ミステリアス美少女(予定)のアーカイブ   作:むめい。

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この先の展開どうしましょ、何も考えてないよ!

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8話 そんな目で見ないで・・・興奮するじゃないか!

 

 ゲートを抜けた瞬間、肺の奥に入ってきた空気が、さっきまでとはまるで違った。薬品と金属の匂いが消え、代わりに砂と乾いた風の匂いが入り込んでくる。

 

 帰ってきた、という実感はたしかにあったのに、それで安心できるほど俺の身体は都合よくできていなかったらしく、足を踏み出した瞬間に膝が崩れそうになる。

 

 歩ける。歩けるけど、歩けるの定義が「今すぐ倒れない」ってだけの状態だ。胸の奥が熱くて、喉の奥に鉄の味が残っていて、身体のあちこちが鈍く痛い。黒服の「痛みを我慢すればいいだけです」は、たぶん世界で一番役に立たない励ましランキング上位に入ると思う。

 

 校舎が見える。砂に半分埋もれた階段、少し曇った窓。いつも通りの景色なのに、今日に限っては妙に尊く見える。さっきまで血の匂いのする場所にいたせいで、この校舎の埃っぽさが逆に「生活」そのものに感じられて、なんだか変な笑いが出そうになった。いや笑うな。いま笑ったら、頭がやられた人に見える。……もうやられてるけど。

 

 なるべく普段通りの歩幅で、なるべく普段通りの顔で、なるべく普段通りの息で。そうやって自分に命令を出しながら階段を上る。一段、二段、三段目で視界がふっと揺れたから、俺は手すりに手を置いた。休むためじゃない。触れただけだ。そういうことにしとこう。

 

「アテナくん」

 

 声が落ちた。軽い。軽いのに、背中に針みたいに刺さる。

 

 振り返ると、ホシノがいた。壁にもたれているでもなく、隠れているでもなく、ただそこに立っている。表情はいつも通り眠そうで、口元も柔らかいのに、目だけが全然違う。まるで憐れんでいるかのような……そんな目。

 

 俺をそんな目で見るなぁ! 。

 

「おかえり」

「はい、ただいまです」

 

 自分で言っておいて、声が普段より少しだけ軽い気がして嫌だった。軽いっていうか、薄い。血が足りてない人の声だ。バレる。絶対バレる。

 

 ホシノは数歩近づいてくる。顔を見る。目を見る。肩を見る。足元を見る。視線の動きがゆっくりなのが余計に怖い。急に詰めてこない。詰めない代わりに「勝手に白状させる」タイプだ。

 

「どこに行ってたの?」

 

 来た。シンプルで、いちばん逃げにくい質問。

 

「ちょっと散歩に」

 

 俺は自分の口から出た言い訳の雑さに、内心でマズったか? と疑問を浮かべる。

 

「……ふぅん」

 

 ホシノはそれだけ言った。否定もしないし、笑いもしない。その「ふぅん」が、俺の心臓をドクンと鳴らすには十分だった。沈黙が数秒続いた、そして──

 

「……黒いスーツの人と会った?」

 

 直球。

 

 俺は一瞬だけ言葉を飲み込んだ。ここで「見てません」は無理だ。そもそもこの人、勘で当ててるんじゃなくて、たぶん見てる。見てないとこの質問は出ない。

 

 でも、俺は知らないフリをする。ホシノがもし黒服との密談を見ていないのなら、その方がいいと思ったからだ。

 

「……会ってないです」

「…………そっか」

 

 あ、選択肢ミスった。

 

 ホシノはそう言って、にこっと笑った。柔らかい笑み。いつも通りの、昼寝前みたいな顔。でも俺の背中が冷えたのは、その笑みが「納得」じゃなくて別の意味に思えたからだ。

 

 やっべ。これ、俺が嘘ついたの全部わかった上で合わせてくれてるやつだ。優しさの形が怖い。

 

「じゃあさ」

 

 ホシノは一歩だけ近づいて、俺の横に並ぶ。真正面から詰めてこないのが逆に怖かった。

 

「散歩、楽しかった?」

「えーっと……うん、まあ……砂が……いっぱいで、はい」

 

 俺は何を言ってるんだ。砂はいつもいっぱいだろ。ここは砂漠の校舎だぞ。小学生の感想じゃねえんだぞ! 。

 

 ホシノは「うんうん」と頷いた。頷きながら、俺の手すりに置いた手を見た。次に、俺の指の関節。次に、袖口。次に、喉元。視線の動きが丁寧すぎる。人体のチェックリストでもあるのか。

 

「アテナくん」

 

 名前を呼ばれる。さっきと同じ声量なのに、今度は部屋の空気が一段低くなった気がした。俺の中の生存本能が、さっきの研究室より健全に働いてる。なんだこれ、校舎の階段で命の危機感じるの初めてなんだけど。

 

「さっきの、会ってないって答え」

 

 ホシノは、軽く首を傾げる。

 

「アテナくんのための嘘?」

「え」

 

 俺は言葉が詰まった。答えが一つに定まらない。俺のため? アビドスのため? 誰のため? いや全部混ざってる。混ざってるからこそ、口が動かない。

 

 ホシノは、やっぱり怒ってはいなかった。怒るときのホシノは、たぶんもっと怖いし怒っているとわかる。

 

「……うん。わかった」

 

 わかったって何がだよ。俺は何も言ってない。なのにわかったって言った。つまり、わかってないってことだね。

 

 俺は喉の奥の鉄の味を飲み込んで、なるべく普通に息を吐く。普通に、普通に、普通に。普通という概念が今日一番難しい。普通ってなんだっけ。たぶん健康な状態のことだな。じゃあ俺は今、普通じゃない。

 

「ホシノさん、俺ほんとに散歩……」

 

 言いかけた瞬間、胸の奥がズキンと痛んで言葉が途切れた。痛みが喉まで上がってくる感覚がして、俺は咄嗟に口を閉じる。咳をしたら終わる。咳は血の味を連れてくる。血の味が出たら、すべてが台無しになる。いや、もう台無しなんだけど、せめてバレ方は選びたい。

 

 ホシノの目が、少しだけ細くなった。

 

「今の、なに?」

「なにも」

「うん。なにもじゃないよね」

 

 あ、ダメだ。ホシノの“うん”は肯定じゃない。

 

 ホシノは大きく息を吐いて、肩を落とした。まるで「やれやれ」って言いながらも、本当は全然やれやれじゃないやつ。寝起きの顔で戦況確認してくる司令官みたいな空気を出すのやめてほしい。怖い。

 

「ねえ。嘘はいいよ。嘘つきたい気持ちも、わかるし」

 

 ホシノはそこで言葉を切って、俺の顔を覗き込む。覗き込むっていうか、目を合わせてくる。距離が近い。近いのに、手は出してこない。触れない。触れないから、余計に逃げられない。

 

「でもね、アテナくん」

 

 呼び方が優しいままなのが、逆に苦しい。

 

「私たちは運命共同体なんだよ? ……もちろんその中にアテナくんも入ってる」

 

 その言葉が落ちた瞬間、俺の中で何かが、じわっと熱くなった。いや胸の奥の熱はさっきからずっとあるんだけど、そっちはたぶん内臓がキレてる熱で、今のは別の種類の熱だ。気持ちの方。気持ちの方が先に燃えるって、どういう順番してんだ俺の身体は。

 

 おかしいだろ、そのセリフ。アビドスのみんなに言うべきだろ。対策委員会の五人に、だろ。まだ会って間もない俺にそんな顔で、そんな声で言うなよ。こっちは今、嘘が下手すぎて自滅してる最中なんだぞ。優しさで追い詰めるな。しかもホシノ先輩の優しさって、刃が入ってない分、鈍器みたいに効くんだよ。

 

「……運命共同体って、重くないです?」

 

 やっと出た声は、我ながら軽かった。いや軽いとかじゃない。薄い。血が薄い。俺の語彙まで貧血になってる。

 

 ホシノは首を傾げて、いつもの眠そうな目を少しだけ細くする。その顔がまた、ずるい。責めてるわけじゃないのに「逃げ道を綺麗に塞いでくる」顔だ。ほんとにこの人は……。

 

「重いよぉ。だから言ってるんだよ」

 

 さらっと言うな。さらっと言う内容じゃない。

 

 俺は笑いそうになって、同時に咳き込みそうになって、どっちも喉の奥で詰まって変な息になった。ヤバい。息が変だとバレる。いやもうバレてる。バレてるんだけど、バレ方は選びたい。人生最後の見栄ってやつだ。

 

 ホシノは俺の顔を見たまま、一拍置いてから、視線を少し落とす。喉元。胸。さっきよりもはっきり、痛みの場所を探しに来てる視線だ。優しいのに、診断が正確すぎる。

 

「アテナくん、無理してるでしょ」

「してない」

 

 反射で言ってから、俺は心の中で頭を抱えた。してるに決まってるだろ。全身が「無理」って看板掲げてるのに、口だけが意地張る。俺の口は俺の敵か? 

 

「うん。してないって言うなら、してないんだろうね」

 

 その言い方。そこで「じゃあ信じるね」って引くのがホシノの優しさで、引かないのもホシノの優しさなんだよな。どっちに転んでも優しい。逃げ場がない。優しさって檻だったっけ? 

 

 俺は手すりから手を離そうとして、やめた。離したら倒れる。倒れたら終わる。終わるっていうか、終わらせたくない。ここで倒れるのは、いくらなんでも情けない。さっきまで血だらけで頑張ってたのに、校舎の階段でゲームオーバーは笑えない。いや笑えるけど笑えない。

 

 ホシノが、ふっと息を吐く。怒ってない。心配してる。たぶん、ずっと前から。

 

「ねぇ。私さ」

 

 その声が、少しだけ低くなる。眠そうなままの声が、妙に芯を持つ。こういう時のホシノの声は、砂漠の夜みたいだ。冷たくて、静かで、でも逃げる場所がない。

 

「黒服のこと、知ってるんだよ」

 

 俺の指先が、きゅっと手すりを握る。鉄の冷たさが、皮膚越しに痛みと混ざって妙な感覚になる。黒服。出た。出ちゃった。名前を出された瞬間に、俺の中の現実が一段階濃くなる。

 

「知ってるっていうか……目をつけられてる、かな」

 

 ホシノは笑う。でもその笑いは、冗談の笑いじゃない。苦い笑い。飲み込めない薬みたいなやつ。

 

「昔ね。ちょっとだけ、話をしたことがある。すっごく嫌な話」

 

 ちょっとだけ、って言いながら、その「ちょっと」の密度が異常だ。俺が今まで聞いたホシノの“ちょっと”はだいたい、借金についてだ、今も例外じゃないらしい。

 

「だからね、アテナくん」

 

 ホシノは俺の横に並んだまま、真正面は向かない。詰めない。詰めないけど、逃げ道は塞ぐ。優しさってこういう形もあるのかよ。

 

「もし黒服と会ったなら、私に言ってほしい。責めないよ。怒らないよ。……でも、アビドスのみんなを置いてかないで」

 

 "アビドスのみんな"を置いてかないで。

 

 ホシノはまるで自分は入ってないかのように言う。

 

 まだ先生も来ていない、この人はこの時点でもう……自分を犠牲にしようとしているのだろうか? 。

 

「……ホシノさん」

 

 声に出した瞬間、ホシノが一瞬だけ目を丸くした。呼ばれる予定のなかった名前を呼ばれたみたいな顔。そういう顔するのずるい。胸の奥が、また変な熱で疼く。内臓の方じゃないやつ。

 

「みんなって言い方、ずるくないですか?」

 

 できるだけ軽く言ったつもりなのに、声が薄い。貧血の言葉だ。俺の中の“いつもの俺”が、血と一緒に床にこぼれてきた感じがする。

 

 ホシノは笑う。いつもの眠そうな笑いに戻ろうとする。でも戻りきらない。目の奥だけが、砂に沈む前の夕焼けみたいに、ちょっとだけ赤い。

 

「ずるいかなぁ」

「ずるいです。ホシノさんが入ってない」

 

 ホシノは肩をすくめる。軽い仕草。いつもの「いやぁ?」みたいな雰囲気。でも、その軽さが嘘だって、俺はもう分かってしまった。分かってしまった以上、知らないフリはできない。……今日は知らないフリが多すぎるなぁ。

 

「私はねぇ……」

 

 ホシノは少しだけ視線を逸らして、校舎の窓の方を見る。曇ったガラスの向こう。砂が舞う空。何もない景色を見てるのに、たぶん見てるのは過去だ。

 

「“アビドス”を守れれば、それでいいの」

 

 来た。出た。出ちゃった。

 

 その言い方は、覚悟っていうより、予定だ。未来の予定表に書いてあるみたいな声音。今日の昼寝の予定と同じテンションで、自分の犠牲を予定に入れてる。狂ってる。いや、強いのか。強いってこういうことか。強い人ほど、自分を材料にするのが上手いんだよな。自分の命も、気持ちも、平然と資源扱いする。

 

 ……やめてくれ。

 

 胸の奥がズキン、と鳴って、俺は一瞬だけ顔を歪めた。痛み。現実。俺の身体、いま絶対やばいのに、俺の心はそれどころじゃないって騒いでる。内臓と感情が同時に暴れて、体内が内戦状態だ。

 

 ホシノの目が、また俺の喉元に戻る。胸に戻る。息に戻る。優しい診断。優しい詰問。

 

「アテナくん」

 

 柔らかい声。柔らかいのに、逃げ道を閉める声。

 

「その顔、ほんとに限界だよ」

「……限界じゃない」

 

 言った瞬間に、自分でも思った。嘘だ。これは俺のための嘘じゃない。アビドスのための嘘だ。ホシノのための嘘だ。……だから余計に、質が悪い。

 

 ホシノは、俺の言葉を否定しない。否定しないまま、ゆっくりと息を吐く。

 

「うん。じゃあ、質問変えるね」

 

 質問変える、って言い方がもう司令官だ。寝起きのまま戦況を組み立て直してくるの、ほんと怖い。

 

「黒服に、何をされたの?」

 

 ──それ。

 

 俺の中で、空気が固まる。

 

 やっぱバレてる? 。どうしよう。痛い。倒れそう。お腹空いた。芝席ラーメン食べたいな。ホシノ可愛い。

 

 情報が多すぎて、どれから答えればいいのか分からない。分からないから、口が動かない。口が動かないから、ホシノの目が、さらに静かに鋭くなる。

 

「……別にな──

 

 言いかけて、そこで意識が途切れた。

 

 最後に聞こえたのは、ホシノの呼びかける声だけだった。

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