『天鎖斬月』――。
魂の根幹を燃やし尽くす「最後の卍解」を解き放ったアレン・コルテスの周囲で、世界の物理法則そのものを書き換えていた『アンノーン』の漆黒の霧が、激しい不協和音を立てて弾け飛んでいた。
しかし、その圧倒的な死神の霊圧が楽園を包み込んだ時――すでに、取り返しのつかない悲劇は完了していた。
「あ……ア……、アレン……お兄……さん……」
サンルームの冷たい泥の上に倒れ伏していたヴァイパの、掠れた声が途切れた。
『アンノーン』の領域によって命の根源である生命力を根こそぎ吸い上げられ続けた彼女の身体は、銀髪の輝きを失い、豊満だった肉体が砂のように干からびていく。
「ヴァ……イパ……っ! くそっ……ワシの……身体が……ッ!」
隣で抗おうとしていたスレナもまた、紫色のプラズマの面影すらなく、肌が褐色からどす黒い土色へと変色し、その瞳から光が消えていった。
「スレナ……! ヴァイパ……ッ!!」
アレンの視界の隅で、二人の肉体がミシミシと音を立てて風化(崩壊)を開始した。
かつてマキナの強烈な洗礼を受け、ゴッドエデンの仲間として、共に飯を喰い、くだらない喧嘩を重ねてきた二人の武人。彼女たちの身体は、衣服の破片だけを泥の上に残し、サラサラと音を立てて「灰」となり、そのまま風に散って消滅した。
完全なる死。肉体も、魂の余韻すら残さぬ『アンノーン』による抹消。
「……ッ」
アレンは、溢れ出る黒き霊圧の中で、ただ静かに目を細めた。
胸の奥で、カチ、カチと命のカウントダウンが刻まれている。
残された時間は、あと四分三十秒。
「……あーあ。……二人とも、言わんこっちゃねぇっすわ」
アレンの口から漏れたのは、呆れたような、しかし底知れぬ狂気を含んだ静かな声だった。
「せっかくマキナ様に拾われて……これから面白いもんがたくさん見れたはずなのに……。こんな影の薄い不細工どもの小細工で、灰になっちまうなんてなぁ……ッ!!」
「ヒッ……!? な、なに言ってるのよこの男……っ!?」
女1が、アレンの全身から立ち上る「剥き出しの殺意」に威圧され、思わず後退した。
「狂気の沙汰ね……仲間が灰になったというのに、動揺一つ見せないなんて」
女2は手に持った『アンノーン』の容器をアレンへと向け、その全出力を解放しようと数式を走らせた。
「でも無駄よ! あなたがどんな力を出そうと、スレナとヴァイパの生命力を完全に吸収したこの『アンノーン』の充填率は限界を超えている! あなたのその卍解とやらも、数分と保たずに我が領域の露と消えるわ!!」
「四分だ」
アレンが、ボソリと呟いた。
「なに……?」
「お前らを八ツ裂きにして、その奇妙なおもちゃ(アンノーン)を粉々に叩き潰すのに……四分もあれば十分すぎるっすわ」
---
**シュンッッッッ!!!!!**
「――がっ!?」
次の瞬間、女1の視界から、アレンの姿が「完全に消失」した。
見聞色の覇気ではない。悪魔の実による超スピードでもない。
卍解『天鎖斬月』の真骨頂――すべての霊圧を極限まで凝縮した超高密度の戦闘形態による、純粋な【超絶的な超高速移動】。
「どこへ行ったの――ッ!?」
女1が叫ぼうとしたその瞬間には、アレンはすでに彼女の【真後ろ】に立っていた。
「……遅ぇんだよ、不細工」
「ひっ――!?」
女1が振り返る間すら与えない。
アレンは漆黒の刃――『天鎖斬月』を、極めて淡々と、ただ横一文字に振るった。
**ズバァァァァァンッ!!!!!**
「ギャアアアアアアアアアッッッ!!!???」
鮮血と肉片が、凄絶な勢いでサンルームの壁を濡らした。
女1の右腕――アンノーンの漆黒の刃を形成していた腕が、肩口から丸ごと一直線に切断され、空中を舞ったのだ。
「私の……腕がぁぁぁぁぁっ!? なぜ……っ! なぜアンノーンの防御障壁を通り抜けて、私の肉体が斬られるのよぉぉぉっ!?」
女1が左手で右肩の激痛を抑え、血を吐きながら転がり回る。
「教えたろ」
アレンは切断した腕の血を、刀を軽く振って払い落とした。その深紅の瞳には、一切の情けも、興奮すらもない。ただの「作業」を行う冷酷な処刑人の目。
「今の俺の天鎖斬月には……お前らの『アンノーン』なんていう生乾きのゴミは……一切通用しねぇんだよ」
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「バカな……ッ! アンノーンの幾何学障壁が、物理的に切断されたというの……!?」
女2は冷徹な顔を激しく歪め、手の中の容器から漆黒の針を無数に弾き飛ばした。
**シュシュシュシュシュシュッッ!!**
空間を歪め、触れたものの存在を消去する悪魔の針。
だが――。
アレンは一歩も引くことなく、正面から歩み出た。
**ジャキ、ジャキ、ジャキィンッ!!**
アレンが適当に刃を払うだけで、すべての漆黒の針は、弾け飛ぶ火花と共に空間ごと「粉砕」されていく。
「な……ッ!?」
「お前さ」
アレンが女2の目前へと、一瞬の踏み込みで肉薄した。
その間合い、わずか数十センチ。
「さっきからその変なおもちゃで、人の大事な仲間を消しまくってくれたよな……」
アレンの左手が、女2の顔面へと伸びた。
「や、やめ……っ!」
女2は必死で『アンノーン』の球体を作り出し、アレンの左手を呑み込もうとした。
だが、アレンの左手に纏われた密度の高い黒き霊力は、アンノーンの球体すらもガリガリと削り取り、そのまま女2の顔面を強引に鷲掴みにした。
**ガチィィィンッ!!**
「キャアアアアアッ!?」
アレンは女2の頭部を掴んだまま、全速力でサンルームの床へと叩きつけた!
**ドガァァァァァァンッ!!!!**
大理石の床が蜘蛛の巣状に激しく割れ、女2の頭骨が凄惨な音を立ててひび割れる。
「ガ、ハッ……! あ……っ……!」
「マキナ様を泥に伏せさせて……リースを動けなくして……スレナとヴァイパを灰にして……。でお前らは『無に還す』だぁ?」
アレンは女2の顔面を踏みつけ、冷たい一瞥をくれた。
「お前らが一番……『無価値』なんだよ、ボケが」
アレンは右手の天鎖斬月を逆手に持ち替え、女2の右腕――『アンノーン』の容器を握りしめているその手首へ向けて、真上から突き立てた!
**ズスッ!! ガキィンッ!!**
「ヒギャアアアアアアアアッッッ!!!」
女2の悲鳴と共に、手首が切断され、未知の素材で作られた幾何学的な容器が、コロコロと泥の上へと転がり出た。
残された時間は、あと三分。
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「ひ、ひぃぃ……っ! 助けて、助けてぇぇぇっ!」
右腕を失った女1が、血の海を這いずりながら、脱出を図ろうと出口へと向かっていた。
男1はすでにアレンの生身の暴行によって瀕死であり、女2もまた手首を切断されて泥に伏している。
『アンノーン』という、世界政府すら届かない絶対の異物を持っていたはずの自分たちが、たった一人の「死神」によって、ゴミのように潰されていく。
「逃げられると思ってんのか?」
アレンの冷たい声が、女1の頭上から降ってきた。
アレンは転がった『アンノーン』の容器の前に立ち、天鎖斬月を上段に構えた。
「ま……待ちなさい! それを破壊すれば……アンノーンのエネルギーが暴走して、この国ごと消滅するわよ!?」
手首を押さえた女2が、血みどろの顔を上げて狂乱の叫びをあげる。
「暴走? フハッ……」
アレンは可笑しそうに口元を歪めた。
「俺の斬月が……そんな不細工なエネルギー、逃がすわけねぇだろ」
アレンは躊躇なく、天鎖斬月を『アンノーン』の容器目掛けて力任せに振り下ろした!
**ドガァァァァァァァンッ!!!!**
異次元の崩壊触媒たる『アンノーン』の中心核が、漆黒の刃によって一刀両断された。
暴走しかけた膨大な漆黒のエネルギー。だが、それが空間へと弾け飛ぶよりも早く、アレンの天鎖斬月から放たれる圧倒的な霊圧が、暴走するエネルギーそのものを「貪り食う」ようにして、完全に抑え込み、消滅させてしまったのだ。
ポカン……と。
ゴッドエデンを覆っていた漆黒の蓋が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
システムが息を吹き返し、照明が灯り、青空の陽光が、再びサンルームへと差し込み始めた。
『アンノーン』の完全破壊。
この世界に存在してはならない異物は、死神の刃によって完全にこの世から消去された。
残された時間は、あと二分。
「あ……あぁ……っ……! アンノーンが……壊された……っ! 私たちの……私たちの理想がぁぁぁっ!」
女2が泥の中で絶望の血涙を流す。
女1もまた、壁際に追い詰められ、ガタガタと恐怖に全身を震わせていた。
『アンノーン』の領域が消滅したことで、本来ならば悪魔の実の能力や覇気が戻るはずだった。
しかし――手首や腕を切り落とされ、生命力の根幹を削られた二人には、もはや戦う力など残されていなかった。
一方、アレンの身体にも、終わりの時が刻一刻と近づいていた。
「ハッ……、ハッ……ッ!」
アレンの漆黒のロングコート(截頭衣)が、端の方からチラチラと「光の粒子」となって崩れ始めていた。
全身の筋肉が断裂し、魂の根幹が焼き尽くされていく激痛。
視界が急激に真っ白に染まり、耳鳴りが激しく脳を揺さぶる。
(……限界、っすね……。斬月……よく持たせてくれたっすわ……)
アレンは最後の力を振り絞り、ふらつく足取りで二人の中央へと立った。
右手に握られた『天鎖斬月』の刀身から、全霊を注ぎ込んだ、漆黒のエネルギーが膨れ上がっていく。
それは、空を切り裂き、大地を穿ち、数多の強敵を葬ってきた、死神アレン・コルテスの最強にして唯一無二の必殺技。
「ひ、ひぃぃっ! やめて、許して……っ! 何でもするからぁぁっ!」
女1が顔を覆って泣き叫ぶ。
「消えなさい……! 私たちを殺しても、結社の意志は……ッ!」
女2が最後まで睨みつける。
アレンは、二人の見苦しい抵抗に、何の感情も示さなかった。
ただ、二振りの刀を重ねるように構え、自らの魂の全てを、その一撃へと集約させる。
「……さようなら、不細工ども」
アレンの口から、最後にして最高の言葉が解き放たれる。
「――**【月牙天衝(げつがてんしょう)】**」
**――――ズゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッッッッ!!!!!!!!**
天を突き抜け、地を割るほどの、巨大すぎる「漆黒の月牙」が放たれた!
それは、サンルームの壁を、王宮の敷地を、そして『アンノーン』の残滓すらも丸ごと飲み込む、完全なる「崩壊の奔流」。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!???」
女1と女2の悲鳴は、月牙の威光の中に一瞬で掻き消えた。
彼女たちの肉体、魂、そして存在していたという事実そのものが、漆黒の霊子の渦の中で粉々に粉砕され、何ひとつ残さず消滅していった。
月牙はそのまま果てしない新世界の空へと突き抜け、雲を二つに切り裂きながら、遥か彼方の海へと消えて行った。
静寂。
サンルームを壊滅させた月牙の余波が去り、そこには抜けるような青空と、暖かな陽光だけが注ぎ込んでいた。
黒ずくめの三人――男1、女1、女2は、完全に消滅した。
「……は……っ……」
漆黒の月牙を撃ち尽くしたアレンの手から、カラリン……と音を立てて『天鎖斬月』がこぼれ落ちた。
刀身は、地面に触れた瞬間にさらさらと美しい黒い砂となって崩れ去り、そのまま風に乗って消えて行った。
アレンの身を包んでいた漆黒の截頭衣も消え、彼は元の血みどろの泥着姿へと戻っていた。
「ア……アレン……っ!」
壁際で、ようやく再起動を果たしたリースの声が聞こえた。
そして、泥の中から、血みどろになりながらも奇跡的に身を起こしたマキナが、かすかな息を吐きながらアレンへと手を伸ばそうとしていた。
「ア……レン……。お前……何を……」
マキナの紅い瞳が、アレンの異変を捉えていた。
アレンの身体が、足元から順に、透明な「光の粒子」となって崩れ始めていたのだ。
魂を燃やし尽くした代償。
五分間の約束の終わり。
アレンは、膝からガクガクと崩れ落ちそうになる身体を、なんとか踏みとどまらせようとしたが、もはや感覚すらなかった。
「……ハッ。……マキナ……様……」
アレンは、泥の上で倒れそうなマキナの方へと、ゆっくりと顔を向けた。
その顔には、先ほどまでの凶暴な不良の面影はなく……いつもの、少し困ったような、気だるげな「死神」の笑みが浮かんでいた。
「……あいつら、片付けたっすよ……。……俺……ちゃんと、仕事……したっすよね……?」
「アレン……っ! 馬鹿者が……! 喋るな、動くでない……っ! リース、早く医療カプセルを――」
マキナが叫ぼうとしたが、アレンの身体の崩壊スピードは、リースの最新の医療技術すら届かない領域に達していた。
「……ダメっすよ……。もう……お別れっすわ……」
アレンは空を見上げた。
澄み渡る新世界の青空。
スレナとヴァイパが灰となって消えた風が、自分の頬を優しく撫でていくのを感じる。
「……一度死んで……拾った命で……。マキナ様たちの護衛ができて……楽しかったっすよ……」
「アレン――ッ!!!」
マキナの悲鳴のような叫びが響く中、アレン・コルテスの右腕が、胸が、そして微笑みを浮かべた顔が……まばゆい光の粒子となって散っていった。
最後に残ったのは、彼が泥の上に残した、血のついた小さな足跡だけだった。
楽園を守り抜き、世界の理の外にある異物を砕いた死神。
その最期の輝きと共に、ゴッドエデンの長い一日は、凄絶な沈黙の中に幕を閉じたのであった。
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