『手を撫でる』
ゲヘナ学園、風紀委員会行政官室。天井まで届きそうな書類の山に囲まれ、ヒナは今日も無言で万年筆を走らせていた。カリカリという硬質な音だけが響く静寂の中、私は彼女の隣に椅子を引き、そっと腰を下ろした。
ヒナの視線は書類に向かったままだが、机の上に置かれた彼女の空いている左手を、私は両手でそっと包み込む。そして、白く華奢な手の甲を、親指の腹を使ってゆっくりと撫で始めた。
「えっ……? せ、先生……?」
突然のスキンシップに、ヒナの万年筆がピタリと止まる。ビクッと肩を揺らした彼女は、驚いたようにこちらを見上げた。
「その……嫌じゃない、けど」
ヒナは少し戸惑うように目を伏せ、ほんのりと頬を朱に染めた。振り払おうとはせず、むしろ私の手の温もりを確かめるように、小さく指先を絡めてくる。
「撫でられること自体慣れてないけど……手って、なんだか直接的で……少し、恥ずかしい……かな」
消え入りそうな声で呟き、ヒナは照れ隠しのように再び書類へと視線を戻した。しかし、その耳の先まで赤く染まっているのがはっきりと見て取れた。
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『頭を撫でる』
しばらく手を撫でて彼女の緊張をほぐした後、私はゆっくりと手を伸ばし、今度はヒナの柔らかい銀髪へと触れた。
「ん……」
頭頂部から毛先にかけて、優しく梳くように撫で下ろす。ヒナは心地よさそうに目を細め、書類仕事はそのままに、私の手の方へ擦り寄るように小さく頭を傾けてきた。まるで甘える子猫のような無防備な仕草だ。
しかし、そのサラサラとした髪をかき分けた瞬間、私の視線は自然と、彼女の前髪の隙間から覗く『白くて滑らかなおでこ』へと吸い寄せられてしまった。
「(……磨きだいっ!!)」
この血管を流れる『職人の血』が騒ぎ出す。このパーフェクトな曲線を描くヒナのおでこを、キュッキュッと泥団子のように磨き上げたら、一体どれほどの輝きを放つのか。
私の指先が研磨の衝動でピクピクと痙攣しそうになるが、私は必死に唇を噛み締め、理性を総動員してその欲望をねじ伏せた。今はただ、優しく撫でるんだ。
磨きたい!! 磨きたいよぉぉぉぉ!!
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『声も流す』
なんとかおでこへ向かいそうになる手を制御するため、私は苦肉の策に出た。撫でる一定のリズムに合わせて、自らの口で効果音を発し、意識を逸らすことにしたのだ。
「ナデナデナデナデ……ナデナデナデナデ……」
無表情のまま、お経のような一定のトーンで、呪文のように呟き続ける私。静かな行政官室に、私の「ナデナデ」という音声だけがシュールに響き渡る。
「……先生?」
ヒナは再びペンの動きを止め、今度は少しだけ引いたような目で私を見上げた。
「撫でてくれるのは、すごく嬉しいんだけど……自分で口に出して言うのは、なんだか……その、奇妙な感じがするわ……。何か別の儀式でも始まっちゃったのかと思った……」
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『割といい感じの撫で撫でセット』
数日後。私は万年過労のヒナを完璧に癒やすため、通販で取り寄せた最高級の『極上ヘッドスパ&ナデナデセット』を持参して行政官室を訪れた。
まずはじんわりと温かくなる温感ジェルを頭皮に馴染ませ、適度な弾力を持つ専用のシリコンブラシで凝り固まったツボを刺激。さらに、微弱な振動で血行を促進する電動ヘッドマッサージャーを併用し、無言でプロ顔負けの施術ナデナデを行っていく。
「あ、んんっ……ふぁ……すご、い……これ……」
数分後。ヒナの口から、完全に骨抜きにされたような甘い吐息が漏れ始めた。彼女の姿勢はもはや維持できず、机の上に力なく突っ伏している。
「これ……すごく気持ちいいんだけど……だめ、仕事……ペンが、上手く、握れな……い……。先生、私、もう寝ちゃいそう……」
トロンとした目で私を見上げるヒナ。私の持参したセットは、見事にゲヘナ最強の風紀委員長の疲労と理性を、ドロドロに溶かしつつあった。
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『悪ぃ、やっぱ辛ぇわ』
そして、ヒナが完全に無防備に目を閉じ、その白く美しいおでこを無防備に天井に向けて晒した瞬間だった。
私の理性の太い糸が、あっけなく音を立てて千切れた。
「(……いける!! 今ならいける!!)」
私は持っていたマッサージャーを放り投げ、ポケットから伝家の宝刀『最高級スキンケア用ベビーオイル』を抜き出し、ヒナのおでこへ一気に塗布! 両手の親指をクロスさせ、超高速の円運動で研磨を開始!
キュキュキュキュキュキュッ!!
「ひゃあっ!? な、何!?」
突然おでこに凄まじい摩擦熱と圧力を受けた瞬間、眠りかけていたヒナの身体が、風紀委員長としての絶対的な『戦闘反射』を無意識のうちに呼び覚ましてしまう。
ガシッ!!
「えっ」
ヒナは目を開くよりも早く、反射的に私の両腕を掴み上げ。そして、椅子から立ち上がる反動を利用した流れるような完璧なフォームで、私を前方へと力強く投げ飛ばした。
──ドゴォォォォンッ!!!
私は宙を舞い、行政官室の硬い床に背中から激突。視界が明滅して肺から空気が搾り出された。
「ハッ……!? せ、先生ッ!?」
ようやく我に返ったヒナが、床に大の字で倒れ伏す私の元へ血相を変えて駆け寄ってくる。
「ごめんなさい……! いきなり顔に変な攻撃(?)をされたから、反射的に背負い投げを……っ! 骨は!? どこか折れてない!? 本当にごめんなさい……!」
涙目で私の無事を確認し、ホッと胸をなでおろすヒナ。
しかし彼女はふと、若干ツルツルに輝き始めた自分のおでこにそっと触れ、心底理解できないというような表情を浮かべた。
「……ところで先生」
ヒナは倒れたままの私を見下ろし、純粋な疑問を口にした。
「なんで私のおでこ、全力で磨いたの……?」
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終わり
「ひっ……いらっしゃいませ……」
「……おでk……アメリカンドッグ一つ……」
「は、はい……」
「(なんで先生、ここに来るたびに唇を血が出るほど嚙み締めてるんだろう……)」
「(ソラのおでこソラのおでこソラのおでこソラのおでこソラのおでこ……)」