ミステリアス美少女(予定)のアーカイブ   作:むめい。

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3話 砂と借金の香り〜利息を添えて

 

「アテナくんさ」

 

 ホシノが、いつもの気の抜けた調子で俺を見た。

 

「アビドスに入学する気、ない?」

 

 来た。

 

 俺は内心で静かに拳を握る。校門前で倒れた理由、対策委員会の部室に座っている理由、この世界に転生してからずっと頭の中で描いていた最短ルートが、いま目の前に差し出されている。

 

 なのに、すぐに飛びつくのは違う。

 

 俺は知っている。

 

 ホシノは、見た目よりずっと考えている。

 

 そして俺は、ホシノが黒服と関わりを持っていることも知っている。

 

 もちろん本人はそれを表に出していないし、ここにいる四人も知らないはずだ。けれど俺はブルーアーカイブを知っている。ストーリーも、立場も、裏で繋がっている線も、全部知っている。

 

 だからこそさっき俺が黒いスーツの怪しい人の話をしたとき、ホシノの眉がほんのわずかに動いた意味がわかってしまった。

 

 この人はいま、優しさだけで俺を誘っているわけじゃない。

 

 黒服と関わったかもしれない男を外に出したくないのだ。

 

 目の届く場所に置いておきたいのだ。

 

 それは警戒であり、同時に保護でもある。

 

 なんてアビドスらしい判断だろうと思う。疑うからこそ助ける。警戒するからこそ近くに置く。

 

 俺はいま、完全にそれを理解したうえで、ホシノの言葉を聞いている。

 

「入学、ですか?」

 

 俺は少しだけ視線を落とす。考えているふりをする。いや、実際かなり考えているのだが、方向性が違う。

 

 入学したいに決まっている。

 

 そのために倒れたんだから! 

 

 そのためにここまで来たんだからさ。

 

 けれどここで「ぜひ!」なんて言ったら怪しさの塊だ。

 

 俺は喉を鳴らしてから、ゆっくり口を開いた。

 

「俺が入ると迷惑じゃないです?」

 

 ホシノがわずかに目を細める。

 

「ぜーんぜん?」

「でも……俺、男ですし。ヘイローもないし。何もできないですし」

 

 これは本音だ。

 

 俺はこの世界で戦えない。役に立てる保証もない。ただのしがない転生者だ。

 

 けれどホシノは、肩をすくめた。

 

「役に立つとか立たないとか、ここにそんなの関係ないよ〜」

 

 ホシノの声は相変わらず気の抜けた響きなのに、その言葉だけ妙に芯があって俺は一瞬だけ返す言葉を失った。ゆるい顔をしているくせにこういうときだけ学校の長みたいな顔をするのはずるいと思う。

 

 セリカがすぐに身を乗り出す。

 

「まだちょっと信用出来ないけど……あんた、さっきから見てると悪い人って感じはしないし」

 

 言いながらも腕を組んで、じっと俺を睨む。その視線の強さに、俺は内心でちょっとだけ背筋を正す。セリカは真面目だ。だからこそ、こういう判断もちゃんと真面目にしているのがわかる。

 

 ノノミがにこにこしながら続ける。

 

「お掃除とか、お手伝いとか、やることはいくらでもありますよぉ☆ アビドスけっこう広いですし」

 

 その言い方があまりにも優しくて、俺はうっかり「一生ここで掃除します」と言いそうになる。危ない。理性を保て。

 

 シロコが腕を組んだまま、短く言う。

 

「ん、人手は多いほうがいい。人が増えると、できることも増える」

 

 淡々としているのに、そこには一切の迷いがない。ああ、この子は本気でそう思っているんだなと伝わってくる。

 

 アヤネが少しだけ困ったように笑いながら言う。

 

「事務仕事もありますし、物を運んだりするお仕事もあります、やれることはたくさんありますよ! 無理に戦う必要はありませんから」

 

 この子は本当に、優しい言葉を選ぶのがうまい。俺はその一言で、なんだかもうここに居てもいいんだと言われた気がして、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 

 俺は五人の顔を順番に見ながら、静かに息を吐いた。

 

 ああ、これだ。

 

 これを浴びたかったんだ。

 

 美少女に囲まれて、優しくされて、居場所を与えられて、しかも正当な理由付きでそこにいていいと言われる。この状況が、俺の中の何かをどんどん満たしていく。

 

 自分がかなり気持ち悪いことを考えている自覚はある。あるけれど、止める気はない。むしろこれを糧に生きていこうと思っているあたり本当にどうしようもない。

 

 ホシノが頬杖をついたまま、俺を見ている。

 

「どうする? アテナくん」

 

 その目は、笑っているようでいて、ほんの少しだけ真剣だ。俺はそれを見て、改めて理解する。

 

 この人は、俺を試しているわけじゃない。ただ、選ばせている。

 

 ここに来るか、来ないか。

 

 俺は、最初から答えを持っている。

 

 けれどそれをそのまま出すと不自然だ。だから俺は、少しだけ視線を落としてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「……もし、迷惑じゃないなら」

 

 そこで一度言葉を区切る。心臓の音が、やけにうるさい。

 

「ここに、いさせてください!」

 

 その瞬間、部室の空気がほんの少しだけ緩んだ気がした。

 

 セリカがほっとした顔をする。ノノミが嬉しそうに笑う。シロコが小さく頷く。アヤネがほっと息を吐く。

 

 ホシノは、にこっと笑った。

 

「決まりだねぇ」

 

 その一言で、何かが確定した。

 

 俺はもう、外の人間じゃない。

 

 アビドスの中に入る。

 

 この五人の物語の、すぐ隣に立つ。

 

 そして同時に、俺は内心で別のことを考えていた。

 

 ホシノは俺を近くに置きたい。黒服の影を感じたからだ。俺はそれを知っている。知っているからこそ、この場所は安全だともわかっている。

 

 俺は、保護されながら、監視される。

 

 それでいい。

 

 むしろ願ったり叶ったりだ。

 

 だってここは、俺が一番来たかった場所なのだから。

 

 その空気の緩みが、部室の温度を一段だけ下げた気がした。緊張がほどけたというより、ここからはもう「内側の話」をしてもいいという合図みたいな、そんな静かな切り替わりだった。

 

 アヤネが手元のメモを見て、少しだけ視線を上げる。

 

「あの……アビドスに入学したのなら、アテナくんにも一応現状の説明を……」

 

 そこまで言いかけたところで、セリカが慌てて身を乗り出した。

 

「ちょ、ちょっと待ってアヤネ! それはまだ早いって! いくらなんでもいきなりあれは重すぎるでしょ!」

 

 アヤネの口が止まる。ノノミがきょとんとした顔をする。シロコは黙って二人を見ている。

 

 ホシノが、頬杖をついたままゆっくり瞬きをした。

 

「いいんじゃない?」

 

 その一言で、セリカの動きが止まる。

 

「でもホシノ先輩……」

「もうアテナくんは、アビドスの一員なんでしょ?」

 

 その言い方は、冗談みたいに軽いのに、内容はやけに重かった。俺はその言葉を聞いた瞬間、胸の奥が妙にざわつくのを感じる。

 

 アビドスの一員。

 

 さらっと言ったな、この人。

 

 セリカが渋い顔をしたまま、椅子にどさっと座り直す。

 

「……まあ、そうだけどさ」

 

 アヤネが小さく頷いて、姿勢を正した。

 

「では、改めてお話しますね」

 

 アヤネはメモ帳を閉じて、まっすぐ俺を見る。

 

「アビドス高等学校は、現在多額の負債を抱えています」

 

 来た。

 

 俺は心の中でそっと呟く。知っている。知っているけれど、知らないふりをしなければいけない。

 

「その額は……約九億円です」

 

 数字が口に出された瞬間、部室の空気が少しだけ重くなった気がした。セリカが視線を逸らす。ノノミが小さく苦笑する。シロコは無表情のままだけど、わずかに視線が下がる。

 

 ホシノだけが、いつも通りの顔をしている。

 

 九億。

 

 数字だけ聞けば現実味がない。けれどこの部室の雰囲気が、それが冗談ではないことをはっきり伝えてくる。

 

「毎日、利息を支払うだけで精一杯で……元本はほとんど減っていません」

 

 アヤネの声は落ち着いている。感情的にならないようにしているのがわかる。

 

「それでも私たちはこの学校を維持するために依頼を受けたり、アルバイトをしたりしてなんとかやりくりしています」

 

 俺はゆっくりと部室を見回す。

 

 古い机。積み上がった書類。ホワイトボードの返済計画。

 

 ああこれ全部九億の重みか。

 

 ゲームの画面越しではどこかコミカルに見えていたそれが、いま目の前では妙に生々しい。

 

 セリカがぽつりと言う。

 

「だからさ、正直あんた……アテナを養う余裕なんて無いのよ。ほんとに」

 

 その言葉には、いつものツンツンした感じがほとんどない。

 

 ノノミが笑う。

 

「沢山働いてもらわないとですね☆」

 

 この人、ほんと強いなと思う。

 

 シロコが短く続ける。

 

「ん、人数が増えるのは、悪いことじゃない」

 

 ホシノが俺を見る。

 

「ってことで、うちはお金ないけどアットホームな職場だよ〜」

 

 その言い方があまりにもホシノらしくて、俺は思わず笑いそうになるのを堪える。

 

 九億の借金を背負っている学校のトップの発言とは思えない。

 

 けれど、だからこそ、ここがアビドスなんだろう。

 

 俺はゆっくりと息を吸った。

 

 知っていたはずの設定が、いま目の前で現実として語られている。その重みを、俺は初めてちゃんと感じている。

 

 そして同時に、思ってしまう。ああ、アビドスを選んで良かったと。

 

 俺は静かに頷いた。

 

「俺、ここに来れてよかったです」

 

 口に出した瞬間、自分でも驚くくらい素直な声だった。取り繕いも、演技も、計算も、全部抜け落ちた、ただの本音だった。

 

 セリカが少しだけ目を丸くしてから、そっぽを向く。

 

「べ、別に喜ばれるほどの場所じゃないわよ」

 

 ノノミがくすっと笑う。

 

「私たちも、来てくれて嬉しいですよぉ☆」

 

 シロコが短く言う。

 

「ん、これで六人」

 

 アヤネがほっとしたように微笑む。

 

「これからよろしくお願いします!」

 

 ホシノだけが、いつものゆるい笑顔のまま、俺を見ている。

 

「うん、いいねぇ」

 

 その視線を受けたとき、俺はふと気づく。

 

 この人は最初から、俺がこの答えを出すことをわかっていたのかもしれない。

 

 黒服の影を感じたから近くに置こうとしているのも事実だろう。警戒もしているだろう。けれどそれ以上に、ホシノはたぶん、本気で俺をアビドスに入れたかったのだ。

 

 理由はどうあれ、選んだ結果は同じだ。

 

 俺はここにいる。

 

 この部室に座って、九億の借金の話を聞いて、それでも「良かった」と思っている。

 

 砂の匂いが、窓の隙間からふわりと入ってくる。

 

 借金の話をしているはずなのに、不思議とこの部屋の空気はあたたかい。

 

 俺はようやく理解する。

 

 アビドスは、学校というより、居場所なんだ。

 

 だからこの五人は、九億を背負っても笑っていられるのだ。

 

 そして俺は、その居場所に、今日から混ざる。

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