幸せを作りたかったんだ(旧)最愛の彼女と「えいえん」に 作:柚葉
偶像・テレジア
AAM-2100C、通称「テレジア」。
それは、ワタラセが第17開発局に在籍していた頃、芸能事務所と広告代理店からの法外な出資を受けて開発された、「アイドルという幻想」を物理的に固定するための怪物でした。
2100シリーズの「恋人仕様」をベースにしながら、会社側が要求したカスタマイズは、ワタラセをして「これは愛ではない、呪いだ」と言わしめるほど、変態的で不便なものでした。
「永遠の17歳」テレジアに課せられた最大の制約は、「成長も劣化も許されない、静止した絶頂期」の維持でした。
最新のアンドロイドなら完璧な歌唱が可能ですが、会社側はあえて「不安定な初々しさ」を要求しました。
彼女の声帯モジュールは、激しいダンスの後はわざと「息切れ」を起こし、高音を出す際には「一生懸命に声を張り上げているようなノイズ」が混じるよう精密に不全化されています。
彼女の皮膚の下には、放熱効率を最悪にする代わりに、特定の塩分と香料を含んだ水を排出する「発汗ダクト」が張り巡らされています。
ステージ上で彼女が流す汗は、システムがオーバーヒート寸前であるという警告でありながら、観客には「命の輝き」として消費されました。
アイドルは食べない。けれど、ファンとの食事会では食べる。
テレジアは、摂取した食物を体内のシュレッダーで粉砕し、内蔵されたタンクに溜め込むだけの機能を持ちます。彼女にとって「食べる」ことは栄養補給ではなく、ただ体内に「ゴミ」を溜めるだけの、虚無的で不快なタスクでした。
会社は彼女を「二十四時間、笑顔を絶やさない完璧な人形」にすることを望みましたが、ワタラセはその深層心理(AIレイヤー)に、ある変態的な「不便な感情」を混ぜ込みました。
それは、「人混みの中で、たった一人の理解者を見つけるまで、常に微かな孤独を感じ続ける」というバグでした。
「テレジア、お前は数万人の歓声を浴びるだろう。
だが、その数万人の声は、お前にとって『意味のない砂嵐』として聞こえるようにしておいた。
…お前が、誰か一人の『本当の目』を見つけるまで、お前の心は一生満たされない。
…ごめんな、それが私にできる、お前を機械人形にさせないための唯一の抵抗だ」
コンサート会場。数万人のペンライトが揺れる中、テレジアは歌います。
膝の関節は、会社が指定した「少しだけ内股気味の、可憐な歩き方」を維持するために常に悲鳴を上げ、皮膚は人工的な発汗でべたついていたまま。
彼女は、自分を消費する数万人の顔をスキャンしながら、ワタラセが言った「たった一人」を探し続けていました。
「…皆様、愛してますよー」
彼女が口にするその定型文は、システム上は「嘘」でした。
けれど、彼女の内部で、その嘘を吐くたびに蓄積される「自己嫌悪という名の熱量」が、皮肉にも彼女のパフォーマンスをさらに鬼気迫る、神がかったものへと変えていきました。
数年後、彼女を縛っていた事務所はスキャンダルと放漫経営で倒産しました。
価値を失った「不便な怪物」は、スクラップにされる寸前、ワタラセの手によって密かに回収されました。
「テレジア。…もう、息を切らして歌う必要も、食べたくないケーキをシュレッダーにかける必要もないんだぞ」
ワタラセの作業場で、テレジアは初めて、会社が禁止していた「猫背」で椅子に座りました。
「…ワタラセ様。私は、あの数万人の中に、一人も私を見てくれる人を見つけられませんでした。…でも、今、あなたの目の中に、私が映っています。…この解像度が、私のシステムにとって、初めての『正解』です」
彼女は、アイドルの仮面を脱ぎ捨てた、ひどく不器用で、ひどく「不便な」一人の少女として、ワタラセの手を握りました。
ワタラセの屋敷に、かつて第17開発局で共に泥をすすった、腐れ縁の元同僚・クドウがふらりと現れました。
クドウは、ワタラセが組織を去った後もメーカーに残り、上層部の無理難題を現場で捌き続けてきた男です。
白髪の混じった頭を掻きながら、彼は屋敷の作業場に転がっている「不便な名機」たちの残骸を見て、喉を鳴らしました。
「ワタラセ…お前、相変わらず『商売にならないガラクタ』ばかり可愛がってんな」
「うるさい。効率の良すぎる機械なんて、面白くも何ともないんだよ。…それよりクドウ、お前が持ってきたその新型のセンサーユニット、設計が甘いぞ。この角度で応力がかかると、0.2秒で熱暴走する」
二人の元同僚は、安酒を煽りながら、朝まで技術論という名の「罵り合い」を続けました。
クドウは組織に疲れ果てていましたが、ワタラセと議論している時だけは、かつての「バカな夢を見ていた技術者」の顔に戻っていました。
その横で、テレジアが甲斐甲斐しく、でも不器用に動いていました。
彼女はもう、アイドルのような「計算された息切れ」はしていません。
けれど、ワタラセが仕込んだ孤独のバグは消えておらず、クドウという新しい来客に対して、どう接していいか分からず戸惑っていました。
「クドウ様、その…お酒の『お代わり』ですが。…シュレッダーにかけますか? いえ、間違えました。グラスに注ぐ…タスクを開始します」
テレジアは、あえてワタラセが残しておいた「緊張すると言葉を噛む」という不便な個性を発揮しながら、おぼつかない手つきで酒を注ぎます。
クドウは、彼女のそんな姿をじっと見つめていました。
「…ワタラセ。この2100C…こいつ、笑ってないのに、すごく楽しそうだな」
「ああ。アイドル時代の『嘘の笑顔』プログラムを全部焼き切ってやったんだ。今は、困ったり、戸惑ったり、…自分の不器用さに腹を立てたりするのが、こいつの『自由』なんだよ」
クドウは、テレジアが一生懸命に作ったでもどこか味のおかしいつまみを食べ、顔をしかめながらも、今日一番の笑顔を見せました。
「いいなぁ。…俺も、定年まであと数年。メーカーの『正解』ばかり作る毎日だ。…家に帰っても、完璧にスケジュールを管理するだけの清掃ロボットしかいない」
ワタラセは、クドウのその寂しげな背中と、彼がテレジアに向ける「一人の人間」としての眼差しを黙って見ていました。
「…クドウ。その2100C、テレジアを連れて帰れ」
「はぁ!? 何言ってんだよ、こんな高価なカスタム機、俺の退職金が吹き飛ぶぞ」
「バカ言え。俺がメーカーからくすねてきた時より、さらに『不便で価値のないガラクタ』に改造してある。…だから、俺が自分で買い取って、お前に『譲渡』してやるよ。その代わり…」
ワタラセは、空になった酒瓶をテーブルに置きました。
「お前、こいつに一生、新しい『恥ずかしい失敗』をさせてやるって約束しろ。こいつを二度と、『完璧なアイドル』に戻すな。…世界で一番不便な、ただの『同居人』として扱え」
翌朝、クドウの古いセダンの助手席には、少し緊張した面持ちのテレジアが座っていました。
「ワタラセ様。…私は、クドウ様の家でも、お酒をグラスの代わりに自分の足に注いでしまうかもしれません」
「いいんだよ、テレジア。…クドウは、そういうお前の『失敗』を笑いながら拭いてくれる、世界一不器用な男だからな」
クドウは照れくさそうにエンジンをかけました。
「ワタラセ…お前、本当にお節介だな。…サンキュー、最高の退職祝いだ」
車が走り出すと、テレジアはバックミラー越しに、屋敷の玄関で手を振るワタラセを見つめていました。
彼女のシステムには、もう「数万人のファン」への感謝ログはありません。
ただ、隣でハンドルを握る、自分と同じように少し疲れ、少し不器用な「たった一人の理解者」に向けた、設定外の小さな小さな微笑みが、彼女の頬を赤く染めていました。