『会釈程度』
トリニティのティーパーティー会場。私はナギサとの談笑中、手が滑ってティーカップを床に落としてしまった。
乾いた音が響く。私は割れた破片とナギサを交互に見ると、スッと軽く頭を下げて会釈をした。
「あらら……。いえ、構いませんよ先生。怪我はありませんか?」
ナギサは優雅に微笑み、すぐに片付けの指示を出そうとする。
「形あるものはいつか壊れるものです。それに、それは来客用の量産品ですから。……ですが、次からは気をつけてくださいね?」
私は何も言わず、ただ申し訳無さそうな顔のまま、もう一度コクンと頷いた。
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『90度のおじぎ』
ナギサの執務室。書類を渡そうとした拍子に、彼女が愛用しているティーセットの一つを落としてしまった。
派手な音が鳴るのと同時、私は直立不動の姿勢をとり、腰から直角に身体を折り曲げた。
「……先生? あの、そこまでしなくても」
ナギサが困ったように眉を寄せる。
「確かにそれは少し値が張るものでしたが、先生に弁償させるほどではありません。顔を上げてください」
私は動かない。微動だにせず、美しい90度を維持し続ける。
「……え、何ですか? どうして動かないんですか? まさか、わざと割ったわけではありませんよね? ……ねえ、先生?」
私の沈黙と過剰な礼儀正しさに、ナギサの瞳に僅かな疑惑が浮かび始めた。
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『土下座』
優雅な午後のお茶会。私はテーブルに肘をぶつけ、ナギサの前に置かれたカップを弾き飛ばしてしまった。
砕け散る陶器。次の瞬間、私は床に膝をつき、両手を着いて額を擦り付ける完全な土下座の体勢に入っていた。
「ひっ!? せ、先生!?」
ナギサが椅子を引いて立ち上がる。
「やめてください! たかがカップ一つで土下座だなんて! 周りの生徒が見ているじゃありませんか!」
周囲のざわめきなど意に介さず、私はさらに深く頭を下げる。
「……待ってください。その反応、おかしいですよね? ただのカップですよね? ……まさか、これには私が知らない『裏』があるのですか?」
ナギサの声色が震え始める。
「わざと割ってるだとか……あるいは、これを割ることで何かの作戦の合図になっているとか……! 答えてください先生! なんかやってますよね!?」
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『額から血が出るほどの土下座』
二人きりの茶室。私はお茶を淹れようとして手が震え、最高級の茶器セットをトレーごとひっくり返してしまった。
轟音と共に、床一面に散らばる陶磁器の残骸。 私は即座に飛び上がり、全体重を乗せた頭突きを床に見舞った。
「ギャアアアアアアアア!!??」
床に血飛沫が飛び散り、ナギサが発狂したような悲鳴を上げる。 私の額からは鮮血が流れ出し、白いカーペットを赤く染めていく。それでも私は、ピクリとも動かない。
ちなみに、そこそこ痛い……。
「ち、血!! 先生、血が出てます!! カップ!? カップなんてどうでもいいですから!!」
ナギサは涙目で私の肩を揺するが、私は石のように固まっている。
「なんで!? なんでそこまで!? わ、わかりました! 私が悪かったんです! あんな場所に置いた私が愚かだったんです!!」
ナギサはパニックになり、自分のハンカチで私の額を押さえながら叫び続ける。
「だから顔を上げてください! 死んでしまいます! ミネさぁぁぁぁぁん!!!」
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『指詰め(未遂)』
静かなティータイム。私が手を滑らせ、安物のソーサーを一枚割ってしまった時のことだ。
私は破片を一瞥すると、無言で懐からサバイバルナイフを取り出し、テーブルの上にドンと置いた。
「……先生? どうしてナイフを? ケーキならフォークで──」
ナギサが首をかしげる中、私は静かに左手をテーブルに置き、小指だけを突き出す形を作った。そして、右手で逆手に持ったナイフを高く振り上げる。
「ッ!!? ──待ちなさい!!!」
ナギサが顔色を変えて私の腕に飛びついた。
「バカですか!? 何しようとしてるんですか!? お皿ですよ!? ただのお皿一枚ですよ!?」
私は無言のまま、ナイフを振り下ろそうと腕に力を込める。ナギサは必死の形相でそれに抵抗し、私の腕を抑え込んでいる。
「嘘でしょう!? 本気で力が入ってる! やめて! 指とお皿の等価交換なんて聞いたことがありません! どこの組織の掟ですかそれは!」
ナギサは半泣きになりながら、私のナイフを奪い取ろうともがいている。
「お願いですから! 指を飛ばさないで! そんなものがお茶請けに出てきたら、私、一生トラウマで紅茶が飲めなくなります!!」
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『切腹(未遂)』
トリニティの応接室。私はナギサが大切にしているブランド物のティーポットを、不注意で粉々に砕いてしまった。
派手な音が響き渡る。ナギサが「あ……」と声を漏らすのと同時、私はその場に正座をし、上着を脱いで白いシャツをはだけさせ、腹部を露出した。
「せ、先生……? どうして脱ぐんですか……?」
ナギサがおろおろと視線を彷徨わせる中、私は鞄から短刀を取り出し、鞘を払った。 切っ先を自身の腹部へと突き立てる構えを取る。
「ちょっ……!」
ナギサが息を呑む音が聞こえた瞬間、私は腹に力を込め──
「うおぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁあああッ!!!!」
ナギサがテーブルを飛び越え、タックルをする勢いで私に突撃してきた。
「ダメ! ダメです! なんで責任の取り方が切腹なんですか!? 介錯!? まさか私に介錯を求めているんですか!?」
私を床に押し倒し、馬乗りになって短刀を奪おうとするナギサの手は、恐怖で氷のように冷たくなっている。
「嫌ですよ!? 私の目の前でハラキリなんてしないでください!! ポット!? ポットなら工場ごと買い取りますから! メーカーごと買収しますから!!」
ナギサはボロボロと涙をこぼし、私の胸倉を掴んで揺さぶり始めた。
「命で償うほどのポットなんてこの世にありません!! 生きて!! 生きろ!!」
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終わり
損害はサバイバルナイフ代とデコの傷
「あ、ワカモ。これ、短刀、ありがとう」
「……何に使ったのですか?」
「世紀の大実験」