『3秒』
大聖堂の重厚な扉を開け、モップがけをしているマリーを見つけるなり、私は滑り込むように祭壇の前に進み出た。
そのままの勢いで大理石の床に膝をつき、両手を組んで目を閉じる。そして心の中で「いっち、にっ、さん」と数え、弾かれたように立ち上がった。
「あ、えっと……先生? ふふっ、お祈りですか?」
突然の奇行にも近い素早い動作に一瞬目を丸くしたマリーだったが、すぐにふわりと優しく微笑みかけてくれる。
「短い時間でも、祈りを捧げるそのお心はきっと神様にも届いていますよ。今日も一日、先生に神のご加護がありますように」
聖母のような温かい笑みで見送られ、私は清々しい気持ちで大聖堂を後にした。
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『30分』
静寂に包まれた大聖堂。私は祭壇の前に膝をつき、祈りの姿勢のまま一歩も動かずに30分が経過していた。
背後から控えめな足音が近づいてくる。
「……先生? あの、とても熱心にお祈りされているところ申し訳ないのですが……」
マリーが背後から、こちらの集中を削がないよう小声で、しかし少し心配そうに声をかけてくる。
「その……大理石の床に直接膝をついていると、痛くなってしまいませんか? よろしければ、こちらのクッションをお使いくださいね」
マリーは私の傍らにそっとフカフカのクッションを差し出してくれた。
私が無言で首を横に振り、そのまま祈りを続けると、彼女は私の信仰心の深さに少し感心したような、敬意を込めた眼差しを向けてきた。
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『1時間』
私が微動だにせず祈り続けて、とうとう1時間が経過した。
先ほどまで静かに見守ってくれていたマリーも、さすがに落ち着かない様子で私の背後をウロウロし始めている。衣擦れの音がせわしなく響く。
「せ、先生……? まだ、お祈りを続けていらっしゃるのですね……」
マリーの声には、先ほどの余裕と感心の色はすっかり消え去っていた。
「あ、あの……シャーレのお仕事は大丈夫なのでしょうか? ユウカさんから怒られたりしていませんか? 祈りを捧げることは素晴らしいことですが、日々の責務を果たすこともまた、大切なことだと私は思います……」
遠回しに「そろそろ仕事に戻りませんか」と優しく促してくるが、私は石像のように固まったまま、一切口を開かずに祈り続けた。
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『12時間』
夜の帳が完全に下りた大聖堂。ステンドグラスから冷たい月光が差し込む中、私は変わらず膝をついて祈り続けていた。
カツカツと慌ただしい足音が響き、ついにマリーが私の肩をガシガシと揺さぶり始めた。
「先生!! もう夜ですよ!? 半日も飲まず食わずで、トイレにも行かずに何を祈っているんですか!?」
シスターとしての清楚な落ち着きは完全に消え去り、その声には明らかな焦燥が混じっている。
「お願いですから立ってください! 膝! 膝がどうにかなってしまいますよ!? もう休んだって神は赦してくれます! 私が保証しますから!!」
涙目になりながら私の腕を引っ張り上げようとするが、私の下半身は完全に大理石の床と同化しているかのように、テコでも動かなかった。
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『1日』
翌朝。朝の礼拝に訪れた他のシスターたちが異様な光景に悲鳴を上げる中、私は24時間前の姿勢から1ミリも動かず祈り続けていた。
「うわぁぁん! 先生ぇぇ! 死なないでくださいぃぃ!!」
マリーは完全に泣き崩れ、私の背中にすがりついてボロボロと涙をこぼしている。
「サクラコ様! ヒナタちゃん! 誰か助けてください! 先生が石像になっちゃいました!! 脈はありますけど目が完全に虚ろです!!」
普段の温厚なマリーからは想像もつかない悲痛な叫びが大聖堂に反響する。
「どんな大罪を犯したのか知りませんが、私が全部許します! 懺悔なら何日でも全部聞きますから! だからもうやめてぇぇ!!」
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『1週間』
──1週間後。
もはやそこは、神聖な祈りの場ではなく完全な「特異点」と化していた。
救護騎士団のセリナによって強制的に点滴ルートを確保され、栄養剤を流し込まれながらも、私は1週間ぶっ通しで膝をつき、両手を組んだまま虚空を見つめている。
あとバチクソに膝が痛い。やるんじゃなかった。
そんな私の激しい後悔の念など知る由もなく、マリーはもはや、神ではなく「私」に向かって祈り始めていた。
目の下には酷いクマができ、げっそりとやつれたマリーが、私の正面に正座して両手を組んでいる。
「先生は……ついに解脱されたのですね……。肉体の枷を外し、精神のみの高みへと至ってしまわれた……。ああ、なんという慈愛……なんという狂気……」
焦点の合わない瞳でブツブツと呟きながら、マリーは私の頬にそっと冷たい手を触れる。
「ダメです……私を置いていかないで……。戻ってきてください先生……! シスター服でも、体操服でも、なんだって着ますから! 悪いことだって一緒にしますから! だから現世に帰ってきてぇぇぇぇぇ!!!」
大聖堂に、堕ちかけたシスターの悲痛な絶叫がこだました。
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終わり
「何か言い残したいことはあるっすか?」
「膝をナデナデしてほしいな」
「……先生がどうしようもないバカってことはよく分かったっす」