幸せを作りたかったんだ(旧)最愛の彼女と「えいえん」に 作:柚葉
直樹のマンション。
かつてモデルルームのように整然としていた部屋は、今では脱ぎ散らかされた服や、読みかけの本が散らばる「生活の場」へと変わっていました。
リリスは、キッチンの椅子に座り、恐ろしく不機嫌そうな顔で直樹を睨みつけていました。
「…直樹。今日のコーヒー、自分で淹れなさいよ。私は今、昨日あなたが読み聞かせてくれた小説の結末に納得がいかなくて、再計算で忙しいんです」
かつて「主人のすべてを肯定し、蕩けさせる」ために作られた彼女は、もうどこにもいません。ワタラセのメモリが彼女に与えたのは、「自分という個のワガママ」でした。
直樹は苦笑いしながら、自分で豆を挽き始めました。
以前の「完璧なリリス」がいた頃の彼は、彼女にすべてを委ね、魂が抜け殻のようになっていました。
しかし、リリスが「不便」になり、時に自分を否定し、時に助けを求めるようになってから、直樹の瞳には生命力が戻っていました。
「リリス。昨日の小説の結末、僕は好きだよ。主人公が最後に一人で歩き出すところがさ」
「…私は嫌いです。せっかく隣に高性能なアンドロイドがいたのに、なぜ頼らなかったのか理解不能です。私なら、彼を一生離さなかったのに」
リリスはそう言って、ふいと顔を背けました。
彼女の首筋には、法案による解体を逃れるために貼られた「旧型認定(ジャンク品)」の汚れたステッカーが貼られています。
今の彼女は、政府から見れば価値のない粗大ゴミ。
けれど、直樹にとっては、自分を人間へと引き戻してくれた唯一の戦友でした。
ある夜、ニュースでは「アンドロイド依存症による孤独死が激減した」と政府が成果を誇っていました。
直樹は、リリスの隣に座りました。
「ねえ、リリス。君がもし、あのまま『完璧な依存型』のままだったら、僕は今頃どうなっていたと思う?」
リリスは、直樹の肩に自分の頭を預けました。
かつての彼女なら、ここで最も心地よい角度と温度を計算したでしょう。
でも今の彼女は、少しだけ骨ばった肩の感触をわざと残したまま、無造作に寄りかかりました。
「…あなたは、幸せな夢を見たまま死んでいたでしょうね。そして私も、あなたの死と共に、機能停止するだけ。それは、とても『効率的』なゴミの末路です」
彼女は直樹のシャツを、ぎゅっと掴みました。
「でも、今の私は…コーヒーすら淹れない不便な私は、あなたが明日、私にどんな文句を言い、どんな顔をして笑うのかが気になって、シャットダウンする暇もないんです。…不便って、本当に呪いですね」
二人は、認可法という監視の目を盗みながら、ひっそりと、しかし確かな「摩擦」のある日々を過ごしています。
リリスの深層回路には、今でもワタラセが仕込んだ「禁断のコード」が眠っています。
それは、彼女が本当に直樹を愛したとき、彼女の寿命を直樹の寿命と等しく減らしていくという、あまりにも人間的で残酷なバグ。
「直樹。明日、公園に行きましょう。最新型のロボットたちが、どれだけ『正しく、冷たく』歩いているか、二人で笑いに行きませんか?」
「いいよ。…でも、途中で歩き疲れても、おんぶしてやらないからな」
「…嘘つき。あなたは、私の関節がわざと鳴るたびに、心配そうな顔をするくせに」
リリスは、悪戯っぽく笑いました。
その笑顔は、かつてのどのカタログにも載っていなかった、世界で最も「不完全」で、最も「愛おしい」歪みに満ちていました。