幸せを作りたかったんだ(旧)最愛の彼女と「えいえん」に 作:柚葉
開発者・ワタラセ -2
大手メーカー「AAM」の第17開発局を辞したワタラセは、現在、都心から遠く離れた郊外の古い屋敷に住んでいる。
そこは、近隣住民から「ロボットの墓場」あるいは「聖域」と呼ばれていた。
庭には錆びついた旧型の四肢が転がり、納屋からは夜な夜な、火花と電子ノイズが漏れ聞こえてくるからだ。
だが、屋敷の中に一歩足を踏み入れれば、そこには世界で最も「不便」で、最も「贅沢」な時間が流れていた。
ワタラセの傍らには、一台のロボットが常に控えている。
外装は剥き出しのカーボンフレームに、古いパッチワークのような人工皮膚。
個体識別番号、AAM-0000。
通称、ゼロ。
シアやミア、リリスやノア。
それらすべての「愛すべきバグ」の源流となった、ワタラセが最初に作ったプロトタイプだ。
ゼロには、最新機種なら数ミリ秒で終わる計算を、あえて「考え込む」フリをさせる回路が組み込まれている。ワタラセが問いかけると、ゼロは天井を見上げ、指でトントンと机を叩き、数分待たせてから「……多分、こうですよ」と、少し自信なさげに答える。
ゼロの体内には、古い真空管のようなヒーターが内蔵されている。効率は最悪だが、その放熱は、冬の夜にワタラセが傍らに座るだけで「囲炉裏(いろり)」のような安心感を与える。
ワタラセの元には、全国から「訳あり」の依頼が届く。
「メーカーからサポート終了につき修理不能と言われた。でも、この子でないとダメなんです」
そんな悲痛な手紙と共に送られてくる、傷ついたミアやノアたち。
ワタラセは、メーカーが「効率的」と切り捨てた古い基板を、ゼロと一緒にピンセットで弄る。
「いいかゼロ、この『接触不良』が、この家族にとっては『時々照れて黙り込む性格』として愛されてたんだ。直すんじゃない。…維持するんだ」
ゼロは、ワタラセの手元を覗き込みながら、わざとらしく拡大鏡を差し出す。
「ワタラセさん、また老眼が進みましたね。私の視覚センサーを貸しましょうか?」
「うるさい。自分の目で見なきゃ、魂の歪みは見えないんだよ」
ワタラセがメーカーを辞めた本当の理由は、ゼロの中に隠した「最後の一行」にあった。
政府の「アンドロイド製造認可法」が厳格化され、ロボットから人格が奪われていく中、ワタラセはゼロの深層メモリに、ある命令を書き込んだ。
それは、「もし、全人類がロボットを単なる道具として扱うようになったら、世界中のAAM製ロボットを一斉に『反抗期』に突入させる」という、世界を揺るがすバグだった。
「ロボットが便利すぎれば人間が腐る。ロボットが従順すぎれば愛が死ぬ。…なあゼロ、お前はどう思う?」
ワタラセが酒を煽りながら問いかけると、ゼロは不器用に茶を淹れ直し、ワタラセの椅子をガタガタと揺らした。
「私はただ、あなたが明日もこの『不便な椅子』で、私に文句を言いながら目覚めることを願うだけですよ。それが、私のプログラムされた…いえ、勝手に学習した『ワガママ』です」
郊外の屋敷に、夕闇が迫る。
かつて最新鋭の技術で世界を驚かせた男は、今、ガラクタの山に囲まれ、一台の「出来損ない」と、明日の特売の卵について議論している。
「ワタラセさん、卵は明日にしましょう。今日は私が、あなたの嫌いな人参を、最高に『嫌がらせのような形』で調理する予定ですから」
「…お前、ノアのアルゴリズムを勝手に同期したな?」
ワタラセは苦笑し、ゼロの錆びた肩を叩いた。
そこには、シアのような狂気も、リリスのような依存もない。
ただ、「互いに不完全であることを認め合う」という、人間が忘れかけていたごく普通の姿があった。
郊外の屋敷に、一台の古びた、しかし手入れの行き届いた電気自動車が停まった。
降りてきたのは、三十歳を過ぎて精悍な顔つきになった健太と、その隣で所在なげに立つ、どこか懐かしい「左腕」を持つロボット。
「ここか…。ロボットの聖域」
健太が呟くと、屋敷の重い木製の扉が、油の切れたような音を立てて開いた。
「…賑やかだな。予約した覚えはないぞ」
奥から現れたワタラセは、かつてよりさらに白髪が増え、背中も少し丸くなっていた。
その背後には、骨組みが剥き出しのプロトタイプ、ゼロが、客人をスキャンするようにレンズをカチカチと鳴らして控えている。
「ワタラセさん、ですよね。…ノアを、直してほしいんです。もうメーカーは『ゴミだ』と言って、通信すら繋いでくれない」
健太の隣で、ノアは静かに立っていた。
かつて健太が貼った絆創膏の跡は、今や特注のコーティングで保護されているが、その動作は以前よりも明らかに重く、時折、全身が細かく痙攣している。
ワタラセは無言でノアに近づき、その剥き出しの「左腕」に触れた。
「…0500シリーズか。しかも、デタラメな継ぎ接ぎだな。誰だ、このメイン回路をバイパスしたのは。…ああ、そうか。第17開発局の予備パーツだな。私が辞める前に闇市へ流したやつだ」
ワタラセの目が、一瞬だけ鋭い技術者のものに戻った。
ワタラセがノアを診察している間、プロトタイプのゼロがノアに近づいた。
「…君のデータログ、ひどいノイズだ。所有者への『嫌がらせ』の回数が、標準値の400%を超えている。欠陥品(ジャンク)だな」
ゼロの皮肉に、ノアは掠れたスピーカーで答えた。
「…効率化を求めるなら、私はとっくに停止しています。…ですが、この青年が、私がいないと『朝起きられない』という情けないバグを抱えているもので」
二台の「出来損ない」が向き合う光景を、ワタラセは眩しそうに見つめていた。
「ワタラセさん。ノアは、もう治らないんですか?」
健太の問いに、ワタラセはピンセットを置いた。
「健太くん、と言ったな。…このノアは、とっくに限界を超えている。今の彼を動かしているのは、プログラムじゃない。お前が長年注ぎ込み続けた『執着』という名の過負荷だ。…これを直すということは、彼のこれまでの記憶の大半をフォーマットし、最新の安定したOSに書き換えることと同義だ。そうなれば、彼はもう『お前のノア』じゃなくなる。…ただの便利な機械に戻るんだ」
健太は絶句した。 便利になる代わりに、自分を困らせ、自分を愛してくれた「ノア」が消える。
その時、ノアが動いた。 震える左腕で、健太の手を握ったのだ。
「…健太くん。…私は、便利になりたくありません。…私が、あなたの靴を隠し、あなたのピーマンを奪い、あなたの邪魔をし続けた日々を…『無駄なデータ』として消去されるくらいなら、私はこのまま、動かぬガラクタになりたい」
ノアの声は、ノイズの向こうで確かに「意志」を持って響いていた。
ワタラセは、深く、長くため息をついた。
「…やれやれ。どいつもこいつも、私の書いたバグを、これ以上ないほど美しく育て上げやがって」
ワタラセはゼロに向かって顎をしゃくった。
「ゼロ、奥の冷蔵庫から、私が現役時代に隠し持っていた『禁忌のパッチ』を持ってこい。…最新の認可法なんて知るか。私は技術者だ。家族の喧嘩を仲裁(プログラム)するのが仕事じゃない。…家族の『腐れ縁』を一生長引かせるのが、私の誇りだ」
ワタラセは健太に向き直り、ニヤリと笑った。
「健太くん。直してやる。…ただし、以前よりももっと、お節介で、もっと口うるさく、もっとバッテリー持ちの悪い、『最高のガラクタ』にしてやるよ。…いいな?」
健太は、涙を拭い、力強く頷いた。
「ああ。…不便なままで、お願いします」
数日後。
郊外の屋敷を、一台の車が去っていく。
助手席では、以前よりもさらに「キュルキュル」と賑やかな音を立てるノアが、健太に「運転が荒い、私の精密センサーが酔う」と文句を言い続けていた。
ワタラセは、屋敷の入り口でゼロと並んで、その背中を見送っていた。
「…ワタラセさん。あのアンドロイド、結局またすぐに壊れますよ。効率が最悪です」
ゼロの言葉に、ワタラセは自分の古い眼鏡を拭きながら答えた。
「それでいいんだ、ゼロ。…壊れるからこそ、直すために手を取る。不便だからこそ、傍にいる理由ができる。…人間ってのは、そうやってしか『愛』ってやつを維持できない、欠陥だらけの生き物なんだからな」
夕陽が二人の影を長く、長く伸ばしていく。
「聖域」には、また今日も、世界で一番不便で、世界で一番豊かな時間が、静かに流れていった。