

 

「今回の異変の原因は、後者になります」

 

 教授が尋ねた。

 

「それが、どう変質したんだい」

 

 トニーは言い方を少し迷ってから、答えた。

 

「一言で言い表すなら……“愛”です」

 

 ハンナがぽかんとする。

 ハセヤマも一瞬だけ表情を止めた。

 

「便宜上“アモル・スピリチア”と名付けておきましょう」

 

 トニーは続けた。

 

「アモル・スピリチアには、攻撃的な感情由来のスピリチアを抑制する働きがあります。

 その結果、愛情由来のスピリチアが優勢になり、感情そのものが変化する」

 

「患者を検査した結果、そう判断しました。

 個人差はありますが、ほとんどの人間にこの傾向が見られます」

 

 そこで教授が、小さく「ああ」と呟いた。

 

「そういう事だったのか」

 

 ハンナがすぐに食いつく。

 

「何がですか?」

 

 教授は極めて真面目な顔で答えようとした。

 

「あの日を境に、通常のサイクルとは別にエストロゲンの分泌が促進されていた自覚がある。

 行為中のドーパミンやオキシトシンなどの分泌もそれに合わせて……」

 

「待って待って待って!」

 

 ハセヤマが慌てて遮った。

 

「急に何を言い出すんですか!?」

 

 教授は不思議そうに首を傾げる。

 

「何って、ボク自身に起きた異変の話じゃないか

 君だって、クロン少尉と“何度も“しているんだから身に覚えがあるだろう?」

 

「そういう事じゃ無くて!」

 

 ハセヤマは一瞬で真っ赤になった。

 しかも否定の仕方が甘く、図星であることまで露呈している。

 

 その様子を見ていたハンナが、じとっとした目で二人を睨んだ

 

「教授は羞恥心をもっと学ぶべきです。

 あと、彼氏のいない部下の前でそういう話するのやめてください」

 

 割と本気で怒っていた。

 

 教授とハセヤマは押され、とりあえず揃って謝る。

 

「「……ごめんなさい」」

 

 トニーはそのやり取りを見ながら、遠くを見る目をした。

 

(言わなきゃ良かった……)

 

 

 妙な方向へ転がった空気を、どうにか戻す。

 

 教授が改めて口を開いた。

 

「つまり、ボク達自身も無意識にその影響下に置かれていたわけだ」

 

「はい」

 

 トニーが頷く。

 

「しかも、かなり広範囲に」

 

 教授は少し考え込んだ。

 

 船団全体に影響を及ぼすほどの強大な力。

 だが、当然といえば当然でもある。

 

 知らなかったとはいえ、この騒動の発端には自分も関わっている。

 

「その原因を作ったのはリーテとボクか……」

 

 教授がそう言うと、ハセヤマもハンナも表情を引き締めた。

 

「アムの身体を借りていたリーテの歌声を、ボクは増幅して広範囲に拡散した。

 あれ以外に、ここまでの影響を説明できる原因が見当たらない」

 

 教授は、自分の考えを整理するように言葉を続ける。

 

「ボクはあの時、リーテの歌声を高度に暗号化・符号化されたフォールドウェーブだと考えていた。

 あの歌は人が音として認識できる部分に過ぎない。

 イメージとしては、旧世代の通信モデムから発せられる音みたいなものだ」

 

「ナノマシンを介して機械と人間とを直接結びつける為に利用する、フォルミス独自の技術だと見ていた」

 

 だが、と教授は続けた。

 

「もしリーテに、ナノマシンを制御する能力とは別にリン・ミンメイや熱気バサラのような強力な歌エネルギーを生み出す素質があったとしたら」

 

 研究室の空気が変わる。

 

 その意味を、全員がすぐに理解したからだ。

 

「彼女の存在は、今まで以上に重要になる」

 

 教授は静かに言った。

 

「“争いを止めます”」

 

 あの時、リーテはそう言った。

 

「もしあの言葉が、あの場だけを指していたのではないとしたら」

 

 トニーが、低く息を吐く。

 

「船団にも、フォルミスにも、まだ先の話として作用するかもしれませんね」

 

「そう」

 

 教授は頷いた。

 

「希望になり得る」

 

 そして、少しだけ間を置く。

 

「同時に、状況をさらに混迷させる要素にもなる」

 

 善意も悪意も、両方を引き寄せる。

 教授は腕を組んだまま、静かに結論づけた。

 

「……リーテは、ボク達が思っていた以上に希望で、同時に危うい存在かもしれない」

 

 その言葉の後、研究室にはしばし重い沈黙が落ちた。

 

 希望はある。

 

 だが、その希望は新たな不安の形でもあった。

 

 

 

※※※

 

 

 

同日 1403時

聖都フォルミカナスト 寺院前広場

 

 

 

 聖都フォルミカナストの中心部。

 

 巨大な建築物が幾重にも積み重なって出来た地下都市の中枢に、中央寺院は存在している。中層市民が多く居住するエリアの中心。巨大な電子計算機のケースめいた外装を持つその建物の前には、広大な広場が広がっていた。

 

 地下世界が機能を始めた三千年前、そこはただのアトリウムだったらしい。

 

 避難民が疲れた身体を休め、僅かな安堵を分け合う為の空間。

 だが、いつの間にかそこはAI崇拝者達の演説広場へと変わっていた。

 

 そして今。

 そこへ、コンポーザに扇動された市民達が集まり始めている。

 

 監督署を制圧した下層市民の一団も、次々と合流してきていた。

 

 ここを抜ければ、腐敗した政権の中枢だ。

 倒すべき敵は、その先にいる。

 

 市民達はそう信じていた。

 

 ドルシ、ピカス、プアンがそれぞれ率いる部隊も広場で合流する。

 ここまでの損耗は些少。

 戦闘時に負傷した者が少しいる程度で、それも軽傷ばかりだった。

 

 順調すぎる。

 

 プアンはそう思った。

 

 勢いに呑まれている市民達とは違い、三人は揃って警戒していた。戦時体制による管理構造の変化があるとはいえ、中層部の治安部隊の数があまりに少ない。曲がりなりにも政治の中心部へ至る道でありながら、そこまでの防衛行動が一切見えないのは不自然だった。

 

「妙です」

 

 プアンが低く言う。

 

「ここまで道が開きすぎています」

 

 ピカスも険しい顔で頷いた。

 

「罠かもしれんな」

 

「十分あり得る」

 

 ドルシもそれを否定しない。

 

 だが、その口調にはまだ余裕があった。

 

 プアンはその声の色に気づく。

 

「……何か、あるんですか」

 

 ドルシは少しだけ視線を逸らした。

 それから、二人に黙っていたことを告げた。

 

「武器を届けた異邦人の部隊についてだ」

 

 ピカスが目を細める。

 プアンも身を強張らせた。

 

「彼らは武器を運んで来ただけじゃない。別働隊として既に動いている」

 

 ドルシは続ける。

 

「我々は彼らの陽動を兼ねていると言ってもいい。

 彼らは既に環境調整用シャフトを伝って、寺院内部へ潜入済みだ」

 

 プアンの顔色が変わる。

 

「そんな話、聞いていません」

 

「今、話している」

 

 ドルシは平然としていた。

 

「目的は現体制派である第1、第2、第4のプロフェット三名の殺害」

 

 一瞬、広場の喧騒が遠のいたように感じた。

 

 プアンは絶句する。

 

 ピカスは表情をほとんど変えない。

 だが、数秒だけ考えた後、淡々と尋ねた。

 

「取引の条件は何だ」

 

「政権交代後のフォルミス=コアに対する調査と、ナノマシン技術の提供」

 

 ドルシはそう答えた。

 

 プアンは思わず一歩踏み出す。

 

「ドルシ、それを独断で──」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 

 前方で爆発が起きたからだ。

 

 暴徒と化していた市民の一団が、一瞬で吹き飛んだ。

 

 悲鳴。

 怒号。

 何が起きたのか分からない混乱。

 

 周囲は一気にパニックに包まれる。

 

 ドルシ達はその先、中央寺院の正面から現れる三つの人影を見つけた。

 

 青いプレートアーマーを装備した三人の男達。

 

 オラクル上席。

 そしてその部下二名。

 

 地下世界最高戦力と称される存在。

 だが、その能力を知る者は殆どいない。

 

 市民達は反射的に反撃を始めた。

 異邦人の武器。

 敵から奪った火器。

 ありったけの火力を三人へ叩き込む。

 

 しかし、誰も彼らに傷一つつけられない。

 

 彼らの前の空間が歪んでいた。

 

 そこへ吸い込まれるように、銃弾もビームも爆片も止まる。

 

 動揺が広がった。

 

「効かないぞ!?」

 

 誰かが呟く。

 

 その中で、一人の市民がロケットランチャーを構えた。

 ゼントラーディの戦闘ポッドですら容易に破壊できる、人類側の携行火器でも最上級の火力。

 

 ——発射。

 

 弾頭は真っ直ぐ上席へ命中し、爆炎が上がった。

 

 前列にいた市民達は爆風に巻き込まれ、後方へ吹き飛ばされる。

 

 仲間ごと巻き込んだ光景に、プアンは目を見開いた。

 

「何という事を……!」

 

 ピカスがドルシに向かって冷酷に言う。

 

「訓練されていない素人に武器を持たせたからだ」

 

 市民達は、それでも倒せたと思っていた。

 

 だが、煙が晴れた時。

 そこに上席の姿はなかった。

 

 代わりに立っていたのは、青い異形の騎士だった。

 

 二メートルを超える体躯。

 巨大なロングソードを構えた姿。

 

 ドルシも、ピカスも、プアンも言葉を失う。

 

 オラクルにいたプアンですら知らない姿だった。

 

 上席の左右に控えていた部下達も変身を始める。

 

 戦闘用ナノマシンで構成されたプレートアーマーが、べきべきと嫌な音を立てながら変形し、肥大化していく。

 

 二人の部下は、ハルバードを構えた青い異形の騎士へと姿を変えた。

 

 その異様な光景に、市民達はただ呆然とする。

 

 次の瞬間、前列の一団が、一言も発する間もなく消滅した。

 

 振り抜かれたハルバードから放たれたエネルギーの奔流。

 高熱によって蒸発したのだ。

 

 恐怖に駆られた市民達が、一斉に反撃する。

 

 だが、異形の騎士の前に展開された空間の歪み──ピンポイントバリアが、全ての攻撃を阻む。

 

 上席がロングソードを横に振った。

 

 衝撃波。

 それだけで、反撃していた市民達の胴が両断される。

 

 遅れてエネルギーの奔流が走り、周囲を焼き尽くした。

 

 一瞬で、辺りは阿鼻叫喚の地獄となる。

 

 敵は、罠を張る必要も、防衛線を築く必要もなかった。

 

 ただ、圧倒的な力の差がそこにあった。

 

 それに気づいた時には、既に手遅れだった。

 

「撤退だ!」

 

 ドルシが叫ぶ。

 

 プアンも喉が裂けそうな声で退避を命じた。

 

 だが、市民もコンポーザも既にパニックに陥っている。

 統制など保てない。

 

 その周囲を囲むように、無人機が降りてきた。

 

 巨大な蟷螂型。

 

 逃げ惑う市民を踏み潰し、レーザーブレードで頭から切り裂いていく。

 

 もう、戦いではなかった。

 

 一箇所に集められた害獣を駆除するだけの作業。

 

 強力なエネルギー兵器に焼かれる人々。

 無人機に引き裂かれる人々。

 必死に逃げ惑う人々。

 

 プアンは、その光景に絶望するしかなかった。

 

 

 

※※※

 

 

 

 時を同じくして、中央寺院内部。

 

 奥にある議事堂には、七人のプロフェット達が集結していた。

 

 議題は緊急事態への対処。

 

 数時間前に下層地区から始まった武装市民による反乱は、既に中央市民をも巻き込んだ大規模な内乱へと発展している。

 

 この事態を最も重く見ているのは、第7プロフェットだった。

 

 彼女はこの中で最も市民の生活を考慮する人物であり、今さら原因も責任の所在が誰にあるのかを語るまいと前置きした上で、第1プロフェットを激しく追及していた。

 

 第2と第4は第1を擁護する。

 第3と第6は第7を支持する。

 第5はまずフォルミス=コアへ指示を仰ぐべきだと述べる。

 

 円卓を囲んだ論争は白熱していた。

 

 その中で、第1プロフェットだけは普段通りの笑顔を絶やさず、どこか涼しげに座っている。

 

 第6プロフェットは、その様子を訝しんでいた。

 

 コンポーザも市民も、既に近くまで迫っている。

 それなのに、あの男は動揺すらしていない。

 

 まるで全てを知っているかのように。

 

 その時、第1と目が合った。

 

 第7が声を張り上げて追及を続ける中、第1はその言葉を意に介さず、徐に椅子から立ち上がる。

 

「もう終わりなのだよ、レゾナ」

 

 第6となる前の名で、諭すように言った。

 

 一同が唖然とする。

 

 第7は一体何のことだと語気を強める。

 

「茶番は終わりだ」

 

「茶番ですって?」

 

 第7が怒りを露わにする。

 

 第1はやれやれとうんざりしたように答えた。

 

「パクス・コンプタトラリス──電算機による平和は、とうの昔に終わっているのだよ」

 

「何を言って……」

 

 第7が困惑する、その時だった。

 

 議事堂の扉が勢いよく開かれる。

 

 雪崩れ込むように侵入してきたのは、黒ずくめの人物達だった。

 

 地球側の特殊部隊。

 消音器付きの.45口径ピストルを構えている。

 

 プロフェットの一人が「誰だ」と言おうとしたその瞬間。

 

 くぐもった破裂音。

 

 最初に倒れたのは第2。

 頭に銃弾を受け、椅子ごと崩れ落ちる。

 

 次いで第4。

 

 小さく悲鳴を上げた第5も、その直後に撃ち抜かれる。

 第3も同じ。

 

 最後に、第7。

 突然の出来事に立ったまま言葉を失っていた彼女もまた、銃弾を受けて崩れた。

 

 第1と第6を残し、五人のプロフェットが一瞬で絶命する。

 

「制圧完了」

 

 黒い兵士が告げる。

 

「ご苦労」

 

 第1が答えた。

 

 予想だにしなかった出来事に、レゾナは激しく動揺する。

 

 その様子を見て、第1は冷ややかに笑った。

 

「コンポーザか……

 君のその気高い思想は、昔から変わらないな」

 

 懐かしむような声。

 

「それとも、君なりの贖罪のつもりだったのか?」

 

 その顔は、もはやプロフェットではなかった。

 

 セントラだ。

 

 静かな狂気と怒りを宿したその表情に見つめられ、レゾナは一歩も動くことができなかった。

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