『10:0(普通のスーツ姿)』
雪が深々と降り積もるレッドウィンター連邦学園。暖炉の火がパチパチと爆ぜる旧校舎の事務室で、私はいつも通りのパリッとしたスーツ姿で執務室のドアを開けた。
すると、部屋の中央に鎮座する大きすぎる執務机の奥から、ふんぞり返ってプリンを食べていた小さな書記長が、偉そうにふっと鼻を鳴らした。
「よく来たな! カムラッド! 今日も我がレッドウィンター連邦学園の未来について、素晴らしい議論を交わそうじゃないか!」
チェリノは自身のトレードマークであり、権力と威厳の象徴である『立派な付け髭』を指で得意げに撫でつけながら、自信満々に胸を張る。
私はそんな彼女に敬意を表し、深く頷いてから来客用のソファに腰を下ろした。
ここまでは、ごくごく普通のレッドウィンターの平和な日常風景である。
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『9:1(顔に付け髭)』
数日後。私はレッドウィンターを訪問するにあたり、自身の口元にチェリノのものに似た『立派な黒い付け髭』を装着して事務室のドアを叩いた。
「む? カムラッド、その口元……ついにヒゲのすばらしさと、それがもたらすカリスマ性に気付いたのか?」
私の顔を見たチェリノは一瞬目を丸くして驚いたが、すぐに嬉しそうにニヤリと笑い、机の上に身を乗り出してきた。
「むむ……本来であれば、このレッドウィンターでヒゲを付けることが許されるのは、最も偉大なおいらだけで良いと思っているが……」
「まぁ、親愛なる同志であるカムラッドならば特別に構わん! さぁ、共にヒゲの良さと、大衆を導く威厳について熱く語り合おうではないか!」
チェリノはすっかりご機嫌な様子で椅子から飛び降りると、私の隣に立ち、自分のヒゲと私のヒゲを見比べながら誇らしげにふんすふんすと鼻息を荒くした。
私はそのままヒゲが強調されるように右手を平行に上げ……。
「それ以上手を上げるのは良くない気がするぞ! カムラッド!」
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『7:3(顔の半分がヒゲ)』
さらに後日。私は口元だけでなく、顎、もみあげ、そして頬に至るまで、顔の下半分を完全に覆い尽くすほどの『大量の付け髭』を装着して現れた。
もはや素顔は目元しか見えず、絵本に出てくるサンタクロースか、あるいは山にこもった仙人もかくやというもじゃもじゃ具合である。
「きょ、今日はまた一段とすごい顔で来たな、カムラッド……。皮膚よりヒゲの方が、顔の面積を占有しているぞ……」
チェリノはドン引きしたような顔で自身のヒゲを両手でギュッと庇い、ジリジリと後ずさりをした。
私が「同志よ」と両手を広げて歩み寄ろうとすると、彼女はサッと机の裏に隠れ、警戒する小動物のように目だけを出してこちらを睨んだ。
「うわっ、その顔でおいらに近づいてくるんじゃない! なんか……そういう新種の化け物みたいだぞ! いくらヒゲが威厳の象徴だと言っても、限度というものがあるだろう! お茶を飲もうにも口がどこにあるか分からないじゃないか!」
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『5:5(ジャケットもヒゲ)』
そして翌週。私は顔の半分をヒゲで覆うだけでなく、普段着ているスーツのジャケットまでも『黒い付け髭を隙間なく編み込んだ、特製ヒゲジャケット』に変更して出向いた。
一歩歩くたびに、ジャケットからフサフサ、モワァッとした毛の塊が揺れ動く。
「ふむ……おいらもレッドウィンターの規律を守るため、時には皆に厳しくしているが……」
視界の半分を黒い毛で埋め尽くされたチェリノは、もはやツッコミの気力すら削がれたように深いため息をついた。
「カムラッドも大概厳しい感じだな! 見ているだけで暑苦しいし、息苦しいぞ! いいか、ただ全身にヒゲを付ければ威厳が出るというわけではないぞ! 何事もバランスだ、バランス!」
「だいたいその服、絶対にチクチクして書類仕事に集中できないだろう! 頼むからおいらの絨毯に抜け毛を落とさないでくれ!」
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『0:10(全身付け髭)』
そして冬も本格化した頃。私はついに『服を着る』という人類の概念を手放した。
頭の先から足の爪先まで、全身に『超ロングタイプの付け髭』を重武装させ、二足歩行の巨大な黒い毛玉のような姿で、事務室のドアを叩き割らん勢いで開け放った。
「うぉい!! 昨日からレッドウィンターの裏山で『謎の雪男が出た』という報告が相次いでいて、特別警戒態勢を敷いていたと思ったら……絶対にカムラッドの事じゃないか!!」
チェリノが椅子の上に立ち上がり、顔を真っ赤にして指を差す。
私は無言のまま、そのモジャモジャの巨体を揺らし、事務室の中央で軽快なステップを踏みながら『謎のヒゲの舞い』を踊り始めた。
「なんだそれ! 気持ち悪いぞ!! うわっ、その状態で踊るんじゃない! 舞ってる! ヒゲが空中に舞っている! トモエ! トモエはどこだ! コロコロを持てー!!」
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『0:……? (股間のみヒゲ)』
春の足音が近づく、ある暖かな日。
私は一切の衣服、そして顔の付け髭すらも全て脱ぎ捨てた。
私が身につけているのは、ただ一つ。全裸の股間を隠すように貼り付けられた、チェリノと同じデザインの『立派な付け髭』だけであった。
「っ」
ドアを開けた瞬間。股間の勇者に威厳だけを輝かせる私の姿を見たチェリノは、持っていたプリンの匙をポロリと落とした。
「うぉぉぉぉあああ!! 誰だお前は! いや違う! 顔はカムラッドだということは分かるが、皮一つ挟んだその中身は全くの別人だろう!! 絶対に!! カムラッドに化けた変質者だ!!」
私は無言のまま、真顔で力強く腰を円形に振った。
股間に装着された威厳の象徴が、私のリズミカルな動きに合わせてファサッ、ファサッと空気を切って激しく揺れ動く。
「ヒィェェッ!? 近づくな! おいらの威厳が汚される!! トモエぇぇぇぇ!! マリナぁぁぁ!! 早く来てくれ!! このヘンタイを今すぐつまみ出せ!!! 永久凍土送りだ!!」
私は無言で、さらに激しく、そして情熱的に腰を回し続けた。ハナコと特訓した成果がここにも活かされるとはな。
「……ヒゲを振るなぁぁぁぁ!!! 頼むからその動きでヒゲを揺らすのはやめろぉぉぉ!!!」
レッドウィンターの事務室に、偉大なる書記長の、威厳もへったくれもない半泣きの悲鳴が響き渡った。
「安心してください、履いてませんよ」
「黙れ!!!」
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終わり
「あっ、ようやく公安局に来たんっすね~、先生」
「私が何をしたというんだ!」
「自分の胸に手を当ててよく考えたほうがいいっすね」
「ドキドキしてる……これが、恋……?」
「一旦黙ってもらってぇ」