廃ビルの一室を模した訓練場。
ひび割れた壁。
剥き出しの鉄骨。
薄暗い空間の中央で、二人が向かい合っていた。
距離は数歩。
先に口を開いたのは玄麗だった。
「やぁ、僕は孫玄麗」
軽く片手を上げる。
「孫でも玄麗でも好きに呼んでいいよ」
対する切島鋭児郎は肩を回しながら一歩前へ出る。
「おう、俺は切島鋭児郎だ」
赤い髪が揺れる。
視線は真っ直ぐ玄麗を見ていた。
だが次の瞬間、少しだけ眉をかく。
「にしても……」
頬を指でかきながら苦笑する。
「わかっちゃいたが、こうして改めて会うと女子が相手か」
一拍。
「女子供殴るってのは、なんつーかな……男らしくねぇ気がしてさ」
その言葉に、玄麗はわずかに目を細めた。
そして――
首を鳴らす。
ゴキリ。
右へ。
続けて左。
ゴォリ、と鈍い音。
「君はいい男だね」
静かな声。
だがその口元はわずかに上がる。
「でもさ――」
一歩。
足先がわずかに沈む。
「女子供である前に」
重心が落ちた。
「今の僕は」
床を蹴る。
「核爆弾発射させようっていう極悪人だ」
空気が裂ける。
一瞬で距離が消えた。
箭疾歩。
切島の目が見開かれる。
「なっ――」
「そんな甘いこと言ってて良いのかな!」
右拳。
一直線。
鼻先へ。
迷いなく突き込まれる。
だが――
切島の皮膚が瞬時に変色した。
赤黒い硬質化。
拳が当たる。
鈍い音。
ごっ。
玄麗の拳は切島の鼻先で止まる。
硬い。
岩を殴ったような感触。
切島は踏みとどまったまま、口元を引き上げた。
「……速ぇな!」
玄麗は拳を引かない。
触れたまま、わずかに目を細める。
(なるほど)
硬い。
予想以上に。
「……へへっ、手厳しいな! 悪かったよ。今の言葉で目が覚めたぜ!そうだ。あんたは守られる『女の子』じゃねえ。……俺が全力でぶつからなきゃ失礼な、強敵(ライバル)だもんな!」
(顔面まで即座に硬化するか)
そう判断した瞬間だった。
切島の右肩が大きく引かれる。
次の瞬間。
大振りの右が唸りを上げた。
玄麗の膝が沈む。
頭がするりと落ちる。
ダッキング。
拳は頭上を通り過ぎ、空気だけを裂いた。
同時に、潜り込む。
空いた右脇。
そこへ――
どっ。
短い衝撃。
リバーブロー。
切島の脇腹へ深くめり込む。
だが止まらない。
すぐに腰を返す。
右。
左。
さらに右。
左。
右。
連続六発。
すべて腹部へ叩き込まれる。
鈍い音が連続する。
どっ、どっ、どっ、どっ、どっ。
だが――
切島は下がらない。
むしろ前へ出る。
次の瞬間。
左腕が振り上がった。
上から叩き潰すような振り下ろし。
玄麗の足が即座に離れる。
バックステップ。
床を滑るように半歩退く。
振り下ろされた拳が床を叩いた。
鈍い衝撃。
訓練場の床にひびが走る。
玄麗は距離を取った位置で止まる。
そこで初めて、自分の拳を見た。
右手。
左手。
拳の皮膚が裂け、
うっすら血が滲んでいる。
「……」
少しだけ眉を寄せる。
それから左右の手をぶらぶらと振った。
痛みを散らすように。
「はっ……」
短く息を吐く。
そして――
「ははは」
楽しそうに笑った。
切島が顔を上げる。
玄麗は拳を軽く握り直す。
「早いし」
一拍。
「重いし」
もう一度、拳を構える。
「いいパンチ打つじゃねぇか」
切島の口元が上がる。
玄麗は静かに重心を落とした。
「さあ続きだ」
視線がぶつかる。
「どっちかが倒れるまで――」
一歩。
前へ。
「真っ向勝負と行こうぜ!」
玄麗は真正面から動いた。
左拳が切島の顔面へ伸びた。
一直線。
鼻先を狙う軌道。
切島の視線が上がる。
反射的に意識が顔へ向いた。
その瞬間だった。
左拳が途中で止まる。
拳は打たない。
開く。
手首が返る。
そのまま切島の左腕を捕らえた。
「――っ?」
掴む位置は手首ではない。
肘の少し下。
力任せではない。
斜め外へ引く。
同時に玄麗の足が切島の外側へ滑る。
円を描く。
切島の腕がねじれる。
肩がわずかに開く。
反射的に切島が踏ん張る。
だがその抵抗ごと利用する。
引かない。
流す。
玄麗の体が切島の左脇をすり抜ける。
するり、と背後へ。
まるで最初からそこへ抜ける道が見えていたような動きだった。
「なっ――」
切島が振り向こうとする。
だが遅い。
腕はすでに後ろへ導かれていた。
肘が浮く。
肩関節が開く。
そこで初めて玄麗の左手が止まる。
角度が決まる。
逃げ場のない一点。
玄麗の右手が、切島の肩口へ触れた。
叩くのではない。
押すでもない。
ほんの短い衝撃。
寸。
乾いた音。
ごきり。
鈍い関節音。
「――ッ!?」
切島の顔が歪む。
左肩が落ちた。
硬化した皮膚の下で、肩関節だけが不自然に沈む。
脱力。
左腕に力が入らない。
玄麗はすでに一歩離れていた。
「硬くても」
静かな声。
「関節の角度までは守れない」
切島が左肩を押さえる。
驚きと痛みに目を見開いている。
玄麗は手を軽く払った。
「真正面から砕けないなら崩せばいい」
左肩を押さえながら、切島が歯を食いしばる。
「っ……関節狙うとか、容赦ねぇな!」
玄麗は小さく肩をすくめた。
「ごめんな」
一歩、間合いを詰める。
「お前さんの硬さに真っ向勝負は付き合いきれないよ」
次の瞬間。
足が払われた。
切島の軸足、その内側。
最小の動き。
だが重心を崩すには十分だった。
「うおっ!?」
巨体が傾く。
床へ落ちる。
その倒れ際。
玄麗の足がさらに入る。
左膝。
曲がる方向と逆へ、軽く圧をかける。
切島の体が止まった。
無理に動けば関節が持たない角度。
「硬いってのは良いことさ……」
玄麗の声は静かだった。
「皮肉でも何でもない」
左足首へ手が落ちる。
関節の遊びを探るように触れ、
わずかに捻る。
「本気で褒めてるよ」
切島が息を呑む。
逃げようと力を入れるたび、
角度が悪くなる。
玄麗は続けた。
「切島は別にうぬぼれてるわけじゃないだろうけど」
足首を固定したまま、
今度は右腕を取る。
手首。
ひねる。
肘が浮く。
肩へ連動する。
「……あえて言うよ」
右手首がじわりと返される。
「その硬さにうぬぼれずに、もう少し柔軟さと、回避も頭の隅に置いておくといい」
切島の額に汗が滲む。
硬化していても、
関節だけは別だ。
逃げ場がない。
玄麗はそのまま右膝へ手を移した。
曲げた脚の角度を読む。
軽く押す。
「どんなに硬い岩だって」
指先の力だけで重心が固定される。
「水滴が当たり続けたら削られていくように」
切島の膝が止まる。
「絶対の耐久なんてのは――」
少しだけ目を細める。
「たぶん無い」
右膝にさらに角度が入る。
切島の表情が変わった。
「……っ!」
次の瞬間。
硬化が走る。
膝。
足首。
手首。
関節ごと一気に赤黒く染まる。
玄麗の指先に伝わる感触が変わる。
動きが止まる。
「……なるほど」
玄麗は手を離した。
一歩引く。
切島はそのまま体を固めている。
だが――
関節まで固めたことで、
今度は逆に起き上がれない。
曲がらない。
踏ん張れない。
玄麗はそれを見て、小さく息を吐いた。
「そうだね」
ポーチから確保テープを取り出す。
「僕の関節技を凌ぐには、それも一つの手だ」
ぱしり。
右手。
左手。
順に拘束される。
「受け、攻め、色々あったけど――」
さらに固定。
「それは悪手だろ、切島」
切島が悔しそうに歯を噛む。
だが動けない。
関節が固まりすぎて、起き上がることすらできない。
玄麗は最後にテープを軽く引いて確認する。
「……はい、終了」
訓練場に静けさが戻る。
床に倒れたままの切島が、
しばらくして苦笑した。
「……くっそ」
息を吐く。
「めちゃくちゃ勉強になる負け方だな」
玄麗は少しだけ笑った。
「そう思えたなら上出来だ」
モニタールーム。
腕を組んだ オールマイト が、ゆっくり息を吐く。
「なるほど……」
画面には、拘束された切島の姿。
「硬化系個性に対して、正面から打ち合わなかったか、いや、正確には――」
モニターの巻き戻し映像。
玄麗が左拳を顔面へ見せた瞬間で止まる。
「最初の左だ」
指先で示す。
「打つように見せて、打っていない」
「視線を上へ誘導し、腕を取るための牽制だね」
映像が進む。
切島の腕が流される。
背後へ回る。
肩が外れる。
「切島少年の硬化は非常に優秀だ」
「だが、筋肉や皮膚が硬くなっても、関節の可動そのものは消えない」
さらに映像。
膝。
足首。
手首。
次々と制される。
「彼女は“壊そう”とはしていない」
「動けなくしている」
口元がわずかに上がる。
「つまり」
「防御の強さを否定せず」
「防御では守れない場所だけを突いている」
最後に、関節まで硬化した切島が映る。
オールマイトは静かに頷く。
「そして最後」
「関節まで固めたことで、切島少年自身が動きを失った」
腕を組み直す。
「防御とは、固めれば良いわけではない」
「動けてこそ意味がある」
小さく笑う。
「実に理にかなった戦い方だ」
切島は床に転がったまま、まだ関節を固めていた。
肩。
膝。
足首。
余計なところまで硬化したせいで、うまく力が抜けない。
玄麗はその様子を見下ろす。
小さく息を吐いた。
「……さて」
ポーチを戻す。
一歩近づく。
切島が顔を上げた。
玄麗は左肩を指差す。
「肩直すからさ」
一拍。
「それ――解きなよ」
切島が一瞬目を瞬かせる。
「あ……ああ」
硬化がゆっくり解けていく。
赤黒かった皮膚が元に戻る。
肩だけ、不自然に落ちたままだ。
玄麗はしゃがむ。
左腕を持つ。
「力抜いて」
「お、おう」
切島が歯を食いしばる。
玄麗は肩の角度を確認する。
肘。
肩。
手首。
一直線。
位置を探る。
「少し響くよ」
次の瞬間。
くい。
小さな動き。
ごきり。
乾いた音。
「――ッ!!」
切島の体が跳ねた。
だが次の瞬間、
左肩が元の位置へ戻る。
切島が目を見開く。
腕をゆっくり回す。
「……お、おお」
違和感が消えている。
玄麗は立ち上がった。
「はい終了」
軽く手を払う。
切島は肩を何度か動かし、
それから玄麗を見る。
数秒黙る。
やがて、
にっと笑った。
「容赦ねぇのに、そこまでやるのかよ」
玄麗は少しだけ肩をすくめる。
「外したまま返したら後味悪いだろ」
切島は声を上げて笑う。
「ははっ!」
「ますます嫌いじゃねぇな!」
硬ければいいってもんじゃない。というのは
ターちゃんのカブトムシ男の、時の話をもとにしました
受け、攻め、それは悪手だろ。はHUNTERXHUNTERの、ネテロ会長ですね