重たく長い話が続いたので日常回メインです。
第7話(挿絵あり)
降下2日目 1530時(サンダーストラック隊帰還より約2時間後)
改メガロード級大型移民船《EMG-101アヴァロン》 艦橋
一昨日同様、ホログラムによる首脳陣会議が開かれていた。
前回と異なる点があるとすれば、
護衛フリゲート艦隊の艦長が全員揃っていること。
そしてもう一つ──
危機的状況から幾許かは脱したことによる、安堵の空気が流れていることだった。
既に、トクタカ教授からの報告は終わっている。
当事者たちは退出し、残されたのは判断する立場の者だけだった。
最初に口を開いたのは、艦長席に立つグラント准将だった。
「──死んでいると思われたここは、
居住可能と判断できる惑星だった」
誰も頷かない。
否定もしない。
「だが、そこには原住民がいる。
我々の選択は、すでに彼らに影響を与え始めている」
言葉は淡々としていたが、語尾がわずかに重い。
グラント自身、その重さの正体を誰よりも理解していた。
ミルズ大佐は、准将の横で姿勢を崩さないまま口を開く。
「接触は不可避です。
ただし、現時点で得られている情報は、彼ら側の証言に偏っています」
視線を動かし、全員を見渡す。
「彼らの証言が虚偽だとは思いません。
ですが、それが全てだと判断するのは、まだ早いかと」
言葉は理性的だった。
だが、ほんの一瞬だけ──ミルズの声に、抑えた感情が混じる。
グラント准将はそれに気づいたが、何も言わなかった。
ホログラムの一角で、クロウフォード大佐が腕を組んだまま口を開く。
「だとしても、です」
どこか芝居がかった響きを含む声だった。
「虐げられてきた人々を見捨てない。
それが我々の価値観でしょう?」
彼は言葉を選んでいる。
“我々”という主語を、意図的に大きく取っていた。
「彼らと共に歩む未来を示せば、この船団は一つになれる。
恐怖や不信ではなく、希望の物語が必要です」
希望。
その言葉に、グラント准将の眉がわずかに動く。
「物語、か……」
准将は呟くように言った。
「それが誰のための物語なのか。
そこが気になるがな」
その言葉に、クロウフォード大佐の頬がピクリと動いた。
ロメロ大佐が口を挟む。
「人を救うこと自体には、私も賛成です」
淡々とした声。
現場の指揮官が持つ、現実の重さを含んでいる。
「ですが、我々が聞いているのは、まだ一方の話だけだ。
地下社会──フォルミスの中枢側が、どのような意図を持っているのか。
そこを確認せずに踏み込むのは、早計です」
ロメロ大佐は一拍置いた。
「善意だけで動いた結果、
後になって取り返しがつかなくなっては、意味がありません」
誰も反論しなかった。
正論だった。
その空気を破るように、マルコム代表が前のめりになる。
「しかしだ、市民は希望を必要としているのだ」
明るい声色。
艦橋の静けさの中では、わずかに浮いて聞こえる。
「あの少女──セラだったか。
彼女は象徴になり得る存在だ。
暗い話題ばかりでは、船団は前に進めませんぞ」
“象徴”。
その言葉に、ミルズ大佐が一瞬だけ視線を伏せた。
「……現地人の少女を見世物にするおつもりか?」
グラント准将はマルコム代表を見据える。
短い沈黙。
マルコム代表が何か言いかけたところで、秘書官が一歩前に出た。
「代表、それは外交のお話だから今はダメなんですよぉ。
もう少し落ち着いてからにしましょうねー」
相も変わらず、場違いな雰囲気を醸し出す秘書官。
マルコム代表は不満げな表情を浮かべながらも、引き下がった。
ホログラムから彼の像が消える。
再び静寂。
やや暫くして、グラント准将が口を開いた。
「いずれにせよ、地下世界と接触する方法を探るしかあるまい。
調査は続行、地上・航空両部隊からの再編を急がせろ」
決断は下されず、
しかし、嵐を避ける舵は切られた。
※※※
同時刻
アイザック級 超大型工作艦《AR-17 ニコラ・テスラ》
居住区画
トクタカ教授に連れられ、
ニコラ・テスラに乗艦したセラの前には、
見知らぬ三人の人物が立っていた。
「……だれ?」
不安そうな表情で尋ねるセラ。
トクタカ教授がセラの顔見ながら答える。
「ボクの部下だよ。
今日から、君の世話 “も“ 手伝ってもらう」
一番前にいた女性が、軽く会釈した。
「初めまして。
私はハセヤマです。教授の専属助手をしています」
少しだけ言葉を選ぶ。
「ええと……セラちゃん、だよね?」
「セラ」
短く答えてから、周囲を見回す。
「ここ、あたらしいへや。
ひろい」
ハセヤマが微笑んだ。
「そうね。
今日から、ここがセラちゃんのお部屋よ」
その横から、明るい声が入る。
「初めまして、セラちゃん。
あたしはハンナ。
教授の助手で、新人だよ」
セラの頭を見て、目を輝かせる。
「その猫耳、超可愛いんですけど」
セラは、少し首を傾げた。
「……ねこ?」
ハンナが一瞬固まる。
「え?
猫、知らない?」
セラは、首を振る。
「……ねこ、知らない。
どんなもの?」
ハンナが少し残念そうな顔になる。
「あー、そっか。
この惑星に猫は居ないのかぁ、
残念だなぁ」
残念がるハンナの後ろから、穏やかな声が続いた。
「こんにちは、セラちゃん。
私は、トニーと申します」
一歩前に出て、柔らかく会釈する。
「言葉のことも、文化のことも、
分からないことがあって当然です。
なんでも聞いて下さいね」
セラは三人を順番に見た。
少し考えてから、ゆっくり言う。
「……ねこ、かわいい?」
ハンナが即座に頷く。
「可愛いよ。
気まぐれで、自由で、たまに全然言うこと聞かないど」
セラは、少しだけ考えてから言った。
「ほかにも、いる?」
ハセヤマが、ほんの一瞬だけセラを見つめる。
そして、柔らかく笑った。
「ええ。
犬に鳥、キリンに像
……魚もいるわ」
「さかな、しってる」
セラは、少し誇らしげだった。
「でも、ねこ、しらなかった」
その言葉に、トニーが穏やかに頷く。
「知らない事は、これから覚えて行けば良いんですよ」
セラは、少しだけ考え込む。
猫耳に触れ、ゆっくり言った。
「……セラ、
いろんなこと、しりたい」
ハセヤマは、その言葉を待っていたかのように言う。
「だったら……
もう少し、お話ししましょうか」
「うん」
短く、はっきりした返事だった。
ハンナが嬉しそうに身を乗り出す。
「じゃあ、次は“猫がどうして箱に入るか”の話とかどうですか?」
「はこ?」
「そうそう、猫って、箱があると入るんだよ」
セラは、少しだけ目を丸くした。
「……へん」
「だよねー」
ハンナが笑う。
新しい部屋。
新しい人たち。
そして、知らない話。
セラは、椅子に腰掛けたまま、猫耳をぴんと立てていた。
※※※
同時刻
アウグストゥス級宇宙空母《CV-789スキピオ》
第9格納庫
ミョルニルの右エンジンだったものが、クレーンで釣り上げられていた。
カウルは吹き飛び、露出した内部は真っ黒に焦げている。
ペイジは、腕を組んだままそれを見上げていた。
「……ちっ」
短く舌打ちする。
「やられたのが悔しいか?」
背後から、低い声がした。
振り返ると、整備班長がタブレットを片手に立っている。
「当たりめぇだろ」
ペイジは視線を機体に戻した。
「あんなもん避けられたはずだ。
腕が相当鈍っちまった証拠だ」
「VFじゃねぇんだから当たり前だろうが」
班長はそう答えながら、エンジンの表示を確認する。
「右エンジンは、完全にお釈迦だ。
だが、本体は無事。
さすがはミョルニルってぇところだ」
「機体に助けられたって言いてぇのか?」
「ま、そんな所だ」
睨むペイジを気に留めず、班長は答えた。
「ところでよ。
こいつのエンジン、元が何か知ってるか?」
「……FF-2001」
即答するペイジ。
「退役したVF-1のやつだ。
そいつをデチューンしてんだろ?」
「ご名答、よく知ってたな」
「仮にも自分の命を預けてる機体だ。
それくらいは把握してるぜ」
「そうかい。
なら、コイツがVFやゴーストみてぇな速い奴らと、
喧嘩できねぇのはお前さんもよく知ってんだろ?」
「知ってるがよ……
納得は出来ねぇ」
「そこは納得しとけよ」
班長は肩をすくめ、吊り下げられたエンジンを見上げた。
整備員が工具を鳴らし、フレームを点検している。
「お前さんは、まだ“速さ”で勝とうとしてるんだ」
ペイジは黙った。
図星だった。
「いいか。こいつは盾だ。
火力の塊で、前に立つための機体だ」
班長は装甲ハッチを軽く叩く。
「速い奴らが気にも止めねぇ、
地面にへばり着く、味方のための機体だ」
「……分かってる」
「分かってねぇな」
即答だった。
「避けられねぇなら、耐える。
それがこいつのやり方だ」
ペイジは吊り上げられたエンジンを睨む。
「……それで?」
班長はタブレットを閉じた。
「良い知らせと悪い知らせがある」
「悪い方から聞く」
「エンジンの在庫は無ぇ」
即答だった。
ペイジの眉が僅かに動く。
「マジかよ」
「だいぶ前に民間に全部払い下げられたからな。
定期交換用の消耗品以外、元々残っちゃいねぇ」
一拍。
「で、良い知らせだ」
班長は視線を上げる。
「FF-2025G
サンダーボルトのヤツだ。
それに換装する」
ペイジが顔を上げた。
「……本気か?」
「フレームに余裕はある。
出力も上がる」
班長は続ける。
「だがな。
速くなると思うなよ」
「……だろうな」
「余剰エネルギーは他の所に回す」
ペイジの目が細くなる。
「SWAGか」
「ああ。
アタッカー時にも常時回せる。
避けられねぇなら、耐えるしかねぇだろ」
班長の声は淡々としていた。
「こいつは殴られても前に立つ機体だ。
だったら徹底的に硬くする」
格納庫に、クレーンのモーター音が響く。
ペイジは、しばらく黙っていた。
加速する世界、狭まる視界。
研ぎ澄まされる己の感覚と、直感。
全身で争う加速G。
血の奥に染みついた感覚。
「……チッ」
小さく舌打ちする。
「俺、まだ引きずってんだな」
班長が横目で見る。
「何をだ」
「バルキリー乗りだった頃の意地だよ」
ペイジは、肩の力を抜いた。
「速さで勝てねぇのが、
どっかで気に食わねぇらしい」
班長は鼻で笑う。
「未練があるのは悪かねぇ。
だが機体に当たるな」
「分かってる」
ペイジは、吊り下げられたエンジンをもう一度見上げる。
「避けられねぇなら、
耐えるか」
小さく呟いた。
「……それも悪くねぇ」
ミョルニルの無骨な機体は、何も答えない。
だが、その沈黙は、どこか頼もしく見えた。
※※※
同日 2030時
工作艦ニコラ・テスラ 居住区画
セラとの交流を終えていたハセヤマは、
端末を見ながら、一人呟いていた。
「衛生用品に、寝具……
あ、服のサイズも聞いとかなきゃ……」
一度頷く。
「……ダメ元だけど、教授に聞こう」
ニコラ・テスラの居住区画。
慣れた足取りで扉をノックする。
返事はない。
「教授、入りますよー」
間を置いて、部屋の奥から声が返ってきた。
「うん、鍵開いてる。
勝手に入って」
いつも通りだった。
ハセヤマは迷いなく入室する。
……リビングに、教授はいない。
「あれ?」
散らかった部屋。
資料の山、端末、意味不明な部品。
いつもの光景だ。
「教授ー?」
返事はない。
代わりに、洗面所の方から、ぼそぼそと声が聞こえた。
「……この辺、かな」
「いや、左右が……」
ハセヤマの足が止まる。
「……え?」
嫌な予感しかしない。
音のする方へ、そっと近づく。
半開きの洗面所のドアを、恐る恐る覗いた。
──そこにいたのは。
鏡の前に立つトクタカ教授。
右手にハサミ、紙を切る事務用のやつだ。
左手は、前髪をつまんでいる。
「…………」
ハセヤマの脳が、完全にフリーズした。
「……きょ、教授?」
教授は、鏡越しに振り返る。
「ああ。
ちょうどいいところに来た」
次の瞬間、ハセヤマは洗面所に突撃していた。
「何してるんですか!?
それ!
それ、散髪用のハサミじゃないですから!!」
「切れるけど?」
「切れるかどうかの問題じゃないです!!
何で事務用ハサミで自分の前髪行こうとしてるんですか!!」
教授は本気で不思議そうな顔をする。
「……ダメ?」
「ダメに決まってるでしょう!!」
ハセヤマはハサミをひったくり、ぜえぜえと息を整えた。
「ど、どうして……
どうしてそんな発想になるんですか……」
「理由ならあるよ」
教授は淡々と言った。
「今日、ボクが指名した部隊の隊長に、いろいろ言われた」
ハセヤマの眉がぴくりと動く。
「……いろいろ?」
「白衣ヨレヨレ。
髪ボサボサ。
顔も洗ってねぇだろ、って」
「……」
「研究に没頭しすぎて、
ちゃんと風呂に入ってないだろ、とも言われた」
ハセヤマは、嫌な予感を覚えつつ聞く。
「……何か、言い返したんですか?」
「シャワーなら一週間前に入ってる。
それの何が問題なのだい、って」
「言ったの、それ!?」
「言った」
「そしたら?」
教授は、少しだけ声色を変えた。
「閉じこもったキャノピーの中に体臭がこもるんだよ、って」
「アウトです!!
完全アウトですそれ!!」
ハセヤマは頭を抱えた。
「それで教授は?」
「女性に向かってその物言いはどうかと思う、
異性に体臭の話をするなど変態ではないか、
って言った」
「正論!!」
「そしたら、こう言われた」
教授は、淡々と告げる。
「“自分が女性だって思うなら、
もう少し『らしく』したらどうよ”」
──数秒。
ハセヤマの表情が、真っ白になる。
「………………」
教授は鏡の中の自分を見た。
「それで、すごく腹が立った。
だから、見返してやろうと思った」
「へ?」
——今、この人物はなんと言った?
見返すと言ったのか?
ハセヤマの中で何かが崩れ、同時に何かが沸き立った。
「なにそれ!!
ちょっと待ってください!!」
「なに?」
「教授、それ完全に──
完全にアレじゃないですか!!」
「アレ?」
「アレですよ!!
もう!!
分かんないならいいです!!」
ハセヤマは部屋をぐるぐる歩き始める。
「良い歳した大人が!!
紙切り鋏で前髪切ろうとして!!
身だしなみ気にし始めて!!」
急に立ち止まり、教授を指差す。
「しかも原因が、
“特定の男に言われた一言”って!!」
教授は首を傾げる。
「……事実だけど?」
「ンモー!!
そういうトコ!!」
ハセヤマは、深呼吸してから、にやりと笑った。
「……教授」
「なに?」
「その件、
私がお手伝いします」
「……本当?」
「本当です、むしろさせてください。
是非とも!」
ずいっと顔を寄せるハセヤマ。
「安心してください。
変な方向には行かせませんから」
(たぶん)
洗面所の鏡に映る教授は、
まだ何も変わっていない。
だが──
何かとんでもない歯車が、噛み合い始めていた。
※※※
降下3日目 1127時
工作艦ニコラ・テスラ 医療区画
診療室の一室。
精密検査を終えたニールは、
トニーから検査結果の話を聞いていた。
「……以上です」
穏やかな声だった。
「数値はすべて基準内。
健康的な20代の男性そのものです」
ニールは一瞬、言葉を探した。
「……本当ですか」
「ええ。
少なくとも、体の方は“健康そのもの”です」
トニーはそう言って、小さく頷いた。
その隣で、セラがじっとニールを見ている。
「……?」
ニールが視線を向けると、セラは少しだけ照れたように言った。
「ニール、くる。
だから、いっしょ」
それだけだった。
トニーはその様子を見て、何も言わずに微笑んだ。
(……体は、問題ない)
(問題があるのは、別の方だ)
心の中でそう呟きながら、トニーは話題を変える。
「ニールさん。
一つ、私からお詫びがあります」
「……え?」
「教授の言動についてです」
ニールは、少しだけ肩を強張らせた。
「正直に言います。
あの人は、人の心を扱うのが得意ではありません」
トニーは、言葉を慎重に選んだ。
「それは、性格の問題だけではない。
彼女の“作られ方”に原因があります」
ニールは、黙って聞いている。
「人類のため、という大義名分のもとで、
彼女は“研究者として最適化”されました」
「……最適化?」
「ええ。
余計な感情を削られ、
合理性だけを求められる存在として」
トニーは、少しだけ視線を落とす。
「組織にとっては、便利だった。
まるで……備品のように」
しばしの沈黙。
「言っておいてなんですが、
あまり、周りに話さないようにしていただけると助かりますが……」
トニーは、頭を下げるようにして言った。
「言えませんよ! そんな重い話」
ぶんぶんと首を振るニール。
「だけど……」
ニールは、少し考えてから答えた。
「正直、全部許せる気はしません。
ぶっちゃけ、今もちょっとムカついています」
トニーは、黙って聞いている。
「でも……」
ニールは、拳を軽く握った。
「俺が知らないだけで、
世の中にはクソみたいな話が、山ほどあるんでしょうね」
自嘲気味に笑う。
「……今回の件も、その一つだ」
トニーは、何も言わなかった。
それで十分だった。
「話を戻しましょう」
トニーは、端末を操作しながら言う。
「肉体的な問題はありません。
ただし、心は別です」
ニールは、視線を落とした。
「急に元に戻る必要はありません。
少しずつ、でいい」
トニーは、穏やかに続ける。
「こちらも、協力します。
──彼女も、です」
そう言って、セラを見る。
セラは、少し驚いたように瞬きをしてから、頷いた。
「セラ、いる」
短い言葉だったが、迷いはなかった。
ニールは、その言葉を噛みしめるように聞いた。
「……ありがとうございます」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
トニーは、軽く微笑む。
「では、今日はここまでにしましょう」
ニールは、立ち上がる。
足取りは、まだ少し重い。
だが──止まってはいなかった。
セラが、自然にその隣に並ぶ。
「ニール」
「ん?」
「すこしずつ」
ニールは、短く息を吐いて、頷いた。
「ああ……少しずつ、だな」
二人は、並んで医療区画を後にする。
前に進む速度は遅い。
だが、それでも確かに──前だった。
※※※
降下4日目 1304時
工作艦ニコラ・テスラ 研究区画
「……これから、忙しくなりそうだね」
調査部隊新編の挨拶を終え、ニコラ・テスラに戻ったトクタカ教授。
彼女はデスクに向かったまま、呟くように言った。
その背後で、ハセヤマは端末を片付けながら頷く。
「ええ。
しばらくは落ち着かないと思います」
教授は、少し間を置いて続けた。
「君には……いつも迷惑をかけるね」
ハセヤマの手が、一瞬止まった。
「感謝している」
淡々とした声。
だが、それは──今までに一度も聞いたことのない言葉だった。
「迷惑だなんて、思ってませんよ」
そう言ってから、少し考えた。
「……嫌じゃないから、付き合ってるんです」
教授は、椅子を回してハセヤマを見る。
「仕事だから、じゃないの?」
「まぁ、仕事もありますけど」
ハセヤマは、肩をすくめる。
「でも、それだけじゃないです」
少し照れたように、視線を逸らす。
「私は、教授のことは上司であると同時に
同い年の友人だとも思っています」
一瞬、沈黙。
教授は、考えるように天井を見上げた。
「友人……」
「はい」
「上下関係ではない。
公平な立場」
「そうです。
公平な個人として」
教授は、しばらく黙り込んだが、
やがて、結論を出す。
「……案外、必要なのかもしれないね」
ハセヤマは、ほっとしたように微笑んだ。
「では」
教授は、真面目な顔で言う。
「その“友人”として、ひとつ質問してもよろしいですか?」
「どうぞ?」
「身だしなみを整えた結果は、どうでした?」
ハセヤマの目が、わずかに光る。
「……どう、とは?」
教授は首を傾げる。
「あの隊長の反応は?」
「ああ……
彼は、驚いていたよ」
教授は、事実を報告するように続ける。
「しばらく、ぼーっとしていた。
その後、何も言わなかった」
一拍。
「正直、見返してやった気分で、少し愉快だった」
ハセヤマの中で、何かが崩れ落ちた。
顔を覆いそうになるのを、必死で堪える。
その瞬間──
彼女の中の悪魔が、囁いた。
ハセヤマは、咳払いを一つして、真顔になる。
「教授」
「なに?」
「セラの日用品、まだ揃ってませんよね」
「確かに」
「ニールの精神ケアも、これからです」
「そうだね」
「セラは、教授とニールに一番懐いてます」
「……事実だ」
「トールさんは、万が一の護衛になります」
「合理的だ」
「荷物持ちも出来ます」
「有用だね」
ハセヤマは、一気に畳みかける。
「なので、次の休日、
アヴァロンの商業区へ行きましょう」
教授が、わずかに身を引いた。
「……急だね」
「必要です」
即答だった。
「生活支援、精神ケア、文化理解、
そして──」
一瞬、間を置く。
「息抜きです」
教授は、少し考え込む。
論理的には、破綻していない。
だが、どこか“圧”を感じる。
「……検討する」
ハセヤマは、にっこり笑った。
「是非」
ハセヤマの周囲の気温だけが何故か上がっていた。
※※※
それから数日後
空母スキピオ 居住区画
新編部隊としての調整、事務作業、その他諸々。
数年振り、急に降って湧いた士官らしい仕事を終え、
トール・奏多は自室に戻った。
ドアを閉め、深く息を吐く。
「……終わった……」
明日は久しぶりの非番だった。
フォルミスに降りてからの日々は、あまりにも濃かった。
ようやく巡ってきた、何も起きない休日。
もっとも、予定はない。
シャワーを浴び、冷蔵庫を開ける。
冷えたハーネケンを一本掴み、缶を鳴らした。
棚の前に立ち、映像ソフトを探す。
好きなバンドのライブでも流して、
ビールを飲んで、何も考えずに過ごす。
三十歳独身男性として、実に正しい夜だ。
多分、きっと、恐らく、そうだ。
──そこで、手が止まる。
棚の奥。
何年も、ずっとそこにあったケース。
ファイアー・ボンバー
埃を被ったジャケット。
一瞬だけ、胸の奥がざわついた。
トールはケースから目を逸らし、棚を閉めた。
その時だった。
──ピリリリリ
携帯端末が鳴る。
ホロ画面に表示されたのは、見知らぬ番号。
SOUND ONLY と記されている。
「……誰だよ」
不機嫌になりながら、通話を開く。
「……もしもし」
『トール・奏多だね』
一瞬、思考が止まる。
「……教授?」
『うん。トクタカだ』
なぜプライベートの番号を知っているのか考えかけて、
やめた。
この人ならやる。
以上。
「で、何の用だ」
『明日なんだけど』
嫌な予感しかしない。
『買い物に、付き合ってもらえないかな』
……。
「…………」
暫し、時が止まった。
「……は?」
『商業区で』
言葉の意味を、頭が処理しない。
「……誰が?」
『君が』
「……なんで?」
『君は暇だろう?』
「いや……」
反論しようとして、言葉が出ない。
「………………」
(え?)
(今、何て?)
(俺、明日……何する予定だっけ?)
『では、明日』
一方的に、通話が切れる。
静寂。
トールは、端末を持ったまま固まっていた。
「………………」
数秒。
十秒。
思考は、戻らない。
「………………は?」
ようやく出た声は、それだけだった。
登場人物
ハセヤマ(年齢26:女性)
トクタカ教授専属の助手。
一応常識人ではある。
趣味はドラマ鑑賞、コテコテなのが大好き。
ハンナ(年齢23:女性)
新卒採用の研究員。
ノリは軽い。
猫好き。
トニー(年齢43:男性)
助手のまとめ役。
医師免許を持っている。
若い女性達が多い職場で気苦労が多い。
この中唯一の妻帯者。