『磨きというより撫で』
放課後のゲーム開発部室。レトロゲームの電子音とPCの排熱音が微かに響く中、私はいつものように自分の指定席であるロッカーに引きこもろうとしていたユズの前に、静かに腰を下ろした。
「あ、ふぇ……? せ、先生……? あの、ロッカーの扉、閉めてもらってもいいですか……?」
狭い空間に身を縮こまらせ、おずおずと上目遣いでこちらを見てくるユズ。私は彼女の言葉には答えず、ただ静かに手を伸ばし、彼女の目を隠すように伸びた長い前髪をそっとかき分けた。そして、白くて滑らかなおでこに手のひらを当て、ゆっくりと、愛情を込めて撫で始めた。
「ひゃうっ!? え、えっと……先生? 急にどうしたんですか……?」
最初は急なスキンシップに肩をビクッと跳ねさせ、顔を真っ赤にして戸惑っていたユズだったが、私が一定のリズムで優しく、髪を梳くように撫で続けていると、次第にその強張っていた肩の力が抜けていった。
「えへへ……なんだか、恥ずかしいですけど……すごく、安心します……。先生の手、温かいです……」
警戒心を解いた子猫のように、されるがままに目を細めるユズ。私はそのスベスベとした柔らかな感触を指先で楽しみながら、これから始まる壮大なプロジェクトの「下地」の状態を確かめるように、静かに手を動かし続けた。
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『2分』
ユズの緊張が完全に解け、無防備な表情を見せ始めた頃。私は撫でる手の動きを、手のひら全体から「指の腹」へと移行させ、ストロークの軌道を直線から「円を描くようなスナップ」へと密かに変化させた。
キュッ……キュッ……。
「ふ……? 先生、なんだかさっきより、指の動きが小刻みになったような……?」
微かな摩擦音が鳴り始めたことにユズが首を傾げる。しかし彼女はまだ、私が明確な意志を持って彼女のおでこを「磨き始めている」ことには全く気付いていない。単に、少し熱心に撫でてくれているだけだと思い込み、心地よさそうに目を閉じている。
肌のコンディションは完璧だ。ここから一気に研磨のフェーズへと移行しよう。
私は内心で密かに気合を入れ直すと、職人のような真剣な眼差しでユズのおでこを見据え、指先の回転速度をわずかに引き上げた。部室に響く摩擦音が、少しずつ自己主張を強めていく。
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『30分』
キュッ、キュッ、キュキュッ!!
「あうっ、あいたた……! せ、先生! ちょっと摩擦が……おでこがヒリヒリしてきました……! 撫でるの、もう十分ですから……!」
開始から30分。乾拭きによる執拗な摩擦熱に耐えきれず、ユズがついに涙目で抗議の声を上げた。見れば、真っ白だったおでこがほんのりと赤く火照っている。これ以上のドライポリッシュは、彼女のデリケートな肌を痛める危険があった。
それはよくない。
私は無言のまま研磨の手を止めると、おもむろにポケットから「最高級スキンケア用ベビーオイル」のボトルを取り出した。
「えっ……? 先生、それ何ですか? なんでそんな怪しいボトルを……ひゃあっ!? 冷たっ!!」
私が容赦なくオイルを額に垂らすと、ユズが短い悲鳴を上げてビクンと身をよじった。
ヌルリと滑りが良くなったおでこを確認した私は、ついに両手を開放。左右の親指をクロスさせるように配置し、本格的なポリッシュ作業の姿勢へと入った。
「ちょ、先生!? 完全に撫でる域を超えてます! 頭がカクカク揺れて……あわわわわ……! 目が回りますぅ……!」
前後左右に揺さぶられるユズの抗議も虚しく、私は無心で両手を動かし続けた。
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『2時間』
キュキュキュキュキュキュッ!! キュルルルルッ!!
「うぅ……おでこが……私のおでこが、なんだか変な削れ方してないですかぁ……? 感覚が麻痺してきました……」
潤滑剤を定期的に継ぎ足しながら、ひたすら無心で磨き続けること2時間。もはやロッカーの中は、自動車の板金工場のような異様な熱気に包まれていた。
ふと、長時間の作業音に気付いたのか、携帯ゲーム機を持ったモモイが背後から顔を覗き込んできた。
「えっ、何やってるの先生? ユズが泣いて……うわっ、すごっ!! 何これ!!」
モモイはユズのおでこを指差し、信じられないものを見るように目を輝かせた。
「ユズのおでこが、パーフェクトな泥団子みたいにピカピカになってる!! すごい! ガチャで言ったらSSR確定演出の時の輝きだよこれ!! テクスチャの解像度どうなってるの!?」
「泥団子!? やだ、恥ずかしいですぅ……!! モモイ、見ないでぇ……!」
ユズは顔を真っ赤にして両手で顔を覆おうとするが、私は「まだ未完成だ」とばかりにその手を優しく、しかし力強くどかし、仕上げの超微粒子コンパウンドによるバフ掛けへと移行した。
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『6時間』
──キュピィィィィン!!
夕暮れ時。西日の差し込むゲーム開発部の部室に、眩い一筋の光が乱反射した。
「うわっ、まぶしっ!? ちょっとユズ、おでこに窓の光が反射して、こっちに目潰しデバフが出てるんだけど!?」
モモイが悲鳴を上げて腕で目を覆う。
6時間にも及ぶ過酷な研磨作業の末、ユズのおでこはついに完全なる『鏡面仕上げ』の領域へと到達していた。
チリ一つない驚異的な平滑さを誇るその表面には、部室の乱雑な景色や、驚くモモイの顔が、まるで本物の鏡のようにくっきりと映り込んでいる。
「うぅ……ぐすっ……。私のおでこが……。私、人間をやめて光学兵器になっちゃったんですか……?」
「あっ、そうだユズ! ちょっとそのまま動かないで! 今、ユズのおでこを鏡にして髪の毛結び直すから!」
「ひぐっ……鏡代わりにしないでくださいぃぃ……! もうお嫁に行けないですぅ……先生ぇぇぇぇ……!!」
完全に高精度の反射板と化した自分のおでこを隠すすべもなく、ユズは部室の隅でシクシクと泣き崩れるのだった。
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終わり
「見て見てモモイ、ユズのおでこに鏡を向けると……」
「あ、これって!」
「合わせ鏡」