ミステリアス美少女(予定)のアーカイブ   作:むめい。

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今回は短め


6話 くらいよーこわいよー

 

 ゲートを抜けてからずっと、耳の奥にあの静寂が居座っている気がしていたが、ここに来てやっと理解した。あれは静かだったんじゃない。優しかったんだ。

 

 この部屋は違う。

 

 静かなのに、優しくない。

 

 音がないというより、音なんて必要ないと言われているみたいな空間だ。目的と機能だけで組み上げられていて、余白も情緒も置き場所がない。人間の居心地を一切考慮していない、純度100%の研究空間。

 

 薬品と金属の匂いが混ざっている。強烈ではないのに、鼻に入った瞬間「ここ長居する場所じゃないぞ」と本能が警告してくる匂いだ。

 

 視界に入った光景を、俺はゆっくり眺める。

 

 フラスコ。管。見たことのない装置。光を帯びた液体。並び方が綺麗すぎて逆に怖い。整理整頓されすぎた机って、なんでこう威圧感あるんだろうな。生活感ゼロの部屋より、散らかった部屋のほうが落ち着く理屈と同じだ。

 

 中央には台。

 

 いかにも「される側」が乗るやつ。

 

「うわ……理科室と手術室を悪魔合体させたみたいな場所だなここ」

 

 思わず口から出る。

 

「ここは私の研究室の一つです」

 

 一つ。

 

 言い方がもう怖い。絶対コレ系の部屋いくつも持ってるだろこの人。

 

 俺はゆっくり歩きながら周囲を見る。足音がやけに響く。自分だけが異物みたいな感覚になる。ここは俺みたいな奴がうろうろしていい場所じゃない。普通は運ばれてくる側の立場の場所だ。

 

 視線が自然と台に戻る。

 

「あれに乗るんだよな?」

「ええ」

 

 即答かよ。

 

 さっきまで応接室で穏やかに話していた黒服の面影が、ここでは薄い。ここは対話用の顔じゃない。この人の本業の顔だ。機能に寄せた黒服だ。

 

 俺は台の縁に手を置く。

 

 冷たい。

 

 やけに現実的な温度で、逆に想像が追いついてしまう。ここに横になる。ここで何かされる。ここで神秘をぶち込まれる。

 

 想像した途端、怖さがちゃんと形になる。

 

「ねぇ……」

「はい」

「さっきも言ってたけど、これめちゃくちゃ痛いやつだよね?」

 

 黒服は少し考えてから、真面目な声で答える。

 

「例えるなら……そうですねぇ、存在そのものを裏返されるような感覚でしょうか」

 

 表現の仕方が怖いんだよ。

 

 俺は思わずため息を吐く。

 

「聞かなきゃよかったわ」

 

 黒服が器具に触れる。ガラス管の中を、淡く光る液体が流れていく。青とも白ともつかない、不思議な色。

 

 たぶん、あれが神秘。

 

 俺はその光を目で追いながら、頭の中で状況を整理する。俺はいま、自分の意思でここに来て、自分の意思でこの台に乗ろうとしている。誰に脅されたわけでもない。

 

 なのに身体の奥のほうが全力で拒否している。やめとけ、逃げろ、帰れって、まともな生存本能がフル稼働している。

 

 まともであればあるほど、いまの俺はだいぶおかしい。

 

 黒服はガラス管の流れを確認しながら、ふと思い出したみたいに言った。

 

「今まで神秘を生物に注入した実験はいくつかありますが……ヘイローを持たない人間にするのは初めてですねぇ」

 

 さらっと、とんでもないこと言いやがった。

 

 俺はゆっくり顔を向ける。

 

「あのさ」

「はい」

「いま、さらっと怖いワード並べたよな?」

 

 黒服は気にした様子もなく続ける。

 

「犬、鳥、そしてヘイローを持つ人間。あれらは拒否反応で……」

「やめろその主人公に変な薬打ち込もうとするマッドサイエンティストみたいな語り!」

 

 思わず上体を起こす。

 

 黒服は首を傾げる。

 

「似たような状況では?」

「……確かに」

 

 いや確かにじゃないんだよ。

 

 俺はゆっくりまた天井に視線を戻す。聞きたくないのに、情報はちゃんと頭に入ってくる。犬。鳥。ヘイロー持ちの人間。拒否反応。

 

 この台、急に意味を持ちすぎだろ。

 

「ちなみにその拒否反応ってさ」

「ええ」

「どんな感じ?」

 

 黒服は数秒考えてから、やけに丁寧に答える。

 

「内側から崩れる、といった表現が近いでしょうか」

 

 言葉選びが上手すぎて逆に怖い。

 

 俺は両手で顔を覆った。

 

「帰りてぇ〜」

 

 本音が漏れる。

 

 でも帰らない。

 

 ここまで来ておいて、いまさら「やっぱやめます」はダサい。いやダサい以前に、たぶん一生後悔する。あのときやっときゃよかったって、アビドスの教室で何度も思う未来が見える。

 

 それは嫌だ。

 

 黒服が淡く光る液体の入った器具を手に取る。

 

 それだけで、部屋の空気が一段階張り詰める。

 

「安心してください」

「そのセリフ、いま一番信用できないんだけど」

 

 黒服は気にせず続ける。

 

「拒否反応が起きた個体には共通点がありました」

「聞きたくないなぁ!」

「神秘を『受け入れる理由』がなかったのです」

 

 俺は、手を顔から外す。

 

「理由?」

 

 黒服は頷く。

 

「あなたには、あります」

 

 その言い方が妙に静かで、妙に確信に満ちていて、俺は言葉に詰まる。

 

 アビドスの五人の顔が浮かぶ。あの砂の匂い。教室の空気。くだらない会話。守られる側じゃなく、並びたいって思った気持ち。

 

 ああ、なるほど。

 

 俺、だいぶ覚悟決まってるんだな。

 

「なあ黒服」

「はい」

「失敗したらさ、せめてかっこよく死んだってことにしといてくれ」

 

 黒服は少しだけ考えてから言う。

 

「努力しましょう」

 

 努力の方向性おかしいだろ。いや俺が頼んだんだけど! 。

 

 でも、そのやり取りで、少しだけ肩の力が抜ける。

 

 怖いのは変わらない。けど、逃げたい気持ちはもうない。

 

 黒服が俺の額に手を添える。

 

 ひやりとした感触。

 

「始めます」

 

 その瞬間、全身の感覚がやけに鋭くなる。匂い、空気、音のなさ、自分の心臓の鼓動。

 

 ドクン、ドクン、とやけにうるさい。

 

「実験を開始します」

 

 あ、これほんとに始まるやつだ。

 

 やばい。

 

 やばいけど。

 

 俺は、目を閉じなかった。

 

 

 ■

 

 

《ホシノ視点》

 

 陽の光が、まぶたの裏でゆらゆらしている。

 

 屋上のコンクリートはあたたかくて、風はゆるくて、世界は平和そのものだった。こういう時間があるから、アビドスはやめられない。借金だの銃撃戦だの、ろくでもない日常の合間に、こういう隙間みたいな時間が挟まる。

 

 私は目を閉じたまま、ゆっくり呼吸をする。

 

 さっきの会話を、なんとなく反芻していた。

 

 黒いスーツの男。

 

 アテナくんが言っていた、不気味だけど危険じゃないらしい人物。

 

 その特徴を思い浮かべるたびに、頭の奥で一つの名前が、静かに浮かぶ。

 

 黒服。

 

「まさかねぇ……」

 

 声が、ひとりでに漏れる。

 

 ゆっくり目を開けると、視界の端に人影が動いた。

 

 校門へ向かう一人の男の子、

 

 アテナくんだ。

 

 どこかへ行こうとしている。歩き方に迷いがない。行き先を知っている人間の歩き方だ。

 

 私は身体を起こす。

 

 屋上の縁に肘を置いて、その背中を目で追いながらゆっくりと考える。

 

 黒服は私を前から知っている。

 

 知っているどころか、ずっと目をつけられている。

 

 私の中にある神秘が目当てだと、はっきり言われたこともあった。実験に使うつもりなのだろう。その代わりに提示された報酬は、アビドスの借金を半分肩代わりすること。

 

 悪くない条件だ。

 

 むしろ、破格だ。

 

 でも私は、ずっとそれを無視してきた。

 

 あの人の「私のいないアビドスの未来」が、どうしても想像できなかったから。

 

 アテナくんは、まだ来たばかりだ。私たちに恩があるわけでもない。

 

 アビドスに命を賭ける理由も、まだないはずだ。

 

 だからこそ。

 

 だからこそ、もしあの子が黒服と接触しているのなら、それはちょっと、まずい気がする。

 

「着いて行ったらわかるか」

 

 立ち上がる。

 

 背中払って、屋上の扉へ向かう。

 

 足音を殺すのは得意だ。こういうのは昔から慣れている。階段を降りながら、私は小さく息を吐いた。

 

 別に、疑っているわけじゃない。

 

 ただ、確かめるだけだ。あの子がどこへ行くのか。

 

 誰に会いに行くのか。

 

 それを、少し後ろから見るだけ。

 

 それだけのつもりで、私はアテナくんの後を追った。

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